ブログ・ご意見番の意見

 充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。

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1100.2010年5月18日(火) JN協会総会と多摩美大開講で忙しい一日

 今日は2つの予定があった。ひとつは、NPO法人JAPAN NOW観光情報協会の定期総会であり、もうひとつは今年も受講することにした多摩美術大学の外国美術史講座の最初の聴講である。

 前者は昨年まで会場はプレスセンターで行ってきたが、今年は生憎会場を予約出来なかったということから、松尾理事長が会長職を務めている海事センターが入っている海事会館で行われた。このNPO団体は、大手企業が会員に加わっていることもあり比較的財政は豊かで、決算書類はほとんど問題ない。決算書類はすべてシャンシャンシャンと承認された。理事の改選も予定通り同意され議事はすべて滞りなく承認された。一応理事のひとりである私も引き続き2年間理事を続けることになった。

 日本経済も今や不況で行き場がなく閉塞感から脱却出来ない。新たな産業の創出も難しい中で、幸い観光は政府の肝煎りもあり、成長材料と期待されている。われわれ観光に関わるNPOも日本経済の期待を背負っていると受け止めて、観光振興について、広く執拗に発信していく必要があると思う。その意味でも今秋上梓予定の観光書が少しでも役立てば嬉しいことである。

 観光書「そこが知りたい 観光・都市・環境」については、同じ「観光」を分担する須田寛JR相談役から早くも原稿をいただいた。須田さんの新幹線に関する近著もいただいた。とにかく須田さんは原稿を書かれるのが早い。また、全体の構成として須田さんの文章より、私の文章を前に配置することを提言された。いずれ出版社を交えて話し合いをしようということになった。

 総会後の講演は、元国交省審議官・羽生次郎氏で「アメリカの高速鉄道計画の将来展望」とアップトゥデートな話題について話された。GW中に前原大臣とともにアメリカへ新幹線敷設採用の売り込みに行った後に、ベトナムへも売り込みに行かれた。その折の現地の対応と印象について語られた。国と民間が一体となったトップセールスの印象として、アメリカの高速鉄道計画を獲得出来る可能性は、極めて厳しく楽観出来ないと話された。そもそもライバルに比べて売り込みのスタートが遅いということと、ライバルの仏独社に比べて、売り込みがパッケージとして一体化されていないことがネックらしい。つまり、ブラジルへの売り込みの例でも分る通り、商社と車両メーカーが協力してセールスをかけているが、肝心の運営会社であるJR社が噛んでいないことに弱点があると指摘しておられた。更に後発だった中国が今や強敵になったと言っておられた。

 後者については、懇親会を途中で失礼して、一旦帰宅してから妻に車で多摩美大へ送ってもらい開講時間ぎりぎりに飛び込んだ。

 今日は、「都市を美術とともに歩く」シリーズの第1回「アメリカ・ニューヨークを歩く」と題して、笠原恵実子講師が担当されたが、ユニークな授業で中々面白かった。これまでにない教え方だった。副題が付いていて「アーティストの移住、そのbefore/after」と、アーティストの溜り場であるマンハッタン南部、SOHO地区とブルックリンの芸術家の制作意欲の表し方が面白かった。笠原講師は、多摩美大彫刻科大学院を卒業して彫刻家として活動し、長年ブルックリンに居住しながら制作活動を続けているので、その経験談、中でも彫刻家としての視点が興味を惹いた。廃屋に近いアパートが、芸術家が住むことによって地価が上がり、ハイクラスな地域に変貌していくという見方は面白かった。次回以降他の講師の話も楽しみである。

2010年5月18日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1099.2010年5月17日(月) タイの対立・暴動はいつ収束するのか。

 タイの暴動は一向に止む気配がない。このところバンコック市内で対立している政府軍と反政府軍は一触即発の様相を呈している。連日死者も出て内戦のように泥沼になってきた。どうしてここまでもめるのか、理由はあるにせよ多くの人を巻き込んだ戦争ゴッコの感が否めない。もう少し時が経つと戒厳令が敷かれるかも知れない。ふと41年前のタイへの新婚旅行を思い出す。事前に計画を細かく決めずに、現地を訪れてから対応しようと考えていた旅行だったが、生憎マレーシア国内で戒厳令が敷かれ空港封鎖で予定のペナンへ行けなくなってしまった。咄嗟に格別の目的もなくチェンマイへ飛んだことがあった。

 その時バンコック市内で泊ったのが、ルンピニ公園前の「バンコック・タワー・ホテル」だった。その小さなホテルは今も順調に経営されているだろうか。毎朝散歩したルンピニ公園は今では軍が封鎖している。また、チェンマイも渡航延期令が出ているようだ。

 双方の対立はぬかるみにはまったようで、解決の見通しが立たない。割合温和で人懐っこいタイ人が、よくもここまで粘り強く闘うものだとその根気に感心もし呆れもする。だが、このままいつまでも対立し続けて、ゲバルトを繰り返しているとお互いに共倒れになるのではないか。

