充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
ブログ一覧
1988.2012年10月22日(月) ドナルド・キーンさんの日本人観
今朝の朝日新聞に先般日本国籍を取得された日本文学者で、コロンビア大学名誉教授のドナルド・キーンさんへのインタビュー記事が掲載されている。キーンさんは文学者というばかりでなく、社会運動のサポーターで、多くの運動家とも交流がある。
東日本大震災を機に日本への帰化を決断されただけに、90歳の高齢にも拘わらず、精力的に被災地を訪れたり、講演活動に東奔西走するほどの忙しさだという。そのキーンさんが日本文学の中に「日記文学」というジャンルがあることが極めて特徴的だと話されたことに感銘を受けた。
「日本では『土佐日記』から始まり、『和泉式部日記』などの宮廷の女性たちの日記、そしてあらゆる戦争の間も人々は日記を書いていました。ほかの国では、日記はあくまでも資料という扱いですが、日本では『日記文学』というジャンルがあります。これは日本文学だけだと思います」
そして、キーンさんは日本人の日記の中に日本人らしさが表れていると考えておられる。例えば、高見順の日記を参考にしながら、「母を疎開させようと訪れた上野駅は罹災民でいっぱいだったそうです。しかし、人々はおとなしく我慢強く謙虚でした。前年に高見順が見た中国人たちの騒がしい光景とは大きく違った。彼は『私はこうした人々と共に生き、共に死にたい』と書きます。私も同じです。今こそ、日本人とともに生きたいという気持ちです」とキーンさんは語っている。
仏文学者で小中陽太郎さんの東大時代の恩師でもあった、渡辺一夫氏についても話している。「忘れられないのは、フランス文学者の渡辺一夫です。彼はこう書いていました。『もし竹槍を取ることを強要されたら、行けという所にどこにでも行く。しかし、決してアメリカ人を殺さぬ。進んで捕虜になろう』。こういう発言をした人はほかにはいません」。
また、こんなことも言っている。「日本の軍人は平気で命を捨てると聞いて、日本人は何を考えているのかわかりませんでした。米軍の日本語通訳となって、日本の軍人の日記を読みましたら、彼らは日記の中で家族のことを考えたり、戦争が終わったらこんなことがしたいと書いたりしていた。日記を読むことで私は日本人を知った、という感じがしたのを覚えています」。なるほどと思うと同時に、キーンさん独特の日本人観はこうして養われたのかと思うと心が温まるような気がした。
偶々来月26日の「ペンの日」のゲスト・スピーカーは、キーンさんだ。どんな話をされるのか今から楽しみである。
1987.2012年10月21日(日) 丹羽宇一郎・駐中国大使の努力を無にしてはいないか。
先日来ホームページの内容変更送信に不都合が生じて少々困っている。今のところブログの送信変更には問題ないが、すでに危険信号が表れている。もし、このブログの変更内容が送信できなくなると、毎日まったく同じ画面になってつまらないHPになってしまって読んでもらえなくなると気になっていた。文章だけのブログなら送信量は比較的軽くて済むが、実際に写真入の重い情報をHPへ送信すると画像アップが機能しなくなるので頭痛の種だった。そこでいつもお世話になっているITコンサルタントに昨日相談してみた。現在HPは自分のPCからリンククラブを経由して送信してもらっているが、そのリンククラブ所定の個人用容量がどうも限界に達しているらしい。そこで現在の容量を増やすか、それがダメならリンククラブのような別の組織で、もう少し容量に余裕のあるのを見つけて所属を変更するしかない。コンサルタントと相談しながら当方の意向をリンククラブへメール送信したので、明日以降に連絡があると思う。
現状では新しい情報をアップしようにも、送信できないので、リンククラブの回答を待って対処するしか効率的にHPを機能させる術はないと考えている。
さて、まもなく任務を解かれる駐中国大使・丹羽宇一郎氏が一時帰国中に、昨日母校の名古屋大学で講演し、尖閣諸島国有化を巡る中国側の反発について、過去の日中対立の局面とはまったく次元が違うと、強い危機感を述べた。同時に、丹羽大使は野田首相にどう事態を解決しようとしているのかと訊ねたが、現場の感覚(つまり中国側の空気のことではないか)は理解を得るのが難しいと応えられ、どういう考えなのか理解できないまま、野田政権の対応に苛立ちを隠しきれないでいる。
丹羽氏は難しい中国外交の切り札として民主党政権発足とともに、中国を良く知る民間人としてその経歴(伊藤忠商事元会長)を買われ、日中外交の最前線で中国との友好関係促進に努めてきた。しかし、日本政府の尖閣諸島国有化は日中間に問題を投じると発言したことが、中国寄りと見られ政府の方針に相容れないとして、更迭的な処分を受け9月に帰国の予定だった。ところが後任大使西宮氏が急逝され、後任が決まるまで任地に留まるという中途半端な立場にあった。中国に残留し反日の圧力を現地でもろに受け、公用車が襲われる事態にも遭遇している気の毒な人である。
