充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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1324.2010年12月28日(火) 小沢一郎と鳩山由起夫は政界を引退したら?
あれ? と意外な感じである。政治倫理審査会には出席しないとあれだけ強情に否定していた、民主党元代表・小沢一郎氏が今日になって急遽記者会見を開き、次の通常国会で政倫審に出席することを決めたと表明した。人騒がせにもほどがある。国会閉幕中のここ数日間政局の中心話題が、この小沢政倫審出席問題だった。野党が攻め、与党内でも政府首脳と反小沢議員が突き上げている。
小沢氏は9月の民主党代表選の折には、「国会が出ろというならいつでも出る」と言っていた。その点を繰り返し突かれるので、戦術を練ったうえで態度を豹変させたのだろう。
しかし、小沢氏は出席に条件をつけた。どこまでも往生際が悪い。これに納得出来ない政府首脳は、党が決定をすると述べた。どうなることやら。虚言癖、失言癖、大法螺吹きの多い民主党は、とても信用出来ない。
年末となり例年通り各テレビは今年のビッグ・ニュースを繰り返し再放映している。その中で最もシビアな報道は、鳩山前首相の沖縄問題に対する拙い対応だった。最近になって、こういう無責任な発言をしている。曰く「沖縄の人の苦しみが分る。基地の海外移設や県外移設は難しいと思っていた。しかし、国民の夢や希望を実現してあげるのが政治である。それが出来なかった」である。最初から無理というのは、ほとんどの日本人が思っていたことだと思う。それを敢えて沖縄県民に淡い希望を抱かせ、かどわかせていただけである。ノー天気な鳩山前首相が悪質なのは、3月には「腹案がある」とまで言い切り、更に期待を膨らませたことである。そのうえで2ヶ月後の5月には日米同盟で辺野古移設を容認していたことだ。こういう善人面して国民をたぶらかせるような所業は、国民に奉仕すべき公職からの追放に値すると思う。
その鳩山氏が、また小沢氏の国会招致問題では表舞台にしゃしゃり出てきた。そのうえ、一旦は引退すると公表したにも拘らず、前言を翻して国会議員職は続けるという。人の悩みや苦しみが分らず、せせら笑うような言動で国民に嘘をついて反省もしない。こういう人間はこれ以上国会で働いてもらいたくないものである。国民が迷惑するばかりである。
それにしても血統書付きの鳩山家のお坊ちゃまとしては、あまりにも程度が低く、失望させられた。スキャンダル塗れの小沢一郎氏ともどもさっさと政界から足を洗ったらどうか。
1323.2010年12月27日(月) 菅首相の硫黄島慰霊の目的と意味
先日菅首相が日米激戦の地・硫黄島へ飛び、戦没者の霊に「遺骨帰還は国の責務」と誓って、戦没者の遺骨収集事業に力を入れることをアピールした。そのニュースは今朝の朝日社説でも取り上げられている。なぜ今首相は遺骨収集に目を向け始めたのだろうか。これまで長きに亘って厚労省は遺骨収集事業を行ってきた。私も20年余りこの事業に関わり多くの戦地を訪れたことによって、事業そのものと戦場周辺の人々の気持について深く考えることがあった。相手国の事情や国民感情もあって、いかに戦没者を慰霊する尊い事業であってもわが国の一方通行的な考えでは、必ずしも相手国の理解を得られず、難しい問題を孕んでいる。
今首相がこの時期になぜこれほど力を入れて戦没者や遺族に対して「遺骨奉還」を誓ったのか、低迷気味の民主党人気の底上げを狙っているとしたら、戦没者の霊を慰めるどころか彼らの気持を弄ぶものでしかない。
かつて遺骨収集事業を半永久的に継続することに対して、遠まわしの反対や否定的な意見が持ち上がり、その都度国家総責任論的な理由をつけては事業は曲がりなりにも継続されてきた。継続が危うい壁を何度となく潜り抜けて続けられ、規模は小さくなったが、国のために戦って亡くなった御霊を母国へ奉還するという尊い事業は今に引き継がれている。
今年になってフィリッピンの事業を国から下請けされたNPOが、日本人ではない遺骨を持ち帰ったことから、問題が大きくなり、遺骨収集は継続されながらも、今もはっきりした方針が打ち出せないままである。
そこへ今回の菅首相の硫黄島訪問であり、発言である。朝日社説では、首相は野党時代から遺骨収集問題に関心を持っていたというが、その様子はほとんど知られていない。にも拘わらず、首相はこの時点で積極的な姿勢を示した。
海外で亡くなられた戦没者の数は約240万人と言われている。収集された遺骨の数は凡そその半分でしかない。現地の実態を多少知る立場から言えば、戦後相当な時間も経過して、戦地の現状から推しても今後成果を上げることは難しいというのが率直な感想である。相当額の予算をつぎ込んで、更に事業を拡大するのか、或いは規模を縮小して細々でも事業を継続するのか。これまで国が大上段に振りかぶって議論したことがない。ここは戦没者の慰霊と遺骨の奉還の最後の機会と捉えて、本気で国民的議論を高める必要がありはしないだろうか。
