ご意見番の意見


2010年8月

1175.8月1日(日) 日本人の人口減少
総務省が昨日発表した今年3月末の人口調査によると、総人口は1億2705万人で3年ぶりの減少である。47都道府県の内38府県で減少した。逆に人口が増えたのは大都市圏で、東京、名古屋、関西圏内の大都市への流入が連綿と続いている。
 今や少子高齢化は大きな問題となっているが、その傾向の一端として65歳以上の人口が25%を超えている県が20県もある。高齢者とされる、日本人の65歳以上の人口が平均25%を超えるのは、2015年と言われている。因みに四国4県はすべて25%を超えているので、すでに2015年の日本のスタンダードに達している。それらの県では、いずれも財政的に苦境に追い込まれている。
 これはいずれわが国が直面する難題が、単に部分的に現れてきただけである。国は益々財政的に苦しくなる一方である。早い内に対策を講じないといけない。それには、やはり国として消費税値上げを真剣に検討する必要がある。民主党は、参院選前に菅首相が消費税について触れた発言のせいで大敗を喫したとして、一昨日の両院議員総会で総括し菅首相をつるし上げ、消費税論議を彼方へ追いやってしまった。本末転倒である。国の財政が大事なのか、自分たちの主導権争いが大切なのか、いつもながらの政治ゴッコに呆れるばかりである。
 さて、宮内庁が所蔵の公式文書原本控えなどを公開した。その中には、桂小五郎の求めに応じて坂本龍馬が薩長同盟の成立を保証するために認めた「薩長同盟裏書」や、「五箇条の御誓文」の原本控えなど、幕末・明治維新の激動を伝える貴重な記録がある。今夜の大河ドラマ「龍馬伝」で、小五郎と龍馬がからんだ薩長同盟の厳しいやりとりを放映していたが偶然だったのだろうか。 宮内庁がどうして今頃になってこのような資料を公開したのか、その真意は判然としないが、もう少し早く公開してそのコピーを書籍で紹介してくれれば、もっと歴史に興味を覚えた人が増えただろう。
 宮内庁の役人は自分たちなりに、国のため、皇室のためを慮って閉鎖性に拘っているように見えるが、どうも戦後の文明開化?に逆行しているのではないか。もっと史実を正確に伝えるため、国民のために秘蔵の情報公開に踏み切って欲しいものである。
 夜のNHKスポーツニュースで高校野球の沖縄県代表校・興南高校の練習風景を紹介していた。春の選抜で優勝した実力校であるが、それだけに監督は自分たちのやり方に絶対的な自信があるのだろうか、首を傾げたくなるシーンがあった。甲子園出発前に炎天下の練習で選手全員がユニフォームの下にビニールのウィンドブレーカーを着込んでいた。強い日射が気になる中で、全員が普通より汗をかく格好で練習に励んでいたのだ。暑い甲子園に慣れるためと称していたが、炎天下で必要以上に厚着で練習する異常なパフォーマンスは、少々行過ぎて無茶だと思う。こんな一時代前のスパルタ練習が特に医学的な根拠もなく、ひとりの監督の浅はかな思い込みだけで選手たちにハードワークを強いているのはあまりにも常識を欠いていると思う。この監督は高校のクラブ活動の指導者として果たして適任なのかどうか。事故が起きてからでは遅いと思う。
1176.8月2日(月) 2人のジャーナリストはなぜガイドの忠告を無視したか。
 小型航空機やヘリの墜落事故が頻発している。それも登山事故とリンクしているから不思議である。その中でもオヤッと思ったのは、秩父山中で遭難者を救出中にヘリが墜落して5名が亡くなり、遭難者も結局死亡した事故である。救われるべき者も救うべき者も死んでしまっては、何のための救出活動だったのか、脱力感が拭えない。
 ところが、昨日この遭難事故を取材しようと山中に入った日本テレビの記者とカメラマンが沢で亡くなった。この2人は、当初ガイドに案内されて事故現場へ向かったが、沢登りをするには軽装すぎるし、天候が悪化しそうだと考えたガイドの決断で引き返した。その後2人はガイドを連れずに山へ入り、結局遭難死した。
 日本テレビ側とガイドの言い分が食い違っていて、真実ははっきりしない。しかし、状況証拠からするとガイドの言うことが正しいようだ。大体ガイドが止めようと言ったことを軽視して、敢えて強行した強引な行動が事故につながったと思う。
 やはり2人は山を舐めていたとしか言いようがない。特に、カメラマンは大学山岳部に属し、仕事でもヒマラヤを始め海外の山を度々歩き登山経験は充分だったようだ。だが、私の浅い登山経験から言っても、尾根歩きと沢登りは大分違う。今度の秩父山中の事故現場は、どちらかと言えば沢登りである。これに対して服装は沢登りのものではなかった。日本テレビは、問題なかったと思っていると好い加減な説明をしていたが、やはり会社側に責任ありだと思う。
 一昨日ブログで111歳の男性がミイラ化していたことについて書き込んだ。ところが、今日杉並区では113歳の都内最高齢者の女性が住民登録をしているアパートに住んでいないというミステリーもどきが明らかになった。これだって111歳の男性の事件を受けて、杉並区がその女性を調べた結果判明したらしい。常識的には長寿の方なので近隣の人びとがお祝いするのが普通だが、今度の2件はいずれも近所付き合いがまったくなく、そういう人がいるとは知らなかったというのが近所の話だ。近所の人々と関わりを持たなくなったというのが、昨今の風情である。もう昔あった向う三軒両隣のような隣組の人情は消えてしまったようだ。寂しい時代になったものである。
1177.8月3日(月) 先の戦争の正式名は何と呼ぶのか。
 朝日夕刊の「終わりと始まり」という連載エッセイ欄に作家・池澤夏樹氏が、「(土地の名・戦争の名)呼称の困難について」と題する文を寄稿している。いろいろなものの名前に関心があり、こだわりもあるようだ。わが自宅近くの自由が丘の名のいわれについても、語源は学校名から来ているという。自由が丘は丘ではないともいう。確かに丘ではないが、東横線自由が丘駅前ロータリーから自由通りを通らず目黒通り方面へ向かえば、石坂洋次郎の「陽のあたる坂道」と呼ばれているなだらかな上り坂がある。自由通りに出れば、そこには「自由が丘学園」がある。この学園も歌手・舟木一夫が卒業し、歌った「高校三年生」のモデル校である。池澤氏が言うように、この学園の名前を拝借したのかどうかは分らない。
 それより池澤氏が触れた戦争の名の方が気になる。65年前に終戦となった先の戦争である。開戦直後に当時の東條英機内閣が閣議で名前を「大東亜戦争」と正式に名づけた筈であり、その事実を知ってから私自身それまで太平洋戦争と呼んでいたのを「大東亜戦争」と言い、講演などでもそう話している。
 池澤氏によると大東亜戦争という言い方は敗戦後使えなくなったらしい。それで何と呼ぶべきか困っている。日中戦争と呼んではアメリカが見えなくなり、太平洋戦争と呼んでは日中がすっぽり抜けると悩んでいる。そこで第二次大戦でドイツに東部戦線と西部戦線があったように、日本にも大陸戦線と太平洋戦線があったということにしようということで、エッセイはチョンとなっている。だが、こうも付け加えている。アジア・太平洋戦争と呼ぶのが一般的らしいが、アジアという名はトルコ方面まで含めるので広すぎるのではないかと。
 戦後65年にもなってまだ正式に戦争の名をつけないのはどういう料簡だろうか。前九年の役、後三年の役、壬申の乱、壇ノ浦の合戦、応仁の乱、関が原の戦、戊辰戦争、日清・日露戦争、等々のようにすべて大戦争には正式な名前がついているから後世の人間が記憶に留めるのに役立つのだ。これではあと65年も経ったら、「戦前は大東亜戦争と呼ばれたが、戦後は名前がない」戦争とでも呼ばれるようになるのだろうか。
 これを連鎖反応と呼ぶのだろうか。1966年冬航空機墜落事故が3件も連続して起きたが、今度は山の遭難事故と高齢者の行方不明の連鎖である。特に後者の高齢者であるが、各自治体が百歳以上の高齢者を自発的に調査したら出るわ出るわ後から後から、行方不明者が明らかになった。都内でも港区、荒川区、八王子市などから、また名古屋市でも、静岡県、長野県からも不明の高齢者が明らかになった。流石に長妻昭・厚生労働相も、110歳以上の高齢者で年金受給者については各自治体が訪問して本人に会って確認するよう指示したと記者会見で応えた。
1178.8月4日(火) ロシアの「第2次世界大戦終結の日」とは何だ?
