
2008年7月
414.2008年7月1日(火) こんなに物価が上がるのは、誰の責任だ!
何でもかんでも物価値上げの様相を呈してきた。このところ原油価格高騰の影響を受け、ガソリン代の値上げも急ピッチである。原油価格も先日ニューヨーク市場では史上空前の1バレル142$を上回った。今日の新聞、テレビも主要テーマとして物価値上げを取り上げている。近々予定される電気、ガスをはじめとして、住宅ローンも上がり、食料品の値上がりも目白押しらしい。風が吹けば桶屋が儲かる式に、ガソリン代が上がるので、漁船が就航できず、魚が獲れない。原油が上がるので、エタノール脂に転化してとうもろこしや大豆が不足して、鶏の餌が上がったり、豆腐が上がる。結果的に卵が上がり、マヨネーズが上がって、何がどうなっているのか分からなくなる。とにかく食料品はほとんど値上げされる。チーズやバターにいたっては、品薄のため緊急輸入を行うようだ。
日銀短観も景況感は3期連続悪化と予測している。世界的な不況だから、日本だけが経済対策に手を拱いていたわけではない。しかし、政府の姿勢、また政府役人が国民のためにやってくれる?すべての対策は、どうしても納得がいかない。国民から散々恩恵を受けていながら、何もしてくれない。物の値段だって、もう少し細かい対策や賢明な行政指導をやってくれれば、これほど情ない結果にはならなかったはずである。政治家や役人は、民間企業が行き詰まって値上げせざるを得ない状況に追い込まれ、国民が物価値上げに悲鳴を上げているのに、平気の平左で消費税の値上げを論じている。どうしてこうも無神経なのだろうか。役人というのは人格が違うのではないかと思ってしまう。
米の減反にしたって農水省が農政の総合的、かつ長期的な見通しを誤ったせいであり、いま問題の社会保険庁の年金問題、各中央官庁の居酒屋タクシー、国土交通省の道路行政、朝令暮改の文部行政、国際外交の行き詰まり、政治家や役人の税金無駄使い、等々拾い挙げたらきりがない。どうして、われわれはこんなバカで強欲な政治家や役人によって辛い目を見なければならないのだろう。政治家や役人がこれまでやってきたことは、国家に損失を与え国民に苦痛を与えてきたことがほとんどである。
こうなったらまず政治家の数を半減する。そのうえで、全役人を一旦解雇して、まともな役人だけを再雇用する。勤務査定は厳しくする。その際、給料を民間会社の給与ベースに合わせる。国の仕事は成果主義を取らないので、一律支給のボーナスは出さない。そのくらいにしないと、国民のために働かないのが腐りきった役人どもだ。こんなことを考えていると物価が上がる原因のひとつに、国家のために奉仕しようとしない、政治家や役人どもの存在があるのではないか。
駒沢大講座の2科目はいずれも、テレビの視聴率と視聴率を上げるための「ヤラセ」番組について講義があった。知らないことばかりだったが、視聴率のためにいかにテレビ局が頭を痛めているかということが分かった。視聴率にばかり気を取られているらしい。社長から役員まで視聴率コンマ以下の数字に眉を引きつっているという。これだから、どうしても民放の番組には腰を据えた好企画が少なくなる。こういう話を聞いていると、スポンサーを気にしないで時間と資金を投じて番組作りに専念できるNHKは恵まれている。
415.2008年7月2日(水) トップが駄目だと下が苦労する。
ビルマをサイクロンが襲ってから今日で2ヶ月になる。相変わらずビルマ軍政の妨害によって充分被災者へ援助の手は差し伸べられていない。家屋を損壊され家族を失った人々は、軍政の無能、無策によりこれからどうやって生活していくのか途方に暮れている。当初からビルマ軍政は外国からの支援を一切受けようとせず、一旦受け入れを表明したが、実際には自分たちで処理しようとしている。
しかし、とてもこの国の現在の力ではすべての被災者を助けることなんか出来っこない。外国からの支援なしに、この国はこれから一体どう国民を守り、どうやって国を統治していくのだろう。外国人旅行者もほとんど訪れなくなって、ビルマの観光業者、特に新しいホテルはどうやって経営の帳尻を合わせているのだろう。
30年ほど前なら外国人を対象にしたホテルや観光施設も数少なかったので、大きな影響はなかったが、8年前7年ぶりに訪れた時は、ラングーン市内に新築ホテルが群立し、観光都市・マンダレーや遺跡の町・パガンにも新しいホテルが建設され、多くの外国人旅行者が滞在していた。外国人の入国を制約するような国策では、外国人に頼っているそれらのホテルはこれからどうやって経営していくのだろうか。外国政府がビルマ政府に対して、まったく手を出せないのもじれったい。
同じように国家の運営に対して、世界中の国から忠告や方針変更のサインを送られているのに、無視している国としてアフリカのジンバブエがある。自宅の近くにセミ・デタッチド・ハウスのジンバブエ大使館がある。お隣さんはザイール大使館だが、最近財政が苦しいと言われていたジンバブエではなく、ザイール大使館が先に立ち退いて、いまや空き家となっている。ジンバブエも遠からず立ち退くのだろう。
旧ローデシアだったジンバブエは、1980年に独立して以来、ロバート・ムガベ大統領が独裁的な権力行使をして政権を担ってきた。先日の大統領選挙でも、予備選挙では最大野党、民主変革運動のツアンギライ議長に敗れた。しかし、ツアンギライ議長が過半数は獲れなかったために、次の決戦投票で雌雄を決する筈だった。その直前になってツアンギライ議長は支持者周辺への迫害と恐喝をおそれ、オランダ大使館内に逃げ込み立候補を取り下げた。この不思議な流れの中で、選挙はムガベ大統領の信任投票のような形となり、ムガベ氏は圧倒的多数を得て大統領に選任された。
この国の経済はすでに破綻している。インフレ率はこの3月には35万%という天文学的数字で、6月には120万%になると予想され、失業率も80%に達している。ジンバブエ・ドル(Z$)は昨年度世界の通貨の中で最も低価値のワースト5に入っている。この5月には、5億Z$札が発行され、とても現実社会で通用する話ではない。長年にわたり国家経済を疲弊させた、その責任は重い。このムガベ大統領に対して、藩基文(パン・ギムン)国連事務総長以下アメリカ、EUが忠告し、窘めているにも関わらず、ムガベ大統領には一向にアドバイスに耳を傾けようとの姿勢が見られない。各国が連携して忠告しようとしても、例によって中国が反対する。ビルマ軍政の背後にも中国が見え隠れしている。ソ連時代のロシアも共産党幹部が随分正論を述べつつ、やっていることは国民の利益に逆行するような正反対ばっかりだったが、いまの中国も、かつて毛沢東主席以下共産党幹部が貧しいころの中国から国を救うときれいごとばかり主張していたが、戦後の歴史と中国の現状を見ているとデタラメばかりという感じである。
こういうジンバブエと軍政下のビルマ、またスタイルは違えどもとかく国家権力の強い影響を受ける中国、ロシアに生活する人々に同情せざるを得ない。
416.2008年7月3日(木) 堀田力氏提唱の「日本の少子高齢化対策」
今日の多摩大学講座では、弁護士であり、財団法人さわやか福祉財団理事長でもある堀田力講師が、「地球規模で日本の少子高齢化を解析する」と題して持論を展開された。
ベテラン講師らしく、全体の話のまとめ方や入口から結論までの流れをユニークな論旨に合せて、よどみなく話された。時にはジョークも交えて分かりやすく、愉しく聞くことができた。
堀田講師の主張は、次のように要約されるのではないかと思う。
@昔は動物の中で人間だけは平均10人前後の子どもを産んだ。しかし、 成人までは中々育たない。
A産業革命以後、技術の進歩もあり産児制限を含めて全体的に少子化と なり、高齢化社会となった。先進 諸国はほとんど同じ道を辿った。
B国家は国民を養い守るために領土を拡大したが、それが戦争である。
C少子化→領土侵略の動機消滅→戦争なくなる。
D民主主義国の勃興→国家間に壁がなくなる。→EU発足・米加の国境
Eアジア・アフリカ諸国は医学、技術の進歩にも関わらず、多産の傾向は 続いている。
F地球上に人類を養える限界は、70〜90億人
G日本には急激に少子化がやってきた。
H人口構成上現在の逆ピラミッド型をせめて筒型にする。
以上から、日本の人口構成のゆがみを筒型にするためには、日本人に偏見はあるが、アジア諸国から移民の受け入れを検討すべきであり、その際アジア人の受け入れに際して、日本人になることを希望する人を「差別=選択」化して受け入れる。受け入れ後は、「差別」は許されない。
概略以上のような話をされた。外国人を「差別」して受け入れるという点については、反論もあろうし、講師自身も多少ひっかかるようで、欧米では受け入れに差別化せず、受け入れ後に差別化してそれこそが問題になっているといい、受け入れ後の差別は絶対許されないと力説していた。
それにしても中々斬新な発想で、移民受け入れには「差別」を考慮すべきとの大胆な発想には戸惑いもあり、若干消化不良気味だったが、有力な提言として今後検討されるべきであると思う。今日の講座では、多くのことを考えさせられた。それにしても堀田先生はユニークな方である。
417.2008年7月4日(金) 小中陽太郎さんの上海時代
今年から税金の申告について、個人事業主の申請をすることになっているので、領収証は正月から一枚一枚すべて保管しているが、青色申告書の細かい書き込み方法や手順が分からない。また、帳簿の記入方法も実質的なやり方がよく分からない。今日玉川青色申告会で新規帳簿記入者を対象に、講習会を開いてくれたので、午後神妙な顔で出かけた。2時間の講義に初心者約25名が出席した。青色申告会の担当者が手馴れた説明をされたが、講師経験から余計なアドバイスをするなら、パワーポイントを使って説明するともっと効率的に、かつ分かりやすく説明できるのではないかと思った。
