ブログ・ご意見番の意見

 充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。

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1666.2011年12月5日(月) 戦争体験者の苦悩の声が減った。

 まもなく太平洋戦争開戦70周年が巡ってくる。その当時私はまだ3歳になったばかりで当然記憶はない。それでも終戦の年に小学校(当時は国民学校)に入学し、空襲警報発令で防空壕に逃げ込んだり、校外で突然襲ってきた米戦闘機に担任の青木正子先生が「伏せなさい!」と叫んだ大きな声が今もって忘れられない。また、自宅の2階から現在の内房線列車が米戦闘機の機銃掃射を受けたシーンを目撃した記憶は、私自身の戦争実体験の想い出としてはっきり覚えている。その後旅行を生業とするようになってから、戦友会の戦跡巡拝団や、厚生省中部太平洋戦没者遺骨収集事業に関わるようになり、戦争体験者と会って話を伺う機会が多くなり、おかげで徐々に戦争について学び多くの知識を得るようになった。

 開戦記念日というエポックメークな時を前に、NHKテレビでもいくつか特集番組を放映している。3日、4日の2回に分けてNHKスペシャル「太平洋戦争70年―証言記録・日本人の戦争―」というドキュメンタリー番組が放映された。第1回「アジア―民衆に包囲された戦場」と第2回「太平洋―絶望の戦場」だった。4年間に亘り800人の証言をベースに番組は構成されたようだ。日中戦争以来8年に亘る戦争の間に元兵士が語った悲惨な戦場証言である。戦争の意味について、中々考えさせられる番組だった。

 「戦争は絶対やってはいけない」という言葉が繰り返されたが、この番組には将官、士官、下士官、一兵卒を問わず、戦争の残酷さや辛さ、戦地で生きて祖国へ帰りたいとの純粋な気持ちが吐露されている。

 1人の兵士とある将校の告白を紹介してみたい。ひとりは秋田県出身の86歳の1兵士である。フィリピン・ルソン島へ派遣されたが、敵は米軍だけではなく地元住民、中には抗日ゲリラも数多くいたという。ゲリラのいた地区では全員虐殺の命が出され、これは断りようがなかった。拒否すれば軍法会議で銃殺が待っていた。皆殺し作戦だった。当時は命令から逃げることは絶対できないと考えていた。だが、今になって兵士はなぜこれを避けることができなかったのかと悩み、フィリピン住民に申し訳ないと心から詫びている。

 もうひとりの87歳の元将校は、同じルソン島で突撃隊長として部下を死地に向わせ、200人の部下の内、生きて帰還した者はたった4人で、自ら下した命令で多くの部下を殺した後ろめたさと後悔から、戦後自宅から人前に姿を現すことはなく、楽しい旅行や温泉などにも行かず、そんなことをしたら殺した部下に申し訳ないとひたすら自宅で謹慎生活を送っておられる。この方はインタビューの後3ヶ月後に亡くなられた。

 折りも折り今朝の日経新聞に「遺骨収集実態ずさん―フィリピンで戦死の日本兵―」の記事が載っていた。内容的には3月に朝日がスクープしたものと同じだが、かつて細かく精査し確定したうえに遺骨収集事業を進めていたが、この記事で暴露されたようにフィリピンの戦没者遺骨収集事業の安易な好い加減さが気になる。この先の遺骨収集事業がどうなるのか心配である。

 ほかにも北上市の元教師は教え子が戦地へ向う度に励まし、戦地の教え子に「真友」という新聞を印刷して故郷の情報を戦地へ送り、士気を鼓舞していた。教え子も受け取るのを楽しみにしていた。しかし、これが戦後この教師の心に深い傷を残し、私費で鎮魂の鐘を造り戦死した教え子の名を彫ってお堂を建立し、鐘撞きをしながら昭和42年に亡くなるまで毎日戦没した教え子を供養していたという話が紹介されていた。胸にズシリとくる辛い話である。

 いずれにせよ、先の太平洋戦争は未曾有の犠牲を強いて、戦没者と遺族のみならず多くの国民の間にも深い傷跡を残した。この番組の冒頭で「戦争体験者が誰もいなくなることを憂いたことが生の声を取り上げるきっかけになった」というナレーションが流された。一方で、時代がどんどん変わっていく間に、戦争の傷跡も風化していくのではないかと心配する、戦地で苦労された元兵士の言葉が引っ掛かった。

2011年12月5日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1665.2011年12月4日(日) ヨーロッパ財政破綻の原因は?