先月ロシアは日本が降伏文書に署名した9月2日を一方的に「第2次世界大戦終結の日」という記念日に決めた。ロシア国内の国事行為とは言え、ロシアが北方領土の実効支配を正当化することを恐れた日本政府は、ロシア政府に見合わせるよう伝えていたが、結局覇権国家・ロシアが独断的な考えを引っ込めるはずもなく、ロシアにとって特別の記念日となった。
 夜にNHK「クローズアップ現代」では北方問題を取り上げ、「北方問題の真相」と題してロシアの終戦直後の北方四島への侵略・占領を伝えていた。ロシアの図々しさには、今更ながら驚き呆れるばかりである。
 現在沖縄の米軍基地ばかりが騒がれているが、戦後旧ソ連とロシアが行った山賊行為、日本兵のシベリア抑留と北方四島の実効支配は、考え方によってはもっと強引であくどい。冒頭の記念日は、その日にちを9月2日に決めることによって、ロシアの四島支配を戦利品として認めさせようとの意図がありありである。日本がポツダム宣言を受け入れ降伏宣言をしたのは、8月15日であることは国際的にも承認されている。そもそもそのポツダム会談にはソ連から軍服を着たスターリンが偉そうに出席して、その一部始終を承知していたのではなかったか。ポツダム会談の目的は第2次大戦の戦後処理と日本を早く降伏させることであり、ソ連の強引な漁夫の利を容認するものではなかった筈である。しかもポツダム会談が終ったのは8月2日だった。スターリンが8月15日の日本の降伏宣言を知らないわけがない。手続き上書名は9月2日になったが、それを日本の降伏日とこじつけるにはいかにも無理がある。
 ロシアには、シベリア抑留について抑留中に生命を落とした日本兵と日本国民に謝罪する責任があるのではないだろうか。戦後60万人近い日本兵を厳しい条件下に抑留し、ほぼ1割の兵士を死に至らしめた。そのうえに北方領土の永久占領とは、盗人猛々しいにもほどがある。この件については、旧ソ連と現ロシア政府ともにまったく知らん顔である。
 日本政府もロシア政府に対して筋道を立てて論理的に日本の立場を強く主張するべきではないだろうか。勝者と敗者であってもこんな理不尽なパフォーマンスをされては、堪ったものではない。うかうかしているとロシアには、北方四島の次に、利尻・礼文島まで奪われるような悪夢を見させられそうだ。
1179.8月5日(木) 1年半前のブログ投稿書き込み
以前にインターネットのウェブサイト上に「古井戸さん」と名乗る方の硬派のブログが掲載されていて、そこに私が意見を書き込んだ。偶々今日そのブログを見つけたので、その時のことを漠然と思い出した。私の後に続く投稿者は元赤軍派幹部の「植垣康博」である。あさま山荘事件で全国に指名手配され、最近静岡方面でバーを経営していると仄聞した。
 ブログのテーマは一昨年12月に亡くなった加藤周一先生についてである。先生が亡くなって1ヶ月後の昨年1月30日付で、私は次のように書き込んでいる。
 「60年安保闘争に参加して、ベトナム反戦に関わりました。ベトナムにも中東にも行き、遂にヨルダン軍に身柄を拘束されました。前途に光が見出せず、チェコのカルレ大学留学を志しました。これが何と『プラハの春』で挫折となりました。挫折だらけの半生でしたが、漸く古希を卒業して、学生時代に月刊『世界』で夢中になって読んだ加藤周一先生の卓見にうなずいております。惜しい方が亡くなられたと残念でなりません。随分動いたが、私も結局権力に飲まれてしまったのではないかと反省しきりです。安保闘争ではわれわれ学生に理があった。しかし、結果は権力につけ入れられ、安保反対の正論は蓋をされ無視されています。若者に言いたい。権力にひるまず前進せよ!」とある。
 古希を過ぎて随分尖ったことを言っているが、それはその直後にNHKETV特集「加藤周一 1968年を語る‘言葉と戦車’ふたたび」を観て、ちょうど1968年‘プラハの春’事件直後に自ら車を運転してチェコに入り、取材した加藤先生の並外れた行動力に感心し、喝采を送ったからである。
 私が‘プラハの春’で留学を断念したのは、その時すでに会社へ辞表を出し、9月に日本を発つ予定で準備を進めていたところ、8月20日未明に突然ソ連軍戦車がチェコの首都・プラハへ侵入して市内を蹂躙し、プラハが一夜にしてソ連の植民地となってしまい、留学どころではなくなり、泣く泣く諦めたからである。 あの後加藤先生の足跡を辿る映画も観た。今年は60年安保50周年記念の年でもあり、何かにつけ思い出すことが多い。
 昨日も「知的生産の技術研究会」八木哲郎会長から書中見舞いのメールをいただいたが、最近酒を飲み交わしながら60年安保時代の問題を話し合える人が少なくなったとあった。特にそういう65歳以上の人と会う機会が減ったと嘆いておられた。よく分るなぁ。
1180.8月6日(金) 広島原爆投下から65
今年も巡ってきた広島「原爆の日」である。原爆投下、そして終戦に至った灼熱の夏からすでに65年が経つ。
 昨年アメリカのオバマ大統領がチェコのプラハで核兵器の廃絶を訴えて、世界中で平和を希求する人々から万雷の拍手で迎えられ、核廃絶に対する世界の目が少し変わった。オバマ大統領には、昨年その感動的な宣言による「核廃絶」への期待を込めて、ノーベル平和賞が授与された。
 しかし、核保有大国・米ロ間の核兵器削減交渉は少し前進したが、相変わらず核保有国の利己的な主張の前に大きな前進は見られない。
「原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」に国連事務総長として今日初めて出席した潘基文氏は、就任当初から核廃絶の強い願いを抱いていた。核保有国の代表に対しても個別に、核保有削減へ向けて粘り強い説得を続けている。昨日も長崎の浦上天主堂を訪れ被爆者にも会い、昨日一日は事務総長にとっても「最も深く心を揺さぶられた日で、人生でこの種の感動的な日を経験したことはなかった」と述べた。今日のスピーチでも「核の危険を排除するには、核兵器を廃絶するしかない」とその信念には揺るぎがない。
 今日の式典には、アメリカの高官としても初めてルース駐日大使が参列した。イギリスからも、フランスからも初めて代表が出席した。そのせいで、今日海外でも広島のニュースがこれまでになく強いメッセージを持って伝えられたようだ。広島から世界へ向けて核廃絶の動きを示すひとつのパフォーマンスは具現できたと思うが、秋葉忠利・広島市長が最初の挨拶で日本政府に対して「非核三原則の法制化と核の傘からの離脱」を訴えたのに対して、菅首相が式後の記者会見で世界の現状からみれば、核抑止力は効果的であると応えていた様子からは、日本から強い発信力は期待できそうもない。
 今年11月にオバマ大統領が来日される際、果たして大統領自身が核廃絶を願う気持ちを広島、長崎へ立ち寄ることで実際にひとつの形として表すことができるか。アメリカ国内に根強く残る「原爆投下は戦争早期終結に効果があった」とする原爆投下を是認する世論を押し切って、強い核廃絶の意志を行動に移すことを期待したい。
 それにしても広島や長崎から核廃絶の声を発信するのに、日本のトップよりも世界のトップに期待するのは忸怩たるものがあり、何とも情けないことでもある。
 夜になってNHK75分のドキュメンタリー番組「吉永小百合被爆65年の広島・長崎」が放映された。女優吉永小百合さんが、長い間続けている原爆の悲惨さを書いた詩の朗読のドキュメントだった。広島と長崎を訪れ被爆者とその関係者らにインタビューして、深く重く考えさせる中々良いストーリーを創り上げていた。
 3日後には長崎の「原爆の日」がやって来る。
1181.8月7日(土) 夏の高校野球開幕に想う。
 暦の上では今日が立秋である。残暑どころか、まだまだ暑い日が続く。夏の風物詩と言えば、甲子園の高校野球が今日始まった。炎天下を歩む選手の入場行進をテレビで見るとはなしに見ていると、懐かしい数々のシーンが瞼に浮かんでくる。
 初めて甲子園で高校野球を観たのは、昭和28年、中学三年生の時に芦屋市内の牛乳販売店を手広く経営していた田鎖さんのお宅へ泊らせてもらいながら、開会式から3日目の最終試合で地元の県立芦屋高校が敗れるまで、ひとりで全試合を観戦した時である。
 戦時中は現在の芦屋高校の前に住んでいたこともあり、また父の仕事の関係上親しくしていた田鎖さんが、前年度優勝校・芦屋高校野球部後援会長をされていた関係もあり、そんなに野球が好きなら見せてあげるから、いつでもお出でという言葉に甘えて3日3晩お邪魔して、田鎖さんのお宅から甲子園へ阪神電車で通ったものである。
 開会式直前に芦屋高校野球部員が宿泊している旅館に連れて行ってくれ、優勝旗を触らせてもらい、この後開会式で優勝旗を返還する選手だと言って本屋敷錦吾主将を紹介してくれた。この優勝旗はその4年前母校・湘南高校も手にしたものである。本屋敷選手はその後、立教大学黄金時代の主将として長嶋、杉浦選手らと神宮球場を沸かせ、プロでも阪急、阪神で活躍した。
 あれ以来しばらく甲子園へ行く機会はなくなったが、子どもたちが高校野球に興味を持ち出したのがきっかけとなり、再び甲子園へ通い出した。毎年春と夏の大会になると、2人の息子や、時には甥を連れて、わざわざ甲子園まで観戦に行ったものである。
 かつては名門校とか古豪という、誰でもすっと思い出すような高校が桧舞台に登場することは少なくなった。昭和28年の大会では、名門の浪華商高、中京商高、松山商高のビッグ3が優勝候補だったが、松山商が優勝した。今では他の2校は私立大学の付属校として、大体大浪商高、中京大中京高と呼ばれている。そう言えば、中学時代に一時在籍した名門・平安も、中高ともに昨年龍谷大付属平安中高となった。昭和31年に全国優勝した平安高校のメンバーは平安中の同級生で、誇らしく思ったものだが、校名の前に奇妙な冠が付くと、伝統校として歴史は受け継がれているのだろうが、どこか違うなぁという寂しい印象は拭えない。
 今年も熱戦を繰り返して不景気を吹っ飛ばして欲しいものである。
 それにしても今年の夏は格別に暑い。ロシアでは過去130年の観測史上最も暑い夏となったようで、シベリア森林の自然火災により煙がモスクワ市内まで流れ込み、市民は外出時にマスクをしている有様である。遂に昨日プーチン首相は、炎天による旱魃のために国内産小麦の輸出を禁止する非常事態に乗り出した。
 異常気象は今年だけに限らない。何年か前から頻りに言われている地球温暖化の影響であることは間違いあるまい。国際的に二酸化炭素の削減の数値とか排出ガスの販売権などと、各国間で本質とずれた話題で丁々発止の駆け引きを演じているが、所詮焼け石に水のようだ。地球温暖化にブレーキをかける、もっと抜本的な国際合意を形成しなければ、今後毎年のように地球は確実に暑くなっていくのではないだろうか。
1182.8月8日(日) 中国成長の陰の不安