やはり個人個人で申告の仕方が異なるので、結論的には青色申告会を訪れて、個別に教えを請うことが一番手っ取り早いと感じた。できるだけ早い機会に、玉川青色申告会に出かけ、一度自分の申請に見合った記入方法を相談したいと思っている。
青山の草月会館草月ホールで上演のミュージカル「上海夜想曲」を妻と観に行った。このホールには、以前にも小中陽太郎さんの自伝的ドキュメント「ラ・メール母」をミュージカル化したときに観に来たことはあるが、観客500人規模の劇場で割合見やすい。主演は前回同様碧川るり子が、日本のマタ・ハリと言われたスパイ・川島芳子を演じ、日中戦争から戦後へかけての上海・租界時代の思い出と、戦後になって生存者が川島芳子周辺の人々を偲ぶあらすじである。懐かしい歌も数多く唄われ、それなりに楽しめるものであった。もちろん今日のミュージカルも小中さんのお勧めによるもので、会場でもご夫妻にご挨拶した。上海における小中さんの幼少時代のご友人も数多く駆けつけてくれたのは、小中さんのお勧めもあるが、上海ノスタルジアも強いのだと思う。ご紹介された方の中に慶応大教授を辞めた方が、上海でこどものころに「陽太郎ちゃん」とよく遊んだと言っておられたから、ちょっとわれわれのような国内派にはその気持ちは分からないが、相当上海時代がよい思い出となって焼きついているのだろう。それにしても、戦前外地で同じような生活をしていた日本人家族同士が、親しくお付き合いをして、戦後も親しい関係を続けていることは想像もできない。小中さんも後世にまで思い出の残る素晴らしい幼少時代を過ごされたのだなあと羨ましく思う。
418.2008年7月5日(土) 小中陽太郎さんを囲む会
赤坂にある中華の老舗、楼外楼飯店で小中陽太郎さんを囲む「知的生産の技術研究会」の懇親会があった。この飯店を紹介されたのは、小中さんである。出席者は、主賓の小中さんのほかに、知研理事長・久恒啓一多摩大教授、知研・八木哲郎会長、「小論文の神様」と言われているベストセラー作家・樋口裕一多摩大教授、浅沼ひろしさん、和泉育子さん、三輪敏子さん、知研・秋田英澪子事務局長に私を含めて9名。皆さんそれぞれ個性的にそれぞれの分野で実力を発揮されている。大体著書をお持ちである。「小論文の神様」のように「頭がいい人、悪い人の話し方」(PHP新書)が250万部も売れたというから、とても人間業とは思えない。神様と言われる所以であろう。
小中さんのお話を聞くことを中心に各人が自己紹介をした。小中さんもPCを持参して説明する予定だったが、うまく画面を呼び込めず、楼外楼のPCを拝借しても駄目で、どうもPC自体よりもCDに問題があるのではないかということになった。結局PCを使用せずに語り部に徹していただいた。「テレビは記録より記憶として残る」ことをご自身のNHKを辞めたいきさつをからめて話された。そのほかにも梨元勝氏の文章を書いていた話、キリスト教等々、幅広いジャンルについて話された。初めてお会いした樋口教授が高校時代に哲学へのめりこんでいた話とか、クラシック音楽に詳しい話、浅野さんが昭和30年代に過ごされた北海道のランプ生活、久恒教授の梅棹忠夫先生とのやりとり話等、大変参考になる内容だった。
結論的にまた改めてこのような集まりを持ち、これからは「知的」ではなく、「非知的」を目指そうということになった。
帰途は小中さんといつも通り都立大学駅で降り、行きつけの「コーナーポケット」のママさんに挨拶を兼ねて立ち寄り、ビールを一杯いただいてタクシーで帰った。
419.2008年7月6日(日) チベットについて話をする。
NPO法人・吉祥寺村立雑学大学で「チベットの旅とデモ騒乱事件」と題して1時間半程度、パワーポイントを使いながらお話をした。テーマは後になってデモ事件を加えたのだが、あまりそちらに傾くと時間的に本来の狙いである旅行へ深く入れないので、力点はチベットの旅に置いた。印象としては、受講者の皆さんがかなりチベットに関心を抱いているように見受けられた。しかし、いま外国人がチベットへの立ち入りを制限されていることは事実であり、チベットの旅は、異色の旅で中々興味のあるツアーだと話しても、現状で入国出来ないチベットへの旅を推薦することは何となく心苦しい。だが、そうは言ってもチベットの自然や国民性の素朴な良さという点について、あるがままのチベットの素晴らしさを話したつもりである。パワーポイントのスライド作成について、何人かの受講者からお褒めの言葉をいただいたが、思いもよらないことだった。それでもやはり嬉しい。これでパワーポイントの画面作成について一層モチベーションが高まる。
さて、明日から洞爺湖サミットG8が開催される。東京でもここ数日来鉄道駅周辺の警戒がかなり厳しいが、いよいよ成田空港や札幌へ各国の首脳がやって来た。主要議題がいくつかあるが、今年は特に地球温暖化、原油高騰による物価の値上げと貧富の格差問題が最重要議題と見られている。直ぐに方向性とか解決の糸口を見出さなければならないのは、やはり環境問題だろう。これを日本の福田首相が議長国として仕切るわけだが、こういう場面に最も不得手とみられる日本人にとって果たして福田首相が面目を施すことができるか。
かつて東京で開かれたサミットで、当時の大平首相が「自分は議長としてあまり得意でないが」と言った途端西独のブラント首相が、「それは分かったから早く議事を進行しろ」とまぜっかえしたことが強く印象に残っている。そのくらい世界の首脳から日本のトップは話や議事進行が下手くそだと見られている。
福田首相には、どうか恥を晒さないように、そしてかつての官房長官時代のしたたかで日本の主張をしてもらいたいと願うだけだ。
国際通貨基金(IMF)による2007年の一人当たりGDPは、シンガポールが日本を追い抜いたことが確実という。シンガポールの35,162$に比べ、日本は34,312$なので、その差は僅か800$程度ではある。この程度の差は為替レートによって変わりうるので、実態と実感はどうなのか分からないが、シンガポールが日本に追いつこうとしているのは事実だと思う。ただ、シンガポールが経済的に発展した理由のひとつは、外資導入と外国人の誘致によるものである。実際シンガポール人の人口も前年に比べ1.6%増えているが、他方で外国人が15%も増加したことは、確かにGDP増加に大きく貢献した。これを以て同じように資源が不足している日本も外国資本や外国人の導入にもっと積極的に取り組むべきであるというのとは少し事情が違うと思う。
まあそれにしても日本にとってシンガポールの行き方は良い指針となる。
420.2008年7月7日(月)サミットG8に何を期待するか。
今日から洞爺湖で先進国首脳会議、サミットG8が始まった。年々歳々サミットも図体が大きくなる。こうなると総身に知恵が回りかねる。確か当初は先進6カ国会議と言っていたと思うが、今や先進8カ国となり、今回は付随してアフリカ開発の拡大会合のアフリカ諸国7首脳、温暖化主要排出国会合7首脳の計22カ国の首脳が集まった。それぞれ実質的な結論を求めて世界の大物が額を寄せ合って相談する、一年に一度開催される国際的大イベントだが、各国の利害が絡みあう中で、あまり楽天的な見方はない。
北海道は普通梅雨がないとされるが、今朝から雨が降っていて、いかにもサミットにとって象徴的である。折角好立地にあって世界中の人々に洞爺湖の素晴らしい景観も併せて伝えたいところだが、どんな風に世界のマス・メディアは伝えるのだろうか。
日テレ系統の「ZERO」では、若い桜井翔が国際メディアセンターの様子をうまく紹介していた。サミット後には取り壊されるだろう建物だが、環境とか温室ガスに関してアッピールも狙った建物で、冷房施設のダクトが段ボールに銀紙をフォイルしてできていたり、冷房のAIRそれ自体は、建物の床下に貯蔵された雪を利用したり、とにかくアイディアが施されている。こういう事務レベルの隠れた努力も、結局福田首相がうまく活用しないとあまり役立たずということになりかねない。
マス・メディアの報道も熱を帯びてきたが、会議の成果については、いずこも悲観的なコメントしか出していない。最大の課題は将来性から見れば、やはり地球温暖化傾向にどう歯止めをかけるかということだと思う。ここで温暖化の傾向を止めないと、いつまでもずるずると悪い方向へ進み、将来に大きな禍根を残し、子孫が現世代の排出した二酸化炭素ガスに苦しむことになる。足並みが揃わない最大の理由は、アメリカが二酸化炭素削減の数値目標の設定に反対しているからである。これは京都議定書にアメリカが数値目標を盛り込むことを拒否して以来のG8にとっての懸案である。アメリカにも当然言い分はある。今や温室ガス排出国として目立ってきた中国とインドに、まったく削減のノルマがないのはおかしいと考えている。確かに、中国やインドにガス削減の要求が突きつけられることもなく、両国も地球汚染と温暖化の責任は先進諸国にありとして、温室ガス削減を一切しようとしない姿勢には地球は誰のものかと言ってやりたい。今や追い詰められた地球環境の汚染をこれ以上悪化させないという理念と、グローバル化した各国の協調性という点を考えると、そんな手前勝手な論法は許されない。アメリカも、ヨーロッパも日本も、中国やインドをどうして説得できないのか。中国やインドは、すでに情勢を察知して、今最大の課題は世界の食糧自給問題だと言い出している。
