ブログ・ご意見番の意見

 充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。

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1850.2012年6月6日(水) 「死海」で浮遊体験を楽しむ。

 2日間かなりハードな行動だったので、やや疲労気味だ。夜になってこのブログを書き終えるとぐったりとなってすぐ床に就いてしまう。

 今朝はホテルを発つ前にコテージを下りて目の前の「死海」海岸で浮遊体験を楽しんだ。身体が浮くということ自体は、この湖の塩分が30%と極めて高いことから理論的には理解できるが、浮遊が実際にどういう感覚なのか、今までどうもぴんとこなかった。

 ところが、身体を水に浸からせると当たり前だが本当に身体が浮いてしまう。特に両足が浮いて寝たままの状態でいつまでもじっとしていることができる。浮いたままの状態で手足を上げても大丈夫なのだ。やっと理論的にも感覚的にも納得することができた。しかし、それにしても不思議な国のアリスの気持ちである。まあ、他人には中々体験できないことを試すことができて満足している。今日久しぶりに身につけた赤い海水パンツは、1983年にアマゾン川で泳いだ時に地元で買ったものだ。物持ちが良いのか、普段泳がなくなったせいだろうか。

 今日はいよいよ陸路でイスラエルへ入国する。近くにある辺鄙なところに国境検問所がある。ヨルダン側の出国手続きはごった返す出国者に巻き込まれて疲れたが、あまり問題はなかった。問題はイスラエルの入国手続きである。イスラエルでは散々待たされた結果漸く全員無事に入国することができた。国境を越えたとは言え、それほど環境に違いがあるわけでない。ただし、ヨルダンを離れるに際して、ヨルダンのバスとガイド役目は終わり、バスとガイドは替わった。Ra’edさんたちとは明後日再び待ち合わせることを約束して別れた。

 イスラエルのガイドはシュタイン・朋子さん。早速国境から首都エルサレム市内へ向かい、オリーブ山からパレスチナ自治区と旧市街全貌を眺める。岩のドームがとりわけ目立つ。ガイドさんのパネルを使用した、イスラエルの歴史と現状の説明が分かりやすく、大変参考になった。

 エルサレムというと、やはり私自身どうしてもたった6日間で決着がついた第3次中東戦争を思い出す。あの時、イスラエルは勝利者の倣いとして①ヨルダン川以西、②ゴラン高原、③シナイ半島、を戦果として占領し、今も①と②についてはイスラエルの占領下にある。まだ、分からないがガイドさんの話では①については、ヨルダン政府にそれほど取り戻す気持ちがないようだとの話には何だか割り切れない気持ちである。占領地区に住むアラブ人の本音を探り出して聞いてみたいものだ。

 イスラエルと言えば、何となく先入観として持っているのが、発達した先進国家のイメージである。それが市内の交通インフラがまるでダメで、車の渋滞というより、低い交通モラルには少々呆気にとられるほどである。そして想像していなかったことだが、坂が多い。狭い道路とアップダウン、そして駐車スペースが不足しているせいだろうか、あちこちでクラクションを鳴らす音がけたたましい。

 何となく慌しい中に1日が終わったような印象である。

2012年6月6日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1849.2012年6月5日(火) ペトラ遺跡観光は疲れるが、素晴らしい。

 夕べオプショナル・ツアーでペトラ遺跡でも最も知られた宝物殿エル・カズネを見学したが、真っ暗闇の中を幽かに写真で知るエル・カズネを見ただけだった。今日は期待感に胸を膨らませて朝8時にホテルを歩いて出た。まずそのエル・カズネを目指す。本物を間近に見てみると、何とも言えない厳かな気持ちに捉われる。更にその奥先へ向かう。岩山の階段が990段もあることから、昨日来やや疲れ気味でもあったので、ロバに乗ることにした。ロバの背で振り落とされまいと必死になってしがみついていたが、細い岩山を登り下を見れば谷底も見え、少々怖い感じもした。帰りもロバに乗っても良かったのだが、岩山の下りには流石に恐れをなし危険を避け止めることにした。

 ペトラ遺跡というと決まってエル・カズネの絵が紹介されるが、周辺渓谷跡に残された数々のお墓、神殿、その他の古代ナバテア人の遺跡と環境が素晴らしい。中には排水溝や彫刻の残滓もある。まだまだ考古学上貴重な遺跡が発掘される可能性を秘めているが、予算的に苦しくて思うように手が回らないようだ。

 エル・カズネから奥入った岩山は登るに従って景色が良くなってくる。アメリカのグランド・キャニオンと比較してもスケールでこそとても太刀打ちできないが、歴史と文化の遺産が数多く残され、総合的に見て決してひけを取るものではないと思う。ホテルへ戻ってきたら午後3時前で、昼食を挟んで歩きっ放しだったので疲れた。流石に疲れたその哀れな歩き方が一目で分かるのか、馬車、ロバ、馬の業者から利用しないかとの呼びかけの声を散々かけられた。今日は万歩計で2万歩を越えていた。