民主党政権の丹羽氏ら中国駐在外交官に対する配慮があまりにも足りないのではないか。これでは丹羽大使の努力も水泡に帰してしまう。実は、外務省内では当初民間から大使を迎えることには否定的な声が強かった。そんな四面楚歌の中で丹羽大使は精一杯に日中友好のために努力を重ねてきた。しかし、それは突如澎湃として湧き上がった反日運動と、民主党の外交政策の犠牲によって功を奏することはなくなった。今後このような大役を引き受ける民間人が現れ出てくる可能性が消えてしまったような気がする。
それより何より、これだけ行き詰まった日中間の対立を、今後どう解決へ導いていくのか。政府からは誰一人として建設的な提言を行う政治家がいない。まったく先が見えない。こんなことで日本の政治と外交は大丈夫だろうか。
1986.2012年10月20日(土) 橋下大阪市長に白旗を掲げた「週刊朝日」
昨日取り上げた橋下徹・大阪市長と「週刊朝日」の対立は真っ向勝負となったが、昨日深夜になって朝日側がお詫びのコメントを発表し、次号にお詫び公告の掲載と以降の連載を打ち切ることで収束の見通しとなった。橋下市長も「ノーサイドにしてやる」と終戦宣言をした。
実は昨晩インターネットで情報を探っていたところ、石原慎太郎・東京都知事や猪瀬直樹・副知事らが「週刊朝日」の記事について、出自や肉親の過去まで暴き出して批難するのは卑劣だと朝日側を批判していた。特に、猪瀬氏は主筆者である佐野真一氏の忌むべき過去の盗用履歴まで明かして佐野氏の行為を批難した。ともに作家である猪瀬氏と佐野氏は同年齢であるが、元々仲が悪かったらしい。猪瀬氏の言うとおり、実際に佐野氏は「月刊現代」85年11月号に池田大作に関するドキュメントを書き、そこには溝口敦氏の著作から十数か所盗用箇所があり、翌月号にお詫びと訂正を載せたことがある。この時から猪瀬氏は佐野氏の品性に疑問を持ち、付き合いを止めたと述べている。他の佐野氏の作品にも盗用が見られるという。
佐野氏は「記事は『週刊朝日』との共同作品であり、すべての対応は『週刊朝日』に任せている。記事の中で同和地区を特定したことなど、配慮に欠ける部分があったことについては遺憾の意を表します」とのコメントを発表した。ここまで責められては逃げようもない。佐野氏も観念したのだろう。大朝日が白旗を揚げるのは珍しい。それだけにこの記事の内容について朝日としてもよほど不味いと考えたのだろう。佐野氏は記事の中で、「もし万々が一、橋下が日本の政治を左右するような存在になったとすれば、一番問題にしなければならないのは、敵対者を絶対に認めないこの男の非寛容な人格であり、その厄介な性格の根にある橋下の本性である」とまで語っている。ならば、周囲の出自だとか、環境など非民主的な手法で攻めるより、もう少し本筋を突いた橋下個人の言動を炙り出して橋下氏の実像を描き出すべきではなかったか。
それにしても「日本維新の会」代表である橋下氏は、近づく解散・総選挙を念頭に、本業である市長職を放り出して早くも全国遊説へ飛び出していった。これから益々東奔西走の忙しさとなるであろう。とすれば、先日本欄で危惧したように、このままでは大阪市長としての責任ある職責を全うすることができるかどうか疑問である。他人事ながら些か気にかかる。
良きにつけ悪しきにつけ、どこまでも人騒がせなお人である。
1985.2012年10月19日(金) 橋下徹・大阪市長vs.「週刊朝日」の対決
「日本維新の会」を国政政党として立ち上げ、政界はおろか日本中の各方面に旋風を巻き起こしている橋下徹・大阪市長にまつわる特集を、「週刊朝日」10月26日号が緊急連載を始めた。表紙も橋下市長の顔を大きく扱い、そしてその表題がすごい。「ハシシタ 救世主か衆愚の王か」や、「橋下徹のDNAをあぶり出す」とか、「ハシシタ 奴の本性」とか、あまり好意的ではなく、とにかく凄まじい。やれ、橋下市長の父親は全身刺青のヤクザで、自殺をしたとか、やれ、従兄弟は殺人を犯したとか、知られたくも明かされたくないプライバシーの暴露には驚いた。一昨日駒沢大学の清田講師がここまでやるかと驚いて言われたほど一貫して橋下市長攻撃が徹底している。私も一読して、ここまでプライバシーを一般に暴かれたら橋下市長も黙ってはいられまいと感じた。各方面で脚光を浴び、その言動があらゆる面で注目されている橋下市長は権力の座に就いたが、ここまで大朝日に厳しく攻撃されるとは思ってもいなかったのではないか。見方によっては、それほど橋下氏はある面でメディアを敵に回してしまっていたとも言えるのではないだろうか。