テレビを見ていると温室ガス削減については、ほとんど絶望的である。もし昨年のサミットから一歩でも後退するようなら、もうサミット自体の存在意義はないと思う。世界の現象は漸進的に悪化の方向へ向かっている。この事態をもたらしたのは、まぎれもなく人間である。これを食い止めるのは、同じ人間の知恵と強調しかない。それが分っていながら、自分たちの強欲とわがままでその知恵が一向に産まれてこない。人間の限界か? まったく前途多難である。
421.2008年7月8日(火)駒沢大公開講座の懇親ランチ
駒沢大の公開講座も火曜日の二つの春季講座は、今日が最終授業である。テレビジャーナリズム論を担当する菱山郁朗講師から、先週社会人受講者と食事を一緒にしたいという申し出があって講義前に、同じキャンパス内の小ホールで6人の受講者と食事会を持ち、受講者が自己紹介を兼ねて日ごろ考えていることや実行していることを披瀝した。
初めて足を踏み入れた会場は、素晴らしいホールで、設備といい目の前の庭園といい、まさに洞爺湖のG8並み?である。
皆さんそれぞれに大手会社勤務を経て、余裕のある中で新しい生活を創り上げているというように感じた。向上心と積極性のある方ばかりである。62歳〜69歳でまだまだ若い。昭和13年生まれがほかにも一人おられた。女性も一人おられた。
「自己紹介図解」を全員に配布して自分なりに自己紹介を行った。少々カラーフルな図解に驚いたようだが、いつもながらまあまあの受けだったと思う。図解に関心を持ってくれたようで、菱山講師から学生が集まるときに、活用してもよいかとのお尋ねがあったので、もちろん結構ですとお応えした。今の学生はおとなし過ぎると言っておられたが、確かに今の学生は一人で何もできない。学生が自分一人で海外へ出るように勧めてみてはどうかと提言した。
さて、今日のサミットG8は、G8宣言案が幻のように公表されただけだ。あれだけアメリカが温室効果ガス排出の目標数値設定に反対しているにも拘らず、「2050年までに世界全体の排出量を半減する長期目標を共有することを求める」ということで、アメリカとも一応「合意」できたと福田首相は考えている。
しかし、アメリカは近年必ずしも協力的ではない、国連で話し合うことを求めるという「合意」である。こういう遠回しの条件を付加して話し合うのも、それを理解するのも国民としては少々疲れる。もう少しズバッと決められないのか。実際には焦点がどんどんずれていくような気がする。いずれにせよ、今年のサミットG8は昨年に比べて前進なのか、後退なのか、最終日の明日になればある程度はっきりする。
422.2008年7月9日(水) 中国のメディア報道は今後どうなるのか。
昨晩「報道ステーション」で、騒乱事件後初めてチベット・ラサ市内の画像を映し出した。中国政府が特別に許可を与え、治安の安定している今のチベットの状況を世界へ向けてPRしているのだ。実は、この中国の特別許可というのが曲者で、傍にはいつも中国人監視役が見張っている。自由に取材しているわけではない。ラサ市内にも自由な空気が見られなかった。随分お行儀の良い市内風景と雰囲気に見えた。それに市内各所で多数の武装警官が行進したり歩き回っていたり、こんな窮屈な市内のインタビューでは、取材相手から本音が出てくるわけはない。カメラマンに密着している監視役が陰であれこれ指図していることは言を俟たない。こういうヤラセ的取材方法は、現在の中国政府に特有であり、一種の報道管制である。中国は民主国家を目指しているが、昔の国家管理的な翼賛体制とあまり変わっていないのではないだろうか。
天安門事件の際、政府の行動に抗議した若者の正義感に溢れたエネルギーや動きは、世界中の喝采を浴びたが、今やまったくと言ってもいいくらい若者の正義の気概が見られない。完全に政府の思うままである。中国の若者は今や牙を抜かれ、飼いならされた子羊に成り下がってしまった。
今日駒沢大学講座の春季最後の講義があった。講師の講義内容は前回に続き、これまで取材に関わったオリンピックを主に、政治とオリンピックの関係について話された。その際、興味深い話を伺った。中国は一ヵ月後の北京オリンピック開催を前に、中国内TV放送は全番組を生放送から、10秒遅らせて放送することに決めたそうである。専門的なことはよく分らないが、中国にとって不都合なことが写ったり、放送された場合は、直後の10秒以内に修正するということだそうである。まさに中国の隠蔽、ヤラセの体質丸出しが見てとれる。まあそれにしてもよくやるなぁというのが実感である。
今日でサミットG8は閉幕した。昨日の会議の様子から、また各メディアの話から考えてもあまり大きな期待はできそうもないとみていたが、やはり期待外れだった。
もちろん議長福田首相は自画自賛して成功と言っている。多少自国の主張が通ったブッシュ・米大統領も機嫌よく議長国でもないのに勝手に記者会見を開いていた。排出国のシン・インド首相のごときは会議終了後、これまでのサミットに比べて大きな成果を上げたと福田首相をヨイショしておきながら、ブッシュ大統領と福田首相へ宛てて妥協のために署名したなどととんでもない文書を送っている。サルコジ仏大統領の如きは、首脳会談もせず、会議が終わるや午後一番でさっさと札幌を後にした。
そんなこんなで各国取材陣の評判もあまり芳しくないようだ。昨日G8が決めたのは、「排出量削減の世界全体の長期目標を含む長期的な協力行動のためのビジョンの共有を支持する」である。これを「(国連交渉で)長期目標を採択することが望ましいと信じる」と付け加えた。こんな文言をすんなり理解できると思っているのだろうか。あいまいな表現に屋上屋を重ねていて、真意を汲み取るにもかなり時間がかかる。
来年イタリアで開かれるそうだが、こんな調子ではG8を開く意味がない。
423.2008年7月10日(木) 多摩大学公開講座春季講座終了
多摩大の寺島実郎監修リレー講座「現代世界解析講座」も、今日がいよいよ最終第12回となって寺島氏が3回目の講座で締めた。前回5月29日以来僅かな間にヨーロッパとアメリカ東海岸を歩いた感覚的な視点と、いつも通り14頁にわたる分厚い三井物産戦略研究所の数値資料を基に、明快な分析と説得力のある解説をされた。いつも新しい数値資料で説明されるので、分りやすくとにかく感心するばかりである。寺島氏の講義を聞くのは、今年に入ってから5回目だが、毎度目から鱗が落ちる話ばかりだ。
今日のポイントは、鈴木大拙師の「外は広く内は深い」の言葉から始まり、欧米を回ってアメリカが疲弊していることを強く感じたと言われた。「$」の価値が低下して、国によってはこれまで外貨準備高を「$」で持っていたが、より価値の高い「€」に切り替えることを検討している。
今日は世界的な食糧不足問題に触れ、日本の食糧自給率39%をどう考えるか、と問題提起をされた。
1981年にはわが国の第一次産業従事者は、全就業者の10%だったが、今では4%しかいない。食糧自給率を高めるために、一気に農業を復活させようとしても田畑は荒れて難しいし、農業人口は減り高齢者ばかりになっている。都市生活者が新たに農業を始めようとしても容易にはできない。最近農民にとって代わり、農業生産法人が活動して、食糧輸入は増加して6兆円もありながら、輸出も4千億円に増えた。農業のブランド品や果物が中国をはじめとして海外の富裕層に人気があるそうである。主力輸入品目の第4位に衣類があるが、これは衣類、バッグ、靴、貴金属等のぜいたく品だそうで、確かに一部には金あまり現象が見られる。
また、日本の政治改革や行政改革等の「改革」は小手先だけの改革で、中選挙区制度を小選挙区制度に代えるだけだったり、役所を統合し省庁の数を減らすだけで、役人の数は減っていないような、名前だけの改革で、実際に政治改革をやるのなら、「議員数を減らす」とか、「議員在任期間の短縮(多選禁止)」のように実質的な変更を挙げられた。ごもっともである。
最後の講座になったが、やはりアカデミックな環境でじっくり授業を受けるということは、気持ちが洗われ、リフレッシュしたような気持ちである。12回のうち、一度だけ福島県の研修講師を務めたために欠席したが、改めて秋から始まる第二学期で新しい講師のもとに、斬新な講義を聞けることを楽しみにしている。
424.2008年7月11日(金) ヨーロッパの城郭成立過程
JAPAN NOW観光情報協会の毎月恒例の観光立国セミナー(於:海事センター)は、元ドイツ観光局マーケティング部長・坂田史男講師からドイツ観光について話を伺った。ドイツ人の観光好き、ドイツ観光の恩人(ルートヴィッヒU世だという)、ロマンチック街道等についてドイツに詳しい人らしい丁寧な説明だった。
二つ質問したが、そのひとつは城作りと城郭都市の在り様に関してである。ロマンチック街道のネルトリンゲン城内の鳥瞰図を見て典型的な中世ヨーロッパ城だと思っていたところ、城内は自由都市として発展し、領主は住んでいなかったとの説明にあれっと思った。立派な城壁に囲まれた典型的な城で、2度ばかり訪れたこともあり、ヨーロッパ城の一例として挙げることもあった。しかし、こうなると今後は講義の際に、このような城をヨーロッパ城の例として説明しにくくなった。
ギリシャ神話のトロイア城なんか典型的なヨーロッパ型で、城内に領主、武士、町人ら全住民が住み、領主が城内に居住する住民を外敵から守ってきた。だから落城すると、領主もろとも住民も虐殺されるか、捕虜となるわけで、日本の城下町の仕組みとは決定的に違う。それがネルトリンゲンのような城は、ヨーロッパに残る城の中でも少し事情が違っている。これから少し説明を変える必要があると思っている。
