677.2009年3月21日(土) 60年安保を回想する。

 コースの中に盛りだくさんの名所を見せようという東京マラソンが明日開催されるが、横浜に住んでいる長男が出場するという。孫を連れてやってきた息子からパンフレットを見せてもらったら確かに名前が載っていた。残業続きで普段からストレスが溜っているのではないかと心配していたが、本人はやる気満々なので安心している。

 東京マラソンには早くから照準を定めてトレーニングに励んでいたから、出る以上は精一杯走ってもらいたいと思っている。世界選手権の予選も兼ねた大レースであるが、息子は一般市民として出場申請をして、7倍の競争率をクリアして運良く選ばれた35,000人の1人として走るわけで、完走してくれることを望むばかりである。

 16年ほど前に学生生活最後の記念にとホノルル・マラソンに出場して、4時間11分の記録だったが、今度は何とか4時間の壁を破りたいと話していた。明日は午後になって天候が崩れそうで、些か気にかかるが「完走」「怪我なし」「4時間以内」を目標に走って欲しい。

 あるNPO機関紙へ寄稿したが、中々編集長の方針と意見が合わない。原稿枚数はA4判で4枚までという制約に図解を加えたので、5枚になってしまった。それでは困ると人を介して図を削って欲しいと言ってきた。しかし、それでは私のタイトルの主旨にそぐわない。主題自体がまったく意味を成さない。それで図を残して原稿を3枚に減らすということで話し合いがつき、すでにその原稿を送付した。これで決着がついたと考えていたところ、一方的に図を削って元の4枚の原稿を活かしたいと校正原稿を送ってきた。当分の間結論が出ないかも知れない。

 今日はNHKが真面目なテーマに取り組んだ番組がいくつかあった。その中で衛星第2の「日めくりタイムトラベル・昭和35年を解剖」が興味を惹いた。大学2年生でまさに60年安保の年だった。社会党の浅沼委員長刺殺事件があったのもこの年だったし、東大生・樺美智子さんが亡くなったのもこの時だった。実際懐かしい安保闘争関連フィルムを随所に見せてくれた。そこにかつての運動を回顧する元東大緑会委員長・葉山岳夫氏の姿が見られた。実に久しぶりの顔だった。あの頃の熱気が思い出されてきた。当時は学生も労働者も連帯感を持って一緒になって活動し、社会全体に正義感と高揚感があったような気がする。それに比べて今は、若者の間に熱情とロマンが感じられない。若者の無表情、虚無感、脱力感、無気力は社会の元気を失くす。学生には、もっと元気溌剌であって欲しい。

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676.2009年3月20日(金) マス・メディアの中立とマス・メディアへの圧力

 共同通信の原寿雄氏から先日近刊の岩波新書「ジャーナリズムの可能性」を送っていただき、お礼に拙著をお送りしたところ、その出版記念会の案内状をいただいた。まだ、途中までしか読んでいないが、その中に知人の阿部正義氏に触れた一項がある。阿部さんから企業のマス・メディアに対する圧力について情報をもらったそうである。それによるとトヨタ、パナソニック、キャノン等が自分らに対して不利な記事を報道したマス・メディアには、CM提供を意図的に差し控えるというものだ。営業妨害的行為であり、陰湿でそこまでやるとは思えないのだが、実際のところ本当らしい。一昨日阿部さんに会った時に、その話をした。

 原氏の著作によれば、近年マス・メディアの公平性、中立性がかなり損なわれている。殊更読売グループの‘なべつね’こと渡辺恒雄氏の仕掛けによる、昨年の自民・民主の大連立構想の如きは、政治的に中立であるべきマス・メディアの有力者が介在するというより、主役となって舞台回しをやっている。言語道断の所業と容赦なく切り捨てている。それほど現在マス・メディアの中立性が危ぶまれているのだ。

