
2009年10月
871.10月1日(木) 中華人民共和国建国60周年を迎える。
1949年に中華人民共和国が建国して60年が経った。今中国の経済発展は世界の驚きであり、脅威でもある。来年度中には国民総生産(GDP)は、日本を追い抜いて世界第二位になる。最近の新聞報道をみると、中国政府はこの60年の総括をやっているが、国威発揚のためかもっぱら自画自賛である。前半30年間は毛沢東主席の建国を、後半30年間はケ小平の改革解放政策の成果だと褒めちぎっている。
確かに近年の中国の大躍進は目覚しい。貿易のみならず、生産、消費の面でも主要諸国を追い上げている。中国国民の生活水準も着実に向上している。都市住民の一人当たり可処分所得は建国当時僅か100元だったものが、昨年は15,781元にまで上昇している。何と160倍である。農村では44元だったものが、4,761元に上がっている。問題はとかく話題になる都市・農村間の所得格差である。先の数字を見ただけでも4倍近い差がある。
そして司法の腐敗と言われるように、裁判所と警察、公務員の賄賂が蔓延っていることが、国民の無気力を生んでいる。それより最大の問題は、何といっても民族問題だろう。ラサやウィグルでは、町中を武装警官が警戒しながら歩き回ったり、あちこちに監視カメラが取り付けられるようになった。天安門広場における式典や軍事パレードだって、民族問題を押さえ込み、中国国民の目を民族問題から逸らそうとの意図があることはミエミエである。中国政府のやり方は、力で国民を強引に抑えつけるの一辺倒だ。官僚が散々不正や賄賂をやっておきながら、職のない農村部から職を求めて出稼ぎにやってくる若者に圧力を加えるというのは、誰しも納得できないのではないか。派手に行進する軍事パレードが虚しいものに見えてくる。
一昨日アメリカ領サモア諸島で地震発生とともに津波が押し寄せ、多数の犠牲者を出したが、昨日はインドネシア・スマトラ島でも大きな地震があった。今日現在500名を超える死者が出ているが、更に死者は増え数千人が犠牲となったのではないかと心配されている。テレビ報道に見る悲惨なシーンには胸を痛みつけられる。個人的にも1999年8月に遭遇した、トルコ地震の現場の倒壊したビルや道路傍の瓦礫の山を思い出す。日本ではそれほど大きな地震ではないが、それでも昨日から小さな地震が頻発している。やはり地球はつながっている。他人事ではない。
872.10月2日(金) 2016年オリンピック開催都市はどこに決まるか。
2016年のオリンピック夏季大会開催地を決めるIOC総会が、コペンハーゲンで開催されているが、4つの候補都市がそれぞれ世界的にも知られる大物を送り、キーノート・スピーカーとしてそれぞれの都市の開催PRのために精力的に活動している。
シカゴは、オバマ大統領夫妻、リオ・デ・ジャネイロはルーラ大統領とサッカーのペレ元選手、マドリードはファン・カルロス国王が演説した。東京は鳩山首相が先の国連総会でアッピールした環境問題を話題にして、環境を意識した、コンパクトな大会と訴えたらしい。投票による決定は日本時間今夜半過ぎである。ここまで来たらやはり東京で開催してもらいたいというのが、ほとんどの日本人の本音だろう。吉と出るか、凶と出るか。それにしても、日本のスピーカーは皇太子が難しくなり、先日まで決まらず誰がやるのか気をもませたが、鳩山首相が引き受けてくれて良かった。国連総会におけるスピーチが良いイメージを与えたので、そのイメージをそのまま持ち込んだ。健闘と言えるのではないか。仮に麻生首相だったら、まずダメだっただろう。あまり「東京開催」を期待しない方が良いと思うが、それでも明日の結果が待ち遠しい。
先日「構想日本」の加藤秀樹代表が、政府の行政刷新会議事務局長に内定したとのニュースが流れたが、これについて昨夕「構想日本」から加藤代表名で「行政刷新会議事務局長を引き受けるに当って」というメールによる挨拶文が送られてきた。過去7年間取り組んできた事業仕分けの実績が、認められた結果だと受け止めておられる。この事業仕分けを通じて、今年度中に4兆円の財源を捻出したいと言っておられる。ただ、歳出カットだけが目的ではなく、国と地方の制度や組織に根源的な問題があると捉えており、行政刷新会議としては行革や地方分権につながる仕事を遂行したいと意欲的である。本人も自覚しておられるが、こんなに激職をいくつも引き受けて大丈夫だろうかと他人事ながら心配である。本職は、慶大教授であるが、構想日本代表、日本財団理事長、そして政府の要職まで引き受けて、一体大丈夫なのだろうか。良識ある加藤代表ゆえ安倍、福田ら元首相のように、途中でもうや〜めたとは、決して言わないだろうが・・・。
873.10月3日(土) オリンピック開催地、リオ・デ・ジャネイロに決定
残念ながら東京は2016年夏季オリンピック開催都市に選出されなかった。開催地は南米で初めてリオ・デ・ジャネイロに決定した。リオは4候補都市の中で一番可能性が低いとみられていたが、南米大陸で初めてという目新しさが、治安問題やその2年前のサッカー・ワールドカップ開催の不安を乗り越えて栄冠を射止めた。今回のIOC委員による投票の推移と結果をみていて意外なことが分かった。ひとつは、シカゴがオバマ大統領夫妻の圧倒的な人気を背景に支持を受けかなり決定の確立が高いと考えていたが、予想に反して第1回の投票で東京を下回る最下位で早々に姿を消したことである。アメリカが政治的な力だけで押しまくることに、IOC委員の間で反感を持たれたことがあるとの声がある。昨夕東京都の猪瀬副知事が、オバマのスピーチの内容には理念がなく、ただミッシェル夫人の故郷だから開催させてくれという次元の低い演説だったと酷評していた。尤もリオだって同じで、お祭好きのブラジル人らしく、大会開催を盛り上げたいとの一点張りだった。気の毒だったのは、マドリードで前回も立候補して破れ、今回も第一回の投票では最高票を得ていながら最後の決戦で、リオに大差で涙を呑んだ。
東京は開催都市に立候補した時点に比べ、少しずつ追い上げて昨日の総会では、一番まともな主張と将来の環境問題を提起したが、ある新聞によればスポーツの祭典としての高揚感とか、ワクワク感に欠けるとあった。それに国民の支持が4都市の中で一番低かったことが評価を下げた。第1回の投票でシカゴを上回っていながら、人脈に欠ける点も第2回では逆に票が減った原因ではないかと指摘されている。
リオの開催はある程度自然の流れだと思っているが、気にかかるのは、ブラジル政府に開催にかかる経費が、2014年開催のワールドカップと併せて負担できるかどうかである。ルーラ大統領は、早速記者会見でインフラ整備に約32兆円を投資すると語ったが、そのほかにも開催自体にかかる費用がある。いくら経済が上昇機運のブラジルとはいえ、これだけの負担に耐えて国際的に大きなイベントを3年間に二つも実施できるだろうか。この点は今後も注目していたい。
秋のお彼岸にお墓参りをしなかったので、今日長男家族とともに、近藤家の宝仙寺と川手家の多摩墓地へお参りした。今朝方は時折小雨がぱらついたが、幸い天候も回復してお役を済ませたような気持ちになった。すっきりした気分である。やはり一年に2度の墓参りは欠かせられないと感じた。
874.10月4日(日) 中川昭一元財務・金融担当大臣自殺か?
今朝インターネットのWEBサイトを見ていて思いがけない訃報にあっと驚いた。あの元財政・金融担当大臣だった中川昭一氏が今朝自宅のベッドで亡くなっているのを奥さんが発見した。何となくミステリーじみている。ニュースを知って直感的に自殺だと思った。
今年2月ローマで開かれた主要7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)の記者会見における酔っ払った無様な様子が国内外で報道され、日本国内ばかりでなく世界中から一斉にブーイングが上がり厳しく非難された。それほどお粗末なもうろう会見だった。一国の財務大臣ともあろうものが、世界注視の記者会見に酔っ払って出席するとはあきれ返った行状である。取り巻きもよくない。あの映像は確かに酷かった。目はうつろであらぬ方向を見据え、ろれつの回らない口調でそのだらしなく、惨めな姿は大臣の人格をさえ疑わせるもので、マス・メディアからも散々叩かれた。自業自得とは言え、帰国後直ちに大臣を辞任して、その挙句に父親から譲り受けた地盤の支援者からそっぽを向かれ、総選挙で落選し、比例区での復活当選もならなかった。ローマでの記者会見から奈落の底へまっしぐらで直行し、そのまま浮かび上がることはなかった。
高校卒業後、浪人中は代々木ゼミへ通い、英語授業は小田実さんや小中陽太郎さんから教えられ、東大から旧興銀へ就職したくらいだから頭は良かった筈である。自殺した北海道のヒグマと言われた、父親中川一郎氏の死後地盤を継いで、北海道選出の自民党有力議員として徐々に存在感を示したが、人の上に立つ人としては、酒乱による素行に見られる通り、周囲の人への配慮や態度に欠け問題があり過ぎた。父一郎氏が一派を成す有力議員だったためであろうか、取り巻きが何でもやってくれると思い違いしている内に、いつの間にか裸の王様になってしまった。数年前の駐日インド大使主催のレセプションでよろめきながら大使館へ到着した裏話は有名だ。
自民党に他に人材がいなかったわけでもあるまいに、世襲議員として当選回数を重ねている間に、国会内でひとかどのうるさ型となっていった。一部では未来の総理候補と期待されていた節もある。その間実力をつける代わりに権謀術数や世渡りだけが身についたようだ。それにしても世襲議員特有の甘ちゃんに、かつてはわが国の農林行政を、最近では金融を一切任せていたとは情けない。結果はどういうことになったか。農業は疲弊し、金融は一向に立ち直りの気配が見えない。父親の七光りで連続8回の当選をしていながら、酒だけ力量を上げて、政治家としての力を磨くこともしてこなかったのではないか。人間的にはまったく子ども同然である。
見栄を張り偶に威張る程度ならまだ許せるが、傲慢不遜そのものの態度で押し通した。選良の負託を受けて代議士になった以上、勉強して実力を培うことは当然であるが、精神的な強さも身につけなければ、他人の足を引っ張ろうと考えている輩が多い中ではとても太刀打ちできない。サンドバッグのように叩かれても叩かれても耐え抜く意思の強さがなければ、魑魅魍魎の政治の世界ではとても生き抜いていくことはできるものではない。
まだ、自殺という結論が出たわけではない。司法解剖の結果で警察はその可能性が低いと発表したが、死因の断定には至っていない。病理検査を行うという。父親の自殺の際も当初は自殺とは発表せず、その後著名な医師による虚偽の死亡鑑定書が問題視され、結局自殺と断定された経緯がある。
どうも地位に相応しい実力のない人間が権力を持つとろくなことはない。それにしても麻生前首相は、選挙の大敗という堂々たる?理由で辞めることができて良かったのではないか。
875.10月5日(月) 太宰治「斜陽」のタネ本は、太田静子の「斜陽日記」
昨晩NHKが、ETV特集・太宰治生誕百周年記念番組、「太宰治‘斜陽’への旅」で「斜陽」が作品として完成する過程を人間模様を織り交ぜたドキュメントとして放映した。愛人・太田静子との間になした娘・太田治子が保管する日記等の資料、治子の津軽への旅、神奈川県下曽我の雄山荘の生活、治子へのインタビューや感想等を通して詳しく紹介して、興味深く観ることができた。1時間半のドキュメントであり、文学の裏世界の話でとかく敬遠されがちなモチーフであるが、当事者の心理面まで中々よく描けていたと思う。
今まであまり世間に知られていないような秘話を太田治子が提供したということは、ある面で父の生誕100年を機に過去の太宰治像と決別しようと吹っ切ったのではないかと思える。実際62歳になって初めて父の実家である青森県金木の太宰記念館を訪れ、自分の揺れる気持ちに思いがけず戸惑う。母静子とともに暮らした下曽我の家は、誰も住まない廃屋同然のまま残されており、閉ざされた門から邸内へ入ることが叶わず、周囲を歩き、外からかつての自宅の思い出に耽る。「斜陽」では舞台は伊豆になっているが、実際はこの下曽我の雄山荘の出来事だった。
