
2008年11月
537.2008年11月1日(土) 航空自衛隊幕僚長の勇み足
案の定昨日更迭された田母神・航空幕僚長の論文事件が問題になってきた。今のところ中国政府は冷静を装っているが、韓国政府は厳しく非難している。それはそうだろう。個人的見解の発露にしても、立場を考えたら政府見解に反し、今までの経緯から周囲に相当な波紋を呼ぶであろうことは充分に予想できたにも拘らず、田母神幕僚長の採った行動は、とても大人の対応とは思えない。これまで幾度か日本の要人の発言が、戦禍をもたらしたアジアの人々の気持ちを逆撫でにしてきた。その都度反省し謝罪し、ことを収めてきた経緯がある。それに基本的に誰が何と言おうと日本軍が相手の国へ土足で乗り込み、相手国へ迷惑をかけたことは紛れもない事実であり、その事実を認めないわけにはいかない。それが、植民地支配と侵略で、「アジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた」という1995年の村山首相談話となった。これがほぼ日本政府の公式見解といっていいものである。田母神氏は「わが国が侵略国家だったというのは濡れ衣」と書いている。更に日中戦争について「中国政府から『日本の侵略』を執拗に追及されるが、わが国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者」とまで主張している。日本の安全保障政策についても「集団的自衛権も行使できない。武器使用も制約が多く、攻撃的兵器の保有も禁止されている。(東京裁判)の」マインドコントロールから解放されない限りわが国を自らの力で守る体制が完成しない」と独自の論理で国の防衛政策の転換まで求めている。
日中戦争をはじめとする、大東亜戦争に関する見解については事実誤認もあるらしく、著書を引用された現代史家の秦郁彦氏は盧溝橋事件の最初の発砲について、表現が誤解され不愉快だと憤慨している。田母神氏は日本のおかげでアジア諸国は植民地の立場から独立を勝ち取ったプラス面もあるとも書いているようだが、将校、士官、一兵卒を含め多くの元軍人と知り合い、話をした経験では元軍人の人たちは、結果的にそう受け取られる側面はあるが、そんなことは絶対ないし、また口に出していうべきことではないと毅然として言っていた。アジアの国々で日本軍が戦禍をもたらしたことは間違いない。残念だが、われわれはその負の遺産を心に刻み、せめて戦争に加担することだけは止めようと誓ったのではなかったか。それを戦争の「セ」の字も知らない極右の防衛省制服組が、個人的な考えとは言え、立場を考えずにむしろその地位を利用して外部に発表するなど、その強気の言動は言語道断である。他にも同じように投書した自衛官がいたようだが、防衛省内にはこのように好戦的で、右翼的な言動に走る空気を抑制する動きがまったくなかったのか疑問に思う。そうだとしたら、一度省内で思い切って喧々諤々の議論、ディベートを行い、それを国民に公開して防衛省の進むべき道に指針を与えることも考えてみてはどうか。
538.2008年11月2日(日) はみ出し航空幕僚長と日本の軟弱外交
昨日のブログ「自衛隊航空幕僚長の勇み足」を読んだ高校の同級生・呉忠士くんから感動的なメールをもらった。彼も田母神幕僚長の論文に当然批判的であるが、戦争遺族だったということは初めて知った。彼のご養父は古代ギリシャ文学の碩学である呉茂一東大教授であるが、実の父上は戦時中撫順で病院勤務され、その後徴兵されて沖縄で戦死されたという。遺族としては当然であるかも知れないが、田母神氏の極右の論理が呉くんを始め多くの人々から理解され、共感を得られるわけがない。
今朝の朝日の「天声人語」でも「社説」でも、田母神論文はぼろくそだった。前々から奇矯な言動は目立っていたらしい。しかし、それが憲法に触れる発言であっても不問に付され制服組のトップにまで上り詰めた。これでは文民統制なんかまったく関係ない。制服組の人事については、政治家や制服組の事務官がまったく口出しできないという。しかし、シビリアン・コントロールの視点で言えば、これは実におかしい。社説では、この仕組みを抜本的に改めない限り、組織の健全さは保てないことを示していると書いている。その通りだと思う。
NHKスペシャル「日本をアメリカに売り込め」を見て感じたことがあった。ワシントンの日本大使館がアメリカの知日派の政治家や有力シンクタンク研究員に対して日米同盟の緊密化を図り、基盤を固めたいとの意向のもとに作られたドキュメント報道である。この背景には、明らかに中国の強力な存在感がある。アメリカが日本より、中国を重視し出していることは紛れもない。
しかし、アメリカのひとりよがりの対日姿勢の背景にはアメリカの狡い利己主義、日本のアメリカ従属観、そして日本の押しの弱さがあると思う。日本にはアメリカにはっきり物を言えない軟弱さがある。今日のドキュメンタリーを見ていても、お互いに強固な同盟関係にあるので、まあうまくやりましょうというのが結論であるが、その直前になって安全保障に積極的になって欲しいとアメリカが釘を差す有様だ。つまり、イラク戦争にも、アフガニスタン対テロ作戦にももっと協力しろというのがアメリカの本心である。日本が国際協力にもっと力を入れないとアメリカはもちろんヨーロッパ諸国の信頼を失い、アジアでも日本の求心力は衰えると半ば脅迫している。どうして日本はアメリカの言いなりになってこういう軟弱外交のスタンスをとり続けているのか。日本が自分の主義主張を押し通す場面はいくらでもある。実際イラク戦争やアフガニスタン駐留はアメリカの論理でアメリカが引き起こした戦争ではないか。自国の戦死者が増えたからと言って、その代役を日本も少し負担しろというのは少し虫が良すぎるし、身勝手すぎるのではないか。これらの点について日本は歯に衣着せずに物を言うしたたかさを身に着けて欲しいものである。それが外交官の職務ではないだろうか。
539.2008年11月3日(月) 懐かしい幼年時の思い出
昭和13年の今日、この世に生を享けてからちょうど70年になる。正真正銘の「古希の人」となった。当時は「文化の日」ではなく「明治節」と呼ばれた旗日で、名前のいわれもこの明治節に由来する。
些か感慨に耽っていた今朝、思いがけず千葉県勝山小学校時代の同級生、笹生嵩夫くんから電話をもらった。言葉を交わしたのは、1983年5月にステンレス・ミッションの添乗員としてロンドンを訪れたときに、当時住友商事潟鴻塔hン支店駐在員だった笹生くんと、市内の日本食レストラン「サントリー」で慌しく会って以来のことである。実に四半世紀ぶりに懐かしい肉声を聞くことと相成った。
終戦直後の勝山はまだ貧しく、ほとんどの家庭が漁業、農業に従事しており、笹生くんの話では、高校へ進学したのは同級生の20%程度だったのではないかと言っていた。萩原健二、平野二郎、坂井修、平島義雄、平田鉄平、井筒義久、重田省吾、平田八重子、三浦光代、川崎順子等々の懐かしい名前も出てきた。勝山時代の友人はもう彼をおいて他にはいない。父は会社勤めで、彼の実家は呉服商店を営んでいたが、割合両家の家庭環境が似ていたこともあり、小学校5年生時に勝山を離れて以来会う機会はほとんどなかったにも関わらず、お互いの学校、仕事ルートを通じて辛うじて今日まで切れることなくつながっている。
昨日一橋大学の昭和37年卒業生同期会があることを高校同級生で同じ年度の卒業生である大塚武夫くんから聞き、可能なら笹生くんへの連絡をお願いしていた。それが古希の誕生日に正夢となった。お互いに古希の身であり、これから知己の数は減る一方である。せめて一期一会で戦後のどさくさ時代に交流した縁をこのまま友情として絶やすことなく、いつまでも続けていければ有難い。早速韓国から帰ったら会おうということになった。
今日渦中の前航空幕僚長・田母神利雄氏が定年退職した。随分回りくどい手段を弄したなあという感じがする。彼は今年60歳で、普通なら定年だが自衛隊の規則では定年年齢に達しているが、幕僚長は特例として62歳まで勤めることができるらしい。それが、今回の騒動による更迭によって幕僚長の職を解かれたことから、特例からはずれ他の空将と同様に定年ということになった。今日の会見でも国家のため、国民のために自分の信念を貫いて論文を書いたと反省する様子は微塵も見られない。自分の歪んだ考えが国家に贖うことになったことにはまったく触れず仕舞いである。この様子では民間人になってこれから思い切って自分の考えをおしゃべりするのだろう。好い加減な奴だ。
実は、この結論にいたるまでに内部で相当の議論があったらしい。結局オーソドックスな結論に落ち着いたが、いつも役所というのは自分たちの過ちを追及されないような策を講じたり、内輪の人間が傷つかないように妙にプライドを守ってやったり、断固とした処置を採らない。それが、奇妙な内部の庇いあいとか、隠蔽を育む体質となっている。一件落着したことでもうこれ以上不祥事を出さないよう防衛省には責任感、コンプライアンス、人事管理等に気を配ってもらいたいものである。
540.2008年11月4日(火) アメリカ大統領選挙投票日に思うこと
昨日からチベットのダライ・ラマ14世が日本に滞在している。しかし、新聞はおろか、テレビでもあまり大きく報じない。今年三月に起きたチベット暴動事件の折には、連日連夜のべつ幕なしにチベット事件を伝えていたのに、手のひらを返すようなあまりにも冷淡な報道ぶりである。ダライ・ラマは中国政府のチベットに対する対応があまりにも非民主的で、チベット住民を益々窮地に追い詰めている中国政府の対応に悲観したと述べている。これでチベットの民主化は一層遠いものとなるだろう。それにしても日本政府のダライ・ラマ14世に対する姿勢はあまりにも冷たい。政府の閣僚は誰一人としてダライ・ラマに会おうとはしない。中国に遠慮しているとしか思えない。とても公平な対応とは思えない。ダライ・ラマはアメリカに行けば大統領以下多くの要人がわれ先に会おうというのに、対米追従国である日本政府の要人たちは、誰も彼に近づこうとしない。日本の政治家がいかに中国を怖がっているか明らかである。もっと虚心坦懐であってもいいのではないかと思う。
さて、今日はアメリカ大統領選挙の投票日である。民主党のバラク・オバマ氏と共和党ジョン・マケイン氏の一騎打ちであるが、このところオバマ氏優位は動かない。マケイン氏にとって痛いのは、リーマン・ブラザーズ社倒産以来の金融不安がブッシュ共和党による経済混乱のせいだと受け取られて、一気に共和党員マケイン氏の旗色が悪くなったことである。最後の一日になっても、両者は最後の最後まで地方を遊説して少しでも票を掘り起こそうとしている。その意欲とエネルギー、スタミナは見上げたものである。
しかし、とにかく選挙キャンペーン期間が長過ぎる。選挙戦がスタートしてからもう2年近くになる。全米中の考えを掬い上げる点で、遊説に遊説を続けてこれだけ草の根民主主義を貫くのは素晴らしいと思う。だが、一方であまりにも時間をかけ過ぎていないだろうか。時間の浪費があまりにも大きい。金もかかる。オバマがこの選挙のために集めた金だけでも何億ドルと言われている。大きなお世話かも知れないが、これだけ多忙な時代に、大統領ひとりを選ぶために全米で2年間に使う資金、時間、マン・パワー、エネルギーを考えるとそろそろその選出方法も考え直すべき時に来ているのではないかと思う。
541.2008年11月5日(水) 次期アメリカ大統領にバラク・オバマ上院議員
アメリカ第44代大統領にバラク・オバマ民主党上院議員が選ばれた。長い選挙キャンペーンの末に、接戦との予想を覆し圧勝だった。各メディアが予想していた両候補の支持率の差は10%以内だったが、オバマ氏が全投票率の7割方を獲得した。オバマ氏の勝利は予想されていたこととは言え、金融危機をきっかけに流れが一気にオバマ・サイドへ傾いた。
ところで日本の反応はどうか。麻生首相が今夕ぶら下がりの記者会見で、オバマ次期大統領についてどう思うかと聞かれて、いかにも軽薄にして、ノー天気ぶりを曝け出した。曰く「日米間は過去50年以上に亘って同盟関係にあり、誰が大統領になろうとも従来の関係が影響を受けるものではない」。こういうナンセンスな言葉が総理大臣の口からすらすらと出てくるとは思いも寄らなかった。日米関係についてもオバマ次期大統領についてもまったく考えてもいないし、勉強もしていない。これでは日米同盟ではなく、アメリカとの従属関係が一層強固になるだけではないかと心配でならない。ばりばりの弁護士上がりで、弁舌逞しく頭もきれるバラク氏を向うにまわして、日本の麻生首相の脳みそで本当に大丈夫なのだろうか?