 そんな中でマス・メディアと企業との関係が益々不穏な間柄になってきたのではないか、と邪推されるような書き方を今朝の日経紙「春秋」で読んだ。「春秋」によれば、ニュース面に不景気に直面して最近大企業のトップ交代があまりにも目立つと指摘して、トヨタ、ソニー、スズキ、東芝、日立等々の社長交代を取り上げている。社長の最も重要な仕事は後継者育成であるとの論旨に対して、日立が元副社長で傍系会社会長を日立本社の社長に据えた。この人事に対して日経は極めて批判的である。特に、現社長よりも7歳も年長という点を撞いて庄山悦彦会長を厳しく追及している。日立は今期7千億円の最終赤字だという。「社長人事は恐ろしい」の言葉で締めくくっているが、これに対して日立が来期どの程度日経に広告を掲載するだろうか。下衆の勘ぐりだが、日立の日経紙への広告量を注視してみたい。

 今日3月20日は春分の日で祭日だが、国内外であまり芳しい記念日ではない。14年前は、悪夢の地下鉄霞ヶ関駅オウム・サリン事件があった。6年前にはイラク戦争が勃発した。このニュースはウラジオストック空港の待合室のテレビで知った。新潟空港から新潟駅に到着したら、地元のテレビ局に開戦を知っているかどうかインタビューされた。アメリカは必ずイラクを攻撃すると確信していたので、特に驚かなかったと応えたが、あれからイラクは一気に泥沼と化した。今年8月にはイラクの駐留米軍がすべて撤退する。開戦以来数十万人のイラク人が命を落とし、米兵も4千人以上が死んだ。これほど多くの犠牲者を出したイラク戦争は一体何だったのか。

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675.2009年3月19日(木) アメリカの恥知らず経営者

 知研の出版プロジェクトについて秋田事務局長と打ち合わせる。これからのスケジュールの確認と作業分担を確定して、メンバーにもより協力してもらう。若手は仕事を抱えているし、遠隔地のメンバーはそう簡単には集まれないので、いつでも打ち合わせするというわけにはいかない。せめて秋田さんと2人で参謀本部となってこのプロジェクトを支えていきたい。

 オバマ大統領が、経営再建中のAIG役員に対するボーナス支給に怒りを表した。最も不愉快な事案と決め付けた1件である。それはそうだ。経営悪化で立ち行かなくなって政府の支援を受けた企業の経営者がボーナスを受け取るという非常識な行為に、アメリカ国内でも厳しい非難の声が上がっている。先日もGM経営者が巨額のボーナスを、議会の指摘で返上したばかりである。GMの場合は確か月給1$という殊勝な支給にむしろ同情を得たくらいである。それが、AIGの場合は、むしろ開き直っている。契約社会の論理が先行して、契約を破棄されれば社員は世論の批判覚悟で訴訟を起こすリスクが高いとの見方もある。しかし、ボーナスの原資はどこから出されるのか、あまり考えられていない。議会で追求を受けたAIGのリディCEOは、人材流出を防ぐため支給せざるを得なかったとか、半額以上を任意で返還するよう求めたとか、何とも不誠実な答弁に終始している。ボーナスをもらった社員418名のうちすでに52人は退社しているという。つべこべ言わさずに取り上げたらよいのではないか。彼らには国民の税金から支援されているという認識がまったくない。果たして日本だったらどうか。日本人の対応の方がよほど毅然としていると思う。

 NHK「ニュースウォッチ9」が、インドネシア・ビアク島のNPOによる遺骨収集作業の様子を伝えていた。われわれがこの政府事業をお手伝いしていた時は、民間人が遺骨収集に携わることはご法度とされていた。このNPOがかかわる理由は政府派遣の遺骨収集団が昭和59年からストップしたからだそうだ。戦死者が1万人に対して500人の遺骨しか故国へ帰っていない。遺族からは作業の継続を望む声が強いという。しかし、この事業を継続するかどうかの判断は難しい。遺族が次第に亡くなっていく中で、この事業も先細りが懸念されていた。かなり以前に時の厚生省が遺族の遺骨収集継続熱望の声に押されて、苦し紛れに「概了」という言葉を以って細々継続するとの見解を出したことがあった。「終了」という強い言葉を言い切れない厚生省に対して、当時のマス・メディアが皮肉っていたことがあった。これから厚労省は戦没者遺骨収集事業をどのように進め、いつまで続けようとしているのだろうか。かつて事業に参加したひとりとして、関心のあるところである。

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674.2009年3月18日(水) 景気はいつになったら回復するだろう。