「斜陽」が完成するためには、静子が書き続けていた「斜陽日記」がヒントとなり、推進力になったようで、太宰もそれをしきりに当てにしていた。「斜陽日記」は、太宰と静子の間で交わされたラブレターで、斜陽の言葉通り太宰の生き方も傾いて、気持ちは徐々に死へ向かっていく。一方、その過程で新しい時代の女であった静子は、治子の誕生から一転して幕引きを「死」から「生」へ昇華させていく。この静子の「生」への希望が、「斜陽」の最後は「死」と捉えていた太宰をして、静子との別離を決意させたようだ。静子は「斜陽」の完成を見て金木の実家近くに住んでいた太宰へ会いに行く。しかし、太宰はつれなく、これが二人の最後の逢瀬となった。「生」へ向かって力強く生きようとする静子と、「死」に執着する太宰との永遠の別れである。
その僅か半年後、「死」を決意していた太宰は、もうひとりの愛人・山崎富栄を誘い入水自殺する。一方静子は太宰との思い出を胸に秘めて、女手ひとつで治子を育てながら昭和69歳で亡くなる。
胸に詰まらせられる愛憎ストーリーである。ノンフィクションであるが、これまでほとんど知らない内容だった。今年は太宰治関係のイベントが盛り上がり、随分遠い時代の人と考えられがちであるが、松本清張と同じ年齢だったとはとても思えない。先年93歳で亡くなった父より1歳若い。
太宰に新しい興味も湧いてきたので、近い内に「斜陽」をもう一度読んでみようと思っている。
876.10月6日(火) 外国語の日本語表記は、特性を考えて
昨日の朝日朝刊の「声」欄に、中国に7年間駐在されて帰国した人が、中学生の子どもの地理の教科書を見て中国の地名の表記について疑問を呈していた。
外国語の日本語表記は、現地語に則ることを原則とするにしても、よほど注意しないと実際の名称とはまったく別の言葉に変わってしまう恐れがある。文部科学省では、現在現地語表記を基準にして指導している。それがこの教科書のケースに当てはまるのかどうか。欧米の言葉の場合は日本語とは文字や発音がまったく異質だから、ある程度の発音のずれは止むを得ないと考えている。しかし、日本語と同じ漢字を使う中国語や朝鮮語の地名表記の場合は、よほどきめ細かく、あらゆる角度から検討しないとまったくかけ離れた言葉となって、相手国の人に理解されなかったり、誤解される場合が起こり得る。「声」で主張されていることは、件の教科書の中国地名に漢字を使うことなく、音読みのカタカナ表示をしている点で問題があり、誤解や間違いを生みやすいということを言っておられる。
例えば、英語の「ジェネバ」「ベニス」「ネープルス」「ミラン」「アレキサンダー」を、近年はそれぞれ原語に近い「ジュネーブ」「ヴェネチア」「ナポリ」「ミラノ」「アレクサンドロス」と呼ぶようになったが、それが本来の現地風の発音により近いと分かれば、それでよいと思う。
問題は、中国語や朝鮮語を日本語読みにした場合である。これまで毛沢東や、ケ小平を日本人が中国語で発音することはなく、日本語による音読みだった。地名でも北京は「ベイジン」と呼ばれることもあるが、普通は「ペキン」であり、西安や天津、広州などは漢字に表記される通りに音読みで発音している。それが「声」投書氏によれば、中学生の教科書には、漢字ではなく大連は「ターリェン」に、天津は「ティエンチン」、広州は「コワンチョウ」とカナで書かれているそうである。投書氏は「中国では今でも日本の地名や人名は漢字で表記、中国語の発音で読むことが主流である。日本も漢字で表記、日本語読みでよいのではないか」と素朴な疑問を投げかけている。その教科書は見ていないが、私も投書氏に同感である。
こういうように素直に考えれば良いことを、こねくり回すから分からなくなる。先日来商品の取扱説明書の分かりにくさについて、万歩計メーカーのオムロン社へ問い合わせたが、オムロン社からは一向に明確な回答が得られない。一旦売ってしまえば後は購入者が考えろと言わんばかりの傲慢な会社の消費者軽視の姿勢や、言葉をこねくり回す悪弊が簡単なことを複雑化させるとの考え方に通じるものだと思う。
中国の地名だけの問題ではなく、ことは自分たちさえ分かれば可とする姿勢こそ他人をボイコットする利己主義の表れではないか。
877.10月7日(水) 小中陽太郎さんと金大中氏とのツーショット写真
年内に発行予定の共著「知の現場」で、小中陽太郎さんを取材させていただいたが、個人的には小中さんの「知の現場」以上に、小中さんの過去の幅広い社会的活動に強い関心があった。わが家からほど遠からぬご自宅における取材でも、話題と関心がつい「べ兵連」や、米空母「イントレピッド」米水兵脱走事件に行ってしまう。そのほかにも小中さんからは公に報道されていない話も随分伺ったが、ポーランドのワレザ元連帯議長やチェコのハベル元大統領にもお会いしたということもあり、新刊書に「行動」をにじませたく何とかツーショット写真を添えてもらいたいと思っていた。幸い編集者から同意してもらったので、提供していただく写真をお願いしたところ快くお引き受けいただき、今年8月に亡くなった韓国の金大中元大統領と一緒の写真をお預かりすることになった。昨日お願いしたところ早速メール添付で送っていただいた。金大中氏についてお話を伺ったところによれば、お会いしたのは、1973年10月24日、軟禁されていた金氏を解放してもらうべく韓国官邸を訪れた直後に金氏は釈放された。その足で金氏の自宅を突撃取材された。その時の貴重な写真である。それにしても金氏も小中さんもいかにもお若い。拉致されたのが、その年の8月8日で、偶々私はエジプトからスーダン、エチオピアを経て当時インドのボンベイに駐在していたアルペンクラブの廣瀬明夫くん宅を訪れていた時だった。そんなこととは露知らず、帰ってきて世間の蜂の巣をつついたような騒ぎに接して、ことの重大さに愕いたことが、昨日のことのように思い出されてくる。
小中さんの凄いところは、厳戒体制下の金氏の自宅を取材に訪れたのは、何と小中さんが最初で、そのせいで翌日には国外退去の処分を受け強制的に出国させられたことである。小中さんは「イントレピッド」もそうであるが、率先してポジティブに行動する人というイメージが強い。
その折りの金氏とのツーショットを新刊の中で見るのも違った意味で楽しみである。キャプションを付けて早速プロジェクト・リーダー経由で編集者へ送付した。
そう言えば、先日私のブログを見て三島由紀夫のことが書いてあったからと言って、わざわざ三島由紀夫が書いた秘蔵の手紙をコピーして送ってくれた高校時代の友人がいる。ブログを読んでは時々建設的なコメントを寄せてくれる近所に住む友人、呉忠士くんである。
三島が友人の父親へ宛てた私的な手紙である。友人の父は有名な古代ギリシャ文学の碩学・呉茂一元東大教授で、小田実の恩師でもあり、恐らく三島も学生時代に教えを受けたひとりであろう。手紙を読むと三島が意外に愉快な人物であることが分かり、微笑ましく親しみが湧いてくる。世上よく知られている三島のボディビル鍛錬を、三島は中止してその10年の鍛錬期間を浪費だったと反省し、その分ギリシャ語が10年遅れたと自戒していることや、執筆中の「金閣寺」を大岡昇平が「キンカクシ」と読んだことなど、世に知られていない内容で中々愉快である。
周囲にこういう貴重な資料を抱えている人たちがいて、それを提供してもらい恩恵に浴していられることはありがたいことで、感謝するばかりである。
878.10月8日(木) 台風18号日本列島を縦断
南洋沖で発生した時から強大な台風と予想された18号は、予想通り暴風雨となり南大東島から北上して昨夜から今日にかけて日本各地に大きな被害をもたらした。午前5時に愛知県知多半島に上陸して青森県まであっという間に本州を縦断した。夜11時現在で死者2名、行方不明1名程度で納まっているが、風が強く竜巻となって、家屋の倒壊が頻発して、茨城県では家ごと吹き飛ばされたところがあった。とにかく午前中は風が強かった。交通機関にもかなり支障が出て、JRの如きはほぼ都内全線が影響を受け、運転中止と運転見合わせという状態だった。例によって私鉄が割合動いているのに、なぜJRばかり動かないのかという議論になっている。
大学の公開講座を今年も受講しているが、春季講座は多摩大学と駒沢大学で受講した。秋は、引き続き駒沢大学を受講するほかに、多摩大学を止めて新しく多摩美術大学で6回に亘る美術の生涯学習講座を受けることにした。昨夕初めて多摩美大上野毛キャンパスで、「フランス『パリ』を歩く―永続的アート革命都市」と題して清水敏男・学習院女子大学教授がパワーポイントを使いながら、パリ市内の街角、ストリートと美術館を紹介してくれた。中々面白い趣向で、例えればグーグルのストリート・ビューと同じようなスタイルでパリ市内を紹介しながら、専門家の見方で講義してパリ市内のアートとアーチストの関わり具合を分かり易く説明してくれる。
約30名の熱心な受講生は、男女取り混ぜいろいろな年代層に分かれているが、それぞれに美術に関心の深い人たちばかりで質問も的を射た、専門的なものだった。ほとんどの受講生がパリを訪れたことがあるようで、美術にも造詣が深く、知的レベルは相当高いとみた。ただ、7年間もパリに在住した講師が講義するだけに、細部に亘り街角を説明しても1〜2回パリを訪れた程度では、シチュエーションをすんなりとは理解できないかも知れない。
来週は別の講師がウィーンについて講義されるようだが、この様子なら今後期待が持てそうだ。
さて、鳩山新政権で年金問題を切り札に役所へ乗り込んで行った、‘ミスター年金’長妻昭・厚生労働大臣が初めて「貧困率」という言葉を使い出した。
経済協力開発機構(OECD)が貧困割合を示す指標として、所得の高い順に並べた時に真ん中の人の所得を基準にして、その半分に満たない人が占める割合を「相対的貧困率」としたものだ。
日本政府はこれまで公式には貧困率を発表してもいないし、ましてやそれを基準に貧困率を下げるような政策も採り入れていなかった。国が保障すべき最低限度の生活をどう考えるのかとか、いかに支援するのかとの長期的なビジョンが欠けてはあまり意味がない。しかし、遅かれとは言え、とかく目こぼれしていた貧困者の生活に、具体的な数値が加味されて俎上に上がったことは善しとすべきであろう。
ところで、貧困率というのは一体どれほどの数値なのかと言えば、対象国が現状では極めて少なく僅か30カ国である点から世界のレベルを比較するのは難しいが、意外なのは日本がその30カ国の中で4番目に高い(14.9%)という実情である。対象国は高々30カ国ではあるが、OECDによれば、日本は貧困国ということだ。アメリカに至ってはもっと貧困国ということで、すんなり受け入れ難い数値ではある。一番高いのは、メキシコ(18.4%)、以下トルコ(17.5%)、アメリカ(17.1%)、日本、ドイツ、イギリス、オランダ、フランス、スェーデン、デンマークの順になっている。アジア・アフリカ諸国が一国も入っていないのは、統計がないからで、メキシコ、トルコは別にして先進諸国内での比較ということになる。
それにしても中国、インド、ロシア、シンガポール、韓国、アジア・アフリカの発展途上国が入らなくては比較すること自体に格別意味があるようには思えない。指標として価値のある資料に肉付けできるかどうかが、今後広く活用されるかどうかの生命線となるだろう。いずれにしろ、これまでどうして厚労省はこのような国際指標を発表しなかったのだろうか。
879.10月9日(金) オバマ大統領にノーベル平和賞
駒沢大学の講習を受けて帰宅したのが、6時過ぎだった。妻が今年のノーベル平和賞受賞者は意外な人に決まったと言ったが、何とアメリカのオバマ大統領だという。6時に発表されたばかりのホットニュースに、ホワイトハウスではまだ明け方5時で公式の発表はない。
率直に言って大統領就任9ヶ月ではまだ早いのではないかと思った。4月にプラハで核廃絶へ向けて行動しようと世界へ向かってアピールしたのは、確かに強烈なインパクトがあった。核廃絶の流れへ一気に向かうかとの幻想を抱かせたほどである。しかし、宣言はしたが、実質的な核廃絶へ向けての動き、ましてやその効果のほどはまだ表れているわけではない。核廃絶は確かに人類にとって理想であり、実現したらそれこそノーベル平和賞ものだと思っていた。それが約束手形を発行したようなもので、先を読んだノルウェイのノーベル賞委員会がノーベル平和賞を授与することによって、オバマ大統領に期待を込めてノルマを課したのではないかと考えてしまう。