 世界的に経済不況が蔓延し、一部には第1次大戦以来の世界大恐慌が襲ってくるのではないかと不安視する声もある。多少失業率は向上したとは言え、アメリカの景気が全体的に一向に好転せず、その間にヨーロッパ先進国の財政が連鎖的に行き詰まり、抗議活動やデモが勢いを増し、失業者は増え、ギリシャに続いて、イタリア、スロバキア、スペインの政権が交替する有様である。

 今日から朝日新聞がこの実態にメスを入れるべく、朝刊1面にトップ記事としては珍しい特集を組んだ。「カオスの深淵」と題してヨーロッパ危機の意味について明後日まで3回連載される。この難解な疑問については専門家でも意見や評価が分れるところである。その本当の原因はよく分らない。だが、金余り現象の究極の結果ではないかと考えている。資本主義社会、言い換えれば近代民主主義になって経済が発展し、共産主義が悪と決め付けた、金融資本主義に次第に拍車がかかったことに依るのではないかと思っている。

 朝日は「借金が民主主義を支配する」とのテーマを投げかけているが、多分その通りだと思う。一部の人間が借金をしたことにより、目に見えない資金流通量が増え、その分だけ購買力が増えた。また、商品取引とか、金融資本取引や信用取引により需要以上に見かけの資金が増加して、世界的に資金量がだぶつき、世界経済が砂上の楼閣にあったのではないかと考えている。その裏では、投機筋のヘッジ・ファンドや、証券会社などの金融機関の暗躍があった。

 ついにはあれだけびくともしなかった「最後の砦」ドイツ経済すら揺らいだ。ドイツ国債が4割も売れ残り、ドイツ連邦銀行が残りを引き受ける破目になった。

 朝日の特集を追ってもっと学んで、本当のところを知りたいものである。

2011年12月4日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1664.2011年12月3日(土) 思考停止の国会議員にうんざり

 沖縄問題となると、どうしてこうもこじれるのか。先日防衛省・田中聡沖縄防衛局長の暴言があったと思ったら、その身内の暴言を非難して更迭処分まで下していた一川保夫・防衛大臣が語った、米兵の少女暴行事件について、実態を知らなさ過ぎるとして野党はもちろん、与党内からも非難が浴びせられている。職務柄そう批判されても弁解の余地もない。

 何度も繰り返すようだが、一川大臣は就任記者会見からして大臣としての適格性に欠けるのではないかと危惧されていた。防衛大臣になろうというのに防衛問題に素人であると公言して、顰蹙を買ったのはつい3ヶ月前である。こういう発言を聞かされては、部下も堪ったものではない。東日本大震災で活躍する自衛隊員のモチベーションも下がる一方なのではないか。どうしてこんなとろい人物が、国防の最高責任者になることができるのか。

 1995年米海兵隊員による沖縄の少女暴行事件は、事件当時沖縄中で強い反発を買い反米デモを引き起こした。これがきっかけで普天間基地移設問題が俎上に上がってきた。今普天間基地移設問題がギクシャクしている最中に、そんな大事な事件の内容と経緯も知らずに、よくも防衛大臣を引き受けたものだ。大臣たるもの何も考えていないことになる。

 衆議院では大臣の問責決議案が検討されている。ほとんどの野党が問責に賛成しているうえに、与党内でも大臣を罷免させるべきだとの強硬な意見が出されている。今日前原誠司・民主党政調会長が「この問題(少女暴行事件)をきっかけに米軍普天間飛行場返還が大きなうねりになった。そのことをご存じないとは勉強不足が過ぎる」と切って捨てた。同じ党内有力者からも愛想をつかされたのである。このままでは衆議院で問責決議案が通ることは確実である。これは政権政党にとって致命傷になりかねない。任命権者である野田首相にとって選択肢は狭まり、防衛大臣を罷免するかどうかの瀬戸際に立たされている。どうして、こうもでき損ないの大臣が後から後から表舞台に出てくるのだろうか。

