充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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1925.2012年8月20日(月) 何の理念も感じられない外交官人事
ゼミ恩師の追悼文集もすべての原稿が集まり、組版も終えたところで大体の形を煮詰めようと、編集委員のひとり、赤松さんに同行してもらい印刷会社へ出かけた。窓口になってくれている印刷会社部長が、懇切にアドバイスをしてくれる。若干決めかねている点もあるが、作成には大きな問題もなくほぼ予定通り仕上げられると思う。29日の次回編集会議で全般的な了解を得ようと考えている。印刷会社のアドバイスによれば、原稿がA4判なので、実物仕上げのB5判のサンプルを1冊作成してみると凡その感じがつかめるということだったので、まだ名簿ができていないが、名簿抜きで仮作成してもらうことにした。今度の文集のできにはある程度の手応えを感じている。
ロンドン・オリンピックの盛況でやや陰が霞んだ感じの甲子園の高校野球だが、それでも今年は神奈川代表の桐光学園の松井裕樹投手が三振奪取ショーを見せている。残念ながら今日準々決勝で敗れ、一大会の個人三振奪取記録は途絶えることになってしまったが、今日の15三振を加えて4試合で68個を奪ったことになる。これは過去の三振記録に比べても見劣りせず、歴代3位だというから驚きである。トップは1958年の徳島商高の坂東英二投手で、6試合完投して83個の三振奪取だった。松井投手がもし勝ち続けていれば、坂東投手の記録を破ったであろうことは間違いない。高校野球に個人記録はあまり求められないが、それでもこの三振奪取はダントヅである。まだ、2年生だそうだから、来年にも期待できるだろう。
さて、今日外務省の人事報道によれば、駐米、駐韓、中国駐在大使がそれぞれ交代することになった。駐米大使に転出するのは、何と佐々江賢一郎・外務次官である。また、昔に戻る先祖還り人事である。外交官のトップ・外務次官を経て特命全権大使に転出するのは、おかしいという話が以前あって次官になったら勇退するということになった。それが11年ぶりに復活したのである。つまり駐米大使が外務次官より上位にいるという奇妙な構図である。結局外交に理念も哲学もないから、せっかく決めたルールをいとも簡単に反故にする。それを政権政党の民主党がやってのけた。
もうひとつの目立った大使人事は、中国大使・丹羽宇一郎氏が更迭されることになったことである。民主党政権発足とともに、目玉人事として民間大使に鳴り物入りで任命された丹羽氏が、石原都知事が尖閣諸島を購入すると発言したことを受け、日中関係に重大な危機をもたらすと発言したことが民主党内の批判を受け、結局辞めさせられることになった。本人にとっても極めて不本意であり、無念だろう。ここにも民主党政権が毅然として「民間人外交」を貫く姿勢が見られなかった。刺々しくなった日中関係に、経済人としてのセンスを見せてくれるのかと期待していたのに、残念である。
民主党のマニフェスト違反と実行力のなさ、それに加えて理念がないことには、今更ながら呆れ果てる。
1924.2012年8月19日(日) オリンピック馬術競技で話題の法華津寛さんは、同期生だった。
日本海と東シナ海は荒れ模様である。毎日ニュースは李明博・韓国大統領の一連の言動から、昨日の香港船の尖閣列島上陸まで、専門家があちこちのテレビ局を駆け周り日本の外交、領土問題について持論を述べている。今日は日本の強硬派地方議員ら10名が尖閣諸島の魚釣島へ上陸した。国会議員も近寄ったが、上陸が法律に触れるとのことから周辺で先の戦争の犠牲者の慰霊を行うことに切り替えたようだ。中国国内では反日デモが行われたようだ。当分この騒ぎは収まりそうもない。
こんな紛争や戦争に直結しそうな醜悪なニュースを毎日聞かされるのは気分が悪いし、もううんざりである。
そんなバッド・ニュースに比較して、ほのぼのした身近な情報を得た。先日セルビア・ベオグラードの山崎さんから、ロンドン・オリンピックに出場した馬術競技の法華津寛さんは大学でわれわれと同期だったのではないかと訊ねてきた。調べてみると確かに私立武蔵高校から現役で経済学部に入学し、我々と同じ1963年に卒業している。授業も一緒に受講していた可能性もある。卒業アルバムには詰襟姿の凛々しい個人写真が載っていた。ドイツで馬術修行をしていくらいだから、多分第2外国語はドイツ語を専攻したのではないかと推測したところ、間違いなくドイツ語組の「E組」に名前が載っていた。名簿を見ると部活は何もやっていない。大学では馬術部に所属せず、個人的に馬術クラブ辺りでトレーニングを積んでいたのだろう。
