ブログ・ご意見番の意見

 充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。

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1940.2012年9月4日(火) あの村木厚子氏が戦没者遺骨収集担当の社会・援護局長へ

 今日の日経夕刊を読んでいて官僚の人事異動欄に目が行き、はっと思った。内閣府へ出向の形をとっていた村木厚子氏が厚生労働省へ戻り、社会・援護局長に就任することになった。村木氏とは言うまでもなく、厚労省企画課長時代に「凛の会」と称する偽の障害者団体に特別郵便料金適用のために、部下が無断で公印を押捺した罪で虚偽有印公文書作成・同行使罪に問われ逮捕された人である。その後部下が上司に無断で公印を押捺したことが分かり無罪となったが、検事の自白強要が問題となった事件としても国民的関心を集めた。

 その村木氏が就任することになった社会・援護局長は、主に戦没者の遺骨収集事業を取り扱う部門の責任者である。今や遺骨収集事業も戦後67年が経過して、難しい局面に立っている。戦没者の親はもちろん、妻や子ども世代の遺族も大分少なくなり、ややもすると事業も風化しかねない。戦没地における収骨は長年風雨に晒され、遺骨を捜すこと自体が困難であり、そこへそれぞれの国情や住民感情もあって思うようにいかず、年々収骨数は減少傾向にある。

 最近になって4年ぶりに日朝間協議が復活し、両国間の問題が話し合われているようだが、日本が懸案としている拉致問題が議題に上がったのかどうかが分からない。それと平行して民間レベルで、北朝鮮で亡くなった方々の遺骨の収集作業がテレビ公開された。これを契機に3万人とも言われている日本人の遺骨発掘作業が進むのではないかと期待されている。

 外国における日本人の遺骨発掘には当然高いハードルがある。これをこういう分野の経験がないと見られる新任の村木局長が、どうやって切り開いていくのか、幾分厚労省業務の中でも異色な分野であるだけに、簡単にはいかないだろう。かつて20年間に亘って中部太平洋地域を主に戦没者遺骨収集事業に関わっていた者として、村木氏の手腕を注視して見守りたいと思う。

 偶々今月発刊された中公新書の1冊に林英一著「残留日本兵」がある。昨日書店で買い求め、読んでいるが、あまりこういうテーマに取り組む作家がいない中で、20代の若い学者が意欲的に取り組んだことは評価したい。ただ、こういうテーマは取材相手がすでに生存していない可能性が高く、直に話を聞くことができないだけにどこまで事実と残留日本兵の主観的な考え方にアプローチできるか。まだ全体の1/3程度しか読み進んでいないが、資料では調べることができても、臨場感の伴う生の声が伝わってこない点に、やや物足りなさを感じている。

2012年9月4日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1939.2012年9月3日(月) 珍しい日本人女流作曲家

 昨晩NHKのETV特集で「吉田隆子を知っていますか」という番組が放映され、観るともなしに最後まで観てしまったが、中々興味深いストーリーだった。。日本人としては極めて珍しい女性作曲家を紹介したドキュメンタリーである。良く知られた与謝野晶子の反戦詩「君死に給うことなかれ」に曲をつけた反戦の人であり、4度の投獄にも耐えた不屈の人だった。これまでこの女性作曲家については寡聞にして知らなかった。軍人で陸軍大学校校長だった父親の厳しいしつけの下で育てられたが、東京高等女子師範学校(現御茶ノ水女子大)出の母親の影響を受けて、終生音楽と愛に生きた。だが、あまりその名は一般には広く知られていない。

 それが意外にも身近に思いがけない接点らしきものがあった。代々木の元勤務地の近くに人形劇「プーク劇場」というのがある。今でも子どもたちに人気があり、夏休みなどになると連日子どもが並んでいる姿を良く見たものである。長い間彼女はその人形劇に曲を付けていたそうである。

 もうひとつ親しい感情を持ったのは、戦後亡くなるまで自由が丘に住んでいたことである。画面では自由が丘のどの辺りに住んでいたのかよく分からなかったが、亡くなるまで住んでいた家屋が紹介され、今も室内はそのままだという。そして、近くに劇団民芸の俳優・宇野重吉の住まいがあったと紹介された。宇野邸はわが家から歩いてほんの5分程度の距離にある。吉田と終生のパートナーであり、築地小劇場で上演してヒットした「火山灰地」を書いた劇作家の久保某とのツーショット写真は、その宇野邸の前で撮ったことが背後の表札によって分かった。