帰りに松本整形外科で定期診断を受け、先日の血液検査の結果を聞いてがっくりきた。松本先生も首を傾げている。
4年前から両膝の炎症治療のため松本医院に通院して、治療を受け少しずつ回復し、昨年春ごろからかなり順調な回復軌道に乗ってきていた。数値的にも、0.3以下を要求されるCRP定量が、0.47(07.6)、0.39(07.8)、1.24(07.10)、1.27(07.11)、1.23(08.1)、2.22(08.3)、4.49(08.5)を示し、そして今日知らされた数値は6.14だった。昨年8月から急に数値が悪化しだした。
完全に見放されたような感じだが、先生も私自身も不思議でならないのは、自覚症状がないことで、その点では体調としては良いのでよく分らない。松本先生の見方は、胆嚢のような他の内臓に何か症状を抱えている可能性があるかもしれないとのことで、森内科で近日改めて相談してみてはどうかという結論だった。あ〜憂鬱になってきた。ただ、何の自覚症状もなく昨年の2度にわたる人間ドック検査でもそれらしき痕跡も見つからなかったので、何とも言いようがない。まあ、来週森内科で診てもらおうとは思っている。
425.2008年7月12日(土) 世界遺産見学140箇所
昨日CRPの数値が上がってがっくりきていたところへ、夕食時に上の歯がぽろっとこけてしまった。さらにがっくりである。あまり体裁の良い話ではないが、上の入れ歯を支えている糸切り歯で、先日磁石まで入れていただいた。これが抜け落ちると上の入れ歯全体に影響が出てくる。これでは当分固いものは食べられない。実際ゆっくり噛んで食べる状態で、つくづく年はとりたくないと思う。歯科は今日、明日の2日間は休診で、そのうえ14日(月)から3日間福岡へ出かける。5日間歯科へ行けない。福岡行をこの期に及んでキャンセルするわけにもいかず、せっかく祇園山笠の終盤に食の福岡で思い切り食を味わおうと考えていたが、残念だがそれはできそうもない。このまま17日まで恐る恐る食事を摂ることになるか。まったく冴えない話である。
さて、昨日の朝日に「広がる世界遺産、岐路」という記事が載っていたが、今年27件が新規登録され、ついに今年で世界遺産登録総数は878件に達した。この勢いだと遠からず千台の大台に辿り着く。日本では、平泉・中尊寺が日本の推薦した世界遺産候補で初めて落選して、関係者に相当のショックを与えているようだが、宗教文化としての浄土思想の普遍的価値を外国の遺産専門家に証明して納得させ、認めさせるのは至難の技だと思う。
その中で、スイスのレーテッシェ鉄道(ベルニナ鉄道)は「20世紀建築」と「文化的景観」いうユネスコの新しい方針に沿っているとして世界遺産として登録された。私がこれまで訪れた世界遺産は、一応139箇所であるが、労せずして140箇所ということになった。私には随分思い込みのある鉄道だ。今から30年ほど前に箱根登山鉄道とレーテッシェ鉄道が姉妹鉄道契約を締結した折、レ鉄道本社からハッツ専務が来られて、契約セレモニー後の観光ガイドで箱根一帯を案内したことがある。その1カ月後に、今度は添乗員として使節団とともにベルニナ線に乗ってサンモリッツを訪れ、温かく歓迎された懐かしい思い出がある。その後、ベルニナ線の素晴らしい沿線風景についてもエッセイを書き、とにかく多くの思い出がある。「棚から牡丹餅」ではないが、これで世界遺産訪問も140箇所になったことは、個人的にもメデタシ、メデタシ。
426.2008年7月13日(日) 不可解な北朝鮮兵士の韓国人射殺
一昨日北朝鮮の金剛山観光団に参加した韓国人女性が、北朝鮮兵士に射殺された事件はショッキングなニュースの割りに静かな経過を辿っていたが、やはり南北間の大きな問題になってきたようだ。北朝鮮の一方的な言い分では、軍事警戒区域に入った女性に一度警告射撃をしたが、逃亡したため発砲した。ところが、韓国メディアでは、女性がホテルを出て銃撃されるまで30分で現場の警戒区域まで、4.8qも移動することは不可能だと主張している。韓国政府は、事件の真相解明のために調査団の訪朝受け入れを北朝鮮に打診したが、北は拒否した。そのうえ、「責任はすべて韓国側にある」との談話を発表した。これで、韓国は、これまで北にとって大きな収入源となっていた金剛山観光団を当面中止することを決定した。これに対して、北は「耐え難い冒涜行為」として観光客を受け入れない方針を示した。原因の究明をしようとの韓国側の意向を、最初から拒否して一方的に相手を中傷、非難し、あまつさえ原因は相手にありとするやり口はこれまで、北の専売特許だったが、いつまで子どもじみたことを言っているのだろうか。これでは原因究明はもとより、せっかく両国間の信頼で構築した、両首脳(金大中、金正日)の友情によって始まった金剛山観光がストップされたままになってしまう。
これではとても日本人拉致事件の解決なんて当てにはできそうもない。
このニュースに関連して、今日のテレビで現場にいた韓国人男性は、北の兵士が撃っただけでなく、その後に射殺した女性を足蹴にしていた様子を目撃したと話していた。
不明瞭な事件の真相はまったく不明だが、これまでの北の対応から考えると、北は自分たちの責任は認めないだろう。
これで朝鮮半島に新しい難問が被さった。これからどういう道筋を辿っていくのか、注目してみたい。
427.2008年7月14日(月) 祇園山笠・博多の一日
福岡でJAPAN NOW観光情報協会のイベント、「観光立国フォーラムin 福岡」に参加するため、今朝のフライトで福岡へやってきた。いろいろな方々のご協力で「ソラリア西鉄ホテル」の会場は200人近い参加者で一杯となった。運輸関係者や、九州支部長の長尾亜夫・西鉄会長らの動員令によって参加された方も多いのではないかと思う。
受付の手順、責任分担がはっきりしていなくて心配だったので、受付をお手伝いすることにしたが、その結果会場内で開かれたフォーラムは、残念ながらついぞ覗くことができなかった。その後の懇親パーティでは、松尾理事長以下首脳陣も笑顔で当地の有力者と交流されていたし、私自身も西鉄の方々と久しぶりにお会いできて、有効な時間を過ごせたので、まあよしとするか。
宿泊は博多駅前の「チサンホテル博多」だが、午前中に立ち寄った折りラーメンの外食券をもらったので、フォーラムの後JN協会の杉さん、前さんと昭和通りのラーメン屋台を訪れ、「撫順」という店でとんこつラーメンとビールを腹に入れてホテルへ戻った。屋台は安くて旨い。瓶ビールが一本500円、とんこつラーメンも500円だったので、支払いの時に思わず聞き返したほどである。屋台以外のレストランでも、博多は一般的に安い。タクシーだって安い。初乗りが550円だから東京の710円に比べていかに安いか見当がつく。きょうは多少屋台の雰囲気を味わったし、博多はこれで納得。
1日から始まった博多祇園山笠は、今日が最終日というより明朝の明け方にかけて「追い山」というクライマックスを迎える。櫛田神社から山車が出てくる。神社周辺は明日の明け方は交通規制をやり、このクライマックス目当ての人々を対象に、JRもバス会社も臨時便を繰り出す。NHKニュースでもしきりに交通規制を伝えている。せっかくの機会だから見たいのは、やまやまだが、都を離れて夜通し山笠の屋台を待つスタミナと気力はない。今年中に次作品「停年オヤジの海外武者修行」を上梓予定だが、その武者修行スピリットが持たない。今晩は、このブログを書いたら早々と眠るつもりだ。
428.2008年7月15日(月) 「ボストン美術館の浮世絵」展がすごい。
福岡滞在2日目は何をしようかと考えるまでもなく、地下鉄内の中吊り広告を見ていたら、3日前から8月いっぱい福岡市美術館で「ボストン美術館浮世絵名品展」をやっている。ありがたい。これは僥倖ではないかと、ホテルから大豪公園近くの美術館へ駆けつける。日本の浮世絵が一番揃っているのは、世界でもこのボストン美術館を措いてほかにはないと思う。
昭和51年初めての文部省教員海外派遣団添乗員として、ボストンでいくつかの思い出があったが、フェンウェイパークのMJB・レッドソックスの試合観戦と並んで印象に残っているのが、この美術館見学だった。あまりに整然と、日本の美術品が丁寧に、そして上品に展示されている様子を目の当たりにして、一緒に見学した先生方もうなっていた。そして、「反って日本で保管するよりもきちんと管理されている」と仰っていたのが、言葉として頭に残っている。
美術館はそれなりの入場者がいたが、概して年配者が多く、ここにも年配者の美術・文化への評価と憧憬を感じ取った一方で、ほとんど大学生らしい姿が見えなかったのは、大学生が授業を受けている時間という単純な理由だけでもなさそうだ。アルバイトに忙しい現代学生の勉学意欲とインテリジェンスが少しずつ劣化しているのだ。気になる傾向である。
展示作品は、版画、肉筆画、版本、掛け軸等136点をボストン美術館所蔵品5万点、700品から借り受けたものである。これまで知るところでは、明治維新時に日本文化否定論が沸き上がり、当時日本美術を評価していたモース、フェノロサ、ビゲローらが廉価で買い取ったと言われたが、実際には1876年アメリカ合衆国独立100年記念のボストン万博の際、日本が大量の美術品を展示して、そのままボストン美術館にお祝いの意味も込めて安く買い取ってもらったというのが真相のようである。
