充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
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1736.2012年2月13日(月) 普天間基地移転はどうなる? 沖縄・宜野湾市に保守系市長誕生
今日2つのニュースに驚いた。ひとつはアメリカの女性歌手ホィットニー・ヒューストンの急死の知らせである。映画は観ていないが、ケビン・コスナーと共演した「ボディガード」の主題歌‘Always love you’の出だしの甲高く伸びのある発声は、世界中を魅惑し、その声は強く印象に残っている。どうも薬物中毒に冒されていて、ロスアンゼルスの超高級ホテル‘The Beverly Hilton’のバスルームで発作に襲われて倒れたらしい。一昨年亡くなったスーパースターのマイケル・ジャクソンと同じような運命を辿った。トップスターとしての地位を保っために様々のストレスに捉われ、つい薬物に手を出したのだろうが、薬物に頼った挙句に持てる才能をまだ発揮できたにも拘わらず、あっという間に黄泉の国へ旅立つことになってしまった。各界から彼女の早い死を惜しむ声は絶えることがない。享年48歳とはあまりにも若すぎる。
もうひとつは、まったく別のニュースである。沖縄の普天間米軍基地を抱える宜野湾市長選で、保守系の新人が僅差で革新系の元市長を破ったことである。過去27年間に亘って革新市政が続き、名護市辺野古への米軍基地移設が暗礁に乗り上げている最中に、佐喜真淳・新市長は沖縄防衛局長の講話問題が明るみに出て逆風にあった。しかも相手陣営の伊波洋一氏は、2年前に仲井真弘多知事に職を辞して挑んだ県知事選で敗れるまで市長の職にあった。佐喜真・新市長にはほとんど勝てる可能性がなかった。それを僅差とは言え打ち破ったのだから大したものである。この選挙結果は市民感情に幾分なりとも変化があったのだろうか。
問題は、今抱えている基地移転問題を県民、市民の支援を受けて新市長が解決できるだろうかということである。これまで絶対的に革新陣営の地盤と見られていた沖縄で、保守陣営が勝ったという事実は重い。だが、行き詰まった辺野古移転問題が従来に比べて活路が開けてきたのかもしれない。民主党政権にとっては神の恵みとも言うべきだろうか。
さて、福島原発でまたドキッとさせる事態が起きている。ここ数日第1原発2号機で原子炉圧力容器の底の温度上昇が続いている。昨年12月に政府が冷温停止状態にあると発表して落ち着いていると思っていたが、80℃を超えていたのである。ついには300℃を超えていたことも分かった。ところが、今日になって温度計の故障ではないかと言われだした。同じ箇所に取り付けた2つの温度計は正常な数値を示したという。愕然としたのは、その点を発表した東電社員が、温度計が壊れていて冷温状態は保たれていると安心したように喋っていたことである。自分たちの立場とことの重大性がまったく分かっていない。内部の温度を測定する大事な機器がこんなに簡・単に壊れるようでは反って困るのだ。温度が異常に上昇したのに、温度計が壊れていて正常値を示す場合もあり得るということではないか。親方日の丸の東電社員には、そんなことも分かっていない。これではますます前途多難である。
1735.2012年2月12日(日) 文科省は大学の秋入学への移行をどう考えているのか。
東大が秋入学を本格的に検討し始めたと伝えられて、今では秋入学移行を前提に大手企業と就職、採用について具体的な話を持ちかけているようである。1月18日付本ブログでも同じ問題点を指摘した。今朝の朝日新聞によれば、企業側も東大の要望に沿った形で春と秋の採用、或いは年間採用を考えているところが結構あるらしい。朝日は1学年の学生が千人以上いる大学の学長174人に対して試みたアンケートを分析している。最近になって唐突に持ち上がった問題だけに、即答し兼ねている大学が多いようだ。
4月に始まる高校以下の教育時期をどうするかの検討もせずに、そのまま置き去りにして東大を中心とする旧帝大や早慶を含めた有名大学群が自分たちの都合だけを優先させて、議論をリードする形になっては教育界のみならず、大学の中でも反発を買うのではないかと些か心配にもある。東大は今後5年ぐらいの内に実施したい意向のようだが、最初から同調はできないと消極的な大学もいくつかあるようだ。
その中でも東京学芸大学・村松泰子学長は、教員養成を主たる目的とする立場上現状では導入に支障があるとはっきり持論を述べている。帝京平成大学・沖永寛子学長は文科省の見解が出なければ、検討する段階ではないと明言している。
