1064.2010年4月12日(月) 井上ひさしさん逝く。

 作家・井上ひさしさんが肺がんのため9日亡くなられた。9日朝退院して鎌倉の自宅へ帰ったその晩に容態が急変して、家族に看取られながら逝かれた。

 健康上の理由からだろうか、日本ペンクラブの会長も1期しか務められず、現会長・阿刀田高氏へ譲られた。4年前の日本ペンクラブ総会では、総会議長の役割を担うべき職責にあったが総会を欠席された。その当日、井上夫人の実姉である作家・日本ペンクラブ理事の米原万里さんが亡くなられたからである。2度ばかり議長としての采配ぶりを間近に拝見させてもらったが、どことなくユーモラスな語り口だったような記憶がある。

 昨夕刊と今朝刊が休刊だったので、記事が溜っている筈なのに、今夕刊を見ると意外なくらい井上さんの訃報に大きなスペースを割いている。あまり気がつかなかったが、それだけ存在感が大きかったのだ。前会長の哲学者・梅原猛氏、現会長の阿刀田高氏、演出家の蜷川幸雄氏らが死を惜しむコメントを述べている。作家として、劇作家としてたくさんの小説、演劇作品を残した。文化功労者でもある。

 氏を有名にしたのは、本業以外で遅筆家としてである。台本が間に合わず、度々公演の延期や中止があり、本気なのか冗談なのか自らを「遅筆堂」と名乗っていた。前夫人とのどたばた離婚も世間の注目を集めた。

 NHK人形劇「ひょっこりひょうたん島」の原作者であり、「吉里吉里人」のユーモア溢れる作風とストーリーはあまりにも有名で、実際読んでいても面白く、つい含み笑いをしてしまったくらいである。結末があまりにも意外で呆気に取られた。何でも大切なものを隠した場所がトイレットの「キンカクシ」だった。思わず噴出してしまった。こういう馬鹿げた話を真面目に取り上げて小説にしてしまうところが井上流らしい。何でも「・・・まじめなことをおもしろく、おもしろいことはいっそうおもしろく」と言っていたそうである。そう言えば、どうやらこの「キンカクシ」というのが、強烈なエスプリを効かせるのか、先日友人・呉忠士くんから送ってもらった手紙のコピーを思い出す。

 手紙とは、呉くんの父上で古代ギリシャ文学の碩学・呉茂一東大教授へ宛てた弟子三島由紀夫の手紙である。三島はその手紙の中で、自作品「金閣寺」について大岡昇平が「キンカクジ」ではなく、「キンカクシ」と読んだと言って呆れている。「キンカクシ」というと大抵は碌なものを思い出さないが、小説のネタや、文学者が使うと「キンカクシ」も多少格が上がるから不思議なものである。

 いずれにせよ、異色な作家はまだ75歳だった。惜しい人をまた喪った。ご冥福をお祈りする。

2010年4月12日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1063.2010年4月11日(日) 世界が注目する2つの事件

 昨日衝撃的な事件が2件起きた。ひとつは、ポーランドのカチンスキ大統領夫妻、中央銀行総裁、軍幹部らポーランド要人が搭乗した同国特別機が、ロシア西部スモレンスク州カチン周辺で墜落炎上して搭乗員を含む96人全員が亡くなったニュースであり、もうひとつはタイ・バンコック市内で警察と前首相タクシン派デモ隊の衝突により、ロイター通信の日本人カメラマンが昨年のビルマ騒動に続き亡くなった、残念なニュースである。

 前者は、今年70年目を迎えた「カチンの森事件」犠牲者約2万2千人のための追悼式典に出席するため現地へ向かう途上で事故に遭った。「カチンの森事件」については、つい2年ほど前まで寡聞にして知らなかった。1940年第2次世界大戦中に、ロシアがポーランド軍将兵を大量虐殺したとして、ロシアにとっては心の棘となっていた事件であり、つい最近まで頬被りをしていたが、近年その事実を率直に認め公表してポーランドとの和解を図っていた矢先の不慮の事故である。不思議なことに、すでに1度追悼式典を行い、プーチン首相が弔意を表したその式典にポーランドのトゥスク首相も出席している。大統領は首相とは肌が合わず、何らかの思惑があるようで最初の式典に出席せず、改めて2度目の式典に出席する予定だった。理由はともかく、大統領夫妻にとっては不運だったとしか言いようがない。