アルゼンチンのサッカー代表チームの監督にディエゴ・マラドーナが決まったとのニュースには、驚いたというより呆れはてた。マラドーナのような何をやり出すか分らないハチャメチャな男が、こともあろうにサッカー世界最強国のひとつである、アルゼンチンの代表監督に選出されるとは考えもしなかった。サッカーでは天才的なプレイを披露してくれたが、社会人としては物議を醸すパフォーマンスに流石のアルゼンチンの人々もさじを投げた人間である。実際アルゼンチン国内のネットでは、70%以上の「マラドーナ監督反対」論があったという。それもそうだろう。それを敢えて押し切っても強引に監督に押し上げたのは、特別の意図があるとしか思えない。ヤクザまがいのコワモテ手法である。麻薬、銃乱射、アメリカ・ワールドカップ出場停止、病的に太った体躯、等々折につけ問題児として話題になった元名選手だが、あまりにも引退後のゴシップが多すぎた。
しかし、どうも理解できないのは、誰もが認める破滅型の人間をチーム、組織のリーダーとして認め推挙する希望、期待、思惑、空気はどこから出てくるのだろうか。これも農耕民族の発想では及びもつかないラテン系の感情だろうか。尤もこれでアルゼンチン・サッカーチームの黄金時代がずっと続くなら文句はないのだろうが、それでも監督として何かをやらかしかねない。リーダーとしては最も不似合いな怪しい男である。
542.2008年11月6日(木) 初のアフリカ系黒人大統領の誕生
オバマ旋風が吹き荒れている。まさに勝てば官軍である。アメリカ大統領として始めてのアフリカ系黒人である。オバマ氏に大きな欠点は見当たらないし、これまでの選挙運動におけるアグレッシブで誠意のあるパフォーマンスは好感を持って迎えられたと思う。テレビではケニヤに健在の父方の祖母が田舎の集落で生活しているサマまで見せて、苦労した親の世代を偲ばせている。
各国の首脳が早速オバマ氏へ祝電やら、お祝いのスピーチを贈っているが、ロシアのメドベージェフ大統領は嫌味の一発をかました。実にロシアらしい。アメリカのミサイル防衛施設(MD)の東欧配備への対抗手段として、ロシアの飛び地、カリーニングラードにミサイル基地を作ることを宣言した。どうも米ロはかつての二大強大国だっただけに、今もお互いにそりが合わないようだ。ロシアはアメリカのMD施設をかく乱するために、妨害電波装置もカリーニングラードへ配備することも言明した。
麻生首相は相変わらずぐずぐずして祝電を贈った素振りもない。まったく空気が読めないのではないかと思う。
午後突然ローマにいる赤松幹之さんから長距離電話があった。取り立てて緊急とか、大事な話ではなくご機嫌伺いの電話だった。以前にパキスタンの仕事をしていて機会があれば手伝って欲しいような話があったが、好意は謝してお断わりしていたところ、ムシャラク政権が崩壊してプロジェクトもダメになったという。それにしてもよく後から後から政府がらみの話をまとめるものだなぁと驚くばかりである。今はガーナと中央アフリカのプロジェクトに関与していると元気そうだった。今更身体を使って海外で動く気はさらさらないが、今年64歳になったという赤松氏は元気いっぱいである。積極的に関わることはできないが、彼が事業に成功するよう心より応援してあげたい。
さて、明日から韓国である。ぎりぎりまで追い詰められたが、何とか資料も作成したので、あまり硬くならずに聴衆に喜んでもらえるよう、アットホームな雰囲気の中で楽しんで話してきたい。
543.2008年11月7日(金) 講演のため束草(ソク・チョ)へ向かう。
早朝起床して妻に羽田まで送ってもらい、予定通りソウル金浦空港に着いた。3日間ずっとお世話になる桂明洙さんに出迎えられ簡単な打ち合わせの後、地下鉄で鐘路3路に出て、国一館の韓国料理店で昼食をご馳走になる。29年ぶりの韓国の変貌に感慨に耽っていると桂さんが「韓国では10年で大きく変わります。30年経つと別世界です」と言われたが、その通りで私が知らなかった地下鉄にも多くの点で驚かされた。
地下鉄は65歳以上の高齢者は無料だというのにまずびっくりした。実際駅員が申告者の顔を一目見ただけで疑うこともなく乗車券を発行してくれる。外国人である私にも躊躇なく切符をくれる。元鉄道員としては、車両の幅が広いのと、座席がすべてアルミ製なのが珍しかった。車内で行商人が商売をやるのにも少々驚いた。ソウル市内を縦横に走っている地下鉄ネットワークもすべて右側通行だが、1号線だけが左側通行というのには妙な感じがした。
昼食後に桂さんが気を利かせて世界遺産「宗廟」を案内してくれるという願ったり叶ったりの提案をしてくれた。今回は諦めていた世界遺産の見学であるが、桂さんの好意により拝観させていただくことになった。宗廟は市内の賑やかな一角に朝鮮風の庭園とともにある。朝鮮王朝歴代の国王と王妃の位牌を祀り、祭祀を執り行ったところで1495年に造営された。正殿に太祖をはじめとして49位を、近くの永寧殿には34位が祀ってある。朝鮮宮廷色の建物と庭園とのバランスが見事で、ちょうど紅葉の見ごろでもあり渾然一体となった造形美は、流石に世界遺産と云われるに相応しい。敷地面積があまり広くないのも私のようなショート・ビジターにとっては好都合である。これで世界遺産見学は143箇所目になる。
この後再び地下鉄に乗り市内数箇所にあるバスセンターの中で最大のバスセンターから15:30発の高速バスで束草(ソク・チョ)へ向かう。韓国の市街地と農村を車窓からじっくり見ることができて、中々楽しいバスの旅だった。景色は日本の地方風景に似てほとんど違和感はないが、高速道路はやたらにカーブが多かったり、中央センターライン寄りにブルーのバス車線専用レーンがあったり、車線変更にもウィンカーを出さなかったり、日が暮れてくると外灯があまりなく全体に暗い感じがあったり、これもお国柄だろう。270kmの道のりを約4時間かけて束草へ到着した。聞けば、束草市は江原道の中心都市であるが、元来国境線38度線より北に位置して、北朝鮮領土内だった。それが1952年朝鮮戦争休戦協定の際、西側の開城(ケソン)が南にあるのに北側へ編入されたのと同時に交換されたという話だった。今は一時盛んだった漁業も不漁で寂びれ、人口も8万人程度に減少してしまったという暗い話だった。
宿泊施設は「SORAK PINE RESORT」と云われて外観は立派だが、ソフト面と内部のハード面はイマイチであまり感心できるものではない。済州島の高校生が修学旅行で宿泊していた。近くの観光地「雪岳山」の観光基地として、市当局とともども新たな発展を計画しているように見受けられた。ここの宿泊部屋はすべてオンドル形式になっていて、桂さんと同じ部屋に宿泊することになった。夕食は近所の韓国料理店で食べることになったが、すべて豆腐料理店で焼肉店がない。レストランは豆腐料理で競っていることと、値段がソウルに比べて1割方高いと桂さんは言っていた。
夕食後明日の講演について、パワーポイントのスライドを見ながら桂さんと打ち合わせて、初めてオンドル部屋で休んだ。
544.2008年11月8日(土) 講演はまずうまく行った。ウッヒッヒ。
待望の講演当日である。どうなるか半信半疑なところもあるが、まあ準備はある程度やってきたのであまり心配することもない。
講演会という形ではなく、実際はシンポジウムである。それも「国際老人福利交流文化祭」(6日〜9日開催)の行事の一環として、アカデミックなシンポジウムが企画されたことのようだ。会場の「ドン・ウ大学」講堂へ向かうフリーのシャトルバスの中で隣席にいた大連外国語学院で日本語を教えている朴扮玉さんという女性から声をかけられ、このイベントに日本のグループが参加していないことが残念だと言われたが、実際私が唯一の日本人参加者で、全体を通してみても日本から参加者がいれば歓迎されるだろうと少し惜しい気もした。
韓国隠退者協会(KARP)会長でシンポジウム主催者である、朱明龍氏に会って挨拶したが、朱会長は在米30年で上手なアメリカ英語を話される。今日はシンポジウムのコーディネーターも務めて大童の活躍ぶりである。
シンポジウムは、「高齢者の生活と今後の生き方」というような統一テーマであった。日本、韓国、中国、アメリカからのパネリストが30分弱の時間内に自国の現状を説明し、その後4人のパネリストが通訳ともども登壇して会場からの質問に答えるスタイルで進められた。会場の参加者が約300人でその6割が中国人だったが、半分ほど進んだところで、朱会長から中国人が多いので、彼らに理解しやすいように韓国語を桂さんに通訳してもらい、次いで中国人の通訳を付けて話をして欲しいと注文があった。この期に及んでという気もしたが、一方でそれもそうだと思い了承した。
配慮により私を最後のパネリストにしてくれたので桂さんと効率的な通訳方法とその内容について簡単に作戦を練り直した。私がパワーポイントを操作し説明しながら、言葉を極力短くする。それを桂さんが簡潔に韓国語に直し、新たに付いた中国人通訳の女性がそれを中国語にして伝えた。結果的にはその後の質疑応答も含めて実に良いタイミングで的確に説明し、質問にも答えることができたと思う。終っての感触は成功だと確信した。顔を覚えられたせいか、参加者の接する対応が急に人懐っこく、好意的になった。写真を一緒に撮って欲しいとか、移動用のバス車内でも座席を譲ってくれたりした。桂さんともうまくいったとお互いに喜び合った。大連の先生も理解しやすかったと述べてくれた。ホテルへ戻ってきてからエレベーターの中でも中国人の女性からお褒めの言葉をもらった。まずまず八木会長の期待を裏切ることもなく役目を果たせてほっとした。
