2008 年3月

             2922008年3月1日(土) 国会議員選出について提言

 昨日の国会審議をしばらく見ていて呆れた。国会議員の程度の低いのは、いまに始まったことではないが、未だにこの程度かと思うと情けなくなる。いま議題になっているのは、新年度予算案、ガソリン税の暫定税率延長等の税制改正関連法案、そして予算委員会のイージス艦と漁船衝突事故に関わるドタバタ議論である。
 特にイージス艦事故に関する福岡県選出自民党M議員と石破防衛相のやりとりは、石破大臣はともかく、質問内容以前に質問するM議員の言語不明瞭、間合いの悪さ、繋ぎ言葉「え〜」の多さ、等々あまりの不慣れと無様さには、これが代議士生活10年以上の議員の質問かと信じられない気持ちである。この程度でも地元では人気?があって当選するのだが、とても国政を委ねる能力も資格もない。国会も落ちたものである。
 そろそろ程度の低い国会議員が選ばれる現状のシステム改革を検討し、能力のない国会議員を排除することを真剣に考えるべき時である。迷惑を蒙るのは国民である。そのための私案としてさし当って、@世襲議員をなくす(減らす)こと、Aいきなり国会議員ではなく、一定期間(4〜8年)地方議員(県会、市町村議会議員)の経験を積んで国政の場へ進出すること、を提言したい。
 前出のM代議士と石破大臣の二人は、ともに世襲議員である。大臣は防衛に関しては国会議員の中で最も精通していると言われているが、父親の地盤をそっくり受け継いで国会議員になっただけに、苦労知らずで甘やかされてきた。その証拠に、少々気に入らない質問をされるとすぐ興奮しかっとなる。こんな性格では国防の責任者として、不適格ではないかと危惧する。一方のM代議士の如きは、やはり父の財産をそっくり継承したボンボンで、世間知らずで質問に対する応え方から推して平素勉強しているとはとても思えない。こういう人が単に父親が偉かった?というだけで、簡単に代議士になれるカラクリがおかしい。世襲議員は、父乃至身内の地盤を世襲して、そのまま立候補することを4〜8年間一時的に凍結することを提案したい。理由は、他候補と比べて最初から当選が期待出来る地盤をそっくり継承出来るのは、憲法が保障する万人「平等」に反することである。被選挙権を制限することが不平等という反論に対しては、世襲選挙区以外なら被選挙権を認めるので不平等とは言えまい。
 もう一点、国会議員へのステップとして地方議員としての経験、特に地方行政のあり方を一定期間学んだ後で、国政の場へ参画するルートが確立されることが望ましいと考えている。現状では、ちょっと名前が売れたり、小泉チルドレンのようにチャンスと運さえあれば、国政に熱意が薄くても国会議員になり、甘い汁を吸うことが出来る。やはり、国会議員選出のシステムを国民みんなで考えてみる必要があると思う。
 あまりにも程度の低い国会議員が多すぎ、彼らが国民を舐めて、真面目に国政に奉仕しようとの気持ちが薄過ぎることが、われわれ有権者にとっては我慢ならないのである。

                       2932008年3月2日(日) ロシア大統領選挙は一体何のために?

