ブログ・ご意見番の意見

 充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。

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1623.2011年10月23日(日) なぜ原発廃止へ向けて動こうとしないのだろうか。

 20日原子力安全委員会から原発の防災対策の重点区域を拡大する案が示された。それによると現在計画中、或いは建設中の原発からの防災対策重点地域(EPZ)が半径8~10㎞から、緊急時防護措置準備区域(UPZ)約30㎞圏に拡大される。県内に東電柏崎・刈羽原発を抱える泉田裕彦・新潟県知事は県独自にその範囲を50㎞に拡大することを合理的と見ている。各自治体によってその判断はバラバラであるが、仮にこれがそのまま自治体で受け入れられると、対象は135市町村、人口は800万人近くに上る。原発稼動のためにこれだけ多くの人や自治体に迷惑をかける。これだって充分な避難距離でないかもしれない。もしそうなら、もっと多くの住民や自治体を惑わすことになる。
 各自治体にとって「福島原発事故」を考えれば、避難地区設定は当然と思う一方で、電力会社にとってことは深刻である。
 他方で、自主判断によって放射能から逃れようと避難した場合、賠償がどこまで認められるべきかとの問題も提起されている。同時に、津波発生の際福島第1原発の電源が失われてメルトダウンや水素爆発が起こったのは、5年前に1~6号機を電気ケーブルでつないで電源を融通しあう改良工事を一旦は検討しながら、技術的な障害を理由に見送っていたことが昨日判明した。専門家はこの工事さえしておけば、重大事故を防げた可能性があったと指摘した。先日は日本地震学会が地震予知について学会が強い発信をしなかった点を反省していたが、事故が起きてから反省しても所詮後の祭りである。
 問題は後から反省しようが、安全のために想定以上の工事をしようが、はたまた自主避難をしようが、原発がある限りいかなる対策を講じようとも事故発生の可能性は残るわけである。今回の福島原発により、いかに大きな犠牲を払い、これからも継続して費用を支払おうとも、原発が存在する以上われわれはいつまた同じような事故で痛い目に遭うか分らない。もっと大きな事故が起きるのではないかとの不安と恐怖から逃れられない。
 今更過去に起きた取り返しのつかない事故を悔やんでも仕様が無い。これからその不安から完全に逃れる術は、原発を廃止することしか考えられないのではないか。まだ、解決策が見出されないまま問題を大きくしている核廃棄物の処理だって、先延ばしにすればするほど益々問題解決を難しくしていく。
 原発反対の声は以前に比べて強くなってきた。先日福島県議会では県内の原発廃止を決議した。この動きが全国的に広がることを願うばかりである。その一方で、相変わらず原発再稼動を主張する声や動きが衰えないのも事実である。経済界からは電力供給量が減少することによって経済活動にブレーキがかかるとの不満もある。電力会社にとってはこれまで投下した巨額の投資資金をこのまま回収できずに、廃炉にかかる費用の無駄を考えると稼動を中止したくない事情もあるだろう。ただ、言いたいのは、それでも自分や家族の生命を引き換えにしても経済発展、言い換えれば生活向上を希望するのだろうか。みんな自分のこととして本質を捉えていないような気がする。すべて他人事なのである。だから、大きな生命の危険を孕み巨額の費用がかかろうとも、100%完全とは言えない安全神話を信じて、原発を動かし続けるのだ。
 政府は都合の悪いことはやらないだろうから、1度マス・メディアが世の中から原発がなくなった場合の電力供給のシミュレーションをやってみてはどうだろうか。そのうえで、なお生命より経済発展による生活向上を望む人が多いなら、それも止むを得まい。

2011年10月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1622.2011年10月22日(土) 橋下徹氏大阪府知事を辞任、市長選へ