 後者は、タイ・アピシッド政権と対立しているタクシン前首相派の反政府集会の取材中にデモに巻き込まれ命を落とした。死者は21名に上がる。4年前の軍部クーデター事件以来タイ政権は不安定な状態が続いている。これまでは、東南アジア諸国でも比較的政権が安定していると言われていたタイだが、最近政治の不安定と社会秩序は少々酷い。タイ在住の日本人も不安が消えないとこぼしていた。タイの政情が不安定になると、いずれその不安は近隣諸国に伝播して、アジア全域が不安定になる。すると経済活動に影響が出て日本にも余波が押し寄せてくる。何とかタイの政情が落ち着いてくれることを祈りたい。

2010年4月11日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1062.2010年4月10日(土) 外交機密文書裁判で原告団が全面勝訴

 民主党政権になって以来、外交文書密約について外務省も広義の密約があったという言い方で密約を認めた。しかし、どうにもすっきりしなかったのは肝心の外交文書を紛失したとの外務省側の説明である。国家機密が盛られた重要文書が無くなっても、それを公式に発表しないばかりでなく、関係者が誰1人として誤りを認めようともせず、責任もとろうとしないことである。日米間の外交文書という重要書類がいかに時は経過したとはいえ、重要書類だけに管理責任者が金庫へしっかり保管し、閲覧の際にも目を光らせておけば、そう簡単に自然紛失するものではないのではないかとの疑問は以前からあった。密約がありながら、ないと嘘の証言を繰り返してきた政治家や外務省幹部職員にとって、隠し通せなくなって都合が悪くなり意図的に廃棄処分したのではないかとの疑念が拭いきれない。

 折りも折昨日東京地裁は、密約の存在を認定したうえで、文書は極めて重要性が高く、国が保有していると判断した。それにも拘わらず充分探さずに不開示としたのは違法と述べ、外務省と財務省に関連文書を全面開示するよう命じた。さらに、国民の知る権利をないがしろにした対応は不誠実とまで決め付けた。紛失されたとされたこれらの外交文書は、永久保存対象など重要性が極めて高く、外務省などの通り一編の調査だけでは合理的かつ十分な探索をしたとはいえず、廃棄されたとも認められないとして文書の存在も認定した。

 つまり裁判所として外交文書は外務省が隠匿していると看做している。判決では、歴代外務事務次官をはじめ、文書作成の時期移行に関与した可能性のある者に聴取することが求められるとして、徹底した再調査をするよう求めた。ここまではっきり証拠の提出を求められるとは考えていなかった岡田外相もちょっと戸惑い気味である。だが、司法はそう認定した。外相は裁判所に対して控訴も検討しているなどと馬鹿なことを言っているが、最早矢は放たれた。裁判所も指摘しているように、すぐさま歴代外務次官以下に事情聴取するべきではないか。さもないと外交機密があったかどうかを徹底的に内部調査すると言った手前、外相も格好がつかなくなるのではないだろうか。

 これまでとかく官には逆らわずという諦めムードと、役所がすべて調べたという言葉を本当かどうかまで追求する裁判はなかったような気がする。その意味では、好い加減に対処する役所の体質に鉄槌を下したとも受け取れる。

 それにしても本裁判の原告団の中心人物・西山太吉氏の国家に対する真相究明の辛抱強い戦いには頭が下がる思いである。今晩NHKドキュメンタリー45分番組「追跡!A to Z-密約問題の真相を追う」でも、事件の本質と裁判の経緯が詳しく放映された。

 今月2日に広島球場グランドで倒れ亡くなったプロ野球巨人軍・木村拓也コーチの葬儀が広島市内で行われたが、その場面をNHK7時のニュースで放送したのは極めて珍しい。昨年まで現役プレーヤーとして活躍し、今季からコーチとしてスタートしたばかりだった。練習熱心で、人柄も良く人望もあったようだ。それが、野辺の送りに多くの人が集まった原因だろう。偶々そこで弔辞を述べていたのが、ゼミの友人で巨人軍オーナーの滝鼻卓雄くんだった。最近会う機会が少なくなったが、読売新聞社社長を辞めてもまあ元気そうで安心した。

2010年4月10日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1061.2010年4月9日(金) 米ロ、核軍縮へスタート

