充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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1960.2012年9月24日(月) 大関・日馬富士が第70代横綱へ
昨日大相撲秋場所で大関・日馬富士が横綱白鵬を破り全勝で優勝を飾った。先場所も全勝優勝を遂げたので、2場所連続優勝したことにより、横綱昇格の資格と条件をクリアした。今日横綱審議会が開かれ横綱昇進を理事会へ答申したことによって、近々正式に横綱昇進が決定して、日馬富士は11月福岡場所において70代日下開山としてお目見えすることになる。
大相撲界には、このところあまり芳しい話は聞かれなかった。依然として日本相撲協会内外で聞かれる噂はぱっとしない。大体ミソをつけて辞めた理事長が、僅かな期間経過後、再び同じ理事長職に就くということ自体極めて異常である。普通の組織や団体ではあり得ないことである。八百長問題は根本的に解決されたのか。聞くところによれば、大相撲界は今暗雲が頭上を早く通過するのをじっと息を潜めて待っている状態だという。同じような過ちを繰り返さないよう願うだけである。
幸い大関・日馬富士は人間的にも真面目な性格で努力家のようなので、仮に横綱になっても手を抜いたり、八百長に手を貸すようなことはないと思う。白鵬と並んで東西に力強い横綱が控えるようになれば、いずれ相撲人気も復活するのではないか。欲を言えば、引退した68代横綱・朝青龍を含めて69代白鵬も日馬富士もモンゴル人だが、相撲が日本の国技であることを考えると、せめて次の横綱くらいは、日本人になってもらいたいものだ。
さて、ゼミ恩師の追悼文集も最後の詰めを迎えた。今日2人の編集委員とともに印刷会社へ最終原稿を持参して打ち合わせをした。全体としてはほぼ固まっているので、大きな問題はないが、PCのソフト、或いはバージョンの種類により「通し原稿」の表現の決まりが一部に左右されることがあることを知った。90頁程度の本文の内後半10頁弱が全体的な基準として決めた基準を勝手に逸脱して、別の基準の影響を受けて動くとは意外だった。印刷会社の部長さんも首を傾げていた。それでも何か対策はあるのではないかと思う。基本的な点で思うようにできないとは情けない。それでも一応のメドが立ってきたので、まずまず一安心ではある。
1959.2012年9月23日(日) 絶滅種動物の指定を見直し
今日は急に冷え込んできて、漸く身体で秋を感じる。朝からしとしと雨も降っていて遅い秋がやって来たかなと思うのはまだ早計だそうで、明日から再び残暑に戻るという。この異常気象のせいで、世界的にもおかしな現象が起きている。
‘NATIONAL GEOGRAPHIC’今9月号に「猛威を振るう異常気象」という特集記事が取り上げられているほどである。自然界に及ぼす影響が大きいようだが、野生動物への影響も無視できないようだ。高山の氷河や雪渓が解け出して年々小さくなったり、北極の氷が解け出したり異常現象が目立っている。確かに地球温暖化の傾向は、あらゆる分野に表れてきている。日本の気候も亜熱帯地方の陽気に似てきて、南方の動植物が一部には日本でも見られるようになった。従来は日本固有の動物だったものが、絶滅種に指定されている。何年か前にニホンカワウソが四国の四万十川で見られたのを最後に、完全に姿を消して絶滅種に指定されたのはつい最近のことであるが、カワセミの一種も絶滅種に指定された。保護色に衣替えをする愛らしい雷鳥も年々数が減り、このほど絶滅危惧種になったが、近い内に繁殖させるための専門家会議を行うという。
その中で珍しいのは、一旦絶滅指定となった田沢湖に生息していた「クニマス」が、姿を消して時間が経ち、絶滅種と指定されながら富士五湖のひとつ、西湖で生息が確認された。環境省は絶滅指定を見直し、本来の生息地以外で生きている種類と位置づけして「野生絶滅」にする方針だそうである。動物を保護するために止むを得ない措置かもしれないが、あまりやり過ぎるとややこしくなりそうだ。