 中国の経済発展は目覚しく、今年中に国民総生産では日本のそれを追い抜くことはほぼ確実である。日米欧が不況の真っ只中にいるにも拘わらず、ひとり勝ちの様相である。一昨年の北京オリンピックに続く今年の上海万博開催に至って、益々勢いがついている。「向かうところ敵なし」の感がある。
 近年になって中国自体がその経済力をバックに大国として、国際社会で発言力を強めている。すべてが中国にとって万々歳のように見える。実際には、言論弾圧と情報管理により、貧富の極端な格差や農村の貧困などの恥部が外部へ流れることを封殺している。国民の自由が抑圧されているのは明らかで、いつ国民の不満が爆発するか予断を許さないのが実情である。
 その「行け行けドンドン」の中国で、商業銀行が地方政府系企業に対して実施した融資のうち、借り手の返済能力や担保などに問題がある債権が、約19兆5千億円にのぼることが明らかになった。もし、景気減速などで不良債権化すれば銀行システムへの打撃が極めて大きい。いよいよ氷山の一角が崩れることになるのか。そうなれば中国経済全体にとって大きな影響が出る。これまでのように、そういつまでも好景気を謳歌しているわけには行かなくなりそうだ。
 さて、記録的な猛暑に襲われているロシアでは、森林や泥炭の火災がロシア西部で拡大を続け、首都モスクワは最悪のスモッグに覆われている。モスクワ周辺の各空港では視界が悪く航空機の発着にもかなりの影響が出ている。アメリカや欧米各国では、旅行者にモスクワ周辺への渡航を差し控えるよう警告を出した。
 懸念されているのは、旧ソ連時代にウクライナで起きた原発事故で汚染された森林を抱える地方では、仮に汚染地域に延焼すれば、放射性物質が大気中に拡散する恐れがあると伝えられている。想像もできないことがあるものである。それにしてもロシア西部だけで、577箇所の火災が発生しているというから驚く。日本でこのような山林火災が起きたら、大参事となるだろう。その点で言えば、国会で政治ゴッコをやって遊んでいられるだけでも日本の政治家は気楽な稼業と言えるのではないか。
1183.8月9日(月) アメリカが長崎「原爆の日」式典に出席しない理由
 長崎の「原爆の日」である。アメリカ政府代表者は予想されていた通り「原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」には出席しなかった。今年初めて広島の式典に出席したイギリスとフランスは、代表者が出席した。
 アメリカが代表者を出席させない理由として、ルース大使のスケジュールが合わなかったと言っているが、広島と長崎の式典の日時は早くから分っていたことであり、スケジュール云々はこじつけに過ぎない。
 アメリカはオバマ大統領がいかに核廃絶へ向けて熱意を示そうとしても、アメリカ国民の気持ちの中には、「原爆投下は終戦を早めた」との思い上がった気持ちがあり、大量虐殺と言って間違いない原爆投下を素直に自分たちの過ちと認めようとしない。終戦を早め、その結果として戦争による犠牲者の数を減らしたとの思い込みは、あくまで彼らの論理であって、犠牲者サイドから言えばあまりにも自分勝手で暴論である。犠牲者に対する贖罪の気持ちがまったく感じられない。いくら戦争とは言え、他国の一般人を大量に殺戮しておいて、自分たちを擁護する自己主張には、人間としての思いやりとか憐れみの気持ちがまったく感じられない。
 これでは、この先オバマ大統領が仮に広島や長崎で原爆犠牲者に哀悼の意を表したところで、単なるみせかけでしかない。
 終戦直前は日本にはもはや余力が残されておらず、降伏直前だった。それを広島はおろか、長崎にまで原爆実験で徹底的に痛めつけておいて、何が終戦を早めたであろうか。アメリカ国民がまだこんな残虐な考えに凝り固まっているとしたら、アメリカ人の本性は獣である。日本を訪れるアメリカ人はすべからく広島と長崎を訪れ、犠牲者と遺族に贖罪の気持ちを表して然るべきである。
 さて、JN協会の企画会議の前に急遽「そこが知りたい 観光・都市・環境」編集会議を開いた。名古屋から須田寛氏も出席されたが、イタリアから一時帰国中の大島悦子さんは出席できなかった。出版社を交え7名が打ち合わせた。全員すでに原稿を書き上げたので、一応形を作り上げてから推敲をしようということになった。須田さんからは個人的に貴重なアドバイスをいただいた。これから何度か打ち合わせを重ねて、今の予定では出版にこぎつけるのは11月中旬とのことである。段々楽しみが増してきた。
1184.8月10日(火) 朝鮮併合100周年に際して
 政府は韓国併合条約発効100周年を迎えるのを機に、過去の植民地支配への反省や未来志向の日韓関係を築く決意などを柱とする首相談話を決定した。「韓国の人々は、植民地支配によって国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷つけられた」などの談話骨子は、戦後50年の村山談話、60年の小泉談話に沿ったもので格別目新しい点はない。
 しかし、これに合わせて宮内庁に保管されている、「朝鮮王室儀軌」と云われる朝鮮王朝時代の公式記録文書を韓国へ返還することになった。韓国の所有権を認める「返還」ではなく「引渡し」という表現を使った。重箱の隅をつつくような表現に気を遣っているようだが、日本の朝鮮併合は、明らかに先鋭的な帝国主義の成せる結果であり、明らかにこれは韓国に所有権がある。これを返すのは当然である。今後とも日韓関係がスムーズに行けばこれ以上のことはない。
 今日の発表では、終戦記念日に菅内閣閣僚は靖国神社へ参拝しないことになった。これも毎年物議を醸し、中国や韓国からも厳しい論評が寄せられる。どうも日本国内で誤解されているのは、「靖国神社不参拝」が「戦没者慰霊拒否」と受け取られていることである。戦没者を慰霊しないのではなく、戦犯の霊に参拝しないということである。嫌々戦場へ狩り出され、無念の戦死を遂げた元日本兵の遺族の気持ちとして、靖国神社参拝を避ける政府高官の気持ちはやりきれなく、許し難いものだということはよく分る。靖国神社に一般の戦没者と戦犯の御霊をともに祀ったことにそもそも原因がある。毎年同じ問題が繰り返されるのかと思うと、気持ちがすっきりしない。
 先日来高齢者の所在不明が大きな話題となり、日本中で一体どれだけの高齢不明者がいるのか見当もつかない有様である。100歳以上の不明者が50人から70人と言われ、各メディアが発表する数字もマチマチで今ひとつ信憑性に欠ける。ところが、今日神戸市の発表には度肝を抜かれた。あまりにも杜撰である。神戸市内だけで先月末時点に居住する100歳以上の高齢者847人の内、105人が確認できないという。好い加減にしろと言いたい。しかも、その中に国内最高齢者にあたる125歳の女性が含まれているという。会見した担当課長の言葉から察すると、まったく責任を感じていないように見える。つまり、やるべきことをまったくやらないで他人事のような発言を繰り返している。
 公務員というのは、どうしてこうも責任感がないのだろうか。こんなことでは神戸市の担当者には、高い給料を支払う価値がないのではないか。ところが、今日人事院は国家公務員の給与、ボーナスをちょっとばかり減額するよう勧告した。これでも支払い過ぎだと思う。とりあえず、公務員のボーナスに関して、一刻も早く国民的議論を闘わせてもらいたい。今日の発表によると国家の借金はついに900兆円を超えた。給与はともかく、これではボーナスを支払う原資も正当性もない。
1185.8月11日(水) アメリカで日本人観光客のバスが死傷事故
 昨日アメリカ・ユタ州シーダーシティの近郊で日本人観光客14人が乗った小型バスが道路からはみ出し横転し、3人が即死した。ほかにもけが人が続出している。ラスベガスからブライス・キャニオンに向かっている途中だった。この近くを何度か通ったことがあるが、道路はアメリカの人口希薄の都市間を結ぶ直線の高速道路だけに、テレビで画像を観ても事故を起こしそうもない場所である。実際地元の警官は、こんな大事故はほとんど聞いたことがないと話しているほどである。
 午後朝日新聞社の村山さんという記者から電話があり、この事故の原因をどう思うかとのお尋ねだった。一応思っているままに、ツアーの安売り競争が日本の旅行会社から、現地の手配業者にプレッシャーをかけ、コストダウンを要請する。強行日程に加えて、現地ランドオペレーター内で経費の節約を図る。添乗員、ガイド、ドライバーが協力して行う仕事をドライバー1人で行い、長距離を走行する。当然ドライバーに疲労が重なる。つい居眠りをしてしまうのではないかと話した。つまり根源はツアーの安売りだと思うと持論を述べた。村山さんがどう感じたのかは分らないが、専門家の意見として、明日の朝刊に載せるかどうかは検討すると言っていた。安売りの話より、もっと事故そのものについて直截に話した方が良かったかも知れないなという気もした。
 JN協会で編著として準備している「そこが知りたい 観光・都市・環境」の担当箇所「観光編」の最終原稿を昨日交通新聞社へ送信した。今日はプロフィールと参考文献リストを送信した。イタリアの観光を担当した大島悦子さんからも今日最終原稿を送ってこられたので、交通新聞へ転送した。これで、原稿はすべて揃った。後は校正に気を配り、何とか立派な書物として観光業界でも話題と関心を呼ぶようになれば有難い。
 かつて、政界の暴れん坊として国会内でも大声で怒鳴ったり、現役の法相を殴ったり、暴力を振るうなど、とかくの噂があった元代議士の浜田幸一が、今度は背任容疑で逮捕された。国会議員の質を低下させた張本人で、これだけタチの悪い人物が、よくも選良として国会へ出てこられるものだと、彼を選んだ選挙民のレベルの程度にも呆れる。かつては、ラスベガスで賭博による4億円何がしかの大損を、ロッキード社からの賄賂で支払って議員を辞職した。こんな不浄な感覚で国の政治に関わっていられたのでは国民は堪ったものではない。浜田に似た程度の国会議員がまだほかにもいるのではないかと考えると実際腹が立つ。
1186.8月12日(木) 日航ジャンボ機墜落25周年忌
今朝の朝日新聞を開いてみたが、アメリカの小型バス横転事故については小さな記事で死亡者の名前と負傷者の状況を説明しているだけだった。昨日電話をかけてこられた朝日新聞社の村山さんが意図する事故の原因を追究するような記事は残念ながら見られなかった。従って私が話した事故遠因にはまったく触れられていなかった。
 しかし、テレビのニュースなどを観ていると、ドライバーの居眠り運転説が濃厚である。私も居眠り説と同じ立場に立つが、居眠りに至った経緯や原因が究明されていない。一部のテレビ・ニュースでは安売り海外旅行云々と報じている。このツアーの販売価格がいくらで、ホテルがどのクラスか、食事条件、等々が分らないので軽々しく断定できないが、日本旅行、近ツー、HISの3社が共同企画会社となり、バス運行会社は孫請け会社だったことから判断すれば、安売り旅行であると思って間違いないのではないか。コースも4日間でラスベガス、ザイオン国立公園、ブライス・キャニオン、グランド・キャニオンを巡って470km余を走行し、その間観光スポットではガイド兼ドライバーがそれぞれ案内し説明するというのは、率直に言ってガイドにとって少しタフ過ぎるのではないかと思う。それがドライバーの疲労、居眠り、事故となったのではないか。
