充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
ブログ一覧
1608.2011年10月8日(土) 日野原先生のお元気ぶりにあやかりたい。
夕べからどうもすっきりしなかった痔だが、今朝になっても一向に落ち着く気配がない。明日、明後日と連休なので、早めにチェックしたい。かかりつけの森内科で診てもらうために妻に車を運転してもらって森医院へ出かけた。以前からやや痔が気になっていたので、森先生にも以前にお話はしてあった。森先生の専門は内科であるが、肛門科も扱うので困ったら相談してくださいと仰っていたので、あたふたと出かけたわけである。
尾篭な話で恐縮であるが、イボ痔が肛門から出ていて押し込んでも戻らない状態である。症状は「カントン痔核」というのだそうで、早速ベッドに横になり先生に出っ張った痔を中へ押し込んでもらった。肛門周辺が弛んで力を入れると出てしまうようで、あまり座るのは良くないと言われたが、パソコン操作上座らないわけにはいかない。座り方に気をつけパソコンをセーブしながら使うようにする。
今日、明日はできるだけ排便しないようアドバイスをいただいたが、まあそれは無理だろう。今日はともかく明日まで我慢できるだろうか。こうなったら排泄物を溜めないよう、今日は食事をできるだけ取らないようにしようと思っている。
さて、夜になってNHKでスペシャル・ドキュメンタリー「日野原重明100歳 いのちのメッセージ」と題する75分ものを観た。日野原先生と言えば、元気の良いお医者さんとして知られ、今もバリバリの現役である。4日前に満100歳の誕生日を迎えられた聖路加国際病院の名誉医院長の1年間の動きを追ったドキュメントである。そのお元気ぶりが羨ましい。果たして日野原先生の場合、痔はどうだっただろうかなどと下らないことを想像してしまう。
とにかく日野原先生の活動的なのには頭が下がる。1年間のうち約100日は東京を離れて講演活動をされておられる。東日本大震災の被災地で被災者を慰めたり励ましたり、広島では小学生にいま生きている命の大切さを説明したり八面六臂の大活躍である。さすがに職制上の医院長としての責務からは解放され、残り少ない人生を送っている患者と安らかな死を迎えるよう優しく話をされる。患者は笑みを湛えながら死を迎える。このドラマチックな舞台を淡々として演じている。その心の奥底には、クリスチャンとしての信仰心があるのだろう。92歳の静子夫人の健康状態が今ひとつの中で、介護をしながら仕事をこなす神業的な日常には驚愕である。私も痔なんかで悩んでいられないか。
1607.2011年10月7日(金) 小中陽太郎氏新著出版会
小中陽太郎さんが新著を出版された。日頃から親しい人たちが都内江戸川橋でささやかな出版記念会を開いた。「いい話グセで人生は一変する」(青萌社刊行)と題する書である。1冊いただき、署名していただいた。
このブログも書き続けて1,700回を超えたことを先日お知らせしたところ、早速「すごい迫力」とメールをいただいたばかりである。そのブログにかこつけて小中さんから新著に「ブログの王」と書き添えて署名していただいたのには恐縮した。小中さんを敬愛する人々が集まり、楽しい雰囲気の中で2次会にまで発展した。「知的生産の技術研究会」からも久恒理事長、八木会長、遅れて秋田事務局長が参加された。
「エノケン」に対抗して「エノケソ」と仰る芸人の方や、タレント世志ぼん太さん、寅さんの雰囲気を備えた「渥美清」そっくりさんが寅さんの衣装道具で挨拶されて中々楽しいものだった。皆さん芸人が多くて中々話が面白い。エノケソさんは余命が来年6月までと言っておられた。世志ぼん太さんも女剣劇浅香光代の6人目の亭主と言って憚らない。それでも結婚前は3ヶ月も続けば上できと冷やかされたが、夫婦関係は17年間も続いていると些か得意気に話しておられた。
小中さんを慕う多彩な顔ぶれが揃い、小中さんのお顔の広さとお人柄を改めて知った。出版業界の人たちとも名刺を交換しながらお話したが、中々有意義で楽しい集まりだった。ご近所の須藤甚一郎さん、小中さん父娘と深夜近くにタクシーでご帰還となった。
ところで、どうも痔の調子が良くない。今日は今月に入って初めての飲酒だったが、酒の飲み過ぎが良くなかったのかも・・・・・。
1606.2011年10月6日(木) なぜフィリピンでインチキ遺骨収集が行われたのか?
