充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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2063.2013年1月5日(土) 終戦直後に朝鮮へ帰った同級生
今朝の朝日新聞「声」欄に佐賀県唐津市に住む76歳の男性が国民学校3年生だった、終戦の年の秋に祖国へ帰って行った朝鮮人中学生のことを想い、その懐かむ気持ちを書いている。その朝鮮人中学生は学校で様々な差別を受け、つらかった気持ちを目に涙をためながら語って母国語で民謡「アリラン」を唄い、別れたそうである。今故国でどうしているだろうと優しかった年長の友を想いながら昔を偲んでいる。
私にも似たような想い出がある。国民学校1年生の夏終戦を迎えた。疎開がらみの父の転勤で、房州の勝山町(現鋸南町)へ引っ越したのがその年の3月で、翌月国民学校へ入学して4ヶ月後には終戦となった。たった4ヶ月ではあったが、その年は歴史に残る敗戦となったせいで、その当時の印象は強烈に焼きついており、学校や町ぐるみの思い出は山ほどある。
入学早々に近所の友だちの中に、朝鮮人金田くん(姓名の名は覚えていない)がいた。近くの山の麓の倹しい家屋に住んでいた。父親が何を生業にしていたのかは知らなかったが、彼は同級生の中でも元気が良く、いつもはきはきと答えて成績も良かった。そして終戦となったが、私たち子どもたちには敗戦の事実はほとんど知らされなかった。夏休みの終わりごろになって戦争が終わったと両親から聞かされた。毎日海で泳いでばかりいたが、わが家の前を金田くんが口笛を吹きながら歩いて行ったのを見た母が、「金田くんは朝鮮へ帰れるのが嬉しいのねぇ」と言っていたのをよく覚えている。2学期が始まった日、担任の青木正子先生から「金田くんは両親の故郷である朝鮮へ家族と一緒に帰りました」と話があり、狐につままれたような気持ちになった。金田くんとは仲が良かったので、さよならの挨拶もなしに別れてしまったことがちょっと悲しかった。あれから67年余が過ぎた。
2008年11月に韓国東海岸の束草市で開かれた国際シンポジウムにパネリストとして招かれた時、現地で通訳としてアテンドしてくれた桂明洙さんに金田くんのことを話したことがある。桂さんの話では、そういう話は結構聞くことがあるそうである。桂さんは多分戦争直後で朝鮮への引揚げ船が慌しく出港したので、その気持ちがあっても別れの挨拶を告げる暇がなかったのではないかとしみじみ話された。
それにしても金田くんは成績、性格とも優れていたから、祖国へ帰ってもそれなりに成功者の道を歩んだのではないかと思う。私のことなど忘れてしまったかも分らないが、会ってお互いの人生や考え方について話し合ってみたい。しかし、そうは思えども最早夢物語であろう。
さて、転勤と言えば予定外の転勤延期のせいで、昨年4月以来家族と離れわが家に居候していた長男が漸く予定通り大阪へ転勤することになり、今日段ボール荷物を引き取りに来たクロネコ宅急便トラックに続き、しばらくして妻子の待つ奈良県生駒市へ向かった。いくら仕事で離れ離れになろうとも家族揃って暮らすのが、やはり一番の幸せだと思う。9ヶ月間毎朝早く家を出て、深夜に帰る強行スケジュールだったので、妻も何かと気を遣っていたが、それも今日限りで解放される。やっと一息つけることになった。親としては、もうこんな面倒見は好い加減に勘弁して欲しいとの気持ちがある。
2062.2013年1月4日(金) 大発会は株価上昇で開ける。
今日が日本経済の仕事始めである。注目の東京証券市場大発会では軒並みに株価が上がり、一時対前日(昨年末)300円を超えた。最終的には対前日293円高の1万688円で引けた。外為市場もアメリカの一時的な「財政の崖」回避が好感され円安が進み、2年5ヶ月ぶりの円安・ドル高水準の1ドル=88円08~10銭を記録した。この影響は国内だけに留まらず、隣国韓国をも痛撃し、実態以上に安かったウォンが高くなり、この先韓国の国内経済の悪化が懸念されている。主に自動車や電機産業のような輸出産業が経済を支えてきた韓国では、ウォン高は輸出産業の業績悪化、更に雇用や消費の低迷につながるとして警戒されている。
