ブログ・ご意見番の意見

 充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。

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1855.2012年6月11日(月) 大飯原発再稼動の政治的プロセス

 今日最初にやるべきことは肛門科で痔の症状を診てもらい、治療してもらうことだ。早いに越したことはないと妻に定例のコーラスの練習をキャンセルしてもらい、新幹線・新横浜駅前のクリニックまで車で送ってもらった。医師の診断は、患部が腫れているので薬で試してその後様子を診て再検査をしようということだった。医師の強烈なアドバイスは、極力座らないということだが、それが中々難しい。普段座って仕事をすることが多いので、これではパソコンも使えず生活のペースも乱される。PCは立ったまま打ち、後は寝ころびながら溜まった新聞をむさぼり読むしかない。当分こんな生活を送るのかと思うとぞっとする。

 新聞を開くとどうだ!心配していた大飯原発再稼動について野田政権はすでにGOサインを発し、近々地元福井県議会の承認が得られれば、正式にスイッチが入る。この再稼動までのプロセスがどうもすっきりしない。旅行出発前から懸念していたように、関係者はみんな責任を取りたくない気持ちがミエミエである。西川一誠・福井県知事は再開に関しては、地元の同意を得ることが条件と公言し、自らが地元福井県民の同意を得ようということではなく、政府のバックアップを得て世論を盛り上げて再稼動しやすい環境づくりを考えている。つまり政府の再稼動容認により再稼動の空気を作ったところで、議会の再稼動同意の議決を勝ち取り、「福井県民再稼動に同意」のムードへ持ち込もうとする。

 結局大飯原発再稼動について、住民の理解を得るとの建前は、自治体トップが再稼動したいとの希望を他人の手を借りてまんまと思惑通りにことを運ぶ、いやらしい手法によって実現される。

 どうもこの世の中に直球勝負が少なくなってきた。

2012年6月11日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1854.2012年6月10日(日) 無事帰って参りました。

 ほぼ予定通り成田空港へ帰ってきた。痔の具合が捗々しくないので座ったままの長距離便は堪える。運よく機内は比較的空席が多かったので、横になることができて救われた。幸い日曜日のため居候中の長男が車で空港へ迎えに来てくれたので助かった。

 隣席に若い外国人女性が座った。欧米系の女性と思いきや、何とヨルダン人だった。これから東海村へ研修に行くと言う。率直に訊ねたら原子力発電の研修だという。20日間の研修期間中に福島にも、その他の古都にも訪ねたいと言っていたが、あまり細かいことを聞くのは憚られたので通り一遍の話しかできなかった。ただ、我々が知らないところで、原子力に関する研究とか、研修はどんどん進められているのだと感じた。ヨルダンの発電能力を考えるとやはり一番手っ取り早いのは、原子力発電になるのだろう。それだけに安易に原発開発、稼動へ国が向かっていくことに不安もある。彼女との短い会話を通して発展途上国の資源エネルギーについてしばし考えさせられた。

 さて、やっと念願のヨルダン参りを終えてすっきりした。45年前は若さだけで、怖いもの知らずのまま危険の中へ入っていった。今それほどの勇気はない。それだけに当時自分だけの考えで海外武者修行をやって、破天荒な体験をしたことが、その後の自分の人生に大きな財産になったと考えている。今回臨場感溢れる現場を改めて踏むことができて、印象深い旅となった。これをまた今後に生かしたいと思っている。

2012年6月10日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1853.2012年6月9日(土) 45年前の鮮烈体験の丘に立つ。

 朝起きて窓の下を見ると昨日あれだけ賑やかだった市場がテントごときれいさっぱり撤去されていた。安息日だった昨日一日だけの青空市場だそうだ。

 10時にホテルロビーで待っているとムハマッドさんが車で迎えに来てくれた。早速ダウンタウンの中心街にある古代ローマ劇場を見学する。忘れもしない懐かしい劇場である。あの時はこの前で写真を撮った。通りを隔てて建っていた「ホテル・アルカサール」は完全になくなっていた。ムハマッドさんに聞くと、この通りに面した古い建物はほとんど壊され建て直されているという。実際残っている小さなホテルは建物自体が今にも崩壊しそうなくらい危ない建物だ。

 身柄拘束された現場の正確な場所は新しい住居も建設されてとうとう分からなかったが、その周辺をぶらついて丘のスポットを見当つけて登った。とても正確とは言えないが、当時の状況を完全には思い出せない以上大体の場所で納得するより仕方ない。街の全体的な感じとしては戦争当時の面影があったので、まあそんなところで我慢するしかない。

