充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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1130.2010年6月17日(木) 江戸城復元図完成報告会
江戸東京博物館でNPO法人「江戸城再建を目指す会」主催による「江戸城寛永度天守『復元図』完成報告会」が開かれた。しばらくぶりで会の催しに参加したが、小竹直隆理事長の情熱的なリーダーシップと、スタッフの周到な事前準備で報告会は成功だったと思う。
城郭建築の研究家である三浦正幸・広島大学大学院教授が「寛永度天守はこんなに壮大で、美しい姿だった!」と題して、幕府大棟梁が遺した江戸城寛永度天守絵図について、他の安土城、大坂城、姫路城、名古屋城、宇和島城の立面図と比較しながら、その大きさや特徴等を分り易く説明された。
引き続いて照明デザイナー・石井幹子氏が「夜空に照らされた江戸城―東京の新ランドマークをつくろう」のテーマの中で、夜の照明効果について、更に諸外国に比べて日本の都市には観光の目玉がないので、仮に江戸城を東京湾岸にでも作れば夜景が美しく、観光地化が期待出来ると話された。だが、これは後段のシンポジウムで、小竹理事長が江戸城再建場所はオリジナルの天守跡地でなければならないとはっきり断言された。
その後両氏に加えて大田道灌公第18代子孫・太田資暁氏と、日本総合文化研究所代表・西川壽麿氏が参加され、小竹理事長がコーディネーターとなって「江戸城が再建されたら日本は甦る」というテーマでシンポジウムが行われた。この中で三浦教授の日本文化におけるオリジナル性と木の文化の観点から、元の天守台へ再建するのが望ましいとの主張が説得力を持っていた。結論は木造建築により往時の姿で復元したいとの声に集約された。
小竹理事長の巧みな司会進行で、ユーモラスに時間の配分もよく、楽しい雰囲気の内に、江戸城再建の声を盛り上げていった。
印象的だったのは、多くの参加者が三浦教授の専門的、かつ学術的な話に引き込まれていったことである。特に、再建に当たっては1割方の人はオリジナルの木造建築よりコンクリート製を望んでいるようだが、その前提として恐らく耐久性の理由で木造建築よりコンクリート製を選択しているのではないかと推測される節がある。しかし、城はしばしば改築、再建されることもあるので、材料の再利用や、本当の意味での耐久性、材質の過重負担、室内の雰囲気、林野庁の国有林内に城郭に適した建築材が植林されている点などを考慮すると、むしろ木造建築の方に利点が多いと説明されたのは意外で、これまで考えていたこととはむしろ反対だった。それにしても三浦教授の明快な説明には頷けるだけの説得力があった。
最後にCGによる再建江戸城の雄々しい外観の姿と、日本文化の伝統的な奥床しさを見ていて感動を憶えた。とりわけ内部の廊下周りと畳の和室を見ていると木造建築以外では意味がないと感じた。
江戸東京博物館第1ホールは定員450席だそうだが、参加者が溢れ出て530名の方が来られたそうである。前途は遙遠であるが、皆さんの気持ちが盛り上がっているので、江戸城再建目指して小竹リーダーの下に前進するのみである。
今日はメディアの取材も多かったようで、早速18:15からNHK「首都圏ニュース」で放映され、(後で録画を観ると)小竹理事長がインタビューに応えられていた。懇親会には着任間もない溝畑宏・観光庁長官も出席された。民間にもおられた経験があるので、本プロジェクトの主旨を充分理解され、観光振興の大きな仕掛けとして捉えていただき、早速パフォーマンスを示され気合を入れておられた。
これから組織内部の声を一層盛り上げて、念願成就のために国民運動にまで広げていく強い意思と心構えが必要であるが、とりあえず経過報告会としては素晴らしく盛り上がったイベントとなり感動した。