 政治が不透明で前へ進まない時に、またつまらない失言と足の引っ張りあいにより国政レベルで時間と費用を無駄に使っている。国会議員はもっと恥を知るべきではないか。自分たちは仕事もせず、身銭も切らずに国民には増税、増税と負担ばかり押し付けている。いま国会議員に一番実行してもらいたいことは、議員定数の削減である。これで財政的には大分助かる。これは総選挙の民主党マニフェストであり、国民に約束したことではないのか。国民との約束も守れないのか。

 東京メトロ「国会議事堂前」駅名をフランス語で発音すると「コッケイジジドモー」となる。正に図星である。エスプリの効いたジョークを好むフランス人は流石に見抜いている?

 結論を言えば、「国会議員とは何も考えず怠け者でウソツキ、単に欲の深い詐欺師である」。

2011年12月3日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1663.2011年12月2日(金) アメリカとビルマの外交関係復活成るか。

 ビルマに対して俄かにアメリカ政府が関係改善に動き出した。その背景には、ビルマ国内における中国の圧倒的な存在感と、最近になってビルマ政府の外交スタンスが変化しつつあることが影響している。軍事政権は1988年に選挙で惨敗を喫したアウン・サン・スー・チーさんが率いる民主化勢力を弾圧し、こともあろうにリーダーらを多数逮捕し、スー・チーさんの政治活動を抑圧し、自宅軟禁に押し込んだ。その時以来、欧米諸国はビルマ軍事政権に対して経済制裁を課してきた。これにより元々苦しいビルマ経済が益々窮地に追い込まれた。その窮状につけ込んで援助を申し出たのが隣国の中国である。中国にとっては願ってもないチャンス到来である。表向きはビルマへの友好関係の構築、ビルマ経済への支援を唱えているが、すでに馬脚を顕した中国の途上国への支援は、支援という美名につけこみ、現地へ恩恵を与えるどころか甘い汁を根こそぎ母国へ持ち帰るやり方で、これまで経済援助をしてきたアフリカ諸国からも強い不満の声が上がっている。

 これまで中国によるビルマへの投資も、美味しいところを丸ごと中国本土へ持ち帰る援助に名を借りた中国にとっては割のいい「商い」だった。だが、今年9月にビルマ政府は中国に対し中麺北部国境近くのミッソンダム建設工事の凍結を一方的に通告した。仮に工事が完成してもその発電量のほとんどは中国へ送電され、地元ビルマ国民への恩恵は極めて限られている。そのうえ環境汚染もあって周辺住民の間には不満が燻っていたからである。

 現在中国・成昆とビルマ・インド洋沿岸都市・チャウピューとの間に石油・天然ガスのパイプ・ライン800㎞構想がある。これが完成すれば、マラッカ海峡を通さずにインド洋から直接ビルマ産天然ガスや中東産石油を中国に運び込むルートが開通する。これもビルマのための開発ではなく、ビルマの土地を利用した中国のための開発である。これらの投資により、ビルマへの海外からの投資は累進的に増加し、2010年度のそれは200億$(約1兆5500億円)に達して、それ以前の21年間の累計投資額(160億$)をも上回った。そして、その約7割を中国と香港が占めている状態である(残りのほぼ3割はタイと韓国)。この中国の影響力とこれまでの中国一辺倒外交に危機感を抱いたアメリカ政府は、アジア・太平洋地域におけるプレゼンスを確立するために遅まきながら行動を起したというのが、アメリカ外交の本心である。

 ビルマ自体は今年3月の民政移管以降徐々に政治・経済両面で改革が進み始めた。ビルマ政権内でも、このあこぎな中国の手法に対する不満が渦巻いており、そこへ軍政の最高権力者で親中派だったタン・シュエ国家平和発展評議会(SPDC)議長の引退が政権内の空気を変えさせた。

