充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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1815.2012年5月2日(水) ベオグラードの山崎洋さんと再会
天候が昨日から崩れてきたが、今日は降り出した雨が時間の経過とともに本降りになってきた。その中を渋谷「ハチ公」前でベオグラードから一時帰国中の山崎洋さんと待ち合わせ、そのまま地下鉄半蔵門線で神田神保町の出版ニュース社へ向かう。アポを取っていただいた同社清田義昭社長にお会いして、山崎さんが日本語に共訳した、セルビアの叙情詩人ニェゴシュの「山の花環」と「小宇宙の光」の日本語文庫本出版について、清田社長の出版へ向けた戦略とお考えを伺い、同書出版に関してご協力をお願いした。山崎さんとしては作品自体がセルビアでは国民誰でもが知っている国民的英雄の著作なので、日本の出版社もそれなりの大手有名出版社を望んでいる。感触としては、まず岩波書店に、そして中公文庫に話をつないでもらうことになった。希望通り話が進行すれば、御の字である。清田社長には無理なお願いをしたが、快く引き受けていただきありがたいと思っている。吉報を待ちたい。
その後ゼミの赤松さんを呼び出して銀座「ライオン」で会食をする。3月にベオグラードでコンサートを行うに当たって事前にヴァイオリニスト豊嶋めぐみさんに、演奏曲「慶應義塾塾歌」の楽譜とテープを提供してくれたのが赤松さんだ。幸いコンサートは盛況だったという。赤松さんは亡くなられた芸大出の母上を始めとして音楽を趣味としている音楽一家で、クラシック曲ばかりでなく他のジャンルすべてに精通している。
3人で思いつくまま自由に話をして実に気分の良い一日だった。
さて、来月ヨルダンへ行くことを決めた。もともと今年中に訪れたいと思っていた。実に45年ぶりである。観光地としては世界遺産ぺトラ遺跡があるが、どちらかというとヨルダンは特殊な国であり、昔と比べて少しは治安が安定してきたとは言え、今も北隣のシリアが内戦状態にあり治安は完全に安心できる状態とは言えない。それでも今度はパレスチナ紛争の相手国イスラエルもちょっと覗いて来てみたいと思っている。以前からパレスチナ問題を考える時、アラブ諸国側からばかり見るのではなく、対峙国側からの視点も必要だとは思っていた。その点で今回の旅行は良いチャンスだと考えている。やはり45年ぶりにかつて戒厳令下の国で身柄拘束された都市を再び訪れるというのは興奮するし、緊張もする。ヨルダンはどう変わっただろうか。或いは変わってはいないだろうか。楽しみである。
1814.2012年5月1日(火) 高速バスの安全管理に手を拱いている役所
一昨日深夜群馬県藤岡市の関越自動車道と信越自動車道の分岐点辺りで、観光バスが壁面に激突し、防音壁を車体がノコギリを引くような形で破壊し、7名もの死者を出し、その他の乗客全員が重軽傷を負う悲惨な事故を起こした。
かつてバスを手配して旅行を企画した立場から感じることは、随分ツアーバスが増えたということである。昔は請負団体旅行のためにバスを手配したが、今では単なる輸送のためのバス手配が主流を占めているようだ。交通費としても航空機、鉄道に比べて安く、利用者は年々増えている。
最近では僅か数年間で利用者数が230倍に増えたというから驚く。その利便性、低価格に影響され、当然歪も生まれ、それが今回の事故のような形につながるケースが多い。とにかくツアーを企画する旅行会社がバス会社に仕入値段をたたく。バス会社はコストダウンのため、無理な運行を行うようになる。それが今回問題になっている、深夜バスの運転手が一人か二人かという問題である。この事故では途中休憩を取りながら深夜金沢から東京ディズニーランドまでたった一人のドライバーが運転してくる予定だった。
