充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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1200.2010年8月26日(木) 国民不在・政治不在の民主党
ついに小沢一郎・前民主党幹事長が決断した。来月行われる民主党代表選挙に出馬することになった。この数日小沢派議員は小沢氏に代表選へ立候補することを要請していた。この間鳩山前首相は、菅首相に対して挙党一致態勢を固める条件として、小沢派の意向を汲むよう説得していたが、首相は小沢派を党内要職に就けることを拒んだことによって仲介は不調に終わり、小沢氏は派内の声に推されて代表選に打って出ることになった。
この舞台回しを務めた鳩山氏の挙動もおかしい。まず、昨日まで現状では菅首相を支えていくと明言していた。調停が不調に終るや、小沢氏を民主党に引き込んだのは自分であり、その小沢氏が立つと決めたら応援するのが大義であると訳の分らない論理で小沢氏を支持すると語った。菅首相を見限って勝ち馬に乗り換えたのである。この人の無節操とブレ具合は天下一品であるが、この場においても見事にブレてくれた。それにしても、首相を辞めた時、最高位を極めて辞めた人間がいつまでも一議員として残り影響力を与えるのは良くないので、次の総選挙には出ないとはっきり語っていた。大義がどうとか言う前に、1国の総理大臣を務めた人としては、あまりにも軽率な言動である。もう少し自分の発言に責任を持つべきではないか。
それぞれの言い分はあろうが、3人の行動は国民にとっては聞き飽きた自己主張に過ぎず、アホらしくて聞いていられない。今政治課題は山積している。特に円高、株価低迷は政府が一日も早く手を打つべき時である。政治ゴッコなんかやっている場合ではない。有識者や国民の声を聞いていると、まだ菅首相は就任3ヶ月しか経っておらず、実績はないが決定的なミスを犯したわけでもなく、株式対策を実行しなければならないのに、一国の総理大臣を内輪もめで替えるような選挙を行うべき場合かと疑問視していた。
取り巻きの発言を聞いてみても小沢氏の政治とカネの問題については、「クロと決まったわけではない」「民主党内より日本がどうなるかという問題」「難局を乗り切るためには小沢さんの政治力しかない」だと。
呆れ果てて二の句がつげない。
1199.2010年8月25日(水) NHKからも問い合わせ
小中陽太郎さんからメールをいただいた。昨日星槎大学・佐藤方哉学長が京王新宿駅で亡くなられた新聞記事を連絡したことに対する返信である。佐藤学長は佐藤春夫の子息であるが、慶応大名誉教授でもあった。
小中さんのメールによると昨日大磯キャンパスでお会いする予定だったという。小中さんの言うことが揮っている。ジョークを織り交ぜ学長は奇人としても知られていたといい、学長の迷句を教えてくれた。
「河馬の馬鹿 雷鳴轟き勃起する」
というのだそうである。つい噴き出してしまう。奇人と云われるだけのことはある。
先日来高齢者の行方不明が話題になっているが、また驚くような行方不明者が判明した。東大阪市で所在の分らない高齢者として公表された人は、何と文久元(1861)年生まれの149歳だという。文久元年生まれと言えば、父方の祖父と同じ年である。私が生まれた時、すでに祖父は他界していたので、子どもの頃にはチョンマゲを結っていた祖父は遥かに遠い人という印象が強い。その祖父と同じ年の人が戸籍上は生存していた。今夕になって大阪市にはさらにお年寄りの154歳(安政4年・1857年生れ)の行方不明者がいることが分った。その他にも大阪市では120歳以上の不明者が5,125人、140歳以上の不明者が79人もいるそうである。安政4年と言えば、橋本左内や吉田松陰が刑死した安政の大獄の2年前である。役所の住民登録管理はどうなっているのだろうか。びっくりしたなぁ。
さて、このところ経済の低迷を受けて、株価が下降線を辿っている。欧米の経済不況と見通しの立たない展望による円高がかなり効いている。
昨日円相場は一時15年ぶりの円高水準である、1$=83円台、1ユーロ=105円台まで上がり、日経平均株価は9,000円の大台を割って8,995円にまで落ちた。今日の東証も対前日比149円安の8,845円となった。経団連の大物経済人らから適切な対応をとるようアドバイスがあったが、政府・日銀とも前向きな為替介入などの措置を取ろうとの気持ちはさらさらなく、成り行き任せの有様である。