まあ驚いた。呆れ返った。フィリピン各地で収集された旧日本兵の遺骨の中に、フィリピン人の人骨が混じっていたというとんでもない事件が発覚した。昨日もテレビニュースで伝えていたが、今朝の朝日も日経もこの事件にかなりのスペースを割いて詳しく伝えている。フィリピンで散華された太平洋戦争戦没者遺骨収集に関する想像もできない疑惑である。
年々収骨数が減少して憂慮した厚労省が、民間団体に事業を委託して、その団体が現地で人骨を提供した現地の人たちに金を支払ったことが要因と見られている。昨年春にも問題になったが、同じ内容と理由で再び疑念が浮上した。ことがことだけにこのまま座視するわけにはいかないだろう。特に遺族にとっては許し難い屈辱的な事件である。
遺骨収集事業は、卑しくも戦没された方々の遺骨を戦没地で探し収集して日本へ奉還しようという厚生労働省が取り扱う尊い国家事業である。それがいつの間にか厚労省の手から民間NPO団体へ移っていた。先ずこの点がどうも気になる。
インターネットでWEBサイトを開いてみたら、本件に関する不満や非難が渦巻いていた。その中でも「脱藩浪士」とか、「江草乗」と名乗る人たちのブログにこの事業を請け負ったNPO「空援隊」に対する非難がぶつけられていた。どうもこのNPO団体の存在と理念が怪しい。このNPOのスタッフには本当に戦没者の英霊を敬う敬虔な気持ちがあったのだろうか。多分政治家かそれらしい人の口利きで厚労省へ入り込んできたのだろうと推測する。団体の事務局長はお寺の3代目だという。良い仕事ではないが仕様が無いからこの仕事に取り組んできたと傲慢な台詞をはき、およそ尊い国家事業、まして英霊に対する真摯な姿勢が見られない。登山家の野口健氏がここの理事であったことにはびっくりである。野口氏も巧みに広告塔として利用されたのではないか。この組織を厚労省に紹介した人物を調べてみることも大事ではないかと思う。
それにしてもどうしてこんなお粗末なことになってしまったのだろうか。私自身中部太平洋地域で20年近くに亘り、旧厚生省の指導下に緊張感を持って遺骨収集事業に関わってきただけにとても他人事とは思えない。脱稿したばかりの「トラック島の日系大酋長が見せた大和魂と謎」なるエッセイもそもそも遺骨収集に関わった時に、知りあったアイザワ大酋長について書いたものだ。当時何度も遺骨収集団で一緒になった日本遺族会の水落敏栄さんも今や参議院議員として、遺族のために活動し、先般も国会で質問されていた。あの生一本の水落議員はどう思っているのだろう。
この雑駁な事実をどう受け取ったらよいのだろう。こんな不祥事が起きて残念でたまらない。かつて、旧厚生省の監督指導の下で行われた遺骨収集に関して私なりの経験から言えば、今回のフィリピンの事業にNPO「空援隊」という組織が関与したこと自体理解できない。昨年度厚労省はこの「空援隊」に4,700万円を支払ったという。確かにそれなりに費用がかかることは分る。しかし、かつて国はもちろん費用は出すが、遺骨収集を手伝う団体はほとんどボランティア感覚だった。例えば、遺骨収集と言えば、中部太平洋地域では、厚生省を中心に日本遺族会、関係の戦友会、地域に所縁のある団体(南洋興発会社のOB親睦会「南興会」)、日本青年遺骨収集団(学生を主とするボランティア団体)、長野県山岳連盟(険しい岩山での収骨のため登山家の協力)等々、真剣に英霊を内地へ奉還するという崇高な気持ちが強かった。厚生省職員の中にも従軍経験や、士官学校出の戦争に関する専門家のような人たちが、献身的に取り組んでいた事業だった。時代の流れもあるかも知れないが、戦後66年が経過して事業そのものが風化しつつあることも大きく影響していると思う。