中央日報では、ウォン高の要因は「安倍リスク」にあると指摘している。確かにそうかも知れないが、これは言いがかりというものだろう。それより敢えて言うなら、これまで韓国ウォンは少々安すぎたので、ウォンは実態に少し近づいており、今後ウォン高に備えた対策を考えるべきだと言うべきだろう。これまでのウォン安こそが韓国経済を押し上げてきた要因であるということをきちんと受け止めるべきである。ウォン高に修正されることによって韓国経済も正念場を迎えることになるであろう。
それにしても行き詰っていた日本経済の前途に、明るい光が射してきたかの印象を与えるのはなぜか。決して日本経済が復活したわけではない。年末から正月にかけて、アメリカの「財政の崖」危機が何とか遠のいたというだけで、アメリカが復活するのはともかくとして、景気回復への期待感や安倍首相の軽口、風評によって簡単に景気が左右されることはない。これでは、戦後しばらくして「アメリカがくしゃみをすれば、日本が風邪をひく」と言われた現象が、今も厳然として生きているということになるではないか。まだまだ日本経済は力強さを取り戻していることにはならない。
実態が良くなっていないのに、恰も経済が回復したような幻想を与えるのは、こういう空気を作ることによって利するものがいるからである。
外為相場にしても、確かに諸外国、例えば韓国や中国の通貨価値に比べれば、過度に円高であることは間違いない。かといって、いわゆる風評によって価値が上下するというのは問題であるし、おかしいと思う。
利するものとは、製造業より金融・株式業であろう。そんな声に押されることなく、実態経済を強化する知恵を絞るのが本来あるべき姿ではないだろうか。
あまり実態経済について分りもしないのに、書いてしまったが、かつて株式業界によってバブル経済に翻弄されたことを、われわれは充分反省すべきではないだろうか。
2061.2013年1月3日(木) 天皇陛下のお言葉
昨日正月恒例の皇居の一般参賀で天皇陛下がお言葉を述べられた。そのお言葉の中で「国民一人びとり~」という仰り方がちょっと気にかかった。「一人びとり(bitori)」ではなく、「一人ひとり(hitori)」ではないかと思ったからである。普通後者の表現を用いると思っていたが、周囲の学者が原稿に目を通されるだろうから天皇がまさか間違った言葉を述べる筈がないとも考えた。こんな個人的な拘りを小中陽太郎さんにお聞きするのも申し訳ないと思い、手元にある「大辞林」を開いてみると、使い方としてはどちらも間違いではないが、前者の「一人びとり」の方が一般的に使用されているようだ。
しかし、「めいめい」や、「各人」のようなすべての人を意味するような使い方と、その一方では「どちらかひとり」とも使われるとの説明があり、どうも日本語の曖昧さがあってズバッと答えてくれているように思えず、迷いそうである。古今集からの抜粋として次の和歌が挙げてあった。
「思ふどちひとりびとりが恋ひ死なば誰によそへて藤衣着む」 この難しい和歌の意をどのように解釈すべきか。
天皇のお蔭で良い勉強をすることができた。天皇も齢78歳でご高齢である。一昨年の東日本大震災以来公式行事が多くなったようだが、出席が増えて心身とも負担をかけるのも考えものだと思う。日本国の象徴として、いつまでもお元気に過ごされるようお祈りしたい。
さて、アメリカの「財政の崖」問題の一時的回避により最悪の事態は免れたが、事態は先延ばしされただけで、根本的な解決には至っていない。妥協した「政府支出の強制削減」は延期されたのが2ヶ月間だけであり、今後2ヶ月後には再び「財政の崖」がやってくる心配がある。