 先日韓国の大統領選挙で李明博氏が当選した。新大統領は大阪生まれで戦後母国に帰り、苦労の末に現代自動車の社長を務め、その後ソウル市長となって市財政立て直しをやり遂げた立志伝中の人物である。北朝鮮に対しても、北が核装置停止を実行したうえで、是々非々の立場をとるとの姿勢を示し、前ノ・ム・ヒョン大統領の南北融和政策とはかなり考え方や路線が異なるようである。
 アメリカはいま選挙戦の真っ最中で、民主党では優勢と見られていたヒラリー・クリントン候補に対して、最近の9連勝によって逆にバラク・オバマ候補が一歩リードし、4日の大票田テキサス州の予備選挙の結果次第では、ある程度この先の予想が見える流れになってきた。
 さて、問題はロシアである。ロシアでは今日が大統領選挙投票日であるが、国民の意向を長期間に亘り広く掬い上げるアメリカ大統領選挙とは大違いで、すでに人気磐石のプーチン大統領の後継者指名により、メドベージェフ副首相の圧勝が予想されている。メドベージェフ氏が大統領になってもプーチンが後見役として首相になるシナリオから、プーチン首相が背後で操る院政が当然予想出来る。権力強大化、独裁制の歯止めのためにアメリカ同様、大統領任期は2期8年までと憲法で規定されているにも関わらず、合法的にその裏をかき共和制から議院内閣制に形を変え、名前も「大統領」から「首相」に変えただけで、ロシアの支配体制は実質的には変わらない。これでは大統領選挙なんか行う必要がないではないか。よくもまあ、こんなえげつない仕組みを考え出すものだ。民主主義政治を施行するために作り上げた制度、法律を国家の最高責任者たる者が自分の権力欲でいとも簡単に骨抜きにしてしまう国家、それを許し有難がるような国民とは一体国家にいかなる理念を求め、どういう国家を希求して生きようとするのか。
 偶々今夜NHK教育番組で、ドストイェフスキー著「カラマーゾフの兄弟」を新訳版でヒットした亀山郁夫・東京外国語大学学長が、ロシア人女流文学者に尋ねていた。彼女のコメントは90年代に自由を得たロシア人は、その後経済的に苦しんだ。今日資源エネルギーにより国家の経済的立場は回復し強固になったが、ロシア人は一旦自由を得て味わった苦衷の経験から、必ずしも民主主義的自由が良いとも思わず、反ってある程度の規制、国家管理の方に賛同するということであった。なるほどこういう考え方もあるのだと思い、帝政、革命、共産主義、ペレストロイカ、どん底自由経済を経て歴史の変遷に翻弄されたロシア人のニヒリズムを感じた。
 昨年のフランス大統領選挙、先日のパキスタン国民選挙が大分派手に報道されたのに引き比べて、今日一日中ロシア大統領選挙に関する速報がなかった。ニュースバリューがないのだろう。

                       2942008年3月3日(月) 次期ロシア大統領はメドベージェフ副首相に

 プーチン現大統領の後ろ盾を得て、昨日の次期大統領選出選挙はやはりメドベージェフ氏の圧勝だった。得票率70%を上回るという化け物的数字だった。大国ロシアの大統領選挙とあって、さすがに今日は朝夕とも新聞紙上はトップ報道だった。しかし、どこかしらけた感じで、解説者は実に冷静に結果を分析していた。プーチン路線継承、有権者に選択の余地なし、「禅譲」追認の儀式、等々メドベージェフ氏の能力とか、可能性を評価するものでなく、プーチンの黒衣に徹する大統領とまで言われて、今後どれだけ独自色を出すことが出来るだろうか。選挙自体は完全に出来レースで、プーチンの一声で決まったと言ってもいい。プーチンとしては手なずけていた、後輩で何でも言うことを聴く可愛い奴だった。何だか、大学の体育会的組織に見えてしようがない。プーチンが部を仕切る親分肌のボスで、茶坊主のようにまつわりついているのが下級生メドベージェフという構図である。お手並み拝見であるが、世界の大国のトップ人事が、こんな体育会的な組織のような決め方でいいんでしょうかと聞いてみたい。これではロシアの民主化なんて遥か先の話だろう。そこに行き着くまでに何度ゆり戻しが来ることだろうか。
   それにしても、国内に多くの資源エネルギーが埋蔵されている国家は、自力で努力しなくても自然に懐に資金が入ってくるだけに、国家を統治するトップ政治家にとってはこんなにラッキーで恵まれていることはない。財政は安定するし、大胆な経済政策を思い切って実行出来る。それがすべて自分の実績になる。わが国の世襲代議士の幸運度とどこか似ていやしないか。
 こんな盛り上がらない最高権力者選出選挙は、好い加減にしてもらいたい。その点、アメリカの大統領選挙は分かりにくいが、国民が真剣にリーダーを観察し熟慮して選んでいるという気がする。国際社会でいま失点続きのアメリカではあるが、民主的という観点では、ロシアとは比較にならない。そのアメリカ大統領選挙の民主党候補の戦いは、いよいよ佳境に入ってきた。
 明日4日は、テキサス州とオハイオ州で予備選挙が行われるが、この結果次第では帰趨が決まりそうな雲行きになってきた。クリントンと出るか、オバマと出るか。

                        2952008年3月4日(火) 三浦和義容疑者の裁判の行方は?