 11月に出版される予定の共著の中でも、安売りツアーについて批判的な内容を書いたが、どうも旅行の本質をあまり知らない経営者がコストの削減にばかり目が行って、旅行の楽しさとか面白さのような旅本来の味を旅行客に楽しんでもらおうとの気持ちが欠けているように思えてならない。旅行商品は他の物販品とは基本的に違うということを認識しないと、敢えて言えばこのような事故につながる。
 さて、今日は御巣鷹山中に日航ジャンボ機が墜落して四半世紀に当たる。あの時は、10月に向ヶ丘遊園で開催された「世界蘭会議」の準備に忙殺されていた。資生堂の福原義春専務(現名誉会長)らと会議中に日航機が行方不明になったと聞き、えらいことになったなぁと思った。その日の夜のニュースで墜落現場が分り、後になって生存者もいたことが分ったが、その時点では歌手の坂本九を含めて、かなりの死者が出ると放送された。結局520名の尊い命が失われた。
 日航は今年1月に会社再生法を適用され、今は再建中である。保有のジャンボ機もすべて売却されるという。かつては華やかな存在だったジャンボ機が段々姿を消しつつあるのは、寂しいような気もする。ジャンボ機B-747が活躍し始めたころ、次の機種としてB-767が開発、製造されつつあった。1983年9月アメリカ・ワシントン州エバレットで文部省海外教員視察団添乗員として、同地の教育施設を見学した。学校訪問後に教育委員会の先生に勧められて、全員でボーイング・エバレット工場を見学させてもらい、格納庫で出番を待っていたB-767型機について説明を受けたことが懐かしく思い出される。
 航空業界の競争も、格安航空会社の参入などがあり益々厳しくなっている。日航もとても安定したとはいえず、当分厳しい経営状態が続くだろうが、何とか持ち直して欲しいものである。
1187.8月13日(金) 戦争に関する報道について
 最近戦争に直接、間接に関わる事件の報道が減っていると感じていた。8月になると終戦記念日、広島と長崎の「原爆の日」、12月8日の開戦記念日、2.26事件等々の露出度が、全般的にマス・メディアで減っているように思う。
 しかし、今年は大分違うようだ。2月の2.26事件の報道こそほとんど見られなかったが、普天間基地移設問題のゴタゴタからとりわけ沖縄に照準が当てられ、6月23日の沖縄戦の終戦を始めとして、今月に入ってからパン・ギムン国連事務総長が出席した広島の「原爆の日」式典等々が、多くの報道番組で取り上げられるようになった。
 昨日NHKで「『爆笑問題』の戦争入門」75分番組で戦争について知識や考えを持っていないと思われるタレントを相手に戦争体験者が諭していた。特に、俳優神山繁が38歳のタレント品川某が誰も戦争について教えてくれないと発言したことに対して、逆になぜ戦争について学ぼうとしないのか、資料はいくらでもあると反論したことが印象に残っている。どうも若者は戦争から距離を置いて戦争を正面から見つめようとしない。甘えるばかりで、他人に責任を転嫁して自ら進んで知ろうとしない悪癖がある。今のうちに戦争世代が若者にがつんと言って、戦争の真実について知らしめることが大事だと感じた。
 夜になってスペシャル番組「‘玉砕’隠された真実・奇跡の生還・その裏で新資料が明かす大本営の内幕」が放映されたが、アッツ島とガダルカナル島の玉砕についてこれまで公開されていなかった秘話を伝えていた。大本営によって「玉砕」とさせられたアッツ島守備隊の悲劇の真実を、玉砕後67年も経った今ごろになって曝け出されても、2600名の「名誉」の戦死者は救われまい。たった27名のアッツ島帰還者のひとりは、「玉砕」ではなく「棄軍」だと言った。玉砕との栄誉に包まれた戦死者に対して合同慰霊祭が行われたが、同じ兵士たちが抱える白布の木箱の中には、もちろん遺骨はなく砂が収められていたという。ここまで遺族を欺いていたのかと思うと憤懣やる方ない。被弾負傷により米軍の捕虜となって戦後ガ島から帰還した元兵士のひとりは、戦陣訓にある「生きて虜囚の辱めを受けず」に逆らって生還したことに対して、いつも引け目を感じていて取材の際も「あなた(インタビューアー)に対して恥ずかしい。まわりに対して恥ずかしい。みんなに対して恥ずかしい」と何度も繰り返し語っていた姿が痛々しかった。
 30年ほど前にガダルカナル島・ヘンダーソン空港に降り立った時、夕景の中を伊藤正徳著「帝国陸軍の最後」に描かれていたシーンを思い返しながら、一木支隊が行軍難渋した川を渡ったことを思い出した。武器と食料が極度に欠乏しジャングルと泥沼の中を彷徨いながら、次々に斃れた兵士たちの悲惨なメモリーに引き比べ、平和な時代になり夕暮れの海浜のあまりにも美しい景色が印象的だった。その裏でガ島にも陸軍上層部の主導権争いと棄軍の情け容赦のない作戦計画があったとは想像するだに恐ろしい。
 それにしても戦争とは、御国のためにひたすら純粋な気持ちで戦っていた兵士たちを、これほどまでに欺くようなことをやっていたのかと、その残酷さに愕然とし絶望感に襲われる。
 明後日65回目の終戦記念日がやってくる。
1188.8月14日(土) ポツダム宣言受諾の日
戦争の話ばかりで恐縮だが、65年前の今日ポツダム宣言を受諾し明日天皇の玉音放送により終戦となった。私自身当時国民学校初等科1年生だったが、夏休み中に終戦となり2学期が始まったら戦後の授業だった。はっきり覚えていないが、最初の授業で担任の青木正子先生から終戦を聞いたような気がする。
 ミズーリ号艦上で重光葵全権大使が降伏文書に署名したのが9月2日で、この日が国際的には終戦と認められるケースが多い。先月ロシアが「第二次世界大戦終結の日」と敢えて国際社会に向かって宣言し、ロシアの記念日としたのもこの署名を根拠にしている。
 しかし、今年になってロシアが記念日を決めたのは、原爆投下により日本が破滅寸前になっているのに、敢えて日ソ不可侵条約を侵してまでして日本に止めを刺すような戦いを挑んだことを正当化し、北方四島占領を既成事実化しようとの目論みであることは言うまでもない。
 実は、ポツダム会談の折スターリンはトルーマンに対して北海道の半分を戦利品として自国領とすることを申し出たとされている。あの時から今日まで、日本はロシア覇権主義の波に圧倒され続けて、未だに北方四島が占領されたままである。逆説的だが、日本の外交官にもこれだけ押しの強い図々しさがあれば、日ロの外交交渉ももう少し違った形になっていたのではないかと思う。
 さて、ちょうど今お盆休暇のところが多い。先週は株価が下がる一方で1週間内に日経平均が320円も下がった。これはアメリカの経済の先行きに明るさが見えないことと、ヨーロッパ各国が金融不安を打開できないことが大きく影響している。このためドル安・円高が亢進し、1$=85円を割るありさまである。幸いなことに、販売低下とマイナス予測された各自動車メーカーが景気回復してきてかなりの収益を見込んでいるようだが、トヨタの如きは社内の換算レートが1$=90円と計算しているようだ。仮に1$当たり1円の円高になると約300億円の減収になるというから、1$=85円で決算期を迎えたら、1,500億円の減収になる計算である。大会社は大会社なりに悩みが尽きない。
 現在世界の主要株式市場で日本株式の下落が際立っている。日経平均株価は3月末に比べて16.6%安と最も下落率が大きい。これにより各国の通貨の中で円だけが高くなる独歩高となり、輸出企業の採算悪化が懸念されている。政府と日銀が急激な円高阻止や成長戦略で具体策を打ち出せるかどうかが、当面喫緊の課題である。
 それにしても景気の回復は、当分見込めないというのが専門家の一般的予想である。早く景気が回復して欲しいのは、素人としても当然の望みである。
1189.8月15() 65回目の終戦記念日
終戦記念日の今日、日本武道館で「全国戦没者追悼式」が、天皇、皇后両陛下ご臨席の下に行われた。式典には軽井沢で静養中だった菅首相も帰京して出席し、衆参両議院議長、最高裁長官、及び遺族を中心に約6,000人が出席した。先の大戦の戦没者は310万人と言われている。230万人の軍人・軍属と80万人の一般人である。この内240万人が海外で亡くなられた。広島と長崎の原爆による犠牲者は全戦没者のほぼ1割である。
 アメリカでは、今も原爆投下は戦争終結を早め、犠牲者が増えることを防いだとして悪いことではないとの声が約6割もいると直近の世論調査が伝えていた。これだけ悲惨な犠牲を強いておいて、なお自分たちの行いは正しかったとする頑なな考えはとても受け入れることができない。どうして相手の気持ちを慮らない、自分だけが正しいとする自分本位の考えが芽生えるのか理解できない。
 アメリカ人は自ら声を大にして主張するように、アメリカ合衆国は民主主義国家の見本として、一般的に民主的で意見を広く求めて多数決を重視しながらも、たった一人の声も尊重すると思われている。それが、今日アメリカが何とか世界でも一番信頼される国のひとつとなった原因ではないかと考えている。
 しかし、場合によっては救いようがないと思うほど頑固で自説を曲げない頑迷さを持っている。その典型は銃砲所持の権利であり、この原爆投下の肯定論である。
 戦後65年も経過して、これだけ世界中に反戦・反核の火の手が挙がっているのに、頑強に自分たちの正当性を主張する彼らの間違いを糺すのは、アメリカへの声なき声の連鎖を造り上げることしかないのではないか。アメリカ以外の人々から、原爆投下は間違っていたとアメリカに言ってもらうよりほかに、アメリカ至上主義に凝り固まっているアメリカ人を説得する方法はないのではないだろうか。プラハの宣言では、オバマ大統領は責任を感じていると発言したが、それは必ずしもアメリカ人の声を代弁したものではなかったということだ。
 さて、終戦記念日と言えば、毎年のように物議を醸す政治家の靖国神社の公式参拝がある。今年は数日前に仙石由人・官房長官が、首相を始め閣僚は参拝しないと発表した。菅首相は武道館には行ったが、靖国神社を訪れてはいない。今日は、自民党谷垣総裁、大島幹事長、安倍晋三・元首相、及び超党派の靖国神社参拝をする国会議員の会みたいな会に所属する議員が参拝した。
 今日首相以下各閣僚が参拝しなかったことで、これから民主党政権の下では、国の代表者が靖国へ参拝しないことが明確になった。今後天皇・皇后両陛下の参拝についても、現在一般の戦没者と戦犯が合祀されている現状を考え直さないと難しいのではないかと思う。分祀して戦犯は靖国から別の場所でお参りするか、一部で検討されている国立の追悼施設を建設するか、もうとっくに考えてみる時期に来ているのではないだろうか。そうでなければ、いつまで経っても靖国参拝問題は解決しない。
