ブログ・ご意見番の意見

 充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。

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1225.2010年9月20日(月) 後輩Tくんの活動に刺激を受ける。

 高校、会社の後輩であるTくんから時折2つ折り4頁の自作の報告書を送ってくれる。直近のリポートには、民主党代表選挙の話題と離婚時の年金分割制度、運動同志の追悼などが格調高く、筆力のある内容となって論理的に描かれている。

 Tくんは高校のちょうど10年後輩に当たり、昨年会社も定年となった。折角国立大に入りながら中退して中途入社社員として同じ会社へ入社してきた、彼の真意は分らない。このように入社前後の経歴や入社後の社歴も他の社員とは一味変わっていて、「現場」に拘っていた。強い正義感を持ち仲間や同志のために自らの意思を貫き、「生涯一現場社員」を全うした。会社の労働組合運動にも熱心だったが、幾分他の組合員とはその考え方において距離があり、一部の仲間を除き孤高の立場に立って心から全組合員の幸せと、待遇改善を願って運動に邁進した。結局最後まで必ずしも他の組合仲間と心をひとつにとはいかなかったようだ。

 退社後は努力でかち得た行政書士や社会保険労務士の資格を活かして個人事務所を開業し、多くの人たちの相談に乗っている。秀でた能力を会社からは充分評価されず、会社内で活かしきれない才能を惜しむ声は多々聞かれたが、Tくんは安易に妥協することなく信念を貫き自分で選んだ道を歩んだ。私自身必ずしも全面的にTくんの行動に納得するものではないが、それでも思いやりのある優しい人柄、類稀なタレント、堅実で正確な仕事ぶりには常々敬服していた。

 前記のリポートを読むと、その着眼点や内容の分析にはつくづく感心する。今後も誰に遠慮することもなく、このまま自己の信念に基づいて己の道を突き進んで欲しいものである。

 いままでプレッシャー下にあった縄を解き放たれ、信念に沿って縦横に活躍する姿を見ていると力を与えられ嬉しい気持ちになる。数年前にはガンであることが判明したが、早期治療により現状は回復に向かっているようだ。拙著の出版記念会にも出席してくれ、逆に励ましてもらった。Tくんの活動に大いに刺激を受ける。好漢Tくんの益々の健闘を祈るや切なるものがある。

 さて、今日は敬老の日である。高齢者に関する話題が急激に増えてきた。足立区内で高齢者の男性の白骨遺体が発見されたことから、行政でも高齢者の所在の確認など高齢者に対するケアに神経を使うようになった。

 総務省が発表した高齢者推計人口では、80歳以上の高齢者は800万人を超える。40年前には100万人程度しかいなかった。65歳以上の高齢者は3,000万人に達して総人口の23%を占める。これも40年前には750万人ほどしかいなかった。長寿はもちろんめでたいことであるが、高齢者に関連する経費が嵩むばかりである。年金、医療問題を主とする高齢者問題は喫緊の課題として、政府はもっと真剣に国民に解決へのロードマップを示してもらわなければ困る。

2010年9月20日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1224.2010年9月19日(日) 中国の「愛国無罪」思想の行方

 束の間軽井沢へ出かけている間に国内外で政治的、外交的に大きな動きがあった。政治的には国内で菅第2次改造内閣が発足したことである。外交的には大きな問題となりつつある中国漁船の尖閣諸島領海侵入事件である。後者は予断を許さない外交問題に発展する様相を帯びてきた。

 昨日は柳条湖事件発生により満州事変が勃発して79年目という節目の日に当たり、中国各地で反日デモが勃発した。しかし、反日デモの拡大を警戒する中国当局の抑制的な警備によって大事には至らなかった。