 何となく親しみを感じる作曲家・吉田隆子は時代的に逆風の中で精一杯生き、戦後これからという時に可惜46歳の若さで逝った。こういう地味でしっかりと庶民の心を掴み権力に屈しないで、作曲に挑んだたくましい女性があの暗い時代のわが国にもいたのだ。良いドキュメンタリー番組だった。

 さて、昨日本ブログで原発から廃出される使用済み核燃料の最終処分場の土地探しについて書いたばかりだが、今日不意に横光環境省副大臣が福田群馬県知事と遠藤矢板市長を訪ね、福島原発によって汚染された指定廃棄物の最終処分場の候補地を矢板市内の国有林に決めたので了解してほしいと伝え、突然の申し出に地元では面食らい反発を買っている。どの自治体でもこのような事案はあまり積極的に受け入れる気にはなれない。従って充分議論し、意見を聞く根回しをして自治体にお願いするのが筋であろう。誰もが嫌がる事案を唐突に言い出されたら、素直に受け入れる筈がない。手順が少々おかしいのではないだろうか。政治家というのは、どうしてこうも稚拙なのかと思ってしまう。

2012年9月3日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1938.2012年9月2日(日) 国家と国民のことを考えない天下り役人と政治家

 今朝の朝日新聞第1面に原発使用済み核燃料の最終処分場について詳述されている。漸く最終処分場の土地が見つかったのかと思いきや、それどころかその場所探しのために12年間を費やし、487億円も費やしていたことが明かされたのだ。そのうえ肝心の処分場はいまだ決まらず、処分計画は宙に浮いたままだという。どうして誰が考えても不思議で実行されないことが、お役人の手にかかると罷り通ってしまうのか。またしてもお役人の怠慢と無駄使いが堂々と行われていたことが分かった。

 最近の官民の世論調査の動向を見ていても、今後の日本のエネルギー計画の前途に「脱原発」が大きく浮上してきたことが分かる。もし、実際にこの路線を進めれば、できるだけ早く最終処分場の手当てが必要となる。ところが、それがまったく決まらないというのだ。

 経産省では12年前に最終処分するための組織「原子力発電環境整備機構」(NUMO)なるものを設立し、最終処分場の候補地探しから建設、運用までを行い機能させていた筈だった。だが、未だにその建設場所すら決定できずに、金喰い虫の無能組織として時間ばかりが経過しただけだった。経産省から天下った役人に対しても2人で年間4千万円超という多額の給与を支払ってきた。脱原発にせよ、原発容認にせよ、なぜこれほどの無駄使いを12年間も許していたのだろうか。彼ら役人も自分が務める組織が機能していないことを承知しながらも、いただけるものは黙っていただくという図々しい役人根性によって、普通の電気利用者はろくでもない天下りOBに電気料金を支払わされていたのだ。実に馬鹿げてる。

 今月中に民主党代表と自民党総裁を選出する選挙が行われる。公職選挙法に基づく選挙ではないにせよ、どちらかの党代表選で選ばれた人物が確実に次の日本のリーダーになる。

 しかし、今や空転する通常国会の最中に、候補者と目される人物や担ぎ上げる同輩らが国民の批判に何ら臆することなく、堂々と目につく形で暗躍している。民主党内では現代表の野田首相に対抗する議員らが擁立候補を囲んで会合を開いている有様である。一方の自民党内も似たり寄ったりで、自薦他薦が入り乱れ、谷垣現総裁のほかにも、石原・現幹事長、石破・前政調会長、町村・元官房長官、林芳正・政調会長代理らに加えて、何と安倍晋三・元首相までが意欲満々に登場してきた。下手をすると推薦人の奪い合いで現職の谷垣総裁が立候補できない可能性も取り沙汰されている。こうなると民主、自民ともに火事場騒ぎとなって国家、国民のことなぞとても目が届かない。

 それにしても首相まで務めた安倍チャンも、この期に及んでよくも火事場を引っ掻き回す役回りをする気になったものである。駄々っ子坊やのようにオモチャを宛がってやらないとダダをこね、小泉純一郎・元首相のように静かに身を退くということができない人なのだろう。

 政治を行わない政治家の陣取り合戦によって、日本を国際的に影響力のない世界の孤児へ追いやることが許されるのだろうか。いかに怠け者の政治家でも少しは魂を持ってもらいたいものである。

2012年9月2日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1937.2012年9月1日(土) 気象がおかしいが、家族にも小さな異変