午後市立体育館で行われた民族舞踊の多彩なショーは中々見ごたえのあるものだった。各出し物が3時間に亘って次から次へと展開され、飽きることもなく珍しい民族舞踏を堪能させてもらった。内モンゴル自治区、吉林省、黒龍江省、北京、済州島他中国と韓国各地から多くの人たちがやって来てお国自慢を披露していたが、心から楽しめるものだった。
今日は一日楽しい日程の中で自分の責任を果たすことができて、それが何より嬉しい。それは、桂さんも同じことのようですっかりご機嫌を良くして楽しかったとお互いの健闘を讃え合った。会場が市街から離れていることもあり、市民とは親しく交流することはできなかったが、今日一日は爽やかな一日でもあった。今夜はぐっすり眠れそうだ。
545.2008年11月9日(日) 充実した韓国3日間の滞在
昨晩はぐっすり眠れて目覚めがよく起床した。今日の予定を急遽変更した。献身的にフォローしてくれた桂さんがもうひとつ私が希望していた、ソウル市内の世界遺産「昌徳宮」を案内してくれることになっていたが、そのためには束草を6:30発のバスでソウルへ向かわなければ難しいのでそれを止めることにした。昨日の成功で気分を良くして桂さんと、ゆっくり金浦出発までの少ない時間を有効に楽しむことにした。
それにしても韓国政府は韓国内の500万人の高齢者に対して金銭的な支援を行い、地下鉄のフリー乗車に限らず、老人関係の社団法人への助成により高齢者の活動にその成果が表れていることが印象に残った。韓国国内に「大韓老人会」という社団法人組織が各市町村に設置され、政府がそれぞれ補助金を出している。それによって活動の幅を広げることができている。ただ、年金とか、定年後の再雇用には課題が沢山残されているようでもある。
バスセンター9時発でソウルへ向かった。所要時間は4時間である。高速道路へ入ってからKARPの朱会長から桂さんの携帯へ電話が入り、昨日のシンポジウムで私たちの話がずば抜けて良かったと誉めてくれ、パワーポイントをコピーにして欲しいと要望された。ここで二人、75歳の桂さんと古希を迎えたばかりの私が子どものようにまた喜び合った。講演がうまく行ったことを主催者がはっきり認めてくれたわけである。実に愉快な気分である。ソウルには途中一回15分の休憩を入れてほぼ1時に到着した。その足で高麗人参を物色に「ソウル薬令市」へ出かけたが、周囲一帯が漢方薬の匂いに満ち溢れている。軒並み薬がらみの店舗が軒を並べていて、やはり歴史と伝統という、古来の環境整備はすごいなあと感じた。
4時に今回講師を務めるきっかけを作ってくれた八木哲郎・知研会長の幼少時代のご友人、李愚伯さんに指定の韓国料理店で初めてお会いしてご馳走していただいた。今も元気にして忙しく会社の経営に当っておられ地域でも活動しておられる。一連の内容と結果について桂さんと一緒に報告したところ、喜んでいただき労苦を労っていただいた。桂さんとは良い関係で仕事をうまくマネージすることができたし、2泊3日の旅は充実して実りが多く、楽しいものだった。桂さんには本当にお世話になった。これからも人生の先輩である桂さんとはいつまでも切磋琢磨して自分を磨くための師匠としてお付き合い願いたいと思っている。
帰りの日航機内でも気分よく休むことができた。
546.2008年11月10日(月) 定額給付金は一体どうなるのか?
今朝一番に電話で八木哲郎・知研会長に韓国でのシンポジウムの様子について報告した。うまくできたとの報告にほっとしたと仰っていた。やはり事前にシンポジウムの様子を充分に把握できなかったので、どんな結果になるかと心配されていたようだ。まあ期待を裏切らない結果だと思うので、私としても一安心だった。
いくつか頼まれていた原稿が溜ってしまったので、今日から執筆に気合を入れている。「慶38」第3号の編集、発行をすべてひとりでやってくれている杉田士郎くんから不意に電話があった。9月中に原稿を送るはずだったのだが、つい遅れたままに韓国の資料作成に注力してしまった。約束を大きく遅らせてしまったが、あまり遅れたことがないのに連絡もしなかったので杉田くんとしては、もしやと思ったらしい。元気だと思っていたら亡くなっていたという例が結構多いので、私もその一人かとも考えられたらしい。原稿の遅れが余計な心配をかけることになって申し訳ないと思っている。
さて、帰ってみると政府が考えている陳腐な経済対策の一環である定額給付金の支給方法がまだ決まっていない。所得制限を設けるか設けないかというバリアが浮上している。麻生首相と与謝野財政相の考えが一致しない。自民党内でも言いたい放題の発言をする議員もいて一向に決まる様子がない。所得を把握するのは、大変で自治体にとってはその作業に費やす労力は身に余るというのが自治体の考えだ。それに押されて、毎度のことながら腰の定まらない麻生首相の考えがくるくる変わっている。自分自身の確たる信念の下に出した提案ではなく、選挙対策用にお手軽に周囲が考え出した案であることが明白である。まるで朝礼暮改で、首相は一体どうケリをつけるのかが分らない。好い加減にしろと言いたい。
9日にイスラエルの聖墳墓教会内でアルメニア正教とギリシャ正教の聖職者同士の殴りあいの様子をテレビは生々しく伝えていた。あの黒い聖衣を身にまとった聖職者と青い聖衣の聖職者が殴りあうとは呆れ果てて言葉もない。もともとこの聖墳墓教会はイエス・キリストの遺体が埋葬されているということから、キリスト教各宗派がその所有権を主張して、問題になっているところである。それにしてもその地下で眠るキリスト様もえらく落胆していることだろう。
547.2008年11月11日(火) 田母神・前航空幕僚長の歪んだ考え
先日来政府見解と異なる論文によって物議を醸し、その職を解かれた防衛省前航空幕僚長・田母神俊雄氏の参考人招致が参議院外交防衛委員会で行われた。久しぶりに出席した駒沢大学公開講座でも講師は田母神氏に対して批判的だった。この田母神氏は偏った持論に凝り固まり過ぎており、その持論をどうあっても取り消そうとの気持ちはないようだ。それが間違いであっても自分は正しいと信じていると述べる点を考えれば、元々こういう人を責任あるポストに就けたこと自体がエラーであったと看做されても止むを得ないのではないか。また、自衛隊幹部の中には田母神氏擁護論もかなりあるという。これもまた問題である。中には「歴史論争の一方の側の主張なのに、それをけしからんという方がおかしい。思想統制につながる」との声もあるやに聞く。個人の思想や主義より、国家の文民統制の方がより大事だということが軍人としてよく分っていない。結局は幹部教育が作戦とか、戦術などの事例研究がほとんどで史実を学ぶことが不十分であることを露呈した。
しかし、それにしても田母神氏の歴史観はおかしい。間違っている。「日本が相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない」等の主張に対しては、現代史家の秦郁彦氏がこう切り替えしている。「思い違いだ。『満州事変はどうだったのか』と反論するだけで崩れてしまう論理だ」。更に「満州事変は日本の関東軍の謀略で鉄道を爆破し一方的に始めた戦争だ。謀議者から実行部隊の兵士まで、すでに関係者の多くの証言がある。当時の軍首脳も政府も追認し、予算も支出している。日中戦争も大東亜戦争も相手国の了承なしに始めた戦争だ」と強く田母神論を非難している。この一点だけ見ても田母神氏の考えがおかしいことは分る。
他の自衛隊幹部にもこのような考えに共鳴する者がいるとするなら、また似たような問題が起こる可能性は否定できない。このところ不祥事続きの自衛隊であるが、ここは世間から隔離された自衛隊だからこそ、腰を据えて国民と同じ教育を受けられるような手立てを考える必要があるのではないかと思う。
548.2008年11月12日(水) 物事を決められない首相と軽佻浮薄な知事
漸く「定額給付金」の形がちょっとばかり見えてきた。しかし、相変わらず細かい点は先送りにし、国の政策であるにも拘らず事務手続きを地方自治体に丸投げし、地方に負担をかけることになる。決まったのは支給金額だけで、細かい点、特に高額所得者の所得制限枠を決めるのは地方に委ねるという。まだ法律すら通っていないが、こんな法案は見たことがない。トップの麻生首相に確たる哲学や信念がないから、法律ひとつを作り実行するにしてもふらふらしている。まだ「定額給付金」を支給すると発言しただけに過ぎない。安倍元首相に勝るとも劣らないお粗末ぶりである。
またひとり馬鹿な知事が現れた。兵庫県の井戸敏三知事である。何が井戸知事を馬鹿と言わせるか。近畿ブロック知事会議で「関東大震災なんかが起これば(首都圏は)相当ダメージを受ける。これはチャンス。首都機能を関西が引き受けられる準備をしておかないといけない」と駄弁を口にした。こういう他人の不幸を喜ぶような無神経な人間は人の上に立つ資格がない。ましてや兵庫県は阪神・淡路大震災で大打撃を受け、全国から支援の手が伸べられた経験があるはずである。やはり言うことが元役人である。人の弱みが分らない。石原都知事がいみじくも言っていた「役人の浅知恵だな」と。井戸知事は自らの暴言に対して、反省はするが謝罪はしない。見上げた図々しさである。他県の知事からも批判的な意見が寄せられている。こういう人を知事に選ぶことは、何と言おうと兵庫県の民度の低レベルを表していることになるのではないか。
この井戸知事にしろ、田母神前航空幕僚長にしろ、いずれも傍から注意され、批判されても一向に気にしない。強情というより唯我独尊である。こういう個性的で自己主張の強い人間が、人を指導するようになると余程注意を払って監視していないといけない。この馬鹿な知事にも監視人がいたのかどうか。
