充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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1414.2011年3月28日(月) 前立腺癌の心配なし
昨年夏ごろから少々気にかかっていた前立腺について、今日東急大井町線・緑ヶ丘駅改札口前の泌尿器科の飯ヶ谷先生に診てもらったところ、癌は99%心配要らないとのお話に取りあえずほっとした。いつも診察してもらっている整形外科松本先生の紹介により初めて相談に伺った。今日採取したお小水を検査した結果が週末にははっきりするので、その数値によって今後の判断をしましょうという話になった。
待合室で待っている間に患者同士の大震災の話を聞いていたら、1人の女性は息子がフランス大使館に勤めているが、ほとんどフランス人スタッフは東京の大使館から本国や遠隔地に避難してしまったとか、別の年配のおばさんは孫の高校生がアメリカ生まれなのでアメリカ国籍を持っており、在日アメリカ大使館から避難の方法について2回も問い合わせてきたとか、お互いに日本人と欧米人の考え方の違いなどについて大いに盛り上がり、ついその仲間入りをさせてもらった。難しい原子力の数値がよく分らないのに危険を煽るようなメディアの報道ばかりで、このままの状態が続くと鬱になってしまうと嘆いていた。まったくその通りである。
今日の東電の発表は、鋼鉄製の圧力容器損傷という放射線漏れを想像させるものだ。まったく原発では心配ばかりさせられる。ところが、新たな問題が明らかになった。タービン建屋地下にたまった水の回収先になる復水器が満水状態となり、その水を別のタンクに移す作業をこれから検討するという話である。この手順の悪さ、というよりトロサには呆れ果てる。タンクとか容器が一杯になってから、慌てて次の手立てを検討するという順序になっているようだ。なぜこんな想定出来るトラブルに前以て備えていないのか。これで貴重な時間を大分浪費している。事故が起きてから2週間以上も毎日イライラさせられ、今なお終息の見通しが立っていない。政府、原子力安全・保安院、東電の3者がよりによって無能無力を曝け出している。
もし、このままいつまでも放射能漏れを防げないようなら、将来的にもう原子力開発なんか絶対行うべきではないと思う。いくら大丈夫、絶対事故は起きない、制御装置が完璧などと、自信たっぷりに甘い言葉を聞かされても、一旦放射性物質が漏洩するとそれを抑えきれないではないか。本当に押さえ込める確信はあるのかと問いたい。事故は起きる可能性があり、それを頭の良い人たちが、口先では解決出来ると言うが、実質的には解決出来ない。こんなことでは原子力を動かす資格はないのではないか。こうなったら不便を凌いででも、代替エネルギーの開発を考えることこそが、将来的に日本が辿る道筋ではないかと思うが、如何だろうか。
それにしても民主党の2人のボス、岩手県出身の小沢一郎氏と福島県出身の渡部恒三氏の声と行動がまったく伝わってこない。あれだけ政局になると誰を差し置いても目立つ人物が、お世話になった人々が災難に遭い苦しんでもまったく音沙汰なしというのは、どういうことだろうか。普段偉そうな口ばかりきいているが、彼らには政治家としての資質が欠如しているばかりでなく、人間としての誠実さや倫理観すら見られない。まったく情けない政治家である。
1413.2011年3月27日(日) 「自主避難」とは何だ?
相変わらず放射性物質の漏洩が懸念され、福島原発周辺地域では住民の退避が行われている。安全のために放射線を浴びる危険から住民を遠ざけたいとの願いである。当初原発から20㎞範囲内は退避とされた。そして20~30㎞内が屋内退避とされた。それが一昨日政府により20~30㎞圏内住民は自主避難を要請された。避難するかどうかは住民自身が判断してほしいというものである。これが悩みの種である。どう判断すべきか。仮に避難しないで放射線を浴びるようなことになっても、政府は一切責任を持たないという責任逃れでもある。だが、これまで屋内退避とされて外出することを制限されていた状況下にあったにも関わらず、放射能の危険はあるが、自主的に自分の責任で外へ出ろと言っているわけである。しかも政府は責任も移動手段も持たないというのだから、少々無責任ではないか。案の定圏内住民はどうしたら良いのか途方に暮れている。これでは移動手段を持たない高齢者や、家畜を飼育していて自宅を離れられない農家の人たちに手を差し伸べることも出来ない。
今回大震災による政府、自治体、原子力保安・安全委員会、東京電力などから発表される情報は、毎日くるくる変わる。放射線に関しては、国民はあまり知識がないので、安全管理は彼らに任せきっている。だからと言ってそれを任せられた本家本元が、腰が据わっていないのでは、どの情報を頼り、どこへ頼ったら良いのか戸惑うばかりである。
