充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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1756.2012年3月4日(日) 英語は世界語になったか?
今朝の朝日新聞別紙‘GLOBE’に「英語化の行方」と題し、副題に‘Is English taking over the world?’と付して全3頁に亘る英語圏以外の国の英語への取り組みを取り上げている。
国連は国連憲章と総会議決により公用語を英語、フランス語、ロシア語、アラビア語、スペイン語と定めている。また、国連関係の国際機関の公用語としては、ほとんど英語、フランス語、スペイン語が使用されている。だが、公用語の平等性を尊重するあまり、すべての言語の翻訳を行うために非効率であることが問題になり、実際の交渉で直に話し合う場合はほとんど英語になるらしい。
そして、最近では英語が突出して使用されることが増え、フランス語やスペイン語の使用頻度は極端に減少しているという。特に外交用語として君臨していたフランス語の威光が陰り、欧州委員会ですら2001年の外交文書は英語55%、フランス語30%の割合だった。それが英語優先が更に進み、10年には英語が78%と圧倒してフランス語は僅か7%にまで低下した。
特に英語をマスターすることによるメリットが明確になるにつれ、外国語を学ぶなら英語を選ぶケースが増えてきた。こうして自国語以外の言葉として英語を学ぶ人が増えた。それも個人的に学ぶ場合のほかに、国がかりで英語を奨励するケースが目立ってきた。
シンガポールやマレーシアのように国内に多言語が使われている国では、独特の訛りのシングリッシュではなく、英語母国語への指導、つまり英米人のように流暢な英語を話すことが望まれるようになった。
韓国では貿易上の要請から、国がかりの英語教育の充実を目指している。しかし、実際には海外で使うというより国内競争で勝ち抜くための道具としての性格が強いという。従って、英語にコンプレックスを感じる人も多いようだ。日本より以上に受験競争が熾烈で、英語習得が国家戦略になっている韓国での取り組みに比べて、わが国の現状は、初等英語教育に関して目標や明確なメリットも不透明で、はっきりした理念や哲学もない。小学校から英語教育を取り入れることになったが、それを支えるバックアップ体制が不十分で、教師の養成は積み残されたままである。
私自身受験勉強のせいで相当貴重な時間をロスしたと思っているが、幸い外国人と仕事をする機会が多く必要な英語は‘Dale Carnegie Course’で学んだように、いくらかは自己啓発により補い、さほど専門的でなく簡単な通訳業務などでは何とか責任を果たすことはできたと思っている。しかし、もっと若ければ留学を含めて本格的に英語を勉強してみたいとの願いは強くあった。そんな想いから私の「自己紹介図」の「夢」欄には「来世はアメリカで教育を受けたい」と書いてある。
ただ、これからの世代の人たちは、外国人と英語でディベートできるだけの英語力、構想力と説得力を身につけることが自らの道を切り開くことにつながると思うし、そうなればより張り合いのある仕事にめぐり逢えるチャンスが増えると思う。しかし、幼少時に英語を勉強し始めても、「人のふり見て我がふり直せ」と言われるように、国語である日本語の基礎を学ぶ機会を失っては何もならないだろう。日本語のような文法の複雑な言語は基礎が大切だと思うからだ。すべて国際的な世の中になっても、それを仲立ちするコミュニケーション・ツールが効果をもたらさないようでは、宝の持ち腐れのようなものだろう。
