充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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1825.2012年5月12日(土) 電力料金値上げはそのまま認めて良いのか。
今年はフルブライト奨学金制度による第1回留学生が訪米してから丁度60周年に当たる記念すべき年で、フルブライト・ジャパン(日米教育委員会)がいろいろなプログラムを企画している。そのひとつに今月26日に津田塾大学千駄ヶ谷キャンパス・津田ホールで開催される「あしたを拓く」と題する公開シンポジウムがある。4部構成から成り、第1部が高校先輩のノーベル賞受賞者・根岸英一博士による基調講演で、第2部が根岸博士、アメリカ大使館公使、高校生・大学生らのパネリストによるシンポジウム「若者は発言する。あなたはどう答える?」である。このシンポジウムについては、第1期生である山本澄子さんから、ご案内をいただいたので、早速午前の第1部と第2部を申し込み登録した。楽しみにしたい。
さて、昨日東京電力が約10%の電力料金値上げを申請した。昨年12月同社西沢俊夫社長が事業者として値上げは権利であり義務であると高い所から不遜な値上げ理由を述べて、国民のみならず政府からも猛反発を招き値上げは頓挫してしまった。今度はよほど懲りたのか、おそるおそる腰を低くして値上げ内容にも特別な理由付けをして値上げを申請した。その中身は、「時間帯別料金」を採用して使用量の多い日中の料金を上げて、深夜料金を割り引くというものである。
しかし、こういう姑息な値上げという手段では、次に来るのはやはり値上げだけで、時間帯をいじくり回して効果的な料金体系を実施することになる。所詮苦肉の策で基本的には電力使用量の多い夏に発電絶対量が少ないことが原因である。ざっくり言えば、発電量を増やすか、消費量を減らすしか方法はない。原発が稼動しなくなったことで、わが国の総電力量の1/3が失われたわけで、現状では他のエネルギー発電量で少し増やし、節電するしか術はない。
ただ、節電を言われている割には、節電をすれば何とか間に合ってしまう摩訶不思議がある。昨年の例を調べてみれば分かる。足りてしまうのである。結局数字的根拠が、東電のいい加減な計算根拠に基づいているために、狼少年になっていることである。絶対量が不足しているのは現実であるが、東電自体の合理化はどうなっているのか。速やかに所有資産を売却すると公約しながら、まだほんの2割程度しか約束を果たしていない。台風が通り過ぎるのを待って、売却は口約束だけで済まそうとしているように見える。今年の夏も節電が叫ばれているが、実際にはどのくらい不足するのか正確なことは分からない。夏が終わったら「親方日の丸会社」=「東京電力株式会社」のいい加減さが多分はっきりするだろう。
1824.2012年5月11日(金) 爆弾テロでシリアは内戦状態突入か。
今朝の朝日新聞一面トップ記事「シリア首都 大規模爆発」を目にして、いよいよ内戦勃発かと思った。ダマスカス市内の政府情報機関ビルへの爆弾テロにより、55人が死亡した。恐れていた全面的内戦の可能性が出てきた。
昨年後半から、シリア国内における反体制派に対する政府側の弾圧は益々エスカレートして、反体制派の拠点であるホルムズは無差別攻撃により無残に破壊されている。アサド大統領の反体制派に対する執拗なまでの強硬策には、手の施しようがない。国連制裁の決議もシリアと利権関係にあるロシアと中国の反対で実施されず、国連の力の限界を思い知らされている。昨日のテロが体制派による偽装攻撃か、或いは反体制派によるものかはっきり分からない。ついに火種がアサド政権の本丸である首都に飛び火してきたのだ。ダマスカスで過去最大規模の爆発が起きたことで国連も停戦監視活動の見直しを迫られることになりそうだ。