 先日ロス疑惑事件の三浦和義容疑者がサイパンで逮捕されたが、すでに日本では無罪が確定しており、同じ容疑で二度逮捕、訴追されることがあるのかと、昨日あたりマス・メディアが克明に報じていた。結審後に二度と同じ事件で訴追することはない「一事不再理」という社会通念が普遍的に通用するし、その方か筋が通っているというのがわれわれの解釈である。
 そもそもサイパンがアメリカの自治領であることを知らないで、今まで度々サイパンに行っていたとは、三浦の迂闊さと不注意さが信じられない。まさにこれまで世間を舐めきっていた三浦の「不徳の致すところ」だろう。このような三浦自身の軽率で無知な行動が騒ぎの発端であるが、ロス市警は確信を持って三浦をお縄頂戴としたようだ。確かに日本では無罪だが、属地主義を採っているアメリカにしてみると、国内法として充分立件出来ると踏んだようである。しかも、ロス市警が活動するカリフォルニア州法では、2004年にこの「一事不再理」を認めなくなった。この点でロス市警側と三浦側の解釈と言い分が対立する。ロス市警側はアメリカ国内で発生した事件であり、「一事不再理」なる法則もカリフォルニア州法にはいまはないと主張している。証拠は充分ありとして、三浦をサイパンからロスへ移送することを要求している。
   しかし、日本で無罪が確定したのが2003年であり、その後に採用されなくなった「一事不再理」だが、このケースでは一般的には有効であると考えられると思う。しかるに、「刑法では新法が優先する」との意見を述べる日本の専門家もいて、専門家の間でも法解釈が分かれるところである。つまり遡って裁判によって一旦下された無罪は有罪に、有罪は無罪に変えられる可能性があるという解釈も成り立つということだ。
   それにしてもロス疑惑事件の真相もよく分からないし、今度のサイパンにおける逮捕もなおよく分からない。この三浦先生もよく宿題を出してくれて、不勉強になったわれわれの尻を叩いてくれる。
   ともあれこの先の推移を注目しよう。

                       2962008年3月5日(水) 東京湾アクアライン川崎側出口表示の不親切

 暖かい南房総の海岸沿いは可憐な春の花が有名で、最近ではTVの旅番組でもしばしば取り上げられている。昨年も南房総を訪れたが、時期的に可憐な花を見られなかったので、残念ながらベストシーズンとはいかなかった。一度お花が満開の季節に訪れてみたいと思い、今日妻と観光がてら車で出かけた。
 川崎から東京湾アクアラインを通り、房総半島の館山自動車道を南下して千倉町へ行くプランだったが、カーナビがヘソを曲げて言うことを聞かず、道路標識も分かりにくく、結果的に回り道をして漸く千倉町白津間のお花畑へ辿り着いた。流石にお花畑に植えられた、ポピー、キンギョソウ、菜の花等々が彩りも鮮やかに花盛りで、時期的にグッドタイミングだった。団体さんも観光バスでやってきていた。早速お花畑に入り、いくつか花束を買い、まずはドライブと花のページェントを楽しんできた。
 ところが、問題がひとつ見つかった。往路同様に帰路もアクアラインの「海ホタル」から海底トンネルを通って、川崎側の出口分岐点の看板表示が分かりにくく最悪であることに気づいた。実は昨年もトンネルを出る辺りから、分かりずらくて進路を見間違え往生した。今日は昨年の轍を踏むまいと心して道路標識を注視しながらドライブした。なぜ昨年あれほど迷ったのかと反省しながら現場に差し掛かった。そこで初歩的な看板の表示ミスに気づいた。
   川崎側出口の上部にランプで掲示された行き先表示と、その大分手前の二車線の路面に白色のペンキで書かれた表示が異なっているのだ。こんなお粗末なことがあるだろうか。分岐点のランプは、右は川崎方面、左は横浜・東京方面となっている。しかし、その手前路面上の表記は右車線は東京、左車線が横浜と大きく書かれている。「海ホタル」から進行してきた車は、まず道路上のサインに従い東京方面へ行く車は当然右車線を走る。ところが、分岐点へ来ると標識では左車線を走れと指示される。出口の分岐点で予定外のランプ表示を見てアレッと思っても咄嗟に左車線へ変更出来ず、また川崎から東京へ行けると思い込んだ車は、そのまま流れに乗って右車線から川崎市内へ出てしまうことも考えられる。
   しかし、最初から路面上にも右車線を川崎方面、左車線を横浜・東京と表記してくれれば混乱と間違いは起こらないのに、どうしてドライバーを悩ませる、こういう複雑怪奇な案内になるのだろうか。そして、これまで面食らったドライバーは相当数に上ると想像される。にも関わらず、この初歩的ミスが10年間も放置されているのだ。私自身は昨年の失敗を繰り返さないために、東京方面の路面表示を敢えて無視して左車線を走り、分岐点で予定通り「東京」方面の指示に従い、スムーズに自宅へ戻ることが出来た。
   こんな初歩的な表示間違いを、開通10年にもなるというのに、なぜ未だに利用者を悩ませる表示のまま放置しているのか。初めて運転したドライバーを道に迷わせるためだけの不親切な表示を、早く訂正することは出来ないのか。
   一度管理会社になぜ高い利用料金を徴収していながら、こんな不親切な案内をいまも平気で続けている理由を尋ねてみたい。