 当時は怖そうな十数名の兵士にあっという間に銃を突きつけられたが、今日は平和な中であどけない子どもたちに囲まれた。やはり現場に来て青春の一駒を思い出し、本当に良かったと思っている。ガイドを含めて知り合ったヨルダンの人々はお世辞もあるだろうが、私が当時の体験談を話すと強い興味を示してくれ、細かいことまで聞いてきた。彼らにとって第三次中東戦争は歴史上大きなでき事であるが、現実にそれを知っている人はヨルダンでも少なくなっている。やはり歩いてみると当時とは異なった臨場感を感じる。感慨深かったし来てみて、環境はがらりと変わったが、気にかかっていた45年間の空白を埋めてくれるものだった。

 ダウンタウンで衣料洋品店を営んでいるムハマッドさんの従兄弟の店を訪ねて、周辺の様子を聞いた際、彼の机の上に置かれた新聞が気になった。文字はアラビア語だが、大きな写真は大飯原発再稼動反対のデモの光景である。出発前にそうなるのではないかと悪い予感がしていたが、結局野田内閣は再稼動へ踏み切ったようだ。原発問題は今では日本だけの問題ではなくなっているのだとの認識が少し足りないように思う。ヨルダンと日本のサッカーのワールドカップ最終予選で、6-0の一方的な負け方をしたヨルダン・チームのだらしなさを大げさに嘆いていたのも、面白かった。

 ムハマッドさんが展望の良く効くシタデルへ車を走らせてくれ、アンマンの市街をパノラマ形式で楽しむことができて、45年ぶりに青春時代の危なかったシーンを改めて感じて感慨無量である。今日一日の印象は多分一生忘れないだろう。

 ベドウィン族の食事を提供するレストランで昼食を終えてから、空港へ向かったが、ここも出国のセキュリティ・チェックは厳しい。漸くアブダビ行のフライトに乗って帰国の途へ就く。

2012年6月9日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1852.2012年6月8日(金) 再びヨルダンへ入国する。

 今日はイスラム教の安息日である。市内はいつもより車が少ないように見える。いよいよツアー帰国の当日となった。尤も私はツアーから離れて個人行動に移るので、ツアー同行者とは感慨は違う。ホテルをチェックアウトの際電話代を支払い、絵葉書の切手を購入しようとしたら、ホテルでは郵便切手は取り扱わないという。売店で買えというわけだが、その売店が店開きをしていない。24時間サービスを建前としているホテルとしては、少々顧客サービスの面で問題があるのではないかと思う。結局ガイドの朋子さんに切手代を添えて投函をお願いすることにした。

 ホテルから国境へ向かう。国境検問所へ向かう途中で、‘SEA LEVEL’地点で停車する。ヨルダンと同様にどうも山中に0mというのがあまり日本人にはぴんとこない。そのほかに砂漠の中に遊牧民族ベドウィン族のテントをところどころ見ることができる。アラビアの遊牧民は、その昔朝日新聞に連載された本多勝一氏のルポが懐かしい。

 さて、検問所では相変わらずイスラエル出国手続きとヨルダン入国手続きでごった返して随分時間がかかる。こればかりは国の仕事であるから、外の人間がとやかく言うのは憚られるが、それにしても「無駄」に近い時間の浪費である。それにイスラエルの出国税が一人46$とはべらぼうな金額ではないだろうか。こんな高い出国税は聞いたことがない。流石ユダヤ商人と言っては言い過ぎだろうか。

 ここでガイドの朋子さんとはお別れである。僅か2日間だったが、分かりやすいガイドをしてもらって大変助かった。特に感心したのは、ご自分のアイディアで作成されたであろう、年表と図解だった。20年もイスラエルに生活し、ヘブライ語を学ばれたので言葉には不自由ないのだろうが、イスラエルという国と3つの宗教について、日本人にわかってもらおうとする気持ちが感じられた。暑い国での生活は大変だと思うが、一層の活躍を祈念して止まない。

 ヨルダン側では一昨日別れたガイドのRa’edさんとドライバーが出迎えてくれた。一昨日と同じようにすべての手続きが完了するまでに2時間近い時間を要した。

 アンマン市内に入り昼食を取ってから、ツアーは空港へ向かったが、その途中で今晩の宿でRa’edさんに手配してもらった「トレド・ホテル」で降ろしてもらい、ツアーの皆さんとはお別れだ。中にはちょっと変わり者のおっさんもいたが、他の同行者のほとんどは良い人たちだった。古今東西「旅は道ずれ、世は情け」と言われるように、一緒に旅していてそれなりに楽しい人たちだった。

 トレド・ホテルは決して高級なホテルではないが、窓下を見下ろすとオレンジ色のテント張りの大きな市場が見える。外観は悪くないが、ウォッシュタオルの備えがなく、バス回りがあまり衛生的ではなく、バスタブにストッパーがなくスペアを持って来させたり、部屋の電灯も暗い。たった1泊だから良いが、あまり長く滞在する気にはなれないホテルだ。

 外へ散策に出る。興味本位に市場の売り子から質問を受けるが、みんな笑顔がいい。どこの国もトップは申し合わせたように気難しい顔をしているが、このヨルダンの普通の人たちはみな素朴で明るい人々である。

 夕食の折ビールを頼んだところノン・アルコール・ビールだった。うっかりしたが、アルコールはイスラム圏ではご法度なのだ。失敗!失敗!