しかし、街の声を聞いてみると割合好意的で、被爆地の長崎、広島の人は被爆者を含めて概してオバマ受賞を評価しており、核廃絶の方向へオバマ大統領が引っ張っていってくれることを期待しているとのコメントが多かった。折りも折り来月12日にオバマ大統領は初めて来日される。忙しいなどと言わずに、この際広島か、長崎を慰霊に訪れ、そこでもう一度プラハに負けず劣らずの核廃絶のためのラッパを吹いてもらいたいものである。そういう一里塚が最終的に核廃絶を実現することにつながると思う。明日の朝刊に発表されるであろう、オバマ大統領の受賞コメントを聞いてみたいものだ。
今日駒沢大の「出版の周辺」講義で清田義昭講師が、前回に続いて冤罪を訴えたビデオを見せてくれた。今年毎日放送が制作した作品である。足利事件の冤罪事件と似た福岡・飯塚事件を取り上げたものである。いずれもDNA鑑定が決め手となって犯人を特定する結果となった。しかし、この2つの事件では、一方は被疑者だった菅家さんが免罪とされ名誉を回復しそうだが、他方は被疑者が無罪を主張していたにも関わらず、死刑が確定し昨年10月刑を執行されてしまった。飯塚事件の弁護団は再審を検討していたが、足利事件のDNA検査が本人のものではないと分かった現在、飯塚事件の被疑者も似たようなDNA検査の結果でもあるので、検察に対して言い知れぬ不信と憤りを感じている。
DNA鑑定が正確だとの話ばかりが先走り、飯塚事件の被疑者は、DNAの「塩基」と呼ばれるファクターが事件の現場に残された犯人のDNAのそれに似ているというだけで、犯人のものと同じと決め付けられて犯人に仕立て上げられた疑いがある。
ビデオは専門的で難しいDNA鑑定のシーンも見られたが、制作プロデューサーの最大の狙いと目的は、冤罪をなくすという一点にある。DNAによる証明のほかに、時により警察側に意図的な資料の隠匿が見られることも大きな問題である。いずれにせよ、極めて難しい裁判問題であることを教えられた。果たして始まったばかりの裁判員制度は現状のままで大丈夫だろうか。
880.10月10日(土) オバマ大統領ノーベル賞受賞の理由
オバマ大統領へのノーベル平和賞受賞に対して、ノーベル賞委員会は、「国際的な外交と諸国民の協力を強めることに対して並外れた努力をした。特に『核なき世界』を目指すとする理念と取り組みを重視する」とその受賞理由を公表した。更に、多国間外交、気候変動問題で国際政治の新しい状況を生み出したと評価している。とりわけ2つの力強いスピーチが世界に希望を与えた。ひとつは、今年4月にプラハで発信した「核兵器を使った唯一の国として核軍縮へ行動する道義的責任がある」と語ったものであり、これこそが受賞を決定的にしたものだと思う。もうひとつは、6月にカイロで発言した「世界のイスラム教徒とアメリカとの間の尊厳に基づく新たな始まり」である。同時多発テロで幕を開けた21世紀が、再び憎しみと争いの時代に陥ろうとした矢先に登場した対話主義の大統領のメッセージである。これが、世界中から推薦された200以上の団体、個人を押しのけて、オバマ大統領にノーベル賞受賞を決定させた。
これに対してオバマ大統領は、「私の行為に対してではなく、すべての国の人々の希望を代表してアメリカの指導力に与えられたもの」「平和賞は目標達成への機運を高めるために贈られることもある。この賞を行動への呼びかけとして受け入れる」「核兵器がより多くの国々に拡散することを容認できない。大量破壊の脅威は、すべての人びとの問題」と語った。立場をわきまえた、それでいて謙虚なコメントである。今後オバマ大統領がどれほど実効的な政策を進めていくのか、目を逸らさずに注目していきたい。
過去の平和賞受賞者や、国際社会で脚光を浴びている政治家も大方期待感を滲ませている。 オバマ大統領は、ノーベル賞の副賞である賞金約1億2千万円を一括慈善団体に寄付するという。これからも生活には困ることはないだろうが、この思い切りの良さと潔さがオバマの人気の秘密になっているのかも知れない。
これからのオバマ大統領の行動に期待したいと思う。
さて、NHKの夜のドキュメント番組「八ツ場ダム 解決の道はどこに」を観ていて複雑な思いに駆られた。民主党政権となって、マニフェストにはっきり宣言していた「ダム建設中止」が、実際に前原・新国土建設大臣に代わってはっきり打ち出された。地元の再三の「建設続行」要望に対して明確に「建設中止」を伝えた。八ツ場ダム建設中止問題は、新政権のダム建設見直しの考えの下に、これから建設か、中止か検討されていく、その試金石となるダム建設である。すでに工事を始めた大掛かりなダム建設を本当に中止するのか。昭和27年に計画が持ち上がり、反対派との間ですったもんだの末に移転代替地の提供により、半分以上の住民が村を離れたり、代替地へ移転した。その挙句の工事中止である。
村民もとても堪ったものではない。当初ダム建設に反対していた人たちの中でも、小の虫を殺して大の虫を生かす道を選び、建設に同意して、漸く移転した後の建設中止決定に、村民は翻弄され生活設計が立てられないと途方に暮れている。
住民にこれほど悩ましい問題が、政権が代わり民意がダムに反対しているからと言って、自分たちが犠牲にされるのは堪らないというのが村民の本音であり、これから一体どこに落としどころを見つけるかという難しい問題となった。
山口二郎・北大教授はマニフェストに盛られた政策を実行するのは、民主主義にもとるわけではないが、先に「建設中止」ありきの考えで、住民との話し合いもなしに一方的に中止行動を起こすのは民主主義ではないとコメントしていた。
全国には建設中のダムが数多くあるが、少なくとも八ツ場ダム騒動を反面教師として、国が周辺住民に充分気を配って話し合いを進めて欲しいものである。
881.10月11日(日) 飯田先生のお元気な姿にほっと
大学の飯田ゼミの例会が、例年通り九段会館で開かれた。三田で経済学部飯田鼎教授の謦咳に接して教えを受け、卒業後も先生を慕ってゼミ生が年に一度は集まる、アカデミックで温かい雰囲気が私は好きだ。飯田先生も毎年楽しみにしてわざわざ千葉県鎌ヶ谷市からお越しいただいている。
今年は例年になく参加者が少なく、30名を若干オーバーする程度だった。いつもより10名程度少ない。幹事さんも交替した。新しい幹事は厚木市内で塾を経営している池浦達也さん。私から数えて4代目である。前幹事の伊藤暁さんは、麹町女学園の校長だったが、今年4月から金沢市内にある北陸大学の未来創造学部教授に就任した。「未来創造学部」という学部は初めて知ったが、いかにも未来志向の現代観を匂わせてくれる。不自由な単身赴任とのことだが、新任教授の活躍を祈念したいと思う。
それにしても現役の後輩たちの集まりが少々悪い。忙しいということもあるだろうが、今年は連休の中日というのが出席率の低い一因であると思う。来年はできるだけ、連休は避けようという声が聞かれた。
いつも飯田先生に付き添って来られる奥様が生憎体調を崩されたということで、娘さんが車を運転して来られた。先生のご健康状態は、あまりお変わりないようなのでまずは安心した。やや元気のないように見えるのはお年のせいだから仕方があるまい。それにしても、かつては博愛的労働経済学者らしく、熱の入ったスピーチをなさったが、失礼ながら今日は通り一遍のご挨拶だけで勢いのあった論説を伺えなかったのが少々残念である。
しかし、これも先生のお年を考えれば止むを得ないのかも知れない。いつまでもこのままお元気でいていただきたいと願うばかりである。
出席者はひとりひとりスピーチをされたが、思い出話の中で慶応義塾で学ぶことができて恵まれた学生生活を送れたということと、飯田先生のご薫陶を受けたことを有難いと感じ、素晴らしい学友にめぐり会えたことを幸せに思っているとの言葉が何人かの会員の発言の中にあった。実際私自身も心からそう思っており、それは杉田士郎さんが創った「慶」第3号にも「飯田ゼミのアカデミックな伝統と仲間たち」と題して書いたほどである。今日はこれを全員分コピーして配布して読んでいただくことにした。拙著の宣伝も入れたので、少々ヤラセの感はあるが、私自身そのくらいゼミに愛着を抱いている。いつまでも学生時代の気持ちを持ち続けられ、頼りになる仲間同士で語り合える場があるということは有難いことである。
11月には、赤松さんの所属する上野浅草フィルハーモニーの定期演奏会もある。このままいつまでもアトホームで、親しい友だち同士の関係を続けていけたらこれほど幸せなことはないと思っている。
さて、日本の政治家の外遊には珍しく、岡田外務大臣が隠密行動で今日突然アフガニスタンへ降り立った。数日前に100名以上の死傷者を出した自爆テロもあり、今尤も治安の悪化しているアフガンだけに事前に岡田外相のスケジュールが外部へ漏れるのを警戒して、マス・メディアへは一切知らせていなかった。そこで、カルザイ大統領と外相に会い、何らかの支援を約束して直ぐパキスタンのイスラマバードへ移動した。
難題となっているインド洋上の海上自衛艦による給油活動継続が来年1月に失効することで、日米間で微妙に齟齬を来たしている。民主党としては、継続しないことをマニフェストに掲げた。民主党は給油活動に代わる支援として民生的な復興支援を強調していたが、それがどうも見えにくかった。アメリカの反応と出方が気になって、はっきり打ち出せなかったからである。今日の岡田外相の電撃的アフガン訪問は、日米関係に拘ることなく、アフガン首脳に直に民生援助を約束するというのが訪問目的だろう。
まあアメリカに気兼ねすることなく、日本の立場に立って日本独自に動いたということは、これまでにはなかったことだと思う。アメリカに表向き異を唱えるということではなく、少しはアメリカに不満感を抱かせてもきちんと説明し、日本の立場を毅然として貫く姿勢を示したということは、独自外交へ踏み出した第一歩と言えるだろう。この岡田訪問を評価したいと思う。
882.10月12日(月) 広島・長崎オリンピック共同開催は本気か。
今日は体育の日であるが、昨日突然広島市と長崎市が共同で2020年のオリンピック開催の意向を表明した。いささか唐突のきらいがあり、現時点では全面的に受け入れられ大賛成というわけではないようだ。確かに核廃絶を訴えたオバマ大統領がノーベル平和賞を受賞して、核廃絶のムードが高まる中で、タイミングとしてはパンチが効いて大向こうを唸らせるものである。核廃絶の運動に勢いをつける意味でも効果的であるとの声が上がる一方で、少なからず疑問と不安がある。
疑問点の中で@2016年大会に東京が落選したばかりで、まだ反省も総括も済んでいないこと、AIOC憲章によれば開催都市は1国1都市に限られていて、仮にIOCが特例で認めても両都市間の距離が離れすぎている、B厳粛な被爆地へお祭騒ぎのオリンピックは馴染まないとの被爆者の声、C大きな国際スポーツ大会に相応しいホテルなどの受け入れ施設不足(メインスタジアムの収容力不足、ホテル必要部屋数44,000に対して現在の供給部屋数は13,000)、D財政不足(1994年の広島アジア大会の負債がまだ積み残されている)、等々問題があり過ぎ、クリアすべき難題が山積している。
東京開催が評価されなかった最大の課題は、開催に向けて都民の熱意が不足していたからだといわれている。その点被爆地で開催されるなら、ほとんどの国民は諸手を挙げて後押しするだろう。核廃絶への大きな声を世界中へ届けることも可能となる。多くの目が広島と長崎に注がれることによって被爆地の悲惨さを世界へ訴えることができる。これは大きなアピールである。気になるのは、原爆投下75年後の2020年では被爆者の数は極めて少なく、ほとんどの被爆者は亡くなってしまうのではないかとの心配である。
東京が立候補に名乗りを挙げた時も、総意を得たうえで満を持して立候補宣言をしたのではなく、何となく抽象的な理由で手を上げた。つまり現在の若者には元気がない。夢とか目標がないからだ。若者に夢を与えるためにオリンピックを開催しようという流れだったと思う。このように積極的でなかったことが、今回立候補した4都市の中でムードが一番燃え上がらなかった原因である。