                       2972008年3月6日(木) ヒラリー・クリントン氏の粘り腰

 アメリカ大統領選挙も、共和党はマケイン上院議員が代議員数の過半数を獲得して共和党の大統領候補に決定した。他方で民主党は益々先行きが分からなくなった。4日の大票田、テキサス州、オハイオ州を含む4州で予備選挙が行われ、クリントン氏は全敗なら候補撤退かと噂されていたが、大口テキサス、オハイオとロードアイランドで勝ち、極少バーモント州を失っただけだった。3勝1敗である。このところオバマ氏に対して9連敗だったが、愁眉を開いたとも言える。獲得代議員数では、オバマ氏1,451人に対してクリントン氏は1,365人で、まだまだ86名の差がある。しかし、このミニ・チューズディではクリントン氏が辛うじて持ち直したように見える。それでもアメリカの専門家筋は、流れは依然としてオバマ氏に傾いており、よほど効果的な逆転打がなければ、オバマ氏優位の流れのままゴールへ走るのではないかと予想している。この大接戦からすると、最終決定は、8月末の民主党全国大会まで持ち越されそうだ。
 われわれ外国人が羨ましく思うのは、各候補が大統領になったら自分ならこういう政策を実行するということを、具体的に、熱心に、真剣に国民に語りかけることである。しかも長い期間に亘り、マス・メディアを通して国民が判断する材料をふんだんに提供してくれる。各候補の熱意といい、ビジョンといい、話し方といい、まったく敬服するくらい説得力があり、国を託してもよいと思えるほどグラマラスである。演説の迫力と熱気、スピーチの巧さと雄弁さ、具体的なスピーチ内容、すべてがすべてとは言わないが、理想的だとすら思わされてしまう。
 それに引き換え、日本の首相ら政治家トップの迫力に欠ける言動はどうだろうか。国家、国民のための政治というより自己の利益と政治活動のための政治だけに没頭し、国民のことは完全に頭から消えている。政治体制の違いもあり、選挙制度が違うが、それにしても国政政治家というのは、理念と志をもって国家と国民のためにどれだけ奉仕することが出来るかにかかっているのである。
 少なくともアメリカの選挙には民主政治の匂いを嗅ぐことが出来る。わが国の政治家には失望しているが、アメリカの選挙を見ていると少しは救われる気がする。

                       2982008年3月7日(金) 多摩大学公開講座に期待

 先月恒例の「知研セミナー」で寺島実郎氏の講演を聞いた折に、寺島講師から今春多摩大学で開講のリレー公開講座を社会人にも開放するとの話だったので、大学へ問い合わせ早速申し込んだ。寺島氏自身が直接関わった「寺島実郎監修リレー講座」で、「現代世界解析講座」春学期全12回と銘打ったもので、昨日そのパンフレットが届いた。中々講師陣が充実しており期待出来そうだ。カリキュラム内容を見ても興味深いタイトルばかりだ。四月から七月まで毎木曜日の午後240410の1時間半の間に、各界の蒼々たる著名人の講義を受講出来て、春季全12回分の受講料が僅か12,000円というのも魅力的である。講師陣には、「知研」理事長・久恒啓一氏、東京外大教授で元アジア経済研究所研究員の酒井啓子氏、沈才彬・多摩大教授、金美徳・三井物産戦略研究所研究員、明石康・前国連事務次長、ジャーナリスト・江川紹子氏、浅野史郎・前宮城県知事、中谷巌・多摩大学長、弁護士・堀田力氏、そして寺島氏自身が3回も講座を持たれる。酒井氏はイラク問題の専門家でアジ経在職時にイラク戦争が勃発し、度々テレビで解説されておられたが、よくイラク情勢に精通していて、メリハリの利いた分かりやすい解説には随分教えられたものだ。それにしても、これだけ充実した講座は一寸珍しいのではないか。アカデミックな中に一服の清涼剤である。社会人枠が当初150人だったのが、すでに一杯になり枠を追加拡大したとのこと。頷ける話である。
 久恒・「知研」理事長もこの三月をもって、永年務めた県立宮城大学教授を辞めて、四月からはこの多摩大教授に就任されるという。これから東京に腰を据えて「知研」の活動にさらに力を入れていただき、「知研」が一層活性化するようになれば嬉しい限りである。幸い「知研」でも本講座に参加される会員も多く、八木哲郎会長、秋田英澪子事務局長をはじめ、数名の会員がすでに申し込んでおられる。毎週ポジティブな「知研」会員が集い語り合う機会が増えるのも、「知研」として大きな起爆剤になるのではないか。
 とにかく四月から新たな楽しみが増えた。

