充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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1170.2010年7月27日(火) 堺利彦の孫・近藤千浪さんの死
6月11日、片山正彦さんの「ここに記者あり!」(岩波書店刊)出版記念会に出席した。その際入れ替わり立ち代り片山さんや、主人公?の「記者」村岡博人氏に縁深い人が挨拶されたが、その中に近藤千浪さんという方がおられた。
今日片山さんから出版記念会の時のスナップ写真を送っていただいたが、添えられた手紙によると近藤さんはその直後にガンで亡くなられたと記されていた。片山さんと近藤さんの出版記念会前後に交わされたメールのやりとりのコピーも添えてあった。近藤さんと村岡氏の写真も同封されていたが、一瞥してどういう意図かあまりよく分らなかったが、片山さんの手紙を読んで納得した。
寡聞にして知らなかったが、この近藤さんの祖父が社会主義者・堺利彦だったとは驚いた。「万朝報」の記者でもあった堺の著書は、学生時代に断片的にしか読まなかったが、社会主義運動同志の幸徳秋水、片山潜、山川均、荒畑寒村、河上肇らの著書は随分読み込んだので、堺が別の世界の人間のような気がしなかった。
ノンフィクション作家・鎌田慧氏のコラムによると近藤さんの母、つまり堺の娘の近藤真柄さんは市川房枝と日本婦人有権者同盟の運動をした人だという。父親の近藤憲二氏は、大杉栄と伊藤野枝の遺児を育てた人だった。そろって社会主義と博愛主義に貫かれていた家族である。今にして思うと近藤さんと少しでも話をしなかったのは惜しかった。享年68歳でまだ若かった。
それにしてもわざわざ手紙に添えて写真まで送ってくれるとは、片山さんも親切な方である。おかげで久しぶりに今年百周年を迎えた大逆事件以降の明治・大正期の社会主義運動を思い起こした。
今日午後記者会見で衆議院議員・辻元清美氏が社民党を離党したと発表した。いつもパフォーマンスが目立つ人だが、理由は釈然としない。小党での限界みたいなことを言っているが、それならもっと不利な立場の無所属になって、これからどうやって自己主張をやり国民の期待に応えようというのか。今回もパフォーマンスばかりが目立って、言わんとしていることがよく分らない。
敢えて弱い人たちのために闘うときれいごとを言っているが、かつて「ワーク・シェアリング」を悪用して議員秘書給与流用事件を犯して議員を辞職したような人に、果たしてそんな立派なことが本当に出来るのか? ある新聞には、「辻元氏民主党へ」と書かれていた。民主党からの三顧の礼を待っているのはミエミエである。辻元氏にはどうも大義が見られない。こういう器の小さい人間でも政治家集団の中では、それなりの存在感を示せるというのがまたシャクに触る。
1169.2010年7月26日(月) ポル・ポト政権虐殺事件に判決
僅か4年のポル・ポト政権時代に約170万人の国民が虐殺された。すでにポル・ポト将軍は1998年に亡くなっているが、彼が残した負の遺産は大きい。
今日プノンペンで事件当時虐殺に関わった元収容所所長に対する裁判が開かれ、懲役35年の刑が下された。こんな一介の裁判で納得するほど国民の気持ちは穏やかではない。何せ国民の1/4がひとつの政権、ひとりの独裁者によってこの世から抹殺されてしまったのである。ちょうどベトナム戦争が終末に近づいていたので、世界的な関心がこの事件に強く及ばなかったことも不幸だった。
なぜ自国の国民を国の最高責任者で、当時クメール・ルージュ(赤いクメール)書記長だったポル・ポト将軍が残虐にも殺したのか、今もなお謎に包まれている。
ポル・ポトは共産主義者ではあったが、彼は真の革命、そして平等な共産社会を作り上げるまでには相当な時間がかかると考えていた。そんなに待てないと考えた彼は、そのためには私有権を主張する家族制度を打破する必要があると信じきり、親を殺した。生まれたこどもは親と生き別れさせられ、家族の破壊を続けたということになっている。随分無茶な理屈であるが、共産主義が目指す財産の共有とか、私有財産の禁止が行過ぎると、独裁者の思うままになってしまう。スターリン、毛沢東、金正日らの半生に見るまでもなく、結局国民には私有財産を禁じ国民には我慢を強いていながら、自分たちだけは巨額の財産に囲まれ、思いのままに権力を行使していた。