それにしても、トランスシーバー・ガイドでじっくり見学したが、2時間近く経ってしまった。すべての作品を4章に分けて展示している。第1章浮世絵初期の大家たち、第2章春信様式の時代、第3章錦絵の黄金時代、第4章幕末のビッグネームたち、に手際よく分けられ作品に判りやすい説明が加えられている。いずれも和紙に描かれたものだが、その保存状況の良いのには驚くばかりで、江戸文化の高い水準を今日にまで正確に伝えてくれている。著名な鈴木春信に始まり、喜多川歌麿、東洲斎写楽、菱川師宣、葛飾北斎、安藤広重らの名画が目白押しである。気障のようだが、久しぶりに文化の満腹感を味わった。
だが、「石部金吉」というのは、真面目な堅物だとばかり思っていたが、写楽の版画によれば「非情な悪役」だったとは初めて知った。
429.2008年7月16日(水) 古代エジプト展を観る。
今日も福岡市内において文化鑑賞で時間を費やした。久しぶりに国立九州博物館へ行こうと思っていたところ、福岡市博物館で先月末から8月いっぱい「吉村作治の新発見!エジプト展」をやっていることに気づいた。昨日は美術館、今日は博物館でいずれも展示品は、私にとって興味のあるもので、東京でもあまり見られない。まさに千載一遇のチャンスである。早速西鉄バスで博物館へ駆けつける。昨日ほどではないが、かなりの見学者がいた。やはり昨日同様若い人たちの姿は少ない。
吉村先生の昨年秋のミイラ新発見については、メディアでも報道された。ダシュフールで発掘された親子のミイラ(展示は一体だけ)と、同じ場所から夫婦の棺おけが発掘され、棺おけのレプリカが展示されていた。ミイラを作る工程を模型で展示していたが、古代エジプト時代の医療技術のレベルの高さには驚いた。
ダシュフールは、屈折ピラミッドのあるサッカラの近くで、一度訪れたことがあるので、何となく雰囲気は分るが、それにしても最近になってこの周辺で後から後から古代の遺跡、遺品が発見されるのは、何か理由があるのだろうか。何でも割合最近になって、エジプトで発掘された遺跡類は、海外へ持ち出さないという取り決めができたそうで、特例を除きエジプトの古代遺品は現地で見学するより方法がない。今回も吉村教授が発掘したことから、エジプト考古学当局も格別の詮議により、福岡で開催、展示されることになったようだ。
しかし、何と言っても対象物が大きすぎるので、簡単に持ち運びできない。それが展示作品数が少なくなる理由であろう。前日の浮世絵に比べると資料の点数では遥かに劣勢だったが、それでもまあ満足すべきものだったと思う。トランシーバー・ガイドが吉村教授自身の声だったのが、お愛嬌である。
考古学は面白い。これに関わっている人が羨ましい。来世生まれ変わったら考古学者になろうと思っているので、とりわけエジプト古代王朝の遺跡には興味が尽きない。JAPAN NOW観光情報協会の観光立国セミナーに参加目的で福岡を訪れたが、セミナーは覗く機会がなく、むしろ自由に浮世絵とか、エジプトの遺跡を見学できて、ひょうたんから駒の思いである。
さて、安売り航空券制度も随分変わった。今回はJTBの航空券とホテルがセットされたお得なパックで出かけたが、安い航空券だと、従来は往復とも同じ航空会社利用が常識だったが、初めて往路全日空、復路日航で手配されたものだった。これは、完全に航空会社が戦略として打ち出した裏の手だ。こうなるともう正規運賃を支払って航空券を購入する利用者がいなくなるのではないか。加えて、全日空のチェックインと日航のそれのシステムが違い、福岡空港では係員に教えを受けながら「チケットレス・サービス」を受けるという、元エージェントとしては少々恥ずかしい体験をした。
430.2008年7月17日(木) 拙著の再出版、及び再販について
昨年12月に倒産した新風舎の債権・債務を引き継いだ、文芸社から連絡を待っていたところ、本日やっと連絡があった。1月に文芸社顧問弁護士名で書状が送られてきて、事業を引き継ぐが個々の対応と処方箋については時間がかかるとの連絡だった。やっと拙著「現代・海外武者修行のすすめ」の発行について話し合う機会を持てることになった。
本書はすでに2刷を経て、昨年倒産前の新風舎と販売計画が立てられると意見の一致をみて、第3刷の話し合いを進めていた矢先に、突然思いがけずに新風舎の倒産により計画が頓挫した。折角拡大販売に夢を持っていたのに、そのまま絶版とはいくらなんでも著者にとって厳しすぎる。何とかしてまだ販売余力のある自著を何とか市場で売りたいというのが本当の気持ちである。そういう願いで文芸社の対応を待っていた。この会社はこれまで自費出版で実績を伸ばしてきた。
しかし、文芸社は新風舎から引き継いだ大量約7千冊の書籍をどう著者の要望に応えていくのか難しい判断を迫られているところだろう。時間もかかるし、個々の要望に対してきちんと応えられるのか。とりあえず手始めに百人の読者の要望に応えるとのことだったので、それに応募したところ連絡が還ってきた。細かい打ち合わせのために、明日文芸社へ直接出かけて話を聞いてくる。
希望は今のまま「現代・海外武者修行のすすめ」をずっと書籍の市場で販売されることである。つかの間に担当者に尋ねたところ、次の出版は3刷にはならず、初版第1刷になるということなので、それなら新風舎版と差別化する意味でも、若干書名を変えてみようかなと考えている。いずれにしろ明日打ち合わせた際、はっきりする。とにかく絶版にならず、拙著が市場に残る可能性がはっきり見えてきた。やれやれである。
431.2008年7月18日(金) 11月に前作品再出版・再流通決定
約束通り午後2時に新宿御苑前の文芸社を訪問し、同社編成企画部主任の松谷和則氏に会って拙著の再販について1時間ほど話を伺った。話としては良い話だったので、契約を取り交わした。内容的には一部修正箇所があるにせよ、ほぼ原文のまま再び出版されることになった。写真や地図はそのままだが、表紙は新風舎のデザイナーに版権があるので、新たに作り直すことになった。書名は「現代 海外武者修行のすすめ」を「新 現代 海外武者修行のすすめ」にして、ハードカバーにする。販売価格は希望を尋ねられたが、当方として格別の希望はなく、売りやすい販売価格にしたいので、お任せすることにした。
版権は新風舎から文芸社へ移譲され、原稿・写真は手渡されたが、発行書が1冊も手渡されなかったということで、今日2冊差し上げ訂正箇所の確認をした。文芸社では、表紙は変えざるを得ないが、できれば帯文に書かれた小中陽太郎氏の名文の推薦文を引き続き掲載したいと希望があった。もちろん望むところでもあり、一応小中さんのご了解を得ることにしたい。
11月上旬には手元に入り、その後書店に出回るとのことだったので、今度はどの程度販売できるのか期待している。いずれにしろ、一時は絶版への道を辿りかねなかったので、息を吹き返しただけでも嬉しい。これで、次のドキュメント「停年オヤジの海外武者修行」の上梓についても、前著と張り合っていい意味でモチベーションが高まる。
さて、11日に松本整形外科で、炎症反応CRPの異常な高数値につき森内科医にも相談して欲しいと言われ、今日やっと森内科医に診ていただいた。昨年6月以来ほぼ隔月間に測ったCRPのトレンド表と、松本先生からいただいた前回の血液検査の医師用の専門数値表を森先生に診ていただき、松本先生のコメントも伝えた。何も自覚症状がなく、炎症数値だけは高い現象に森先生も首を傾げておられ、即座に胸のレントゲン写真を撮ったが、これもまったく問題なく、よく判らないまま様子を見るという結論になった。ただ、日ごろから計測している血圧が安定してきて、高い血圧が110〜120になっているので、当分血圧降圧剤を使用しないで様子をみようということになった。どうもすっきりしないが、こればかりはお医者さん任せなので手の施しようがない。
432.2008年7月19日(土) 教員不正採用事件と凶悪事件の低年齢化
もう一週間以上も前に発覚した大分県の教職員採用不正事件が、日本中を席巻している。採用試験で不正が行われ教育委員会有力者が逮捕されたり、校長や教頭のような要職にある教職関係者が辞めたり、校長不在の学校があったり、大騒ぎである。その大分県が今日来年度の採用試験を行った。受験生の気持ちも複雑だろう。教職員の子どもに教員が多いのは事実である。親が教師として教育する姿を見ていて、自分も子どもたちの教育に携わりたいと考えたとして当然だし、何ら不思議ではない。だが、何かそこには内々に裏の道があるのではないかとは思っていた。東京のような首都圏の教員採用試験に比べて、地方では教員試験の倍率が異常に高く、相当難関が予想されている。そんな中で不正合格者のためにはみ出して不合格となった受験者の心中を思うと気の毒で堪らない。他の都道府県でも似たようなケースはあるかも知れないが、大分のケースはかなり以前から伝統的に行われていたようだ。公平であるべき場で最高幹部が、金をもらい便宜を図るという、あってはならないことをやっていた。
教育の荒廃が叫ばれて久しい。戦後の日教組の活動が教育を壊したとか、家庭教育がなってないとか、いろいろな声が聞かれる。社会のあり方も問われている。遠因としては、社会教育、学校教育、家庭教育に、それぞれ子どものしつけが欠けていることが教育崩壊の最大の理由であると言われている。
今回明らかになった学校教育の上部組織で悪の論理を実践されたのでは、家庭教育の場でもしらけるだろう。
ところで、16日、そして中2日明けて今日19日、とても中学生がやったとは思えぬ事件が連続的に引き起こされた。
16日JR東海バスが14歳の中学生によってハイジャックされた。両親から厳しく注意されたことから、親に迷惑をかけ困らせることが目的で実行したと少年は語った。今日は、埼玉県の女子中学生が夜中に父親をナイフで刺し殺した。家庭的にはまったく問題はなかったという。