549.2008年11月13日(木) 魅力的な中村桂子講師
井戸敏三・兵庫県知事が関東大震災云々発言を撤回し言い訳を付して謝罪した。一方、持論に頑なに拘って主張を変えようとしないのは、自衛隊を定年退職した田母神俊雄・前航空幕僚長である。井戸知事は軽率で役人馬鹿であるから形成不利となれば、態度を変えるが、田母神氏はすでに退職し論文も自分の信念だから曲げようとしないだろう。
さて、二週間ぶりに多摩大学講座に出席した。今日の講師は今までの講師陣とは幾分タイプが異なるJT生命誌研究館館長の中村桂子氏である。分子生物学者というタイトルをお持ちで、早大教授も歴任された方である。登壇された時と講演中の様子を見ているととても72歳には見えない。精々50歳前後にしか見えない。お名前は承知していたが、「生命誌」って一体何だろう。お仕事は何を研究しておられるのかよく分らなかったし、今でも本当のところはよく分らない。話を聞いていると人間の生命と自然界、科学との関わりと環境問題を研究している研究機関のようである。
信念のように抱いているモットーは「人間は生き物であり自然の一部である」であると仰った。講義の核心は、人間が生きることに改めて目を向け、考え直そうと提言しているとみた。そのためには自然と人間との共生、そして人工的なものとの融合、混在に目を向けようと訴えておられた。
パワーポイントで映写された図が簡潔に整理されていて分りやすかった。生命誌の「誌」は、「史」であることにも気づかされた。一枚の図の中に沢山の動物が描かれていたが、大小あり、昆虫が一番大きく、象が一番小さいのは生存数だという。地球上にはそれだけ虫類が多いということだ。
中村講師は持論も披瀝された。先進国について、その定義は@一極集中していない、A食糧自給率が少なくとも80%以上である、そうである。これでは日本は完全に失格である。講師は自然の破壊を強く警戒しておられる。虫一匹が他の動物とも関係がある。ともに共生していかなければならないと仰った。日本の地勢や季節感の素晴らしさは、「源氏物語」「堤中納言物語」によく表現されていると言って話を結ばれた。
コワモテのままマイペースでしゃべる講義ではなく、時折ジョークも交えながら終始魅力的な語り口で飽きさせなかった。中々面白い発想の話で話しぶりもチャーミングな講師だった。
550.2008年11月14日(金) 迷走する定額給付金の取り扱い
一応政府は全国民に対して定額給付金を支払うことに決めた。これで2兆円という大金を支出するのだ。2兆円という金額は生活保護者への補助金予算と同額だという。にもかかわらず、この大金支出を担保する法案が、細かいところまできちんと決められていない。手取り収入が1,800万円を超える人は辞退して欲しいというのが政府の希望である。実に好い加減なのである。法律であるにも拘らず、きちんとルールを決めずに現場に丸投げして曖昧さを残したままだ。そもそもこれが混乱の素である。取扱方を各市町村に任せたために、そうでなくてもこれから多忙な年末に向かう矢先に多くの事務作業を負わされた地方自治体の反発は烈しい。
言い出しっぺの麻生首相は、緊急金融サミットに出席するため訪米してしまった。20カ国首脳が出席するサミットで、日本はIMFに資金を投入する。お金だけでインパクトを与えるような主張は期待されていないらしい。毎度のことに好い加減うんざりする。20カ国の首脳なら、世界のリーダーではないか。少しは自国の意見を主張したらどうか。尤も、麻生首相には日本語も満足に読めないらしいから期待することが無理かも知れない。「踏襲」を「ふしゅう」と読んだり、「未曾有」を「みぞうゆう」とか、「頻繁」を「はんざつ」と読み違えたり、まともな高校生なら苦もなく読める漢字を満足に読めない。これが経済大国日本の総理大臣の国語力なのである。国語力も充分ではない首相が、国際舞台の場でどれだけ自分の考えていることを相手に伝えることができるか。
また、役人天国を象徴する嫌なニュースが公にされた。団塊の世代が定年退職期を迎え、退職金を支払いきれなくなった自治体が、地方債を発行してその原資を賄おうとしている。つまり、将来の世代にこれから辞める公務員の退職金を負担してもらおうというわけである。全国47都道府県のうち、起債しないのは東京都、島根県、鳥取県の3自治体だけである。専門家も予測されていた事態に何の対策も対応も取らなかった自治体にきついお灸をすえている。今年だけなら、まだ何とかなるかも知れないが、将来もこんな杜撰な長期計画を練っているとしたら、毎年赤字が累積していくばかりだ。せこい役人根性はどこへ行っても、いつまで経っても直らないのだろうか。
551.2008年11月15日(土) 山崎さん、セルビアから一時帰国
見知らぬ方から書状を受け取った。国分寺市にお住まいの音楽プロデューサー・野口真一郎さんと仰る方で、電話をかけて尋ねてみたところ、19日に国分寺市立いずみホールで国分寺に所縁の深い作曲家・信時潔氏の曲に因んだ音楽会を開催するが、その後のトークショー(というべきかどうか)に何と友人の山崎洋さんが映画監督・篠田正浩氏と対談するという。山崎さんから私に連絡をするようにと言付かったという話だった。その山崎さんは今日成田へ着いたということである。
実はそろそろ「慶38」第3号の原稿締め切りになることもあって、編集作業を一手に引き受けている杉田士郎さんに昨日やっと拙稿を送ったところだった。山崎さんには9月末までと期限付きで原稿を依頼したのだが、まだ届いていない。多分忙しくて書く余裕がないのではないかと杉田さんと話し合ったばかりだった。偶然というか、不思議なタイミングである。19日には国分寺へ駆けつけいろいろ話をしてみたいが、序に原稿の方はどうだろうかこれも尋ねてみようと思う。
それにしても、篠田氏には6月に明治大学で開かれたセミナーで、山崎さんに関してこっそり質問をしたことがあった。不思議なご縁だと思っている。
ゼミの仲間に連絡して、できればひとりでも多く参加してくれればよい。
ところで信時潔が「海ゆかば」の作曲者だったとは知らなかった。思想に関係なく、この歌は国内のみならず、海外で戦没者追悼慰霊祭の都度必ず聞かされていた。随分悲しい曲である。
552.2008年11月16日(日) 地域おこしのひとつの見本
今朝日経新聞のコラム「春秋」を読んでいてあれっと思った。千葉県大網白里町の野老(ところ)真理子さんについて書かれていたからだった。昨年お会いして別荘にも泊めていただいた。「春秋」にはこう書いてある。
「千葉県の中規模な町にある地元不動産会社。平日午後、社員は事務や接客に余念がない。雰囲気が一変するのは夕刻だ。『ただいまー』。学校帰りの子供たちの声が響く。宿題の合間にお茶を出し、不要の紙を切りメモ用紙を作るなど大人の手伝いをこなす。野老真理子社長が社屋での学童保育を始めたのは、自身や社員の必要からだ。親が不在なら他の社員が目を配る。後に近所の子も預かり始め、夏休みには大人数での料理教室や野外活動も開催。保育以外の市民活動にも会社として協力するようになり、今は地域とのつながりが本業にもプラスになっているという。・・・・・」
地域おこしに力を注いでいる野老さんらしいやり方だ。知り合いの土屋雄二郎さんから頼まれて、昨年5月に野老さんの会社で講演したことがある。その時の印象では、ここまでは分らなかったが、普通の会社とは少々違う、地域のコミュニティのコアのような存在になっていると感じた。野老さんも土屋さんを炊きつけて、地域おこしに巻き込んだようで、今や町全体に輪が広がっているようだった。他にも野老さんの考えに共鳴して町おこしに協力する人が増えてきた。その地道な活動を営々とやってきた。毎月行っている講演会も着実に実績を重ねてもう30回近くになっている筈である。
野老さんの素晴らしい点は仕事をきちんとこなしたうえで、会社内の施設、設備を一般の人のために活用していることである。会社の業務を終えるとテーブルを移動して、スペースを作りその場を公的なイベントに使う。私の講演の場もそこだった。しかし、講演会場として一風変わっているように思えるが、雰囲気がアット・ホームで周囲がガラス製のため明るい。洒落た公民館という感じである。
こういう試みはよほど中心人物がしっかりした考えを持っていないとできないと思う。また長続きもしない。その点で野老さんの存在感は今後も益々高まるだろうし、これからの活躍も大いに期待されていることと思う。
553.2008年11月17日(月) 国際社会における日本の存在感
世界の舞台へ出ると、どうしてこうも日本のトップの存在感は薄くなるのだろうか。昨日閉幕したG20サミットについても「歴史的な会合だったと後世言われる」と大見得を切り、@金融危機をかつて乗り越えた経験を述べ、A不良債権の迅速な処理の重要性を指摘し、BIMFへ最大1,000億$(約10兆円)を融資することを訴え、「ドル機軸の通貨体制を支える努力を払うべき」と主張した、首相自身の一連の言動を自画自賛した。
しかし、残念ながら麻生首相のパフォーマンスは、必ずしもそれほど高い評価を得られたわけではなかった。相も変わらずである。フランスのサルコジ大統領がドルの機軸通貨の時代は終ったとまで述べて欧州圏の立場を浮きぼらせたり、ブラウン英首相がアジア、アフリカの首脳に電話をかけまくって自分の考えで説得していたのに比べて、麻生首相は対米追従スタンスを変えることなく、「機軸通貨国には赤字の体質を改めてもらう。必要以上に外需に依存している国には内需拡大に努めてもらう」と役人が書いたペーパーを読んだだけだった。閉会後の集合写真では、目立ちたがりやのシン・インド首相やサウジ・アラビア首脳らに圧倒され、後列の端の方にやっと顔を出す有様である。確かに外国から評価された事案はある。しかし、アメリカが地盤沈下してアメリカべったりの日本が浮き上がって目立っただけだ。はっきり言って目だったのはIMFへの資金融資だけだった。