ポル・ポト事件の真実は今もってあまり伝わっていない。これだけの人間をいとも容易く葬り去った罪状を暴き、検証することもそろそろ必要ではないだろうか。その過程で共産主義の本性も検証する必要がある。今の中国は共産主義を標榜しているが、果たしてカール・マルクスが初めて考え出した頃のセオリーに叶っているだろうか。かつて「物言えば唇寒し」のムードが中国全土に漂っていたが、今もそうではないだろうか。それは今も政府の言論封鎖や、国家統制という形で表れる。
今も世界のどこかで似たような事件は起きているかも知れない。その点では世界の良識、力にも限界を感じることがある。
しかし、戦争中とは言え、人間の神経が麻痺するとこうも狂気の沙汰を繰り返すようになってしまうのだろうか。あれから40年近く経つが、考えさせられる悲惨な事件である。
1168.2010年7月25日(日) 神田川、日本橋川、隅田川の川巡りを楽しむ。
このところの炎暑で熱中症により亡くなる人の数が増えている。かつてはメディアの情報でも熱中症対策なんてあまりなかったと思う。それが微に入り細に入って、どうしたら熱中症を防げるかという話で、水分補給と併せて塩分を摂るようしきりにアドバイスしている。ただ水分を摂るだけでは、体内の塩分が薄まって不足するので、必ず塩分補給も欠かさないことが必要だと、繰り返し説明している。こんなくどい塩分補給の話はこれまで聞いたことがないので、水分不足に加えて塩分欠乏で熱中症にかかる人がいかに多いかを表しているといえよう。
その暑い中を今朝早く、神田川の川巡りに出かけた。「江戸城再建を目指す会」の鈴木武朗さんから熱心なご案内をいただき、JR浅草橋駅傍の浅草見附から神田川を遡り御茶ノ水から水道橋へ出て、日本橋川、そして隅田川を佃島から墨田公園前を回って浅草見附まで約2時間の船の旅だった。30人近い鈴木ファンと、「神田川船の会」委員長林さんの名解説で、目から鱗の珍しい話に興奮した。
面白かったのは日本橋川に入ると、そこはまさに高速道路の屋根の下を滑るように走る。われわれの乗った船は屋形船だと考えていたが、そうではなく屋根がなく、今日のような快晴下では汗びっしょりだったが、幸い鈴木さんの事前の「傘持って来て」のアドバイスで、熱中症から逃れることが出来たが、高速道路の下は格好の屋根となり、吹いてくる風も心地よく快適だった。
皆さんは江戸の文化を守りぬくという一点では、かなりご熱心なので、日本橋の象徴をぶち壊しにした「サマにならない」高架には不平タラタラであるが、偶々今日はその日本橋の「白寿」ということから橋の上では地元の人たちが大掃除をしていたようだ。その橋上から手を振ってもらった。
日本橋川には数箇所江戸時代の石垣がそのまま残されている。林さんの説明を聞くと積石の中には、藩の名が彫られているものがある。島津藩の○に十の字の藩の刻印が目立った。江戸の歴史に思いを馳せながら静々と船は進む。
途中御茶の水の辺りが濁っていて臭い感じがしたが、数年前には漸く水が澄んできて鯉が泳ぐようになったのを駅のホームから目撃していたので、その汚れに意外な感じがした。ちょっと残念だなという気がしていたが、水道橋辺りにまで上がってくると徐々に水が綺麗になり、匂いもしなくなった。折角清浄に成りかけている川をもうこれ以上汚さないようにしてもらいたいものである。
それより川のギャングというか、船が走っている隣を後ろから追ってきた水上オートが、何台も何台も旋回しながらスポーツ感覚で追い抜いていく。若い彼らは楽しいだろうが、側にいる者にとっては危険極まりない。林さんによるとこういう水のカミナリ族は、近い内に新条例で追放されるということだった。どこにも傍若無人で、他人に迷惑をかける馬鹿者がいる。
陸へ上がってから隣の屋形船内で、てんぷらを中心にした美味しい食事をいただいた。サックスの演奏あり、自己紹介を兼ねてお話ありで中々楽しかった。元産経記者の佐々木嘉信さんから著書「刑事一代」をいただいた。私も一言挨拶がてら、「知の現場」の宣伝をして再び暑い中をいささか疲労を憶えながら帰ってきた。
1167.2010年7月24日(土) スイス氷河特急で脱線転覆事故