1190.8月16日(月) これから戦没者遺骨収集をどう進めるのか。
 大東亜戦争中に海外で戦死した旧日本軍兵士のご遺骨は、今も100万柱以上が海外に眠ったままになっている。厚生労働省では毎年戦地へ遺骨収集団を派遣しているが、年々収骨作業は困難になり、収容数も減少の一途である。
 1973年以来20年近く旧厚生省・中部太平洋戦没者遺骨収集事業に携わってきた経験上から戦没者のご遺骨を収集するのは、年々難しくなっているということを実感する。日本側に当時の状況を知る人が年々少なくなっているのと同じように、海外各地で日本軍の行動や生活について知っていた現地の人たちがほとんどいなくなったことも大きく影響している。外地の人里離れた密林や、山地では現地の人の案内を請わなくては、思うように戦没地へ入ることが叶わないからである。
 例えば、フィリッピンでは51万8千人の戦没者のうち、約37万3千人のご遺骨が帰還していない。これは、軍がフィリッピンの山奥深く進軍したために山野に展開した作戦で部隊がちりじりになり、戦後も現地のゲリラ部隊の潜伏などで接近できないという事情もある。
 ビルマのインパールやコヒマのように、高山のジャングル地帯では平時でも入るのは難儀である。とても収骨することは難しく、しかも現在のビルマの政情不安を考えると現状では不可能に近い。年々遺族も少なくなり、厚労省や遺族会も焦っているが、現実的に状況は益々厳しくなっている。
 ある程度実情を知っている立場からすれば、収骨数というのは、数え方がマチマチなので、正確な数にはなりにくい。特に戦没地の事情によって数え方も異なるので、実態とは多少合わない点もあることは承知しておいた方がいい。
 政府は遺族がもういつまでも待てない状況に鑑みて、このまま座視しているわけにはいかない。実際には10年や20年の間にすべてのご遺骨を母国へ奉還することは不可能に近いことを直視すべきである。それなら、せめて気持ちのうえで遺族が折り合える対応を考えるべきである。ひとつの方法としては、希望する遺族には毎年8月15日に戦没地近くで慰霊追悼式を行い、気持ちを慰めてもらうことである。
 いくら形として追悼式で式辞を述べても、本当の気持ちは伝わらない。民主党は昨年の政策集で、無宗教の新たな国立追悼施設を設置する方針を明記したはずである。にも拘わらず、菅首相は「今すぐどうという結論ではなく、党内外の議論のあり方を見ていきたい」とのんびりとしていて冷たい。
 さて、夕方先日に続いて朝日の別の記者から、改めて海外旅行の安全について尋ねてきた。明日の特集で報道したいとのことだった。随分切羽詰まった特集だが、先日のように空振りに終らなければいいが・・・。
1191.8月17日(火) 朝日朝刊に持論掲載
 昨夕朝日新聞社から取材された海外ツアー事故に関する内容が、今日の朝刊3面に掲載された。全8段のスペースを割いて事故の補償についてかなり詳細に説明していた。私の記事は2段枠組みで5つのポイントについてまとめられている。枠組み記事にはこう書かれている。

「旅行ジャーナリストの近藤節夫さんに、安全な海外旅行をするためのポイントを挙げてもらった。
 @ 任意保険には必ず加入
 A 実績のある旅行会社かどうか調べる
 B 極端に安いツアーでは、旅程に無理がないか、安全なホテルを利用しているかを確認
 C 車で長距離を移動する場合、余裕のあるスケジュールか、運転者が2人以上いるかを旅行会社にチェック
 D インターネットだけに頼らず、できるだけ旅行会社の窓口で相談し、安全だと納得してから予約を」

ほとんど話した通りに書かれている。スペースが狭いので、私なりの持論をすべて話すことはできなかったが、主旨は伝わったと思う。早速新聞を読んだ友人2人からメールが入っていた。更に記事をコピーしてメール送信したところ、やはり関心があるのかいくつかコメントを寄せてくれた。
 小中陽太郎さんからもメールで、朝日に旅行アドバイザーとして掲載されたのは一流の証拠だとお世辞であるがお褒めの言葉を送っていただいた。ある程度社会的に認めていただいたということで、これからの仕事上にもモチベーションが高まる。
 午後長男から電話で、王貞治さんのお母様・王登美さんが亡くなられたと知らせてくれた。夕刊をみると確かに死亡記事が掲載されていた。最近まったくお会いすることはなかった。2年前に亡くなられた王鉄城先生の奥様から施設に入っておられると聞いていたが、その先生の葬儀場にはお姿も、お名前も見られなかったので少々気にかかっていた。その後、週刊誌にあまり好意的でない介護の話が取り上げられた。
 最後にお会いしたのは、200112月である。満百歳を迎えられお祝いのセレモニー「百賀」をお任せいただき、センチュリー・ハイアットで行った。その時はお元気だった。明治34年(1901年9月1日)の富山県のお生まれで、戦前戦後を通じてかなりご苦労されたように伺っていた。医師だった故王鉄城先生のお薦めもあったが、随分お世話になった。今でも忘れられない思い出は、ご家族でハワイ旅行された時、帰国日を占うと凶であると成田から新宿のお宅へ直行せずに、ただひとり成田に滞在してから一日遅れで帰宅されたことである。信心深いのには驚ろかされた。
 ほとんど王鉄城先生ご夫妻をパイプにして王家の皆さまとお付き合いをさせていただいたが、良い思い出ばかりである。それは取りも直さず、王家の皆さまのお人柄が素晴らしいからである。
 王登美さんのご冥福をお祈り致したい。 
1192.8月18日(水) 明日のテレビ取材に備える。
 今朝早稲田出版の大塚靖敏編集長から電話があり、四方山話の後でアメリカ・ユタ州のバス横転事故について日本テレビが取材のため私を紹介して欲しいと言っていると聞いたので、喜んでお引き受けすることにした。しばらくして日本テレビの番組「スッキリ!」担当者の渡部さんと名乗る方から、事故の補償、手配の実務等について話して欲しい。明日取材して明後日の朝8時に放映するということになった。
 特に気にされていたのは、イギリスの場合、旅行主催会社が旅行参加者の負った実費費用と見舞金等についてほぼ負担すると聞いているが、日本では4年前のトルコの事故に際して、主催旅行会社H...は、被害者は加害者であるバス会社と直接交渉すべきだと突っぱねているなどの、日欧間で異なる責任の取り方だった。
 幸い昨日飯田ゼミの池田くんから4月にスペイン旅行した時の体験から、保証を得る方法が参考になると思い、早速明日午前中に会って詳しい話を聞くことにした。池田くんはアイスランドの火山爆発により、フィンランド航空がバロセロナからヘルシンキまで飛ばなくなり、7日間バロセロナに滞在を延期せざるを得なくなった。延泊に伴いかかった費用負担について旅行会社との間でトラブッていると聞いた。池田くんは、旅行会社を当てにできず、フィンランド航空へ同志とともに直接交渉したら、同航空では、EUではその種のケースでは費用は航空会社が負担すると言って、速やかに支払ってくれたという。このEUの例と日本の一部の旅行会社との賠償というか、費用負担に対する考え方の違いを説明しようと思っている。
 いずれにしろテレビ局としては、関心を呼ぶニュースであり、消費者がかなり費用負担をしている例が見られるので、消費者保護の立場からも、きちんと日本の旅行会社が果たすべき責任について説明したいと思っている。
 私にとってはこういう形でテレビへ出演するのは初めての経験でもあるので、かつてエジプトで起きたバス事故の顛末と責任の取り方について書いた論稿があるので、それらをもう一度チェックするなどして万遺漏のないよう、ある程度準備をしておきたいと考えている。
1193.8月19日(木) 日テレで取材を受ける。
飯田ゼミの池田博充くんと神保町の書泉グランデ前で会い、池田くんの話を聞かせてもらった。彼が偶々スペイン・ツアーでフライト・キャンセルに巻き込まれてしまい、旅行会社の不誠実な対応が納得できず、私に電話をかけてきたことから、今日のテレビ取材の参考にしようと打ち合わせすることになった。災いを転じて福となすべく、もらった資料についてことの顛末を聞いて、それを素にこの後日本テレビの取材に応えようとしたものである。
 それにしても、彼の話を聞いた限りでは、参加したツアーの旅行会社の対応はあまりにも不親切で酷すぎる。彼らの団体はアイスランドの火山爆発による航空機のキャンセルにより、バロセロナで7泊も余計に宿泊する破目になった。延泊のホテル代負担を巡って旅行会社と交渉したが、旅行会社では一切取り合おうとはせず、自然現象によるフライト・キャンセルなので、旅行会社に責任はないと主張するばかりだったらしい。当事者同士、つまり航空会社・フィンエアと旅行者で話し合って欲しいと突き放されてしまったと彼は憤慨していた。
 主催旅行会社は、自社商品を購買してくれた顧客に対してもう少し親切に両社の仲を取り持って、旅行者の気持ちを汲んであげる努力を払っても良いのではないかと思う。しびれを切らした池田くんは、同じ団体の仲間とともに航空会社へ直接交渉して、ヘルシンキのフィンエア本社とフィンランド消費者庁の了解を得てホテル延泊代を負担してもらうことに成功した。1人1泊6,000円の賠償で、7日分として84,000円を返してもらったという。一方で、彼が呆れたのは、この交渉の結果勝ち得た成果を、旅行会社が自分たちの功績のようにほかの参加者に対して、航空会社がホテル代を負担すると連絡したことである。旅行会社が行うべき義務を、顧客である旅行参加者が個別交渉によって得た成果を、今度は旅行会社が我が物顔に利用する神経の図太さである。
 その後予習をしながらランチを終えて汐留にある日本テレビの本社ビルで、担当の渡部健太さんの質問に応える形でカメラマンのカメラ回しが続けられた。1時間のインタビューを通して、格安ツアーの問題点は話したが、話したいことばかり多く、やはり時間的には少々足りなかったような気もした。それでも初めてのテレビ番組登場でもあり、何とか取材は終えたが、満足度としてはとても充分ではない。全体のデザインが描けない中で質疑に応えるというのは、つくづく難しいものだと思う。しかも、終ってから画面を見ることができるわけではない。すべてをテレビ局に任せることになった。
 毎週ウィークデイの朝8時から1025分まで放送される長時間番組「スッキリ!!」の「特報」の枠の中で、明朝私がしゃべる時間は僅か1分30秒に短縮されて放映されるとのことである。仕上げはどうなっているのか、気にはなる。すべては明日見てからのお楽しみ半分不安半分である。
1194.8月20日(金) テレビ画面写りはまずまず?