何とか生きている内に、ライトアップされた江戸城の格調高い姿を拝んでみたいものである。
1129.2010年6月16日(水) 岸井成格氏講演会と60年安保写真展
久しぶりに「ふるさとテレビ」の月例セミナーに出席した。国会議事堂裏の憲政記念館で開催されたセミナーで、毎日新聞特別編集委員・岸井成格講師が「波乱の政局を読む」と題して1時間余に亘って持論を分り易く解説された。長年政治部記者として取材に当たられていただけに、政治の内部事情に詳しい。政治勘に勝れていてあまり知られていない興味ある話も数々された。
そのひとつはサッチャー・イギリス首相が来日された時、並み居る日本の首相経験者を前に、首相の資格に関する質問に応えて、サッチャー首相は日本の首相資格についてイギリス人に聞くほど、日本には国家のリーダーたるべき人材はいないのかと逆質問をして、オーバーな表情で嘆かれたという話である。
もうひとつは、最近中国政府がアメリカ政府に対して、全アジア・太平洋海域の安全保障のために、東太平洋をアメリカが、西太平洋は中国がコントロールしたいと秘かに申し出たそうである。そのためには、南鳥島が日本領土であるのが邪魔であるとか、なぜ日本領なのかとか、沖縄近海の公海が狭くて沖縄諸島が気になるような話をしたらしいが、今更ながら法衣の下に鎧を着た中国の覇権主義がミエミエで、中国が経済成長に乗って何でも事が通ると思っているその傲慢さには嫌悪感すら憶える。
中々歯切れの良いスピーチだったが、岸井氏は今月24日には、毎日新聞社編集主筆になられるそうで、これから毎日新聞紙面編集の全責任を負っていくことになる。一時大腸がんを手術されたようだが、お見かけしたところお元気そうなので、益々の健筆を期待したいと思う。
セミナーを終えてから早稲田大へ行った。明日まで「60年安保50周年記念行事」の一環として大隈記念タワーで報道写真展が開かれていることを知ったからである。早大キャンパスを訪れたのは、早大受験の時以来ほぼ半世紀ぶりである。街と大学キャンパスが融合しているような印象を受けた。展示写真はそれほど多くはなかったが、それでも懐かしいものが大分あった。当時の新聞と記念雑誌が興味を惹いた。スペース中央部では、安保闘争の流れについてビデオが放映されていたが、樺美智子さんの死とアイゼンハウアー大統領のハガチー新聞秘書来日騒動、そして強引な手法で安保を成立させた国会の様子などが懐かしいものだった。
それにしても、当時の学生は現在に比べると服装はほとんど学生服で地味そのものであるが、信念とか行動は迫力があった。それに現代のように植物系で無機質な学生はほとんどいなかったように思う。
エレベーターで一緒になった同じような年頃のおばさんは、今の学生はだらしないとしきりに嘆いていた。
夜テレビ朝日で池上彰の「学べるニュースSP!」を観ていたら、ラグビー誕生についてデタラメを言っていた。結構役立つ番組で真面目な取材をしているし、いつも池上氏が分り易い解説をされるので、楽しみに観る番組のひとつであるが、最早ラグビー通の間では定説となっているラグビー誕生のユニークな話があまりにもお粗末なエピソードに創り上げられているのには驚いた。大した取材もせず、よくもこんな嘘っぱちをでっちあげるものだと呆れ返ってしまった。返事はないと思うが、とりあえずTV局にメールで注意してやった。
1128.2010年6月15日(火) 安保条約改定50周年