これに対して橋下市長は、直ちに反撃を開始した。言論の自由は尊重されるべきであるが、ここまでプライバシーを暴かれては我慢ならないとばかりに、今後朝日新聞と朝日放送の取材を拒否すると伝えた。だが、これは些かやり過ぎで公私を混同していると思う。アピールするなら私的な面だけに留めておくべきだろう。
これに対して、「週刊朝日」編集長が今朝の朝日で橋下市長に謝罪をした。朝日記事によれば、同誌は同和地区問題で差別の是認や助長をする意思はなく、その点で表現が不適切だったと謝罪し、次号で「お詫び」を掲載するという。しかし、この謝罪文では、市長個人や縁戚に関するお詫びがなく、むしろ二次的な同和問題のお詫びだけになっている。案の定橋下市長はこの謝罪コメントに納得せず、「人格を否定する根拠として先祖、縁戚、DNAを挙げて過去を暴き出した」と批判している。特に、家族の出自や被差別部落の地名まで触れた点を強く非難している。今後どういう結末になるのか判らないが、次号の掲載内容を読んでみたい。ただ、この特集の中心執筆者は、ノンフィクション作家の佐野真一氏で、氏の面子もあり、そう簡単には白旗を掲げないだろう。佐野氏のコメントも楽しみに待ちたいと思っている。
願わくば、言論の自由とプライバシーの保護を一緒くたにしないでもらいたい。
1984.2012年10月18日(木) 衆参両議院とも一票の格差は違憲状態
品川ロータリークラブから初めて講演依頼を受け、会場の「グランドプリンスホテル高輪」へ出かけた。ここはかつて「高輪プリンスホテル」と呼ばれていて、戦後竹田宮家跡地に建てられ、広い庭園もあって雰囲気も高級で中々格式が高い。ホテル全体の建物は再建され、内庭もきれいに手入れされ豪華になったが、古い西洋館風の建物だけが、以前と同じ場所にそのまま残されている。何とそこが、44年前妻とお見合いをした場所だ。感慨深い場所のひとつだ。今日の講演会場演台からも真下に見えたので、話の中でもつい脱線してお見合いの話をしてしまった。恥ずかしながら猿でもできる反省のひとつである。
実は、卓話と呼んでいる30分の講演をスタートさせようとしたところ、冒頭USBメモリーのパワーポント画像が中々PC画面上に現れず、些か慌てた。こんなこともあろうと、早めに会場へ来てテストをした時にはいつも通り何ら問題はなかったが、本番での失敗は取り返しがつかない。実際卓話はわずか30分なので、どうやって要点を圧縮してまとめたら良いか考えていただけに、最初に無駄にした10分近い時間がもったいない。結局卓話は時間切れになり、会員の方々にも惜しまれながら打ち切ることになってしまった。しかし、それが災い転じて福と成すの結果となり次回続編をお願いしたいとのお声をいただくことになった。
しかし、なぜパワーポイント画面が直ぐに現れなかったのか、どうも原因がはっきりしないだけに悔いが残る。次回チャンスをいただけたら今度こそ名誉挽回を図りたい。皆さんには楽しんでいただいたようなので、慙愧に耐えないというほどのことはないが、それでも心残りはある。
さて、昨日映画監督の若松孝二氏が交通事故で亡くなられた。ピンク映画で名を成したが、その後社会問題を風刺した問題作品をいくつも作り、その中で「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」は2008年のベルリン国際映画祭で最優秀アジア映画賞を受賞した。2009年3月に埼玉県所沢で行われた、その連合赤軍作品鑑賞会で、高校ラグビー部の先輩である元全学連書記長だった清水丈夫さんについて若松監督と話をしたことがある。実力派の監督だったので、これからも社会の歪みをえぐるような力作を期待していたが、残念ながらそれも夢となった。
ところで、今朝の新聞で最も大きく取り上げられたのは、最高裁が参議院の一票の格差は違憲状態にあると判断を下したことである。これは一票の格差が最大の5倍となった一昨年の参院選をめぐり、弁護士らが「選挙区ごとの投票価値が不平等なのは違憲だ」として、各地の選挙管理委員会を相手に選挙無効、つまりやり直しを求めた訴訟に対する判決である。最高裁は違憲を認めながらも、選挙無効の請求は退けた。
最高裁は、昨年3月にも最大格差が2.30倍となった、2009年衆院選でも違憲状態と判断しており、これで衆参両院ともに違憲状態という異常事態となった。
今直ちに成すべきことは、国会で継続審議となっている参議院の「4増4減」案や、かねてより問題を投じていた衆議院の「一人別枠方式の廃止」法案の成立を図ることであり、その後に最高裁も強く求めているように、一日も早く抜本的な選挙区の見直しを行うべきであろう。
しかし、これこそが問題である。自分たちに降りかかってくる問題に対して、いつも腰が引ける国会議員が最高裁判所から違憲状態だと判断されても直ぐ腰を上げるかどうか、あまり当てにできない。とにかく自分の都合でしか動かない国会議員を今やまったく信頼することができない寂しい状況にある。
さぁ、どうする? 国会議員たちよ!