 景気が一向に回復しない中で政府が景気対策のために各界から建設的なご意見を伺おうと、「経済危機克服のための有識者会合」なるものを開催する。政府お気に入りの有識者83人が選ばれ、10人程度をグループとして今週いっぱいかけて順番に意見を聴こうというものだ。有識者ということになっているが、本当にそうだろうか。今朝の日経でも皮肉たっぷりに役所好みの人たちと書いている。一番疑問なのは、経営を立ち直らせた人とか、起業して成功した人というなら分るが、そうではない。学者、医者、派遣村の元村長というような人たちもいる。経済の実態を身をもって知った人たちではない。特に、今話題の「有識者」中谷巌氏が、早速呼ばれたのには驚いた。どうしてこの人が、こういう華やかに場に今更おめおめと出て来られるのだろう。自分の経済学が挫折したからと過去を捨て転向したばかりの人である。まったくプライドとか、羞恥心を持ち合わせていない学者がしゃしゃり出てくるのだ。頼まれて喜んでいる学者も学者だが、頼む方も頼む方だ。政府もこういう御用学者を重用しているようでは、とても不況からは脱出出来ないだろう。

 血圧が上がり気味だったが、漸くここへ来て一時よりは下がってきた。それでもまだ上が140前後だから、決して下がったと言えるものではないし、安定したというわけでもない。森医師から、今日から夜も血圧を計ってみたらどうかと言われた。それでも先日税務申告を終えたせいだろうか、精神的に楽になったのか、それほど高くはならない。やはり精神面が一番血圧に堪えるようだ。

 途中まで書いていた原稿を昨日と今日で一気に書き上げ、すぐ知研へ送信した。昨年11月に韓国・束草市で開催された国際シンポジウムに参加した時の様子を書いたものである。これは私自身が主催者から要請されて参加したというより、知研から派遣されて参加したものであるので、知研の記録として残しておきたいと思って、A4判7枚にきっちり書いた。少し遅きに失したが、それでも書き上げることが出来てほっとしている。昨年1月韓国・利川市で起きた不審な冷凍倉庫爆発事故のように、他にも書きたい原稿はあるがそれは次に回したい。

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673.2009年3月17日(火) 故吉岡攻さんの個展

 麹町の海事センターで開かれたJAPAN NOW観光情報協会理事会に出席した。5月の総会に報告する定例の今年度決算書、及び来年度予算案、今年度活動方針について説明がなされ、全出席理事から了承された。不況の時勢にそぐわないくらい大きな黒字で、決算上はまったく問題ない。ある団体から相当額の寄付金をいただくことになり、それが決算上有利に寄与している。

 5月に定例総会が開かれるが、まず問題になることはないだろう。

 その後銀座へ移動。昨年12月急逝されたゼミの吉岡攻先輩が、生前趣味として描いた絵画をまとめて奥様が個展を開かれた。ゼミの仲間9人が集まり会場で拝見したが、とても素人が描いたものとは思えないほど雄大で魅力的な絵が展示されていた。ほとんどが海外で描いた海と山の絵だった。ビルマ、チベット、中国などの懐かしい絵が沢山あったが、商社員として忙しい仕事の合間によくもこれだけ素晴らしい絵を描くことが出来たのか不思議なくらいである。スケッチも良いが、やはり油絵に気に入ったものが多かった。それにしても昨年10月のゼミ例会で元気な姿を見せてくれ、海外旅行の話もした。奥様の話だと11月に食欲がないので、調べてもらったところ腎臓に末期癌が見つかった。発見されて僅か2ヶ月で亡くなられたという。あっという間の他界である。虚しいとしか言いようがない。71年の生涯だった。心よりご冥福をお祈りしたい。

 その後ビアホール「ライオン」で恒例の飲み会。利光さんが71歳の誕生日を迎えたので、事前に断ったうえでケーキを持ち込みお祝いをした。あまり派手なお祝いではないが、みんなの気持が篭っているので充分ではないかと思う。

 ゼミの親しい仲間は大体70歳前後になった。当然だが、やはり健康が一番大切だとつくづく思う。それに、生きがいをどれだけ感じて日々の生活を送っていけるかである。

 それにしても気のおけない仲間との会話は楽しい。

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672.2009年3月16日(月) 出版プロジェクト・チームのトレーニング