                   2992008年3月8日(土) 悪い奴がほとんどで、良い役人はごく一部だ。

 役人の強欲、傲慢、無恥、無責任、隠蔽、不誠実、サボタージュ、不正義、無慈悲、等々の人間として最低と思われる行状がいまも堂々と繰り返されているのには、はらわたが煮えくり返る思いである。昨日公表された道路特定財源の使い道については、これまで度々その不明瞭な点が明らかにされてきたが、それも氷山の一角で実は役所ぐるみで「悪の限り」を尽くしていると言ってもいい。
 特定財源がその所管の省庁によって自由に使える金庫となり、従来から入り口はチェックするが出口は監査せず、外部の監視も不十分だった。透明性なんかまったくない。特定財源には、一般会計と同じような予算編成時の査定や、その後の執行をチェックしないできた不明瞭さがあった。不届きな役人は、膨大な執行予算の中身をすべての使い方まで調査するのは限界だとぬかす。ならば、予算をつける必要などないではないか。予算の使い道をチェックさせないで、「金だけくれ」はないだろう。こういう悪弊をいままで見逃してきたから、この期に及んで怪しい言動や、いかがわしい「お小遣い稼ぎ」が、内部で暗黙のうちに続けられているのだ。
 一昨日国会で取り上げられたのは、国土交通省所管の財団法人「公共用地補償機構」が、職員旅行の費用まで全額負担していたことだ。こんな財団があることなんか国民のうち、何人が知っていただろうか。自分たちの慰安旅行に、国の金、つまり国民の税金を使って何ら悪びれない。これを内部で誰も咎めようともしない。この図々しさは普通ではない。一体どこから来るのか。役人どもはどこかネジが狂っている。ぬけぬけと福利厚生の一環であり問題はないとまで言う。国民はこんな屁理屈を言う盗人猛々しい役人根性を誰も信用しないだろう。国民と役人の考えにはこれだけ大きなギャップがある。そして、詰問されるや居直って、問題ありとするなら今後止めるという。いかにもその場限りの浅はかさで国税を無駄遣いしていたかが明瞭であろう。これまでも公費を無駄遣いして健康器具を購入したり、大金を支払ってミュージカルを主催してきた。他にも道路財源を使った貸付金制度もあり、これは財団法人「道路開発振興センター」なる組織が運用している。ガラガラの駐車場整備に資金を貸し付けている、財団法人「駐車場整備推進機構」なる税金を捨てている組織まであるのだ。また、東京メトロ副都心線開業事業費のうち、道路特定財源から総事業費の2割(約530億円)もの資金を投入している。地下鉄網を整備すれば、道路渋滞が緩和されるからだという。完全に拡大解釈したこじつけ論理である。こういう構図を見ていると、「先に予算ありき」だということがよく分かる。
 ここには国会で論議する以前に役人の体質自体に問題がある。厚生労働省、社会保険庁、防衛省、等々散々税金の無駄遣いとサボタージュをやって、国民に対して何の痛痒も感じない。神経が麻痺しているとしか思えない。事件が起きると一部の人間だけが悪いのであって、他の大多数の役人は真面目に仕事をしていると自己弁護している。そうだろうか。これだけスキャンダラスな行為が表面化するのは、役所の体質と思い上がった役人根性に問題がある。
 敢えて言ってやろう。役人どもよ! 一部の人間だけが悪いのだと言って頬被りしているが、本当は役人のほとんどは悪い奴で、立派な役人なんてほんの一部だけじゃないか。