凶悪犯罪が低年齢化してきたが、ついにここまで来たかというのが、うんざりした感想である。これは家庭が見かけ上外部からいくら良く見えても、実際に家庭の中はどうだったのかと本当の家庭のあり方に関わってくる。将来この低年齢化傾向はどうなっていくのだろうか。重い課題である。
しかし、教育の本家で、肝心要の教育を差し置いて金で地位を買ったり、便宜を図ったりしていては、子どもの教育どころではないのではないか。どこをどう修正すれば、こういう馬鹿げた事件が防げるのだろうか。
433.2008年7月20日(日) ガソリン高騰に漁師が音を上げている。
ガソリン代の高騰が世界的な問題になり、洞爺湖サミットG8でも当然議題になるかと思いきやほんのお印程度のトークで空振りに終わった。ガソリンの高騰で今一番困っているのは、漁業関係者と漁師だそうである。毎日出漁するが、とても漁獲量はガソリン代に見合わないという。出漁すればするだけ赤字になる。出漁しても魚が獲れる様子を見てせっかく出た漁だが、損益分岐点を判断して途中で漁を打ち切りにする厳しいケースもあるという。
TVニュース解説でも、漁業の仕組み、魚の価格決定の仕組みについて説明していた。生鮮食料品や一般の商品に比べて、コストが小売価格に反映しにくいのが、魚の値段だという。漁師にとっては泣き所らしい。小売業者がほとんど価格を決定する立場にいるので、生産者である漁業関係者にとっては、コスト高がそのまま経営に直結する。消費者が価格を決定すると言えば、聞こえはいいが、大量仕入れで価格決定の生殺与奪の権力を握っているのは、スーパー等の大型小売店である。
ヨーロッパでも漁夫の反乱があった。EUでは保証金らしきもので漁業関係者に一部補填することになった。日本では、保証金の話は政府内に持ち上がったが、結局うやむやになった。
食糧自給化が話題になるが、魚の国内自給率も低く5割だそうである。日本人は、魚を選んで食べている。しかも年々贅沢になるので、高級魚を食べる傾向がある。遂には、海に囲まれた国でありながら、栄養価が高く人骨にも栄養分をもたらし、丈夫な骨格を作るご近所を泳いでいる魚を食するより、海外からマグロのような高級魚を輸入しグルメとして味わうのが、現在日本の食卓の構図になっている。
これは農林水産省の所管であるが、この役所は昔から食糧問題を解決しようとの気持ちがまったくないので、これから先が心配である。今の若林大臣は入閣要請があった時、最も遠慮したかったケチのついた大臣の椅子だと言ったくらいである。こんな大臣の下では、健康に関わる重要課題はとても解決できないだろう。
434.2008年7月21日(月) 政治家や役人に比べて野茂投手の潔さ
アメリカ球界で苦難の中を、改めて活躍の場を探っていた野茂英雄投手が先日引退を発表した。本人としては、39歳の年齢からやるべきことはすべてやったと納得したうえで、引退を決意したと見られていたがそうでもないらしい。本人としては、できれば更に可能性を探ってもう一花咲かせたいと考えていた。その辺りのことはよく分らないが、今年コロラド・ロッキーズ傘下のマイナーチームに採用され、一時はメジャーへ昇格したが、何度かKOされ、遂に戦力外通告を受け再昇格可能性の少ないことと年齢を考慮して、不満足ながらも最後の断を下した。
率直に言ってこれまでの野茂投手の活躍には敬意を表したい。見方はいろいろあるだろうが、私が一番評価したいのは、2度のノーヒットノーラン達成、新人王獲得を含む投手としての赫々たる実績はもちろんだが、そのほかに野茂のパイオニア精神と「退路を断つ」潔さである。1995年メジャーに挑戦すると突然公表したときは、近鉄と契約でもめ、メジャーリーグがストライキ中で下手をするとメジャーへ行っても試合ができないという追い詰められた状況の中で、当時のマス・メディアも野茂の行動に批判的だった。しかも日米球界間には選手移籍契約もなく、野茂が帰国しても日本球界には復帰できない状態だった。明らかに「退路を断った」のである。その中を自力で壁を乗り越え、力を発揮してアメリカのファンに歓迎された。その後の日本人メジャーリーガーの誕生は、野茂の功績と言うこともできる。現在活躍中のメージャーリーガーはみな、野茂に対して感謝の言葉を述べている。
1996年6月にヘルシンキ市内で、野茂投手が完封勝利を挙げたことを写真入りで報じていた英字新聞を誇らしい気持ちで読んだことを懐かしく思い出す。
自分の腕に自信があるからこそ、思い切って飛び込んだ世界だったが、孤軍奮闘見事に力を発揮して見せた。それにしても今の時勢とは合わない一本気とか、潔さ、自分の力を信じる、と野茂の人生観と生きざまが爽やかに感じられる。潔さを欠く政治家や役人どもは、国民を騙したり、税金を無駄使いしたりせず、自力で勝負してみろと言いたい。
435.2008年7月22日(火) 酒飲みの集まり
「酒のペンクラブ」例会が虎ノ門で行われた。いつもながら山中会長、麻木さん、小中さん、西山さん、勝野さんらが来られ、面白い話を聞かせてもらった。
終わって山中会長に従い、新橋で小さな飲み屋に立ち寄った。随いていくだけだったが、共産党員だった山中さんからいろいろな話を伺った。麻布→東大の秀才コースを歩んだ山中さんから、昔の共産党の活動について伺った。話によるとかなり共産党活動に関わっていたようだ。あの清水丈夫さんの話も出た。
そこへ何とJN協会の阿部和義さんが知人とともに入って来られ、あまりの奇遇にお互いびっくり。
拙著の再出版、再流通について、小中さんから貴重なアドバイスをいただいた。やはり長い間に多くの出版業者とお付き合いがあるので、ご意見は大変参考になる。
12年間も逃亡していたボスニア内戦のセルビア人勢力政治指導者、ラドバン・カラジッチ被告が身柄拘束された。国際刑事訴追され身を隠していたのではないかと思っていたが、医師としての資格を活かし、変装して医師として働いていたらしい。
はっきり言って日本人には中々分りにくい内ゲバだった。旧ユーゴスラヴィア内戦の結果、旧ユーゴスラヴィアは6つの共和国に分れた。その間各共和国内で紛争、騒擾事件が相次ぎ、現在の形になるまで長い年月を費やした。しかし、まだセルビア国内にはコソボ自治区が独立を志向し、国民投票によって独立は正式に認められた。それをセルビア政府が認めないという点で、いまだに独立容認派アメリカ・EUが反対派ロシア・中国と対立している。セルビア人の力が一番強かったせいか、セルビアの影響力は各共和国内に広く及んでいる。そう言えばセルビア人のカラジッチという人がいたなぁという記憶はある。旧ユーゴスラヴィア国際戦犯法廷(ハーグ)が、このカラジッチを民族大虐殺の罪で起訴し、長い間身柄を追っていた。似たような民族が、何とかひとつの国家を形成していたが、それが民族独立の流れにより、民族が同じというだけの理由で分離・独立した。
しかし、やはり民族対立があったのだろう。ベオグラード(セルビア)に住む山崎洋氏の話を聞くと、隣のクロアチアへ行ってもいつもクロアチア人から嫌がらせをされると言っていた。民族問題は、そう一筋縄にはいかないものである。
436.2008年7月23日(水) 日経の連載もの「ザ厚労省」が面白い。
次のドキュメント作品の推薦文をお願いにお台場にある潟Wャルパック本社へ行った。前会長の新町光示さんは、6月に会長を退きスペシャル・アドバイザーに就任し、旅行業界のJATA会長としての役職も6月に辞められたということである。ヨーロッパへ行かれる前の忙しさと退任のご挨拶周りもあるのだろう、中々直接の連絡をとれず、今日は秘書の方に原稿といくつかの資料をお渡ししただけだった。ヨーロッパでお読みいただきながら、素晴らしい推薦文を書いていただければ有難い。
それにしてもこのお台場周辺の街づくりは、どうも違和感がある。人間と人間が出会うような環境ではない。ビルはすべて新しく、IT企業が入居しているような、見るからにデザインは洒落て冷たい感じである。周辺は高架鉄道の「ゆりかもめ」、地下は「りんかい線」で駅舎もステンレス製の近代建築と深いエスカレーター、外を歩いているのは、若いサラリーマンと恐らく遊びに来た男女の風太郎たちばかりで、人間的な出会いや思いがけない邂逅なんてとても期待できそうもない。あまり好きになれない環境だ。
連載中の日経朝刊「ザ厚労省」の今朝の中見出しが揮っている。「安心の老朽船」「戦略なき取り繕い行政」「事なかれDNA」とある。読んでみて厚労省役人の余りにも酷い仕事ぶりに呆れかえった。すべてがすべてその通りなのか、疑問を抱くくらいである。
1988年に発刊された内部資料「厚生年金保険制度回顧録」にこんなことが書いてある。「〜年金を払うのは先のことだから、今のうちどんどん使ってしまって構わない。先行き困るのではないかという声もあったけれども、そんなことは問題ではない」と本当に書いてあるそうだ。信じたくはないが、これまでの無責任なやり口から考えて、多分そんなことではないかと思ってはいた。呆れるのは、「年金の船」という構想では、集めた年金資金で豪華客船を造って、高齢者を格安で世界クルーズへ案内するという真っ青なアイディアが真面目に議論されたという。結局この話はつぶれたが、同質の「グリーンピア」へ発展する。「今」だけ見て「先」は見ない。厚生労働省のどうにもならない体質である。あ〜馬鹿馬鹿しい。
437.2008年7月24日(木) 地震と無差別殺人の連続性