アメリカ、その他の海外諸国は正月休みが日本のようにあるわけではなく、その間海外の外為市場は米ドルが買われる半面、日本円が売られ、日本が正月休みの間に海外では何と2年5ヶ月ぶりの円安ドル高水準となり、1ドル=87円30銭をつけた。このまま果たして円安相場を作っていくのだろうか。ゴーン日産自動車社長などは期待感を示しながらも、まだまだ期待値には届かず、1ドル=100円が適正と考えているようだ。正月が開けて初相場がどんな値を示すだろうか。興味がある。
ところで、箱根駅伝は昨日往路優勝した日本体育大が今日30年ぶりの総合優勝を決めた。昨日期待外れだった優勝候補のひとつ、駒沢大は今日復路優勝を遂げたが、結局東洋大に次いで総合3位に終わった。
この他のスポーツも花盛りで、全国高校サッカーが駒沢競技場を始め、各地で開かれている。高校ラグビーも年末から大阪・花園ラグビー場で開かれている。その高校ラグビーで今日目立ったニュースは、昨年まで3連覇していた福岡県代表・東福岡高校が、準々決勝で茨城県代表・茗渓学園高に31-24で敗れ、史上3校目の4連覇が成らなかったことである。夏の甲子園も熱いが、冬の花園も熱い。
アメリカン・フットボールの日本選手権であるライス・ボウルは、社会人王者・オービックが土壇場で逆転して大学選手権王者・関学大を破り、3連覇を遂げた。残る目玉は、13日のラグビー大学選手権決勝とその後の日本選手権である。
2060.2013年1月2日(水) ラグビーと年賀状への想い
昔から正月2日はテレビにかぶりつきである。東京・箱根間往復大学駅伝とラグビー大学選手権準決勝2試合が中継放送されるからである。朝は駅伝を観て、午後からラグビーを観るのが最近何年間かの定番となっている。
駅伝で意外だったのは、予選会から勝ち上がってきた日本体育大が26年ぶりの往路優勝を決めたことである。優勝候補の駒沢大は9位と期待外れに終わった。近頃は出走大学もよく変わるし、強かった大学が予選落ちすることもあるので、実際どの大学が優勝するのか容易に分らない。かつては常連だった中央大や大東文化大も弱くなり、その中央大は今日往路で棄権したり、東海大と筑波大は出場権すら逸した。今年は最終区の山登りに昨年まで東洋大のエースとして往路優勝を決めていた、柏原選手のような話題になる力強い選手が見られなくなった。そのせいか、昨年完全優勝の東洋大は早稲田に次いで往路3位だった。勝負は明日の復路で決まる。
ラグビーはどうかと言えば、久しぶりに好試合を堪能した。特に、準決勝の第2試合、筑波大対東海大戦は互角の勝負で後半のノーサイド近くなって、逆転、再逆転のシーソーゲームの末、関東大学対抗戦優勝の筑波大が、リーグ戦優勝の東海大を28-26の僅差で破り決勝戦へ進んだ。もう一つの準決勝は対抗戦同率優勝の帝京大が早稲田に前半7-10とリードされながら、後半圧倒して逆転し、38-10で完勝して決勝戦で筑波大と対決することになった。
決勝戦に早慶明の伝統校のいずれもが出場しなくなって些か寂しい気もする。実際伝統校が出場するゲームは、かつては準決勝なら国立競技場を満員にしたが、今日は精々7分の入りだった。しかし、考えようによっては、これはこれで新しいファン層を掘り起こすことにもなるのではないかとも思う。仮に筑波大が優勝すれば、国立大が大学覇者となる。団体スポーツで国立大がチャンピオンになるなどということは、アメリカン・フットボールの京都大学以来ではないだろうか。
13日の決勝戦が楽しみである。
さて、昨日と今日、年賀状を数多くいただいた。知人からの多種多様な文面をじっくり見ていると、差出人の顔や姿がふっと浮かんでくる。
