先日中道改革連合が、解散を発表し、参議院の立憲民主党と新党を起ち上げることを決定したばかりで、小川淳也代表は、代表を辞めるとは言っていなかったが、自民党と手を切った衆議院の公明党と立憲民主党が新党中道を結成して1年足らずで破局に追い込まれた責任を負い、結局は党代表を辞任することになった。これでやや支持が下り坂だった高市首相は、持ち直し思い切って内閣を改造し、第2次高市内閣を発足させることになった。
相変わらず野党は、政党として結団心がなく、計画性も積極性もない。立憲民主党でも、元は兄弟分だった国民民主党とは、まったく歩調が合わず、むしろ国民は自民党と合流しかねないくらい、保守的になってきた。こうなると支持率が下がり気味だった自民党としても、思い切ってわが道を往ける。与党となった日本維新の会は、維新が閣僚を送り込まず、閣外協力する見返りに、維新の提案である大阪市民からは酷評された副首都構想を採り入れたりしている。その挙句第2次高市内閣に閣僚を押し込んだ。
自信満々の高市首相は、昨日第2次新内閣を発足させたが、「決断と挑戦、そして実行の内閣」と積極的な方針を語ったが、その後も拡大予算の財源について触れない。それはともかく、実際国民に広く約束した政策を実行できるだろうか。あまり大きな期待は持てないような気がする。各閣僚の所信表明を伺いたいものである。
さて、今日は昨夜の通夜に続き、義兄の葬儀が横浜で行われた。新横浜葬祭場は中々立派な設備を備えている。葬儀は厳かに執り行われた。その後遺体を公営の葬祭場である「横浜市久保山斎場」で火葬した。遺骨は49日に多摩墓地に納められることになっている。
ところで、ここ数日関東一帯を秋雨前線が襲っており、天候が気がかりだったが、幸いにも今日は雨に降られず移動出来た。ここでいただいた食事も種類が多く、中々味わいのあるものだった。出席者は皆家族と親戚ばかりで、打ち解けた雰囲気の中でスケジュールに沿って葬儀は行われた。実は、義兄はJR姫路駅構内の階段上で転倒して頭を強打し、その後9か月で慌ただしく冥界へ行ってしまったが、しばらく会っておらず声をかければ、直ぐにも目の前に現れそうな気がする。こんな転倒を思うと高齢になれば、動作のひとつひとつにも気を付けなければいけないとつくづく思う。若い時のように、すぐ行動を起こし仮に転倒しても身体で支えられるなら良いが、高齢になれば、そのまま倒れ、身体を損傷する。歩き方にも注意が必要だと思う。
実は、7月末に整形外科医から、毎日6千歩以上のノルマは、年齢的に身体、特に両膝に少々負担になるとアドバイスされ、これを減らすと医師に約束して、8月1カ月の平均歩数は、以前の6千歩から4,373歩にペースダウンすることが出来た。今月も現時点ではそのペースは守ることが出来ていると思う。義兄も近所を散歩していたというが、別の形で転倒してしまい、命を落とすことになってしまった。年寄りには、年寄りの健康法とケガをしない方法がある筈だと痛感している次第である。