先月末から国連平和維持活動(PKO)の監視要員が停戦監視を展開しているが、停戦は成立していない。国連とアラブ連盟の合同特使を務めるアナン前国連事務総長が現地入りをして政府側と反政府側に接触して説得しているが、効果は上がらない。
シリア国内ではイラクのフセイン政権が崩壊した当時のスンニー派とシーア派の宗派対立に、アルカイダが加わる形の内戦状態が再現されるのではないかとの憶測も飛び交っている。
個人的に若干気になるのは、来月3日から渦中のシリアと国境を接している南隣のヨルダンを訪問する予定を立てたからである。本当はできれば、シリアの世界遺産「パルミラ遺跡」をぜひ見てみたかった。2月に日本旅行作家協会会長の下重暁子さんからパルミラ遺跡はぜひ訪れるべきだと強く薦められた。しかし、内乱のような危なっかしい事態になってきたので、シリアは諦めてヨルダンとアラブの敵対国イスラエルを訪れることに決めた。
ヨルダン訪問は実に45年ぶりであるが、前回訪れた時迂闊にも十数名のヨルダン軍兵士に不意に身柄を拘束された苦い経験があるので、今度は拘束された現場を慎重にしっかり検証してきたいと思っている。世界遺産「ペトラ遺跡」と死海、エルサレムの「嘆きの壁」と「岩のドーム」、聖墳墓教会、ベツレヘムの聖誕教会を見られるので、大いに楽しみにしているが、当初肝心要のアンマン市内の滞在時間がなく、身柄拘束されたスポットやコロッセオを訪れる時間がないので、ツアーとは別行動を取りアンマンの滞在を1日付け加えてひとりでアンマン市内をゆっくり見てくるつもりだ。昨日アブダビ航空の帰路のフライトも何とかコンファームされたので、楽しみにしている。
やや気がかりなのは、現在熱くなっているシリア国内が今後内戦状態に陥って、シリアから難民がヨルダンへ逃げ込んでヨルダン国内に混乱をもたらさないかという点である。
さて、2週間前にかかりつけの松本整形外科医で検査してもらったCRPと骨密度の結果は、前者については0.71で、前回の0.36からまた逆戻りで僅かながら悪くなってしまった。後者については、0.775(g/c㎡)で同年齢者の平均骨密度に比較して112%、若者のそれに比較しても100%という好結果だった。前者の結果から相変わらず膝の周辺部分にたんぱく質が溜まっているようだ。自覚症状はないので、あまり気にすることはないようだが、どうも気に入らない。節制に努めているのだが、このCRPについては、もう5年の間行きつ戻りつの宙ぶらりんの状態だ。また、1ヶ月半後にどんな結果になるのだろうか、早くこの憂鬱な状況から逃げ出したいものである。
後者については、前者の結果を良くするために服用しているステロイド系のプレドニン錠が、あまり過剰だと骨が弱まる副作用の懸念から骨粗しょう症の検査をしたものだ。結果は骨にはまったく異常がないと分かり一安心である。やはり子どもの頃から、毎日牛乳を飲んでいたことが丈夫な骨に効果があったのではないかと考えている。その点で明治乳業に永年勤務し、子どもの時から牛乳を飲むよう勧めてくれた亡父に感謝である。
1823.2012年5月10日(木) 国会議員の海外出張に厳しい眼を
国民に負担を強いるばかりで、自分たちは一向に重荷を背負おうとしない代表例として官僚と政治家がいる。その政治家、中でも国会議員の海外出張費が国民感情を逆撫でするかの如く、大幅に増額されようとしている。国民の気持ちとすれば、かつて社長の座を役員会で突然解任された岡田茂・三越社長が「なぜだ?」と喚いた岡田社長と同じように、「なぜだ?」と叫びたい気持ちである。