今朝未明また東北地方で大きな地震があった。岩手を中心とする東北地方全域である。昨晩このブログを書き終えてそろそろ寝ようかなとトイレに入ったときだった。随分長い間小さく揺れていた。現地ではいまのところ死者は出ていないようだし、建物にもそんなに大きな被害は出ていないようだ。最近地震が多いせいか、みんな地震おたくになっていてそれを見込んでTVの解説もかなり詳しく、今度の地震は震源の深さが地下108qで、前回の岩手・宮城内陸地震の地下8qに比べるとかなり深い。そんなことも被害がそれほど大きく広がらなかった原因のひとつだそうだ。
それにしても近年地震が増えてきた。これだって地球温暖化の影響もあるのではないだろうかと、余計なことまで考えてしまう。
悪い事件がまた起きた。連鎖反応というのだろうか、秋葉原の無差別殺人事件に続いて、同じ無差別殺人が八王子市内であった。ビル内の書店でアルバイトの女子大学生が突然若い男に刺し殺された。逮捕された犯人の言い分は幼いまま成長が止まったように、親を困らせるために誰でもいいから殺したいと思ったと言っている。これが32歳の男の言うことだろうか。殺された女子大生も運悪くこんな男に出くわしたために、若い命を落とすことになった。
心理学者がいろいろ研究しているだろうが、かつては見なかったこういう突発凶悪犯が最近になって多く見られるようになったのは、現代病のひとつではないかと思う。素人考えだが、ある程度自分の考えが固まる前に、人生にとって不必要な下らないものに接触し、それを私有することが簡単に許されるようになったことが大きいと思っている。それに自分で汗を掻き、身体を使う厳しさを知らずにTV、携帯サイト、ゲームソフトで人とのコミュニケーションなしに、年齢と身体だけは成長し、見かけは大人になる。どうしても昔のような教育と現代の子どもの成長具合はずれてくる。結局自分に対する甘え、世間に対する甘えがこういう未成熟な人間を育てることになる。やはり、小さいときから行動規範を厳しくしつけることが基本的で、最も大切なことではないかと思う。
それにしても酷い世の中になったものである。
438.2008年7月25日(金) 言葉の意味を間違えて憶える。
次のドキュメント作品「停年オヤジの海外武者修行」のゲラを早稲田出版鰍ヨ持参した。しばらく時間をかけ読んでもらい嬉しい結論を出してもらいたい。もし、内容を気に入ってもらえれば、何とか出版して販売を伸ばしたいものである。前著「新・現代海外武者修行のすすめ」も文芸社に引き受けてもらい再販が決定したので、それとセットで「海外武者修行シリーズ」としてともどもぱっと売れればこんなに嬉しいことはない。これからトルコ、カイバル峠、シベリアの写真を整理して内容にフィットした写真と地図を載せて、臨場感を盛り上げたいものである。
朝日朝刊の「国語に関する世論調査」の結果に意外な感じを持った。「意味を間違えて理解している人が多い」言葉の中で、「憮然として立ち去った」の正確な意味をこれまで間違えて使っていたことが分った。「腹を立てている様子」だとばかり思っていたが、正確には「失望してぼんやりしている様子」だそうである。分っていた人は僅か17.1%で、間違えて理解していた人の割合が70.8%だそうだから、われわれはどこでどう間違えて憶え、これまで大きな恥をかかないで済ましたのか。こちらが意味を間違えて使い、相手が意味を間違えて理解すれば、問題になることもないということになる。何か落語で聞いたような話である。まあ、ここで正しい使い方を知ったので、今後は正確な意味で使えると思うが、どうしてこんな慣用語を間違えて憶えたのか、気になってしようがない。
439.2008年7月26日(土) 新町さんから推薦文辞退のお申し出
あ〜参った。銀座の「ライオン」でゼミの仲間と暑気払いをやって楽しい気分で帰ってきたところ、次の拙著の推薦文をお願いした新町光示さんから電話があり、できれば辞退したいとの申し出だった。がっくりだ。新町さんのお気持ちは理解できないことはない。JATA会長を先月辞められたので、前会長としてJATAの名を使用することにひっかかるということだった。個人的には約束したことであるし、推薦文を書いてあげたい気は充分だが、会長を辞めたので、どうしても前職をタイトルとして使用することに忸怩たるものがあると拘っておられた。あまり強引にお願いするのも失礼だと思うので、とりあえず今日はこのまま引き取って、ヨーロッパから帰られた後にもう一度お願いすることにした。
しかし、あまり気が進まないのに押し付けるような感じでお願いするのは、私自身も本意ではない。少し考えてそれほどタイトルに拘るようだったら、やむを得ないので他の人にお願いすることも選択肢として考えなければならないかなとも思う。急に別の人と言ってもそう簡単に適当な人が見つかるわけでもないので、頭が痛い。それにしてもまるで考えていなかった事態に、しばらくは気が重い。
さて、ゼミの仲間との会合では、自由に話し合って思いのたけをぶつける。今日は隅田川の花火があるせいか、地下鉄銀座駅でも浴衣姿の男女を幾人か見たが、歩行者天国を「ライオン」まで歩いて行くとその前は人だかりで、「ライオン」の店内は混雑して大勢の人が群れ、外まで行列が並んでいるほどである、一部の人たちは歩道まで溢れている。そっとその脇を通り抜け2階へ上がる。銀座辺りで手頃な値で宴会?をできるのは、ここ「ライオン」ぐらいしかないのだろう。外はそれほどでもないのに、中は熱い。
4月にゼミお祝い会を開いて以来、まだ飯田先生のお宅へご挨拶に伺っていないので、近々伺おうということになった。
440.2008年7月27日(日) どうして危ない若者が多いのか?
小中学校の夏休みが短縮傾向にあるという。理由は授業数を増やすためだそうだ。普段から塾通いの子どもたちは、夏休みを削られ勉強、補習づけでストレスも溜るのではないだろうか。われわれのように、小中学校のころはほとんど勉強らしいことをやったことがなかった世代からすると、正に隔世の感がする。勉強し過ぎた子は、それは知識が身についてもちろん結構ではあるが、戸外での遊び方を忘れ、友だちとのコミュニケーションを忘れ、親から大事にされ、限られた時間の中でちまちまとゲームに勤しみ、目を悪くして人間らしい会話を忘れる。こういう子どもが成長していくと、いま流行のような冷めた無機質の若者になる。そして、彼らの何人かが無差別殺人予備軍入りする。
最近残酷な殺人鬼が生まれる背景とか、その理由について多くの精神医科学者ら専門家がコメントを述べているが、これといって具体的な予防対策を耳にしたことがない。偏見になるかも知れないが、社会全体で駄目なことは駄目だということをことあるごとに周囲が教えてやることが、不気味な殺人鬼を産まないことになる。もちろんそのためには山積する社会問題を少しでも解決していかなければいけないが、現状は善悪の判断、他人への迷惑を考えないまま大人になるために、自分の稚拙な善悪の判断力が他にも大きな影響を及ぼしている。他人のことはどうでもいいという手前勝手な考えは、自分の思い通りにやるということで、心理的に悪魔のささやきがあると、一気に人殺しでも何でもやってしまうということになる。
例えば、公共の場である電車内の若い人のお行儀の悪さは、もう行き着くところまで行ってしまったという感じがする。まったくお手上げである。もう術の打ちようがない。個人的に注意すると今どきの若者にはすぐ逆上され、殺害されかねないので、別の機関、例えば鉄道会社が注意する。社会の協力が必要なのである。電車内のエチケットには、車内放送で何度もアナウンスする。そして、シルバーシート脇に「このシートは65歳以下の人はご遠慮ください」と具体的に書く。若い人が何の躊躇もなくシルバーシートに一目散というのは、思いやりがないことと、シルバーシートの目的がまったく分っていないからだ。彼らに誰も教えないからであり、一方で彼らにはその理解力もないからである。言い出したらきりがないくらい、危ない症候群の若者は危険がいっぱいだ。社会全体で総合的に危ない若者を押さえつける方法を具体的に徹底して考えないと、これからも似たような事件は頻発し、悲しむ人が増えるだけだ。
441.2008年7月28日(月) 明るい笑顔のベトナムの子どもたち
NHK・月曜日のゴールデンアワーの定番「鶴瓶の家族に乾杯」を毎回楽しみにしている。今日は久しぶりの海外取材でベトナムのホイアンだった。ベトナムはベトナム戦争中に当時の首都サイゴン(現ホー・チ・ミン)を訪れてから、戦後33年ぶりに再びホー・チ・ミンを訪れたが、戦争中はいつ砲弾が飛んでくるか分らない状態でてんやわんやだったので、落ち着いた市民の姿というものにはお目にかかれなかった。今日元横綱・大乃国(現芝田山親方)とともに訪れたホイアンは、世界文化遺産の町で古い町並みが心を落ち着かせてくれる。
それより何より、一番印象的だったのは、人々の笑顔である。とりわけ子どもの笑顔が素敵だ。どうしてこうも明るい笑顔がいとも簡単に出てくるのだろう。ベトナムに限らず、発展途上国の人々、特に子どもたちの笑顔は無邪気で素朴、加えて簡単に顔に出てくることである。屈託がないというか、いつもニコニコしてじっと見ている。人懐こいこともある。
ところで日本の子どもたちはどうだろう? 日本の子どもだって笑顔を見せてくれる。しかし、やはりどこか違うような気がするのである。先入観があるかもしれない。特筆したいのは、アジアやアラブの子どもたちたちは、見知らぬ人に対しても全員が同じように屈託なく笑顔を見せてくれることである。日本の子どもたちは、見知らぬ人に対する警戒心が働くのか、全員が笑顔を見せるということはあまりないと思う。全員がニコニコするのと、半分がニコニコするのでは見た印象がまったく違う。アジアやアラブの子どもたちを見ると人懐こくみんな笑顔が素敵だと感じるのは、こういう点だと思うのだが、どうだろうか?