 朝8時から始まる日本テレビの「スッキリ!!」を観るため若干早く起きた。8時20分ごろ放映されると聞いていた私の出番だが、中々画面が出てこない。中々出て来ず、交通問題に詳しい弁護士が2度も話をしているので、私の画面はボツになったかなと思っていたところ、38分になってニコニコ顔の私がジェスチャーを交えて話している画面がやっと2回ばかり出てきた。近藤先生テレビ初登場の巻である。1時間近くも取材に応じていたので、本音としてはもう少し顔を出させて欲しかった。1分30秒くらいと聞いていたが、1分もなかったのではないか。
 観た印象ではそう悪くもないので、こんなものかと受け止めることにした。早速受信メールをチェックすると早くも良かったという声が届けられたのでほっとした。
 JN協会の観光セミナーで何人かから良かったとお褒めの言葉をいただいて安心した。妻や妻の友人、妹らにも割合評判が良いようなので、まあ良かったと思っている。
 今日の観光セミナーは小林幸氏の「英国運河の旅」と題して、イギリスの‘LLANGOLLEN CANAL’を家族4人でボートを借りて、往復140kmの運河を旅した話だった。珍しい視点の旅行で家族が1週間協力しあいながら、ボートを操る。料理を作りながら家族は全長20mのボートに宿泊して高低差のある運河を上り下りする。割合一部では知られているらしく、ネット検索すればかなり詳しく知ることができるらしいが、寡聞にして知らなかった。時間が取れて同志が見つかれば、一度はやってみたいツアーのひとつである。それにしてもヨーロッパでは、今どき100年以上も前にトランスポーテーションの手段だった運河を、21世紀になって趣味と娯楽のために使う発想と、自然を楽しもうとする自然主義的考えには、感心する。やはり日本人とは違うと実感する。
1195.8月21日(土) 民主党の派閥抗争はどうにかならないか。
 7月下旬パキスタン西北部を襲った豪雨により大洪水を引き起こし、死者が1,600人、被災者は実に1,540万人に上る。今も被害は拡大して市場最悪規模のものになると憂慮されている。大洪水に襲われた地区は、アフガニスタン国境に近く、被災者を放っておくとイスラム過激派が救援活動をして同地区住民が彼らに同化されてしまうという危機感がある。ザルダリ・パキスタン大統領は「武装組織がこの状況を利用する恐れがある」と、各国へ支援を求めている。パキスタンにも言ってやりたい。洪水被害で資金が足りないと外国へ援助を求めるくらいなら、金のかかる原爆開発なんか止めろと。アメリカは国連や、民間援助団体を中心として突出して多額の援助を始めたが、日本も支援金と人的支援を行うことになった。自衛隊もヘリ部隊の派遣を決めた。
 いつも思うことだが、国際支援というと率先行動を起こすのは、決まってアメリカである。自分たちの置かれた立場上アメリカは支援せざるを得ないのだろうが、経済発展著しく、軍備拡張も目覚しい中国が手を上げないのがどうも解せない。軍が保有する大量のヘリを支援に提供したらどうだ。ロシアも同じである。中国の行動には、いつも打算が付いて回っている。リターンが伴わないと自ら動かない打算的な面がある。世界から尊敬される国家と成り得るかどうかは、このように他国が窮地に追い込まれた時にこそ見せ場となるのではないだろうか。その意味では、中国は世界の大国と言うには、まだ早いと言っても良い。
 さて、来る民主党代表選に向けた民主党内の呆れたゴタゴタはどうにかならないものだろうか。国民が嫌気をさしているにも拘わらず、内部抗争は日に日にエスカレートしている。流石に今朝の朝日には厳しい論調の社説が載っていた。
 民主党代表選は「何のために戦うのか」と厳しい。出だしから「この人たちはいったい何をやっているのか―。少なからぬ有権者があきれているに違いない」と書いてある。その通り、まったく呆れている。争いは菅首相派と反菅首相派の間で行われている。反菅派というのは、言うまでもなく小沢派である。小沢派は、首相がマニフェスト通り政策を実行しないと、自派から党代表・首相を選出しようとしている。菅首相になってまだ3ヶ月である。3ヶ月前に自分たちが選んだ代表者を、やり方が気に入らないからとポイするとはあまりにも節操がないのではないか。自分たちにとって都合が悪いから、首相を代えようというのだから呆れる。世界でも呆れられるだろう。小沢派にとっては、国際社会の評価とか、国民の心配なんか眼中にないのだ。こういう人たちは政治家である資格がない。とっとと政治家を辞めてもらいたい。国民を不幸に貶めるばかりである。
 欲の皮が突っ張ると、他人のことなんか目に入らなくなってしまう。こんな家庭内争議ばかりやっているようだともう民主党なんか投票しないぞ!
1196.8月22日(日) 中韓観光客受け入れに注力する日本
 一昨日出たテレビ番組について、友人からいくつか電話とハガキでその評価を知らせてくれた。お世辞もあるから額面通りには受け取れないが、大体好意的な見方だった。会社の知人のひとりの如きは、全小田急OB社員の中で、これだけアカデミックな形で活躍され、実績を残しているのは、将来の文化勲章受賞者の資格充分とジョークも交えて喜んでくれた。それでもそう言っていただけるだけでも嬉しい。
 中国・杭州で開催された日中韓観光担当相会議で、日本の前原国交相は空港や駅などの公共施設でも中国語やハングル表示を増やして中韓観光客の利便をはかり、観光客増加のための具体的な政策を行うと語った。確かに近年中国と韓国から観光客が増加している。先日脱稿した「そこが知りたい 観光・都市・環境」原稿の中でも指摘したが、あまりにも中韓観光客だけを対象にしたかのような大臣の「彼らが立ち寄りそうな場所で中韓語をできるだけ表示する」の発言は、どんなケースを想定しているのかはっきり判らない段階では、素直に受け入れられない。大臣の意図がどの程度の場所を意味しているのか判然としないが、駅構内の駅名表示には、すでに日本語と英語が使われている。この二つの言語を削除するわけにはいかないので、このうえに更に1〜2の言葉を追加表示するとは、駅の表示スペースが小さいだけに反って分りにくくしてしまい、日本人や英語母国語にしている観光客には不親切になる恐れがある。
 折りも折り今朝の朝日フロント・ページのトップに「旅行会社、中国に参入」と書かれていた。中国が年内にも日本の旅行会社に中国国内で海外旅行業務を行うことを解禁するという。これも中国人の日本への旅行に拍車をかけることになると思う。
 日本政府の観光行政への力の入れ具合は、かつて観光業界への冷遇ぶりを知るだけに、オヨヨという感じである。前掲書にも多少皮肉を込めて、政府の君子豹変ぶりを「変われば変るもの」と書いたばかりである。
 それにしても、経済不況で展望が開けないため、新しい産業を開拓しようという政府の意向に会わせた形で、観光産業は旧産業でありながら新産業として期待されることになった。これまでほとんど政府の援助を受けることなく、不要不急の産業として軽視されてきた。それが、今や「観光産業さまさま」である。
 いつまで国は観光業界に温かいまなざしを注いでいてくれるだろうか。不安無きにしも非ずである。
 今日甲子園球場では夏の全国高校野球大会決勝戦が行われ、沖縄代表の興南高校が神奈川県代表校・東海大相模高校を破り、初めて優勝旗を沖縄に持ち帰った。春のセンバツに続く春夏連覇である。
1197.8月23日(月) 大逆事件100年のドキュメントを観て
 今年は朝鮮併合100年に当たり、両国で記念行事が開催されている。それとは別に、同じ年1910(明治43)年に、わが国が行き詰っていた暗い時代を反映するような陰惨な事件が起きた。学生時代に関連書籍を読み込んだ「大逆事件」である。
 昨晩NHKETV特集「埋もれた声―大逆事件から100年―」を観た。幸徳秋水、管野スガ、宮下太吉、森近運平らのように名の知られた人々とは異なり、世間ではあまり知られないまま罪を着せられ刑に服した不運な人たちとその家族を取り上げていた。
 良質の木材の産出で知られる和歌山県新宮市を舞台に、天皇暗殺の疑いをかけられた土地の6人に焦点を当てていた。首謀者と見られた医師・大石誠之助をはじめ、成石勘三郎・平四郎兄弟、新聞記者・崎久保誠一、2人の僧侶・高木顕明と峯尾節堂の6人である。この内大石と成石平四郎が処刑されている。被疑者26人の内、どうしてこの6人が大審院の一審だけで刑に服さねばならなかったのか。
 一部では言われていたことだが、当時の桂太郎内閣としては日露戦争直後の戦勝ムードの中で、社会主義思想に対する強い拒絶的な危険思想観があった。社会主義運動の中心的存在だった幸徳秋水を危険人物と捉え、抹殺するために幸徳と接触した大石、そして怪しいと睨んだ人物を片っ端から検挙していった。農民が貧しいのは天皇を始めとする雲の上の人たちが甘い汁を吸っているからだと天皇を襲おうとして爆弾まで製造し、実験していた信州人・宮下太吉以外はとばっちりで捕捉されてしまった。幸徳らにとっては、いわばでっち上げ事件だった。
 7年前「大逆事件犠牲者を顕彰する会」が新宮市内に顕彰碑を建てた。検挙された6人は、天皇暗殺などに関わっていなかったということから、同じ地に住む住民が犠牲者とその家族に対して心に負担を強いることを行っていたことを反省し、自分たちに突き刺さった棘を決して忘れてはならないと誓ったのである。 遺族から理不尽な言動や、いやがらせに、その地に住んでいられなくなり、何度も引越しをしたとの証言もあった。
 戦後「大逆罪」が憲法から抹消され、遺族は汚名を晴らすために最高裁まで訴えたが、無罪の証明がないと却下された。
 今日平和な時代にあって冷静に考えてみれば、明らかに非民主的な弾圧事件であるが、平和な時代がいつ軍国主義による独裁国家の時代に突き進んで行かないとも限らない。平和な時こそ危険はいつも背中合わせにあることを考えておかなければならない。