国会議員の海外出張費用は年間、衆議院4億4100万円、参議院1億1200万円であるが、これを一気に5倍増に増額しようと密かに検討されている。こんな国家財政が厳しい時期に自分たちだけが特権によって大盤振舞で甘い汁を吸おうと企らむ神経がどうにも分からない。目に余る行為である。これをメディアが報道しようとしない。これも理解できないし、政治家と同罪である。
国会議員の海外公務出張に関しては、これまでにもその効果にとかくの風評や批判があった。曰く物見遊山ではないかとか、或いは選挙民に対して未熟な知力の箔づけを狙った選挙運動ではないかとか、姦しい噂話に晒されていた。
私自身いくつかの衆議院委員会委員の海外出張をお世話した経験からみると、率直に言って外国を見ることは異なる視点から物事を見られる等のメリットや、「百聞は一見に如かず」の諺通り、無駄とは思わない。目的やその方法、そして出張者にそれなりの見識があれば効果は上がると思う。だが、財政が苦しい中で投資する費用と得られるであろう諸々のメリットを量りにかけ、国会議員の海外出張を対費用効果の面から考えれば、残念ながら得ることの方が遥かに少ないと思う。
かつて出発前の打ち合わせ会に出席した時、出張する代議士の事前勉強不足と未熟な知識からまったく打ち合わせにならず、その場を懇親会に切り替えた例もある。あんなノーテンキぶりで外国の議員にどんな質問をして、成果を収めることができるのだろうかと不安に駆られたこともある。出張報告書は随行員が書くからとあっけらかんと語った代議士もいた。
ある代議士のケースは、日本の全権大使が晩餐会を催してくれても日程が合わなければ、「好意は謝したうえで断る」などと、最初から大使が代議士の日程に合わせろと言わんばかりの不遜な発言が出てびっくりしたこともあった。
また、環境委員会一行のライン川観光では、「観光船上から川の汚染状態をチェックする」というのが観光をカムフラージュした視察の言い訳だった。科学的な汚染調査などより楽しいラインクルーズ観光先にありきだった。
更にこんなこともあった。東西の壁崩壊前に東ドイツへ向かったある衆議院委員会一行が、ベルリンのチャーリー検問所まで来ていながら東ベルリンへ入国せず、Uターンした驚天動地の事例があった。翌日衆議院事務局からなぜ先生方一行が東ドイツへ行けなかったのか。取得したビザに問題があったのではないかと問い詰められ、詳しい事情が分からず困惑したことがあった。入国しなかった原因はあまりにもお粗末な議員個人のわがままから生まれたのだった。ある有力議員が検問所で兵士に身体を触れられたことは、国家を代表する国会議員に対して失礼な行為で不愉快だと憤慨して、団長に対してこの場で入国を止め即刻引き返すべきだと強硬に主張して、一行全員が非常識にも東ドイツへの入国を直前になって取り止めたのである。東ベルリン側で待機していた東ドイツ駐在日本大使館員も面くらい、なぜ議員一行が入国して来ないのか、その場では原因が分からず、外務省へ緊急連絡して、入国できなかった真相が判明するまで一時は大騒ぎだった。まるでやることが子どもだった。
すべてがこれほど酷いわけではないが、国会議員の海外出張で馬鹿馬鹿しいことは他にいくらもあった。国民感覚から推して国会議員の海外出張が国家、国民のために役立っているとは到底思えない。まったく効果なしとは言わないが、むしろ、非常識、恥さらし、無駄使いと呼んで当たらずとも遠からずだったと思う。
それがこの苦しい財政事情の中で大幅に予算を増やそうというのだから、国会議員というのは一体何を考えているのか。国のために働かず、自らの欲得のために動き、小遣い稼ぎをして遊びまわる輩と決め付けても罰は当たらないような気がする。それにしても国会議員の貧困な知的レベルと低次元の行動様式は推して知るべしで、目を覆いたくなる。