 やはり今朝の新聞のトップ記事は、「米ロ、核軍縮条約署名」だった。アメリカのオバマ大統領とロシアのメドベージェフ大統領が新たな核削減条約に署名した。昨年4月8日チェコのプラハでオバマ大統領が核廃絶に向けて電撃的な宣言を行い、世界中をあっと言わせた。実現には多くの課題があるが、これまで拡大に次ぐ拡大の道を歩んできた核開発に一時的にストップをかけたことは評価されるべきである。実際、米ロ両国の所有する核は全世界が持つ核の約9割に相当するので、強いメッセージとなった筈である。オバマ大統領へのノーベル賞受賞が、1年後の大統領のスピーチとなり、昨年のスピーチと同じプラハで、2大核保有国が揃って軍縮について発表することになった。

 まだまだ前途は遼遠である。実際オバマ大統領は「長い旅の一歩」と語り、これから戦術核や保管中の核兵器の削減を進めるとの考えを示した。

 しかし、核保有国の間で核不拡散条約(NPT)により核保有を認められている英仏中は、米ロに次いで自ら核を削減しようという動きを示そうとの考えはないようだ。サルコジ・仏大統領の如きは、減らすことはいいことだが、米ロが自分たちの保有量まで減らしたら、自分たちも削減を考えようとまったく不誠実なコメントを述べている。中国もほぼ同じような考え方である。これでは広島や長崎市民を始め、多くの平和を願う人びとの核廃絶へ向けた願いを逆撫でするようなものだ。それほど一旦広げた核拡散の流れを元へ戻すのは難しいということでもある。

 それにしても、つくづくオバマ大統領とメドベージェフ大統領の舞台回しの上手さに舌を巻く。日本ももう少し外交舞台で上手く立ち回ることができないだろうか。

 JN協会の4月定期セミナーは、ラオスについて「千葉県JICAシニアボランティアの会」の後藤優さんと仰る方が話された。ラオスについては、ベトナム戦争中パテト・ラオの活動を通じてかなり関心を持っていたが、実際には行ったことがない。ラオスは今もって貧しい国で、日本の有償、無償協力援助により開発が進められている。そんな恩義を感じてか、海のない国でありながら、鯨の捕獲に対して国際委員会で日本の立場に理解を示してくれている。

 しかし、国家として経済発展の阻害となったベトナム戦争が終っても、相変わらず復興、発展は遅々として進まず、周辺諸国に大きく立ち遅れているのが現状である。ラオスの現状についてパワーポイントを使いながら、現地に足を置いた活動をしなければ分からないことをたっぷり話してくれた。

 昔ビルマ巡拝慰霊団をお世話していた頃に、戦時中ビルマ・メイクテーラ周辺に作戦展開していた第5飛行師団隷下第52飛行場大隊の旧軍人さんから何度か生々しい話を聞いた。第52飛行場大隊に所属していた岩村さん?という方が、終戦後部隊から脱走しラオスへ侵入して、現地有力者の娘と結婚してラオス軍内部で昇進し、ラオス陸軍士官学校長にまで上り詰めた。ラオス軍兵士の教育に当たり旧日本軍仕込の厳しいやり方で辣腕を揮っていた。事実NHKドキュメンタリー番組で、岩村?陸軍士官学校長が軍服を身につけ溌剌とした活躍ぶりを観た記憶がある。ベトナム戦争が終わり王室系の保守政権が倒れ、岩村さんは失職した。

 しかし、前政権時代にラオス政府と現地の日本大使館とのパイプ役も務めたので、大使館に嘱託雇用されていたと戦友会で伺った。しばらくして岩村さんの消息は、すっかりマス・メディアから聞かれなくなった。

 後藤さんは、長らくラオスに滞在して活動していたので、その辺りの事情についてひょっとすると知っているのではないかと考えたが、ご存知ではなかった。特殊なケースなので、関係のあった在ラオス日本大使館に確認するのが手っ取り早いかも知れない。後藤さんは、日本人のラオス関係者に尋ねてみるというお話だった。

 岩村さんを過酷で波乱の運命へ引きずり込んだのは、あの大東亜戦争である。核削減により多少明るさが見えてきたとは言え、たったひとつの核保有でも戦争の危険を孕んでいる。何とか戦争への道を途絶させる術はないものか。

2010年4月9日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1060.2010年4月8日(木) 理不尽な賃金未払い労働

