ブログ・ご意見番の意見

 充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。

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1955.2012年9月19日(水) 「2030年代に原発ゼロ」は絵に描いた餅か。

 昨日中国の「国恥の日」に中国国内の反日デモが燎原の火の如く燃え上がり、中国全土で激しく広がった。ただ、襲撃を受けそうな日本の在外公館には警官隊が配置されデモ隊は繰り出されたが、大きな被害はなかったようだ。一方民間企業ではデモ隊の攻撃を避けるためには、自己防衛するしかなく、とてもデモ集団からの攻撃をかわせる体制は取れなかった。結果的に昨日多くの企業やサービス業がデモ隊によって襲撃され、大きな損害を蒙った。

 しかし、デモが過激化するのを容認していた中国政府は、今日になってデモを禁止した。中国国内の事情により反日デモが政府へ向けられるのも恐れた中国当局が、自発的な反日デモだからと言ってこのまま野放しにすることはできず、断を下したのである。デモ隊が暴徒化する様子が世界に発信され、中国のイメージが大きく落ちたこともある。そのうえ、中国への投資に安全が担保されているかどうか疑念を抱かれたのである。

 今日の様子から察すると少しは反日デモが鎮静化の方向へ向かいそうだが、国家同士の信頼関係が損なわれた現状では、以前のような関係を取り戻すことは相当時間がかかりそうだ。

 さて、14日に野田内閣は国民の多数が脱原発を望んでいるとして「2030年代に原発稼動ゼロ」を可能とするようあらゆる政策資源を投入するとして、原則として原発の新増設を認めないとする革新的エネルギー・環境戦略を決めていた。昨日それを閣議で決定することを見送ることにした。

 国民の声が圧倒的に脱原発であることに鑑みて、脱原発へ舵を切ろうとしたばかりである。しかも、6月には、正反対な考えとして国民生活と経済の安定的な維持を考えると、今原発を停止することはできないと野田首相は述べていた。それらを含めて、我々国民は脱原発へ舵を切ったと考えていた。だが、腰の定まらない野田政権は、経済界の声、原発立地自治体、アメリカや英仏の原発を止めることの懸念などが強くなると、再び腰がふらつき出した。その挙句がこの朝令暮改となった。ちょっと酷すぎるのではないか。

 政府の逃げ口上ではこう言っている。「今後のエネルギー・環境政策については、『革新的エネルギー・環境戦略』を踏まえて、関係自治体や国際社会等と責任ある議論を行い、国民の理解を得つつ、不断の検証と見直しを行いながら遂行する」だそうである。本当はどうなのか。これではまるで骨抜きではないか。これは場合によっては、原発稼動はありうるということを示唆している。誰が悪知恵をつけたのだろうか。これでは、国民としては最早政府の言い分を信用することはできない。

2012年9月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1954.2012年9月18日(火) PCインターネットは従来通り光ファイバーで

 先月末以来、PCのインターネットをこれまでの光ファイバーから無線Wifiに切り替えるべく準備して、Wifi代理店の言うように受信用子機をセットして今日すべて準備完了としたかった。子機の購入の件もあり、今朝いつもお世話になっているITコンサルタントの小糸武彦さんに子機持参で来ていただいた。

 ところが、光ファイバーから無線に切り替え、光ファイバーを解約するということは、現状ではそれと連動して稼動しているテレビの画面が消えるのではないかと、昨日になって急に不安になりだした。小糸さんに聞いたところやはりその通りだというので、元の木阿弥ではあるが、一旦契約したWifiを解約する方がむしろベターだと判断して、無線通信契約をご破算とすることに決めた。そのために代理店に連絡を取っているが、相手が一向に電話に出ない。午後になってまた電話すると漸く電話口に出た係員が、営業は12時から夜9時までだと言い、おまけに解約違約金が38,400円もかかるとべらぼうなことを言う。テレビが観られなくなるのでは、多少通信料金が安くなっても、反ってサービス低下であり、その肝心なことを契約前に話してくれなかったのは代理店の落ち度であり、契約してまだ1ヶ月も経過しないものに、違約金としてそんな高額を払えないと言ったら、明日担当者が電話をくれるということになった。

 結論として無線通信を止め、従来通り光ファイバー回線でインターネット通信を続けることにした。

 それにしてもネットによる商取引というのは難しい。代理店のHPを見ながら承諾書を短時間内に読んで了解のキーを打ち、契約書は手元に残るわけではない。これまで書籍の購入を時折ネットでやったが、そんなに複雑なルールに従って行うわけではないので、やや軽く考えていた節がある。もう少し慎重に行うべきだったと猿でもできる反省をしている。ネットビジネスに落とし穴ありである。

 さて、中国における反日デモがエスカレートして、1931年柳条湖事件の勃発により満州事変が起きた、中国にとって「国恥の日」である今日、中国全土100都市以上で反日デモが行われ、被害を恐れた日系企業は操業を休止し、デパートなどの商店や飲食店は臨時休業し、日本人学校は臨時休校し、尖閣諸島周辺には12隻もの中国海洋監視船と漁業監視船が領海を侵犯するほどの過激ぶりである。日中間の交流事業がキャンセルされたり、双方向の観光客が大きく落ち込み、観光面で大きな影響が現れている。政府8省庁が日系企業の安全対策、被害対策について協議を始めた。