今日になってその無謀とも云える手配ぶりが問題になった。谷本石川県知事も、夜行バスの運転手が670km以内なら違法ではないというのは何を根拠にしているかと問うている。流石に総務省も是正するよう発言したが、本家の国土交通省は、いくらルールを決めても守られない規則を作っても無駄だというような発言をしている。国交省は安全のための規則なんか決めなくても良いと考えているのだろうか。常識的に考えても一人の運転手が深夜に東京から青森まで670kmを走行するといのはちょっと無理ではないか。
監督官庁のお役所がこんな感覚で行政をやっているのだから、事故がなくなる筈もない。途上国辺りでは、しばしばバス車両や道路状況などハード面の不備により事故につながる恐れを感じることが多いが、わが国の場合ではむしろソフト面の不具合で大きな事故を呼び込む可能性が高い。
一度国交省のお役人に自家用車でもよいから、深夜一人で東京から青森までドライブして感想を聞いてみたらどうだろうか。
1813.2012年4月30日(月) プラハの思い出いろいろ
先日ある知人からショパンのBGM入りスライド画像を送ってもらった。GWとX’mas前後になると毎年楽しいスライドを送ってもらっているが、中々の佳作が多く観ていると心が和らぐ。今年のGWにもいくつか見ごたえのあるスライドを送ってもらったが、その中で「冬のプラハ」が中々気に入っている。これを早速友人らに転送したところ、殊のほか喜んでくれた。高校ラグビー部の仲間、大島くんからは友人たちに送ったと言って、その友人らのコメントまで伝えてくれた。
「百塔の街」と呼ばれるプラハには、6月、8月、10月、1月と大体春夏秋冬訪れているが、それぞれの季節に季節感が感じられ、それが伝統と文化の色濃い歴史的な街の雰囲気とオーバーラップして、独特の中世的ムードを漂わせている。ヨーロッパでは私の最も好きな都市のひとつである。
友人たちのコメントのひとつに、BGMにはショパンのピアノ曲より、地元チェコの英雄・スメタナの「モルダウ」の方が良いのではとの声もあった。しかし、私なりの考えでは、冬のプラハのイメージとしては「モルダウ」はあまりフィットしていない。むしろ「モルダウ」は、春の曲のように思うとお応えしておいた。生意気なようだが、それでも皆さんに楽しんでいただいたように思う。
そのプラハのスライドに関して今日小中陽太郎さんからメールをいただいた。素晴らしいの一言とともに、ハベルと飲んだよとのメッセージが書かれていた。確かに小中さんは、ビロード革命により社会主義国家チェコスロバキア連邦の最後の大統領で、チェコ共和国の初代大統領にもなったハベル氏と体制崩壊後最初に会った日本人のひとりである。ハベル大統領も詩人だったから、胸襟を開き、ともに飲んだと知り、ほのぼのとした気分になった。あのハベル大統領も昨年12月に亡くなった。
今大学ゼミの恩師の追悼文集を作成中であるが、拙稿では会社への辞表提出とそれを恩師に伝えた直後に「プラハの春」が勃発して、計画していたプラハへの留学が挫折したストーリーを書いた。初めてチェコへ行った時も航空機の故障で予定が大きく変わり、プラハ市内の学校訪問が中止になった忌まわしい思い出がある。良きにつけ、悪しきにつけ、プラハは印象に残る都市である。
また、いつか訪れてみたい。
1812.2012年4月29日(日) JN協会の須田寛さんに旭日大綬章
今日は祭日「緑の日」であるが、かつての昭和天皇誕生日である。恒例により今日の朝刊に春の受勲者の名簿が発表されていたが、その最高の栄誉である旭日大綬章を受賞された4人の中に、わがNPO法人「JAPAN NOW観光情報協会」の副理事長であり、初代JR東海社長で現顧問の須田寛さんが名を連ねておられた。JN協会としても大変名誉なことであり、須田さんを知るひとりとして大変嬉しく思っている。
須田さんは私自身も理事を務めている「JAPAN NOW観光情報協会」の活動に献身的に貢献され、セミナーともなれば一年中東奔西走して講師を務められ、協会のためにご自分のお年を厭わず精力的に活動され、著名人であるにも拘わらず偉ぶらずソフトに対応される温厚な紳士である。81歳のご高齢にも拘らず、お声がかかればどこへでも出かけられるエネルギッシュな行動力には常日頃から敬服している。その須田さんが天皇陛下から直々に勲章を授かるとはご本人はもちろん、須田さんを知る人すべてにとってもこれほど誇らしいことはない。これも偏に常日頃から私心なく、観光業発展のために献身的に貢献されておられるご活躍ぶりを国から高く評価されたということだと思う。心より須田さんの受賞をお喜びしたい。