1322.2010年12月26日(日) 新聞小説の意図がよく分らない。
今日は毎年恒例の「ヨタロウ会」の忘年会。小中陽太郎さんを敬愛する人たちの懇親会である。この会の瀧澤陽子さんは、もう幹事役を20年も務めておられるという。
会場は池尻大橋の「河豚鮮」でフグ料理を提供する中々の老舗らしい。残念ながら高級・高価なために量的にふぐ刺しが少なく、ほんの2切れしか賞味出来なかった。会費を考えれば、それも已むを得まい。集まったのは約20名で、皆好き勝手なことを言い合い打ち解けて会話と食事を楽しむ人たちの集まりだ。今日の話題のひとつは、市川海老蔵のスキャンダルだった。海老蔵が事件後記者会見を行った時に、芸能レポーターであり目黒区議会議員でもある須藤甚一郎さんは出席し、質問もされたという話だった。他にもNHKの大原雄さんから海老蔵と歌舞伎について薀蓄を伺った。
さて、世に読書離れが言われて久しい。そんなところへ電子書籍化が進んで出版業界にも新たな関心と話題が舞い戻ってきた。
それに関連して、新聞の連載小説にどれほどの読者が熱心に読むのか定かではないが、少々関心を持っている。私の場合朝刊と夕刊の2小説、2紙だと4小説を読むことになる。これは毎日少しずつ読むことになるので、1日で内容的に大きな変化はないが、毎日読んでいると徐々に興味も湧いてきて、結構その日の楽しみにもなる。
中には話題となり、ベストセラーとなる連載小説もある。今読んでいる日経、朝日の4つの小説は、興味のある小説とまったく面白くなく陳腐な小説の真っ2つに分かれる。
つい最近まで日経夕刊に「無花果の森」という恋愛小説というか、官能小説が連載されていた。この道では知られた書き手の小池真理子が筆を揮ったもので、毎日読んでいて面白いと感じていた。ところが、先日突然のように連載に終止符が打たれたのである。僅か240回程度の連載である。まだ、話が続けられると考えていたので、この先わけありの男女がどういう結末になるのかと期待していたが、強引にジ・エンドを迎えることになってしまった。どう考えてもまだ終るべきストーリーではない。それが突然ヒーローとヒロインが葬儀の帰りに出くわし、後先考えずに手に手を取ってどこかへ行ってしまおうという、降って湧いたような設定で終焉となってしまった。どうも中途半端な気がしてならない。
これに似たケースが朝日夕刊にも見られる。現時点では、まだ連載中であるが、予告によりまもなく終る。中国人作家・楊逸の「獅子頭」という中華料理のコックを扱った小説である。これだって260回ほどで突然の終りである。若い中国人コック夫婦が離婚して、縒りを戻そうとしている過程にあり、まだ話は佳境にも入っていないと思う。まだまだどんな展開になるのか固唾を飲んで見守っているのに、話は一方的にお仕舞いである。果たして書いている作家は納得して思い通りに話は進んでいるのだろうか、中途半端で話を終らせる新聞の意図がよく分らない。
一方で、朝日朝刊に連載中の川上弘美の「七夜物語」が今日460回目だ。川上は現代女流作家の中でボス的存在となって隠然たる力を発揮している。だが、この話はだらだらと似たような話が繰り返され、挙句に小学生が魔界へ紛れ込んだり、現世へ戻ってきたり、小学校周辺の話が延々と続き、冗長でおよそ奇想天外な話である。もっとテンポを早めて欲しいと思っているほどだ。それなのにまだ終らない。
最近の読み物が面白くないのは、「なぜだ?」「なぜだ?」があまりにも多すぎるからではないか。新聞小説にも似たようなことが言える。
1321.2010年12月25日(土) 旧皇族の私生活を知った「朝香宮グランドツアー」
白金に住んでおられる鈴木武朗さんのお誘いで、夫婦揃って鈴木さんのお仲間の催し「東京都庭園美術館見学とクリスマス・ワインパーティ」に参加させてもらった。鈴木さんはこの世知辛い世の中で、季節の折々に友人のためにいろいろな企画を考えて実行してくれる大変面倒見の良い人である。今年は皇居内のお花見、夏の神田川巡り、そして今日の催しに招んでもらった。
庭園美術館は目黒通りに面しているので、場所はよく承知していたが、実際に内部へ入って見学するのは初めてだ。庭園が売り物であることは当然として、ここには元朝香宮邸があり、その由緒ある建物は戦後長らく白金迎賓館として使用されていた。ちょうど「朝香宮のグランドツアー」と称して建物内部が公開されていた。都内の一等地に敷地面積が約1万坪というから、昔の華族はみんな贅沢三昧に生活していたのだろう。建物内部はアンリ・ラパンによってアール・デコ調にデザインされ、置物もルネ・ラリックのガラス製品がふんだんに展示されていた。