昨日福島第1原発2号機内の水に規定値の10,000,000倍(千万倍)を超える放射線物質が含まれていると発表され、近くの海水には通常値の1,850倍のヨウ素134が含まれていると発表された。さあ大変である。それが、今夜になって千万倍は1万倍だったと大きく下方修正された。これだって大変高い数値であるが、いとも簡単に訂正したり、ヨウ素134は数値を間違えていたと訂正発表したり、成すことが軽いのである。前日の放射線を浴びた作業員の杜撰さと似たようなところがあり、この危険な原発に関与している人には失礼かもしれないが、芯が一本欠けているような感じがしてならない。
今日だって放射性物質漏れを封じ込めようとの懸命の作業にも関わらず、一向に明るい情報が伝えられない。新聞もテレビからも先の見えない地震関連情報ばかり聞かされて、相当神経が滅入る。
自主避難で圏内住民は振り回され、水道水で若い母親が悩み、多くの人がテレビの変わりやすい原発数値に惑わされ、国民はイライラが嵩じて夢遊病者のように彷徨い出すのではないかとさえ思えてくる。
いつになったらこの閉塞状況から脱出出来るだろうか。今日も余震があった。
昨日独立行政法人・国民生活センター発行の「月刊国民生活」4月号が送られてきた。拙稿は4頁に亘ってまとめられ掲載されている。中々良い仕上がりだ。早速Jpegしてメル友にメール送信した。あとはメール送信出来ない親しい友人に個別に郵送することになるが、明日以降になる。
1412.2011年3月26日(土) いい奴だった西野正さん
晴れない気持ちのまま、今日友人西野正さんにお別れを言うため桐ヶ谷斎場へ出かけた。桐ヶ谷斎場は今月に入って2度目である。地理的に割合近くて便利ではあるが、あまり来たくないところで何ともやりきれない気持ちに包まれる。
久しぶりに昔仕事でお世話になったキャセイ航空の人たちに会ったが、みんな寂寞感は堪え切れないようだ。当時のキャセイ航空には付き合いやすい気さくな人が多かった。
佐藤紘さんもご子息と一緒に来られた。ご子息はバンコックで生まれてからずっと西野さんにお世話になったと言っていた。西野さんは気に食わない奴とは口もきかなかったが、一旦心を許すと徹底的に付き合い最後の最後まで交流を深めていた。そういう人だった。それにしても66歳の人生は短い。
私もいずれ極楽浄土へ参ることになるが、まだやり残していることが多いので、もう少し好きにやらせてもらっていよいよとなったら、極楽門の入口で西野さんに出迎えてほしいと思っている。西野さんのご冥福を心から祈っている。
さて、東日本巨大地震の影響がどんどん拡大している。放射性物質漏洩もさることながら今度の被災では、物資の不足が取り沙汰されている。ガソリン、食料、医薬品等々に加え、放射能汚染の地区制限もあって物資の輸送が充分行き届かないために援助物資が偏していて、欲しいところに充分行き渡らない状態になっている。
ごく最近になって開示された画像を観てみると東北地方太平洋沿岸部が津波で大きな被害を受けているが、茨城県と千葉県の太平洋岸も相当の被害が及んだ。今朝の新聞で紹介された千葉県旭市では海岸沿いの民家が流され、かなりの死者と流失家屋があったことはこれまで報道されていなかった。すでに震災発生後2週間を経過しているのにである。茨城県でも普段太平洋の荒波をかぶる大洗海岸では各種の施設を含めてかなり打撃を受けたようだ。確かに岩手、宮城、福島に比べれば全般的に被害は少ないと言えるかも知れない。しかし、茨城県や千葉県の惨状を報道しないのはメディアの怠慢なのではないかと思う。
昨年11月に日立市の国民宿舎「鵜の岬」と大洗の「鴎松亭」に泊った。海辺りの「鴎松亭」のベランダの下には斬新な水族館があり、その水族館が大分被害を受けたと館長が話していた。臨海の施設から見た景色を思い出すと、あの時は静かな太平洋の海というイメージだったが、今はそうではない。荒れ狂う津波に変貌したのだ。あの松林も根こそぎ浚われてしまったのかと思うと何とも言えない気持ちである。
中々難しいことかも知れないが、やはり報道機関としては万遍なく平等に報道することが大切ではないかと思う。
1411.2011年3月25日(金) 原発復旧作業に手抜かりはないか。
東日本巨大地震発生以来今日で丁度2週間になる。死者もついに1万人を超えた。行方不明者を合わせると2万7千人を越えている。これは警察庁が公表した犠牲者の数で、今後も犠牲者は増加すると予想されている。
振り返ると過去最悪の津波は1896年の明治三陸地震津波で、死者・行方不明者は2万1959人だったが、今回の犠牲者の数はこれを大幅に上回る約3万人と予想されている。明治以降近代日本になって最も悲惨で過酷な自然災害であることは間違いないと言えよう。毎日毎日復旧作業や避難住民の厳しい生活、更に原発放射線物質漏洩の生々しいニュースを観て被災者の胸の内を考えると気持ちが暗くなり、 どうにも堪らない。
