ブログ・ご意見番の意見

 充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。

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1993.2012年10月27日(土) 追悼文集を発行し、大学ゼミの例会・飯田会も最後となった。

 大学ゼミの恩師を追悼する「飯田鼎先生追悼文集」の発行記念を兼ねて、ゼミ最後の会合・飯田会が母校・慶應義塾三田キャンパス内のファカルティ・クラブで行われた。追悼文集約百冊を会場へ運ぶため、居候中の長男に大学まで車で送ってもらった。数年ぶりに訪れた懐かしい三田キャンパスには新しい建物があるが、古い建物も残っていて土地勘は何となく頭に残っている。

 編集委員が幹事を兼ねることになったので、全員早めに集合してもらった。先生の奥様が慶大生のお孫さんに付き添わされてわざわざ鎌ヶ谷市から来られて冒頭にご挨拶をいただいた。他に挨拶されたOBは申し合わせたように、飯田ゼミで恩師から指導を受けた幸せを語っていた。私は編集長としての立場上、編集委員全員を紹介旁々、発行に至るまでの経過報告を行った。

 会合の若干の手違いは、OBへのスピーチ依頼が当初の予定より多人数になって会話を楽しんでもらうとの願いが思惑通りに運ばず、少々手順が狂ってしまったことだ。中にはそれとなくそっと耳打ちをしてくれた同期生もいた。ちょっと会話の時間が少な過ぎたということと、そのために料理の食べ残しが多かったことが誤算と言えば誤算だった。

 ひとつ残念だったことは、高校の後輩でもある元岩波の中村寛夫くんが、出席の予定だったにも拘わらず来られなかったことだ。大分体調が悪いのではないかと心配である。山崎洋さんのセルビア版「山の花環」の文庫本出版について岩波書店の考え方と発行の可能性について、彼の感想を聞いてみたかった。

 これを最後の飯田会にするのは忍びないとの強い要望に合わせて、何年後とまでは決められないが、「ポスト飯田会」会をやってみてはどうかとの声が出てくるほどの思い入れだった。今後どうなるか判らないが、こういう声が出てくること自体、このような滋味のある楽しい集まりを、それぞれに人生の後半を迎えた現在、このまま消滅させてしまうのは惜しくもあり、寂しいとの切実な要望があるからだと思う。

 一旦最後と決めたが、今後この会をどうするのか、会合後の編集委員会でいろいろ意見が出たが、しばらく時間を置き、編集委員が改めて来年初めに会って検討しようということになった。それも飯田先生への敬愛の念から生まれたものだと思う。飯田先生に巡りあい、ご指導いただいたことは本当に幸せだったと思わないわけにはいかない。

 それにしても昨年暮れに編集委員会を発足させてから、ほぼ10ヶ月間精一杯追悼文集作りに努めてきたが、今日何とか所期の目的を果たすことができて肩の荷が下りたような気がしている。

2012年10月27日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1992.2012年10月26日(金) 石原都知事辞任の波紋と影響

 今朝の新聞はどれも一面と社会面は石原都知事関連記事が満載である。テレビも各局とも石原報道で持ちきりである。これほど言動で影響力の強い政治家は、今や石原知事と橋下大阪市長をおいて他にはいないのではないか。知事には強い語調で決め付けるような発言が多く、時として反発や顰蹙を買うことが多いが、かなりの部分で頷ける点もある。「硬直した中央官僚の支配体制を変えないとダメ。役人と戦っていかないとこの国は沈んでしまう」とか、「国とかかわる行政に関してはほとんど国の妨害に遭って、非常に苦しい思いをした」と官僚の手法に手厳しい。昨日の記者会見でも各省庁を片っ端から批判していた。前原誠司・国家戦略担当大臣に対する個人的な非難はボロクソだったが、よく両者の言動を比べてみるとこれも石原知事に分も、理もある。

 だが、大きな話をする割りに具体的な目標やその進めかたが漠然としているように思える。これに対して各政党では都知事という後ろ盾が無くなった石原氏は恐れるに足らずと、ほっとしたような空気も窺える。

 中国や韓国も従来反感を持って石原知事を見ていたが、ここへ来て知事を右翼政治家とか、極右と騒ぎ反って国政舞台へ出てくることを警戒している。だが、しかし、中国の言う右翼というのは、むしろその逆で最近の中国こそ左翼から転じて、今では中庸から大きく外れ「右翼」的になっているのではないかと思う。