 実際外国人観光客はタイを訪れなくなり、経済活動は停止され、このままの状態が続けば、いずれ前代未聞の不況が訪れるだろう。不思議に思うことは、こういう場合普通は国連が調停に乗り出すのだが、今回の暴動にはその兆しもない。いつもトラブルの予兆があると、国連は特使を派遣して、場合によっては介入することもあるが、今回はその素振りすら見せない。多分、王家が仲介に乗り出すとでも考えているのだろう。確かに、かつては国内にデモらしい気配が見えると必ずと言ってもいいくらい、国民から敬愛されているプミポン国王がお出ましになり、一言話すと事態は丸く収まったという感じだった。その国王も今年齢83歳でお歳がお歳だけに、自らタフな調停に乗り出すということは考えられないのではないか。

 今日も銃弾のようなものが飛び交っている。1966年初めて訪れた外国が「微笑みの国」タイだったせいで、余計タイの動向が気にかかる。

2010年5月17日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1098.2010年5月16日(日) 沖縄は天気晴朗ならず波高し

 お隣に住む西本さんが、ご家族揃ってニューヨークから帰国の挨拶に来宅された。3年半に亘ってニューヨークのJETROに勤務されていたが、転勤によりこの3月にご主人はNYからJETRO岐阜貿易情報センター所長になられたという。現在岐阜市に単身赴任されている。ご家族は近所のマンションを借りて自宅の賃貸契約が切れる8月を待っておられる。NYへ行かれる直前に生まれたお嬢ちゃんが来年小学校入学とは、実に時の流れるのは早いものだと感慨深い。上の男の子が小学2年生で、これからも転勤があるだろうし、大変だろうなぁと思う。

 さて、相も変わらず実行力の乏しい鳩山内閣が、今やぼろぼろである。平野官房長官が、今日鹿児島で徳之島の米軍基地誘致派の有力者と個別に話し合いを持った。正面突破は無理と悟ったか、政府はサイド攻撃で切り崩しにかかってきた。町長、島民が挙って反対の中で、別のルートを通して説得しようとする、住民の気持ちを逆撫でするような手法はいかがなものか。町長も住民も裏切られたような気持ちで憤懣やる方ない。

 政府が早く決着をつけたいとの気持ちも分らないわけではないが、政府のやり方がどうも拙速で泥臭い。それに鳩山首相は住民感情が一番大事で、それを尊重すると散々言っておきながら、やることはまったく逆である。

 一方日米間で実務者協議を始めたようだが、普天間移設を実現するための政府案(キャンプ・シュワーブ杭打ち桟橋方式と一部徳之島移設)をその前提として話しているなら、その前提自体が壊れかけ暗礁に乗り上げている。それを敢えて解決の見通しの立たない政府案を強引に推し進め、一方でアメリカと政府案を話し合っているようだが、皮肉にもアメリカはすでに桟橋方式に否定的な見解を示しているようだ。では一体どうすれば良いのか。はっきり言って、こういう袋小路に入った以上今のところ打つ手なしというどうにもならない状況にある。

 今日沖縄普天間基地周辺を移設反対、基地撤去を唱える人びとが雨の中で、普天間基地の周囲を1人ひとりが手をつないで「人間の鎖」デモンストレーションを行った。沖縄県民、なかんずく基地周辺住民にとっては本土返還後、失望の連続だったという。長らく旧コザ市長を務められた大山朝常氏は、著書「沖縄独立宣言」の副題に「ヤマト(日本)は帰るべき祖国ではなかった」と付けられたという。沖縄県民にとって本土復帰は喜ぶべき結果にはならなかったのか。もしそれが本音だとすると沖縄返還に多少なりともかかわった私としてもやり切れない気持ちである。いつになったらすっきりした気分になれるのだろうか。

2010年5月16日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1097.2010年5月15日(土) ホームページ開設3周年

 早いものでホームページを立ち上げ、このブログを書き始めてから今日でちょうど3年になる。何とかブログはほぼ1,100回を連続して書くことが出来た。幸いHPへのアクセス数も17,000回を数えた。大勢の人に見てもらっていると思うと責任感のようなものが湧いてくる。

 ブログはわれながらよくぞここまで書き続けてこられたものだと思う。これも偏に毎日思ったことや感じたことを書いてみたいとの気持ちが強く、疲れていてもその思いを押し通すことが出来たからに他ならない。今後いつまで書き続けることが出来るか、またこの個人的な記録をどうすべきかも考える必要があると思っている。 

 今日は沖縄返還が成って早38年である。返還闘争で2度ばかりデモに参加したことがあるが、仕事に追われて心情的な反対運動に終ってしまい、自分の行動に必ずしも納得しているわけではない。60年安保闘争と併せて考えると沖縄返還は了としても、その後安保条約が沖縄の足かせになっていることは間違いない。