それより何よりゼミでは「尾城ゼミ」に所属していたのには、驚いた。というのは、山崎さん自身も尾城ゼミに属していたからである。どちらかがあまり熱心にゼミに出ていなかったので、はっきり覚えていないのかもしれない。山崎さんも顔を見たような気がしていたのだろうし、名前も珍しい「法華津」だったので、ぼんやりと記憶に残っていたのだろう。
早速山崎さんに連絡してあげようと思う。でも、この年齢で同期生がオリンピック選手とは愉快だ。法華津さんはロンドンでは成績は芳しくなかったが、全出場選手の中でも最年長ということから話題となり、イギリス国内でもBBCで取り上げられ注目を集めた。加えてこれもご縁というのか、法華津さん名義のマンションは拙宅から東横線・自由が丘駅へ向かう途中にある。こんな身近な場所に住まわれていたとは、縁は異なものというが、本当だ。
尖閣諸島や竹島の陣地取り合戦で争っているのに比べて、身近のほのぼのとするトピックに少しは気持ちも救われる。
1923.2012年8月18日(土) なぜか雑然としているJR新大阪駅構内
1985年10月に兵庫県海外教育派遣団の添乗員としてアメリカ東海岸へお供したが、あれから27年が経って今日27回目の同窓会というか、団長の名前を冠した「岸野会」と称するリ・ユニオン・パーティが神戸・元町の割烹料理屋で開かれた。岸野団長を中心に私も含めて12名の先生方が出席され、あの当時のことを懐かしく話し合った。
団長は昨年前立腺手術を受け、その後ヘルニアも患ったそうだ。その他にもドライマウスと言っておられた。やはり82歳になると完全な健康体というわけにはいかない。その中で鳥取市内に住んでおられ、団長より1歳若い井本幸太郎先生は、あの当時と変わらず元気一杯で駄洒落も相変わらずである。「とっとり県民カレッジ学友会会長」にして、よく分からない「とっとりマスター」という肩書きを名乗っておられる。丹波篠山に住んでおられる井口剛先生とは、娘さんの住んでいるボストンのフェンウェイ・パークやシカゴの博物館の人間輪切りの話で盛り上がった。他の先生方も皆退職されたが、悲しいことに2人の先生が亡くなられた。他には地元で地域の活動に精出されている人が多い。
私にとっては、久しぶりの関西旅行だったが、やはり少しばかり東京とは違うということを感覚的に感じる。新大阪駅で降りると構内は天井が低く雑然としてごった返している。お盆休みの影響かもしれないが、標識に従って辿って行っても目指すトイレにたどり着けない。新大阪から神戸・元町までの電車の種類が多くて分かりにくく、混みあうホームで駅員に尋ねたがどうも要領を得ない。仕方がないので各駅停車で元町まで向かった。
「岸野会」の案内状が簡潔にして分かりやすかったので、改札口前で待ち合わせの集団にすぐ会えた。27回も休むことなく続けられるのは、どの団を見てみても団長に人望があるからだと思っている。すでに30回をひとつの区切りにして一昨年解散した茨城県団でも、団長のお人柄によって命脈を保っていたようなものである。今いろいろなグループがあるが、中々人望があって、全員を掌握できるような人物が少なくなった。政治家なんかその典型ではないだろうか。
お世話役の阪上先生の面倒見の良さも会が長続きしている要因であると思う。良き参謀である、その坂上先生が会の直後に関西空港からドバイ経由で、スイスへ出かけるというので、ひとしきりスイスの山について話をしたが、それもあっていわゆる二次会がなかった。予約した新幹線を2時間ばかり繰り上げて帰ってきたのだが、元町駅から新大阪までの米原行電車が遅れだし、新大阪へ着いた時点で、高槻で打ち切りと車内放送していた。理由はよく分からなかったが、その後構内放送で雷雨による被害でダイヤが乱れたと伝えていた。雨漏りで大勢の駅員が清掃と後始末で大童の新大阪駅構内の乱れようには、午前中の雑然ぶりが何となく理解できた。察するところ普段から、少々欠陥がある駅構内の不整備が、激しい雷雨によって当然のように馬脚を表したのではないか。
7年ぶりに参加した「岸野会」は楽しかった。いつまで参加できるか分からないが、時間的に余裕があれば次回も出かけたいと思っている。
1922.2012年8月17日(金) 尖閣、竹島の裏で戦後日本の大事な問題が置き去りである。
