充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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1900.2012年7月26日(木) 今朝の日経と朝日に高校同級生の話題が
高校時代野球部でキャッチャーだった亀田勝昭くんが、今朝の日経新聞社会面で大きく取り上げられている。何でもロンドン・オリンピックの開催に先駆けて今日夜中1時に行われた女子サッカー予選1回戦で、「なでしこジャパン」はカナダに勝ったが、その主力選手たちを育てた「横須賀シーガルズ」の指導者だという。ヘェ~と意外な感じだ。記事では経歴が異色と書かれている。実際その通りで、彼は同級生の間で珍しく大学へ進まず、卒業後いすゞ自動車へ入社して社会人野球で活躍した。高校では2番打者として県大会準決勝まで勝ち進んだが、慶應高に敗れ惜しくも甲子園には出場できなかった。その慶應は決勝戦で勝ち甲子園に出場した。
甲子園に行き損なった亀田くんが今ではサッカーの指導者として、女子の日本代表を何人も育成した名伯楽というのだから、君子豹変であり、まさに異色に違いない。卒業後は1度も会ったことはないが、こういう形で同級生の活躍ぶりを知るのも嬉しいものだ。親しい同級生にこの新聞記事を添付で送信したところ、早速林龍代さんから1週間ほど前に彼の異色の活躍ぶりをNHKでドキュメンタリーとして放映していたという。
もうひとつ驚いたニュースは今朝の朝日新聞である。亀田くんと我々のもう一人の同級生、中西準子さんが「科学」欄で紹介されている。中西さんは一昨年の文化の日(私の誕生日)に、17人の「文化功労者」のひとりとして、母校から3人、先輩のノーベル化学賞受章者・根岸英一博士と後輩のオーケストラ指揮者・大野和士氏とともに推薦された。今では地味な科学分野ながら独法・産業技術総合研究所フェローとして八面六臂の大活躍ぶりで、知る人ぞ知る存在である。最近大阪方面の印刷会社で、従業員の間に胆管癌が判明した例がいくつか報告され、労働災害として深刻な問題になっているが、この問題について専門家の立場から中西さんがコメントを述べている。
日経と朝日の2大紙上、取り上げられ方は異なれども同じ日に同級生が1度に2人も取り上げられるとは想定外であり、誇らしいことでもある。みんなそれぞれ元気に活躍しているということだ。
私も彼らに負けてはいられない。今日暑中見舞い状を50通書いて投函した。
1899.2012年7月25日(水) ロンドン・オリンピック明後日開幕
いま取り掛かっている大学ゼミの恩師・飯田鼎先生の追悼文集発行に関して、大体寄稿文は同期の池田くんに無理を頼んで書いてもらい、一応出揃った。先生の奥様にも無理を言って書いていただき、40名から玉稿が寄せられた。これをひとりひとり見開きで偶数頁ごとに仕分けして、奇数頁は写真か、イラストでできるだけ見開きにして見やすいようにレイアウトして、漸く組版らしき形にまとめてみた。原稿分だけで90頁近くなったので、ある程度形はつけられると思う。
他の編集委員の声を聞く必要があるが、イメージとしてはこれにグラビアと目次、名簿を加えて、概ね了解を得られれば、印刷会社に相談してアドバイスをいただきながら残り少ない作業を進めて行きたいと考えている。それにしても、今回多くの原稿に目を通して、案外知らないことが多いことに気がついた。まずは山場を越えてやれやれである。
さて、明後日ロンドン・オリンピックが開幕する。年々オリンピックへの過剰期待からか、前奏曲がうるさくなった。メディアの影響もあると思うが、もう少し静かに観戦するというわけにはいかないものだろうか。
昭和27年、中学2年生の時ヘルシンキ・オリンピックが開かれた。戦後日本が初めて参加した大会である。夜中にふとんの中で横になりながらラジオで開会式を聞いた。一般的にあの時はラジオ放送だったし、時差があったので関心はあっても同時中継的に楽しむということはまだできなかった。でも、古い話だが、今でも強く印象に残っている選手や、でき事は多い。最近のオリンピック以上に思い出すことが多いことは、娯楽が少なかったこともあるが、それだけ強烈な印象を与える事例が多かったということだろう。
その中でも、開会式の最中にスタンドからグランドへ1人の観客が飛び降りたのにはびっくりした。その開会式で最終聖火ランナーはヌルミ選手だった。そのヌルミ選手の銅像は、オリンピック・スタジアムの入り口に飾ってあり、初めてフィンランドへ行った時像と対面して、これがヌルミ選手かと思った。その他には水泳の古橋選手がすでに峠を過ぎていて振るわなかったことが気の毒で、4年前のロンドン大会に日本が出場していれば、古橋選手は確実に金メダルを獲得していただろう。結局金メダルを獲得したのは、レスリング・フリースタイル・バンタム級の石井庄八選手だけだった。
思えば、戦後まだ立ち直っていない不自由な時代だったが、何かほのぼのとしたものを感じる佳き時代だった。ロンドン・オリンピックも勝負だけに拘らず、何か人々の心に温かいものを残すような大会になって欲しいものである。