一昨年JN協会が会員の共同執筆で観光書「そこが知りたい 観光・都市・環境」を発行することになり、私は執筆者のひとりとして観光編を須田さんと共同執筆して、本書全体の1/3ほど書いたが、出版社を紹介してくれたのも須田さんであり、何くれとなくアドバイスをいただいたことも忘れられない。須田さんの益々のご活躍を祈ってやまない。
なお、旭日小綬章の受章者の中に女優の岩下志麻さんがおられた。彼女の父上で、劇団俳優だった野々村一雄氏と亡父が高等学校の同級生だったというのも何かのご縁か。なおさらに言えば、岩下さんの夫、映画監督・篠田正浩氏の最後の作品「スパイ・ゾルゲ」に出てくるゾルゲの仲間、ブランコ・ド・ブーケリッチの遺児で、現在ベオグラードより一時帰国中の山崎洋さんに来週会うのもご縁だろうか。
篠田氏には、小田実没後1周年に明治大学で開かれた小田実追悼講演会でお会いした際、同映画で山崎さんの母・山崎淑子さん(つまりブーケリッチ氏未亡人)が初めてブーケリッチに会った時着ていた服装について、映画では和装になっていたが、実際は洋装だったと山崎さんから直接聞いた事実を伝えた。すでに、それ以前に小中陽太郎さんを通して篠田氏に尋ねたところ、篠田氏は事実はそうであろうと思ったが、そこは衣装担当のデザイナー森英恵さんの強い意向を汲んで洋装に決めたと篠田氏の考えは伺っていた。
その辺りの事情については拙稿「ある女性の波乱の生涯」を参考にされたとWikipediaの「スパイ・ゾルゲ」項目に紹介されている。
いずれにせよ、どんな事象、ハプニングでも案外連鎖的につながっていくから面白い。
来月JN協会の定期総会で須田さんにお会いした時、お祝いの気持ちをお伝えしようと思っている。
1811.2012年4月28日(土) セザンヌ展を鑑賞する。
開館5周年記念の催しに六本木の国立新美術館で、フロアは違うが「セザンヌ展」と「エルミタージュ展」の二つの美術展が開かれている。今日妻と前者の「セザンヌ展」を鑑賞に出かけた。
ポール・セザンヌと言えば、学校では「静物画の巨匠」と習ったが、モネ、ルノワールら印象派後の画家として風景画や人物画を見ることも多い。風景画の中では、「サント・ヴィクトワール山」の連作がつとに知られている。
1982年10月文部省派遣茨城県教員海外視察団の添乗員として同行し、セザンヌの故郷・エックス・アン・プロヴァンスに4日間滞在して教育施設、学校を訪問した折に、エックスが生んだ巨人であるセザンヌや、彼が描いたサント・ヴィクトワール山について散々自慢話を話し聞かされ、マロニエ並木の美しいエックスからキャンバスに描かれた独特の山容である名山を遠望して、しばしセザンヌを偲んだものだ。
今日久しぶりに名画の幾点かを楽しんだが、現在この種の企画は斬新な仕掛けやアイディアが施され、割合気軽に楽しむことができる。ただ、70点ばかりあった作品は効率的に配置されてはいたが、作品に対する照明の当てかたがやや強すぎるのか画が一部に光って見え、鑑賞する立場からはちょっとまぶしいような気がした。その点では幾分見にくい点もあった。このセザンヌ展は3月から6月まで開催されているが、同時開催のエルミタージュ展は4月から7月まで観られるようなので、いずれまた訪れてエルミタージュ展も観てみたいと思っている。
さて、今朝ベオグラードの山崎さんから電話があった。25日に一時帰国して滞在先からの電話だった。来月2日に一緒に出版ニュース社の清田義昭社長を訪れることを確認した。セルビアの抒情詩人ニゴシェについて彼が共訳書として現地で出版した立派な書物の文庫本版の出版打ち合わせだが、果たして引き受けてくれる出版社が見つかるかどうか現時点ではまだ分かっていない。少しでも力になれて日本でも彼が望む文庫本で出版されたら、これに勝る喜びはない。今度の訪日では東北地方を訪問してからご両親の墓参をすると話していた。出版の話が順調にいってご両親の供養になれば申し分ないのだが・・・。