それはそうだろう。政府・民主党としては円高や株価低落より、次の党代表選出問題の方がよほど大切なのである。国の大事よりも自分たちの個人的な利益や栄達の方が優先する。菅首相周辺、鳩山前首相グループ、小澤軍団らのここ数日の動きを見ていると、彼ら政治家どものやっていることは、まるで国家の安定・発展なんか眼中にないように思えて仕方がない。
ところで、今日NHKから海外ツアーについて取材があった。今どうするかは分らないという前提でいくつか質問があったので、それなりに応えた。もしNHKでも正式に取材して放送してくれれば、全国放送でもありこれからの仕事にもプラスになるので有難い。
1198.2010年8月24日(火) 元上司と久しぶりに歓談
今朝の朝日を見て一瞬目を疑った。夜8時過ぎの京王線新宿駅でプラットフォームの先頭に並んでいた北海道・星槎大学の佐藤方哉学長が酔っ払いに押されて線路上へ押し出され、偶々入ってきた電車に巻き込まれて亡くなられた。佐藤学長は作家・佐藤春夫の子息である。不運と片付けるには、あまりにもお気の毒で言うべき言葉もない。
昨年星槎大学の共生科学会セミナーが大磯キャンパスで開催され、星槎大学教授でもある小中陽太郎さんからお誘いを受けて参加し、共生科学会の会員になった経緯がある。大学のお歴々も出席されていたので、その後のパーティでお会いしたかも知れない。北海道から夏休み中に上京されたのは、大学本部が横浜にあるので所用があったのだろう。それにしても残念なことである。
今年に入ってから会いましょうというままになっていた電鉄経理部時代の元上司・岡村透さんのお宅を訪れ、漸く約束を果たすことができた。お元気そうだったので、ひとまず安心した。やはり旅行の話と経理部時代の話になる。特に、岡村さんが主計課長の時、私が経理の仕事が性に合わず一旦辞表を提出してなだめられ、それでも依怙地になって辞めるつもりでいた。
ところが、ちょうどその時(1968年8月)に起きた世に言う「プラハの春」のせいで、首都プラハは騒乱状態となり、9月に予定していたプラハ留学の機会が儚く潰えた。振り上げた拳の置き場に困り進退窮まった。その挙句結局辞表を取り下げ、岡村さんには随分ご心配をおかけした。それから気を取り直して経理を続け、その後旅行関係部署で働き続けることが出来た。結果的に仕事を続けたことが今日につながっている。それだけに今はともにフリーな立場になり、思い出話も人一倍懐かしいものとなり、奥様ともども愉しいひとときを過ごすことが出来た。
岡村さんも会社をお辞めになってから、公認会計士の資格を活かしてそれを生業となされ、世田谷区公認会計士協会会長の要職も務められた。お互いに会社を辞めてからの第2の仕事の方が、むしろ結果的に思い切ってやりたいことをやれて、反って幸せだったのではないかと意見が一致した。
思いのたけを発散して久しぶりに爽快な気持ちになれた。いつまでも岡村さんご夫妻がご健勝であるよう願っている。
1197.2010年8月23日(月) 大逆事件100年のドキュメントを観て
今年は朝鮮併合100年に当たり、両国で記念行事が開催されている。それとは別に、同じ年1910(明治43)年に、わが国が行き詰った暗い時代を反映するような陰惨な事件が起きた。学生時代に関連書籍を読み漁った「大逆事件」である。
昨晩NHK・ETV特集「埋もれた声―大逆事件から100年―」を観た。幸徳秋水、管野スガ、宮下太吉、森近運平らのように名の知られた人々とは異なり、世間ではあまり知られないまま罪を着せられ刑に服した不運な人たちとその家族を取り上げていた。
良質の木材の産出で知られる和歌山県新宮市を舞台に、天皇暗殺の疑いをかけられた土地の6人の人物に焦点を当てていた。首謀者と見られた医師・大石誠之助をはじめ、成石勘三郎・平四郎兄弟、新聞記者・崎久保誠一、2人の僧侶・高木顕明と峯尾節堂の6人である。この内大石と成石平四郎が処刑されている。被疑者26人の内、どうしてこの6人が大審院の一審だけで刑に服さねばならなかったのか。