広島・長崎の立候補なら、被爆地から世界へ向けて核廃絶のメッセージを発信するというはっきりした目的がある。環境整備が整わない内に見切り発車したとの感はあるが、逆に言えば、広島・長崎ほどアピール力を持った都市はない。田上長崎市長が、秋葉広島市長に引きずられたような印象もあることはあるが、前回東京と福岡が対立した構図の二の舞だけは避けて、ここはひとつ国を挙げて両都市を支え平和国家日本をPRしてみるのも、日本の力と存在感を訴える良いチャンスかも知れない。
これからJOCの意向を勘案して、方向性が定まっていくと思うが、果たして広島・長崎におけるオリンピック開催は実現するだろうか。
883.10月13日(火) スピード感のある新政権の政策実行
民主党政権になって新しい閣僚が所管の事業を精査して、検討したり見直したり、その行動にスピード感を持ってやっているような印象を受ける。その結果が、鳩山新内閣の支持率が70%を上回っている要因ではないかと思う。
今日は前原誠司・国土交通大臣の大胆な発言が注目を浴びた。同時に北沢俊美・防衛大臣の発言も大きく取り上げられた。
前原大臣の発言は、従来の国の航空行政を変革しようというものである。空港使用区分は成田空港工事前から直近の麻生政権まで、国際線は成田空港を、国内線は羽田空港を原則使用する「内際分離」政策の下に実施されてきた。それにも関わらず、前原大臣は、突然羽田空港を24時間使用可能な国際的なハブ空港に拡張し、仁川空港(韓国)及びチャンギー空港(シンガポール)に奪われているアジアのハブ空港の座を取り戻そうとの決意の下に思い切った提案をした。その背景には、昨日橋下徹・大阪府知事との会談の際関西新空港ハブ空港案を突き付けられ、早めに腹案を発表する必要があったのではないか。
昨日橋下知事は伊丹空港を廃止して、関西地区では関西新空港に一本化して関空を日本のハブ空港にしたいとのアイディアを提案した。しかし、前原大臣は国策としては、まず羽田の拡張工事を完成させて羽田を国際ハブ空港へ発展させていくという強い意向を表明していた。
つれなくされた橋下知事の気持ちはどうにも収まらない。関空への負担金を他の費用に転用するなどと威嚇的な発言をしている。一方で「内際分離」政策により国際空港としての地位を得ている成田空港を抱える、地元も収まらない。成田空港が首都圏の国際空港として発足した歴史と経緯を理解して欲しいと訴えている千葉県知事と成田市長は、憤懣やる方ない記者会見を行った。これからどういう方向へ行くのか道筋は見えないが、いずれにせよ調整は手間取ることだろう。
他方、北沢大臣は政府見解が「単純延期はしない」と強調していた海上自衛艦のインド洋における海上補給支援活動を派遣期間の切れる来年1月に停止して、自衛艦を撤収させると今日表明した。こちらはこれからアメリカ政府との間で、改めて話し合いが行われるだろう。北沢発言の直前に岡田外相のアフガン訪問による民生支援活動の確約が担保されていたことが、北沢大臣の明確な公式発表につながったのではないか。
今後日米間と国内で突っ込んだ話し合いがなされるだろうが、これまでの自民党政権のやり方とは明らかに違う。プロセスも的を射ている。中々やるなぁというのが率直な感想である。しばらく目を離さずに、今日の2人の大臣の発言の方向性を見守りたい。
884.10月14日(水) なぜインドは観光客にビザを要求するのか。
来月インドへ旅行するので、昨日入国ビザを申請し、今日受領した。36年前にボンベイに行った当時は、ビザは要らなかった。それがどういうわけか何年か前から逆に入国ビザを求められるようになった。そのビザ申請手続きもインド大使館で取り扱うのではなく、麹町のインド大使館から大分離れた、地下鉄茗荷谷駅近くの春日通り沿いのビル1階にある、専門のインド・ビザ申請センターという組織が申請業務を取り扱っている。午前中に申請して、受領は翌日の17:30〜18:00である。時間前は扉を閉ざして内部へ立ち入ることができない。今日も時間前に行ったところ、入口から道路に沿ってビザを受領する人がずっと並んでいた。外で並んで順番を待つ光景の渦中に入ってしまったが、今どき珍しい体験だった。
旅行を申し込んだ旅行社から、ビザ代金は代行料金を含めて12,400円を要求されたのには恐れ入った。実費はビザ代と手数料を併せて1,935円である。何だかやらずぶったくりの感じで高すぎるし、それほど面倒な手続きでもないので、自分で申請することにした。並んでいる人たちを見ていると、どうやら高い取得代行料に呆れて自分で申請に来たものらしい。それにしてもインドはなぜ日本人観光客が増える中でビザ取得を要求するようになったのだろうか。昨年ボンベイ市内のタージ・マハールホテルでテロ事件があったとはいえ、それほど危険だという兆候はない。どうも理由があまりよく分からない。
この他に国内にもあまりよく分からない話が二つある。ひとつは一昨日広島・長崎オリンピック共同開催を発表した秋葉広島市長に対する藤田広島県知事の大人気ない反応である。その第一声は「完全にフライングですな」である。事前に話がなかったことを皮肉って腹を立てているのだ。どうしてもう少し大きな目で見てやることができないのだろうか。実際オリンピック開催の話はどうなるか分からないが、とりあえず素直に全面的に支援、協力すると言えないのだろうか。役人の一番悪い点だ。自分がオリンピックの権限を握っているとでも言わんばかりの、意地の悪い狭量な発言ではないだろうか。
ふたつ目は、昨日前原国交相の羽田空港ハブ化発言に対して烈火の如く怒った、森田健作・千葉県知事が国交省へ乗り込み、大臣に直談判したが、会見後は打って変わって上機嫌だった。昨日あれだけ怒りを爆発させていたのに、会った途端に上機嫌というのは些か理解に苦しむ。成田市長は納得するのだろうか。国政の変更により、地元自治体に不利益が降りかかる可能性の高い案件である。そんなに簡単に手打ちできる筈がない。あのニコニコ顔の裏には一体何が隠されているのだろうか。パフォーマンスの好きな森田知事の言動だけに、どうも怪しい。蛇の道は蛇と言われるが、お互いに騙しあっているのか、芝居を打っているのだろうか。どうも政治家というのは、よく分からない。
それにしても、この羽田空港ハブ化構想については、マニフェストにも載せず、民主党政権になって立場を変えたわけだから、政府は国の政策としてきちんと国民の前に分かり易く説明するべきである。
885.10月15日(木) 鳩山首相はもっと存在感を表に
鳩山首相が来年度一般会計予算の概算要求の過程で、赤字国債増発を容認することを示唆した。来年度予算は今各省で策定中であるが、トータルでざっと90兆円を超えそうだと推測されている。冗談じゃない。今年度の当初予算が88兆円だったことを考えれば、この不景気の中で歳出削減は当然であり、本来歳出が増えること自体おかしいのではないか。
もちろん民主党はマニフェストに新たな選挙公約を盛ったので、それらに掛る費用を考えれば場合によっては歳出が増えることは考えられる。だが、民主党は選挙前マス・メディアに対して財源不足を突かれた際、ムダを廃止して捻出すると言っていたのではなかったか。こんな好い加減な気持ちでは、財源捻出の根拠が甘かったと言われても仕方があるまい。もっと困るのは、財源不足だからと言って、いとも簡単に赤字国債を発行すると言及したことである。これでは、前々から言われている財政健全化が反対方向へ向かい、いつまで経っても解決しない。少し無責任ではないか。
もうひとつ気になるのは、鳩山首相のリーダーシップ不足である。発足一ヶ月を迎えて新政権の滑り出しは、国際的には鳩山首相夫妻の存在感が抜群で、国内的には前原国交相と原口総務相、亀井金融担当相が目立った。しかし、その後国内における首相の言動は急激に影が薄くなり、最近ではその存在感さえ感じられなくなってきた。国家戦略室や、行政刷新会議も予算策定で活躍しているようだが、それは首相直属の組織である。にも関わらずそこでもあまり存在感が表に出ない。首相は、各大臣間の意見が合わなかった場合、調整役として出るべきであるのに、それでもお互いの大臣に任せっきりだからである。もう少しリーダーシップを発揮して民主党の顔として存在感を表さないと、民主党員の心が段々離れて、信頼感が薄れていくのではないか。そして民主党を低落傾向へ向かわせることになるのではないか。
886.10月16日(金) 高齢者の車免許証更新に新たなハードル
今年から車の免許証更新の際、高齢者に新たなハードルが設けられた。70歳以上のドライバーが免許を更新するためには、従来の更新手続きの前に高齢者講習を受けなければならなくなった。これについては6月に東京都公安委員会から主旨を綴ったハガキを送ってきた。偶々医院へ寄った序に交番で尋ねたところ、巡査も詳しくは知らなかった。ことほど左様に今のところそれほど世間で知られているわけではない。巡査も本署へ電話で照会してくれて、漸くことの次第が分かったほどである。
更新へひとつのハードルを設けることによって、できるだけ事故発生率の高い高齢者に面倒だと思わせて、彼らから免許証の自主返上を求めようという魂胆ではないかとつい勘ぐりたくなる。
先月末に受講予約をして今日やっと二子玉川のコヤマ・ドライビングスクールで3時間の講習を受けることができた。受講希望者が多くて、教習所もてんてこ舞いのようだ。受講者5人に対して講師が2人だから、講習料5,800円も高いとも言えないと思う。聞けば、毎回6人の受講者に対して1日3回高齢者講習を実施しているという。
その講習だが、教室で視野測定検査と運転適性検査を済ませてから、車に乗って実技チェックが行われた。これで振るい落とされることはないので、気にすることもないのだが、他の4人は私より年長らしく普段はあまり運転することもないようだ。ある男性の如きは、運転が荒っぽくてこれでは路上を走ったら事故を起こすのではないかと心配になったほどである。3人の女性も月に一度程度しか運転しないと言っていたから、件の男性と運転能力は五十歩百歩だろう。この様子を見ていると、公安委員会が高齢者のドライブにあまり乗り気でない気持ちが分かる気がする。
自慢話めくが、私自身テレビ画面による運転適性検査のシミュレーションでは、「状況の変化に対する反応の速さと正確さ」と「複数の作業を同時に行う能力」で平均点以上だったし、30歳台〜50歳台の平均を上回ったので、まずまずクリアできた。総合コメントでは、「機能は全般的にやや優れています。また、非高齢者と比較しても平均的です。しかし、その時の調子で操作がやや遅れたり、危険に気づくのが遅れることがあります」と書かれていた。停止線を超えて停止したことがばれてしまったのかもしれない。自戒しなければいけない。
とりあえず、「高齢者講習終了証明書」というものを頂いてホッとした。
その後二子玉川から駒沢大学へ寄り、2時限の講座を受講する。清田義昭講師の講義では前回同様にビデオを見せてもらい裁判について話を伺った。東海テレビが制作した「光と影―光市母子殺害事件弁護士の300日」で重苦しいドキュメントである。事件当時少年だった犯人の実名が明かされたことで発売前から話題になっている増田美智子著「福田君を殺して何になる」の内容紹介に併せて解説があった。事件発生とともに世間を震撼させた、この事件は山口地裁、広島高裁、最高裁、高裁差し戻し、そして今再び最高裁へ向かっている。現時点では高裁で「死刑」の判決が出ている。近いうちに最高裁の判決が出されると思うが、最終的にどういう判決になるのか興味のあるところである。原告の被害者遺族や犯人の言動より、むしろ21人の弁護士の苦労話に視点を向けた正義感の篭った力作である。内容は前回のビデオ同様深刻で、少々暗い話である。
さて、国連総会の軍縮・安全保障委員会においてアメリカ代表が、「遅くとも2012年までにアメリカの核兵器保有量は、2001年の水準からほぼ半減する」と表明した。オバマ大統領が提唱する「核兵器なき世界」へ一歩踏み出したような感触を受けた。それが事実なら、今度はアメリカと並ぶ核保有大国のロシアが、具体的な削減計画を公表する番だ。
887.10月17日(土) 山崎洋さん、「KODIKI」で翻訳特別賞を受賞