結局全体会議としては大山鳴動して3匹のネズミが現れた。各国が自国の経済の動きを監視すること、IMFを強化すること、そして各国が景気対策を行うことが3匹のネズミである。
麻生首相の自慢は「私がいろいろ指摘したものは共有された」だった。漢字もまともに読めないオッサンが何を言うか。
今日早稲田出版の大塚編集長から、「停年オヤジの海外武者修行」が印刷会社から手元に入ったと連絡があった。そこそこ問い合わせがあるというから、これから販促をうまくやりたいと思う。懸案となっていた拙著の出版記念会について、先日来ホテルから情報を収集していたが、2月でないと場所が抑えられない。やるなら何とか2月に行おうと思う。前回の例を参考に、平日の比較的早い時間に開催した方が参加予定者には都合がよいのではないかと思っている。これから段取りを考えなければいけない。
554.2008年11月18日(火) 殺伐とした最近の世相
駒沢大学で受講している3科目がすべて、マス・メディア論なのでどうしても毎日報道されるニュース性を追ったテーマと内容になる。今日の2科目でも、悪評サクサクの定額給付金が話題になった。
小泉前首相がかつて国会で「米百俵」を紹介して話題になった。米百俵とは、戊辰の役で窮乏の極みにあった長岡藩を見かねて、三根藩より届けられた百俵の支援米を、時の大参事・小林虎三郎は「当座をしのぐために配給しても数日ももたぬ」として、国漢学校設立資金等として人材育成に充てた。後に国漢学校からは多くの人材が輩出し、将来を見据えた大参事の英断として高く評価されたストーリーである。定額給付金はこの百俵の米がばらまかれてしまうのではないか、もう少し国民にとって有意義な使い道がないのかとの不安が野火の如く広がっている。このままだと、今後わが国から俊英が輩出されないとも受け取られかねない。
ところでこの米百俵にあやかった日本酒「米百俵」を飲む機会があった。今月の酒のペンクラブ例会で喉を潤した。新潟産の銘酒だが、佐賀の日本酒「東長」、熊本の米焼酎「水鏡無私」、鹿児島の芋焼酎「なかまた」と同様、都内北区の水塚高野というお酒店さんが蔵元の酒ということで商いを続けているものである。蔵元は、明治37年創立の長岡市の栃倉酒造鰍ナ、現当主は3代目だという。あまり酒の味が分らないので、コメントをうまく言えないが、吟醸酒「米百俵」は飲んでも米はばらまくなと言いたい。
いずれにせよ、近年定額給付金ほど前評判の悪いものはない。しかもまだ細かい取り決めがなされていない。どうしようもない。
嫌な事件が続く。酔っ払い運転の末に人を轢いて、そのまま引きずって被害者が亡くなるという残酷な事件が連続して起きている。更に、今朝さいたま市内の住宅では、元厚生省事務次官夫妻が玄関で殺害されているのが発見された。夕方になって、中野区の元厚生省事務次官宅でも夫人が玄関で宅急便を襲おう男に刺され怪我をした。ふたりの元厚生事務次官は、年齢は離れているが、経歴がほとんど同じで、しかも年金局長を経験している。警視庁では断定していないが、まず二つの事件に相関性がありそうだ。どういう理由でこうなったかはまだ不明だが、このところ年金関係で厚労省、社会保険庁の杜撰な業務が糾弾されていただけに、年金に関する不満が犯人をしてこのようなテロ的凶行に走らせた可能性はある。それにしても、最近殺伐とした薄ら寒い事件が多すぎる。嫌な世の中になったものである。
555.2008年11月20日(水) 山崎さんと篠田監督、そして「海ゆかば」
ベオグラード在住の山崎洋さんが映画監督の篠田正浩氏と「ゾルゲ事件をめぐって」のテーマで対談する企画が織り込まれた、「第2回武蔵天平の郷・信時潔コンサート’08」に出かけた。会場は西国分寺駅前の立地のよい「国分寺市立いずみホール」である。
ホールは市立で場所も便利だし、中々立派なものだ。セルビアから来日のチェリスト夫妻を交えたヴァイオリン、チェロ、ピアノの三重奏による国分寺所縁の信時潔の作品と、バッハ、ヘンデル、チャイコフスキーの作品を演奏してくれた。信時の「電車ごっこ」「海ゆかば」以外は知らない曲ばかりだったが、「海ゆかば」はチェロの重苦しい音色が胸にずっしりと沁み込み、感動した。仕事で戦没者の慰霊や遺骨収集事業に長らく関わっていたせいもあり、度々聞かされた「海ゆかば」はやはり他の曲とは違う感情で受け止めてしまう。
山崎さんと篠田氏の対談で、新しい知識を得た。ひとつは、「海ゆかば」の作詩者はこれまで大伴家持と聞かされていたが、篠田氏の語るところによれば、聖武天皇が作った歌を大伴家持へ下賜したものだということ。もうひとつは、日本の天皇家は元来仏教徒であり、神道というのは明治維新後のことだということである。篠田監督は、その根拠のひとつとして、東大寺は752年孝謙天皇によって建立された。また、京都三十三問堂は1164年後白河法皇によって建立された。いずれの天皇、法皇も仏教徒である。「スパイ・ゾルゲ」では篠田氏は監督でありながらチョイ役で出演もしている。山崎さんの祖父役である。そんな話を二人はゾルゲ事件を絡ませながら丁々発止と語り合った。篠田氏の話した言葉の中で、時代が尾崎秀実と山崎さんの父・ブランコ・ブケリッチのようなプロのスパイではない人たちを、スパイ事件へ巻き込んでしまった。しかし、尾崎にしても、ブケリッチにしても優秀な取材がプロのスパイである、ゾルゲやクラウゼンにヒントを与えたと仰った。これほどの情報収集力を示したふたりは、スパイとしてではなくジャーナリストとして優秀だったと締めくくられた。
1931年生まれの篠田氏は、苦労を知っているだけに、重い言葉を述べられた。広島、長崎の原爆投下の責任者である米軍空軍司令官に対して日本政府が最高の栄誉である勲章を贈ったのは完全に間違いであり、返してほしいと厳しい口調で述べた。最近の田母神発言に対しても極めて厳しく糾弾していた。
終了後山崎さんには知り合いが多く寄っていたので、挨拶と近著をあげて、ゼミの後輩・堀勇弘くんと都立大駅前で遅い夕食をした。堀くんのご家族の系譜も日中戦争史とかなり強いつながりがあると感じた。新しい一面を後輩の話の中で知った。
556.2008年11月20日(木) さすが反骨の評論家・佐高信氏
多摩大学公開講座の今日の講師は佐高信氏だった。この人の話はいつも辛口で論点の核心を突くので実に面白い。テレビとは違い、学生が多いというのも佐高氏にとっては若干やりにくいのかも知れない。多少学生を意識したような発言をされていた。対極にある立場から見れば、実に手ごわい論客であるし、理論的にも鋭い論法で攻めるので、必ずしもマス・メディアからは歓迎されないようだ。今日聞いた話から言えば、私には佐高氏の話はすべて正論であるし、納得のいくものだった。
冒頭事前に配られた故筑紫哲也氏を悼む記事に触れ、筑紫氏の思い出を語られた。
本論では、まず日本の権力構造から話された。今何がタブーなのかと。結局、わが国は官僚国家であり、会社国家である。どうしてこうなったのか? 国民は政治家が何もしないことを知っているからである。
佐高氏の舌鋒は、小泉改革に向けられた。小泉純一郎・元首相は、民主党の小沢一郎代表、浜四津敏子・公明党副代表と並んで慶応義塾大学の同級生である。小泉改革は真の改革ではない。郵政改革はやったが、財務省を批判するようなことは何もやっていない。中川昭一・財政金融担当大臣という職責を見れば、今や財政と金融の分離も崩れてしまった。過去大蔵、財務に逆らった首相はいない。大蔵、財務を改革しなければ本当の改革ではない。
もう一方で国の立場を代表する外(害)務省は、アメリカと中国を同じように扱わないから北朝鮮に強い影響力のある中国と親しくできず、結果的に拉致問題は解決しない。小泉首相以来、すべての首相がアメリカ一辺倒だった。
会社国家というのは、国民が個人的に力をつけるより、会社経営者をやりやすくするよう力点をおいている。前者の側には城山三郎、内橋克人、佐高信氏らが立ち、後者には長谷川慶太郎、堺屋太一、竹中平蔵らで、派遣労働者を労働現場に定着させた。会社はCMで圧力をかけて新聞に不利、或いは批判的な記事を書かせない。記事の差し止めまで行う。佐高氏はCMのない新聞、当然書くべきことは書く新聞として「週刊金曜日」の社長を務めている。
勲章の馬鹿馬鹿しさについても触れた。史上最低の首相・宇野宗佑氏が勲一等で、世界的な写真家・土門拳が勲四等というのは、解せない。城山三郎氏の葬儀で弔辞を述べた時隣席に中曽根元首相、小泉元首相がいた。受勲を拒否した城山氏を褒め称えた時、大勲位の中曽根氏は微動だにしなかったという。どこか昨日の篠田正浩氏の米軍司令官へ叙勲された話と通じる話だ。
いずれにしても中々山葵の利いた話ばかりで、1時間半の間飽きさせることなく終始した。実に反体制的で味のある講義内容だった。
終ってから聖蹟桜ヶ丘駅近くの居酒屋で、知研八木会長、久恒理事長、秋田事務局長、高橋茂人さんと食事を伴にして会長からご馳走になった。
帰路渋谷駅で、先日修復を終え通路壁に掲げられるようになった、岡本太郎の大作「明日の神話」を初めて目にした。通行人の中にはかなりの人が立ち止まっては見ている。大きな絵画だけに、流石に迫力がある。このような名画を見ようと思えば、いつでも見られるのは有難いことだ。
557.2008年11月21日(金) 多面的な話に満足!