さて、1週間後東日本大震災から1周年を迎える。今夜NHKスペシャル「映像全記録3.11」で、貴重な画像を流していた。初めて観る映像も随分あったが、その中で繰り返し映された陸前高田市の悲惨な映像に心が痛んだ。市役所と市民会館の荒廃した姿が痛ましい。4年前の8月に気仙広域連合から「図解」の講師を頼まれ、陸前高田市役所の担当者に宿泊していた大船渡プラザホテルから市民会館まで2日間に亘って車で送ってもらった。映像を観る限り講義会場だった市民会館は外壁だけ残され、近くの市役所も無残な姿を晒していた。そのときお世話になった市の担当者も亡くなられた。何とも言いようがない。
1755.2012年3月3日(土) したたかな外国元首のリーダーシップ
今年は世界各地で国のトップリーダーを選ぶ選挙が行われる。その最大の焦点になっているのは、言うまでもなくアメリカ大統領選挙で、すでに共和党では今年に入って候補者選出選挙をスタートさせている。あとは4日投票のロシア大統領選挙、5月のフランス大統領選挙、そして残り任期1年足らずとなった韓国大統領選挙、更に中国では国家指導層が一斉に交代する。そんな熾烈なスケジュールの中で昨日大統領選挙へ出馬したロシアのプーチン首相が、朝日新聞を始めヨーロッパ、カナダの主要紙編集トップと記者会見を行い、日本に対しては唐突に懸案の北方領土問題解決へ向けた誘い球を投げてきた。
プーチン首相にとっては1期首相を務めたが、3期目の大統領職を目指している。まず、当選は間違いないと見られている。当選の暁には憲法を改定して大統領在任期間を現行の5年から6年に伸ばして、その上で更にもう1期大統領を務めようとやる気満々なのである。つまり、この次の選挙で当選すれば、首相前の2期10年と合わせて通算22年もの長期間に亘って、トップの座に君臨することになる。
そのプーチン首相がこの緊急な時期に日本に牽制球を投げてきた、その意図についていろいろ憶測や詮索が飛び交っているが、問題解決へ向け信頼関係に基づいた話し合いなら、拒む理由はないと思う。但し、1945年8月日本が武器を放棄して無条件降伏したにも拘わらず、まだ戦闘中であると強引に主張して北方領土を占領し、不遜にも大東亜戦争の戦利品と欺瞞し占領し続けている北方領土をロシアがそう簡単に手放すはずがない。プーチン首相は好きな柔道に喩えて、両国とも引き分けを目指したら良いとの提案をしているようだが、本音がどこにあるのかしっかり見極める必要がある。
2年前にメドベージェフ現大統領が北方領土を視察して、自国の領土であることをPRして日ロ関係がぎくしゃくしている現状に鑑みても、プーチン首相の言い分を素直には受け入れがたい。プーチン首相の提案には自分自身何らかのアピールを狙った、恣意的な意図があるのではないかと思えてしようがない。
さて、中国も今日尖閣諸島周辺の71の島々に不意に中国名を命名した。もちろん尖閣諸島の無人島にも中国名を付した。これにはわが国が周辺の39の無人島に日本名を付けたことに対する仕返しのようだが、早くから日本の出方に備えをしていたらしい。この国も指導者層が代わった場合、今でも手ごわい態勢が一層難しい要求を持ち出してくる強面の政権になるのではないか。中国はいよいよ覇権国家への階段を一歩一歩上り始めたようである。
韓国については、相変わらず竹島問題が懸案事項になったままで解決の糸口が見つからない。それどころか気がかりなのは、来年2月に退任する李明博大統領の姿勢に、昨年後半辺りから露骨に反日的な言動が見られるようになってきたことである。特に昨年末ソウルの日本大使館前に戦争慰安婦像を建てたことを擁護する言葉について抗議した日本政府に対して、このままだと第2、第3の慰安婦像が建つと恫喝するような言辞を弄したり、数日前には非礼にも日本戦犯企業と称するリストを発表したり、その急激に過激となった言動はこれまでの日本に対するソフトだった言動を考えるととても理解できない。再選が認められないとなったら、これまで胸に収めていた反日感情が一気に噴き出したと思えるパフォーマンスである。李大統領は大阪育ちということもあって、日本人にとっては比較的ソフトな親日家というイメージが強かったが、退任後自らへの国内の評価を慮ってかこの時期になって反日韓国人の心情を斟酌する態度を見せて、国内の韓国人の本音に共鳴する姿勢を見せて評価を高めようとしているのではないだろうか。いずれにしても国家元首あたりになると、したたかで本心は計り知れない。