佐渡のトキが保護されて少しずつ数が増えてきたことに鑑み、温かいサポートによって絶滅に近づく動物が救われるなら、当然そうすべきだと思う。そのためには、環境省の考えているような、発見されてから手を打つということではなく、学校教育の現場や家庭教育の場から保護の必要性を地道に啓発して、か弱い動物の保護に当たるべきではないかと思う。
あまりこういう動物にお目にかかることはないが、幸い雷鳥は、学生時代に立山で夏と冬に変色した姿を見ているので、運が良い方かもしれない。
今日「知的生産の技術研究会」八木哲郎会長へ6月に再訪したヨルダン旅行記を組版して送った。焦点を絞ったので誰が読んでも分かるように書いたつもりだが、写真を挿入して8頁になった。実体験のドキュメントとしては僭越だが珍しい内容で興味を持たせることができると思うので、少しでも読んだ人に楽しく、記憶に残るような印象を与えられれば嬉しい限りである。
さて、日中間の対立は、ついに今月27日に北京で予定されていた日中国交正常化40周年記念式典を無期限延期、つまりほぼ中止すると今日中国政府から正式に通達があった。延期の理由は諸般の事情とのことだが、尖閣諸島国有化であることは疑う余地もない。残念なことである。何とか少しでも対立を解こうと、事務レベルで打ち合わせする準備を進めていたが、国政レベルでNOのサインが出された。10年前の正常化30周年記念では、当時の橋本龍太郎首相が北京を訪れ、時の国家主席・江沢民氏とにこやかに握手を交わしていたが、それも今は昔となってしまった。
いつになったら両国が歩み寄りを見せるのだろうか。中国を何度も訪れ、中国人と仕事も一緒にして多くの友人もいただけに残念である。
1958.2012年9月22日(土) 日本政府はしっかりわが国の立場を主張せよ!
昨晩我々が宿泊した部屋は軽井沢プリンス・ホテルの中でも、コテージスタイルの部屋でそれぞれが一戸ずつ独立したものである。家族が久しぶりに寛いで泊まるには、打ってつけである。大木が林立する林の中に静かで、緑が溢れんばかりで抜群の環境にあり、昨晩はやや寒かったがおかげでゆっくり休むことができた。
今朝二男から「軽井沢絵本の森美術館」と「エルツおもちゃ博物館軽井沢」へ孫を連れて行くので一緒に行こうと誘われたのでお供したが、一昨年妻と訪れた塩沢湖を取り巻く周辺の「軽井沢タリアセン」のすぐ隣にあった。絵本やおもちゃの博物館もじっくり見学すれば、それなりに面白いと思う。タリアセンも湖の周辺の散歩道も整備され、小規模ながらも家族連れが楽しむにはほどほどの娯楽施設もあって、小さい子どもを連れたファミリーには手ごろだと思う。中々印象的で興味を惹く観光施設だったので、序に彼らをそこへ案内したところ気に入ってもらえたようだった。
軽井沢は2年ぶりだったが、偶にはこういう静かなところでゆっくりリフレッシュするのも良いものだ。その後彼らと別れて2時近くに軽井沢を発ち、6時ごろ無事帰宅することができた。
さて、尖閣諸島国有化以来反日デモが加熱して日中両国の間に険悪な空気が流れ、その後派手な反日デモはやや終息気味であるが、両国間に少しずつ経済、文化、観光などの面で影響が表れてきたようだ。一方で、来月中国国家主席に就任すると思われている習近平・国家副主席が、数日前アメリカのパネッタ国防長官に会った際、日本の右翼政治家たちが茶番を演じたと些か常軌を逸するような礼を失する外国への中傷的な表現で厳しく非難した。
前者については、日本から中国への輸出に関して、従来以上に厳しい通関手続き審査を行って物流に支障を来たしたり、日本関係の書籍の出版と販売を差し控えさせたり、スポーツや文化の交流を中止したり、或いは日中相互間の観光客の減少をもたらしたり、多くの分野で芳しくない影響が出てきた。