 ペトラ遺跡の素晴らしさはとても口には言い表せない。あまり日本人観光客の姿は見かけなかったが、欧米人がかなり押し寄せているようだ。とにかくこれで私自身世界遺産見学も160箇所になったし、「新世界7不思議」の7箇所もすべて征服した。世界遺産関係の講義を引き受けることが多くなったが、今後はこれに新世界7不思議も取り混ぜて幅広い内容で話せるのではないかと考えている。

 ペトラの地を去って今日の宿泊予定地「死海」へ向かう。相変わらずの炎天下をバスは砂礫の砂漠の中をひた走りに走る。アンマンから死海へ向かう道すがら大峡谷の一方の土手を約900mも下り出す。何でもこの広く深い谷は、南下すればアフリカ大地溝帯につながるという。随分スケールの大きな谷間で途中に珍しい標識が見られた。何と海抜0mとある。これから更にバスは下る。結局海抜-400mの死海に辿り着いた。我々は海面より深い場所に一夜の宿を取ることになった。

 中々立派なリゾートホテルで昨日と同じMOVENPICKである。各部屋が特殊な配列になっていて、ガーデンを横切り、海岸近くに部屋がある。このコテージの部屋のベランダから真正面に死海とその遥か向こうにイスラエルのパレスチナ地区の影を捉えることができる。明日はいよいよ念願のイスラエルに初めて入国する。期待はいやがうえにも高まってくる。

2012年6月5日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1848.2012年6月4日(月) 45年ぶりのアンマンは?

 長い旅路の末、乗り換え空港・アブダビへ来て、待合室で約4時間のアンマン行出発待ちである。相当しびれを切らしたころ、漸く憧れ?のアンマン行フライトに搭乗することになった。アラブ首長国連邦のナショナルフラッグ・キャリアのエティ・ハド航空は6年前に日本に乗り入れたらしいが、どちらかというとドバイにあるエミレーツ航空の方が知られている。機内の冷房が効きすぎて寒く、薄いセーターを持ち込んだので、どうにか寒さには耐えることができた。

 比較的ダウンタウンに近かったアンマン空港は以前とはまるで様子が違っていた。場所が移ったのだ。あの薄暗かった安普請の空港建物は近代的なビルに変わっていた。従って45年前の面影はまったくない。

 同行者は10人にJTB女性添乗員保坂さんが一緒である。ヨルダンでは英語ガイドの‘Ra’ed Salimさんが出迎えてくれた。すぐさまマダバへ向かう。首都アンマンに次ぐヨルダン第二の都市である。イスラム教を国教としているが、このマダバにはキリスト教徒も多い。

 最初に訪れたのは、ネボ山。出エジプト記で知られるモーゼがエジプトからユダヤ教徒60万人を率いて40年間かけて辿り着いたところで、ユダヤ教徒にとっては有難味に触れることができる。その石碑の傍で巡礼者のグループであろうか、谷間へ向かって朗読のようなことをしていた。高台から遥かに死海とヨルダン川を望むことができる。

 このマダバという街はモザイクの生産でも知られている。普通のタイルではなく、自然石からモザイク製品を作っているが、ことの始まりは聖ジョージ教会のモザイクである。

 首都アンマン市内を通過しないので、アンマンの印象は何とも言えない。今日バスはそのままペトラへ進んだ。世界遺産としても、また新7世界不思議のひとつとしても大いに楽しみにしている。ところが、今日ナイトツアーとしてペトラ遺跡のエル・カズネまで夜道を散歩する仕掛けがあるという。もちろん参加した。結果的にはやや期待を裏切った。まあ明日以降の楽しみが深まったと思えばいい。

2012年6月4日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1847.2012年6月3日(日) 自らに、‘Bon Voyage!’

 この1ヶ月間国会では何ひとつ法案が通らず、国会では小田原評定を繰り返すだけである。ヨーロッパ経済、特にギリシャとスペイン経済は行き詰まり、ギリシャの如きはEUを離脱するのではないかと囁かれている。日本でも3ヶ月ぶりの株価の極端な低落である。その中で昨日東京と上海の外為市場で円と人民元との直接取引が始まり、1元=12円33銭のレートが示された。されど一向に景気の良い話は聞こえてこない。

 そんな中でシリアの社会混乱は熾烈を極めてきた。そのシリアと第3次中東戦争当時国家連合を結成し、お互いに国名を「アラブ連合」と名乗った一方のエジプトでは、昨日失脚したムバラク前大統領が昨年反政権デモ参加者への発砲を命じ、800人以上が死亡したとして殺人罪に問われ終身刑の判決が言い渡された。まだ、死刑を求刑した検察側と弁護側双方とも控訴すると見られているので、裁判は継続するが、そのムバラク氏の下で首相を務めた人物が今月中旬のエジプト大統領選の決戦投票で国民の信を問うというのだから、何をかいわんやである。

