充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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1741.2012年2月18日(土) 「ウメサオタダオ展」を見学する。
これまで見学したいと思いながら今日まで行けなかった、日本科学未来館で開催中の「ウメサオタダオ展」を漸く見学することができた。昨年12月から2ヶ月近く開催して明後日でいよいよ閉幕である。今日は予定通り新横浜駅前の城クリニック肛門科でその後の経過を診てもらった後、JR横浜線、東急東横線、目黒線、大井町線、東京臨海高速鉄道・りんかい線を乗り継いで東京テレポートにある日本科学未来館へ出かけた。
梅棹忠夫先生には、私も40年間所属しているNPO法人「知的生産の技術研究会」の名誉顧問を亡くなるまで務めていただいた。文化勲章のみならず、海外の名誉ある称号を数々授与された梅棹先生の業績の中には、言うまでもなく民俗学の分野において独自の視点から鋭く分析した赫々たる成果がある。特に、素晴らしいと感じ入り尊敬の気持ちが沸いてくるのは、民俗学・民族学を専攻されたせいでもあるが、フィールドワークを重視され、ご自身で山野を歩き冒険旅行をしてその体験を学問へ活かすという手法である。自身高校、大学でも山岳部員として多くの登山経験を積み重ねられ、それを梅棹生態史観に集約された。
展示館内には、梅棹先生の研究の足跡が分かりやすくショーアップされていた。多くのコーナーではそれぞれ興味があるものが見られたが、梅棹先生が「こざね」としてカードに書き記した言葉がいくつもあって、それが中々面白い。その中に「ハミダシ」の「こざね」というのがあった。16の言葉があったが、それらは以下の通りである。
*日本の運命、*再編成された文化、*人間疎外論批判、*プライオリティ論(オリジナルの考え方)、*文章論、*国際政治、国際連合、*現在の進行しつつある矛盾の指輪、*権力、*狂気の世界(非合理の世界)、*幻想の世界、*所有権(所有関係)、*小国の思想、*社会ダーヴィズム、*官僚、*戦争と鎖国、*反戦産業論
これらひとつひとつの言葉に意味がある。それは先生の著書、特に代表作「文明の生態史観」を読んでいると先生がなぜこれらの言葉を「ハミダシ」として列記したのかがなんとなく納得できるような気がする。
フィールドワークを殊のほか重視していた先生は、「研究のすすめかた、組織のくみかたなどについての戦略のたてかたを、わたしは探検という実践的行為をとおしてまなんだのである」と言われている。その点ではまったく賛同するものであるが、先生には実践することが信念となっている。その点では、学者の「象牙の塔」を意に介さず、「ハミダシ」に挙げられた「官僚」も実践を伴わないものと昔から考えておられたのだろう。
戦時中にモンゴルへ行き、終戦を迎えた。昭和17年にはポナペ島調査にも出かけ、序にパラオ、トラック、クサイ、ヤルートへも出かけている。ひょっとするとトラック島で幼かったススム・アイザワ大酋長にも出会っていたかもしれないと思うとロマンが広がる。
まだ読んでいない著書を2冊売店で購入した。これも楽しみである。
1740.2012年2月17日(金) 健康維持のため、もっと歩こう。
目黒区碑文谷に住む呉くんからメールで悲しい知らせがあった。高校の同級生・楢原くんの訃報だった。ここ数年体調を崩して病床に臥していたと聞いた。何年か前に同期生会で会った時、あまり健康ではないと言っていたが、ついにブラスバンドの雄も旅立ってしまった。楢原くんとは特別親しい間柄ではなかったが、それでも共に学んだ仲間が逝ってしまうのは寂しいし、やるせない気持ちでいっぱいである。来週藤沢で2年生時のクラス会があるが、冒頭に彼の霊へ黙祷を捧げて永遠の別れを告げるという。なんともやりきれない気持ちである。
さて、私自身現時点では整形外科、内科、肛門科と3箇所の医者通いをしているが、取り立てて具合が悪いということはない。今日も整形外科でムダ話をしてきたばかりだ。明日は1ヶ月ぶりに肛門科でその後の症状を診てもらう。