不景気の波は日本の大手企業にも厳しく押し寄せている。金融不安の源流、アメリカではアメリカを代表する自動車産業のビッグ3が政府に公的支援を陳情する異常事態である。日本企業もご他聞に洩れず、中間決算で軒並み下方修正を公表する状態である。これを受けてニューヨーク・ダウ平均はこのところ大きく値を下げている。日経平均も昨日再び8,000円を割ってしまった。
今夕六本木のアークヒルズ・クラブで恒例の湘南東京有志会(湘南高校OB会東京支部?)が開かれ、スピーカーのひとり、森稔・森ビル社長が景気に関する話をされた。上海に建設した国際金融センタービルの入居者が予定より少なかったことが、身に沁みているからだろう。東京の都市計画プロジェクトで計画中のマッカーサー道路を造成する際に、道路の上にビルを建て、その上を緑で覆うというアイディアを話された。国家的なプロジェクトだが、民間でもできることを試してみたい。同時に、国がやることを民間ができるということは上海のビルで実現できたとも話された。
作曲家の湯山昭さんとは初めてお話した。76歳なのに黒々とした髪で若々しく、締めに校歌合唱の指揮をされた。北原白秋作詩、山田耕筰作曲の素晴らしい校歌であるが、昔から歌詞が堅すぎ、大時代的で良い詩ではあるが、表現上いかがかと思うことはしょっちゅうである。特に3番の「〜剛健、ここに勢ふ我等、膽大に、意図は壮なり。立身報告期せよ友よ〜」の箇所が在校時からどうも素直に馴染めなかった。この点について湯山さんに話すと、古い歌詞は現代風に変えることがあると仰った。しかし、森進一の「おふくろさん」歌詞変更問題、それ以上に何と言っても天下の北原白秋の詩に手をつけることはあまりにも恐れ多いということだろう。後輩たちは綿々と歌い続けている。
川井校長が湘南再建のためにご苦労されていることは分る。慶応アルペンクラブの後輩、淀くんの山形・興譲館高校山岳部の後輩であることも奇遇である。ひところの勢いがなくなった湘南再建のために、大分頑張っておられる様子が話の中に窺える。やっと高校日本一が出たと嬉しそうに報告していた。慶応高、法政二高、湘南高の生徒3人でチームを組んだ神奈川県国体代表少年フェンシング・チームの一員として今年の国体に優勝したそうである。少しずつでもよいから、ひとつ起爆剤としてどんな形であれ、実績を残すことである。
竹内謙・前鎌倉市長も今経営しているインターネット新聞の経験上から、アメリカ大統領選挙に触れ、新聞販売が伸びず、テレビは大丈夫と思っていたが、今の様子だといずれそれもインターネットに追い込まれていくと彼は言っていた。
今年は30名少々の出席者で、やや寂しい感じもしたが、皆さんからユニークな話を聞いて気分はワクワクだった。
558.2008年11月22日(土) 霞ヶ浦の環境施設を見学
1980年にヨーロッパへ教員海外派遣団としてご一緒した茨城県の先生方の同窓会「チボリ会」が、28回目を迎えて土浦市内で開催されたので車で出かけた。海野千秀先生を団長とする18名という割合小さな団体だったがまとまりがよく、今日も10名が参加した。いつまでも交流を続けられるのは、その中心に包容力のある海野先生がでんと座っていて、求心力があるからだ。現在も茨城県退職校長会会長として県教育界に多大な影響力を与えておられる。
この派遣団は先生方にとっては南仏マルセイユが初めての学校訪問で、目新しいことばかりで興味津々だったと思うが、個人的にはマルセイユに滞在中ビートルズのジョン・レノンが殺されたニュースが強く印象に残っている。18名の内、すでに二人の先生が鬼籍に入られた。当時参加した担当の文部省佐野紀係長も度々チボリ会員として団の会合に参加してくれるが、今回も参加された。宴会も盛り上がった。先生方のカラオケの歌いっぷりには脱帽である。
宴会前に「茨城県霞ヶ浦環境科学センター」を見学した。霞ヶ浦の歴史、考古学、産業史、地形的変化等を視覚と触角で教えてくれる。戦前の予科練とか、風物詩だったわかさぎ漁の帆掛け舟などに比べて、霞ヶ浦自体が今脚光を浴びることはめっきり少なくなった。しかし、これだけの施設を茨城県は運営している。かなり経費もかかるだろう。1995年に皇太子ご夫妻ご臨席の下に土浦市で「第6回世界湖沼会議」が開催され、その折り設置が提唱され2005年に開設された贅沢な施設である。教育施設と言えるものだけに、箱物と簡単に考えるわけにはいかない。近年地方自治体は財政的に厳しい時代に入っているので、県民にも相当広報活動と啓蒙をしなければ理解が得られないのではないか。ほとんどの展示物が地道なものだけに、霞ヶ浦の環境問題に関心がなければ、大人の足を呼び込めるほどのものでもない。学校教育の一環として野外教育は役立つものであるが、教え方に工夫が凝らされないと成果を上げるのは難しいと思う。
展示物の中で、新しい知識も得られた。日経新聞夕刊に「おたふく」という山本一力の小説が連載されているが、その中に気仙沼から江戸へ「ふかひれ」を輸送する話がある。そのルートは単純に太平洋沿岸から房総半島を回って、東京湾から江戸へ輸送されたものとばかり思っていたが、実際には輸送ルートは、利根川から霞ヶ浦を経て、千葉県関宿を経て江戸川を通って江戸へ辿ったらしい。「おたふく」ではどのルートを辿ったとも書かれていないので、定かには分らないが、こういう海運ルートの存在さえ知らなかった。しかも霞ヶ浦には他にももうひとつ東北地方から江戸へ貨物輸送するルートがあったという。
実際に学校から見学にどれだけの子どもたちがやって来るだろうか。環境問題や霞ヶ浦の生い立ちを調べるためには、間違いなく良い施設である。だが、交通の利便性が伴わないだけに、大勢の利用者という観点から、今ひとつ訴求力を欠いているように思える。少々もったいない施設であると感じたが、土地の人々はどう思っているだろうか。
559.2008年11月23日(日) 凶悪事件急転解決か?
4日前にさいたま市と東京・中野で元厚生事務次官宅を襲い、元次官夫妻を殺害し、もうひとりの元次官夫人を刃物で負傷させ厚労省官僚の心胆を寒からしめた犯人らしき男が、昨晩凶器を持ったまま警視庁に出頭した。本人かどうかはまだ確定したわけではないが、取りあえず厚労省関係者はほっとしたことだろう。所轄署へ行かず最初から警視庁に出頭したのもちょっと普通ではないが、男は辻褄のあう証言をしているので、追々真相は明らかになるだろう。犯人の人物像は、事件の発生と経過を見てみると保険関係の恨みから年金関係者を襲ったと見られていた。従って相当陰湿で年金自体に関する不満を論理的にぶつけるだろうと考えていたが、男の印象はインテリというより、ヤクザっぽい感じでこの事件が年金問題の不条理へ発展するような様子ではない。
それにしても、先日20数年ぶりに自宅へ帰った次男がその晩親を殺害した事件があったが、出頭したこの男も高校卒業後国立大学理工学部へ進みながら中退して、家族とは20年以上も音信不通の状態になっていたようだ。最近起きた発作的な凶行は、すべて犯人が長期間家族と連絡を絶っているケースである。やはり仕事がなくて精神的に不安定なうえに、家族との交流がないことが気持ちをすさませるように思える。いずれ専門家が分析して原因を究明してくれることだろうが、それにしても物騒で、嫌な世の中になった。
今日23日は昔からラグビー伝統の早慶戦の日である。最近は秩父宮ラグビー場へも観戦に行かなくなってしまった。今日も土浦から帰ってきたが、敢えて見に行くほどの気も起こらない。近年の早稲田は他大学に抜きん出て力を発揮して、大学選手権でも度々優勝している。慶応は対抗戦7年連続で負けている。しかし、今年は早稲田が帝京大に敗れたが、慶応はその帝京大と引き分けており、早慶の力は拮抗している。先取点を取った慶応は、前半は11対10のリードで折り返したが、後半に4つもトライを奪われ結局34−17で逆転負けを喫してしまった。早慶戦はこれで8連敗である。どうもすっきりしない。
560.2008年11月24日(月) 麻生首相で日本は大丈夫か?