 明日はRa’edさんが手配してくれたガイドのムハマッドさんの車で、午後のアンマン出発までの時間を有効に過ごす。行ってみたいところは、何と言っても前回身柄拘束された現場である。そして、今はなくなってしまった、前回宿泊のホテル・アルカサール周辺と古代ローマ劇場にもう一度ぜひ行ってみたいと思っている。

 外からイスラム教特有のお祈りの言葉、アザーンが流れてくる。ヨルダン最後の夜の帳が下りてきた。

 残念だが、痔の具合はあまり良くない。

2012年6月8日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1851.201年6月7日(木) エルサレムの観光を終える。

 今朝は少々早い時間に神殿の丘へ向かう。ガイドのシュタイン朋子さんの話によると相当混雑して時間前に並んで待っていないと入るのに2~3時間はかかるという。ここにはエルサレム中から見通せる黄金ドーム(別称「岩のドーム」)がある。今日一日暑い中を歩いて見学することになった。この神殿の丘はほぼ市内の中心にあって、周囲を谷間で取り囲まれているような立地のため、遠方からでも燦然と輝くドームが眩しく映る。その後ぜひ見学したいと考えていた「嘆きの壁」に行く。ここで面白いと思ったのは、ヨシズのようなもので仕切られ、男女別々に壁に向かってお祈りをすることである。

 日本の治安安全神話に比べて、自分たちの生活は何としても自分たちの力で守り抜くとの気概のあるイスラエル人は、面倒で厳しいセキュリティ・チェックを甘んじて受ける。それが、外国人にとっては嫌で堪らない。神殿の丘へ入るのに時間がかかったのは、このセキュリ・ティチェックのせいであるし、嘆きの壁の手前でも腕時計から、ベルトまで取り外すチェックには少々閉口である。まぁ、これもお国事情と言ってしまえば、そうなのかも知れない。

 さて、思い出すのは、1967年の第三次中東戦争でイスラエルがヨルダンからヨルダン川以西を占領し、真っ先に嘆きの壁へ駆けつけたイスラエル軍兵士が嘆きの壁へ向かって涙を流していた光景が忘れられない。

 その後、処刑されたイェス・キリストがゴルゴダの丘へ向かった道「ヴィア・ドロローサ」を歩きながら聖墳墓教会を見学した。明日が安息日ということもあって、信者が教会内部にいっぱいである。教会内ではカトリック正教の式典が行われていて厳かなオルガンの伴奏に合わせて♪ハレルヤ♪を歌いながら多くの神父さんが教会内で御練りをしていた。国立博物館では「死海文書」展示品の解説を聞く。

 午後パレスチナ自治区ベツレヘムにある聖誕教会の見学である。エルサレム市内でもベツレヘムは特殊な地域で、いわば外国のような立場にある。武装兵士が詰める検問所はあるし、エルサレムの車でベツレヘムでは営業できない。従ってバスとドライバーを交代させる。随分無駄なことをしていると思うが、イスラエルとエルサレムの歴史を考えれば現状では止むを得ない措置なのだろう。

 この聖誕教会は、イェス・キリストが生まれた場所として普く知られている。外壁からすれば、いかにも古い建物との印象があるが、内部の天井は木造で、聞けば何度か再建されたという。内部はギリシャ正教様式である。地下にはキリストが生まれた場所と産湯を浸かったスペースが煌びやかに飾られている。今日はキリスト教の誕生と歴史を現場で学んだ一日だった。これでツアーは明日ヨルダンへ入り、帰国の段取りだが、私はツアーを別れてあと2日日程を延長している。

 そこへ今日困ったことが起こった。昨日辺りから具合が良くなかった「いぼ痔」が早朝になってとうとう突出したのである。一昨年10月と同じ症状である。どうも具合が良くない。残りの旅行をこのままの状態で続けるのは良くないだろうし、旅行するのも辛い。そこで日ごろかかりつけで、前回処置してもらった内科の森先生に直接国際電話をして症状をお話して、ある程度悪化を食い止める治療法を教えてもらった。

 早く治療を受けるに越したことはない。この旅の最大の目的であるアンマン滞在をカットするわけにはいかないが、旅程を一日短縮することを考え、帰路アブダビで一泊する予定をキャンセルすることに決めた。フライト・チェンジについては添乗員の保坂さんに手配をお願いし、観光中にフライト変更ができたとの返事をもらった。これまで再三日程を変更したが、今またアブダビ滞在を取り消し、フライト・チェンジすることによって余計な出費が出た。アブダビでは払い戻しなしの条件でホテルも手配済みだし、変更による手配料を3度支払わされる羽目になった。でも、こればかりは健康問題でもあり、止むを得ないと思っている。

 願うことは、現状より症状が悪化しないことである。

2012年6月7日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com