 昨日の東京外為市場は円が買われ、史上最高値の1$=75.78円で終った。日本円の価値がまた上がったというより、ギリシャの債務削減を巡るヨーロッパの景気不安に対する反動である。このところ続いている円高相場のせいで、これまで輸出が好調だった日本のテレビ・メーカーが、パナソニックを始め、業界全体が四苦八苦の状態である。実際テレビは韓国メーカーに圧倒され、市場から撤退を模索する日本のメーカーも現れた。欧米の景気が回復しなければ、日本の輸出関連は益々厳しくなるのだろう。 
 さて、リビアのカダフィ大佐が死亡したことについて、国民評議会のジブリル議長は戦闘の最中に被弾して負傷し、病院へ搬送される途中で亡くなったとの声明を発表したが、外部からいろいろな声が出て、身柄を拘束した時点では生存していたが、反政府軍によって殺害されたとまことしやかな話で持ちきりである。確かにテレビニュースを観る限り、カダフィと思われる人物が傷ついて多くの人間に取り巻かれながらも生存していた様子が写っていた。カダフィの死により、逮捕した後に公正な裁判にかけるということができなくなってしまった。国連人権擁護委員のひとりも、遺体を調べてリンチがあったかなかったかも調査する必要があると述べている。
 神経を疑いたくなるのは、カダフィの遺体を冷蔵庫内に安置して、それを外部の人間が見られるような措置を取っていることだ。これなんか、死者に鞭打つ仕打ちではないだろうか。生命の尊厳とか、死者の霊を弔う気持ちがまったく感じられない。
 確かに国民を弾圧し、密告などにより国民を恐怖の底へ陥れたために、国民は長い間恐怖のあまり口に出して言えぬことが多かったと思う。だからと言って、仇を討つように感情的に死人に口なしの状態にしてしまっては、公正な裁判で事ここに至った原因や真意が不明なままになってしまう。これでは、また同じような独裁者が現れ、同じような恐怖政治を繰り返さないとも限らない。このまま時代が経てば、闇に葬られて将来、「カダフィの恐怖政治時代」と呼ばれるだけに終ってしまう。証拠品を消してしまっては、中世ヨーロッパを席捲した魔女裁判以上に始末に負えない。
 さて、今朝未明大阪府議会本会議閉会後、議会議長に宛てて橋下徹知事が辞職願を提出し、採決のうえ賛成多数で受理された。この後橋下知事は大阪市長選へ出馬する意向である。橋下知事辞任の狙いは、大阪府を東京都に似た大阪都にして、現在の大阪市を東京都特別区に近い形に改変して、現在府と市で行っている二重行政を止めて無駄を省こうというものである。ただ、橋下知事が市長になって大阪都構想が実現するには、あまりに拙速でハードルが高過ぎる。平松邦夫・現大阪市長は真っ向から反対し、むしろ現状のままで大阪府から大阪市へもっと権限委譲をすべきであると主張している。
 前知事と現市長、両者が対立したまま、ともに立候補する市長選挙は来月27日に投開票が行われるが、元々目だつパフォーマンスの得意な橋下氏は、知事選には彼が率いる「大阪維新の会」のメンバーを立候補させるつもりである。よく考えて見ればその間大阪府知事が不在になり、この点でも有識者や大阪府民からの批判も多い。民主党、公明党は言うに及ばず、前回橋下知事を擁立した自民党ですら「一緒に改革をしようとスタートしたのに、途中から政治手法が変わった」と憮然としている。
 小さな自治体ではないだけに、日本のひとつの縮図と見て取れよう。自信満々の橋下知事にとって知事選、市長選のダブル選挙は果たして吉と出るか、凶と出るだろうか。

2011年10月22日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1621.2011年10月21日(金) リビア・カダフィ政権崩壊後の国づくりを憂う。