 そもそもこの問題の根底には、領土問題が横たわっている。日本、中国がともに尖閣諸島(中国名・釣魚島)の領有権を主張し、そこへ近年になって台湾まで領有権を主張するようになった。中国が領有権を主張し始めたのは、その海域周辺で海底ガス田の存在が調査結果で明らかになってからで、ほんの数年前のことである。わが国が尖閣諸島を日本領土であると国際社会へ向けて宣言したのは1895年で、爾来そのまま推移してきた。当然わが国は領有権を主張出来る権利がある。中国の領有権には正当の権利がないと思う。それがこのようにこじれてきたのは、両国間でじっくり話し合いをしてこなかったことと、中国の海洋資源簒奪を目論む拡張主義と、自国の利のためなら他国を粉砕しても良しとする「愛国無罪」主義がある。「愛国無罪」とは、国家のための行為は何事にもまして許されるというもので、今回はそれほど露骨でもないが、5年前の反日デモの際日本領事館や日本商店を暴徒が襲っても、そのまま野放図に放置されたまま罪に問われなかった事実がある。

 漸くテーブルに着こうとしていたガス田掘削交渉を一方的に延期したり、掘削作業用の機材を了解事項に反して秘かに搬入したり、要人の来日を突如中止したり、遂には民間ベースである企業の社員1万人優待旅行をキャンセルしたり、日本への報復行為はエスカレートするばかりである。これまで中国側のやり方は日本へ圧力を加えれば、日本は退くとの強硬論至上主義があった。わが国は中国にいつも舐められていたのである。ここは毅然として、筋を通して主張すべきは主張するという強いスタンスを取ることが大切である。

 ここ数日中国国内、或いはニューヨークの日本領事館前では反日デモが繰り返されている。

 しかし、これまでの中国政府の対応はあまり大騒ぎをされても困るとの姿勢に終始している。政府サイドが一部の反日分子の意向を汲んで反日ポーズを煽っていながら、一方ではあまり行動が過敏になっては迷惑との臆病なスタンスが窺える。ここには、中国国内へ向けた国民懐柔のための苦肉の策が弄されているのである。国民の声を無視しては国内問題として政府批判につながりかねず、国内に公務員汚職や貧富格差のような深刻な問題を抱える政府としては、問題の拡大化を懸念して国民と歩調を合わせながら国際問題に対応しているジェスチャーを示しているに過ぎない。この辺りにも中国人特有の「傲慢」と「臆病」が垣間見られる。

 それにしても民間外交とも言うべき観光旅行にまでブレーキをかけさせるというのは、あまりにも神経過敏で些か異常であり、どういう意図や真意があるのか見当もつかない。

 アメリカ政府は表面的に日中両国間の問題と冷静な対応を求めているが、内心中国が近年軍事力を突出して増加させていることを憂慮している。

この騒ぎの最中に中国にとっても経済的に大きな課題がクローズアップされてきた。

 ひとつは、国際通貨基金(IMF)が中国の出資比率を大幅に増額させることを要求し、これは実現の見通しである。中国は現在世界第2位のGDP達成を目前にしながら、未だに新興国の立場を取り続け、IMFへの出資比率は3.9%で、これを日本の6.5%並に引き上げようというものである。

 もうひとつは、アメリカのガイトナー財務長官が懸念を示した中国の人民元引き上げ問題である。今年始めから中国人民元の水準の低いことが指摘され、切り上げに踏み切ることを世界は求めていたが、中国政府は敢えて強い為替相場への介入はしなかった。だが、アメリカ政府にとっては経済不況から失業者が増大し、安い中国人民元がアメリカ経済の立ち直りを邪魔しているとの観測が強く、今後も国を挙げて中国為替政策への圧力を強めてくるだろう。早晩中国が何らかの対抗措置を講じざるを得ないことになろう。

 いずれにしても中国の強い存在感と恫喝的な威圧感は日本にとってもかなりのものである。内閣改造により前原誠司氏が新たに外相となった。中国は新外相をタカ派と見て警戒しているようだが、あくまで対等に筋を通す姿勢を貫き、堂々と日本の考えを主張して欲しいものである。そのひとつとして、いつまでも互恵原則を形式的に唱えるだけではなく、尖閣諸島の領有権については、正々堂々と国際司法裁判所に審判を下してもらうことを現実的な解決策として考えてみてはどうであろうか。

2010年9月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1223.2010年9月18日(土) 軽井沢に漂う文士の名残