60年安保闘争が、結局岸信介首相による国民への最大級の裏切り行為によって終結させられたのは、ちょうど半世紀前の今日6月15日である。あの時は実に悔しかった。国会周辺だけでも10万人を下らないデモ隊による異様な雰囲気に取り囲まれていた。結局安保条約は6月20日未明に自然成立となった。この日東大生・樺美智子さんが警察の暴力により亡くなった。それまで何回となくデモには参加していたが、どういう事情だったか、この日は国会デモへ駆けつけなかった。亡母が節夫もデモへ出かけていたら、惨事に巻き込まれたかも知れないとほっと胸をなでおろしていたことを思い出す。
あれから日米安保は、10年後の改定時になっても大きな変化は起こらず、今日まで延々と継続され、ついには先般の沖縄・普天間基地移設問題でも日米政府は、普天間から辺野古へ移設で合意した。先日外務省外交文書密約裁判で勝訴した西山太吉氏が、安保条約は内容的に大分変質していると言われたが、一旦改定された60年安保が、いつまでもクビキとなって日本国内の基地問題の重しとなっている。
日米合意を遵守して普天間移設問題に取り組んでいくと話した菅首相も、一昨日の「はやぶさ」帰還と昨晩のワールドカップ緒戦勝利がよほど嬉しかったのか、2連勝だなどと浮かれていたが、誠実に国民を納得させるような説明をして欲しいものである。
さて、先日倉敷出身の出井猛氏から麹町・弘済会館で開催のセミナーにお誘いを受けた。講師は、大原美術館理事長・大原謙一郎氏である。「倉敷から日本を考える」と題して1時間30分余に亘り持論を交えて、倉敷という土地柄、倉敷人について明快に話され、80人の聴衆に感銘を与えた。
印象に残った話は、倉敷は町村合併でも陣取りのように地域を広げていくのではないということだった。吸収都市を取り込むのではなく、クラスターと呼ばれる葡萄の葉のように、個性をその地で生かすと話されたことと、民間や町衆の行う行事は、祭りでも学校創設でも持続可能であり、これを仮に官が行ったら持続不可能だったと言われたことである。大原氏は倉敷の文化や住民気質について、かなりのプライドをお持ちだと感じた。元々企業経営者であるが、文化に造詣が深く、話に深みがあり全体的に分りやすい内容だった。
1127.2010年6月14日(月) 小惑星探査機「はやぶさ」7年ぶりに帰還
昨晩小惑星探査機「はやぶさ」が、7年ぶりに地球へ帰還した。今朝の新聞やテレビでも、そのニュースが大きく取り上げられ、感情移入したのか涙ぐんで解説するテレビ・キャスターもいたくらいである。少々専門的過ぎて打ち上げた意図や、その飛行功績については詳しくは分らないが、7年の飛行と60億㎞の飛行距離には驚かされる。想像も出来ない遥かなる宇宙の果てである。地球から3億㎞も離れた、東京ドーム3個分くらいのサイズの小惑星「イトカワ」へ着陸して、カプセルがそこの砂を採取したらしい。しかも大気圏へ突入する直前に地球の写真まで撮って地上へ送ってくれた。何より凄いと思うのは、何度も故障して一時行方不明になり帰還が3年も遅れたうえに、一度途切れた通信機能を再び回復して電波を地球へ送ってくれたことである。宇宙航空研究開発機構(JAXA)のスタッフの辛抱強い努力が実ったと言えよう。
これから回収されたカプセルからどんな新事実が解明されるのか期待が膨らむ。昨日オーストラリアの砂漠に落下する前に大気圏へ突入した画像を観ていると、その後「はやぶさ」が流星を引っ張るように飛行して分解した。だが、カプセルはそのままパラシュートを開いて無事着地した。素晴らしい光景を映し出してくれた。久しぶりに宇宙の素晴らしさを画面から教えてくれたように思う。カプセルは直径30㎝、高さ15㎝、重さ6㎏の小さなものだそうである。
それにしても月以外の惑星へ到達して戻ってきたのは、世界で初めての成果で、最近やや落ち目と見られていた日本の宇宙航空技術の高い水準を、改めて世界に知らしめた点でも特筆ものである。
ワールドカップの大騒ぎの陰で地味ながら、こういうロマンのある科学技術が日本の存在感を示してくれたことを誇らしく思い、深い感動を覚えた。