 昨晩遅く飛び込んできた反政府軍によるリビア全土征圧について、大分様子が分ってきた。「アラブの狂犬」カダフィ大佐が死亡したと国民評議会が発表した。朝刊には大佐らしい人物が傷を負い横たわった姿が写真に写っている。テレビニュースで写される死の直前の大佐の姿は、反政府側の兵士に引き摺り出され、権力を揮ったあの独裁者がこの情けない姿かと思えるほど惨めな姿を曝け出している。それにしても独裁者の末路はいつも哀れである。
  1月にチュニジア、続く2月にエジプトで独裁者追放劇が始まった。「アラブの春」と呼ばれ、「ジャスミン革命」とも言われる独裁者退陣劇がリビアへもひたひたと押し寄せていたが、その絶対的な体制を築いていたリビアのカダフィ城が昨日遂に落城した。カダフィ大佐が政権に留まっていた年月は実に42年の長きに亘る。良くも悪くもその存在感は抜群だった。チュニジアやエジプトとは異なり、石油生産を後ろ盾に強引な論理と行動力で絶対的権力を誇っていたカダフィ政権は、簡単には転覆しないだろうとの声も一部にはあった。だが、それまでカダフィに逆らえなかった民衆がジャスミン革命に勇気を得て一気に反カダフィ・デモを起し、NATOによる空爆支援もあって、長い内戦の末にカダフィ政権を打倒した。このカダフィ政権崩壊は今後内外に大きな影響を与えるものと思われる。対外的には、このカダフィ大佐失脚によって反政府運動が燻るシリアとイェメンがどういう出方をするか。いずれもひとつ間違えれば、国内を2分しかねない内戦に発展する可能性がある。
  とりわけ亡くなったアサド大統領と息子の現大統領に引き継がれた40年に亘る親子の独裁政治を維持するシリアは、露骨な民主化運動抑圧を行っており、ジャスミン革命後も反体制デモ隊に対して徹底的な弾圧を加えている。しばしばデモ隊に対し軍隊が発砲して多数の死者を出している。
  イェメンでは同じく長期政権の座にあったサレハ大統領が6月に狙撃され、3ヶ月以上に及んだサウジ・アラビアでの治療を終えて帰国したばかりである。サレハ大統領は平和裏に政権を移譲することを内外に向けてほのめかしたが、誰も彼の言葉を信用しない。これら残るアラブの2人の独裁者、アサドもサレハも心中は穏やかではあるまい。
  他方で、リビア国内ではポスト・カダフィの国家安定と民主化がどう運営されるのか。長期間に亘って国の憲法もなく、国会も開かれず、国家元首もおらず、国の組織体制と機構が確立されていなかった。まず国づくりの初歩からスタートしなければならない。国民評議会の主要メンバーの中にはカダフィの元側近だった実力者も多く、民主政治の何たるかを知らない人物が多いことも大きな懸念材料だ。反政府軍が確保した武器、弾薬の所在が分らなくなっている点も懸念される。加えて厄介なのは、国内に数多くの対立する部族がいて、それぞれに自己主張を押し通すわがままがあり、国家がスタートする大事な時に国内で彼らが対立し意見が合わずに、抗争と分裂を繰り返す恐れがあることである。
  実際、本来ならもっと早く暫定政権が樹立されるべきだったが、国民評議会内部で意見を異にするグループ同士が相互に妥協せず、最後になって話がまとまらなかった前例がある。これに類することがしばしばあり、国の存在を国際社会にアピールできる場とチャンスをむざむざ放擲している有様である。
  いつの時代でもそうだが、理想と目標を掲げて真一文字にそれへ向っている場合には問題が発生しないが、一旦それが達成されるとそれまで埋没していた不満や矛盾が吹き出て内部分裂するのはよくあることだ。しかし、リビアは元々支配体制がきちんと確立されておらず、昔の封建的な部族構成と非民主的な階級制度に庶民が抑圧された歴史しか経験していない。このような国では、民主主義のルールの下地がないだけに、今後の国づくりはよほどしっかりした国際社会の徹底した指導と厳しい監視がなければ元の木阿弥に陥る危険性がある。

2011年10月21日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1620.2011年10月20日(木) ギリシャの経済不安をどう解消するのか。