 近所にイタリア・レストランがある。そのチェーン店のアルバイト店員が残業代の未払い分を要求して裁判を起こした。労働基準法に変形労働時間制というのがあり、一定期間の労働時間が平均週40時間以内であれば、特定の日に8時間を越えて働かせることができる。このチェーン店はこの法律を乱用して1日8時間を超える労働時間分に賃金を支払わなかった。この未払いに対して店員が訴訟を起こし、当然の結果として、昨日裁判所はレストラン側に支払いを命じる判決を下した。

 賃金未払いに関して自分自身の経験上こんなことがあった。鉄道会社入社後1年半の間見習い駅員として駅の現場で日夜働いたが、当時は24時間勤務の隔勤勤務という特殊な勤務体制が施行されていた。朝9時から翌朝9時まで勤務した後仕事から解放され、翌朝9時に出勤してまた翌々日の朝9時まで働く勤務状態だった。

 ある朝、明け番となって帰ろうとしていた時、不意に当時の駅助役から呼び止められた。勤務駅近くに住む本社直属部署管理職自宅の大掃除を、勤務に当たる先輩に手伝ってもらうから、明け番で帰ってもいいが、出来れば先輩の代わりとしてそのまま勤務を続けて欲しいと頼まれ、大掃除の終る夕刻まで引き続いて駅に勤務して、結果的に一昼夜半勤務をすることになった。先輩がボランティア活動で開けた穴を、私が業務として肩代わりする結果となった。

 夕方になり手伝いを終えて戻ってきた先輩に業務を引き継ぎ、やっと仕事から解放されたが、結局手伝った先輩は上司に好い顔をし、一方でそのまま勤務を続けた私は賃金に値するものは何ももらえなかった。無償で働いたことになった。新人社員でもあった私は、そのまま黙って引き下がったが、その時言い知れぬ理不尽さを感じ、大学ゼミの恩師にその事実をお話したことがある。労働問題の専門家である恩師は、はっきりこれは看過し出来ない問題だと仰っておられた。話を聞いた亡父も、この行為は従業員をタダで働かせるものだと怒っていた。新人であるが故に騒いでことを荒立てることは本意でなかったので、そのまま黙って放念することにしたが、その事実に割り切れなさを感じ、終日不愉快でならなかったことを思い出す。

 他にもこういう理不尽な扱いを受けた駅員もいたのではないかと思う。あの時代は、適当に上司にゴマをすり、点数稼ぎをする人間がいる反面、そんな気持ちをうまく利用したずるい上司がいたのだろう。いつも皺寄せを受けるのは、タダ働きのペエペエである。もう亡くなったが、あの時大掃除を手伝ってもらった管理職や、その手配をした助役は、部下である見習い駅員を1日私的なことで時間外に働かせたことに対して、その時何の痛痒も感じなかったのだろうかと今でも不信感が残っている。

 今なら大きな問題となりそうな、こんな馬鹿げたことはしないと思うが、半世紀近くも前はまだまだ、労働者は本音や正論を言えず押さえつけられていた。そして、現場には上司に逆らえない「物言えば唇寒し」の空気が流れていた。アルバイト店員とは言え、きちんと裁判で筋を通したことは勇気のいることであり、訴えたのは気骨のある人だと思う。

2010年4月8日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1059.2010年4月7日(水) アメリカ、核制限へ新戦略

 オバマ大統領が中期的な核政策の指針、核戦略見直しを発表した。ふたつほど大きなポイントがある。ひとつは、アメリカは核不拡散条約加盟国で核不拡散条約を遵守する非核保有国に対しては核攻撃をしないということと、もうひとつは新たな核弾頭開発をしないということである。

 昨年4月8日にオバマ大統領がチェコ・プラハで将来の核廃絶「核なき世界」を目指すとのスピーチを行った。それを国際社会は高く評価し、一斉に歓迎し、大いに期待した。それが、昨年オバマ大統領がノーベル平和賞を受賞した大きな理由となった。ノーベル賞委員会は、平和に対して確たる実績のないオバマ大統領に、敢えてノーベル平和賞を授与することにより、平和への貢献を無言のうちに望んでいたのである。今日のスピーチは取り敢えずオバマ大統領のひとつの理念と構想を発表する形となった。