 今年「知的生産の技術研究会」が予定している出版書の編集スタッフのうち6人が、インタビューの方法等についてレクチャーを受けるために「知研」久恒啓一理事長宅を訪問した。熱心な若手会員が3人も会社から半休をとって来てくれた。理事長宅のマンションは、居住スペースのほかに、屋外ガーデンスペースとそこに離れがあり、全体としてはかなり広い。所有スペースは110㎡もあるという。余計なお世話かも知れないが、ご夫婦お2人で住むには充分なスペースではないだろうか。知の源泉である書斎を主に見せていただいた。図解関係の書類のほかにも、多くの資料をファイリングして分りやすく保存しておられる。いろいろな分野で資料を蒐集したり、作成したりすると管理と保存を余程しっかりしないと不明になったり、散逸したりしてしまう。整理の仕方から几帳面な性格であることが察せられる。現在お勤めの多摩大学も4月から寺島実郎新学長の下で新体制に入るので、この機会に新しいウェブサイトをアップすることを考えておられるようで、作成等のために多くの資料を抱えておられる。

 プロジェクトの打ち合わせは、最初に書斎で保存資料の整理方と理事長個人の人生プランについてじっくり話していただいた。その後リビングルームで理事長を囲んで、取材のポイント、話の聞き出し方、取材者の組み合わせ、等について話を伺わせてもらった。プロジェクトはスタートしたところだが、これからが胸突き八丁である。近々スケジュールの進め方について編集スタッフ同士で更に打ち合わせをして、プランを煮詰めていく必要があると思う。

 今日理事長から伺った話の中で、ご自身が具体的な人生プランをかなり早くから決めて、ほぼそのスケジュール通りに歩んできたという話に感銘を受けた。30歳で将来の人生にかくも明確な目標設定が出来るものなのか。自分自身のケースを振り返ってみると、29歳で辞表を提出してチェコへ留学する準備が整ったところに、世界を震撼させた「プラハの春」事件が勃発して、前途が見えなくなってしまった。暫し精神的に彷徨って自分の将来を見定めるなんてとても考えられなかった。

 その点で久恒理事長の「30歳人生プラン設定」と、それを実行できる能力は、考えようによっては超人的で、滅多に真似出来ることではない。しかし、現実にそれをやってのけるというのは意思の強さと実行力、そのうえに幸運も見方した面もあるだろう。

 それはそれとして、出版プロジェクトを遅滞なく、確実に前進させていかなければならない。

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671.2009年3月15日(日) 知研総会で永年会員として感謝状を頂く

 NPO「知的生産の技術研究会」総会がルーテル市ヶ谷センターで開催された。ここで開催された例会に出席するのは、初めてである。例年通り決算書、予算案、定款一部改正、来年度活動方針について久恒啓一理事長より報告がなされ、それぞれ承認された。遠方の仙台、名古屋、岡山からも会員が出席された。

 久恒理事長は活動方針報告の中で、今年度は知研として久しぶりに出版プロジェクトを発足させ、年内に出版するということを話された。知研活性化へ向けた第一歩である。実際私自身編集スタッフのひとりとして、すでに部分的に走り出しているプロジェクトである。かつて知研から何冊かの書籍を発行したが、近年出版活動から遠ざかっている。会員の平均年齢が上がり会員数は減少傾向にある。この際知研の存在感を高め、より活性化のためにももっと知研の活動を外へ向かってPRすべきであると考えている。知研のような知的集団が停滞したままでは、知性の向上、社会の進歩も期待出来ない。そのくらいの意気込みを持って、今こそ知研が知的活動面で起爆剤となって活動することを誓いたい。

 もうひとつの報告は、機関紙「知研フォーラム」を人材面、資金面、時代の要請等でウェブ中心の情報提供に切り替えるという方針である。現状は機関紙編集から発行、郵送まで一手に引き受けておられる八木哲郎会長に負担をかけ過ぎていることである。八木会長の負担軽減を考えるとこれも止むを得ない。しかし、ウェブだけの情報提供では、会員の投資効果感覚、手元に知研資料を持てない不満、知研としての記録、意見・提言・エッセイ等の発表の場の喪失、等々を考えると、平行して冊子の発行も検討する必要があるのではないかと問題提起をした。他の会員からも発行間隔が開いても冊子として知研の機関紙を発行することに意義があるとの提案がなされ、結局冊子の発行については改めて検討することになった。