 事件関係者の中では、同棲していた年上の女性・管野スガを幸徳秋水に奪われた荒畑寒村がその腹いせからか、管野スガはそんなに魅力的な女ではなかったと半世紀前にテレビで語っていたのが何とも面白く、ふっと思い出した。
1198.8月24日(火) 元上司と久しぶりに歓談
今朝の朝日を見て一瞬目を疑った。夜8時過ぎの京王線新宿駅でプラットフォームの先頭に並んでいた北海道・星槎大学の佐藤方哉学長が酔っ払いに押されて線路上へ押し出され、偶々入ってきた電車に巻き込まれて亡くなられた。佐藤学長は作家・佐藤春夫の子息である。不運と片付けるには、あまりにもお気の毒で言うべき言葉もない。
 昨年星槎大学の共生科学会セミナーが大磯キャンパスで開催され、星槎大学教授でもある小中陽太郎さんからお誘いを受けて参加し、共生科学会の会員になった経緯がある。大学のお歴々も出席されていたので、その後のパーティでお会いしたかも知れない。北海道から夏休み中に上京されたのは、大学本部が横浜にあるので所用があったのだろう。それにしても残念なことである。
 今年に入ってから会いましょうというままになっていた電鉄経理部時代の元上司・岡村透さんのお宅を訪れ、漸く約束を果たすことができた。お元気そうだったので、ひとまず安心した。やはり旅行の話と経理部時代の話になる。特に、岡村さんが主計課長の時、私が経理の仕事が性に合わず一旦辞表を提出してなだめられ、それでも依怙地になって辞めるつもりでいた。 
 ところが、ちょうどその時(1968年8月)に起きた世に言う「プラハの春」のせいで、首都プラハは騒乱状態となり、9月に予定していたプラハ留学の機会が儚く潰えた。振り上げた拳の置き場に困り進退窮まった。その挙句結局辞表を取り下げ、岡村さんには随分ご心配をおかけした。それから気を取り直して経理を続け、その後旅行関係部署で働き続けることができた。結果的に仕事を続けたことが今日につながっている。それだけに今はともにフリーな立場になり、思い出話も人一倍懐かしいものとなり、奥様ともども愉しいひとときを過ごすことができた。
 岡村さんも会社をお辞めになってから、公認会計士の資格を活かしてそれを生業となされ、世田谷区公認会計士協会会長の要職も務められた。お互いに会社を辞めてからの第二の仕事の方が、むしろ結果的に思い切ってやりたいことをやれて、反って幸せだったのではないかと意見が一致した。
 思いのたけを発散して久しぶりに爽快な気持ちになれた。いつまでも岡村さんご夫妻がご健勝であるよう願っている。
1199.8月25日(水) NHKからも問い合わせ
小中陽太郎さんからメールをいただいた。昨日星槎大学・佐藤方哉学長が京王新宿駅で亡くなられた新聞記事を連絡したことに対する返信である。佐藤学長は佐藤春夫の子息であるが、慶応大名誉教授でもあった。
 小中さんのメールによると昨日大磯キャンパスでお会いする予定だったという。小中さんの言うことが揮っている。ジョークを織り交ぜ学長は奇人としても知られていたといい、学長の迷句を教えてくれた。
 「河馬の馬鹿 雷鳴轟き勃起する」というのだそうである。
 つい噴き出してしまう。奇人と云われるだけのことはある。

 先日来高齢者の行方不明が話題になっているが、また驚くような行方不明者が判明した。東大阪市で所在の分らない高齢者として公表された人は、何と文久元(1861)年生まれの149歳だという。文久元年生まれと言えば、父方の祖父と同じ年である。私が生まれた時、すでに祖父は他界していたので、子どもの頃にはチョンマゲを結っていた祖父は遥かに遠い人という印象が強い。その祖父と同じ年の人が戸籍上は生存していた。今夕になって大阪市にはさらにお年寄りの154歳(安政4年・1857年生れ)の行方不明者がいることが分った。その他にも大阪市では120歳以上の不明者が5,125人、140歳以上の不明者が79人もいるそうである。安政4年と言えば、橋本左内や吉田松陰が刑死した安政の大獄の2年前である。役所の住民登録管理はどうなっているのだろうか。びっくりしたなぁ。
 さて、このところ経済の低迷を受けて、株価が下降線を辿っている。欧米の経済不況と見通しの立たない展望による円高がかなり効いている。
 昨日円相場は一時15年ぶりの円高水準である、1$=83円台、1ユーロ=105円台まで上がり、日経平均株価は9,000円の大台を割って8,995円にまで落ちた。今日の東証も対前日比149円安の8,845円となった。経団連の大物経済人らから適切な対応をとるようアドバイスがあったが、政府・日銀とも前向きな為替介入などの措置を取ろうとの気持ちはさらさらなく、成り行き任せの有様である。
 それはそうだろう。政府・民主党としては円高や株価低落より、次の党代表選出問題の方がよほど大切なのである。国の大事よりも自分たちの個人的な利益や栄達の方が優先する。菅首相周辺、鳩山前首相グループ、小澤軍団らのここ数日の動きを見ていると、彼ら政治家どものやっていることは、まるで国家の安定・発展なんか眼中にないように思えて仕方がない。
 ところで、今日NHKから海外ツアーについて取材があった。今どうするかは分らないという前提でいくつか質問があったので、それなりに応えた。もしNHKでも正式に取材して放送してくれれば、全国放送でもありこれからの仕事にもプラスになるので有難い。
1200.8月26日(木) 国民不在・政治不在の民主党
ついに小沢一郎・前民主党幹事長が決断した。来月行われる民主党代表選挙に出馬することになった。この数日小沢派議員は小沢氏に代表選へ立候補することを要請していた。この間鳩山前首相は、菅首相に対して挙党一致態勢を固める条件として、小沢派の意向を汲むよう説得していたが、首相は小沢派を党内要職に就けることを拒んだことによって仲介は不調に終わり、小沢氏は派内の声に推されて代表選に打って出ることになった。
 この舞台回しを務めた鳩山氏の挙動もおかしい。まず、昨日まで現状では菅首相を支えていくと明言していた。調停が不調に終るや、小沢氏を民主党に引き込んだのは自分であり、その小沢氏が立つと決めたら応援するのが大義であると訳の分らない論理で小沢氏を支持すると語った。菅首相を見限って勝ち馬に乗り換えたのである。この人の無節操とブレ具合は天下一品であるが、この場においても見事にブレてくれた。それにしても、首相を辞めた時、最高位を極めて辞めた人間がいつまでも一議員として残り影響力を与えるのは良くないので、次の総選挙には出ないとはっきり語っていた。大義がどうとか言う前に、一国の総理大臣を務めた人としては、あまりにも軽率な言動である。もう少し自分の発言に責任を持つべきではないか。
 それぞれの言い分はあろうが、三人の行動は国民にとっては聞き飽きた自己主張に過ぎず、アホらしくて聞いていられない。今政治課題は山積している。特に円高、株価低迷は政府が一日も早く手を打つべき時である。政治ゴッコなんかやっている場合ではない。有識者や国民の声を聞いていると、まだ菅首相は就任3ヶ月しか経っておらず、実績はないが決定的なミスを犯したわけでもなく、株式対策を実行しなければならないのに、一国の総理大臣を内輪もめで替えるような選挙を行うべき場合かと疑問視していた。
 取り巻きの発言を聞いてみても小沢氏の政治とカネの問題については、「クロと決まったわけではない」「民主党内より日本がどうなるかという問題」「難局を乗り切るためには小沢さんの政治力しかない」だと。

 呆れ果てて二の句が継げない。
1201.8月27日(金) 死刑制度是非の議論が発展するか。
 猛暑日が続き、今年は例年より厳しく昨日までの8月の平均気温は過去最高となっている。国民はみんなくたくたの状態である。そんな中で昨日小沢一郎氏の民主党代表選への立候補宣言が大きく脚光を浴びている。しかし、一部の小沢シンパの賛成を除けば圧倒的に立候補否定論が強い。海外のメディアでも小沢の立候補については、驚きの声が挙がっている。
 さて、本日各テレビ局では、マス・メディアに公開された死刑刑場を一斉に画像で流した。人間ひとりの命を奪う場所の公開画像だけに、観るのはあまり気持ちの良いものではない。今日は東京拘置所の刑場を見せていた。語弊があるが、仏壇や仏像も供えられ、絨毯まで敷かれて割合清潔な感じの場所である。
 先日千葉景子法務相が処刑に立会い、死刑論議を進めるためにもマス・メディアを通して公開することが望ましいと見解を述べていたが、裁判員制度が広まっていくにつれて今後どの程度死刑制度に関する議論が深まっていくだろうか。
 識者の意見を聞くと、わが国では死刑制度について75%の国民が賛成している。世界的に死刑廃止の声が高まる中で、わが国ではむしろ反対意見は減少している。宗教観が異なることもあるが、日本には古来、残された遺族が叶わぬなら成り代わって「犯人への敵討ち」を期待する傾向が強いような気がする。こんな意見もあった。仮に死刑廃止と引き換えに、今俎上にある終身刑(無期懲役には非ず)を採用するなら、極悪な犯人に対して終身食事代、住居費、医療費などを全額負担することになる。物質的には国が補助することになり、恵まれていることになる。罪を犯さずとも働いても生活苦に喘いでいる人に比べて、不公平ではないかというのである。 この考え方にも一理ある。
 一概には言うのは難しいが、個人的には現在の社会では死刑制度が存在するのは、ある程度やむを得ないのではないかと考えている。
 その理由として、
@  犯罪誘発の抑止力となる。
A   遺族の気持ちを幾分慰めることができる。
B   犯人に犯した罪を贖ってもらう。
C   死刑判決のような大きな罪を犯した人間は、本人の希望でなかったにせよ、この世に生存すべきでなかった。
 などを考えている。