 石原知事はどうしても徹底的にやっつけるという気持ちが強いせいか、その手法が強引で一方的に思える点でかなり損をしているのではないかと思っている。今すぐ可能性や、結果が表れるわけではないが、規模は小さくとも石原氏の行動が政界に大きなインパクトを与えることによって、政治の流れがもう少し国民寄りになれば、石原氏の投じた一石は効果があったと見るべきであろう。

 さて、昨日注目のプロ野球のドラフト会議が開かれ、来年プロ野球界へデビューする新人選手の指名を行った。気になったのは、高校生投手として史上初めて最速160㎞を投げ、先日アメリカ大リーグ入りを表明した花巻東高校の大谷翔平投手を、日本ハム・ファイターズが敢えて強行指名したことである。聞けば、大谷投手は家族や周囲が日本球界入りを勧めたのに、自らが大リーグでプレイしたいの一念を押し通し大リーグ入りを決断したそうである。にも拘わらず少年の決意を配慮することもなく、むしろ有無を言わせず強引にドラフト指名して自球団入りを推し進めようとする球団は、ルール上は許されるにしてもあまりにも浅はかだとしか言いようがない。更にプロ野球界には、もしアメリカで成功せず日本へ帰ってきてもお灸をすえて、一定期間入団を認めないという意地悪なルールもある。まったく維新による開国以前のような感覚である。料簡が狭いというしかない。

 ファイターズが指名した理由のひとつには、野球界には高卒球児に直接大リーグへ行かれては、日本球界に有能人材が枯渇すると考えている節があるからである。しかし、それは日本球界が若者にとって魅力に欠けるからであり、自分たちは反省もせず、それを高校生の責に帰すかの言動は正しくない。

 今朝の日経紙「春秋」も、「18歳という若さは見たこと、触れたことを自分のものにする力が一生のなかでも旺盛なときだ。一流選手の技やプレー姿勢を貪欲に吸収してほしい。それが日本球界の財産にもなるだろう」とアピールしている。若い高校生をとやかく言うより、プロ野球界こそもっと大人になれ!と言いたい。

2012年10月26日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1991.2012年10月25日(木) びっくりしたなぁ!石原都知事辞任へ

 昨日の本ブログで高校の先輩・根岸英一博士について触れたばかりだが、今日は同じく高校の先輩で、根岸博士にとっても1年先輩の石原慎太郎・東京都知事の突然の知事辞任と新党結成のニュースには正直びっくりした。

 高校2年生時の授業で担任教師が「今度芥川賞を受賞した石原慎太郎くんは君らの先輩だよ」と話されたことをよく憶えている。

 石原知事の新党結成は以前から度々噂に上がっていたが、昨年都知事選立候補に際して松沢・前神奈川県知事との間にしこりを残した曰くつきの4選からまだ2年足らずの任期途中で、しかも年齢的にも国会議員にまで踏み切ることはないだろうと考えていただけに、まさに知事辞任は青天の霹靂だった。新党の代表となって、衆議院に立候補するという。これで政界に新たな風を吹き込むことになるだろうか。しかし、すべて万々歳というわけにも行くまい。石原知事は、もう年を取り過ぎていると言っては先輩に失礼だが、4月にアメリカで尖閣諸島の都による購入計画を爆弾的に発言して、その後の日中間の対立を引き起こすきっかけを作ったり、とかく台風の目玉となってきた。このニュースは早速中国のテレビ局でも速報されている。

 石原知事の言動には、アイディア、発信力、行動力、説得力など、良い点もたくさんあるが、首を傾げざるを得ないことも数々ある。今日はあまりにも唐突な発表でとにかくびっくりした。号外も出た。これから賛否を含めていろいろな意見や論評が出てくることだろう。