セルビアの首都ベオグラードに住む友人山崎洋さんから、嬉しい便りを受け取った。昨年セルビアで出版したセルビア語訳本「KODIKI」が、日本翻訳家協会から翻訳特別賞を授与されたと知らせてくれた。「KODIKI」は言うまでもなく、日本の「古事記」の翻訳書であり、ベオグラード大学で日本語を学ぶ大学院生らの協力を得て、彼が中心になってセルビア語に翻訳したものだ。変形のハードカバー判で脚注を加えて400頁近い立派な学術書である。表紙もわざわざ伊勢神宮の徴古館から許可を得て撮った神武天皇像である。
昨年秋彼とともに富士霊園にあるブーケリッチ家のお墓にご両親の墓参りをした際、発行されたばかりの「KODIKI」を戴き、苦労話を聞かせてもらった。その時「KODIKI」は、計画段階では日本の外務省から助成金をもらえる話だったが、完成した後になって屁理屈を言われ、その挙句に約束していた助成金をもらえなかったと言って、外務省のやり方に憤慨していたことを思い出す。でも、この受賞で翻訳の地道な苦労が少しは報われることになって良かった。今月27日に学士会館で行われる授賞式に、一時帰国して出席すると知らせてもらった。会いたいと言っているので、私も会って直接お祝いを言いたいと思っている。今回はペンクラブの常務理事で国際担当の堀武昭さんも、今度日本に帰って来たら是非会いたいと言っていたこともあり、彼にも知らせたいと思っている。
さて、先日来国土交通省が頭を悩ませている、日本航空の再建問題について大臣直轄の作業部会タスクフォースが再建案を提出した。しかし、財務省とメーン・バンクの日本政策投資銀行が素案の受け入れに否定的である。
その最大の理由は、政投銀ら銀行グループに対して3,000億円にものぼる債権放棄を求めて、債務超過を解消しようとのプランが受け入れ難いからである。数年前にも同じ手法で日航を緊急支援した経緯もあり、銀行としてはそう簡単には同じような支援プランを容認し難いのだと思う。日航自らが血を流す日航経営者側の@年金減額、A人員削減の提案が、OBや組合から反発を買い、話し合いが進まない日航側の都合優先が心情的にも認め難いのだろう。例えば、年金については年金債務額を3,300億円から1,000億円へ圧縮する方針の難航が予想され、人員削減でも日航経営陣が予定していた3年で6,800人削減計画が素案で大幅に増加され、9,000人〜10,000人へ上積みされた。これには日航側から相当な抵抗が予想される。
しかし、仮に会社倒産となったら身も蓋もない話になってしまう。このままの状態だと日航救済問題も解決の糸口が見つからず、デッドロックに乗り上げてしまいそうだ。
問題は、この間にも日航の借入金については金利がかかってきており、いくら前原国交相がいきり立っても日航救済の手立てが見つからず、中々双方にとってほど良い落しどころが見つからないことだ。
ナショナルフラッグ・キャリアの日本航空もどうやら正念場を迎えつつあるようだ。昨日の株価は対前日で13円下がって終値は101円となった。ライバル社ANAは逆に13円上がって250円である。さあ日本航空、どうする?
888.10月18日(日) 没後20年、開高健作品について
NHK・BSの堅実で長く続いている番組「週刊ブックレビュー」を時々気が向くと気楽に観ている。以前は読書家として知られる俳優・児玉清氏が進行役を務めていた番組だ。月刊「選択」10月号の「本に遭う」で朝日新聞の書評担当7年の河谷史夫氏が児玉氏をぼろくそにけなしている。やれ推薦書がつまらないだの、役者のくせに発音が不明確だと散々である。そのせいで児玉氏はこの番組を降りてしまったのだろうか。
偶々今日放映されたのは、茅ヶ崎の開高記念館でトーク風に交わされた座談形式で、今年12月に没後20年を迎える「開高健」の作品を取り上げていた。昨年8月に「酒のペンクラブ」の会員とともに記念館を訪れたので、その時の雰囲気を思い出しながら話を聞いていた。
中々面白かった。作家藤沢周氏が司会しながら、3人のゲストから開高作品の素晴らしいところと彼らが薦める一押しの作品を聞き出していた。
作家角田光代さんの推奨作品は開高の3大「闇」作品のひとつで、朝日から派遣された従軍記者としての体験から描いた「ベトナム戦記」を母体に書かれた「輝ける闇」だった。写真家鬼海弘雄氏の一押し作品は「声の狩人」、ノンフィクション作家佐野真一氏は「人とこの世界」だった。3つの作品は、恥ずかしながらまだ読んでいないが、お三方の話を伺っていると読んでみたい気持ちにさせられる。
開高はベ平連に深く関わり、私自身も開高と同じようにベトナム戦争中にベトナムを訪れたことがあり、かつて拙い作品を第一回開高健ノンフィクション賞に応募して最終審査まで残ったグラフィティもあるので、身近な人という印象を抱いている。
一度も開高作品を読んだことのない人へのアドバイスとして、角田さんは「若い人は読みやすい本を読む傾向があるが、開高作品のような顎と頭を鍛える本を読まないと成長しない」と言っていた。至極後ご尤もである。鬼海氏は「開高を読まないと人生で損をする」と読書をしない人にきつい一言を言い、佐野氏は「開高を読むと確実に自分が変わる。絶対一冊読めば1mmは変る」と強調していた。
佐野氏が薦める「人とこの世界」(初版は河出書房新社刊行、現在ちくま文庫)は、開高にとって文士として大先輩にインタビューする形式をとっており、当時 30歳台だった開高も、大阪人特有の饒舌を抑えて、作家の心得をうまく聞き出している、読み逃せない好著だと太鼓判を押していた。何とか読んでみたいものだ。司会者・藤沢周氏は開高の遺作となった「珠玉」を薦めていた。
番組では開高とベトナム戦でともに取材した朝日カメラマン・秋元啓一氏とベトナム戦争で従軍カメラマンとして活躍した石川文洋氏も登場して熾烈な戦線の光景、特に1965年2月14日に従軍部隊がベトコンの総攻撃を受けて、200人の米兵、ベトナム兵が襲われ生き残ったのは僅か17人で、秋元氏と開高はその奇跡的な生存者のひとりで、その後毎年2月14日には二人で酒を酌み交わしていた話などは、思い詰めさせられるものだった。
角田光代さんが「開高の作品は全部読んでみたいが、まだ数冊読んでない作品がある。その理由は、読んでみたいがすべて読んでしまうともったいなくて、その後に開高を読みたくなった時に困る」と面白い言い方をしていた。
開高は行動力があり、力強くて魅力的な作家である。改めて開高健に向かい合って開高作品をじっくり読んでみたいと思った次第である。
889.10月19日(月) 歳入不足で2010年度概算予算をどうなるのか?
どうも新政権の来年度予算策定の取り組み方がおかしい。先日来各省から概算要求を上げさせて集計してみたら、95兆円超だという。今度の内閣の各大臣の政策実行力は、新政権の意を体して積極的に行動し、評判は頗るいい。ただ、欲張り過ぎたマニフェスト公約を実際にどう予算の中に組み込めるか、マニフェストに列記した約束をどう順序をつけて取り入れるか、ということについて党内のコンセンサスが成されていない。各大臣がそれぞれに自省の約束を実施するにしても、もともと充分な財源の裏づけがあるわけではない。その辺りの整合性を、鳩山首相の下できちんとつけるべく議論して、それを受けて予算化するというのが本来のあり方であると思う。
現状は前年度の当初予算を上回り、その一方で当てにしていた財源のうち、税収が予想以上に少なく40兆円を下回りそうだ。今でさえ歳入は歳出の半分にも満たない。ついに菅直人副首相が今日「税収が40兆円以下なら赤字国債発行も止むを得ない」と発言し出した。新政権がどうも当てにできないのは、最初から予算の枠組を固めて、新しい公約も含めて政策の優先順位を決めて予算を決定するという手順を踏んでいないからである。一向にこのアンバランスが解決しない中で、支出ばかりが増えていく。それに対して、仙石由人・行政刷新担当大臣は、あと3兆円は削ると言っているが、数字合わせではなく、もっと基本方針を示してもらいたいものだ。
昨日寺島実郎氏が、テレビ番組でマニフェストを全部実現するのが良いのかどうかも議論の対象だと言っていた。もちろん実現すべきであろう。だが、財源がない。その場合知恵者の知恵として、一律子ども手当てとして毎月26,000円援助することが、全体的に考えて妥当な話かどうか。高校生への支援費用も一律に補助することが、全体の福祉的観点から考えて筋の通ったものかどうか。他にもっと支援を必要とされる予算の使い方があるのではないか、そういう議論が一向に出てこない。
決めたものは約束通り実行するというのは、至極理のあるところである。しかし、財源不足はムダの廃止によって生み出すという雲を掴むような話が、現実にはダメになった。それなら、次善の策として行うべきは何か。直ぐに鳩山首相以下政府が対策を講じて、具体案を提示するべきではないか。その場合、どうしても来年度内にマニフェストに盛った公約の実現性が薄いなら、苦しい事情を真摯に国民に説明して次年度以降に繰り越すことも検討して然るべきではないだろうか。
現状はただおろおろして、手を拱いているように思えてならない。取り返しがつかなくなる前に、率直に国民に詫びて次善の策を提示するべきであろう。このままだと、麻生前政権とそれほど変わり映えのない政権になる恐れもある。
890.10月20日(火) 新規国債発行額が50兆円だと?
今朝の日経一面を見てびっくり仰天である。
藤井裕久・財務大臣が今年度の税収の落ち込みを新規国債発行でカバーするとして、新規国債発行額は当初予定していた44兆円より6兆円も多い50兆円台になるとの考えを示唆した。本当かよというのが本音である。国際通貨基金(IMF)の予測では、日本は先進国の中で最も借金が多い国という、自慢にもならない冠をいただいている。
1965年度に国債発行を再開して以来、来年度に初めて新規国債発行額が税収を上回って、これまで均衡予算主義を貫いてきた伝統も頓挫することになる。そして、もしそうなら一旦歯止めが取れたら2010年度以降も同じことを繰り返す心配がある。
国債発行額は44兆円でも多すぎるとの声が聞かれるが、このまま支出ばかり増やしていったら、赤字財政は坂道を転げ落ちるように停まらなくなるのではないかと心配でならない。民主党も大盤振る舞いで八方美人ぶりを見せるばかりでなく、できるだけ堅実な財政政策をやって欲しいものである。
今朝ドジをやってしまった。車の免許証の更新手続きで世田谷警察署へ出かけ、その前に近くの自動フォト撮影機でサイズを間違えて2度も撮り、それをムダにしてしまったのだ。更新に写真は必要なかった。更新手続き料に写真代が含まれており、自動機械で撮った2種類の写真は役立たずとなってしまった。案内ハガキを良く見てみれば、確かに申請書類として写真が必要だとは書かれていなかった。締めて1,400円が当面ムダな経費となってしまったことになる。
それにしても次回の更新が4年後とは知らなかった。
その足で、一昨日紹介された開高健の著書を買い求めようと渋谷の紀伊国屋書店へ出かけた。ところが購入しようと思っていた3冊の文庫本の内、「輝ける闇」しか書店にはなかった。「声の狩人」は、注文して取り寄せてもらうことにした。一番読んでみたかった佐野真一氏推薦の「人とこの世界」は、出版社の筑摩書房に照会してもらったが、そこにも在庫がないとのことだった。この4月に文庫本として再刊されたばかりだが、もう払底とはすごい売れ行きで羨ましい限りでもある。こうなると一層読んでみたい気になる。
それはそれとして近年若者の読書離れが叫ばれているが、実態は大分酷いらしい。今朝の朝日新聞によれば、来年の国民読書年に向けて各地で読書傾向に関するイベントが計画されている。その一環である「読書実態調査アンケート」の中で、20〜30歳代の若者の1/4が、月に一冊も本を読んでいないという惨憺たる結果だったという。読まない理由は「仕事、家事、勉強が忙しい」「読みたい本がない」「何を読んでいいか分からない」「読まなくても不便を感じない」だそうだが、何と向上心のないことかと情けなくなる。調査から子どものころの読書体験が読書量に大きな影響を与えていることが分かったらしく、子どものころから親に本を読んでもらったことが、成人になってから読書の習慣が身につくケースが多いらしい。
義父が生前、本を読まない奴は信用できないと言っていたが、まあ二人の息子は割合本を読んでいるようなので、ほっとしている。
891.10月21日(水) 郵政民営化見直しは、無策の策か?