現在リマ(ペルー)で開催中のアジア太平洋経済協力会議(APEC)に出席した麻生首相が、閉会に際して内外記者会見に臨んだ。しかし、まったく中身のない質疑には、がっかりした。一国の代表である総理大臣がこんなやりとりをやっているようではダメだと思った。当初ステートメントの形で会議の講評と成果を述べたが、所詮これはお付きの役人、秘書が作成した草稿だろう。問題は時間の関係で一人だけとの制約の中で、その一人の外人記者から受けた質問の一部始終である。記者の質問は、日本は北朝鮮の核問題にどう対処するのかと言うものだった。これに対して麻生首相の応答は、長くまわりくどい前置き説明をした後、北朝鮮の約束は口約束では信用できず、これからは文書による約束を取り付けたいというものだった。日本はアメリカとも打ち合わせながら、また六カ国協議の枠の中で解決を目指すという当たり障りのない答えをくどくどと述べていた。まったく核心に触れていない。質問した記者ももうこれ以上聞いてもダメだと思ったのだろうか、麻生首相が「いいですか?」と念押ししたことにイエスと応えたが、これ以上追求しても確たる返答をもらえないと思ったのだろう。首相の回答はあまりにも的外れではなかっただろうか。質問した記者もさぞがっかりしただろう。
どうして総理大臣がこの程度の返答しかできないのだろう。ことの本質について正面から応えていない。日本の首相の能力はまれに見る低レベルだと思うとショックである。こんなことでは、世界中から馬鹿にされる。こんな人に国を任せておいて大丈夫だろうか。どうせこの次の選挙で政権交代するだろうが、これではとても国政を任せられない。酷いものだ。
今日はキリスト教の列福式という聞きなれない式典が長崎で開かれた。日本で列福式が行われたのは初めてだそうである。国内外から3万人の参列者があったというから驚きである。実は、昨日小中陽太郎氏へもしご在宅なら、書籍をお届けするとメールを送信したところ、この儀式へ出席しているからとの返信をいただいてなるほどと思った。何でもキリスト教ご法度の江戸時代に迫害を受けて殉教したキリスト教徒188人を、「聖人」に次ぐ「福者」に列する儀式である。その中には天正遣欧使節団の中浦ジュリアンも含まれている。寡聞してこのような式典が日本で行われるとは知らなかった。列福式にはローマ法王代理の枢機卿も参列された。
561.2008年11月25日(火) アメリカ、イギリスの積極的な経済対策
昨日夕食中にぽろっと入れ歯の歯のひとつが落ちてしまい不便なこと夥しい。だんだん自分の歯が失われていくのは、寂しく感じているが、こればかりはどうしょうもない。入れ歯であっても同じことで落ちるたびについ感傷的になる。今日はまずかかりつけの歯医者で治療してもらい、その足で小田急百貨店・山田相談役に会って、新著の販促活動をヘルプしてもらうことになった。百貨店内の三省堂書店に置いてもらえれば、かなりの販売が見込めるのではないかと思っている。前著でもそうしてもらったところ、大分売れ行きが良かったので二匹目のどじょうを狙ったところである。まだ、他の書店にもお願いするつもりだが、いずれにしろ何とか実績を期待したいところだ。
その前に新宿西口地下の東京都管理の催事スペースで古書展示会をやっていたので、つい覗いていたら読んでみたい古本が何冊かあったので、安いのを幸いに戦争関係書とゾルゲ事件関連書計5冊をまとめ買いした。
日本の政治、経済に画期的な不況対策の目玉が一向に機能しないが、自由主義経済の牙城であるアメリカですら、ついに政府がシテイグループへ資本注入を追加することになった。既存の分と併せてシティへの投入金額は4兆円を超えている。加えて、現在シティの抱えている不良資産(約29兆円)の生じる損失について、アメリカ政府は最大で約24兆円を負担するリスクを負うという。民間企業へ財政支援することにあれだけアレルギーを示していたアメリカ国民の声を抑えて、これだけ大胆な支援策を打ち出したのは、金融大手が破綻したらアメリカ経済に大きな傷跡を残すと判断したからだろう。それにしてもアメリカ政府の果敢な決意と行動である。次いで、イギリスでは消費税を期限付きではあるが、17.5%から15%へ引き下げる。消費税の減収分を、高所得者の所得税の最高税率を現在の40%から45%にまで引き上げることによって補うという。ブラウン首相は、90年代の日本の景気後退局面での対策は遅すぎたと、日本政府が当時の経済対策に自画自賛しているのに対して極めて批判的で、このような積極的な経済対策を取り入れた。好感した市場は、直ちに反応した。ダウ平均とロンドン・シチーは一気に株価を上げた。
対する日本の東証は英米の株式市場に釣られて株価を上げた。具体的な術を打たなくても、他の先進諸国が前向きな対応をすれば日本も潤う。手を拱いていても他人が助けてくれる。日本経済はこういう情けない構図になってきた。その裏には、アメリカ政府がいずれ米国債を日本に引き受けさせる思惑があり、日本はその要請をひたすら怯えて待っているのである。いつも日本のやることは、後手に回り、自分の手を汚さない。苦労知らずの世襲政治家が育ってきた環境と酷似している。
562.2008年11月26日(水) 麻生首相が提唱する「スピード感」はいずこへ
ちょっと油断すると身体に効いてくるようになった。ちょっと熱っぽい。無理をしないよう午後の駒沢大学講座と夜のペンクラブ会合を欠席することにした。夜になって、ふるさとテレビから明日のセミナーへの参加はどうするかと照会があったが、これもお断りした。今は万全の体調へ戻すことが第一である。
タイでえらいことが起こっている。バンコック・スワンナプーム空港を占拠した反政府デモが、今日は完全に空港を機能不全に追い込んだ。日本との定期便もすべて運行停止され、多くの利用客に影響が出ている。空港を取り囲みシュプレヒコールをあげるデモ隊を見ていると、ビルマとは随分違うなぁと思う。隣の国ではあるが、タイ人とビルマ人は性格的に大分異なる。タイ人の激しい性格に比べて、ビルマ人は一部の人を除いて比較的大人しく優しい。不満を内に秘めたまま黙って耐える。滅多に暴動などは起こらない。耐えて耐えて我慢する。これが結果としてよいのか悪いのかは即断できないが、今のビルマ軍政が倒れないでいられるのもビルマ国民の温厚な性格と我慢強さに助けられている。タイ国民の激しいデモ行進を見ているとついビルマ人に同情してしまう。
昨日もブログに書いたが、アメリカ政府の「スピード感」のある経済対策は、FRBが引き続き住宅や消費者向けローン市場の資金繰りを円滑にするため、最大で総額約77兆円の資金を供給すると発表した。この金額は、日本の一般会計年度予算約88兆円にも達しようというほどの巨額である。これを危機とあらば、すばやく決済する。このスピード感が素晴らしい。
一方わが国ではどうか。話題になっている定額給付金がまだぐずぐずしている。政府は事務処理を市町村に委ねた。いわゆる丸投げである。これに反対したのが末端の市町村である。全国町村会と全国市長会が所得制限を設けないことを申し合わせた。国民の間に不公平感が生じる、所得調査はプライバシーに関係する、事務手続きに経費がかかる、等の理由からすべての国民を一律に取り扱おうとの考えであるが、むしろ繁忙期に面倒くさいことはとてもやっていられないというのが本音である。これだと政府の方針とは大きくずれている。政府のメンツは丸つぶれである。まあ麻生政権らしいと言えば、言えるかも知れない。
563.2008年11月27日(木) ムンバイでテロ、炎のタージ・マハール・ホテル
一昨日来のバンコック・スワンナプーム空港の閉鎖騒ぎは依然として解決せず、早や3日目を迎えた。日本人も約1万人が出国できずにいる。近くに使用可能な国際空港がないために、一昨日APECに出席してペルーから帰ったソムチャイ首相もバンコックへ帰れずチェンマイ空港へ帰りつく有様だった。一昨年開港した現在の空港は東南アジアのハブ空港としての重要性を高め、今では成田空港より発着便数が多い。その空港が機能不全状態に陥ってしまった。
私自身がバンコック空港に居合わせたらどう対応するだろうかと考えると、距離的にはプノンペンが近いが国境周辺の不穏な治安を考えあまり良い案とも思えない。時間はかかっても確実に行ける陸路をプーケットへ向かうか、マレーシアのペナンへ出るだろう。
現政権はタクシン元政権と実態はまったく変わっていない。ソムチャイ現首相はタクシン氏の義弟であり、やや強引な手法も似ている。仲介役として軍部が出てくるのも珍しいが、その軍司令官が首相に下院を解散して総選挙をするよう促しているが、首相は自政権を正当な政府としてこれを拒否しているので先の展望が開けない。空港には反政府団体・民主主義市民連合(PAD)が座り込みを続けている。いつになったら解決するのか、軍部がクーデターでも起こさなければよいがと心配である。
夕方になってもっとびっくりするような騒ぎがインドのムンバイで起きた。日本人も巻き込まれて一人が亡くなった。高級ホテルや鉄道駅等の市内中心数箇所で勃発した同時テロだ。このうちタージ・マハール・ホテルは30年近く前、作新学院の江川卓投手が甲子園で活躍していた夏に、エチオピアからの帰途ちょうど当地の商社駐在員だった学生時代の友人と、ホテル内レストランで食事をしたことがある。当時はムンバイとは言わずにボンベイと呼ばれていた。私は市外のオベロイ・ホテル(?)に泊っていたが、このタージ・マハールは外観が赤とうす緑、白のロココ調の外壁で重厚な趣のあるホテルだった。目の前には海へ向かって歴史遺産となっている立派な「インド門」が堂々と建っている。いかにもインドの歴史に思いを巡らせるような環境である。
テレビで中継録画を観ているとあのどっしりとしたタージ・マハールから火の手があがっている。あの由緒あるホテルが破壊されるのかと想像すると胸が痛む。ホテル内に立てこもったテロリスト集団が宿泊客を人質にインド軍隊と銃撃戦を繰り広げている。カシミール地方でヒンドゥ教と対立するイスラム系民族主義者が仕掛けたテロの疑いがあるようだが、金融危機のこの時期にどうしてこんな物騒な事件が起きるのだろうか。アフガニスタンのカブールでもアメリカ大使館近辺で爆発事故が発生している。クワバラ、クワバラ。