 さて、昨日原子力規制委員会が公表した、全国にある原発16ヶ所の放射能拡散予測結果が大きな波紋を投じている。防災地域を原発8~10㎞から30㎞以内に拡大した。この対象市町村は45から135に増え、人口は480万人になる。一旦事故が発生したらこれらの人々をどうやって避難させるのか。交通機関の混乱は想像を絶する。これにより原発再稼動のハードルが一層高まった。すでに政府や民間の事故調のアンケートなどにより、国民の大多数が原発再開に否定的であるとの意思ははっきりしている。政府も煮え切らない態度であるが、先月には2030年代に原発ゼロを目指すとの革新的エネルギー・環境戦略の方針だけは発表された。他方で規制委員会が安全性を確認した原発は政治判断を挟まず再稼動させるとの矛盾するような方針も公表している。はっきり言って政府も迷っているのだ。

 ところが、その一方でこれに逆行する声も経済界を中心に根強くあり、更に火力発電に頼らざるを得ず、国際社会に約束した二酸化炭素の削減が困難であること、海外、特にフランスやアメリカから日本の原発中止に対する身勝手な反対意見も寄せられる有様である。

 これらのマイナス要因を考え、国民の過半数が反対していることを踏まえると、原発は長期的に国民生活の幸福度から見ても最早再稼動は難しいと判断すべきである。

 今朝の朝日新聞では、社説と論評ともに「放射能予測 防災が無理なら廃炉に」とか、「廃炉の原発 決める時」とピシャリ断じている。防災計画が広域化されたことも新たに大きな問題となった。これができないと稼動は困難との規制委員会田中委員長も言っている。これでは、問題丸抱えの原発再稼動より、国民生活にとって不自由は伴うが、安全な原発ゼロ社会理念を受け止め、電力の無駄な消費を止めてすべての原発を廃炉にした方が、よほど人間の智恵と理性を生かした人間らしい社会生活を送れることになるのではないだろうか。

 原発再稼動絶対反対!

2012年10月25日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1990.2012年10月24日(水) 若者は積極的に海外へ行こう!

 日経新聞朝刊の「私の履歴書」に、今月は高校の先輩であるノーベル化学賞受賞者の根岸英一博士が書いておられる。今日の文章では若者が研究活動に限らず、積極的に海外へ出ることを勧めておられる。昨年3月博士にお会いした際、旅行好きな点で大いに意気投合し、拙著「現代・海外武者修行のすすめ」を差し上げた時、「近藤さんはどんなところに行かれましたか?」と訊ねられ、ベトナム戦争中にベトナムへ行き、その翌年には第三次中東戦争直後で戒厳令下のアンマンでは、軍隊に身柄を拘束されたと申し上げたら、私にはそんな勇気はありませんがと笑いながら、とにかく何でも若いうちに海外へ行って外国を知り、外から日本を見てみることは自分を成長させるために大切なことであると仰った。その点で博士と大いに意気投合したものである。博士の言葉に勇気づけられ、若い人が多い大学の講演などではその点を説明して、できるだけ若者が海外へ出かけるよう、それもできるだけひとり旅を勧めている。

 実は心配されている日本の若者の現象のひとつに、遊びならともかく留学目的では外国へは行きたがらない傾向があるということである。アジアのインド人、中国人、韓国人らの留学生の数が増えているのに反して、アメリカで学んでいる日本人留学生の数が近年随分減少しているらしい。日本の若者の行動パターンには、チャレンジャー精神とか、積極性、行動力、向上心、国際性などが年々薄らいでいると言われている。若者が内向き志向になり、外部と言葉でコミュニケートしないで自分の世界、つまり内に篭る傾向がある。人と交わらず無機質な機器を介した交流まがいの会話で事足れりとしている若者が多いようだ。そんな会話は平面的で感情が篭らず、会話とも言えない会話に終わっている。人間関係の基本である、相手の目を見て相手の気持ちを考えながら話をし、相手の話を聞くことなどから逃避している。これでは相手の気持ちなんかわかる筈がない。こんなことを重ねていると人間の情緒や感情が判らないまま社会生活を送っていくことになり、それは自分が無感情な人間を演じていると同時に、接触する人々にも感情を伝えないロボット人間化を求めていることになる。こうなると人間として生まれながら人間としての使命を果たさずに朽ち果てるだけではないかと思う。ここ数日前から話題になっているパソコンによる遠隔操作が仮に蔓延ったりすると、人間は必要とされなくなるのではないかと考えてしまう。恐ろしいことである。