両学長の言う通りだと思う。前回もこの問題に関して文科省の顔が見えないと書いたが、文部行政を司る大本山がこの期に及んでも一向に見解を発表しない。下手に発言して責任を取らされては困るとでも思っているのか、そんなことが怖いのか、これだけ公になった日本の教育行政、更に言えば日本の将来を左右し兼ねない大問題について、国の監督官庁が一言も意見を述べないという、無責任極まる態度はとても容認できるものではない。いつになったら国としての見解なり、考えを発表するつもりなのか。
今のままでは国際化に立ち遅れるからとの理由だけで、一部の大学だけがこの重要な問題を突っ走って決めるべきではない。教育は幼児教育から大学まで一貫して同じ教育期間内に同じ条件の下で行われるべきである。文部官僚を始め、いつもしゃしゃり出て来る政治家文教族までもひっそり鳴りを潜めているのは、彼らに何のアイディアもなく考えることもなく、或いは何らかの思惑があるとしか思えない。いつまでも放っておいては、取り返しがつかなくなることが分からないほど教育関係者の思考力は劣化してしまったのだろうか。
1734.2012年2月11日(土) 建国記念日と大震災から11ヶ月
今日は祝日、建国記念日である。昭和20年4月国民学校に入学後まもなくして終戦を迎えたが、翌年2月の紀元節に学校の式典で紀元節の歌を歌ったように記憶している。
右翼とは縁遠いが、高崎正風の詩になる「雲に聳ゆる高千穂の 高根おろしに草も木も~」がハーモニーとともに子どものころの思い出となって懐かしく思い出されてくるから妙なものである。
今日は同時に東日本の大震災から丁度11ヶ月目になる。昨日になって遅まきながら10年間の期間限定の役所・復興庁が発足した。平野達男大臣が就任したが、それにも拘わらずトップは野田首相だそうである。それは各省庁が等しく協力しなければならない復旧作業が役所の縦割り行政のせいで、縄張り意識剥き出しとなって業務がスムーズに進まないからだそうだ。復興庁としては予算を持っているので、それなりの権限は持っているようだから、被災地の各自治体が願っているように一日も早く復旧に道筋をつけてほしいところだ。
昨日小中陽太郎さんからメールで、2月3日付東京新聞コラム「筆洗」に、昨秋出版された「いい話グセで人生は一変する」(青萠堂刊)が紹介されたとそのコピーを送信していただいた。同書の売れ行きも上々のようでご同慶の至りである。また、小中さんの知り合いの出版記念会で、出版ニュース社の清田義昭社長と会った際、私の最新のエッセイ「トラック島の日系大酋長が見せた大和魂と謎」が話題になったと教えていただいた。清田氏からは、確かにそのエッセイについてお手紙でお褒めいただいたので、折角の機会でもあり、この際単行本出版のご相談をしようと考えていたところである。
夕食をしていたところに母校ラグビー部の後輩である加藤充洋・湘南高校副校長から電話があり、近日オープンする「湘南高校歴史館」で、来月24日に故岩田明初代OB会長を偲ぶ会を行う件について説明があった。歴史館の見学を兼ねて偲ぶ会を行い、併せて他校との練習試合も行おうという計画である。OB会の掲示板にその説明がなく、突然その情報を同窓会からの手紙で知ったためにその経緯がよく分からなかったのだ。その点について問い合わせをしたので、その回答をしてもらったわけである。もちろん当日は参加するつもりである。他の運動部に先駆けてラグビー部の行事を率先企画できたのは、身近に副校長とラグビー部顧問である早田直彦教諭と二人もラグビー部OBがいるおかげである。
1733.2012年2月10日(金) 杉原ビザで逃れたユダヤ人難民
毎月定例的に麹町の海事センターで開かれている「JAPAN NOW情報協会」の観光立国セミナーは、今日杉原ビザによって救われたユダヤ人難民、つまりシンドラーについて、元国際観光振興機構(JNTO)コンベンション誘致部長・北出明氏がいくつかの資料を基に話された。北出氏は元JTBの「大迫辰雄」と仰る方のご遺族から拝借した7人の難民の写真を頼りに外国に住んでいる、その何人かの方を取材した体験について話された。シンドラーがウラジオストックから日本海を渡って福井県の敦賀に逃れて来たのは太平洋戦争開戦直前だった。命からがら逃げて来た彼らにとって敦賀は天国に思えたとも、杉原千畝氏に感謝しているともいう。そんな縁もあって以前福井テレビがドキュメント番組を放映したが、今日そのダイジェスト版を観せてもらった。その関係から今日も会場に同テレビの取材班が来てカメラを回していた。恐らく続編を製作することになるのだろう。