 しかし、戦争なんて相手国に先制攻撃をかけることにより優位に立つことが出来る。過去の戦争を見てみても相手国を出し抜くことで戦われてきた例は数限りなくある。核保有国も非核保有国も、果たしてどこまでオバマ・ステートメントを信用し、また先制攻撃をかけないと言えるだろうか。理想がどこまで現実の世界で実現出来るか。それでもなおオバマ大統領の心意気は大いに善しとしたい。今後もオバマ大統領の行動を注目して見てみたい。

 さて、案の定というべきか、新党結成を目論んで自民党を離党した与謝野馨氏らの行動に対して、メディアの評価は厳しい。取り敢えず意思を表明した議員が4人である。あと1人が参加して党員5人にならなければ政党助成法の対象にはならない。しかも4人の平均年齢が69歳とやや高齢で、フレッシュな若者の出現が望まれている現状ではあまり評判がよろしくない。母校の先輩である石原慎太郎・東京都知事がバックアップしているようだが、ムード的にも新党発足時に漂う清新さとかエネルギーのような、新しい政治を起こすという期待感とか、わくわくするような高揚感のようなイメージが湧いてこない。それに政策的にもただ民主党を倒すためと言っているが、具体的な政策とかビジョンを明確に打ち出さないことも彼らの目指す目的が明確に伝わらない原因だろう。

 幸いにして72歳でやや年齢が高いが、中川義雄参議院議員が自民党を離党して新党への参加を示唆している。これで取り敢えず政党助成法の成立要件を満たすこは出来そうだ。さらに石原都知事が新党を「たちあがれ日本」と命名した。漸く党としての形が出来て出発出来ることになりそうだ。

 それにしても、これまでの経緯を見ていると政党を新たに立ち上げるというのは、如何に大変であるかと想像出来る。これだけの大物が寄り集まっても中々同士を集められない。ずばり言えば、リーダーである与謝野氏と平沼氏にかつての魅力がなくなったからだろう。

2010年4月7日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1058.2010年4月6日(火) 中国政府の傲慢で身勝手な手法

 JN協会が発行する「観光書」の内容3章のうち、「観光」章については私が執筆しているが、イタリア・ミラノで活躍している大島悦子さんもイタリア観光について執筆することになっている。偶々一時帰国中の彼女が明日再びイタリアへ発つので、打ち合わせをしたいと昨日電話があり、今日ハイアット・リージェンシー東京で昼食をともにしながら打ち合わせた。

 本書はJN協会編集による共著であるが、やはり共著となると関係者の合意を取り付けるのが難しい。つい最近も「知の現場」で思い知ったばかりだ。本来は中心となる人が、主旨や、内容、文体、ボリュームなどについて説明し、関係者を納得させて方向づけするというのが望ましいが、中心となるべき人がリーダーシップを取らないので、どうも各執筆者が勝手に作業を進めているという印象である。それぞれの執筆者がそれなりの実績のある人ばかりだから、調整は余計難しい。大島さんとは頁数の分担など、ある程度すり合わせをしたので、今後はメール交信により連絡するようになる。私自身原稿は半分くらい書いたので、今後後半部を一気に書いて早く全文推敲へ持って行きたい。

 昨日、そして今日、中国に関するニュースがマス・メディアを賑わせている。ひとつは、中国の石炭運搬船がオーストラリアの「世界遺産」グレート・バリア・リーフ内で座礁して重油が漏れ出し、沿岸のさんご礁の汚染が心配されていることである。オーストラリア政府の発表によると、船はルールを無視してさんご礁内へ入り込み座礁したらしい。どんな意図があって中国船は禁止水域へ侵入したのか不明である。

 もうひとつは、大連の刑務所に拘留中の日本人死刑囚の死刑が今朝執行されたニュースである。死刑囚は4年前麻薬密輸犯として逮捕され、死刑が確定していた。日本なら精々15年未満の判決らしい。日本政府は中国政府に対して懸念を表明していたが、強く諌めるとか抗議するということはなかった。所詮外国で犯した犯罪にその国が自国の法律に基づいて下した判決に対して、とやかく言うことは憚られるが、判決の経緯が不透明であることや、審理を充分に尽くしたかという点において疑問が残る。日本政府の及び腰はあまりにも卑屈である。