 このような時期にクリントン米国務長官がビルマを訪れテイン・セイン大統領と会談した。現職の国務大臣がビルマを訪れるのは、実に57年ぶりである。ビルマとしてもこのまま国際社会の中で孤立するのはできれば避けたい。アメリカにとっても中国の進出を牽制したい。

 両者の思惑がからんだ会談では、クリントン長官は1,000人以上の政治犯を無条件釈放と、ビルマと北朝鮮との間の核開発協力の停止を求めた。これに対してテイン・セイン大統領は、アメリカの主張は一応理解できるとしている。今後ビルマが経済封鎖を解除され国際社会へ復帰し、多くの国々と外交関係を復活させることを願うものである。

2011年12月2日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1662.2011年12月1日(木) 東京電力の好い加減な体質

 早くも師走12月である。11月は全国的に平年より気温が高かったが、今日は一転して各地で昨日に比べて2℃から10℃も寒かった。それにしても今年は月日の経過が早いような気がする。事件が多いせいもあろう。何と言っても3月11日東日本大震災の心理面の影響が大きいのではないかと思う。これさえなかったら、もう少し日本も経済の回復が進んでいただろうし、沖縄問題ももっと前進していたのではないかと思う。それより気分的にも寛げてもう少し時間的にもゆとりを感じたことと思う。

 その大震災による福島第1原発の事故は、あれから8ヶ月以上も経つのに、未だに収束の見通しがはっきり立たない。そんな折昨日福島第1原発の第1号機内では、溶け落ちた核燃料のすべてが原子炉圧力容器を突き抜けて格納容器に落下して、底に敷かれたコンクリートを、場所によっては65㎝のコンクリートを鋼鉄製の容器の壁から37㎝のところまで侵食したという。えらいことである。

 東電はこれまでこの事態を公表して来なかった。年内に冷温停止可能との一部報道だけが流され、時間はかかるがこのまま行けばいずれ収束に向うであろうことを国民に知らせていたのである。それがこの様子だと年内冷温停止も危ぶまれる。

 核燃料がコンクリートの中にまで浸透し、65㎝も突き破ったというのは恐ろしいことである。公表ではここに留まっているかのような話だが、まだ更に奥深く沁み通っていることが考えられ、鋼鉄製の容器の壁へ接近することも予想される。

 東電の発表を見ていると深刻であっても会社にとって不利な情報は話さず、どうも切羽詰ってニッチモサッチモ行かなくなってから公表しているような印象を受ける。大事故で散々国民に迷惑をかけておきながら、情報隠しもどきをやっている。これでは、到底国民の理解と支持を得られないのではないか。

 すでにこの東電福島第1原発は収束されても、すでに廃炉が決定している。東電によれば、その廃炉に支障を来たすともいう。水位計のデータは信頼性に問題があり、事故直後に圧力が急低下した原因も不明で、エネルギー総合工学研究所では、圧力容器の支えが損傷し、傾いている可能性もあると述べている。お先真っ暗なのである。

 そのうえ東電のチョンボはこれだけに留まらない。何やらフランスのアレバ社に引っ掻き回されていたことが分かった。昨日の新聞でも報道されていたが、すでに「選択」11月号では「フクシマを食い散らかしたアレバ」と大きく取り上げていた。最初アメリカのキュリオン社製の設備が効果を表さず、来日したサルコジ大統領の圧力があった?のか、救世主を気取ったアレバ社がその後を引き受けた。ところが、これが評判とはえらい違いで期待はずれも甚だしい。アレバ社製除染装置は高レベルの放射性廃棄物を発生させ、この後始末に巨額の費用がかかるとされている。その挙句に東電がアレバ社に支払ったのが60億円と言われている。火事場ドロボーまがいの行為である。火事場に乗り込んでゴミを撒き散らし、札束で平手打ちを食わせて分捕っていくという最悪のパターンでやられっ放しなのだ。

 東電には業者の実力とそのレベルを見抜く能力が欠け、言われるがままだった。よくもこんな会社が「大会社」として偉そうに振舞えたものである。所詮親方日の丸で、何をやっても井の中の蛙だったことが分る。

2011年12月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com