ユダヤとか、パレスチナ問題となると今でも対立の根は深く、問題解決へ向けて一向に前進しない。更にナチによるホロコーストとか、ポーランドやバルト諸国のナチの虐殺に対する斜視的にして民族的な見方が入ってくると、当然誤解や偏見もあって立場や視点によって相変わらず考え方は融合しない。実際今日も講義の後の質疑応答で立場の異なる2人の意見が対立した。
さて、今政治を変えようとしている人物として、最も注目されているのは橋下徹・大阪市長だろう。府知事から市長になったと思ったら、今度は中央政界に新風を吹き込まんと次の総選挙へ向け候補者を全国から募集した途端、どっとばかりに2千人を超える希望者が殺到する有様で、すでに既存の政党からも擦り寄ってくる状態である。
ところが、その橋下氏の思うところをやり遂げようとするその強引な手法が、一部では敬遠されている。今日明らかになった話では、大阪府で今年度採用した公立学校教員試験合格者2292人の内284人が、つまり合格者の12.4%がに教職に就くことを辞退したそうである。この数字は最近では最大の辞退者だそうである。大阪が教員の厳しい人事評価を採り入れようとしている教育基本条例案に、どうやら怖気づいたかの感がある。そこまで忌避現象が現れてくると、他の行政分野でも同じように辞退者が出る可能性がある。そうなると今後大阪は有能な人材を獲得することが難しくなってくると思う。橋下氏の考えていることは分かるが、選挙で選ばれたから市民にとってプラスになることは何でもできると個人的に考えているとしたら、それは考え直した方がいい。
一方で、この不況の中で折角目指していた教職の道を確保しながら、評価が厳しいとの単純な理由で、簡単に自分で開いた道を閉じてしまうのも少々浅はかではないか。どうして、両者とも極端に突っ走るのだろうか。これではまとまるものもまとまるまい。
1732.2012年2月9日(木) 復興庁はしっかり復興支援をやってくれるだろうか。
国外ではギリシャへの金融支援問題とシリア国内の反体制派弾圧問題が世界中の耳目を集めているが、国内的には沖縄の米軍再編、それに絡めた米海兵隊の国外移転とTPP加盟、原発再稼動が話題を集めている。
そんな中で明日震災地の復興を支援する官庁、復興庁が漸くスタートする。すでに震災から1年近く経って漸く被災者へ国の支援が組織として機能することになるわけである。それにしてもあまりにも遅いのではないか。昨年6月に復興庁の設置が決まったが、いつもながら政局に時間を費やして設置のための法律が国会を通過したのが昨年末の12月で、復興庁自体はやっと緒についたところだ。そのせいか新聞では今日の朝刊、夕刊とも復興庁の発足についてまったく触れられていない。僅かに夜のテレビニュースで知る程度である。従って復興庁の業務というのがどういうものか知らされていない。普通は「庁」なら当然トップは長官であるが、この復興庁だけは復興担当大臣を務めていた平野達男氏が就任し復興大臣となった。復興庁はどうやら議事録をまったく残さないことでその名を高めた、震災復興対策本部を母体に発展的に権限のある省庁に格上げしたわけである。そこで働く役人にどれだけ魂が篭っているかが問われる。しかし、国民によく分からない役所、業務内容では果たして広く国民に理解してもらえるだろうか。
さて、今日で東京の新名所・東京スカイツリーの開業まであと100日になったということから、ニュースで大きく取り上げられている。周辺地域の商店街ではあの手この手で地域の活性化を考えているようだ。ツリーの主たる施工主、東武鉄道の如きは、なりふり構わず乗客呼び込み策として地域住民に親しまれた駅名まで変えるようだ。伊勢崎線をスカイツリーラインとするのを始めとして、伝統のある「業平橋」駅を陳腐な「スカイツリー」駅にして伝統とはおさらばするようだ。テレビ朝日の「報道ステーション」の女性アナが、せっかくの伝統ある名前をわざわざ英語名にする必要はないと思うと遠慮がちに述べていたが、古館キャスターも相槌を打っていた。その通りである。どうして伝統を捨ててまでして横文字にする必要があるのだろうか。まったく理解できない。業平橋と言えば、江戸時代以来多くの文献にその名が出てくる由緒ある名前である。東武という企業はよほど文化に関心が薄いと思われて損だし、業平橋を捨てるのはいかにももったいないと思う。いくら乗客誘致策とは言え、あまりにも安易で不見識な東武鉄道の広報活動に会社の姿勢とそのセンスに首を傾げざるを得ない。
東京スカイツリーの開業まであと「100」日とはまったく関係ないが、今日は昭和の大横綱双葉山の「100」歳の誕生日である。