8月20日に行われたアフガニスタン大統領選挙の結果がまだ分からない。タリバンによる選挙妨害や現職のカルザイ大統領側の不正投票疑惑やらで中々決着がつかない。残るも地獄・退くも地獄の渦中にあるアメリカやEUの働きかけもあり、現職カルザイ大統領の同意を得て、漸く決選投票によって現職と対抗馬であるアブドラ前外相との間で雌雄が決せられることになった。
それにしてもアフガンの大統領選挙は現代社会においてまったく奇妙な選挙である。すでに投票から2ヶ月を経過してなお政治空白が続いている。この間テロによる不安材料は増幅される一方である。1ヶ月前に発表された初回選挙の結果は、カルザイ氏が、54.6%の得票率だった。しかし、不正投票とみられた得票を除くと49.6%で過半数にぎりぎりで達しないことが判明して、政権選択は仕切り直しとなった。
政治空白が長引くうえに、パシュトゥン民族出身のカルザイ氏とタジク民族のアブドラ氏の再対決となり、下手をすると民族間の対立に発展する可能性もある。今タリバンによるテロ攻撃に怯えている国民の間に、新たな国内分裂の火種を抱えることになりかねない。
それにしても一日も早く政治体制の確立をしないと、別の社会混乱の芽が表れてくるのではないかと気がかりである。
アフガンばかりでなく、国内でも政治的にちょっと首を傾げる事件が起きている。常々郵政民営化の見直しを叫んでいた民主党が勝利を得た勢いで、これに反対して自民党を離れた国民新党代表の亀井静香郵政・金融担当大臣も同調して日本郵政叶シ川善文社長を有無を言わせず罷免すると広言していた。
郵政民営化の見直し論については、どの部分を見直すのかの中身の議論より、粗雑な感情論が先走って一刀両断に小泉改革の見直しという話になっているような気がする。今朝の朝日、日経両紙を読んでも、時計の針を逆に戻すようなことは慎むべきだとの慎重論が書かれている。さらに、ほぼ決まっていた政府が持っている株式放出を当面実行せず、上場化計画を先延ばしするという。
よく分からないが、これによって政府にとって郵貯資金を自由に使える二つ目の財布ができるのではないか。散々の悪評のうえに、かの大経済学者だった大内兵衛先生に二号の存在のようなものと酷評された「財政投融資」の復活にもつながるのではないかと、その無節操さと拙速ぶりにも驚かされる。
加えて、西川社長の後任に西川氏より年配で「官僚の中の官僚」の元大蔵事務次官、斉藤次郎氏が就任するという、びっくり箱から飛び出すような話である。あれだけ天下りを容認しないと断言していた現政権が、天下りのチャンピョンシップのような舞台を演じている。もう無茶苦茶である。鳩山内閣ももう少し筋を通して、国民から受け入れられる政治をやってもらいたい。鳩山首相の言動があまりにもぶれて、何を行おうとしているのか分からなくなった。それにしても亀井大臣の強引で、押しの強いやり方を見ていると、周囲への配慮がなくとても一国の大臣のパフォーマンスとは思えない。あきれ返るばかりである。これでは民主党に愛想がつきて、再び自民党が盛り返すのではないか。
892.10月22日(木) インド旅行への期待
一昨日自動車免許証の更新手続きをして新しい免許証を受領した。その有効期限が向こう4年間とは中途半端な感じがしたので、確認のため世田谷警察署へ問い合わせてみた。
それによると70歳までは5年間有効の免許証を更新手続きの都度受け取れるが、71歳以降は原則として更新ごとに有効期限は3年間だそうだ。しかし、優良ドライバー(ゴールドカード)の場合は、70歳を超えた最初の更新のみ、4年間有効になるということだった。これで4年間の意味が分かったが、シルバードライバーがあまり歓迎されていないということが何となく分かる。まあ運転技能が年々落ちるので、事故防止の見地からすれば、ある程度止むを得ないのかもしれない。私も4年後に、つまり75歳の時に書き換えて、その後3年間78歳までハンドルを握れれば善しとするか。80歳を超えては少々リスクが高まるかも知れない。
さて、来月インドへ行くので、インド関係の書を読んでいるが、堀田善衛の名著「インドで考えたこと」を読んでみたくなり、八雲図書館を訪れたがそこになく、いろいろ調べてもらった。しかし、目黒区内の他の区立図書館にも在庫がなく、更に詳しく全集等を調べてもらった結果、筑摩書房の「堀田善衛全集U」に納められていることが分かった。この全集には「後進国の未来像」「キューバ紀行」等も入っているが、これを他のインド関連書2冊とともに借りてきた。
洛陽の紙価を高めた岩波新書「インドで考えたこと」は、1957年に月刊誌「世界」に連載され好評を博して、その年に新書として出版されたもので、当時のインドに関する書としては質的にかなりの水準のもので、インドへ行く人がバイブルのように貪って読んだものだ。生憎まだ読んでいなかったので、この機会にさらっと目を通してみようと思っている。同書が世に出てから早や半世紀余りが経過して、インドの情勢は大分変化しており、名著と言えども、その内容や視点は必ずしも現代のインドにフィットしているわけではなく、少々ずれがあるかもしれない。実際今読んでいる中島岳史氏の「インドの時代」なんか、あまりにも現代的な側面を描き過ぎており、少々ギャップを感じるし、受け止めるにも違和感がある。昔の目線で見ると思わぬ陥穽にたじろぐことになるかもしれない。
今度訪れる発展著しいデリーや、アグラ、ジャイプールは初めてなので、観光施設や商業施設を訪れることは大きな楽しみであるが、アグラ近郊では昨日急行列車同士が衝突して22人が死んだばかりだ。IT産業の進化、或いは新興開発地等が発展する一方で、取り残される地域や遅れた側面もあり、またヒンドゥ教を離れる信者がいる一方で、ヒンドゥ・ナショナリズムが力をつけてきているらしい。経済的に急速な進歩を遂げている中で、種々の難しい問題が顕在化しているようだ。
893.10月23日(金) 日本外交の先行きは大丈夫か。
鳩山政権誕生以来大分気になっていたことがある。今バタバタしている国内政治はもちろんであるが、対米関係がギクシャクする気配のあった外交政策である。その遠因は、民主党が総選挙中からアジア外交重視と対米関係見直しをしきりに内外に訴えていたからだ。しかも、その対米関係では沖縄の普天間空港移設問題がすっきり解決しそうもなく、加えて沖縄基地県外移設問題も解決への道はほど遠い感じである。
来日中のゲーツ国防長官が、日本政府ののらりくらりした回答に相当いらだったらしく、日本の要求にはまず応じられないとの発言があった。そんな中で、アメリカ国内のマス・メディアはアメリカ政府高官が強い警告を発したことを大きく取り上げている。「拡がる日米同盟の亀裂」とか、「東アジアの安全保障の礎石の日米同盟を蝕む恐れがある」「中国の軍事力の増大や北朝鮮の核・ミサイルの脅威にどう対抗するのか」との批判が出ている。
一方で岡田外相が個人的な見解と断りながらも、普天間基地の沖縄県外移設は難しいと述べた。こんな大事な事柄を個人的な見解だけで口外すべきではない。民主党マニフェストには県外移転、または移設と書いてあるではないか。それを内閣の統一意見ではなく個人としてそう考えていると断りながらも、無責任な発言をしているところから察するに、外相は反応を見るために観測気球を上げてみて、その様子によって有利な方向へこの問題を持っていこうとしていることが考えられる。他の大臣とは相談していないというなら、発言するなと言いたい。この人は割合まともな政治家だと思い、外務大臣には現在の民主党内では、岡田氏しかいないと大分期待していたのだが、こんな重要なことを軽率に発言したり、国会開会の際の天皇のお言葉に注文をつけたり、案外軽い発言をする人だということが分かった。しかし、これではこれからの言動が心配である。海千山千で練達の外国外交官に対して果たして対抗していけるのだろうか。
仮に米軍基地沖縄県外移設を行わないなら、アメリカとしてはホッとするだろうが、日本国内の収拾がつかない茶番劇を見て足元を見透かし、これからは思うような筋書きで米軍基地問題は進められるだろう。
はったりも偶にはよいが、いとも気軽に個人的な見解とか、思いつきだけで発言されたのでは国政がうまくいく筈がない。段々各大臣の言動が心配になってきた。
今日の駒沢大の清田義昭講師の講義内容も考えさせられるテーマだった。ハンセン病患者の苦しみを取り扱い、南日本放送が制作したビデオ「人間として―ハンセン病患者人間としての闘い」と題した1時間半近い長編ドキュメンタリー番組を見せてくれた。10年以上に亘ってハンセン病患者の裁判を執拗に追った記録で、ストーリーが暗く見るのも辛い画面だったが、分かり易く立ち上がる患者が裁判で勝利を勝ち取り、それに対して控訴しようとする国に、控訴を諦めさせる闘争記録である。
1907年に国の民族浄化という名の下に強制隔離によりハンセン病患者は施設に囲い込まれ、世間からは一切閉ざされた隔離生活を送るようになった。その経緯と立ち上がる患者をきめ細かく追った。ライ病予防法なる法律ができたのは、1953年だったが、実際にはそれ以前から患者は人間としての扱いではなかった。その法律が廃止になった1996年以降になって、患者が国へ賠償請求裁判を起こし、2001年に勝訴を勝ち取った。それに対して政府が控訴裁判を起こすとの空気があったが、原告団の国民への訴えかけやマス・メディアの啓蒙により、政府が控訴を取り下げたことが時系列的に取り扱われていた。
番組ではおよそ気持ちの良いシーンが少なく、見ていてあまり気持ちのよいものではないが、深く考えさせられた。プロデューサーはよくここまで取材したものだと思う。毎回清田講師の授業では、見過ごしがちの重要な社会的事件を、改めて考える機会を与えてもらって背筋が伸びる感じになる。しかし、裏腹にどうも気持ちが落ち込んでしまうことが、こういう社会問題を見つめることから気持ちを遠ざけてしまうのではないかという気持ちもある。
894.10月24日(土) 気のおけない高校同期会