ところで、15日厚生労働省は健康づくり運動「健康日本21」の第2次計画の素案を発表した。それによると生活習慣病の予防促進のため、達成すべき1日の平均歩数として男8500歩(約6km)、女8000歩(約5.6km)の目標値を提示した。こんな目標値まで政府が作成しているとは思ってもみなかった。この男の8500歩がどれほど健康にとって効果的なのか分からないが、専門家が頭を抱えながら算出した数値なのだろう。私はこの数字には遠く及ばない。
因みに2年前の調査では、男7136歩、女6117歩だったそうである。一応毎日歩数計で測り、血圧と脈拍とともにグラフを作って前記の医師に見てもらいアドバイスをいただきながら、健康維持のため役立たせている。今年になってから今日で48日になるが、厚労省の目標値をクリアしたのは、たったの6日である。8日に1日しか目標値を達成していない。2年前の目標値なら何とか13日クリアしたことになる。これまで痔の具合が芳しくないこともあって、あまり歩かなかったが、最近は努めて外を歩くよう心がけている。
海外へ出かけると大体1日で2万歩以上は歩く。今年は海外にも積極的に出かけ、もっと歩くようにしたいと考えている。やはり自分自身の健康維持のためには、身体を動かすことが一番効果的であると思う。
1739.2012年2月16日(木) 気になるイスラエルとイランの緊張関係
今やお騒がせ国家となったイランが、昨日ウラン濃縮施設の増強や新型遠心分離機の開発、更に核燃料の国産化に成功したと発表した。原子力の専門的な知識はやや疎いが、敢えて私なりの考えを述べれば、欧米諸国が懸念しているように、イランの核開発がまた一歩前進したように受け取れる。これにより欧米諸国のイランに対する警戒は一層強まることが予想される。欧米はイランの核開発が世界平和に不安をもたらすものとして、以前からイランに対して核開発を中止するよう警告を与え、経済制裁を実施していた。しかし、イランは平和利用のための核開発であると言い続け欧米の核開発中止要請を聞き入れようとはしなかった。
ここへ来て突如事態が変わったのは、イランが欧米諸国が経済制裁を止めないなら、ホルムズ海峡封鎖という強行手段も辞さないと打ち出したことがひとつのキッカケとなった。周辺海域は緊張の度合いを深めていった。だが、仮にイランが強硬手段に訴えても欧米との軍事力には、大きな差がある。イランが原油輸出を諦め、彼我の力の差に目を瞑ってまでも勝負を賭けるには、あまりにもリスクが大きい。
ところが、この数日前になってイスラエルが、このイランに対してミサイルによる先制攻撃を仕掛けるとの情報がアメリカ政府の有力筋からもたらされ、俄かにイスラエルとイラン間に戦争勃発の可能性すら噂されるようになった。慌てたイランが核開発の手の内を小出しに見せることによって閉塞状況を打開しようと、このウラン増産態勢の現状を世界に向かって宣言したのではないかと考えている。
折も折イスラエルのバラク副首相兼国防相が日本を訪れ、昨日野田首相と会談した。野田首相はバラク氏に軍事的な対応は事態をエスカレートさせ、危険だと自制を求めたようだ。だが、バラク氏は国際社会が協力して厳しい措置を講じていくことが重要として、イランへの攻撃をやるともやらないとも語らなかった。ただ、日増しに両国間の緊張は高まっており、このまま放置すれば、どういう事態になるのか予断を許さない状況にある。
今夜NHKの単独インタビューに応じたバラク氏は、イランに対して各国が制裁を行うべきで、もしその効果が表れないようならイスラエルとしては先制攻撃も辞さないと過激な発言もしていた。イスラエルにとっては周辺に敵対国であるシリアもあり、ヒズボラが潜在力を有しているレバノンもあり、頭の痛い問題であろうが、世界中に核ならぬ心配の種をまかれても、われわれにとっては迷惑千万でどうしようもない。実に気になる困ったことである。
1738.2012年2月15日(水) 日銀のインフレ目標はケインズ理論と対決か?