 機械化が進歩し便利になるなら、あくまでそれは機械に操られることなく、それを操る人間が幸せになることが前提でなければならない。今日のPCやら、IT文化の進歩はこのままで良い筈はない。それには自分の目で見て、自分の手で触れ、自分で行動して感じるという人間のベーシックな行動ができるよう行動しなければいけない。

 つい脱線してしまったが、若者だけに限らず、誰しも機会を捉えてどんどん海外へ出て直に自分の五感で異文化に触れるうちに、自ずから相手を慮る感情が培われるものである。

2012年10月24日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1989.2012年10月23日(火) 映画「恐怖の報酬」をテレビで60余年ぶりに鑑賞

 久しぶりに古いフランス映画をNHKで観た。サスペンス映画の「恐怖の報酬」で、カンヌ映画祭やベルリン国際映画祭でも、それぞれグラン・プリと金熊賞を受賞した秀作で、その当時まだ日本にこの種のスリルとサスペンスを描いたような映画は珍しかったために、大きな話題を提供した。シャンソン歌手イヴ・モンタンが主役で男優賞を獲ったことでも話題になった。日本で公開されたのは制作された翌年の昭和29年、高校1年生のころだったが、確かその翌年に藤沢市内の映画館でただ一人っきりで鑑賞した記憶がある。

 振動やショックに弱い危険なニトログリセリンを悪路の中、4人の男たちがトラックで輸送する仕事を請け負った、あらましのストーリーとどんでん返しのような結末ははっきり憶えていたが、その途中の息を呑むようなでき事と運転手仲間同士のやりとりはほとんど記憶にない。あれだけ話題作として楽しみに観たにも拘わらず60年余も経つと、こうも記憶力というものが頼りなくなるものかと些かがっかりしている。舞台がヴェネズエラの油田だったことも綺麗さっぱり忘れていた。モノクロ版だが、フランス映画にしては色恋沙汰もほとんどなく、今日の午後は息を詰めて2時間半ばかり魅入られてしまった。

 人間の記憶なんてこのように案外当てにならないものかも知れない。最近固有名詞が思うように口から出てこなくて往生することがある。これは年齢のせいもあり、同年輩の友人たちに尋ねてみても同じような回答が還ってくるが、やはり寂しいものである。

 さて、今日問題だらけの法務大臣・田中慶秋氏が辞職した。就任後僅か3週間でこのていたらくである。就任前からとかくの噂があり、大臣としての品性や力量が大分問題視されていたが、結局はそれが現実となった。野田首相の任命責任は重いと言わざるを得ない。北朝鮮拉致問題担当相としても、まったく任務を果たせなかった。与野党間の不信が募っている時だけに自民、公明党ら野党は政府に対して一気に攻勢を強めている。

 ところが、自民党でもおかしなことを考えている。正義は我にありと言わんばかりのポーズを取っているが、また「脱世襲」を取り止めようとしている。2009年の総選挙で、民主党から世襲批判を受けて次の総選挙から「引退議員の配偶者と3親等内の親族を同じ選挙区で公認・推薦しない」とマニフェストに盛り込み、一旦は世襲を原則禁じた。それが舌の根も乾かぬ内に、かなぐり捨てた。やはり過去に世襲制のおかげで政権を維持してきた自民党らしい姑息な考えである。改めて世襲の有り難味を再認識したのだろう。何とまあマニフェストの軽いことよ。実際今の自民党幹部にも世襲議員が多いが、新たに福田康夫・元首相や中川秀直・元幹事長の子息がほぼ公認されることは間違いないようだ。政治家業の世襲、たらい回しは止め処もない。

 これでは日本の政治家はとてもアメリカの政治家に敵わないと思った。2週間後に行われるアメリカ大統領選挙のオバマ、ロムニー両候補による最後のディベートが今日行われたが、彼らのすべてを佳しとするわけではないが、政治家としての理念、論点整理、論理構築、弁舌、などどれを取っても彼らにはとても太刀打ちできまい。率直に言って日本の政治家とは器と力量が違うという印象を受けた。

 日本の政治家にもう少しまともになってもらうためには、時間を置いた選挙だけではなく、政治家に対する国民による毎週の活動を採点する一定の通信簿が必要ではないかと考えている。選良であるべき議員数の大幅削減も必要だ。そんなことも真剣に考えるべきではないか。

2012年10月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com