年賀状を書く習慣がついたのは、何といっても幕張小学校の湯浅和先生のご指導のおかげである。転入した5年生の正月から、版画を彫って書くようになった。それまで年賀状なんて知らなかったし書いたことがなかった。版画の年賀状を彫って書き続けてそのスタイルは大学卒業時まで続いた。先生は、年賀状を書くときの心構えも話してくれた。相手の人を思い浮かべて、その人に気持ちを込めて書きなさいということを教えてもらった。爾来普通の手紙を書くときもそんな気持ちでペンを持っている。印刷技術もなかった当時から、今日まで親しい人や疎遠になった人でも相手を思い、できるだけ宛名は万年筆で気持ちを込めて綴るよう心がけている。
湯浅先生は子どもたちのことを考え、児童教育、とりわけ情操教育に熱心に取り組んでおられた。思いやりの心を教え子にしっかり教えてくれた。写生や俳句を教え学ぶためによく校外へ生徒を連れて出かけた。まだ50歳代で亡くなられてしまったが、海外から絵葉書を送ると必ず丁重な礼状をいただいた。
年賀状を手にして思い出すのも、幼いころの恩師の生き方と教え方だ。湯浅先生には随分いろいろなことを教えてもらい今でも感謝している。これからもできるだけ先生の教えを守り、気持ちを込めて手紙を書くよう努めたいと思っている。
2059.2013年1月1日(火) 吉と出るか、凶と出るか、2013年の幕開く。
新年明けましておめでとうございます。
新年を迎えてお雑煮をいただいた後、恒例行事の湘南ラグビー祭に出席するため、9時過ぎに近所の和田正温先輩をピックアップして母校・湘南高校へ向かった。第3京浜から国道1号線を走ったが、いつもと違いトラックが少なく走行は順調だった。途中明日、明後日の2日間行われる関東大学対抗箱根駅伝の2区と3区の戸塚中継点には、すでにテレビカメラの設営準備が進められていた。きっと明日は大勢の見物人や報道陣で中継点周辺はごった返すことだろう。
この2、3日は雨が降って寒かったが、幸い今日元旦は突き抜けるような日本晴れで陽気も暖かくて助かった。母校グランドでは、現役チームがOBチームと15分3本の練習試合を行った。毎年のことだが、寄せ集めチームながら年齢は取っても大学でプレイしたOBが加わったチームの方がやはり力強さと試合運びは上手だ。ゲームの後に年一回のOB総会を開催した。その後現役とOBが一体となった食事会兼懇親会である。いつもながら部員生徒の母親らが心を込めて食事を用意してくれ、これをOBと現役がご馳走になりながら、顧問教師の早田OBからチームの現状と部員紹介をして、OB会が今後も引き続き物心両面で支援を続けることを伝える儀式だ。
これで現役とOBの絆が強まり、現役チームを後押しすることになる。こういう形で現役高校生の部活動を支えることができるということは、彼らを力づけ、同時にわれわれOBにとっても母校とコミュニケートし続けられることである。ただ、残念なのは、この2、3年の間に参加するOBの数が漸減傾向にあることである。元旦に行われる年中行事だということは、OBには周知のことなので地方都市に勤めている卒業生でも、案外参加しやすい筈であるが、転勤中とか、家庭を持ったばかりの若いOBとなると中々そうも行かないのだろうか。
われわれシニアOBとしては、ラグビーを通して後輩を支援しながら、いつまでも母校と関わりあっていきたいものである。
さて、アメリカが追い詰められていた、「昨年末でブッシュ大統領時代の全世帯の減税期限が切れる」「政府支出の強制的な削減」の懸念が一気に襲う「財政の崖」が緊迫の度を加えていて、議会とホワイトハウスの間で回避を巡り懸命の協議を続けられていたが、回避のための一応の策を盛り込んだ法案が与野党間で合意に達し、昨日の時間切れ直前に辛うじて難を逃れた。アメリカ経済のみならず、世界経済へ与える影響が計り知れないだけに、このところ世界経済の大きな注目事象だった。対岸の火災視するわけには行かず、経済についてあまり明るいとも思えない安倍政権としてもほっとしているのではないだろうか。とりあえず安堵している。
正月早々大きな経済ショックの直撃を回避できたことだけでもやれやれである。果たして今年1年は吉と出るか、凶と出るか。