さて、国会議員とはまったく関係ない話だが、今日は我々夫婦の43回目の結婚記念日である。新婚旅行で11日間もタイと香港をぶらぶらしていたが、バンコックのホテルでは由紀さおりの♪夜明けのスキャット♪がしばしば耳に入ってきた。その曲を東北で由紀さおりが歌っているのを今日偶然にもテレビで観た。あれは1969年だった。現在孫を4人持つ身になった。光陰矢の如しである。
1822.2012年5月9日(水) 小沢一郎・民主党元代表、控訴審へ
民主党は東京地裁で無罪判決(求刑禁固3年)となった小沢一郎・民主党元代表の党員資格停止処分の解除を昨日決定した。政治資金規正法違反で検察審査会によって追起訴されたことを受け、昨年2月民主党は小沢氏の党員停止処分を課していた。
法律上これで小沢氏の容疑は一応晴れて刑事被告人の衣を脱ぐことになった。ただ、検察官役を果たした指定弁護士は、無罪判決に対して控訴するか否かをまだ決めかねている。場合によっては小沢氏がまた刑事被告人になる可能性もあるわけである。そのタイムリミットは明日10日である。
潔白が最終的に確定しないのに、民主党はなぜこの時点で処分解除を急ぐ必要があるのだろうか。しかも元秘書の虚偽記載を認め、小沢氏がその報告を受けていたと認定しながら、ただ共謀の証拠はないとの一点だけで無罪判決が下されたのだ。これでは誰が考えても限りなく黒に近いグレイであろう。野党側からも、元秘書による政治資金収支報告書への虚偽記載が認定されたことによって、小沢氏の監督責任は免れないと指摘されている。更にその疑惑に対して説明責任を果たすべきであり、また無実というのであれば、証人喚問にも積極的に応じるべきであると追求されている。
民主党幹事会が処分の解除を急いだ理由は、小沢グループの党幹部が小沢復権を策し、消費増税を止めることを口実にグループの結束を固めて党内で主導権を握ろうと画策した策略のひとつである。強く消費増税反対を主張する小沢氏とそのグループは、衆議院議席過半数240のうち、実に1/3の約80人を数える党内最大派閥である。参議院にしても過半数121議席のうち、1/4の約30人を占めている。小沢グループの賛成、或いは野党との合意形成が得られなければ、政府にとって法律一つだって国会を通過しない厳しい現実がある。党内幹事会を主導的にリードして処分解除を決めたのは、輿石東幹事長である。彼もまた小沢氏の息がかかっている。
結局すべてが内輪の論理でことが運ばれているのである。これに対して小沢氏本人がメディアに自らの考えを述べるでもなし、周囲の親しい同士に礼を言っているだけである。国民には何も語らず、小沢氏は一体誰のために政治活動を行っているのか。
と、ここまで書いてきたところ、慌しく「指定弁護人、小沢元代表無罪判決に対して控訴へ」とのニュース発表があった。これで小沢氏は再び刑事被告人へ逆戻りである。だが、昨日決めたばかりの小沢氏の党員資格停止処分解除はそのまま承認され、小沢氏は一民主党員として活動することができる。しかし、これで国民は果たして納得することができるだろうか? 刑事被告人がのうのうと国会の議席に座り、背後で操って、上手くすると次の党代表選で勝利を収めて、日本国総理大臣の座に就くことだって考えられないわけではない。考えたくもないが、刑事被告人が総理大臣になることだってあり得るのだ。
指定弁護士3人はそれぞれ控訴すべきか否か、悩みに悩んだようだ。協議の末、東京地裁の事実認定には誤認があると最終的に判断し、控訴審では有罪判決を得られる見込みがあることと、民意を受けた強制起訴であることなどを総合的に考慮して、控訴審で改めて判断を求めたとみられている。
とにかく、これで再び党内にも政党間にも軋轢が生まれ、政治は益々停滞し、世界の中で日本は置いていかれるのである。この結果責任は政治家が取ってくれるのだろうか。