戦後になって天皇家を始めとする皇族以外の華族は、世間から忘れ去られていったので、戦後の皇族方の実生活を知る機会は極めて少ない。実際朝香宮家と言われても咄嗟にイメージが思い浮かんでこない。
資料によると主の朝香宮鳩彦殿下は香淳皇后と叔父・姪の間柄に当り、朝香宮允子妃は明治天皇の第8皇女だという。朝香宮がフランス留学中に、同じく在仏中の北白川成久殿下が運転する車に同乗して事故に遭い、成久殿下とプロのフランス人ドライバーは亡くなられ、朝香宮は重傷を負われた。今なら大変なスキャンダルだと思うが、この事故に際して朝香宮允子妃が日本に子どもを残してフランスへ看病に出かけ、長らく夫妻がフランスに滞在していたという。夫婦愛を象徴するような麗しい話と考えられがちだが、国民から召し上げた税金で自由奔放な生活を送っていたことは国民には知らされず、国民は重税に我慢を強いられていた。私自身宮家にこんな歴史や秘め事があるとは知る由もなかった。今日同じようなスキャンダルを起こしたら、とても世論を押さえきれないのではないか。それにしても皇室にとっては、良き時代だったと言うべきだろうか。
見学を終えてから鈴木さんの手配により、プラチナ通りにある「ラ・ボエム」で寒い戸外の食事会となった。お花見の時に紹介してもらった、映画監督・木下恵介組の助監督を務めていた、鈴木さんの麻布高の同窓生・横堀幸司さんの座持ちの巧いトークが面白かった。クリスマスに相応しい愉快な一日だった。鈴木さん、お世話になりました。お疲れさまでした。
1320.2010年12月24日(金) 年賀状を書き終える。
今朝の NHK「あさいち」に映画俳優の館ひろしがゲストとして出演した。館は愛知県立千種高校時代にラグビー部主将として、またチームの司令塔・スタンドオフとしてプレーした。昨年だったか、文武両道校として知られる関東・東海地区の公立高校による、7人制選抜ラグビー大会が横須賀の自衛隊体育学校で開催された。母校湘南高の後輩たちも推薦されて出場し、館の母校・千種高と戦った。その時館が母校の応援に来たということを後になってあるOBから聞いた。その館のラグビー部時代の2人のチームメートが、今朝のフィルムの中で高校時代の館の想い出話をしていた。そこで語っていたのが、何と「近藤節男」さんと「吉田茂」さんと仰る2人のチームメートだった。「近藤節男」さんのポジションは分らなかったが、私とは「夫」と「男」の1文字違いの「近藤さん」と「ワンマン元総理」の偶然の出現に、笑いながらしばらく見るではなく、聞くでもなくテレビの前に座っていた。ラグビーの話になるとつい関心がそちらへ向かう。
さて、今日の臨時閣議で来年度の一般会計予算が承認された。総額92兆4千億円で過去最大である。私が大学に入学した昭和34年の一般会計予算が1兆4千億円で、経済原論の安川正彬・専任講師(後経済学部教授)から経済学部の学生なら国家の予算ぐらい覚えておけと言われた数字だ。来年度の予算は、それより実に91兆円も上回っている。半世紀以上も昔の価値と物価も考えずにその差額を比較しても詮無いことであるが、あまりのギャップにため息しか出てこない。
国債の出入りを除いた基礎的財政収支は、22兆7千億円の赤字で、これは13年連続である。これら累積された財政赤字額が将来にツケとなって、次世代へ引き継がれる。もう少し真剣に将来の財政について議論し、少しでも減額し、将来的には国債発行をなくす方向へ経済政策の舵取りを行わなければいけない。どうなることやら、1国民としては手の施しようがない。やはり口先ばかりの政治家の嘘の上塗りに誤魔化されないよう充分監視することが必要である。
ここ数日続けていた年賀状の宛名書きが今日漸く1区切りついた。全体で今のところ約570枚で、枚数としては毎年あまり変わらない。追加があるだろうから、今年も昨年と同じく凡そ600枚というところだろうか。
毎年年賀状の文面はパソコンで作成するが、社会人になるまでは毎年版画を彫っていた。これは幕張小学校時代の恩師・湯浅和先生の影響である。先生から毎年いただく年賀状も素晴らしい版画だった。宛名はすべて万年筆で手書きを心がけている。書き間違いもあるが、今も手書きに拘っている。年賀状を差し上げる相手の宛名を機械的にプリントするというのはどうも引っかかる。じっと住所録を見ながら、しばし宛名の人物に想いを馳せ、場合によっては添え書きするのが私のスタイルである。先日は外国にいる友人にクリスマス・カードを郵送したが、これも結構手間がかかった。でもニューヨーク、ブラジル、ビルマ、イタリア、ベルギー、ドイツ、スイス、セビリアの友人たちからの便りも楽しみにしている。今年もクリスマス・カードと年賀状を書き終え、漸くノルマを果たせたような気持になって、とりあえずほっとしている。