 また、今日は昭和7年に海軍青年将校が時の首相・犬養毅を殺害した5.15事件が起きた日でもある。今や2.26事件同様に5.15事件もメディアで報道されることはなく、日本史で学ばなければほとんどの人が知らない時代になってしまった。日本人は少々過去の歴史を軽視し、こだわりがなさ過ぎではないだろうか。

 さて、先日惜しまれつつ亡くなったが、今もニュース性をもってしばしば取り上げられている人気作家・井上ひさしさんが、日本ペンクラブ第14代会長に推されたのは2003年5月の総会だった。その直後にペン会員に推薦されたことを、偶々スイス旅行中に妻からの電話で知った。その総会記録が掲載されている「P.E.N.」358号(2003年7月1日発行)をみてみると、井上新会長が話された就任挨拶が掲載されている。それによると会員になってから理事、常務理事、副会長と駆け上がってきたが、今まではサボっていたので、会長に選出されたのは天罰に違いなく、しばらくはよく働き、過去の埋め合わせをするようにとの天の裁きが下ったものだと「更生の弁」を述べている。相変わらず人を食ったようなスピーチで、井上流のユーモアとサビを利かせている。それでも、井上会長は連綿と受け継がれてきた反核反戦の気風を受け止め、その気風を若い人に渡すことを誓うと真面目なことも言っておられる。その時私を会員に推薦して下さった専務理事・小中陽太郎さんは、井上さんから副会長になって欲しいと誘われたようだが、2トップが揃って左翼系だと野次馬が騒ぐのではないかと、小中さんは辞退してヒラの理事に納まったと伺った。

 翌月の「P.E.N.」359号には、早速井上会長の発案により始まった月例会のショート・スピーチの内容が紹介されている。皮切りに会長自身が話された「遅筆生活40年」は、遅筆になった言い訳と時代背景を伝えていて、これが結構面白い。世間には出ていない井上ワールドの真骨頂である。

 この号には、6月理事会で承認された新会員が写真入りで紹介されている。私は名前、住所、電話、生年月日の後に、「エッセイスト。ギリシャ政府観光局長賞エッセイ部門入賞。推薦者 阿刀田高、小中陽太郎」と紹介されているが、同時に会員となった同期生には、阿木耀子、菊間千乃、小池真理子、なかにし礼、藤田宣永氏ら錚々たるメンバーがいる。これらの著名人が揃って私同様に阿刀田高氏に推薦されているのが、偶然とはいえ不思議な気がする。4年後井上会長の後任として当時専務理事だった阿刀田氏が第15代会長に選出された。

 いずれにせよ、文学界の楽屋裏や、著名作家の裏話は、含み笑いするような感じで面白い。

2010年5月15日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1096.2010年5月14日(金) ビルマの民主化運動が心配だ。

 しばらくメディアで大きなニュースとして取り扱われなかったビルマだが、民主化運動の先頭に立っていたアウン・サン・スー・チーさんが自身代表だった「国民民主連盟」(NLD)を解散させたことで、民主化運動も行き場を失ってしまった。これはもちろん彼女が意図していたわけではなく、また望んでいたことではなかった。巧妙な軍政の罠にはまってしまったのだ。軍政のしたたかな戦術的呼びかけに導かれ、辿り着いたところで受け入れられない条件を提示され、拒否した結果がこうなってしまった。今後NLDの政党活動や党員の政治活動は違法とみなされ、摘発の対象になるという。NLD関係者は解党には必ずしも賛成ではなかったが、スー・チーさんが下した決断に従った。他の民主化運動関係者にとっても大きな痛手である。

 これからスー・チーさんは、軍事政権に対してどういう方策を取って支持者に約束した民主化運動を進めていくのだろうか。果たしてビルマに民主化は訪れるのか。国際世論はスー・チーさんたちの民主化運動を強くバックアップしているが、それでも国際社会で孤立している軍事政権が、結局そのまま体制を維持して国家を統治しているという理不尽はどうにかならないものだろうか。ここでも軍政をサポートしている中国の後ろ盾が民主化の妨げとなっている。

 先日映画鑑賞会で会った映画監督の瀬川正仁さんから著作を送ってこられた。「ビルマとミャンマーのあいだ」という書名だ。副題に「微笑みの国と軍事政権」と書かれている。確かに瀬川さんがビルマを訪れたことは聞いていた。そのビルマで訪れた都市も半端ではない。われわれがビルマを度々訪れていた時代、1970年代には日本軍所縁のミートキーナやラショオは足を踏み入れることに許可が出なかった。旧日本軍航空隊の人たちからは、もう1度訪れてみたいとよく言われたものである。それにも拘わらず、瀬川さんは満遍なく各地を訪れている。許可が簡単にもらえるようになったのか、民族間の対立がなくなったのか、読むのが楽しみになってきた。お返しに、すぐ私のビルマ旅行企画体験を綴った「現代海外武者修行のすすめ」をお送りした。

2010年5月14日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com