 昨晩9時過ぎになって、フィリピン東方で大きな地震が発生し、その影響で東北地方から沖縄地方まで全国各地に段階的に津波が押し寄せるとの警報が発令された。各テレビ局は大慌てで時々刻々と情報を伝えていた。結果的に日本には大して影響がなかったようだと知ったのは、今朝のニュースである。そして、今日9月1日は、防災の日である。地震が多くなったことに加えて、一昨日の南海トラフ地震の危機感もあり防災訓練も例年以上に熱心のようだ。

 そう言えば、今年は気象状況も例年に比べて猛暑日が多く、一昨年の猛暑を凌駕するほどの暑さが続いている。それが今日になって突然空が掻き曇り、あっという間に大粒の雨が勢いよく叩きつけてきた。するとしばらくして青空が見えた。午後になると青空が曇って再び激しい雨が降ってきた。これだけ天候が急変するのも珍しい。このところの干天に、一昨日、昨日と庭の樹木や植木に散水したが、今日は植物にとって慈雨でその必要もない。

 それにしても、今日の天候が最近、否近年の例外的な激しい気象変化を象徴しているようだ。

 さて、ひとつ困ったことが起きてしまった。今単身居候中の長男が想定していた10月の大阪転勤がなさそうだと今朝話してくれた。息子は長男の中学入学を機に、今秋の大阪転勤を前提とした、妻と子ども3人の4人家族を一足先に奈良県生駒市へ引越しさせていた。この転勤辞令流れで生活設計が狂ってしまったのだ。今秋の転勤はほぼ間違いないと踏んで、家族を先に引越しさせ、自分は遅れて正式に辞令が発せられる今秋に奈良へ追いかけていくつもりだった。中々思うようにはいかないものだ。2人の孫娘が父親に会いたがっていたので、その心境に精神的なストレスが生じなければ良いがと願う。

 親の転勤に伴う引越しは、家族にとって心身ともに気苦労が多くて大変だ。私も子どもの頃は父の度々の転勤で随分引越しをしたが、今考えても母の苦労は並大抵ではなかったと思う。

 息子の場合は、長男の中学入学がひとつの決断だった。入学してすぐ半年後に転校をするのを避けたつもりだったが、反って裏目に出てしまった。まあ、これも人生の誤算のひとつと前向きに捉えて、逆にステップアップのチャンスと考えるより仕方があるまい。しかし、父親と一緒に生活することを願っていた孫たちの気持ちを考えると忍びない。

2012年9月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1936.2012年8月31日(金) 経済不況はいつまで続くのか。

 現在日本企業の不況ぶりは国際的にも目につく。亀山モデルというブランドでも知られた大型液晶テレビを生産しているシャープが3000億円近い大赤字を出して、会社存亡の危機に追い込まれ、やむを得ず台湾企業から資金援助を受けて再生を期することになった。かつて、三重県立亀山高校生が韓国修学旅行に出かける前に海外滞在の心構えを話す講演に招かれ、JR亀山駅からタクシーで学校へ向かっていた途中で、ドライバーから「お客さん、(シャープ)亀山工場でしたね」と尋ねられ、高校と工場を聞き間違えるほどシャープ亀山工場への見学者が多く、当時は景気が良かったことがまざまざと思い出される。

 その他にも来月合併する新日鉄と住友金属が大きな赤字を出した。新日鉄は1550億円の赤字を計上して赤字会社へ転落した。住金は予想以上の赤字となり、1280億円の赤字である。かつて「鉄は国家なり」とまで豪語していた製鉄会社も、まったく昔日の面影はない。

 この不景気風をどうやって吹き飛ばし、かつての活気ある経済力を取り戻すのか。海外との貿易額が拡大している今日、限度を超えるような円高は確かに痛い。韓国が上り調子で、電機、自動車メーカーが大きく伸びているのも、ウォン安が輸出に大きく貢献しているからである。このウォン安に比べると円高はいかにもきつい。従って、いつ外為相場が、日本に有利に転換するのかが気になるところだ。経済界はそれなりに力を尽くしているが、神風が吹いてくれない。

 一方で、参議院で問責決議を可決した国会は空転している。昨日も自民党谷垣総裁は北海道へ遊説に出かけている有様である。他の国会議員らも国会へは登院していない。明らかに高額の給料をもらいながら、本来の職責、国会活動をサボっているのだ。これでは国民、誰ひとりとして黙っているわけにはいくまい。

2012年8月31日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com