1898.2012年7月24日(火) イチロー選手が電撃的にヤンキースへ
今朝の通常のテレビニュースで、恰も臨時ニュースのようにアメリカ・シアトルマリナーズのイチロー選手が、電撃的にNYヤンキースへトレードされたとぶったまげるニュースを取り上げていた。確かにビッグニュースには違いない。このムードは夜になっても納まらず、夜のニュース、夕刊でも大々的な話題になってきた。
最近のイチロー選手は成績がいまひとつぱっとせず、年齢的な面から考えて、今後のイチロー選手の活躍期待値を値踏みしてヤンキースとマリナーズとの間で商取引が行われたと考えていた。実際その直後に背広姿のイチローが涙が滲んだ記者会見をしていた。情感篭る別れの儀式という様子だった。
ところが実情はそうセンチメンタルなことではなさそうだ。30歳台後半のイチローがマリナーズで定位置を確保していると将来成長が期待できる20歳台若手の成長の芽を摘む可能性があるとイチロー自身が考え、チームにトレードを申し出たという。イチロー自身も新しい環境の中で刺激を求めたいという気持ちが芽生えてきたと彼自身が言っている。それにやはり優勝できるようなチームで戦ってみたいとの気持ちがあったようだ。
記者会見の3時間後にそのヤンキース対マリナーズ戦に出場して、第1打席にヤンキース入りして最初のヒットを打ち、最初の盗塁を決めた。いつも絵になる選手だが、38歳の年齢を考えると今後新しい環境で気持ちを入れ替えても、そうそう大きな期待はできないかもしれない。
しかし、王貞治さんは、反って彼のためには良いかも知れず、期待したいと話していた。
さて、久しぶりに日本旅行作家協会例会に出席したが、今度会員になった方に「加藤節夫」さんという、私と1文字違いの方がいた。笑い話みたいだが、受付で私の名札が見つからず、係員に「加藤と近藤を間違えて書いたのではないか」と訊ねたくらいである。結局私の名札が見つかり別人であることが分かったが、奇遇に係員も驚いていた。その加藤さんは、カンボジアの世界遺産「プレアビヒア寺院」を維持するため日本のNPO理事長を務めておられ、壇上で自己紹介の際皆でカンボジアへ行きましょうと呼びかけていた。意欲満々の方である。ほかにも多摩大学の河村幹夫教授と小林健シニアフェローを紹介されたが、小林氏は東大ラグビー部出身で湘南ラグビー部の仲間・大島泰毅くんの実弟と同期生とは意外な縁だった。
下重暁子会長とは前にもお話したように、ヨルダンのペトラ遺跡及びシリアの世界遺産・パルミラ遺跡の話で盛り上がった。しかし、激しい内戦でシリア各地の史跡、とりわけパルミラ遺跡へ行けなくなったことが残念というのが、ともに一致した考えだった。
1897.2012年7月23日(月) 森喜朗・元総理が引退を表明
昨日大相撲名古屋場所は千秋楽を迎えた。昨年は八百長相撲のために、相撲協会としては反省をする禊の場所となり、すべての面で盛り上がりを欠く場所だった。今場所は横綱白鵬と大関日馬富士の全勝力士同士の対戦となり久しぶりに盛り上がった。結果的に横綱を破った大関・日馬富士が昨年の名古屋場所に続き、名古屋で優勝を飾った。これで大相撲景気が回復すれば良いが、八百長事件の責任を取って理事長職を辞めた北の湖理事長が、再び理事長に返り咲いた田舎芝居を見ているとあまり反省が感じられないのではないかと思う。また臍を噛むようなことがないことを祈るばかりである。
今日東電福島第一原発事故について、政府の事故調査・検証委員会が最終報告書を発表した。事故現場に放射能汚染の危険があり、立ち入り調査ができない段階で、最終報告書の提出である。まだ事故は収束しているわけではない。これまで民間事故調査会、国会事故調査会、更に東電がそれぞれの立場から報告書を提示した。どうしてあの手この手でややこしいことをやっているのだろうか。「大山鳴動して鼠一匹」の思いがする。東電の報告書は一般的にはあまり信用されないと思うが、他の3つの報告書は基本的にそれほど大きな違いはないと思う。つまり、それぞれが東電に対して安全最優先の姿勢が欠如していたと批判しているのだ。併せて、原子力安全・保安院が、原子力安全委員会の貞観時代に大津波があったので、万一に備えた対策を講じるべきとの提言に対して、あるまいことか東電関係者に否定的な作文を書くよう指示したとされている。この点が「安全神話に執着」と判断された。
このように指摘された「手抜き」による責任の取り方について誰が責任を取るべきだとの厳しい声はない。これが諸外国から、日本は原因は詳細に追究するが、個人的には責任を誰も取らないと見られている。実際これでは、最終的に何も解決しないのではないか。
昨日地元・石川県能美市で</B>森喜朗・元首相が次の総選挙に出馬せず、政界から身を引くと引退表明をした。ちょっと意外だった。最近各地で前向きな発言をし、大物代議士が地盤沈下する中で、思いがけず存在感を際立たせていたからである。