 ホテルを引き払う前に新婚の二男夫婦が宿泊しているプリンスホテル・イーストへ預かり物を届けに車で出かけた。プリンスホテルの広い敷地内を移動用に走っているプレートナンバーのない電気自動車に乗れば、直線距離としてそう遠くはないが、一旦ホテルの敷地外へ出て一般道を通り移動すると軽井沢ショッピング・プラーザを外周することになるので、かなりの距離になる。

 驚いたのは、10時前後だったが、帰りにプラーザに沿った周囲の道路が数珠つなぎの車で詰まっているのを見た時だった。そんなに朝からショッピングに大勢の人々が訪れるのは、確かにプラーザに魅力があるからだろうが、それにしてもその人気ぶりには度肝を抜かれた。昨夕は夕食に出かけたが、これが流行りというものだろうか。

 今日は妻の友人から教えてもらった軽井沢文学コースを訪れてみることにした。いずれもまったく知らない施設だったが、ひとつは「軽井沢高原文庫」で、もうひとつは「軽井沢タリアセン」である。2つの施設が塩沢湖に沿った道路に向かい合って位置している。「軽井沢タリアセン」というのは聞きなれない言葉だが、何でもウェールズ語で「輝ける額」という意味で、吟遊詩人だったタリアセンに因んで命名されたそうだ。

 前者は、理事長・加賀乙彦氏と副理事長が妻の友人の親戚であるということで特に勧めてくれたところである。

 元々軽井沢は文士と縁が深い。昨日の結婚式場の向かいの「つるや旅館」を始め、万平ホテル、星野温泉旅館、三笠会館などは特別な所縁がある。「軽井沢高原文庫」の屋外庭園には、掘辰雄の山荘と野上弥生子の書斎が移築されている。中村真一郎の文学碑や立原道造詩碑も建てられている。館内には著名な文士の直筆原稿や、初版本、写真なども展示されていて中々興味深い。その前には「一房の葡萄」という洒落た喫茶店があるが、これが何と有島武郎の別荘「浄月庵」を移築したものである。ここのベランダでコーヒーを嗜んでいたところ、心地よい風に、これなら良い作品も生まれるのではないかと思ったほど心が落ち着く場所だった。有島武郎は良家に生まれたが、この時代の文士らは自由に、気ままな生活を送りながら秀作を世に送り出していたのだ。

 後者の「軽井沢タリアセン」には周囲にペイネ美術館、深沢紅子野の花美術館、旧朝吹山荘「睡鳩荘」を見学した。とにかく昔の成功者が金に糸目をつけずに残した財産が、今日別の形で世間に昔を偲ばせる形で伝えられている。

 軽井沢は、それほど脚光を浴びてはいないが、土地と関係深い有名人の足跡を伝えてくれるアカデミックな施設が、公的なバックアップではなく、一般人の支援によって支えられているところが素晴らしい。

 6時過ぎに帰宅して、夕食は妻とともにどうにか2人の息子が巣立ったことを喜び合い、軽くビールで乾杯して労わりあった。

2010年9月18日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

 1222.2010年9月17日(木) 二男崇史結婚式を挙げる。

 二男崇史の結婚式当日を迎えた。軽井沢の「クリーク・ガーデン」で行われるため、当人たちと長男家族、それにわれわれ夫婦が軽井沢のプリンスホテルに宿泊しているが、それぞれ別棟に宿泊しているので思うように連絡、往来が出来ない。そのうえ着物の着付けを頼んだので、長男の嫁と妻が先に出かけて思うように全員が揃わない。会場にはそれぞれバラバラに出向くことになった。

 嫁高橋すみれの両親は、今朝新潟市内の自宅から車で来られ、式を終えて再び車で帰っていった。式はなかなか良かったと思う。式場の周囲が大木に囲まれていて森の中にある雰囲気が漂い、神秘的だった。列席者50名の皆さんには式とパーティに出席していただいた。崇史の会社から名誉会長の小田保中氏にご出席いただき、主賓としてスピーチをいただいた。お会いしたのは昨年の出版記念会以来だったが、お元気そうで安心した。旅行好きで旅行の話になると止め処もない。崇史に期待しているようなお話をしていただけるのは、親として嬉しいものだ。スピーチをされた列席者は、3名だけだったが、会社の同僚の方々が余興にグループで替え歌を歌ってくれた。中々機知に富んだユニークな余興で会場を和ませてくれた。替え歌の歌詞が中々秀逸で、下品な感じがまったくなく、近ごろの若者のセンスには恐れ入った。