 世界的に経済不況に落ち込んでいるが、中でもヨーロッパ経済の先行きが極めて視界不良である。先のアイルランド危機に次いで、火薬庫のひとつであるギリシャ経済の行き詰まりが指摘されて久しい。
 昨日からアテネ市内ではギリシャ政府の緊縮策に抗議する48時間ゼネストが始まった。12万人もの労働者がデモに参加して国会議事堂前でデモ隊と警官隊が小競り合いを演じていた。テレビで夜間の現地からの中継放送を観た。2度ばかり宿泊したことがある国会前の「ホテル・グランドブリターニュ」のベランダから中継していたようだが、左下に国会、そして右遥かにアクロポリスが見えるはずであるが、ライトが点燈しないために残念ながらライトアップされる筈の素晴らしいアクロポリス上のパルテノン神殿と窓外の風景が漆黒に包まれていた。
 観光業で国家財政が潤っていたギリシャだが、外国人観光客も減少し、今では観光施設を閉鎖しているうえに、清掃事業がストップして市内はゴミの山で生ゴミの悪臭が漂っているという。北部観光都市のテッサロニキやエーゲ海上のクレタ島でもデモが行われた。
 ギリシャの危機が他国へ及ぶのを懸念してヨーロッパ各国は他国へ連鎖的に波及するのを警戒し、必死に食い止めようとしている。その中で今年7月にEUとIMFがギリシャ支援策を決めた。ヨーロッパの民間金融機関は所有しているギリシャ国債のうち、5兆3千億円を損失としてかぶろうというものだった。国債の価値を21%も減額しようというのである。だが、それでもその後ギリシャ政府が断行してきた国内緊縮では、なお不充分だということが分った。いま検討されているのは、21%の価値減額をさらに35~50%にまで増やそうというのである。それぞれの国の思惑もあり、各国の足並みが必ずしも揃わず、まだこれで決定したわけではない。だが、これ以上ギリシャ国債を抱える銀行の負担が増えると経営難に陥る銀行が現れる。まさに思案のしどころである。23日までの決着を目指してEUの財政責任者が相次いで会合を重ねている。
  ではなぜギリシャが通貨危機からこれほどまでの過酷な経済危機に追い込まれたのだろうか。極論すれば、国家予算の支出のうち人件費が多過ぎることだ。公務員数が多過ぎてその人件費が国家予算支出の25%を占めて財政を締め付けているからである。同時に国の政治体制や経済機構、つまり国の仕組みにも問題があるのではないだろうか。
  前者については、人件費、年金等削減の緊縮政策により、支出の削減を図った。これでは給与は減り年金が減って生活ができないと国民の反発と不満を買い、思うように実行できなくなった。
  しかし、先日スロバキア議会がギリシャ支援に対して賛成票を投じなかったように、ギリシャが自らドロを被る気がなくては他の国々の人たちが納得するわけがないと思う。元々自分たちの不始末から周辺諸国へ迷惑をかけているのだ。その意味では、昨日のデモで財務省役人や一部の警察官まで自分たちの不利益ばかりぶちまけて不満を吐露しても、決して世界中の人々からギリシャへの同情や共鳴を得られるわけではないことをギリシャ国民はしかと心得るべきである。ここはギリシャ国家と国民が一体となって、現実の厳しさに耐え、ともに自力で立ち直ろうとする姿勢をはっきり示さなければ、他国だって支援する気になれない。国家体制もかつての王制から議会制民主主義に替わったが、制度が民主義国家として満遍なく機能しているわけではないようだ。効率性、経済性、民主制、先見性、等々を採り入れて国を機能させる磐石の態勢を作らなければ、ソクラテスを生み民主主義の種を蒔いたギリシャも一介の途上国へ堕してしまうだけではないか。
  しばらくギリシャの動向から目が離せない。
  夜になって緊急ニュースが入ってきた。リビアの国民評議会が全土を掌握したと発表した。カダフィ大佐については、死亡説と身柄拘束説が流れている。まだ詳細ははっきりしない。

2011年10月20日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1619.2011年10月19日(水) 野田内閣に居並ぶ無能閣僚