一方後者については、中国のトップが一方的に日本の対応を非難し、中国国民が過激な反日デモを容認し、その責任は日本が負うべきだと傲慢な弁舌を行っていたが、一昨日アメリカのキャンベル国務次官補が、ウェブ上院議員の質問に応える形で、日中どちらの肩を持つつもりもないと断りながらも、「尖閣列島は日本の施政権下にあり、1972年沖縄を日本に返還して以来日米安保条約の協議の対象にある」と述べたことを受けて、習副主席の日本攻撃は少しニュアンスを変えてトーンダウンした。しかし、軍部の態度は相変わらず強硬のようだから、これまで通り楽観は許されない。
中国の日本非難には常軌を逸する面があり、日本としては正論をぶつけて反論し、国際社会にアピールたいところであるが、当面は中国が頭を冷やすのを待つ方が良いだろう。
それにしても日本にとってやはり頼りになるのはアメリカしかないというようでは、この劣勢を逆手に取られる心配がある。今では、残念ながらわが国にとって日米安保条約が外国からの攻撃を防止する大きな抑止力になった感がある。これは日本にとっても両刃の刃となりかねないことを認識したうえで、アメリカとも真摯に向き会わなければならない。対中戦略上アメリカの傘の下にいることが、中国から言われなき攻撃を受けずに済むと短絡的に考え、自ら問題を解決しようとしないなら、反って中国の思う壺となる。アメリカに対しても渦中のオスプレイ沖縄配備問題について日本の立場を論理的に主張しないなら、また将来的な脱原発に懸念を表明するアメリカ政府に対して断固としてわが国の立場、考え方などをきちんと説明しなければ、どこの国に対してもわが国はひ弱な丸裸ぶりをさらけ出すだけである。結局日本は断固として言い分を主張せず、他国頼りか、沈黙を守ったまま何も言わない静かな国であると足元を見透かされるだろう。
ところで、今日は「秋分の日」であるが、例年「秋分の日」は23日が相場と決まっている。それが今年は今日22日が「秋分の日」で、意外にもこの椿事は、実に116年ぶりだそうである。嘘のような本当の話である。
1957.2012年9月21日(金) 民主党代表に野田佳彦首相を再選
すっかり国民の信頼を失ってしまった民主党は今日代表選を行い、野田代表が大差で他の3候補を破り、引き続き代表に選出された。国会議員票と地方代議員・サポーター票1321の内、野田氏が818票、つまり全体の2/3を獲得した。だが、この後野田代表の下に引き続き民主党が政権を維持してことになったが、どう国政を機能させていくのか、どうもはっきりしない。いずれにせよ政権を託された以上国民の期待に応えるよう精一杯の努力を尽くすことは政権与党としての責務であり、ぜひそのようにお願いしたい。26日には自民党総裁選が行われ、その結果次第では早晩国会が解散するかもしれない。その自民党の総裁選も何やらきな臭い。国内外に多くの課題を抱える日本の政治は、どう国民の期待に応えることができるのだろうか。あまり期待できるとは思えないが、ダメはダメでもそうばかりも言っていられない。
さて、新潟にいる二男家族に誘われ今日軽井沢プリンスホテルへ宿泊することになった。車でホテルまで関越道から上信越道を通り、約3時間半の道のりをやって来た。2年ぶりのプリンスホテル滞在であるが、学生時代に夏休みを2回父の会社が夏だけオープンした旧軽井沢のアイスクリーム店でアルバイトをやったので、懐かしいところである。その軽井沢にも長野新幹線が停車するようになって、駅周辺が開け雰囲気は様変わりした。特に駅の南側は西武グループが開発した新興地で、いわゆる軽井沢のイメージがあまり感じ取れない。軽井沢と言えば、避暑地としてのイメージが強くその点では旧軽井沢に止めを刺す。昼食を旧軽でいただこうと、久しぶりに旧軽井沢散歩を楽しもうと出かけてみた。