国会対策だけで頭がいっぱいの日本の総理大臣には、各国の元首のように、時には冷徹でしたたかな行動はとても取れまい。われわれ国民からすれば、わが国の首相や閣僚はこれだから頼りにならないということになるのかもしれない。
1754.2012年3月2日(金) 僭越ながら母校から名誉を授かる。
玉川税務署へ確定申告の書類を届けて、長い間もやもやしていた気分からやっと解放された。因みに昨年も今日2日に申告を済ませている。来年こそはPCによる申告書類作成を考えたいところだが、時間さえかければ手書きでもできることなので、高価なソフトを買って改めてその使用法を習熟してPC申告を行うことが妥当なのかどうか、よく考えてみたい。
つい気分的にも楽になって、10日が締め切りとなっている定例のJN紙コラム欄原稿を書き上げた。
さて、昨年創立90周年を迎えた母校・湘南高校がその記念事業の一環として建設し、先月25日にオープンした「湘南高校歴史館」内のオブジェ「湘南大樹」の一葉に、後輩たちに夢と目標を与えられる卒業生のひとりとして私も顕彰されることになった。数日前に高校の後輩に当たる知人が、私の名とタイトルを写した写真を送ってくれた。
冠にはこういうタイトルがついている。「若い頃ヨルダン軍による身柄拘束の経験もある、ケタ違いの『海外現場臨場感重視』熱血行動派エッセイスト」である。些か元気の良いタイトルである。後輩の現役高校生がこのタイトルを見たらドキッとするかもしれない。グリーンの一葉の中に私のフリガナ付名前と卒業年度32回生、そしてB-18との番号が掲出されている。話によるとこれに備え付けのiPadをクリックすると、更に詳しい500文字からなる私の経歴と活動歴、更に後輩へのメッセージが見られる仕掛けになっている。
偶々左隣に同級生の紹介の一部が映っていたが、多分現役で東大に合格して通産省に入省し、特許庁長官を務めて今も国の各種委員を務めている秀才のUくんではないかと思っている。他には、同級生で誰が顕彰されたのか分からない。私を推してくれた天野武和・前湘友会長によると会社へ勤めながら23年間かけてカヌーで日本一周をやり遂げた水泳部の吉岡くんがいるそうだ。もちろん世間的によく名の知られたノーベル賞受賞者・根岸英一博士や、石原慎太郎・東京都知事の他にも著名人が多くおられるだろう。その意味では錚々たる著名人の中に加えてもらって大変名誉なことだと思っている。兄弟妹には知らせたが、名誉なことでもある反面些か自慢話に過ぎるので、気の許せない友人を除いては中々知らせにくい点もある。
まあどんな展示になっているのか、来週妻と母校を訪れたうえで考えてみたい。
1753.2012年3月1日(木) 国会の爆弾男・楢崎弥之助氏亡くなる。
確定申告を行うようになってから毎年この時期になると悪戦苦闘する。分かりきってはいるが、今年も追い込まれないと中々エンジンが作動しない。1月中ごろから書類作りに取りかかっているが、何せすべて書類を手書きで事細かに書き込むので手間がかかる。今日漸く玉川青色申告会へ下書きした書類を持参した。私の下書きの書類をチェックしてもらったところ、1箇所単純な計算間違いをしていた程度で、専門家の手を煩わさないでここまで一人で書類を作成できる人はあまりいないと妙なおだてられ方をされたほどである。早速正式な書類を作り、明日税務署へ提出する目鼻だけはついた。やれやれである。