 ともかく、これからヨルダンへ向かう。アラブ首長国連邦の首都・アブダビを経由してエティ・ハド航空でアンマンへ発つ。宿泊予定のホテルには部分的にしかインターネットサービスが使用できないようなので、毎日書き込むこのブログもHPにアップできないのではないかと気にかかるが、何とか書き込めるようトライしたい。久しぶりのアラブ、そして長距離飛行だが、若気の至りだろうか、どうも興奮を抑えきれない。

 所期の目標であるアンマン市内で45年前に身柄拘束された現場での検証を始めとして、世界三大塩水湖「死海」(これで三大塩水湖すべて征服)、ペトラ遺跡(これにより「新・世界7不思議」すべてを訪問)を訊ねて新たな個人記録を達成し、思い出に残る、楽しい旅行であることをヤハヴェとアラーにお祈りしたい。

 国内の政治的閉塞状況が気がかりではあるが、自らに、‘Bon Voyage!’

2012年6月3日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1846.2012年6月2日(土) 大飯原発再稼動は各首長の思惑によるものではないか。

 福井県大飯原発再稼動について、何やらただならぬ暗躍と政府筋からの陰湿な圧力があったようで、急速に安全性と危険性を憂慮した反原発の動きが萎えてしまった。そもそも空気が変わったのは、関西広域連合が限定期間付で再稼動を容認してからである。中でも大飯原発から立地的に最も遠い和歌山県の知事が、最初に積極的に容認すると発言した辺りからである。現状では再稼動を疑問視して、最も慎重だった京都府と滋賀県両知事も追認するように夏の電力最大消費時期のみ再稼動を容認すると発表した。

 これまで再稼動に反対を唱えていた腹に一物の橋下徹・大阪市長の豹変は予想されていたが、比較的強硬に反対していたと思われていた山田啓二・京都府知事と嘉田由紀子・滋賀県知事の後退というより、変節は理解し難いと考えていたところ、インターネット上で産経新聞朝刊が「『反原発』強硬知事が‘変節’した理由」として苦しい内情を赤裸々に解説している。

 一言で言えば、両知事は経済界から総スカンを食らったことのようだ。特に滋賀県では県内の19首長らは、嘉田知事が山田知事とともに政府に突きつけた脱原発依存社会への7項目の提案が事前に話がなかったとして強い不満を述べ、彦根市長の如きは謝罪まで要求する有様である。知事が真意をいくら説明しても市町村長らとの距離が縮まることはなかった。さもありなむ事実を知ったが、滋賀県は産業用の電力消費が多く、関西電力管内の産業用電力消費量の割合が約38%であるのに対して、滋賀県のそれは約58%が産業用だという。その典型は県内第2次産業の割合が41%で、全国第1位の企業城下県だそうだ。これでは、知事も県内経済界の声を無視できなかったのに違いない。

 嘉田知事の「節電は電気料金が節約できるため、マイナスばかりではない」とか、「経済は大事だが、原発事故で住めなくなったら何もならない」の真っ当な意見はどこかへ押しやられてしまった。理想や理念は素晴らしくても、例え危険性を伴っても経済のパワーには勝てないということだろうか。経済界に何ら寄与していない現在の自分自身が、原発反対を唱えるのも経済界の一部に言わせれば「原発再稼動に口出しするな」ということになるのだろうか。

 しかし、ちょっと待ってもらいたい。現状では原発再稼動は関西エリアだけがGOサインを示した。その他のエリアでは節電を実行しようとしている。関西以外では現在のところ、この夏の暑さに対して我慢に我慢をして耐え抜いて最盛期の2ヶ月を乗り切ろうとしている。そこには無駄を排除しようという純真な気持ちも芽生える。それよりこれでは折角節電しようと考えていた関西人の気持ちだって拍子抜けではないか。関西広域連合には、経済優先のあまり「もったいない」の気持ちを斟酌しようとの気持ちが感じられない。経済力がすべてを支配するとの思い上がった気持ちがあるのではないか。

 関西経済界のお歴々に質問を呈したい。ならば、原発稼動によって排出される使用済み核燃料をどのように処理しようというのか。稼動すればするほど今後10万年もの長期間に亘って核のゴミが溜まり、処理する方法もなく、置き場所もなく、地上で危険に晒されたまま大金を投資して当てもなく監視していくのだろうか。

 各首長には、経済団体の支援がなければ選挙で当選もおぼつかないと聞く。結局いくらきれいごとを言っても、自らの利己主義から国民を放射能の危険に晒すことに協力しているだけではないのか。

2012年6月2日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com