7113.2026年11月3日(火) 米寿の誕生日・文化の日・憲法公布の日

 今日「文化の日」は私にとって88歳の誕生日である。よくぞ健康に今日まで生きてこられたものだと自分でも驚き嬉しく思っている。弟妹や息子たちからもいつまでも健康に留意して元気でと励ましのメールをもらったが、そう努力したいと思っている。戦時中の小学校入学時から高校卒業するまでの12年間を無遅刻・無欠席だったように、高校でラグビー、大学で登山の部活に励み肉体を鍛えるのに懸命だったお陰でもある。いろいろ医師のお世話になりながら、普通の健康体は何とか維持している。9月末の人間ドックの検査でも格別心配するような症状はないという結果だった。

 昭和13年の今日近藤家の次男として東京・中野に生まれた。その3年後兵庫県芦屋市に住んでいた時、太平洋戦争が始まった。幼かったが怖かった戦争の記憶は今でもいくらか残っている。芦屋市で夜遅く近所を警戒し回っていた隣組のおじさんから、「近藤さん!電気の明かりが漏れてますよ」と声をかけられ、母が慌てて電灯を風呂敷で覆っていたことを覚えている。空襲警報のサイレンの音とともに防空壕へ逃げ込んだ記憶は生々しく想い出す。千葉県房州に引っ越して国民学校に入学して間もなく、先生に引率されて同級生とともに校外の田圃道を歩いていた時、突然米空軍戦闘機編隊に襲われそうになったことがある。あの時先生が「皆さん!伏せなさい!」と言って両手を上下に大きく振りながら全員一緒に地べたに伏せた。戦闘機は我々目掛けて低空を飛来してきたが、不意に戦闘の戦隊長機が機首を持ち上げ上空へ去って行った。他の戦闘機も戦隊長機に続いて上空へ消え去って行った。恐らく戦隊長にも幼い子どもがいて、我々小学生が逃げ惑うのを見て自分の息子でも想い出したのではないかと今でも思っている。あの怖い経験をして間もなく戦争は終わった。日本国憲法が公布されたのは、翌年の今日である。戦争にはゾッとする。新憲法は第9条に戦争放棄を謳った、今に残る平和憲法である。このまま永久に堅持されることを願っている。

 その後60年安保反対闘争に参加したこともあり、ベトナム戦争反対運動にも参加した。その影響もあり戦争の現場を臨場感で知りたいと、1967年1月テト攻勢の2週間前の厳しい戦時下にサイゴン(現ホーチーミン)を訪れ、サイレンの鳴り響く一夜を過ごし米兵に脅され怖い思いをして、戦争反対を信念として強く抱くようになった。 

 先月出版社から昭和人のひとりとして、現代の若者への個人的アドバイスを尋ねられ、その時3つ挙げた。①若い内にひとりで海外武者修行に出かけること、②多くの本を読むこと、特に大河小説を、③戦争に絶対反対すること、の3つを今の若者に注文した。

 今や戦後世代が絶対多数となり、戦争の怖さを臨場感で知っている人が大分少なくなってしまった。自衛隊は軍備を強化し、敵基地攻撃能力を持つまでになり、毎年の防衛費予算はうなぎ上りに増えている。同時に憲法改正の動きも目立つようになった。時代も明治に復古調となり、今日「文化の日」を「明治の日」に表記変えをしようという動きまである。それらの中心人物は、皆戦争を知らない世代の人々である。うっかりしていると何年後かに、再び戦争へ突入するという事態も考えられないこともない。

 先の戦争の反省から軍備を放棄した新憲法を公布して80年が経過した今日、何故今更明治時代を顕彰する「明治の日」に戻そうというのだろうか。髙市首相、小泉防衛大臣以下皆戦争の実体験がなく、戦争の本当の怖さというものを知らないからである。彼らが戦争が始まったら兵士として戦場へ向かうならまだしも、自らは安全な場所にいて戦争を仕かけるような行動は絶対許すことが出来ない。憲法を改正し彼らが望む戦争が始まるころには、私は暗い気持ちで冥界からこの世を眺めていることだろう。

2026年11月3日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com