30年前ごろの一時期、いつまで戦没者の遺骨収集事業を続けるのかということが話題になったことがあり、国会でも議論された。その時の結論は、この事業に時効はなく、すべての遺骨を収集した時、或いは戦没者の妻と子が全員亡くなった時点で終了と途方もない話があった。そのように期限もなく事業を予算化することに反対する意見がある中で、「賢明」な知恵者が考えた「概了」という言葉が生まれた。当時まだ元気だった遺族らの中止することは容できないとの声に配慮して、「終了」とは言わずに継続するとの意味合いを込めて「発明」した造語である。それほど神経質に取り扱っていた遺骨収集事業が、どうしてこうも杜撰な扱いをするようになったのだろうか。私自身も出席したことがある千鳥ヶ淵の戦没者墓苑の納骨式において、外国人の人骨が納骨されていたとは驚きであり、遺族の神経を逆撫でするものであると思う。遺族や関係者を愚弄するこんなやり方を黙認していること自体おかしい。
遺骨収集団のお供で毎年サイパン島へご一緒した厚生省職員やご遺族、戦友会ら関係者の皆さんも今ではほとんど他界されてしまった。この椿事を冥界でどう嘆いておられることだろうか。
さて、今日2つの大きなでき事があった。ひとつは、陸山会事件と言われる政治資金規正法違反で小沢一郎・民主党元代表の初公判である。小沢氏は全面的に否認したばかりか、厳しく検察を批判した。政治家であるにも関わらず世論に耳を傾けず、自己主張の繰り返しである。来年4月に予定される判決までいろいろ厳しい声が上がることだろう。
もうひとつは、アメリカのコンピューター・ソフト会社「アップル」のスティーブ・ジョブス前CEOが56歳の若さで亡くなったことだ。現代のカリスマと言われ、アップルを創業し、マッキントッシュを発売し、スマートフォン、iPod、 iPhone、 iPad等々多くのアイディアを商品化し成功させた。多くの人々にありあまる希望を与え、ソフトバンクの孫正義氏の如きは「レオナルド・ダ・ヴィンチ」と例えた。言いえて妙である。現代のダ・ヴィンチの冥福を祈るばかりである。
1605.2011年10月5日(水) 水俣病を考える。
駒沢大の清田講師の講座で、昨年放映されたNHKドキュメンタリー番組「水俣病と生きる-医師・原田正純の50年」のビデオを見せてもらった。中々歯応えのある作品だった。水俣病の底知れない悲惨さを訴えるとともに、水俣病に患者とともに立ち向かって闘っている、熊本の原田医師の生き方と医師としての信念を映し出し、水俣病患者に添い寝しながら、献身的に患者のために活動する姿に感銘を受けた。
戦後日本の3大公害病といわれたカネミ油症、水俣病、イタイイタイ病のうち、先週はカネミ油症事件に関するビデオを観たが、今日は水俣病である。3つの公害病の中で最も被害が大きく今もなお引き摺っている。カネミ油症の因果関係と同じように、水俣病もチッソ工場から有毒物を廃棄された不知火海の魚を食べた人たちと、その子どもにも症状が表れることが証明されている。子どもは胎児性水俣病と呼ばれ、ある時から突然体調が悪くなり、それが年々悪化して、ついには歩行すら困難になるケースが多い。いろいろな症例を原田医師が追跡し、患者の立場に立ってともに考える。
しかし、ひとりの医師の個人的な努力だけでは限界があると思わざるを得ない。原田医師のように大学病院などで出世しようとの気持ちを捨て、自分で研究したいテーマに自ら取り組む姿勢がないと、前例がない症状を臨床医学的に解明するところまで到達するのは至難だと言わざるを得ない。実際原田医師は熊本大学では定年まで助教授のままだった。しかし、原田医師は自由に研究できたということが生きがいとなり人生観となったようだ。患者のために手伝ってともに病と闘おうとする気持ちが強くなっていった。夫人も原田医師の生き方に共鳴し、励ましていることが、医師の闘う気持ちがひるまなかった原因であると思う。