 その他の式次第としては新理事が選出された。東京支部・小林尚衛氏と岡山支部・定金章氏を新たに理事に選出した。私は20年以上長期会員として貢献したとの理由で、久恒理事長から感謝状をいただいた。感謝状なるものをいただいたのは、わが70年の人生で初めてである。実際に会員になったのは、昭和51年だったと記憶しているので、33年生であるが、残念ながら証拠がない。しかし、30年前の証拠品として、1979年10月開催セミナーの私宛案内ハガキを持参した。今年発足40周年の知研としては、ベテランの域に入るが、これからは従来に増して機関紙編集の面で出来る限り協力したいと考えている。

 総会後の会食には、気配りと行動力が売り物の秋田英澪子事務局長が近くの洒落た店を見つけて予約しておいてくれた。日曜で定休日のところを敢えて開店してもらった。リーズナブルな価格で楽しい場を提供してくれた。秋田さんの心配りと面倒見の良さには脱帽!

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670.2009年3月14日(土) 加藤周一氏と中谷巌氏

 今朝NHKアーカイブスで「今をどう生きる‘知の巨人’加藤周一が残した言葉」を放映していた。加藤周一は昨年12月に亡くなって、その直後にいくつか追悼番組が放送され、その一部は観た。今日の番組を観て改めて加藤周一の終始一貫ぶれない姿勢に感銘を受けた。その中で加藤氏の強い信念を持った毅然とした言動が印象に残った。

 ひとつは、東大医局に勤めていた頃に、アメリカと戦争をやっても勝てる筈がないことは明らかだと確信した。にも拘わらず、そのアメリカと交戦して先行きが心配であると感じていた。戦後になって当時の学者が戦争情報を政府から知らされていなかったと他人事のように文句を言っていた。しかし、それは可笑しい。知りえた筈だというのが加藤氏の説明である。

 もうひとつは、戦時中知識人(河上徹太郎も入っていた)が雑誌で座談会を行った時の言い分と戦後の発言ががらっと替わったが、彼らはそれを恥ずかしいとも思っていないという主旨のことを述べている。

 加藤氏は多くの言葉を残しているが、それが悉く真理を突いている。信念が微動だにしないことである。6日の本稿に書き込んだように中谷巌氏とは大きな違いである。「中谷巌氏『転向』の波紋」との見出し記事が朝日朝刊の2/3頁を費やしている。氏の最近著「資本主義はなぜ自壊したのか」がベストセラーとなった話題性のゆえに取り上げられたのではなく、市場経済の行き過ぎ批判へ転向表明したことが賛否両論の波紋を広げたという点で記事になっているのである。一部に同情論もある。しかし、ほとんどが中谷氏の「転向」に厳しい意見をぶつけている。

 松原隆一郎・東大教授は、「経済情勢が変わるくらいで立場を簡単に変えるべきではない。・・・時流を意識したとしか思えない」と極めて批判的である。これに対して当人の中谷氏は、批判を受けることは百も承知で、「人間は成長とともに意見を変えるもの」と確信犯的にシャーシャーとしている。一橋大学教授として名を成し、多摩大学学長を経て、現在三菱UFJリサーチ&コンサルティング理事長として著名な氏が、世の批判を承知のうえで、敢えて「転向」を表明することに何ら良心のかけらもないのだろうか。

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669.2009年3月13日(金) 西八王子「颯爽庵」で酒宴を楽しむ。

 昨年の今日、鎌倉で3ヶ月前に旅行したチベットについて講演した。ところがちょうどその頃チベットでは、州都ラサを中心とするチベット民族居住区で中国の圧制に対する反対と、チベット民族自治権獲得のためのデモが起き、それは暴動へ発展していった。チベット民族自治のための戦いは、あっという間に各地に野火の如く広がり、一時は北京オリンピック開催が危ぶまれるほどだった。その後チベット自治区では中国軍によって自治獲得の運動は完全に封じ込まれてしまった。あの暴動直後の中国と中国人の世界におけるわが物顔のパフォーマンスにはうんざりし、反吐が出るほどだった。この様子を見て中国が嫌いになったという人を大勢知っている。他国で自国の正当性を言いたい放題振りかざし、世界中の顰蹙を買ったのはつい最近のような気がする。今も中国政府はチベットには本当の自治を与えていないようだし、チベット民族の自治なんか認める考えは毛頭ないようだ。中国が他国のことを考慮し精神的に自立するのはいつのことやら。