昨日ラグビーの取材の件でクライアントへメール送信したところ、すぐ返事が返って来た。トップ・リーグの試合を満遍なく取材するのではなく、トップ・イーストリーグ加盟12チームの中の栗田工業ラグビー部の公式戦を取材するということだった。取材、写真、インタビューをまとめて同社ラグビー部のホームページ用の資料を作成することのようだ。9月から12月までの土、日に行われる試合の観戦記事であるが、遠くは岩手県北上市から神奈川県内、都下、近いところでは秩父宮ラグビー場と広範囲にまたがっている。
担当者は早速私のHPからラグビー・キャリアを調べたうえで、ぜひにもと乗り気になっていただいているので、スケジュールを調整して何とか多くの試合を取材出来るようご期待にお応えしたいと思っている。
今朝のニュースで氷河特急の脱線転覆事故により日本人観光客が1人亡くなったと知り驚いている。まだ事故の原因は定かではないが、ツェルマットからアンデルマットへ向かう途中だったようだ。偶々日本人グループが横転した同じ車両に乗り合わせたために、日本人死者、負傷者が大勢出たようだ。それにしても映像を観るとよくもこんなところで車両がひっくり返ったものだと唖然とする。最近の気象の寒暖差によりレールが異常を来たしたらしいとの情報がある。素晴らしい景色の連続であるアルプス山麓の景観の下で、悲惨な事故が起きたのは残念である。
今日幕張小学校のクラス会が千葉市内の同級生が経営する中華料理店で行われた。近年参加者も固定してきた。いつもながら元級長の高橋繁くんの面倒見の良さで、クラスはまとまっている。恩師の湯浅和先生が割合早く亡くなられたのが残念だが、今も湯浅先生への想いは尽きない。椎名誠さんの実兄・研二くんは一昨年亡くなったが、誠さんも湯浅先生のことをよく覚えていた。今日も3月の花見に続いての集まりにも拘わらず、11名が集まった。話は他愛ないことばかりだが、子どものころの気持ちになって気楽に話合えるのがよい。
1166.2010年7月23日(金) 金賢姫、疾風の如く去る。
金賢姫・元北朝鮮工作員が今日午後日本政府特別機で羽田空港から韓国へ帰って行った。僅か3泊4日の慌しい日程だった。鳩山別荘から一歩も外出せず、別荘に篭りきりの状態だったが、その衝撃的な存在感は日本中を席捲したような空気となって流れた。元々参院選とワールドカップは終わり話題が何もない時期を選んで、脚光を浴びるように仕組んだシナリオだったようだ。
それにしても金賢姫が114名を死亡させた大韓航空機爆破事件の実行犯であることはまぎれもない。そのひとりの女性に対するただならぬ警戒と厚遇は、北朝鮮拉致事件の残酷さを考えてもちょっと行き過ぎだったような印象を残した。
野党各党幹部もそれぞれ批判的なコメントを発表している。金賢姫に対する待遇は超VIP待遇と言って憚らない有様である。チャーター機に要した費用が約1千万円で、警戒のために動員された警察官が毎日百人という状態である。すべてことが内密の内に進められ、どんな話し合いが行われたのか情報が一切外に流れず、国費を投入した行為の経緯が分らず、そのやり方が疑問視されていた。彼女が帰国した後になって漸く政府が撮影したインタビュー映像が流されたが、すべてが異例づくめだった。
中井・国家公安委員長は、拉致家族へ勇気を与えることが出来たと自画自賛していたが、これから拉致問題解決への道筋をどうつけていくのか、肝心な点を実行出来なければ高い経費だったということになる。
問題を風化させず、コツコツとでもよいから、きちんと解決への道しるべを示して欲しいものである。
さて、朝日OBで東京ライターズクラブを主宰している児玉進氏から、社会人ラグビー・トップリーグ11試合の写真、インタビューを含めて取材記事執筆の紹介があった。1試合は岩手県で、残りはすべて東京(多分秩父宮ラグビー場で)で取材ということである。いずれも国内最高レベルの試合で興味はあるが、11試合とは随分多くてすべて都合がつくかどうか分らない。児玉氏へもう少し取材の試合が少なければお引き受け出来ると連絡をとったところ、直ちに電話とメールで返事をもらい、クライアントと直接話し合ってみてはどうかと相手のコンタクト先を教えてもらった。どうなるか分らないが、我侭な希望をクライアントへメール送信した。私にとっては、レベルの高い試合の初めての取材になるので、取材出来るとすれば楽しみでもある。楽しみに返事を待つことにしたい。