564.2008年11月28日(金) 実りのない党首討論
ムンバイの同時テロが漸く終息に向かい出した。少しずつホテル内に閉じ込められていた人質が解放されだした。不思議なのはテロ標的のひとつ、トライデント・ホテルを下からも、屋上からも軍の特殊部隊が一部屋一部屋調べていったところ、テロリストはすでに姿を消しホテルはもぬけの殻だった。こんな間の抜けたマンガチックなシーンがこの緊迫した場面で現出されるとは思いも寄らなかった。タージ・マハール・ホテルはまだ銃弾戦をやっていて死者は150人をすでに超えた。日本人は勃発直後一人の犠牲者を出したものの、その後は死傷者がなくまずまずよかった。ただ、完全にテロリスト集団が制圧されたわけではなく、余燼が燻っている。
午後麻生首相と民主党小沢一郎代表との党首討論が行われテレビで中継された。僅か45分程度ではさほど突っ込んだ討論にはならないと思っていたが、案の定衆議院解散問題、補正予算、首相の言葉の軽さぐらいしか話題にならなかった。肝心な外交問題、防衛問題にまで触れなかったのは、時間不足だけではなく、お互いに勉強不足だったからに違いないが、折角のチャンスに実に惜しいことをした。結論的に言えば、どちらもどちらという印象で、小沢代表も張り切っていた割りには内容に鋭さがなかった。どうも小沢氏は話が下手で、考えていることの半分も言えないのではないか。いずれにしろお互いにメリハリの利かない、つまらない、実りの少ない討論だった。回数を重ねていけば、徐々に良くなってくるのだろうが、時間の無駄という感じもする。
しかし、政治家なんていうのは丁々発止の議論ができなくては政治家とは言えまい。二人ともどうも要領がよくない。平素の政治活動は何のためにやっているのか。いつも狭い部屋の中で仲間内で政局論争ばかりやっているからではないか。がっかりした。
来年2月に出版記念会を開催するが、その案内状を送り終えた。昨日と今日で330通ばかりお送りしたが、何人の方にご出席いただけるだろうか。その拙著の発行に際して、友人たちから書店で購入してくれたとか、書店で逆にPRしてくれたとか、友情はいつもながら有難いことである。
565.2008年11月29日(土) ブケリッチ家(武家利一家)のお墓参り
セルビアの友人、山崎洋さんと富士霊園へご母堂の墓参に行った。今日は偶々明治大学でもゾルゲ事件のセミナーが開かれることになっている。山崎さんはそちらからも講演依頼をいただいたようだが、当初の予定通り母上のお墓参りに行くことになった。私とは自由が丘駅前で待ち合わせて、車で出かけてちょうど2時間だった。
行く道すがら車内でいろいろ話をしたが、やはり昨日の麻生・小沢党首会談について内容的に情けないという点で意見の一致をみた。また、彼が母上の強い希望で学んだ玉川学園小学校時代の自由な校風について語ってくれた。玉川学園と言えば、玉川学園駅が社会人としての最初の仕事場だったところで、その後業務上も玉川学園と関係を持つことができた奇しき因縁がある。何でも母上は山崎さんがいじめられないような教育環境の良い学校を選んだそうで、その意味では確かに玉川学園は贅沢なくらい、自由で立地も自然に恵まれ初等教育の教育環境としては理想的だったかも知れない。ただ、あまりにも自由な教育に、母上が今度は進級・進学について心配され、中学は玉川学園には進学しなかった。終戦直後の貧しい生活の中で母上のしっかりした教育観には敬服せざるを得ない。
富士霊園は季節的に紅葉もまだ残っておりシーニックビューという点では申し分のない環境だが、近くの富士スピードウェイから時折聞こえてくるレーシングカーの轟音が、折角晩秋の季節感を匂わせてくれる雰囲気をぶち壊しているのが惜しい気がする。
墓地は山崎家と親戚のお墓がサイド・バイ・サイドで三つ並んでいる。二つのお墓は親戚のものである。山崎家の墓石には、「武家利一家の墓」と刻字してある。父上ブランコ・ド・ブケリッチ氏が存命中から使用していた日本名だそうだ。名前の下に床しそうな紋章がある。聞いてみると父上の親戚が得たオーストリア貴族の称号だそうだ。あの恐れ多いハプスブルグ家の紋章である。一昨年五月にご母堂が亡くなられ納骨する際、かつて夫であったブケリッチ氏から多量のラブレターをもらい、それを大切に保管し、一緒に埋めて欲しいとの遺言があったので墓石の下に母上の遺骨と一緒に埋めてあるそうである。生前母上は私にもそんな話をされておられた。ともに生活した期間は短かったが、お二人は深い愛情によって結ばれていたのだろう。それが死後の世界でも一緒にいたいという気持ちにさせるのだろう。心打たれる愛情物語である。私も母上の墓前に額づき心からお参りさせていただいた。
その後少々早かったが昼食をしようと近くの富士小山ゴルフクラブのレストランへ立ち寄ったところが、ゴルフクラブのメンバーでないからと断られてしまった。仕方がないので、御殿場へ向かった田舎風のレストランへ立ち寄ったが、ここで「麦とろ」をいただき、久しぶりに珍しい昼食にありついた。権威主義のゴルフ場のレストランから拒絶されて反って日本的なものを、山崎さんにご馳走することができてむしろ良かった。
オバマ次期大統領、グルジアとロシアの関係、コソボ問題、北オセチアと南オセチアの帰属権、等々について山崎さんの考えを聞かせてもらった。やはりグルジアや、オセチア問題については私がとても知ることができないくらい情勢を深く把握しており、こういう民族問題はやはり近くにいないと真実を知ることは難しいということを実感した。彼は相変わらずよく勉強している。
先日山崎さんがセルビアから書いてくれた手紙に、「古事記」のセルビア語訳が完成直前に、約束の資金を外務省外郭団体が支出してくれないことになったことを嘆いていたが、そのセルビア語訳版が完成して、その実物を見せてもらった。ベオグラード大学セルビア人大学院生3人の協力を得て、山崎さんが責任監修された。ハードカバーの中々立派なものである。表紙の絵は、わざわざ伊勢神宮所蔵の大きな屏風絵を撮影した。天照大神が背後に金鵄を従えた、よく知る絵である。外務省があまり乗り気でない日本文化の紹介をバルカン半島のセルビアでしようという、一種の草の根運動が挫折しないよう願うばかりである。それにしても外務省というのは、本業でも充分国民の期待に応えていないが、こういう地道な文化事業にもあまり熱心でない。それに対して地道に活動している友人を誇りに思う。山崎さんは奥さんのお里である静岡へ向かうので、御殿場駅へ送ってからいろいろ考えながら東名道を帰宅した。深く考えさせられた思い出深い一日だった。
566.2008年11月30日(日) テロとサルコジ人形、世界もいろいろ
ムンバイのタージ・マハール・ホテルを占拠して最後まで抵抗していたテロリストたちは、発生から3日経って完全に制圧された。明らかになった死者は195人を数えるという。まだ真相は解明されていないが、犯人たちは相当訓練されていたらしい。タージ・マハール内部は爆弾が爆発し、激しい銃撃戦の跡もあり、入店テナントは完膚なきまでに破壊されていた。外からは分らないが、内部の破壊は度を超しており、元の姿に戻るには相当の時間がかかるようだ。とにかくたった一度きりではあるが、ホテル内の格調高い雰囲気を味わった者としては残念でならない。インド人もムンバイの名所のひとつと考えていた1903年建造の名門ホテルが無残な姿を晒しているのを残念がっている。
犯人は10人ほどが射殺された中で、一人が身柄を拘束されている。パキスタンを拠点とするイスラム過激派「ラシュカレトイバ」ではないかとの疑いが強まっている。この組織は同じムンバイで2年前に連続列車爆破テロを引き起こし、200人の死者を出している。インド・パキスタンの外交関係や、カシミール帰属問題、イスラム系地区独立問題もからみ、問題の複雑化がネックになっている。しかし、インド政府としてはパキスタン政府が何と言い逃れようと、自国のメンツを賭けて原因を突き止めねばなるまい。
一方、ムンバイ・テロより一足早く事態を混乱させていた二つのバンコック空港占拠事件は、今日も解決されず、昨日からついにウタパオ空軍基地内の滑走路を使用してチャーター機を飛ばすことになり、日航も直行便で日本人旅客を帰国させている。それにしても反政府団体・民主主義市民連合(PAD)が、完全に空港内を管理している今回のデモの様子には驚きを禁じえない。空港内への立ち入りは、PADのチェックを受けるという本末転倒の事態になっている。今のところ軍によるクーデターの危険はなさそうだが、いつまでこんな異常事態がもつのか。ソムチャイ首相の意向を受けた警察がPAD代表と話し合いを始めたが、どうも決裂したらしい。観光客が敬遠し、経済活動も制約され、国際的な信頼も失いつつあるタイは、そろそろ目覚めないと折角の経済上げ潮ムードが反転、急降下しかねない。こういう世界の注目を集め、その難題を解決しなければならないリーダーは大変だが、その点では日本の首相なんて、これらの国々に比べれば経済は安定しているし、国家的なテロ事件は起こらないし、気楽なことである。この気楽さが、放言、失言の大連発になるのかも知れない。
今朝の朝日に面白い記事が載っていた。「呪いのサルコジ人形」が売り出され、大統領が発売元に回収を求めた訴訟で、パリ控訴院は大統領主張の一部を認め、発売元に対して人形が違法だと掲示することを求めた。そもそもこの人形が裁判沙汰になったのは、サルコジ大統領の布製人形に針を刺すというサド的で、大統領個人を侮辱したものだったからである。しかし、裁判の過程で大統領が発売元に回収を求めたことに対して、一審では「表現の自由とユーモアの範囲内」とした。それに対して大統領側が上訴して、今回控訴院は、人形が大統領の尊厳を損なうと判断した。だが、商品回収までは行過ぎとしている。この流れの中にはフランス人のサルコジ大統領への気持ちや考えが表れている。昨日山崎さんはサルコジがフランス人の間で不人気だと言って「猿誇示」と読んでいたが、なるほどと思う。あれだけ外交分野で活躍して実績を挙げても、即人気とは行かないものだ。その点でも日本の首相は楽なもんだ。