今晩の特別番組はベトナム人の素朴な心温まる人柄を引き出してくれたと思う。また、いつかベトナムへ行ってみようと思う。
TV朝日の「報道ステーション」で、最近のチベットの様子を特派員が10数分にわたって伝えていたが、ラサ市内は武装警官、軍隊、監視カメラによって完全に自由を規制している。加えて、特派員に私服監視員が附いているのでは真実が伝えられるわけがない。インタビューしたおばあさんも監視員を見ながら、遠慮しがちに応えてくれていた。特派員が語ってくれた現状の中で、ラサの人々に笑顔がなくなったことと、僧侶の姿が目につかなくなったことが異常に感じられたということが印象に残っている。あの素朴だったチベットの人々からも笑顔が消えつつあるのだ。
今日は、気象でも驚くような現象があった。関西と北陸地方に鉄砲水のような豪雨が降り、河川で犠牲者が出た。今年の特徴は、雲が細長く局地的に大雨をもたらすということになるようだ。特に、神戸市の都賀川と金沢市の浅野川が鉄砲水のような濁流がどっと溢れ、まるで氾濫に近い状態だった。東京には、いまのところ大きな自然災害は襲ってこないが、いつやってこないとも限らない。やってくるのは、避けられない。肝心なのは、災害に襲われたときにどう対応するかということだ。さぁ自分にできるかなぁ。
442.2008年7月29日(火) 徐々に崩壊する日本社会の秩序
明日30日は、小田実さんの一周忌である。早いものだ。今朝未明NHKのTV番組「小田実・遺す言葉」がリバイバル放映された。1時間半の番組だが、また最後まで観てしまった。昨年放映されたばかりなので、まだ生々しい記憶として頭の中に残っている。番組の冒頭8月4日告別式後の追悼デモ行進が写った。よく見てみたが、私自身はその画面に登場しなかった。朝日新聞社会面に掲載された私が写っている写真は、行進の中で前へ出てきたデモ後半のものなのだろう。
小田さんについては、一周忌が過ぎて小田さんを知る人から小田さんを取り上げた書物がかなり書かれるようだ。誰がどんなものを書かれるのか、楽しみに待ちたいと思う。
高校時代の同級生・呉忠士くんと自由が丘で昼食をともにした。彼はブラジルに11年間も駐在して、三井アルミニウムのブラジルにおけるアルミ事業のレール敷設のために頑張っていたようだ。ブラジル時代の話をいろいろ聞いたが、意外だったのはバブル当時の日本人のマナーは酷かったと感じたそうだ。それは本来日本人が持っているはずのエチケットを一時的に忘れているのではないかと、乗り物内の日本人の行動を見て思ったそうだ。われわれ日本国内に住んでいると気がつかない。また、日本人の他人を気遣う思いやりが、ブラジル人に比べてもとても足りないと感じた。特に、交差点で信号待ちの老人が横断するときに、誰も支えてあげようとする若い人を見ないことは、ブラジルだったら考えられないとも言っていた。
今やバブルを引き摺ったまま世の中が殺伐として、他人にお構いなし、傍若無人、他人迷惑などが当たり前のようになっている。もうどうにもならないと諦めの空気さえある。しかし、現実に突然何の縁も所縁もない他人からナイフを突きつけられる可能性がないわけではない。ならば、やはり対策を講じて、できるだけ未然にに悲惨な事件を防ぐように考えなければならない。
昨日JR平塚駅構内で、わめきながらナイフを振り回し、男性7人を怪我させた女性が捕まったと思ったら、今日は愛知県内の中学校内に卒業生がナイフを持って押しかけ、元担任教師を刺して重傷を負わせたという殺伐とした社会になってきた。連鎖反応であるかも知れないが、日本の社会としてどうすれば、こういう事件を防止することができるのかを、そろそろ国を挙げて、真剣に考えるべきときが来ているのではないだろうか。
443.2008年7月30日(水) イチロー3,000本ヒット達成、WTOは決裂。
やった! マリナーズのイチロー選手が日米野球界で積み重ねたヒット数が、今日遂に大台3,000本に達した。どうあろうと素晴らしい記録であることに間違いなく、アメリカのファンも祝福し、イチロー選手の栄誉を称えている。
イチローは並みの選手とは違って別格官幣大社の天才である。日本人野手最初のメジャーリーガーで、日本で7年連続首位打者を獲得していたが、入団前はシアトルでそれほど期待されていたわけではなかった。怪我さえなければ、2割7〜8分は打てるのではないか、程度のものだった。しかし、入団1年目から大活躍で、新人王とリーグMVPを獲得してアメリカ人ファンをあっと言わせた。
では、日米を通じて一番ヒットを打った選手は誰かというと、ピート・ローズ(元フィリーズ、レッズほか)選手で計4,256本を打った。
文部省教員海外派遣団の添乗員として、1980年9月にフィラデルフィアを訪れたとき、自由時間内に何人かの先生とともに、当時地元のフィリーズの有名なローズ選手を観に行った。そのころのローズは、特技のヘッドスライディングをセールスポイントにして人気があった。ローズ選手が塁上に出ると、周囲のファンが「ピー、ピー、ピー・・・」と叫ぶ大歓声が耳に煩かったのが、強く印象に残っている。その後ローズ選手は脱税とか、覚せい剤とかで社会的制裁を受け、名声も地に堕ちた。晩節を汚した格好になった。イチロー選手がこんな末路を辿ることはあるまいが、「好事魔多し」と言われるように油断と傲慢が忍び寄ることがないとは言えず、好漢なお一層の自重を望むこと切なるものがある。
さて、ジュネーブで開かれていた世界貿易機関(WTO)の多角的貿易交渉は決裂した。前日までは何とか合意しそうな流れだったが、土壇場でインドとアメリカの対立が極度にこじれ、交渉決裂という最悪の結果になった。
究極の目標は世界の貿易の壁を取り払い、各国が自由に制限なしに取引をしようとの理念を実現することである。しかし、地球温暖化の二酸化炭素排出削減の駆け引きでも見られる通り、どうしても先進国と発展途上国との間には、考え方において大きな落差がある。インドの代表がアメリカは自国の農業利益のために奔走しているが、インドは国内農家を守らなければいけない現状であると主張している。ある程度話がつきそうな空気だったが、そうは問屋が卸さなかった。今回のドーハ・ラウンドでは、途上国を対象にした農産物輸入急増への「特別緊急輸入制限(セーフガード)措置」が議論された。インドに中国が後押しして、アメリカを孤立させ、日米欧が受け入れを考えていたWTO事務局長の裁定案を蹴ってしまった。7年間も揉んで揉んで漸く決着と考えていた事務局長は、怒り心頭である。これからアメリカ大統領が交代することから、具体的な目標を以て会議の再開は難しく、当分途上国は高い関税をかけ、いささか世界貿易の発展にブレーキをかけることになる。日本は事務局長裁定案に、失うものが多いが世界の流れから止むを得ず同調の考えだった。農業分野ではマイナス、工業分野ではプラスのスタンスだった。これが流れ、農家は喜んでいるが、一時的なもので、世界の目は日本農業に厳しい。日本農業の復活を今後どう考えるのか。暢気な父さん、若林正俊農水相にポジティブなアイディアや秘策ありしか?
いかに超大国といえども、すさまじい勢いで発展してくる途上国を今や無視できず、かといって話がまとめられる可能性も高いわけではない。これから、世界の舞台で交渉する場合、よほどの知識、理論、哲学、交渉力がないとタフな交渉で筋を通して言い分を説得することはできないのではないか。難しい時代になったものである。
444.2008年7月31日(木) 好漢・瀬下正幸さん逝く。
毎日暑い日が続いているが、これに加えて最近は天候の急変がよくある。突然風雨が強くなったり、それが竜巻になったり、雷雨になったり、とにかく昔はこんなに戸惑わせるようなはた迷惑な気象はなかったような気がする。
今日相武台で瀬下正幸さんの葬儀があり参列した。ご子息からメールでご連絡をいただいたものだが、父親とのご交誼をよく憶えていてくれて、わざわざ最後のお別れに立ち会わせてもらえたことは嬉しいかぎりである。葬儀前にご挨拶をしたが、案の定「癌」で亡くなられたとのお話だった。今年の年賀状に元気な言葉が書き連ねられていたが、奥様と二人のお孫さんと一緒に写っている写真を見て随分痩せたなと感じた。そのとき失礼ながら、「癌」に蝕まれているのではないかと秘かに心配していた。あまり詳しいことはお聞きできなかったが、瀬下さんなら思い切りのよい、悔いのない生涯を送られたのではないかと思っている。
そもそも瀬下さんと親しくなったのは、昭和44年夏の最初のツアー添乗のときだった。今では考えられないような北海道一周の大型ツアー・シリーズだった。なにしろ東北自動車道開通前で、新宿からバス5台を連ねて国道4号線を北上し、下北半島の大間からフェリーで函館へ渡り、北海道を一周して、同じ道を新宿まで帰る1週間の旅だった。思い出が沢山詰まったツアーとなった。私の担当バスには作詩家の内村直也さんがご友人とともに参加され、北海道へ渡ってから気を利かせたガイドさんが、内村さんの作詩された「雪の降る町」を何度も何度も歌ってくれたことが昨日のことのように思い出されてくる。このツアーを起点にプロ添乗員としてのスタートを切った。瀬下さんにに多くのことを教えられ指導された。元気の良さ、行動力、お客さま・運転士・ガイドへの思いやり、ツアー回し等、その後の添乗員実務で随分参考になった。その意味では瀬下さんに教えてもらった、添乗員としての心構えが旅行業稼業の原点になったとも言える。
瀬下さんの添乗員としての存在感の大きさは、ずば抜けていた。少々普通の人とは違うなと感じたのが、小さな身体で元気よく1号車から5号車の間を、大きな声で叫びながら行ったり来たり走り回り、全体をまとめていた傑出した行動力が印象的である。
ああいうタイプの人は今やあまりいないのではないか。海外旅行の添乗としては、疑問もあるかもしれないが、心がお客さまに届くような添乗員ぶりだった。もう一度ゆっくりお話ししたかった。いつまでも忘れない人である。最後のお別れをしたときのお顔は、実に安らかだった。心よりご冥福をお祈り致したい。 合掌