 6年前のサッカー・アジア・カップで地元中国チームが敗れた腹いせに、応援の中国人ファンが、暴徒となって日本選手に野次や物を投げつけた挙句に、スタジアムに来ていた日本公使の公用車を襲って破壊したが、この暴挙に対して中国政府は一切謝罪しなかった。先日2年前の毒入りギョーザ事件の中国人容疑者が逮捕された際も、犯罪は日本国内で仕組まれた疑いが強いとする中国は、日本に犯罪の原因と疑いがあると主張し続けていた。にも拘わらず、中国人が犯人と判明し逮捕されても、これまでの不実に対して中国政府は日本政府に対して謝罪するような態度は見せないし、日本が中国に対して幾分なりとも謝罪を要求したというような話や形跡もない。

 つまり、今回の事件に限らず、今まで日本は中国の言いなりで、言われっ放しなのである。

 もう少し言うべき時にははっきり物申す姿勢を明確にしない限り舐められ続けて、今後も思い上がっている中国の風下に立ち続けることになるのではないか。

2010年4月6日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1057.2010年4月5日(月) フォークランド島紛争を思う。

 昨日はお花見を楽しんだが、曇天ながらもこの時期に満開というのは例年に比べると大分遅れている。今日も朝から雨と肌寒い気温に見舞われ例年とは変わった気象変化にいささか戸惑っている。やはり地球全体の温暖化現象が、逆の影響をもたらしているようだ。

 さて、いま地球の反対側にあるアルゼンチン沖合の英領フォークランド諸島に一部で熱い視線が注がれている。今年2月にフォークランド島周辺海域で海底油田開発を目指してイギリスの石油会社が始めた試掘に対してアルゼンチンが反発し、緊張が高まったのである。実は、その背景には28年前のフォークランド戦争がある。

 いまでも忘れられないのが、その28年前の1982年5月文部省教員海外派遣団の添乗員としてイギリス・マンチェスターに滞在していた時、偶々イギリスとアルゼンチンの間で勃発した戦争である。同地に1週間ばかり滞在していた間に、毎日朝から晩までテレビで放映される戦争関連ニュースに、いささか辟易しながら関心も持った。戦争という概念に新しい1頁を加えてくれたような戦争だった。

 イギリス海軍艦隊がイギリスから遠路フォークランド島へ向けて移動していったが、テレビでその様子を毎日飽きることなく、今日はこの辺りを航行中という具合に報道していた。その報道スタンスに興味と若干の違和感を持ったのは、3つの点においてである。

 ひとつは毎日毎晩のように、入れ替わり立ち代り戦死した兵士の母親が、遺影を抱いて現れては涙ながらに、息子は優しくて誰からも愛されていた。自分の愛する息子を死へ追いやったこの戦争が憎いと語っていた母親たちの同情を呼ぶ姿であった。2つ目は、王室が参戦することに賛否両論があった中で、イギリスのチャールス王子だったか、アンドリュー王子が軍人の義務としてこの戦いに従軍したことである。3つ目はこのスピードを要請される時代に、実にゆっくりとしか進まない応援部隊の艦隊の大行進が滑稽に見えたことで、司馬遼太郎が「坂の上の雲」に描くところの、80年前のバルチック艦隊の東方への進軍イメージとダブって見えたことである。

 こうしてやっと辿り着いたフォークランド島では、イギリス軍は物量と強力な戦闘力でアルゼンチン軍をたちまち圧倒した。われわれが6月に帰国したころには、アルゼンチン軍は降伏して、この戦いに政権の浮沈を賭けていたアルゼンチン軍事政権はあえなく崩壊した。日本から遥か離れた土地で交わされた戦火だったが、昨日のことのように今でも強く印象に残っている。

 現在も両国は互いの領有権を主張して譲らない。相変わらず領有権を巡る係争はくすぶり続けている。イギリスにしてみると、イギリスが開拓した土地に住む島民はイギリス帰属を望んでいるので、住民投票をすれば良いと公言しているが、一方のアルゼンチンにしてみると大陸南端から500㎞の島嶼は地勢的にも感情的にも自国領土との意識が強い。

 いずれにしても、その土地に「財宝」が眠っているとなると、つい欲の皮が突っ張って、それまで放っておいたくせに、急に所有権を主張し出すからややこしくなる。日本ではあまり関心の持たれていない戦争であるが、この行く末はどうなるだろうか注目してみてみたい。

2010年4月5日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1056.2010年4月4日(日) 3度目のお花見を楽しむ。