 専門家の中には、これほどの反日行為は政府内でも予想していなかったようだとして、国有化についてはもう少し熟慮すべきだったと今になって無責任な発言をする識者がいる。今日の民主党代表選へ立候補している鹿野元農水相、赤松元農水相、原口元総務相らが、民主党から多数の離党者を出したのは代表である野田首相の責任が重いと揃って非難していたが、手を拱いていた彼ら幹部党員にも責任があるのは当然だ。それは前者の発言とまったく同じ論理だ。自分たちは何もしないで都合が悪くなると相手を非難する。これでは何も問題は解決しない。こんな考え方だから、日中問題も当分解決の見通しが立たない。

2012年9月18日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1953.2012年9月17日(月) 敬老の日に元気な昇地三郎先生

 敬老の日である。高齢化社会が話題に挙がることが多くなった。65歳以上の高齢者が全国で3000万人を超え、全人口(1億2753万人)の24.1%が高齢者となった。高齢者人口は年々その割合が増え、昨年に比べて0.8%上昇した。これから福利厚生関係に占める高齢者関連予算のシェアがどんどん増えることだろう。そうなると景気回復がなければ増税と支出の削減ということに繋がるだろう。当然年金の減額や社会保障サービスの低下という厳しい状況になるかも知れない。昔学校で習った「ゆりかごから墓場まで」の標語が懐かしい。

 ところで、夜のNHK「ニュースウォッチ9」で敬老の日に因み「106歳からのメッセージ」と称して福岡市に住む1人のインテリの老人を紹介した。それが何と昇地三郎先生だった。昇地先生は「しいのみ学園」理事長で幼児教育の第一人者でもある。私は直接お会いしたことはないが、3年前に所属するNPO「知的生産の技術」研究会が企画・編集した出版物、「知の現場」(東洋経済新報社刊行)の発行に際して、私も編集スタッフのひとりとして浅からず関わり、我々スタッフが21人の識者を手分けしてインタビューした。私も21人の識者の内4人を取材した。文章編集の仕上げ段階で他のインタビュー記事の全般的な推敲に関わったが、そのひとりが昇地先生のインタビュー記事だった。すごい人がいると思いながら興味深く読み、原文に手を加えたことを思い出す。相変わらずお元気なのには改めて驚いたが、今日のテーマにはおまけがついていた。それは「106歳の最長寿世界一周旅行者」としてギネス記録に登録されたそうである。そう言えば、3年前103歳でも海外旅行を楽しんでいると言っておられた。傑物であるに違いない。

 さて、一昨日三連休を良いチャンスに奈良からやってきた長男の3人の子どもたちが、昨日は朝早く長男に連れられディズニー・シーに喜び勇んで出かけ、何と帰って来たのは夜11時半だった。すっかり遊び疲れて今朝は遅くなって起きてきた。午後1時過ぎに長男が車で新横浜駅まで送り、3人だけで帰って行った。彼らの行動でやや気になったのは、どうもゲームに夢中になっていることだ。上の男の子が中1で、下の二人の女の子は小学生であるが、今日も新幹線の中でも夢中になったのではないか。わが家にいる時でも3人が揃ってゲームに熱中している様子を見ると、これを止めさせるのは中々難しいのではないかと思う。一旦買い与えたら、もう止め処がない。今の子どもたちをどうやってこういうゲームに興味を持たせないようにしたら良いだろうか。我々世代はこんなゲームとは無縁だったし、我々の子どもたちでもほとんどゲームとは無縁に近かったと思う。現代の親は純粋に教育問題のほかにも、遊びの点でも監視し、指導しなければならないのでつくづく大変だと思う。

2012年9月17日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1952.2012年9月16日(日) 中国国内で反日デモがエスカレート

 尖閣諸島国有化に反発している中国の反日デモは日増しに激しさを加えて、今年が日中国交回復40周年の記念すべき年に当たるが、両国間の交流や親善イベントが民間レベルも含めて間際になって中国側によって一方的にキャンセルされるケースが増えてきた。尖閣諸島問題が原因というならまだしも、キャンセルの詳しい事情も語らず、ただ詳しい説明もなくそのような時期ではないというような事情では俄かに納得できない。また、それまでその実施に向けて企画に携わってきた人たちに対して失礼極まりない。これが老荘思想を輸出する国の人間の行うことだろうか。

 昨日反日デモは中国各地55都市で行われたが、今日は80都市で行われ、中国国内の日本企業や、デパート、日本レストランが襲われ狼藉される有様で、青島のパナソニックでは工場に火をつけられたり、イオンの如きは24億円分の在庫商品が奪われたり壊れたりしたそうだが、これでは政治的なアピールというより、器物破損、強奪であり完全な犯罪ではないか。こんな蛮行が愛国的行動として取り締まられないどころか、お目こぼしなのである。この状態だと凶暴化したデモの発生件数は過去最悪になりそうである。彼らがいくら正しいと思うことを主張しても行うことがドロボーと寸分変わらないのでは、世界の常識的な国家ではそんなお祭り騒ぎは線香花火に終わってしまうのではないだろうか。そうなることを願い期待したいと思う。実際呆れ果てる所業で、物言うも盗人猛々しいと言わざるを得ない。