昨年トラック島のエッセイを書くに当たり、佐々木信也さんから紹介されてお会いして大分情報をいただき何とか書き上げることができた。日本ラグビー協会会長でもあり、気さくにお話を聞かせていただいた。小渕恵三・元首相退任直後に密室の5人会議と称せられる場で首相に決まった経緯や、「日本は神の国」発言で首相を辞職したことなどから、巷間どちらかと言えば、あまり好意的に受け取られていない一面があるが、お会いしてみると非常にフランクで話しやすい人だとの印象がある。それは、昨年11月に高校時代の友人で、元通産次官だった牧野力くんに会った時にも、森さんは話題が豊富で話が楽しく、1年に2~3回会食するくらい交流を続けていると言っていた。
森さんの言い草が良い。総理大臣だった人は総理を辞めたら政界を引退して大同団結して協力したら良いと言っていた。首相辞任後に議員を辞めると言って、舌の根も乾かないうちに撤回し、いつもしゃしゃり出ないと気持ちが納まらない、音羽御殿のお坊ちゃま・鳩山由紀夫氏に森さんの爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。
1896.2012年7月22日(日) オスプレイも原発も国の対応がおかしい。
昨日と今日は「涼しい」を通り越して、「寒い」をすら感じる。「寒い」も気象だけなら良いが、心寒くなるような最近の事象、事件には手の施しようがない状態である。
アメリカ・サンディエゴ港を出発したオスプレイ艦載貨物船が、ついに韓国のプサンに到着したと思ったら、時を待たずに出港し、予定通り今日関門海峡を通って瀬戸内海を回り、明日山口県岩国米軍基地へやってくる。この受け入れに反対している岩国市を袖にして、仮に米軍基地が受け入れるとすると、10月の普天間基地配備までの間日本国内に7つある訓練コースで、地上を低空飛行しながら訓練を続けるそうだ。
政府民主党もアメリカに対しては配備を断れないが、党内には受け入れ容認派と反対派がいて、党内の対応も難しいようだ。前原誠司・政調会長がアメリカに対して安全対策に関して、言うべきは言わなければいけないと、野田首相に批判的な発言をしたと思ったら、石井一・党副代表が日米安保条約上は機種変更について要望は言えないと前原氏を強く諌める発言をしている。相変わらず民主党幹部の意見や判断がマチマチなのだ。
それにしてもこれだけ強い拒絶反応のあるオスプレイを日本に持ってきても、上空を飛ぶ自治体としては、安全・騒音対策上黙っているわけにはいくまい。
日米安保条約の趣旨は分かるが、これだけ問題を抱えているオスプレイだけに、その使用を両国代表が改めてテーブルについて話し合うということにどうしてならないものか。この問題については政府が逃げているという印象が否めない。腰を据えて本格的に議論をしようとする、政治家も外交官も防衛省幹部もいないということなのだ。機密を含んだ秘め事はあろうが、オスプレイを沖縄でどう使おうとするのか、我々日本人にはまったく開示されていない。政府もある程度アメリカから情報を得て、噛み砕いて分かりやすく日本国民に説明すべきではないだろうか。
さて、繰り返しになるが、福島原発事故に関しても政府の対応は相変わらず甘い。昨夜NHKがドキュメンタリーをドラマ仕立てにした、1時間もののスペシャル番組「メルトダウン連鎖」を観たが、この事故には想定外のことが多すぎた。一つの装置が故障した場合に予備の装置を使う。それがまた故障した場合の備えがない。安全対策はあくまでイメージでしかないのだ。想像外のケースについては関係者や専門家でも手を拱いている以外手の打ちようがない。実際に原発で働いていた人びとからは、この世の終わりかと思ったとの発言も数多く聞かれた。こんな危ないものを性懲りもなく、まだ造り、現在稼動停止状態の原発をも再稼動させようとしている。
そして、大飯原発3号機を再稼動させておきながら、再稼動の決定権者である枝野幸男・経産相は昨日宇都宮市内で「私個人の心情で言えば、明日にでも全部止めたい」と語った。よくも二枚舌を使ってくれるものだ。一方で、福島県で講演した玄葉光一郎・外相も将来の原発依存度について2040年に0%という構想を示した。更に、菅直人・前首相は持論である脱原発をベースに「原発をゼロにするという方針を明確にすべき」と野田首相に注文をつけた。この救いようのない民主党の幹部の発言が、揃いも揃って原発反対を匂わせながら、どうして党の統一見解として「脱原発」ではなく、「原発賛成」になるのだろうか。各人が勝手気ままに言いたい放題に喋っている印象である。これでは日本の政治が前へ進まず、活力が生まれないわけである。
このスペシャル番組を観ていると、普通の神経を持っている人は、誰でももう原発は要らないという気持ちになるのが普通だ。それを使用済み核燃料の処分方がはっきりしないのに、何とかして再稼動させようというのは、いずれ放射能を日本中にばら撒くのに加担するようなものではないか。いま福島第一原発の何号機かの廃炉が進められている。これが終わるまでになお40年の長い年月がかかるという。18日に駒沢大学で見せてもらったビデオ「行くも地獄、戻るも地獄」が、実感として腑に落ちる。