JR軽井沢駅前のお蕎麦屋で腹ごしらえした後、駅前に生えた樫の大木の見事さに、かつてこのような大木があったのか記憶にないので、店主に聞いてみると駅前の整備計画の際郊外から移植したものが、上手い具合に根付いたものだという。中々立派な木ですでに軽井沢を象徴するような風格がある。いずれ軽井沢町のシンボルというか、名物になるのではないか。
旧軽井沢に残るいくつかの往時の名残が土地の伝統を伝えてくれる一方で、新しいよそ者の大木がその土地に根付くというのは、新しい伝統を作り上げることになると思う。
昔の面影が残る旧軽井沢に比べて、やはり新開地の駅南側アウトレット周辺は雰囲気が異なる新しい今風の賑やかさと派手さがある。旧軽井沢は夏の最盛期の熱気は消えたが、やはりいわゆる軽井沢銀座となって、古い佇まいが残っているかと思えば、ニュータイプの建物があったり、チグハグな趣もあるが、一見して中々味がある通りである。妻と周辺を一回りして、通りに面したコーヒーショップでコーヒーをいただく。
昨日まで暑さに閉口したが、今日は曇天で暑さはそれほどでもない。だが、今夏の異常な暑さが昨日まで続いていたことを考えると、今日は涼しいくらいである。特に、軽井沢の陽気は半袖では涼し過ぎる。用意していたジャケットを羽織って丁度良いくらいである。
夕食はホテルの外で息子たちとともにした。一ヶ月前に彼らと箱根で1日をともにしたが、孫の成長も見ることができてまぁ楽しい一日となった。
今日プロ野球セ・リーグで読売巨人軍がぶっちぎりの優勝を遂げた。3年ぶり34回目の優勝である。昨年まで球団オーナーだった滝鼻卓雄くんもさぞや喜んでビールかけを見ているのではないか。3年ぶりの優勝だからその気持ちは分かる。来月ゼミの最後の例会があるので、その時会えたら巨人ファンのひとりとしてお祝いの言葉を伝えたい。
1956.2012年9月20日(木) 電話によるビジネスは難しい。
一昨日の本ブログに書き込んだインターネットの無線通信の件について、結局元通り光フレッツを続けることにした。だが、最終的に話の決着がつかないまま、昨日代理店から電話を待っていたが、中々連絡がないので当方から電話をしたところ、1時間半ほどしてから担当者から電話させるという回りくどい話になった。ともかく待っていた担当者の電話が何とも一方的で、無線Wifiが光フレッツのテレビと連動しているので切り替えるとテレビが観られないので、これでは反ってサービス低下につながるのでこの件はキャンセルしたいと話した。ところが相手は、テレビの件は冒頭に話した筈だと言う。そんなことは聞いていないし、それが分かれば無線Wifiには最初から申し込まないと抗議したところ、言った、言わないの話になり、半ばけんか腰でとにかく契約をキャンセルし、38,400円もする高額な違約料金についても、業者側に説明不足があったので支払う必要はないと強く言って電話を切った。その後再三電話がかかってきたが出なかった。
今日になって同じ人物がソフトな声で話を作り上げて私の契約はなかったものとして取り扱うことにして、ほぼ私の要望通り受け入れてくれるということになった。従って違約金は支払わなくてもよいことになった。
これで一件落着というところだが、どうも後味が良くない。電話ビジネスというのは、じっくり話し合うということがないので、どうしても説明不足になり大事なアイテムを見落としてしまうことがある。まあ無駄な時間と手間をかけたが、元通り光フレッツを利用することで落ち着いた。
やれやれである。
6月に旅したヨルダンとイスラエルについて旅行記を書いていたが、漸く脱稿した。次号「知研フォーラム」に寄稿するつもりだ。要旨は、1967年にヨルダンの首都アンマンを45年ぶりに訪れ、前回丘の上でヨルダン軍に身柄を拘束された現場を再訪した印象と懐旧談を旅行記として綴った。A4判で7枚にまとめたが、これに写真を8枚程度添えて組版したうえでPDF化して送稿しようと思っている。珍しい体験記だと思うので、ある程度関心を抱いてもらえるのではないかと思っている。