 九州電力は「やらせメール事件」解明のための第3者委員会の調査結果に対して、経産省に提出した最終報告書が委員会の報告内容を否定するが如き内容だったことから、枝野幸男大臣から烈火の如き怒りを買い、報告書を再提出する破目になった。九電は指摘された「やらせメール」事件については、古川康・佐賀県知事の関与があったことを改めて認める意向を示した。九電はこのような不始末に至った責任をとって、続投する予定だった真部利応社長がこのまま続投することが難しくなった。
 枝野大臣は毅然として正すべきは正すとの姿勢を示し、関係機関に対して強い態度に出たことは常識的に考えればごく当たり前のことであるが、このような場合これまではとかく腰砕けになってこれほど担当大臣が強い意欲を示すことは近年あまりなかったのではないかと思う。
 省みて現在の野田内閣の閣僚の中には、大臣職への自信もなく、大臣として所轄官庁を引っ張っていくリーダーシップに欠け、学ぼうとの謙虚な姿勢や向上心もなく、ただ名誉欲とプライドに取りつかれている輩が多い。理論武装というほど大げさなものでなくても持論を展開できる理論構築と判断力、決断力、社会常識等を身に着けずして大臣を務める資格はない。だからちょっとした誘導尋問やおふざけで失言したり、無様な対応をする体たらくで情けないことおびただしい。
 菅内閣時代末期に辞任した松本龍・復興担当相や、先般辞めた鉢呂吉雄・経産相は申すに及ばず、現閣僚の中にも首を傾げたくなる「帯に短し襷に長し」の未熟児大臣が多い。
 安住淳・財務相、平岡秀夫・法務相、一川保夫・防衛相、小宮山洋子・厚労相、玄葉光一郎・外相らには、彼らが演じる勘違いしたパフォーマンスと自己主張はもう好い加減にやめにしてもらいたいと思っている。パフォーマンスがいかにも若い。駒沢大講座で聴講している講師の菱山郁朗・元日本テレビ政治部長が「週刊ポスト」10月28日号に書いているように「テレポリティクスと呼ばれるテレビ主導の政治が本格的に始まった。経験の浅い政治家でもテレビで意見して簡単に新しい政治の流れを作れてしまう傾向が定着した」のである。
 中でも安住大臣と一川大臣のお粗末ぶりは、就任当初から危なっかしくてとても見ていられない。実際永田町で疑問視されているのがこの2人の大臣就任である。‘ベビーギャング’安住大臣は目立ちたがり屋過ぎて、思いつきだけでどうしてほいほいと何でもかんでもしゃべるのか。小宮山厚労相がタバコ増税について言及すれば、それは自分の管掌だと縄張り意識剥き出しで反論し、毎度官僚の手の平に乗った作文を読むだけで、財務官僚が実現したい消費税値上げをいとも簡単に外国で発言する。この無神経さと場所を弁えない言動は軽率の謗りを免れず、大臣としての見識を疑いたくなる。
 もうひとり、お粗末な大臣がいる。元農水官僚だった「防衛はまったくの素人」の一川保夫・防衛大臣である。農家の戸別所得補償制度の仕掛け人と言われ、農業問題の専門家を自他ともに認めながら、不似合いの防衛大臣に就任した。これが完全なミスキャストだった。就任早々「安全保障に関しては素人だが、これが本当のシビリアンコントロールだ」などとトンチンカンな発言をするあたり、何を考えているのかさっぱり分らない。こんな有様だから、昨日沖縄で仲井真知事と会ってもまともに取り合ってもらえず、一向に想いが通じない。今日は今日で、玄葉外相が沖縄・名護市長に普天間基地移設について理解を求めたが、てんで話を聞いてもらえない。担当の防衛、外務の両大臣が話のきっかけすらつかめないのでは、喫緊の課題である沖縄基地移設問題や、懸案の日米間の問題が前へ進む筈もない。担当大臣が無能なら、内閣も機能せず、全ての面で前進の兆候すら見えない。野田内閣というのは人事のバランスを考えたあまりに、閣僚として素材的に少々お粗末な内閣ができ上がってしまったのではないだろうか。この先が心配である。

2011年10月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com