羽田空港内の「ギャラクシー」というレストランで高校時代の同期会が開かれた。ここは同期の金川くんが社長をやっていたところだ。年々参加者が減っていくのは止むを得ないと思う。卒業して52年で同期生401名の内、すでに53名が黄泉の国へ旅立った。今年は昨年よりまた減って70名弱の参加者だった。誰かが言っていたが、こういう会に出席できるのは、「健康」「心配事」「金銭」にあまり気にかけるほどのことがないからだと。幹事の冒頭の挨拶が良かった。話の話題が偏り勝ちになるので、今日は「健康」「年金」「孫」の話は避けようと言った。20歳ほど年長なら、さらに「軍隊」「戦争」が要注意用語になるのだろう。もう70歳を過ぎているので、容貌を見ると差があるのは止むを得ない。老けて見える同級生がいる一方で、やけに若く見える同級生がいる。あまり普段の生活上恵まれない人はこういう会には出席しないので、出席する仲間同士では話は大体通じるから気楽である。
ラグビー部の大島くんの奥さんの具合が悪いと聞いていたが、やはり特殊な病に冒され身体が自由に動かないと言っていた。長期の旅行もできないと言っていた。揃って元気な時は、夫婦でニュージーランド、アメリカ、イギリスにも行っていたようだし、気の毒に思う。
民主党政権についても話が出たが、亀井金融・郵政担当大臣の強引な手法と、日本郵政且ミ長に内定した斉藤次郎氏の人となりについて批判的な話が出た。元通産次官の牧野くんが出席予定だったが、その場にいなかったので、元大蔵次官だった斉藤氏の記者会見における受け答えが話題に上がった。周囲の政治家が次官を辞めて14年になるので、斉藤氏が元官僚というのがおかしいとの説に口裏を合わせるが如く、斉藤氏自身が自分は官僚とは思っていないとの言葉が嫌がられる。誰が何と言おうと、斉藤氏が官僚中の官僚であることは紛れもない。こういう居直り人間を、「民より官へ」の道を作ろうとして任命するところに、鳩山首相や亀井大臣らの鈍感さがある。とにかくこういう気楽な同窓会でも、悪評サクサクなのは相当タチが悪いということだ。
明日は京都の中学時代の同窓会で、卒業以来55年ぶりに会う清水先生や、可愛い女生徒だった麗人たちの顔を見るのが楽しみである。同窓会が終ってから親しかったクラスメートとは会うことを約束しているので、これが大きな楽しみ。
895.10月25日(日) 懐かしい京都・上桂中学同期生会
昨日の高校の同期生会に引き続き、今日は京都市立上桂中学時代の同期生会に出席のため、朝早く新幹線で京都へ向かった。会場は「アークホテル京都」という小さなホテルで昔の四条大宮交差点の近く。京都駅からタクシーに乗らずに、地下鉄で四条烏丸まで行き、そこから阪急で四条大宮へ出た。
JR京都駅前の地下街は明るく中々センスのあるお店が並んでいるが、何せ案内表示板が分かりにくい。それに地下鉄と阪急の駅構内にエスカレーターがないのが、キャリーバッグを持つ身にはやや不満だった。外国人観光客の姿も多く見られたが、日本人にも分かりにくい案内という点を考えても、彼らからの評判も悪いだろうことは想像できる。久しぶりに訪れた観光都市・京都だったが、観光目的で訪れる人のために親切に分かり易くPRするにはハードウエアが充分とは思えなかった。行政や観光協会などが初めて京都を訪れる人の視点に立って、もう少しきめ細かくチェックして、訪れる人たちが迷わない建設的な方策をもっと検討すべきではないかと感じた。
昭和29年に卒業して、すでに55年8ヶ月の歳月が経過したが、同期生会には初めて出席した。この上桂中学には3年生時の僅か1年間だけしか在学しなかったが、思い出は深い。校内対組柔道大会でいきなり黒帯の奥くんに投げ飛ばされたが、学校だけではなく校外でも近所の湯浅くんや穴田くんと松尾山で小鳥を獲ったり、桂川で泳いだ楽しい思い出がたくさんある。山では彼らと一緒に手負いの猪に追いかけられ、必死になって逃げ惑ったこともあった。
聞けば10年前にも同期生会を企画したようだが、案内があったのかどうか、残念ながら出席することができなかった。6クラスの担任の先生方の内、ご存命なのはわがクラス担任で理科担当の清水義一先生と国語の岩崎光先生だけだ。嬉しいことにお二人の恩師には今日ご出席いただいた。清水先生は80歳、岩崎先生は米寿だと仰っていたから長い年月を感じさせられる。
清水先生には1年間随分お世話になった。卒業と同時に父の東京本社転勤が分かっていたので、高校受験が微妙になり、先生にもご心配とお世話をおかけした。結局京都府立桂高校と湘南高校の両校を受験して、幸いいずれも合格し、兄の桂高校から湘南高校への転校も実現したので、家族全員が揃って鵠沼へ転居することができた。もし湘南高に入れなかったら桂高校に1学期だけでも在学してその後転校しようとの話もあった。その当時短期間の間だったが、なにか慌しくドタバタしていた印象がある。
湘南高に入学してから直ぐに清水先生には2度ほどお便りを差し上げたが、ご返事をいただけず、その後今日まで連絡をとれなかった。先生からはそのことが気になっていたとお話いただいて納得することができた。
国語の岩崎先生は生徒たちから陰で「お光っちゃん」という愛称で呼ばれていたが、最初の授業で「水郷」を「すいきょう」と読まれたので、転校直後だったが思い切って「『すいごう』が正しいのではないか」と訂正を申し入れた。ところが、先生がどうしても「すいきょう」だと強調されるので、その2年前に毎日新聞社の日本観光地百選に「日本水郷」を千葉・幕張小学校のクラスの友だちとハガキで投書推薦した経緯もあり、小生意気だった私も「すいごう」だと言い張って譲らず、結局先生が折れて次回までに正式に調べてくるということになった。次の授業冒頭にいきなりお光っちゃんは「『水郷』はやはり『すいきょう』が正しい読み方です」と仰ったのには驚いた。確かにどちらも間違いではない。でも一般的には「すいごう」が優先して使用されるし、日本水郷の場合は「すいごう」と発音する。国語専門の先生が生徒の指摘した「すいごう」を否定され、「すいきょう」と主張される根拠が分からなかった。一体どこでお調べになられたのか、その時はどうにも納得できず、父親にも憤懣をぶちまけたことがある。未だに脳裏にもやもやが残っている中学時代の苦い思い出のひとつである。今回お光っちゃんが出席されると聞いていたので、遊び心でもう一度尋ねてみようかなとも思ったが、今更との気持ちもあり、先生があまり元気そうなご様子にも見えなかったので、お尋ねするのは差し控えることにした。
在学中も、卒業後も親しくしていた岡本勲くん、湯浅登喜夫くん、穴田弘くん、河内一くんは先日ハガキを出しておいたせいもあり、みんな来てくれた。久しぶりに実に懐かしく楽しいひとときを過ごすことができた。女性も特に覚えていたのは、馬場さん、荒木さん、藤森さんらだが、彼女らも出席してくれて、本当に懐かしい55年ぶりの再会だった。忘れていたお顔だったが、やはり時間とともに少しずつ思い出してくるものだ。
同期生は約280名いたが、今日はちょうど50名の旧友が出席した。歳月の経過を考えるとまずまずの出席率ではないだろうか。穴田くんと岡本くんも幹事役を務めてくれたが、遠路出席したということから私も挨拶することになった。6つのテーブルに拙著を各1冊差し上げて近況をざっと話した。
穴田くんからは古く懐かしい写真を3枚もらったが、その内の1枚は彼が西京高校バレー部選手として神奈川国体に出場した時に、藤沢市内のバレーボール会場で撮ったものだ。その中に西京高の選手たちとともにマネージャー然として下駄履きで坊主頭の私が写っている。半世紀以上前の世相を反映してスタイルがいかにも垢抜けない。改めてこんな時代だったんだと思うと感慨無量である。
ホテルを出てから、幹事の岡本くんがアレンジしてくれた近くの喫茶店を貸切状態にしてコーヒーを飲み、ほんの半年間だったが毎日通った七条大宮の平安中学前を市内バスで通り過ぎJR京都駅へ。そしてJR京都駅にあるホテル・グランヴィア京都15 階のスカイラウンジ「サザンコート」で3次会を楽しんだ。
これからもお互いに健康に留意して次回も参加しようと、再会を約束して京都駅で別れた。
896.10月26日(月) 鳩山首相所信表明演説
イラクではバグダッドで連続爆弾によるテロ攻撃により147名が亡くなった。アフガンも一向に治安が改善されない。
ところで振り返ってわが国はどうか。
急に陽気が冷え込んできた。昨晩京都から帰ってきた時も外は寒かった。ところが、南方洋上には台風20号が発生しているらしい。10月下旬の台風というのも珍しい。
今日やっと臨時国会が始まった。鳩山首相が初めて所信表明演説を行った。これまでの首相の最初の所信表明演説としては、過去10年で最長の52分も費やした。最近では安倍首相の34分が最も長かった。中身はどうだろうか。相変わらず政治家の言葉である抽象的な表現が多い。しかし、目標を大きく全面に出して分かり易くしたのは良い。
所信表明で解決策を提示するのはいい。だが、具体的にどうするかとのプランや計画性がまったく示されない。目先の問題では、マニフェスト上の公約テンコ盛りで来年度の概算要求が大きく膨らんで、解決策は数字を削るということしかアイディアが浮かんで来ない。優先順位を決めて必要なら取り入れ、不要不急なら削るという選択がなぜできないのか。
もっと問題化しそうなのは、沖縄の米軍基地移設問題と、基地問題とインド洋上の海自艦の補給中止を絡ませた対米関係だろう。アメリカ政府では大分いらいらしているらしい。どうして日本政府は大事な外交問題に早く方針を示せないのだろうか。首相の都合がつかないなら、副総理や防衛相でも、どんどんアメリカと下交渉を進めたら良いのではないかと考える。そのための副総理であり、防衛問題担当大臣ではないか。どうしてそういうプロセスを進められないのだろうか。これでは予定が遅れるばかりだ。
鳩山首相の演説を聞いていて、嫌な感じはしない。一所懸命説明しようと真剣で意欲的なのは理解できる。だから、割合評判は良いようだ。しかし、実が伴わなければ所詮絵に描いた餅だ。鳩山政権のやっていることは、派手なビジョンと実行力を示しているが、やりたくない政策には中々手を打たない。急ぐ必要がないとか、時間をかける必要があるとか、この辺りは首相にリーダーシップが欠けるところだと思う。これが国内だけの問題ならまだ外交問題に発展することはないが、今頓挫しているのはすべてアメリカがらみの外交問題である。
なぜ一歩踏み出して積極的にアメリカと交渉しないのか。まずは日米同盟を基盤にした外交と言いながら、思いがけずアメリカの機嫌を損ねている。もっとアメリカと真摯に話し合い、対米交渉を前進させよ!