それにしても、まだまだ隠れた水俣病患者が大勢いる。彼らは世間の目を気にしながら水俣病患者と認定されることを避けようとしてきた。漸く認定を受けようとの気持ちになったが、肝心の国が中々認めようとしない。昨年やっと水俣病救済特別措置法が国会を通ったが、申請期間は3年間に限定されている。現在認定を受ける気がなく、将来その気になった時には期間失効ということもある。原田医師はその点を心配している。
一方で水俣病の元凶、チッソ㈱が会社を分社化することによって、穿った見方をすると加害者としての責任を逃れようとの陰湿な動きもある。この会社は社長が水俣病の桎梏から解放されると浮かれた文を社内報に書いて顰蹙を買っている。水俣病が公害病と認定されたのは昭和43年で、第1次損害賠償訴訟が起されたのが、その翌年である。すでに半世紀近い時間が経過している。しかし、まだ根本的な解決には至っていない。この病も深く長く潜行している。なんともやりきれない思いである。
1604.2011年10月4日(火) ノーベル賞受賞者が直前に死亡
昨日今年のノーベル医学生理学賞が米仏の3人の学者に授与されることが決まったが、その直後にその内のひとりが3日前に亡くなったことが分った。ノーベル賞は死者には贈られないことになっていたが、発表時点ではまだ亡くなったことが分かっていなかったために、今日規定通り受賞を認めると発表した。従って副賞の賞金も支払われる。それにしても死者にノーベル賞とは異例である。故人は黄泉の国でどう見ているだろうか。その該当者であるアメリカ人のスタインマン・ロックフェラー大学教授は9月30日膵臓癌により68歳で亡くなった。4年前から癌を患い自分で考えた免疫療法を受けていたという。ノーベル賞の念力をもってしても自らの病は克服できなかった。
それにつけても、いつも高齢にして現役医者としてその元気な姿がよく紹介され、話題になる聖路加国際病院・日野原重明名誉医院長が、今日満100歳の誕生日を迎えられたとはおめでたい限りである。日野原先生の驚嘆すべきは、高齢にしてなお現役で活躍されていることである。一層のご健勝を祈念するばかりである。
ノーベル賞については日本人として昨年の化学部門の根岸博士と鈴木博士に続き、京都大学山中伸弥教授が最有力候補者としてその受賞が期待されていたが、今年も逃してしまった。期待は残念ながら来年以降に持ち越しとなった。
さて、駒沢大の今日の講座では、2つの講座ともウォール街のデモについてだった。昨日は700人が逮捕されたが、アメリカ国内でこれだけ派手なデモがあったのは、恐らくベトナム反戦デモ以来ではないかと思う。デモは徐々に広がり、今日は西海岸のロサンゼルスでもデモが行われ、アメリカ各地に伝播しつつある。デモの理由は高失業率、格差の不満と経済政策の見直しである。ジャスミン革命と称される北アフリカのデモとは違う。北アフリカのデモは独裁政権打倒と、自由及び民主化を求めたものであり、アメリカの経済問題に関するデモとは本質的に異なる。不況に伴う不安定感はヨーロッパでもいよいよ深刻になってきた。特に、ギリシャの信用不安から全ヨーロッパ中がおののいている。日米欧の景気回復が成らないとなると、今や発展途上国の経済状態より日米欧の先進国のどん詰まりの方が心配である。ユーロ圏の財務相会議で底なし沼に陥ったギリシャ追加支援が真剣に検討されている。株価も世界的に大幅な下落続きである。まったくいつになったらこの地球規模の不況から脱することができるのだろうか。