ふっと別の「隼」を思い出した。言わずと知れた大東亜戦争で活躍した陸軍航空隊の戦闘機「隼」である。飛行第64戦隊(加藤隼戦闘隊)の皆さんと何度もビルマへ慰霊巡拝に行ったものだが、その中心だった皆さんはすでにほとんど亡くなられた。初めてビルマを訪れてから早くも40年が経つ。この慰霊団が縁で国家事業である戦没者の遺骨収集事業を長年に亘ってお手伝いさせていただいた。これも私にとってはロマンを感じさせてくれる旅行だった。
1126.2010年6月13日(日) 世界平和度で日本は第3位
つい最近イギリスの経済誌「エコノミスト」が公表した「世界平和度指数」で、日本は149ヶ国の中で堂々第3位にランクされた。治安状況やテロの危険性、政情、軍事費支出など20項目以上を集計して算出した数値を基に割り出した順位だそうである。日本より上位の1位はニュージーランド、2位はアイスランドで最下位はイラクである。経済が破綻に近いアイスランドの2位というのが、些か首を傾げるところであるが、それを除けば何となく納得出来る。日本より上位の2つの国は、近くに危険な国がないことが高く評価されたそうだ。日本の近くには北朝鮮が存在することがマイナスになっている。こうなると例え貧乏でも近くに危険な人物がいない方が幸せだということになる。
この数値がすぐプラスに活かされることはないと思うが、安心して旅行出来ると外国人から見られることは、現在「観光立国」を売り込んでいる日本としても追い風になるのではないか。日本に長く滞在している外国人にインタビューすると、「夜遅く1人で歩いても安心」「女の1人歩きが出来る」「物を置いても盗られない」と、普通の安心感覚を持っているようだ。
庶民感覚でも周囲に危険を感じないということは有難いことであるし、貴重なことである。だが、ピリピリするような危険感覚が少ないのも世界的に問題となっている「平和ボケ」とか、他人のことに気を配らない嫌な雰囲気が当たり前になる恐れがあるから、別の面でちょっと心配でもある。電車内でお年寄りが乗っても若者の中には携帯や漫画本に夢中になったり、居眠りしたフリをして席を譲ろうとしない不届き者が増えている。
因みにこの平和度で北朝鮮は139位、中国は80位、韓国は43位だった。平時における治安の悪さで悪評高い、南アフリカは121位だった。今ここでワールドカップが開催されている。
さて、昨日菅首相はマニフェストに掲げた月額26,000円の子ども手当ての満額支給を断念し、現行の13,000円の上乗せ分は保育サービスなどの現物支給を検討することを表明した。結局衆議院選挙のマニフェストは、頓挫することになった。
しかし、元々財源に乏しく満額支給は当初から疑問符が付いていた。普天間移設問題と同じように結論を先延ばしにした末に、諦めることになった。有識者の意見を聞いていると、どうしても無理なら国民に充分説明して方針転換することも検討した方がよいとアドバイスしている。鳩山政権は頑固に無理押しをして自らを追い詰めてしまうところがあった。消費税問題にしても、向う4年間は税率を上げないといっているが、法人税収入が激減している中で、あまり実行出来もしないマニフェストを振り回すと益々窮地に追い込まれる。
そんな中で今朝の日経紙にイギリス・カーディフ大学日本研究センター所長クリス・フッド氏がマニフェストについて提言している。まず、日本とイギリスとではマニフェストに関する考えが異なる。イギリスではマニフェストはあくまで構想で、野党時代に掲げたマニフェストを与党になって修正するのは何ら問題がない。日本ではそれが憲法のように扱われていると指摘している。
子ども手当てにしろ、消費税の増額にしろ、苦しい財政状況を懇切に説明して変更するのは、むしろ国民には親切だと思う。菅政権はこの苦しい懐具合の中で参院選をどんなマニフェストを示して闘っていくのだろうか。