 千葉・幕張小学校のクラスメートらと錦糸町で待ち合わせ、毎年新年会をやっている「翁寿司」で食事をして上野公園でお花見である。今年3度目のお花見だが、今日は最高の人出が予想されていた。幸か不幸か、天候があまり良くなかったので、どこも人出はそれほどでもなかったようだ。しかし、JR上野駅公園口前から人、また人である。ただ歩いて公園内を1回りしただけだったが、桜は実に見事に咲き誇り、まさに満開で公園内には大勢の花見客が座り込み、酒で賑やかに盛り上がっていた。

 今日集まったのは10人。幹事の高橋くんがそろそろお役御免にして欲しいと言い出したが、後任に適任者が居ない。取り敢えず来年は川上くんにお願いすることになった。10人のうち、男は3人だが、この年齢になると大体女性の方が集まりはいい。だが、女性で旧姓板橋さんが亡くなったというし、男性では辻田義彦くんが亡くなった。誰かが言っていたが、この「和会」もいつまで続けられるだろうか。世の倣いとは言え、年々寂しくなっていくような気がしてならない。

 さて、先月31日に高校無償化が今年度の予算として認められたが、懸念されていた朝鮮学校は結局対象から除外された。ただし、「日本の高校に類する教育をしているか」を検証したうえで、除外措置を解除するかどうかを夏までに判断するという。今のところ、どうなるか分からない。政治家よりも地域住民の方がよほど真剣に考えている。

 東京朝鮮中高級学校があるJR十条駅周辺の商店会が「無償化の対象から朝鮮学校を外さないで欲しい」と国会の文部科学委員会へ要望書を送った。夏までに結論は出るが、今もって政治家の態度が右往左往している。考えなければならないことは「次代の子どもたちの大切な教育」ということと、「差別化しない」という点である。ならば予断を持たずして判断にそれほど頭を悩ますこともないのではないか。どうして即断出来ないのか頭を捻らざるを得ない。

2010年4月4日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1055.2010年4月3日(土) なぜ与謝野馨氏は自民党を離党するのか。

 選抜高校野球も今年は雨天順延のケースが多く、今日漸く決勝戦となった。東京代表の日大三高と沖縄代表の興南高校の決戦となったが、延長12回でけりがつき興南が初優勝を遂げた。高校入学の春、母校は選抜に出場したが、1回戦で高知商に敗れてしまった。2人の息子が小さい頃はしばしば春と夏に甲子園に連れて行ったものだが、それも遠い昔のような気がする。情緒が薄れてきた現代社会では、かすかに懐かしい青春とか、「一心不乱」「全力投球」のような愚直な言葉を思い出させてくれるフェスティバルである。

 先日来あまり気が進まない個人の評伝に取り組んでいるが、今日は朝からずっと書き続けてちょっと疲れてしまった。気が進まないと言っていてはいつまでも解決しないので、思い切って昨日から再び取り組み出した次第である。とにかくプライバシーに絡むことは表現が難しい。まだまだ当分苦戦を強いられそうである。

 さて、昨日自民党を離党すると言っていた政策通の与謝野馨・元財務相が、今日谷垣禎一・自民党総裁に会い辞表を提出した。自民党執行部としては看過出来ない事態だが、谷垣総裁の求心力が低下しているのか誰も止めようとはしない。それにしても、与謝野氏はなぜ自民党内で党内改革を進めようとしないのか、よく分からない。

 先般の予算委員会の席上鳩山首相に手厳しい質問を行っていたが、あれだってそれ以前の与謝野氏の温厚そうな人柄や政治家としての実績から鑑みると、想像出来ないほど下品で首相を罵倒せんばかりの暴走だった。あの時人柄が変わってしまったような印象を持った。どこで方向が曲がってしまったのか判然としない。今度は園田博之氏が行動を共にするらしいし、場合によっては平沼赳夫氏とともに新党を立ち上げる動きがある。だが、これからどうするのか、ビジョンも方向性も明かしてくれない。

 ちょっとどうかと思うのは、同じ党内で徹底的に議論を闘わして、党改革の方向へ誘導するのではなく、いとも簡単に「いち、や~めた」と抜け出してしまったことである。その方が当面は楽だということは分かる。しかし、新党結成となると資金も要るし、党の基盤作りには相当な時間と労力がかかる。それを承知のうえで党を出ようというのである。荒海へ乗り出そうとする小舟のようである。荒波に翻弄されなければ良いがと思う。

2010年4月3日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com