 さて、今日は暦の上では、あまり縁起の良い日ではない。しかし、以前からの約束で、嬉しいことに昨年駒澤大学の公開講座を受けた時の講師のひとりである、菱山郁朗講師からもうひとりの受講者とともにご自宅へ食事に招かれた。菱山講師は日本テレビで政治部長や解説委員長を歴任され、ミュンヘン・サミットも取材されたり、フィリッピンのマルコス大統領への単独インタビューにも成功された、日本のマス・メディアの中でも傑出したジャーナリストのひとりである。首相経験者を始め、多くの政治家ともお付き合いを深めており、政界にも広く通じている。授業もマス・メディアの現場を踏んでいただけに、秘蔵のビデオを見せてくれては取材経験を話してくれ、それが随分勉強になった。

 招かれたのは、JR西八王子駅近くの「颯爽亭」と称する、自宅とは一軒離れた角地にある風流な和風建物である。こういう民家風の日本家屋も久しぶりである。しばしば駒沢大学の学生たちを招いては、学生と交歓していると聞いた。永井荷風の「断腸亭」ならぬ、亡き父上お気に入りだった「颯爽庵」で談論風発したわけである。今話題の「小沢一郎」「中川昭一」「竹中平蔵」「岸恵子」「江川紹子」についても異論、反論、オブジェクションだった。コタツに足を突っ込みながら酒を酌み交わしたのも久しかった。遠慮することも、気兼ねすることもなくあっという間に愉快なひとときに、気がついたら4時間ほど経ってしまっていた。

 腹がへったから軽くラーメンでも食べようと外出して、3人でそのままカラオケボックスへ飛び込んだ。ここで下手な軍歌をご披露して、すっかりリフレッシュして帰途につく。

 すっかりいい気分になった1日だった。菱山先生、お世話になりました。ありがとうございます。

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668.2009年3月12日(木) 映画「シリアの花嫁」鑑賞

 前から見たいと思っていた映画「シリアの花嫁」が岩波ホールで上映されている。今日飯田ゼミの佐藤博信さんから先日寄稿した吉祥寺雑学大学機関紙の原稿について相談したいとのことだったので、朝渋谷で会い話を聞いた。当初A4判4枚の条件だったが、私が提出したのは図解を入れると5枚だったので、1枚削除出来ないか、できれば図解を外してほしいとの話だった。ただ、図解を外すとテーマがまったく面白くなくなり、アピール度が弱くなるので、ここは本文を4枚から3枚に減らすということで折り合った。

 その後「シリアの花嫁」を観たが、中々シリアスな映画である。フランス、ドイツ、イスラエル3ヵ国の合作映画だが、舞台設定がゴラン高原のある村の結婚式に絡んだストーリーで、家族、友人、警察、出入国管理官らのやりとりがほとんどで、部分的にはユーモアもあるが、終始重苦しい雰囲気の映画である。

 実際どれだけの日本人が、第3次中東戦争後にイスラエルに占領されたシリアのゴラン高原について知っているだろうか。ちょうどこの戦争直後にレバノンとヨルダンを訪れ、アラブとイスラエルの敵対関係を目の当たりにしただけに、ひと際関心が高い。不倶戴天の敵である、イスラエルとアラブの微妙な空気が流れる現場の雰囲気を理解するのは中々難しい。デモ行進とそれを阻止しょうと動く警察。イスラム少数派・ドゥルーズ派の花嫁、ヒロイン・モナはイスラエル占領地に住んでいるので、無国籍である。そのモナがゴラン高原の部落からシリアへ嫁いでいく中で、政治運動に関わった頑固な父、自分を理解してくれるが夫と不仲の姉、ロシア人医師と結婚した弁護士の兄、遊び人で商売人の兄らが、それぞれ故郷の実家で個人的事情とモナへの愛情を画面に映し出す。モナは会ったこともない映画スターの婚約者の許へ境界を越えて嫁いでいく。シリア側出入国管理の無理難題に翻弄される。最後に出た、モナの「もう2度と帰れない。でも私はこの境界を越える」とのテロップが重いメッセージを伝える。

2009年3月12日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com