897.10月27日(火) 新たな「図解」研修の話
昨夕ベオグラードから一時帰国中の山崎洋さんへ電話して、「古事記」セルビア語訳本が翻訳特別賞を受賞したことにお祝いの気持ちを伝えた。来月10日に離日されるので、その間に会うことにしているが、彼も予定が詰まっていて会えるのは、1日と3日しかない。国際ペン大会に参加中の小中陽太郎さんと国際ペンの理事でもある堀武昭さんを交えて一杯やろうと考えているが、お二人ともリンツから帰っておられるのかどうか分からない。とりあえず小中さんにメールを送信した。堀さんにも電話したところ、夫人の話では来月27日に帰国するということだった。国際ペンを終えてから、フランスや他の国を回るそうだ。それにしても随分長い出張だなあとほとほと感心する。
山崎さんの一時帰国については、31日に「尾崎・ゾルゲ処刑65周年記念講演会」を主催する日露歴史研究センター事務局の川田博史氏へも連絡を取ったところ、知らなかったという。31日は山崎さんに別用があるので、出席することは難しいと伝えておいた。川田氏に依れば、来月7日に多摩墓地で尾崎・ゾルゲの墓前祭を行うそうだ。山崎さんの都合はともかく、これは彼に伝えようと思っている。
ところで、今までわが家から富士山が見えるとは考えてもいなかったが、妻が自分の部屋を開けて窓の外を見たら、あの天下の富士山が見えたと慌てて飛んできた。これまで邪魔していた大きな倉庫をいつの間にか取り壊したらしく、わが家から富士山まで一直線に見える。今日は台風一過で空は真っ青、塵ひとつない見通しの良さに、冠雪の富士山がくっきりと浮かび上がっていた。正に感激ものである。これでこれからは贅沢にも毎日富士山を眺めることができる。願わくば、今後も富士山の方向に大きな遮蔽物が建築されないよう祈るばかりである。
さて、知研が請け負っている行政や企業、事業体の「図解」講習について、新たな依頼を受けたとの話があり、八木会長、久恒理事長、秋田県の講師を務めている中村茂昭さんに私が加わって、新宿で最初の打ち合わせをした。私が過去10年以上に亘って担当していた福島県が研修を中止し、昨年初めて担当した岩手県広域連合からご下命がなく、予算が削られたので中止したのではないかと失望していた矢先に新しい話が持ち込まれ、新たな企画をスタートさせることになった。
久恒理事長のお顔でいただいた仕事だが、うまくいけば来年以降も受注できそうだ。今までの講習と違いシリーズ形式で毎日2時間6日間のセットで3回分である。初日は理事長が、2日目は八木会長が、3、4日目と5、6日目を中村さんと私が受け持つことで凡そフォーメーションは固まった。現時点では、4月にアスキー・メディアワークス社から発行された久恒理事長著「図解の極意」を主材料にして教材を考える。講義の内容と講義方法については、近日再び集まって検討することにした。
こうなると1月から3月まで毎月研修を行うことになり、新年になったら忙しくなりそうだ。
898.10月28日(水) 二つの海難事故の原因と対応
昨晩関門海峡で海上自衛隊所属の護衛艦「くらま」と韓国のコンテナ船が正面衝突して、両船とも火災を引き起こした。鎮火するまでにかなり時間がかかったが、幸い死者がいなかったのは不幸中の幸いと言える。観光船で何度もあの海峡を渡った経験から言えば、7,000トン級の大きな船舶があのような狭い海峡ですれ違うこと自体に事故発生の危険性が潜んでいる。門司港と下関港間を往復する観光用のボートでもほんの5分ほどしかかからない。狭い箇所では僅か5〜600mの海峡幅しかない。それほどの至近距離で、しかも潮の流れは速く、時間によっては流れが逆流する。もちろん遊泳は禁止されている。
護衛艦とコンテナ船のどちらに衝突の責任があるのか、今のところまだはっきりしないが、これまでに得た情報から個人的に判断すれば、どうやら海上保安庁・海上交通センターに大きな誤った情報提供があったようだ。
この海域は狭過ぎるために普通追い越しはできない。両船ともルールに従い右側通行で航行していた。コンテナ船の前方に速度の遅い貨物船があったので、コンテナ船の要望に従い海上保安庁がコンテナ船に追い越しの許可を与えた。その際貨物船の右側ではなく左側から追い越しさせて、護衛艦の前に飛び出させ、護衛艦と衝突するという事故を引き起こした。
海上保安庁・海上交通センターは何ゆえに判断と指示を間違えたのか。貨物船が左側から追い越させて欲しいと言ったにせよ、時と場所、そしてルールを考えれば、異常な指示であることは明らかである。外国航路の元船長は、この海峡が世界で最も危険な箇所で、追い越しは考えられないと述べていた。
空で言えば航空管制官とも言うべき海上保安庁・海上交通センターなるものが、こんな杜撰で危険な船舶航行コントロールをやっているようでは、船舶も安心して航行できないだろう。犠牲者が出なかったせいか海上保安庁からは、一片のお詫びも反省の言葉もない。指示ではなく情報提供しただけで、最終判断は船長が行うべきものだと開き直っている。これは正に相手に責任をなすりつけるものだ。海上保安庁の対応とその後の言動は、無責任になりつつある現代社会の風潮を反映しているものだと言える。
同じ海難事故でも、24日以来行方が分からなくなり遭難したと見られていた、長崎県鎮西町の漁船「第一幸福丸」が転覆した状態で発見された。八丈島近海で台風20号に遭遇し転覆、漂浪し、4日ぶりに見つかった中で乗組員3名が救助された。船長は亡くなり、他に4名の乗組員の行方は依然として分からない。絶望視されていた全漁船乗組員の内3名の生存が確認されたのは奇跡的であり、必死に生き抜こうとした乗組員の強い生への執着心があったからこそであろう。彼らの生存は、好い加減な海上保安庁の職員に対して、生命の尊さを無言の内に教えてくれる。それにしても、残りの4名の行方を思うと気が重くなる。「幸福」の船名の通り、残りの乗組員の生存を願って止まない。
899.10月29日(木) 腰が定まらない各大臣の発言
ここ数日戦乱の地、アフガニスタンとパキスタンの治安が一層悪化して多数の死者が出ている。アフガンでは米軍兵士の戦死者数が過去最悪となり、パキスタン西北部でもテロリストの攻撃を受けて政府の建物が爆破され、ペシャワールでは昨日90人が死亡している。この政情不安の中で、クリントン国務長官がパキスタンを電撃訪問した。アフガンにせよ、パキスタンにしろ、アメリカとしては難しい舵取りを迫られている。
そんないらいら感が、とばっちりとなったのか、アメリカ政府首脳は日本に対して不満を募らせている。民主党がインド洋の海自艦の補給中止を公表したことについて不満を表明している。沖縄の米軍普天間基地移設問題でアメリカが呑めない代替案を模索していることについても、否定的なニュアンスの言葉を漏らしている。それより何より民主党がはっきり日本の立場と考えをアメリカに伝えないことが一番悪い。何を考えているのか。早く決めなければならないことをのらりくらりして結論を先延ばししているから、不安感を与え、妙な勘ぐりをされるのだ。子どもじみている。さらに関係閣僚の言うことが、人によってぶれて二転三転している。これではアメリカとしては誰に対して自分たちの考えを伝えたら良いのか分からない。そのせいであろうか、オバマ大統領が来日する前に日米間で意見調整をするべく、岡田外相が渡米する話が持ち上がっているが、アメリカは受け入れに消極的である。
国会論戦でも大臣のばらばらの発言が鳩山首相への質問になっている。首相曰く「最後は私が決める」。まるで中高の生徒集会と変わらない。
900.10月30日(金) 日航は果たして建ち直ることができるか。
このところ日本航空の再建問題が大きな話題となり、国交省が主導して再建策を考えている。それもいよいよ最終コーナーを回ったようで、昨日公表された再建案は再生組織を根本的に替えるドラスチックなものとなった。
日航の経営状況を調査していた専門家チーム「JAL再生タスクフォース」は、発足してからまだ一ヶ月だが、前原大臣に報告書を提出して解散することになった。その中身も公表せず、タスクフォース代表の高木新二郎氏も不満を露にしている。結論は、今後日航支援は「滑驪ニ再生支援機構」に移ることになった。弁護士である高木氏の前職は「産業再生機構」産業再生委員長だった。どうも名前も似ていてわかり難い。そのわかり難いことを「企業再生支援機構」の下に実務の場でやろうとしている。
最大の問題は、日航自体がすでに2,500億円の債務超過であることで、資金繰りも苦しく、11月中に1,800億円のつなぎ融資が必要で、更に来年3月までに3,000億円の資本増強が必要であることだ。今後は再建を「企業再生支援機構」の下に進めていくことになるが、そう簡単に作業は進まないと思う。
ビジネスはこのまま実行しながら、債務の処理、事業の建て直しを実施しなければならない。銀行団の債権放棄、赤字路線からの撤退、9,000人の従業員解雇などが考えられているが、最大のネックは企業年金の積み立て不足である。
この日航の年金問題は一日航だけの問題だけではなく、ひとつの例として広く世間の注目を集めている。国としても年金問題解決が注目の的である。
しかし、日航のOBと社員の三分の二以上の賛成が得られなければ、企業年金契約を変更することができない。現役社員の間では諦めムードで、減額を認める空気があるようだが、現実に現在受給者となっているOBの間では、財産権の侵害として反対する空気が強い。比較的高額と言われている日航社員の給付利回りは現在4.5%だそうだが、これを1.5%にまで引き下げて、年金資産不足額を3,300億円から1,000億円程度にまで減らすことを検討している。一般の国民からすれば、会社が火の車になって、国が救済しようという時に贅沢を言うべきではなく、元も子もなくなっては、話にならないではないかという言い分がある。
在職中日本航空にも随分お世話になっただけに、何ともお気の毒である。
さて、神田の学士会館で「荒野も歩めば径になる―ロマンの狩人・尾崎秀樹の世界」出版記念会が開催されると小中陽太郎さんからご連絡があり、出かけた。ところが、学士会館にはそんな予定はないという。小中さんの携帯へ聞いてみると何と如水会館だという。すぐ近くなので、大して気にすることもなかったが、一瞬どうすべきか当惑した。
著者の峯島正行氏のお名前は初めて伺ったが実業の日本社で長らく編集に携わっておられた方である。「漫画サンデー」を発行したこともあり、藤子不二雄氏のような有名な漫画家を始めとして、多くの漫画家の姿が見られた。
如水会館に入った途端「出版記念会ですか?」と尋ねられたが、風袋が作家風だったのか。だんだんサラリーマンから遠ざかっていく感じである。
冒頭に直木賞作家の伊藤桂一氏が挨拶された。尾崎秀樹の娘さんも挨拶された。会場はかなり混み合い折角オペラ「椿姫」のアリアを歌ってくれた時でも、雑談で少々うるさい。作家ならもう少し静かになるのだが、漫画家はどうもうるさいし、服装にしても帽子を被ったままだったり、ラフな格好をしている人が多い。ちょっと雰囲気が違うような感じがする。
小中さんの挨拶では、尾崎秀樹は台湾で生まれたが、台湾ではスパイの弟と言われ続けて苦労したということを話されたことが印象深かった。帰りに小中さんから都立大学駅の「コーナーポケット」で、ご馳走になる。
901.10月31日(土) 尾崎秀実処刑65周年と「海ゆかば」
午後駿河台の明治大学で日露歴史研究センター主催の「尾崎・ゾルゲ処刑65周年記念講演会」が開催されたので、ゼミの池田くんと誘い合わせて聴講した。昨夕図らずも尾崎秀実の実弟・秀樹について書いた峯島正行著「荒野も歩めば径になる」の出版記念会に出席したので、今日は頭の中が「尾崎」に占領されている。
昨日は小中さんからも尾崎家の人間関係を聞かせてもらった。異母兄弟で21歳も年齢が離れているので、昔のこととは言いながらちょっと尋常ではないと思っていたが、秀樹はおめかけさんの子だと伺った。
今日明大の講演では作家・西木正明氏が「近衛新体制とゾルゲ事件」、孫崎享・元外務省国際情報局長が「ゾルゲ事件時の国際環境と第二次大戦後の諜報活動」、下斗米伸夫・法政大学教授の「ゾルゲ事件・冷戦・共産党―モロトフ文書から」とそれぞれ専門家が話をされた。
興味本位に題材を捜し求める作家として西木氏の話が魅力的だったし一番面白かった。孫崎氏は、ソフトな語り口だが、外務省で長らく諜報活動にも携わっていたせいで、日本人の中でも一番インテリジェンスに詳しいと自画自賛されておられたが、ノンキャリアで苦労された休職中の佐藤優氏の話の方がよほど詳細で、相手の懐に入り込み活劇的で興味津々である。それに、孫崎氏はもう少しパワーポイントの使い方を研究して工夫しないと説明が分かりにくい。下斗米伸夫・法政大学教授は、最近ロンドンから帰ったばかりだと話されていたが、留学前にテレビにも度々出演して話している姿を観ているが、今日の話しぶりには少々失望した。もう少し整理して話されるのかと期待していた。
話す内容を欲張りすぎているために早口の説明になり、一寸内容が理解しにくい。これは、池田くんに聞いても同じだったので、口幅ったい言い方だが、内容をカットして、もっと整理して、しかもパワーポイントの使い方をもう少し工夫した方がよいのではないかと感じた。
5時前に池田くんに失礼して、JR西国分寺駅前「いずみホール」で開催の「第3回武蔵天平の郷・信時潔コンサート」に行った。昨年出席したのは、映画監督の篠田正浩氏と山崎洋さんがゾルゲ事件をテーマにトークショーをやったので、出かけたのだが、今年は昨年同様に信時潔の音楽に、山崎さんの平和へのメッセージの読み上げがあるということだった。彼も中々うまいメッセージと挨拶をしていた。1年ぶりに話をすることができて良かった。
司会進行役を務めた田口精一さんと仰る89歳の劇団民芸の俳優さんが、山崎さんがブーケリッチ氏の遺児であることを初めて知ったと言い、かつて出演した「オットーと呼ばれる日本人」の主演俳優・宇野重吉と劇作家の木下順二が存命なら、驚き喜ばれたことだろうと話された。
これからこの国分寺に信時潔が定着するのだろうが、名曲「海ゆかば」だけではなく、慶応義塾塾歌も良いメロディなので、演奏したら良いのではないかと思う。その他の演奏曲は知らない曲ばかりだったので、余計そのように感じた。