その中でテレビでは原子力専門家が、毎日危険が遠のいたと安心させたかと思いきや危険が増しただの、素人の気持ちを弄ぶかのように変幻自在の原発関連ニュースを流している。普通の生活情報ではなく、ことは国民の健康に障ることである。被災者の気持ちを慮ってもう少し報道の仕方を工夫してくれないものかと思う。それにどうして頭脳優秀な専門家が何日もかかってあの手この手で放射線物質漏洩を抑え込もうと努めているのに、それが出来ないのか。黙って見ているだけで何も出来ない国民は、乱発気味の情報に振り回されて右往左往するだけである。
昨日とんでもない情報が走った。福島第1原発内で復旧作業に当たっていた作業員の内3人が被曝したのである。どうも作業に当たった際、作業員がくるぶしまで水に浸かっていたようだ。素足の状態で外気に晒すなど素人でも気がつきそうな常識以前の禁止事項を冒していたのではないか。しかも昨日に限って放射線量を測定し指示する放射線監視員が同行しなかったという。加えて放射線の強さを測定する線量計が警告を発したのに機器の故障だとして気にも留めなかったらしい。まるですべてがザルなのである。最も放射能に神経を尖らせなければならない人たちが、この場に臨んで緊張感がまったくなく、暢気に作業をやっていたようだ。流石に呆れた海江田万里・経済産業大臣は「基本的な作業の落ち度。基本的なミス」と断じている。
確かに現場でこんなイージーな作業をやっているようでは話にならない。厳しい言い方をすれば、一事が万事この有様では原発事故を抑え込んで国民が安眠出来るようになるのは、まだまだ遠い先のことだと思わざるを得ない。
福島原発の事故は、放出された放射能の推定量からみて、国際評価尺度で大事故に当たる「レベル6」に相当することが分った。これはスリーマイル島の「レベル5」を超えた。残念ながら過去最悪のチェルノブイリの「レベル7」に次ぐ大事故になったことになる。災害と言いたいところだが、人災の要素も含まれているのではないかと思えてきた。
1410.2011年3月24日(木) またひとり友が逝った。
今朝元ホテルマンの佐藤紘さんから訃報を受けた。今月に入って3人目の訃報である。みんな同年代でいずれも私より若い。今度は西野正さんである。私より5歳ぐらい年少だったと思う。しばらく連絡がないなと気にかかっていたが、昨日弟さんが西野さんの自宅ですでに亡くなっていた彼を見つけられたという。生涯独身だったので、連絡がつかないことを不審に思った弟さんが自宅を訪れ、西野さんの遺体を発見したようだ。従っていつ亡くなったのか今のところ分らないらしい。
思い返せば、西野さんとの付き合いはもう30年以上になる。キャセイ航空バンコック駐在員だった頃に、初めてバンコックで会った。大学が同じということと、彼の幼少期の住まいが現在の私の自宅の近くだったということから親しい付き合いが始まった。私を先輩として立ててくれて、航空座席の手配などでも随分配慮してもらった。根っからの酒好きで結婚もせず、晩年は酒びたりの生活でやや不摂生だったことが寿命を縮める原因になったのではないかと思う。
しかし、性格的には曲がったことが嫌いで正義感が強く、妙に気があった。時には呼び出されては自由が丘駅周辺の居酒屋で飲んだものだった。話が面白く、人を逸らさない話しぶりと呑み方で楽しい飲み助だった。人間的にも信頼出来る人物だった。
先日しばらく連絡がないので、こちらから電話してみようかと思っていたが、彼はすでに自宅の固定電話を解約していた。携帯番号を私が記録していなかったためにそのまま今日を迎えてしまったことが残念である。最近では彼から電話があると午前中でもしどろもどろの口調で、もう一本空けましたとご機嫌だった。きっと寂しかったのではないかと思うと、もっと気を配って声をかけてやれば良かったと悔やまれる。われわれも健康に暮らしていても段々置いていかれるようになるのだろうか。ついセンチメンタルな気持に捉われてしまう。
あれは20年以上も前に佐藤紘さんの結婚式で私たち夫婦が媒酌人を務め、西野さんが司会進行役を務めた時のことである。佐藤夫人が全日空の今でいうキャビン・アテンダントだった関係で当時のスチューワデス仲間が大勢披露宴に出席してくれた。航空会社の内情を知る西野さんが司会者席からその仲間らと丁々発止と鞘当てをしていた光景が懐かしく思い出される。
さて、東日本巨大地震は、相変わらず地震それ自体より津波と原発の影響が爪跡として色濃く残っている。太平洋沿岸の町では、町役場がそっくり流され職員も資料も流失して町の機能がストップしてしまったところもある。
昨日公表された東京23区内の水道水に含まれる放射線が基準値100ベクレルを超え、210ベクレルを記録した。それが、1日で基準値以下の79ベクレルに下がって、取りあえず安全な数値に戻った。それにしても水道局の当事者が慌てふためいている様子が目に浮かぶ。しかも地域的に東京23区の水道水と発表されたが、今朝の新聞によると23区の東部に限られ、世田谷区や目黒区は含まれないと書かれたり、基準値が安全な数値にまで下がったのに、乳児を抱える家庭に無料でミネラルウォーターを提供するとか、どうも一貫性がない。
それでもわが家は一日で要注意地域から解放された。ほっとしたが、いつまた同じ事態がやってくるか分らない。まだ当分の間いらいら、ひやひやさせられることになりそうだ。