昨日日銀が事実上のインフレ目標導入に踏み切った。1%の物価上昇が見通せるまで現在のゼロ金利を続けるとの日銀なりの決意である。現在のデフレ傾向が景気を冷やし、雇用と給与面で減少し、消費が伸びない不景気の連鎖を繰り返していることから、財務省も日銀に対して具体的で効果の上がる政策課題として、デフレ脱却方針の実行を迫っていた。
このような時期に先月アメリカが景気回復を目指して、2%のインフレ目標を示した。日銀はこのアメリカのバーナンキFRB議長案に追随したのである。この日銀のインフレ目標により、実態の景気が回復するなら申し分ない。
しかし、現実の経済は現実経済として、学生時代に学習したケインズ流の近代経済学の理論では、資本主義経済では緩やかな物価上昇を伴う、なだらかな経済成長によって経済は繁栄し社会は発展すると学んだものだ。第2次大戦後世界の資本主義経済は、このケインズ理論に添うように歩んで来た。
事実これまで欧米のインフレ目標というのは、物価が上がってインフレが進み過ぎた結果、国民の生活が苦しくなるのを防ごうとの狙いで、前もってインフレが進み過ぎないように注意を払ってきたものである。それが、昨日の日銀目標は、まったくその逆の方針でありインフレへの誘導である。実際こんなレアケースは日銀にとって初めてのことである。
幸いこの日銀のインフレ目標が株式市場で好感されたのか、日経平均株価は昨年9月1日以来の高値となり、円相場も円安となった。アダム・スミスの「見えざる手」を納得・理解し、「レッセ・フェール」の経済原論に異を唱えるような現実的な対応が実態経済にどんな効果を与え、景気の底入れに有効に機能してくれるだろうか。しばし注目してみたいと思う。
それにしても数日前に国会の衆議院予算委員会で質問された、安住淳・財務相はこともあろうに円市場の国の介入の目安を問われ、いくらで介入し、いくらで止めると具体的な数値まで喋った。こんなことも過去にはなかった。どうも、ベビーギャング・安住財務相にせよ、民主党政権にせよ、発言が軽く些か浮き足立ってはいないだろうか。
日本ペンクラブ例会に出席したが、今月は出席者が割合少なかったうえに、恒例の著名人によるショートスピーチもなかったので、いつになく盛り上がりに欠けた。5名の新会員が紹介されたが、その内2名は何と外国人で、その挨拶がぺらぺらの日本語なのには驚いた。日本ペンも国際的になったものである。
一昨年9月の国際ペン東京大会の決算報告で大赤字を出した杜撰な会計処理を検証して元銀行マンの藤川鉄馬さんも、その解明と処理にはほとほと弱りきっていた。まだ、最終的な結論が出されるまでは時間がかかりそうで、いずれ全会員の前に詳細が明らかにされ、責任の所在もはっきりするだろう。一日も早くすっきり解明されることを期待したい。
1737.2012年2月14日(火) 「大阪維新の会」が「維新八策」を公表
橋下徹・大阪市長が代表を務める「大阪維新の会」の勢いは止まるところを知らない。民主党政府のマニフェスト違反と当てにならない政策実行力、加えて野党自民党の反対一辺倒の行動が、国民から嫌われていることによって維新の会への期待を膨らませ、その存在感を浮き上がらせている。
維新の会の次期衆議院選挙へ向けた政策作りと候補者公募に対する世間の関心も高く、維新政治塾への募集を呼びかけたところ、たちどころに募集人員400名に対してその10倍近い応募があったというから驚きである。維新の会も浮かれずに地に足が着いた新党作りを進めて欲しい。
昨日「大阪維新の会」は幕末の志士、坂本竜馬の「船中八策」にあやかって「維新八策」原案を発表した。その8つの政策とは、①統治機構改革、②行財政改革、③公務員制度改革、④教育改革、⑤社会保障制度、⑥経済・雇用・税制、⑦外交・防衛、⑧憲法、である。これだけ見ると一応満遍なく国政に配慮していることが分かる。
この中で橋下市長が主唱しているのが、①の道州制導入と大阪都構想である。次いで、教育委員会に従来のような強大な権限を付与せずに、諮問機関として位置づけることであり、④教育制度改革である。もうひとつ特別に注目したいのは、首相公選制や参議院廃止を睨んだ改革で、これはややもすると憲法改正につながりかねない問題である。とりわけ注目しなければならないのは、維新の会が憲法改正に必要な衆参議員の賛同を今の2/3から1/2にしようと考えていることである。ありていに言えば、憲法改正をしやすくしようということだ。こうあっさりと憲法改正のためのルールを変えるのは些か乱暴だし、危険でもある。実際この八策の中身を見た各党の幹部は、橋下理念は少し過激過ぎると話し、政策提携に疑問を抱いているとの感想を述べている。
しかし、それにしても既成政党のだらしなさはほとほと情けなくなるほどである。民主党は2年半前の選挙公約で「ムダ使いをなくすための政策」として7か条を挙げた。その中には、国家公務員の総人件費2割削減、国会議員の世襲禁止、衆議院比例代表定数の80削減、他を訴えた。全滅である。これだけでも実行できていれば、もう少し信頼感と存在感があったであろうに、現状はまったく信頼されない政党と堕して新人ばかりの「大阪維新の会」に圧倒されるていたらくである。
この維新の会の勢いと流れに押されて、イージーに憲法改正を簡単に許さない何らかの歯止めをかける必要はあると思う。
長男の嫁の父親が明後日膵臓ガンの手術をするので、嫁は明日奈良の実家へ帰るという。小学生3人を抱えているので、妻が横浜の長男宅へ2泊3日の泊り込みで手伝いと孫の世話のため出かけた。従って今日はバレンタイン・デイではあるが、当然ながら誰からもチョコはもらえない。
先日シンガポール駅の思い出話をJN紙へ寄稿したが、明日2月15日払暁は日本軍がシンガポールを陥落させて丁度70年目である。