昨日、一昨日と領有権を争っている竹島と尖閣諸島への上陸問題を巡って、日韓と日中間でお互いにボルテージが上がり止まらなくなってしまった。尖閣諸島へ上陸し、逮捕された香港の活動家は今日強制送還ということで香港へ送り返された。一方の竹島は、当面の相手が大統領であるだけに始末が悪い。しかも、現在韓国が実効支配しているだけに、日本としては物理的には手が出せず、両国がお互いに批難の応酬合戦をやっている。
実効面では、日本政府はわが国の領有権を求めて国際司法裁判所へ提訴することを韓国側へ伝えて、同意を得るという形になっている。実際には、韓国政府が領有権問題は存在しないとの立場を取っており、日本の提案に同意しないと見られている。更に日本と韓国との通貨交換(スワップ)協定の融資枠の減少と、協定が今年10月に期限切れとなるが延長する気持ちがないことを公表した。
こんな大騒ぎがあったせいで、終戦記念日の行事や、それにまつわる肝心要のニュースがかなり陰が薄くなってしまった。
その中で、海外で戦没された遺骨が年々収骨できなくなっているというニュースが言われ出して久しい。一昨日の朝日新聞によると、戦没者数が240万人で、そのうち113万人がまだ還っていない。
私自身長年に亘り厚生労働省の戦没者遺骨収集団に関わってきたので、特別関心を抱いている。昨年3月ごろフィリピン地域の遺骨収集をNPOの杜撰なやり方で、日本人でない遺骨も混じっていたことが問題になったが、それ以外にも問題は多い。戦後67年が経ち、外国の山野に放置された遺体は、草蒸す屍となり、自然の中で風化している。しかも、人里遠いジャングルや山中であり、発見される可能性ははっきり言って少なくなっている。
私が関わっていた中部太平洋海域は、通気性が良いこともあり、遺骨の保存状態が良く、割合収骨数は他地域に比べて多い。24万人の戦没者のうち、17万人の遺骨が収集されている。中国・東北部に次いでその比率は高い。全般的に年々収骨数は減り、最終的には不可能という段階に到るのではないだろうか。経過時間、外交問題、場所的な難しさ、等々が絡んで、先行き益々至難となるだろう。戦友の方々から実体験話を聞いていて、その惨めさを知っているだけに戦没者に同情せざるを得ない。寂しいことである。
1921.2012年8月16日(木) 竹島に続いて、尖閣諸島にも新たな火種
「殿、ご乱心」、暴走を始めた権力者は手に負えず、国民と周辺国に災いをもたらす。李明博・韓国大統領のことである。天下の朝日が「天声人語」で取り上げている。
終戦記念日の昨日、韓国人タレントらが韓国沿岸からリレーで竹島まで泳いで竹島が韓国領土であることをアピールした。ところが、有名俳優と称する彼らは、外洋を泳いだのではなく、船が曳航する生簀の中で泳いでいたという漫画的行為が韓国メディアによって明らかにされ、その俳優らも疲労困憊でヘリにより病院へ搬送されたというおまけまでついた。
韓国国民が本心ではどう思っているか分からないが、どう常識的に考えても大統領の昨日の発言は愚かであることは明白である。普通の思考力のある人なら、いかに馬鹿げた大統領の愚行かはすぐ分かる。早くも件のスィマーが出演したドラマが日本の民放テレビ番組で放映取りやめとなった。日韓両国で自己主張ばかりやっていては、とても事態の沈静化とか、解決は覚束ない。少し頭を冷やす必要がある。それにしても個人もそうだが、国もすぐ「キレル」ようになった。
昨日は他にも、同じような対外的な事件があった。もうひとつの領土問題である尖閣諸島・魚釣島へ香港民間団体の船舶が上陸したのだ。島内で待ち構えていた日本の警察によって、5人が逮捕され、また沖合いで見守っていた船舶から9人が逮捕され、今日那覇港へ連行された。今までは中国側官憲が出航しそうになると抑えていたが、今回は看過している。上陸した香港船への日本側の対応を見定めているようだ。中国国内では大都市を中心に、反日デモが起きている。この辺りが実際には中国政府にとっても悩ましいところで、下手をするとこの反日デモが反政府デモへ変わりうるのだ。中国政府の対処方も哲学や理念があるとは思えない。中国国民の動き次第で、国のスタンスも変わる。
ともかく日本自体の毅然とした外交を今後どう確立し、各国に対応していくのか。これから人材を育成していくのでは遅すぎる。政治家がダメ、外務官僚がダメでは手の打ちようがない。これから当分、対中、対韓、さらに対ロ外交のような近隣外交に悩まされそうだ。決して逃げるわけにはいかないからだ。