さて、一時期社会党の爆弾男として名を馳せた元衆議院議員の楢崎弥之助氏が自宅で亡くなっているのをお孫さんが見つけた。学生時代から個性的で存在感のある代議士として、気にかかり興味を持って楢崎氏の一挙手一投足を遠くから見守っていた。ちょうどわれわれが60年安保闘争に参加していたころ衆議院議員に初当選した。その意味でもわれわれ世代は、楢崎氏に期待感と興味を抱いて見つめていたものだ。国会でも安保や防衛問題で政府を厳しく追及していた。何と言っても一番の話題は、88年リクルート事件でリクルート社幹部からの贈賄工作の現場を日本テレビに隠し撮りさせて、それが竹下登首相の命取りになったことである。その隠し撮りに関わっていたのが、元同テレビ政治部長だった菱山郁郎氏である。駒沢大学公開講座で、菱山講師からその話題のビデオを見せてもらったが、どうも生々し過ぎる。菱山講師も危ない橋を渡ったものだが、他の代議士ではなく楢崎代議士だったからこそ頼んだのだろう。早速菱山講師に楢崎氏の死についてメールを送ったところである。
あの頃は、社会党も選挙の度に成長に次ぐ成長で、議員数の拡大は日の出の勢いだった。土井たか子委員長の時代には、100名近い代議士が当選した。ところがその後社会党の党勢は衰える一方で、今では議員数は僅か1桁にまで落ち込んだ。時代が社会党のビジョンを受け入れなくなったということもあるが、社会党から名称変更した社民党自体にも当初の立党精神を噛み締め、社会的民主主義を追求する志や理念が感じられない。結局離合集散を繰り返し、その都度議員数は減少するというマイナス・スパイラルに陥ってしまった。その点で、楢崎氏らが活動していた時代には社会党はもちろん、社会にも活気があったと思う。良きにつけ悪しきにつけ、ああいうタイプの政治家は今後現れないのではないだろうか。
1752.2012年2月29日(水) 閏日の銀世界に思う。
昨夜半から雪が降り始め、今朝起きてみて松に被った白銀の庭に何とも言えない風情を感じた。「枕草子」であったか、「春はあけぼの~ 冬はつとめて雪の降りたるは言うべきにもあらず~」というほどにロマンチックな情緒がある。確かこの「つとめて」とは朝のことであったと思う。今年都内で本格的な降雪は2度目だそうだ。家の中で確定申告の書類整理をやっている分には雪に思いを馳せることもできるが、夕方近くまで降り続いていたので、道路や交通機関も影響を受け、通勤、通学の人は大変だったと思う。
ちょうど40年前軽井沢の雪の中ではロマンならぬ壮絶な銃撃戦が行われていた。あさま山荘事件である。あまりいい気分になれない事件だった。それにしても近年思い出したくない事件が増えてきた。まもなく東日本大震災1周年がやってくる。
福島原発事故の検証を行っていた、民間の調査機関である「福島原発事故独立検証委員会」が昨日400頁を超える報告書を提出した。政府の御用学者や利害関係者が絡む事故調査委員会の調査だけでは真相究明が不十分との考えからである。この報告書の中で特に指摘されたのは、首相官邸の対応をめぐる検証で当時の菅首相と官邸のとった場当たり的、泥縄的な行動や判断である。その背景には、原子力安全・保安院、原子力安全委員会、東電らの能力に疑問を持たれていたことが挙げられる。特に、前首相が知っている限りの知識を披露して、現場にまで細かく介入した行為を行き過ぎと断じた。確かに、菅前首相には原子力に関する知識があったのだろうが、事故現場で陣頭指揮をして、現場責任者が事故対策に当たるが如き行動が批判された。実際それまで現場の環境、機械類、従業員などをまったく知らない外部の人間が、原子力だけの知識を振り回したところで、現場にとっては迷惑千番で、混乱するばかりである。
問題はこんな当たり前のことが分からない人が、現場を仕切ろうとしたことだ。それよりこういう現場感覚のない人物が国家のトップに居座っていたことだ。今日のNHK「クローズアップ現代」でも取り上げられ、この委員会の一員がアメリカの関係者にも取材していたが、日米の事故に対する認識と危機意識には大きな差があった。これは今もって解消されていない。
いつまで経っても不安感が尾を引く原発である。