 いずれにせよ、死刑制度存廃についてこれから論議が始まり、深まっていくだろう。自分の欲望のためだけに犯した罪は許されないが、貧困が原因で罪を犯したとすれば、これは社会の改革や福祉政策の充実などによって犯罪を減少させることはできるのではないかと思っている。
1202.8月28日(土) 世界遺産見学152ヶ所となる。
先日来調べていた「今年登録された世界遺産」が漸く分った。登録は申請書の中から毎年夏開催される世界遺産委員会で決められるが、今年は7月25日〜8月3日にブラジルの首都ブラジリアで開かれ、新たに21箇所が登録決定された。
 いつもメディアを通じてすべての世界遺産の名前と国名が紹介されているが、今年はどういうわけか、ビキニ環礁のように日本人にとって特別に痛みを感じるところ以外は報道されていないようだ。今年登録が認められた世界遺産は、日本人にとって格別関心がない遺産と受け取るべきだろうか。結局自分で正確な名前を調べることになった。
 ところが、インターネットでいくら調べても探している答が出てこない。漸くネット上で世界遺産のジャンルに掲載されていた「社団法人日本ユネスコ協会連盟」と称するNGO団体にコンタクトすると質問歓迎と言っておきながら、世界遺産が認可された国名は教えてくれたが、「当連盟は国連の機関ではなく、UNESCO憲章の理念に基づき活動を展開しているNGOです。個別の物件や登録に関するお問い合わせにつきましては、お答えできる立場にございませんことを何卒ご理解ください」と質問者を申し訳ないと恐縮させるようなトンチンカンな回答が返ってきた。
 ならばと再調査の結果、昨日になってやっと詳しい情報にアクセスすることができた。長谷川大さんという人のHPで知ったのだが、この人は出版社で編集に携わった後、世界中を旅行しながら現在フリーライターとして活動されている。世界遺産見学157ヶ所(私は152ヶ所)、訪問国64ヶ国(私は71ヶ国)だそうである。HPで知った、今年認められた21ヶ所の世界遺産の中には、これまでに訪れた世界遺産が2ヶ所含まれていた。
 ひとつは、8年前に観光船でクルーズしたアムステルダムのシンゲル運河で、これは観光客にとってはオランダの街づくりの歴史を知ることもできるし、船上ツアーとしても楽しいものだ。ところが、もうひとつの世界遺産、昨年訪れたインド・ジャイプールの天文台ジャンタル・マンタルが認められるとは意外だった。確かに18世紀の肉眼天体鏡で価値のあるものではあるが、設備の規模も小さく同じジャイプール市内にあるアンベール城に比べて、世界遺産としての価値がそれ以上にあるとは思えない。生意気なようだが、評定・判定する委員の目もあまり信用ならない。
 ともかくこれで訪問した世界遺産は150ヶ所から152ヶ所に増えた。毎年新規に世界遺産が登録されるたびに、私自身の世界遺産見学数が積み重ねられていくことになる。それらは実際に訪れた場所でもあり、奇妙な感じはしないが、今や手を尽くさずとも記録が伸びるというのは、漁夫の利のようなものでもある。こんな具合に年々2〜3ヶ所が履歴の上に重なっていくとすれば、見学200箇所はそんなに難しい目標ではないかも知れない。
1203.8月29日(日) 岡本太郎の黒衣・岡本敏子
 毎日暑い日が続くので、外出する気も起きない。家の中に引きこもっているわけにはいかないので、夕方陽が落ちる頃を待って庭の植木に30分ほど水撒きをやってから駒沢公園へウォーキングに出かける。駒沢公園を半周して45分、4,000歩少々歩き、公園内で軽く体操をやって帰ってくる。最近はそれが日課のようになって割合快調である。
 日経の日曜版に連載されている瀬戸内寂聴さんの「奇縁まんだら」が面白い。今日は岡本太郎のパートナー岡本敏子と太郎との愛人関係に触れている。太郎は敏子と養子縁組したので、戸籍上は親子関係ということになっている。親子だが年齢は15歳しか離れていない。慶応幼稚舎と普通部で太郎と幼馴染で、特に親しかった義父から、大分前に「敏子は秘書ということになっているが、2人は男と女の関係だよ」と聞かされたことがある。寂聴さんは「奇縁まんだら」の中で2人の赤裸々な愛憎関係をちょっぴり暴露している。
 かつて香港へ出張した際成田空港と香港・啓徳空港でお2人を目撃したことがある。図々しく思われかねないので、挨拶することは差し控えたが、あの時の様子はとても親子といえるものではなかった。それでも敏子は、太郎が好きだったようで献身的に尽くした。太郎の死後、一時行方不明だったメキシコで描かれた壁画「明日の神話」を日本に運んできて、今では京王電鉄井の頭線・渋谷駅コンコース壁面に展示され、通行人が自由に見ることができる。その点は敏子の功績ではないかと思う。
 太郎はかなりわがままで家計のことはあまり考えていなかったと思えるので、太郎は仮に敏子がいなかったら、これほど注目されることはなかったかも知れないと考えるとある面で敏子を評価したいと思う。
 それにしても、岡本太郎という天才は、実に異能の人だと思う。ああいう型破りの人は、これからもあまり出てこないのではないか。
1204.8月30日(月) サンデル教授の‘白熱’講義
 ハーバード大学のマイケル・サンデル教授が来日して、25日東大で約1,000人の学生と一般人を対象に‘白熱’講義を行った。教授は政治哲学が専門で、30年近くハーバード大で講義‘JUSTICE’を行って、それが一般公開され、収録された24回分の講義が全米で放送された。NHKでも今年4月に放送され大きな反響を呼んだ。
 サンデル教授の講義については知らなかったが、テレビ放送を観た高校時代の友人・呉忠士くんが感銘を受けたと知らせてくれたので再放送された場合にはぜひ観てみたいと考えていた。
 25日にNHKニュースで東大の講義風景が断片的に放送され、確かにユニークな討論型式で面白そうな講義だと思った。ところが、呉くんから昨日もらったメールによると教授がアメリカの広島・長崎の原爆投下により数百万もの人命が救われたと原爆投下を正当化している考えに対して、些か憤慨して、そこには「正義とは何か」の哲学的考察がないと教授の考えは受け入れ難いと書かれてあった。
 オバマ大統領が昨年4月プラハで将来的に核廃絶を目指すとのスピーチが公表されて以来、世界には一歩でも核廃絶へ前進する動きは一部にはある。しかし、アメリカ政府は依然として「核なき世界」へ踏み出そうとしない。アメリカ政府要人の中でも今夏の広島原爆記念日の平和祈念式に、65年目にしてやっとルース駐日大使が参列したほどである。だが、長崎には行かなかった。潘基文・国連事務総長が広島、長崎を慰霊に訪れているにも関わらずである。
 偶々今朝の朝日紙全一面に25日のサンデル教授と聴衆とのやり取りが載っていた。残念ながら原爆容認の内容は紹介されていなかったので、どの程度突っ込んだ議論だったのか分からないが、近い内に再放送されるという内容を絶対見逃さないよう注視していたい。
 さて、今朝の日経一面に明後日公示となる民主党代表選挙に関する世論調査の結果が出ていた。菅直人首相と小沢一郎前幹事長とどちらが総理に相応しいかとの問いに対して、圧倒的に菅首相が73-17で勝っていた。しかし、選挙を実施すれば小沢が首相を圧倒するだろう。ここにも国民と民主党議員の国政を思う気持ちのずれが大きく表れている。こういうずれた感覚の持ち主たちにこのまま政治を任せて大丈夫だろうかと心の底から心配するのだ。
1205.8月31日(火) 何をやっているんだ? 民主党のバカ議員ども
 まったく酷いものだ。開いた口が塞がらない。民主党代表選のドタバタである。26日に民主党前幹事長・小沢一郎氏が出馬を決意して、先に立候補を表明した菅首相との一騎打ちということになり、民主党内分裂の危機が心配された。菅首相のリーダーシップの欠如と昨年衆院選時に発表したマニフェストの実行をめぐって批判していたのが小沢グループである。大勢の子分の熱い支持に推されるように腰を上げたのが、頭領の小沢一郎である。対決に両派の駆け引きがエスカレートし出したところで、党分裂は何としても避けたいという良識派の議員たちの気持ちを受けて、引退表明しながら、本音はまだ引退したくない鳩山由起夫前首相のでしゃばり根性が、再び両者の仲を取り持つような行動に及んだ。昨日の菅・鳩山会談により、鳩山氏は挙党態勢のためもう一度トロイカ方式で推し進めるべく菅・小沢会談をセットした。これでひょっとすると小沢は出馬を取り下げ、党分裂の危機は遠のいたとの空気が流れ出した。
 ここまで来ると、例え分裂するにしてもはっきり二人で代表選を行った方がよいとする人、他方で分裂は避けて小沢氏は出馬しない方が良いとする人、それぞれ意見があった。
 ところが今夕になって見事などんでん返しである。菅・小沢会談の結果小沢氏はやはり代表選に立つことになった。何たる見苦しいザマだろうか。丸一日政治家・メディアは浮き足立って何もできない。こんな混乱の中で昨日政府・日銀が財政出動によって一時的に円高・株価低下を食い止めたが、市場は見抜いていたかのごとく、今日は呆れ相場で前日比325円安の日経平均8,824円となり、今年度の最安値となった。政府・日銀の金融政策がまったく功を奏さなかったということであり、本来なら恥ずかしい筈である。そのうえに恥の上塗りのような茶番劇を演じている。
 民主党員は国家国民のことをまったく顧みず、自分たちの親分子分の論理で馬鹿騒ぎをやっている。もう勝手にしろという気持ちである。
 海外では、今日イラク駐在の米軍戦闘部隊が撤収期限を迎えた。この戦争によって誰も利益を得なかった。これが戦争の馬鹿らしさである。2003年3月20日ウラジオストックの空港で開戦のニュースを知ったが、あれから早くも7年半の月日が経った。米軍は最盛時に17万人を派遣し、その内4,400人が戦死した。ベトナム戦争もそうだったが、イラク戦争も何とも虚しいだけである。