 市内では日本人が暴行を受けたり、はたまたタクシーに乗車拒否されたり、中国流の「愛国無罪」の下に何でもありの様相を示してきた。いくら気に入らないからといって、罪のない人を襲ったり、それを国が黙認し、止めようともしない状態は異常としか言いようがない。こんな無法国家は他国と付き合う資格はないと思う。日本人排撃のインターネットの書き込みも度を過ごしていて、それを煽っているのがいつもながら中国官製メディアである。日本に有利な情報は隠匿し、自分たちにとって都合の良い情報しか流さず、正しい情報は国民に目隠ししている。これに気がつかない中国人がメディアにマインド・コンドロールされて喚きちらして、暴れている構図である。愛国→反日デモは、中国人の品性のなさと非常識を国際社会へ発信しているようなものではないか。特に、こういうアブノーマルなケースでは普通は行き過ぎるとどこかでブレーキをかける良識的な声が出てくるものだが、中国ではどこからもまともな声は一向に聞かれそうもないことである。これこそ国家がメディアをコントロールしている証拠ではないだろうか。

 それにしても酷いものだ。反日なら何をやっても許されるということが、理解できない。こういう偏った思考が生まれたのは、道徳教育の失敗と過度な反日教育によるものであり、長い間の中国共産党による一党独裁の支配体制に由来するものだ。血が上った中国人には、今何を言っても無駄だと思うが、もう少し冷静に事態を解決しようとの気持ちになるのを待つよりしょうがないのだろうか。中国人というのは、もう少しまともだと思っていたが、他人のことは構わず自己本位に騒いで行動する民族だということが分かった。残念なことである。

 尤も日本の政治家が事態解決に向かって解決のためのアイディアも知恵も出さないのも悪い。

 まったくこの数日は胸糞が悪くなるばかりである。

2012年9月16日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1951.2012年9月15日(土) 妻とのお見合いから44年

 44年前の今日妻と高輪プリンスホテルでお見合いした。その当時「9月15日」は「敬老の日」と決まっていた。敬老の日にお見合いする奴もあまりいなかったかもしれない。私にしては最初にして最後のお見合いだ。私はその頃ややスランプ気味で若気の至りもあり、会社を辞めるとか辞めないとか、或いはひとりで戦時下の国々へ海外武者修行へ出かけて、親にしてみれば少し腰を落ち着けさせた方が良いと考えたのだろうか、この当時しきりにお見合い話が持ち込まれた。

 まったく取り合わないでいたが、この時ばかりはお仲人さんの奥様が母と女学校の同級生で、お仲人さん夫妻と両親が親しく、昔から家族同士のお付き合いがあったせいもあり、加えて妻の父とお仲人さんが同じ会社の役員同志で家庭環境を良く知っていたこともあって、ともかく一度会ってみることになった。私も子どもの頃からよく知っているお仲人さんの奥様、妻の母、私の母が立会人?となって妻と会ったが、お見合いを終えて鵠沼の自宅に帰ってきたら、いきなり父がこの話に決めろと一方的に言い、結局それほどお互いに会うこともないうちに、翌年5月10日ホテル・ニューオータニ「芙蓉の間」で挙式し、翌日羽田から細かいスケジュールも決めないまま東南アジアへ新婚旅行に旅立った。

 この新婚旅行もマレーシアで戒厳令が発令され、突然ペナン空港が封鎖されるトラブルに見舞われペナンへも行けなくなってしまった。やって来たバンコック空港で急遽行先をチェンマイに変更したようなドタバタだった。

 お仲人さんが妻の父に私のことを「中々元気の良い青年」と触れ込んでいたうえに、私自身海外武者修行を繰り返して、当時としては傍目に少々型破りの人間に見えたようで、妻の両親も新婚旅行当初からトラブルに遭って少々あっけに取られたり、心配になったのではなかっただろうか。この男に娘を連れ去られるのではないかと思ったのか、11日間の旅行を終えて帰国は予定通り香港から羽田に帰り着いたが、妻の父が空港へ車で出迎えに来て、その日はそのまま我々新婚夫婦揃って妻の実家へ連れて行かれたほどだった。

 早いもので、思えばあれから44年が経過して、お世話になったお仲人さん夫妻、妻の両親に私の両親もすでに他界した。今は2人の息子と4人の孫に恵まれ、大したトラブルもなくまずまず平穏な生活を送っている。河上肇の言葉ではないが「幾山河越えては越えて来つるものかな」の心境である。

 今日長男の子どもたち3人が連休がらみで奈良から新幹線でやってきた。明日は長男が孫たちをディズニー・シーへ連れて行って、暫くわが家に居候している長男が子どもたちにサービスして久方ぶりのスキンシップを取り戻すようだ。

2012年9月15日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com