 長男家族は明日孫たちの運動会があるので、未練を残しながら帰って行った。崇史は2次会、われわれはもう1泊して明日ゆっくり帰ろうと思う。

 さて、その間東京では、第2次菅改造内閣閣僚名簿が発表された。最早首相以下18名の閣僚の中で私より年長者は、1歳年長の北沢防衛相だけになった。確実に世の中は若返りが進み、私は高齢化社会へ突っ込んでいる。

 今回の改造内閣で、岡田克也外相が党幹事長へ転出されたのに伴い、外相に前原誠司・前国交相が入り、その後釜に馬淵澄夫副大臣が昇格した。他にも転入・転出があるが、民主党代表選に敗れた小沢色は薄まったと見るべきであろう。目だった小沢派は海江田万里の経済財政大臣就任ぐらいのものである。

 岡田氏が党務を行うことになった影響で、外相が交代したが、外交面を考えると首相同様に外相はあまり替えない方が良いのではないかと思っている。特に、現在一番緊張状態にある対中国関係を思えば、むしろ岡田氏を替えるべきではなかったと考えている。

 明日の新聞論調はどうコメントするか、楽しみである。

2010年9月17日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1221.2010年9月16日(木) 軽井沢で長男、二男と会食

 明日二男崇史の結婚式が軽井沢の結婚式場「クリーク・ガーデン」で行われるので、軽井沢プリンスホテル・ウェストに2日間宿泊する。事前に妻の留袖の着付けのため式場へ寄ったが、とんでもない失敗をやってしまった。完全なドジである。新郎の父として準備した礼服を自宅に置いてきてしまった。新幹線で取りに戻るか、軽井沢駅前の貸し服屋でモーニングを借りることまで考えた。

 しかし、横浜から遅れてくる長男家族がひょっとして自宅に寄ってもらえば間に合うかもしれないと考え、電話で聞いてみると自宅を遥かに通り過ぎてしまったが、ちょうど都内渋滞地区を通り過ぎたところということに、ほっとしながら自宅へ寄ってもらい、忘れた礼服を持ってきてもらうことにした。ちょっと迂闊だった。今晩は息子家族に大いにサービスしなければなるまい。

 軽井沢は学生時代以来ほぼ半世紀ぶりである。2~3学年時の夏の間、その当時亡父が勤めていた明治乳業の夏の喫茶兼ミルクホールでボーイとして客扱いをやったことがある。結婚して間もなかった現在の天皇・皇后が車でテニスコートへ出かける時に店の前を通過したのを何度か見ている。懐かしいと言えば懐かしいが、軽井沢のイメージは似ているようでいて、現代風に賑やかになって昔のイメージとはちょっと似ていないようでもある。

 夕食は長男家族と二男新婚夫婦を交えて和やかにホテルで会食した。明日の結婚式はどういう形になるのか、私には見当もつかない。若い世代のスタイルは、われわれの時代とは違うように思う。細かいことをとやかく言う気なんてない。幸せな家庭を築いて欲しいというのが親としての率直な気持ちである。

 明治乳業も昨日の記者会見によれば、同社は明治製菓とともに明治ホールディングスの傘下で、両者の似ている業種を合体させて、食品関係を旧明治乳業で、新たな会社となった「明治」が取り扱い、薬品関係を旧明治製菓「明治ファーマ」が取り扱うことになり、新体制は来年4月に発足するという。父が存命なら何と思っただろうか、感慨無量である。父は明治製菓に入社して、その後明治乳業に転属したので、双方に強い思い込みもあるだろう。でも、案外このようなドラスチックな変革を知らなくて良かったのかも知れない。

2010年9月16日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com