一部では言われていたことだが、当時の桂太郎内閣としては日露戦争直後の戦勝ムードの中で、社会主義思想を危険思想と捉える強い拒絶感情があった。社会主義運動の中心的存在だった幸徳秋水を危険人物と捉え、抹殺するために幸徳と接触した大石、そして怪しいと睨んだ人物を片っ端から検挙していった。農民が貧しいのは天皇を始めとする雲の上の人たちが甘い汁を吸っているからだと天皇を襲おうとして爆弾まで製造し、実験していた信州人・宮下太吉以外はとばっちりで捕捉されてしまった。幸徳らにとっては、いわばでっち上げ事件だった。
7年前「大逆事件犠牲者を顕彰する会」が新宮市内に顕彰碑を建てた。検挙された6人は、天皇暗殺などに関わっていなかったということから、同じ地に住む住民が犠牲者とその家族に対して心に負担を強いることを行っていたことを反省し、自分たちに突き刺さった棘を決して忘れてはならないと誓ったのである。 遺族から理不尽な言動や、いやがらせに、その地に住んでいられなくなり、引越しをしていったとの証言もあった。
戦後「大逆罪」が憲法から抹消され、遺族は汚名を晴らすために最高裁まで訴えたが、無罪の証明がないと却下された。
今日平和な時代にあって冷静に考えてみれば、明らかに非民主的な弾圧事件であるが、平和な時代がいつ軍国主義による独裁国家の時代に突き進んで行かないとも限らない。平和な時こそ危険はいつも背中合わせにあることを考えておかなければならない。
事件関係者の中では、同棲していた年上の女性・管野スガを幸徳秋水に奪われた荒畑寒村がその腹いせからか、管野スガはそんなに魅力的な女ではなかったと半世紀前にテレビで語っていたのが何とも面白く、ふっと思い出した。
1196.2010年8月22日(日) 中韓観光客受け入れに注力する日本
一昨日顔を出したテレビ番組について、友人からいくつか電話とハガキでその評価を知らせてくれた。お世辞もあるから額面通りには受け取れないが、大体好意的な見方だった。会社の知人のひとりの如きは、全小田急OB社員の中で、これだけアカデミックな形で活躍され、実績を残しているのは、将来の文化勲章受賞者の資格充分とジョークも交えて喜んでくれた。それでもそう言っていただけるだけでも嬉しい。
中国・杭州で開催された日中韓観光担当相会議で、日本の前原国交相は空港や駅などの公共施設でも中国語やハングル表示を増やして中韓観光客の利便をはかり、観光客増加のための具体的な政策を行うと語った。確かに近年中国と韓国から観光客が増加している。先日脱稿した「そこが知りたい 観光・都市・環境」原稿の中でもコメントしたが、あまりにも中韓観光客だけを対象にしたかのような大臣の「彼らが立ち寄りそうな場所で中韓語を出来るだけ表示する」の発言は、どんなケースを想定しているのかはっきり判らない段階では、素直に受け入れられない。大臣の意図がどの程度の場所を意味しているのか判然としないが、駅構内の駅名表示には、すでに日本語と英語が使われている。この2つの言語を削除するわけにはいかないので、このうえに更に1~2の言葉を追加表示するとは、駅の表示スペースが小さいだけに反って分りにくくしてしまい、日本人や英語母国語にしている観光客には不親切になる恐れがある。
折りも折り今朝の朝日フロント・ページのトップに「旅行会社、中国に参入」と書かれていた。中国が年内にも日本の旅行会社に中国国内で海外旅行業務を行うことを解禁するという。これも中国人の日本への旅行に拍車をかけることになると思う。
日本政府の観光行政への力の入れ具合は、かつて観光業界への冷遇ぶりを知るだけに、オヨヨという感じである。前掲書にも多少皮肉を込めて、政府の君子豹変ぶりを「変われば変るもの」と書いたばかりである。
それにしても、経済不況で展望が開けないため、新しい産業を開拓しようという政府の意向に会わせた形で、観光産業は旧産業でありながら新産業として期待されることになった。観光業界はこれまでほとんど政府の援助を受けることなく、不要不急の産業として幾分軽視されてきた。それが、今や「観光産業さまさま」である。
いつまで国は観光業界に温かいまなざしを注いでいてくれるだろうか。不安無きにしも非ずである。
今日甲子園球場では夏の全国高校野球大会決勝戦が行われ、沖縄代表の興南高校が神奈川県代表校・東海大相模高校を破り、初めて優勝旗を沖縄に持ち帰った。春のセンバツに続く春夏連覇である。