1821.2012年5月8日(火) 橋下市長の豪腕ぶりに戸惑う周囲
橋下徹・大阪市長率いる大阪維新の会の過激な行動が、良い意味でも悪い意味でも大きな話題を呼んでいる。維新政治塾を開講し、次の総選挙に数多くの候補者を立て国政へ自分たちの考えを反映させようとしている。その一方で、国民の間には国政が停滞したまま一向にぱっとしない閉塞状況に風穴を開ける期待感もある。
しかし、現在地元大阪市で実行されようとしている政策の中には、はてなと首を傾げたくなるようなパフォーマンスも見られる。これまでにも橋下市政にはやや過激と思われる「命令」や方針があった。ぬるま湯に浸かった「なあなあ」の労使関係、赤字垂れ流しの市営バスの民営化、職員が子どもに見せつけた刺青、等々の改革と是正はほどほどに評価されている。だが、公立学校の君が代斉唱や、ナチ・ドイツの秘密組織や、旧ソ連のKGBもどきの監視、特に国歌を歌わなかった教職員に対する陰険な監視や、市役所職員のメール交信記録のチェックにはおぞましさと恐怖感すら憶える。
とりわけ橋下市長は教育問題に強い関心を寄せている。それがつい有無を言わせぬ強い発言になり、教育委員会に対して職権乱用を思わせる行動を取り、カチンときた教育長が辞表を提出する騒ぎとなったのもつい最近のことである。
その「大阪維新の会」大阪市議団が市議会に提案する予定だった「家庭教育支援条例案」に、子どもの発達障害の原因を親の愛情不足と決め付けたり、伝統的子育てが予防できるとする記述があり、保護者で作る団体らが「偏見を助長する」と提案見送りを要請し、市議団は謝罪し白紙撤回を決めた。これらについては、専門家からも医学的に発達障害と愛情とは関係ないとして、条例が成立すれば親がいわれのない差別を受けると批判的だった。
これについて橋下市長は、「発達障害を抱える子を持つ母が愛情欠如しているというのは違う」と市議団とは違う見解を出してすり抜けようとしているが、梯子を外された格好の市議団にとっては面白くないだろう。自分に都合の良いことは声を大にして叫びまわるが、間違ったり都合が悪くなると他人を踏み台にしても逃げようとする橋下市長の本心が垣間見えた感じである。
もうひとつ今、物議を醸している大阪市音楽団の今年度内の廃止問題がある。市は年間4億3千万円の赤字団体を苦しい財政事情から今年度限りで解散すると一方的に伝えた。突然無駄な経費として槍玉に挙げられた40名近い楽団員にとっては時間的な猶予を与えられず、一刀両断の下に排除しようとする行動規範はあまりにも情けに欠け、楽団にも戸惑いは隠せない。外部からはよく分からない点もあるが、聞けば年間100回近いコンサートをこなし、学校や公の施設で奉仕活動を行っているらしい。市長が解散したいとの主旨は分からないでもないが、どうも漸進的な柔らかい手段を取らず、市政財務の回復のために予算を一発で切っている。私立幼稚園、小中高に対する補助金も打ち切るそうで、関係者にかなり波紋を投げかけている。
国を良くしようと国政へ進出する御仁が、バッタバッタと人を切り倒すのはいかがなものだろうか。もう少しやり方を考えた方が良いのではないかと思うのだが・・・。
さて、今朝新聞の死亡公告欄に懐かしい人の名前を見つけた。梶木隆一・東京外国語大学名誉教授である。享年101歳だそうである。我々世代の受験生がラジオで受験英語を学んだ時の英語講師である。日本中の受験生が聞き漏らすまいと神経を集中させた講師の一人である。確か♪大学祝典序曲♪で始まる旺文社提供の受験講座の英語だった。大学に入ってからはとんとご無沙汰してしまったが、受験勉強ではほぼ毎日のように真剣にラジオに耳を傾けていたものだった。もう半世紀以上も昔のことだ。個人的なお付き合いはなかったが、あの梶木先生の訃報を知るとは、受験の苦しさとともに懐かしさも一入である。