                       3002008年3月9日(日) 小田実特集NHKで放映

 NHKのETV特集「小田実・遺す言葉」を夜1時間半に亘って観ていた。もう小田実さんが亡くなって7ヶ月余が過ぎた。いつも懐かしく感じる人である。余命数ヶ月に迫った病床における生の声、何度か見たことのあるフィルム、ベ平連時代のイントレピッド脱走兵救出会見、小田夫人から送っていただいたDVDにも収録されていた葬儀のシーン等が放映され、改めて小田さんの偉大さを感じた。
   小田さん自ら思想と行動の原点は大阪空襲だと声を上げていたこと、阪神淡路大震災で被災され、一般市民とともに震災被災者支援の市民立法を訴え、運動の先頭に立って行動され、法制化を実現させたこと等は心に残る。
 偶々昨日小中陽太郎さんから2通のメールをいただき、「これまでに出た小田追悼文のなかで最も愛情にあふれたものです。とりわけ近藤さん自身の受けた影響がしっかりと書かれています。奥様(玄順恵夫人)もお喜びでしょう」と、私が先日「知研フォーラム」に小田さんの個人的な思いを綴ったエッセイ「巨人小田実を追想する」を寄稿した内容について、嬉しいコメントを送って下さった。僭越であるが、ほかにも下山敏郎・元オリンパス渇長、ゼミの先輩である小松隆二・東北公益分科大学長、須藤甚一郎・目黒区議、岡村透・公認会計士、栗原恒夫・小田急電鉄常勤監査役、小橋隆三・茨城県鉾田市助役、山田不二雄・元文科省教科書検定官、坂倉満・三重県立亀山高校長、岸野彰夫・元兵庫県公立小学校長ら、多くの方々からご意見や反響があった。大変有難いことであり、嬉しく思っている。
 いま小田さんの「何でも見てやろう」を改めて読み返している。実に、64年、79年、88年、99年に次いで5度目だ。その著書に、日本人であることで外国人に対していばれるという件がある。日本は世界有数の工業国で、活力に富んだ国で、世界有数のインテリ国であると小田さんは旅行中世界各地で自慢するのである。そのインテリ国とは、超満員の電車の中でも人は本を、それもサルトルでもフロイトでもマルクスでも読むではないか、とまあこんな調子である。だが、残念ながら現代のインテリ?は、真面目なごく一部の通勤者を除き、電車内では漫画雑誌を読み、エロ週刊誌を読み、携帯でメール送信し、顔を塗りたくってお化粧に熱中しているのである。悲しいことに彼らは何も考えていない。初版発行以来半世紀近くを経て、小田さんも現実認識してがっかりしていたと思うが、本当のところは現代の日本人の知能をどの程度に思っていただろうか。
 それにしても番組は中々良い企画だったと思う。

                       3012008年3月10日(月) 64回目の東京大空襲記念日

 東京大空襲があったのは、63年前のまさに今日である。最近大東亜戦争の歴史的記念日に関する報道が少なく、戦争自体に対する反省すら希薄になってきた。その中で東京大空襲に関するニュースが目立つようになったのは、当然とは云え、亡くなった方々への鎮魂であり、忌まわしい戦禍を伝えていくことこそが、生き残ったわれわれの責務でもあると思う。
   昨晩の小田実特集で、小田さんが大阪大空襲に遭い、それが小田さんの思想と行動の原点だと言っていた。大阪大空襲は東京大空襲に遅れること3日後の3月13日をきっかけにして、度々繰り返され、最後の空襲は、実に終戦前日の8月14日だった。小田さんはこの爆撃の下に恐怖を体験した。しかも、大阪市内の被害者数は10万人を超えたと言われ、広島原爆犠牲者と同じで、長崎原爆犠牲者の7万人を大きく上回った。なぜ執拗なまでに米軍は大阪を徹底的な攻撃で殲滅しようとしたのか。国際法違反の疑念も消えていない。小田さんはテレビの中で言っていた。大阪大空襲は広島、長崎への原爆投下で日本政府がポツダム宣言受諾を決めていたにも関わらず、日本が国体の護持を主張してポツダム受諾に条件をつけたために、アメリカが日本の降伏を早めるため、空から絨毯爆撃を敢行し、日本の息の根を止めようとしたと。
   戦争に正義も正当性もない。ただ無闇に人を殺し、悲劇を生んでお互いに憎しみを増幅させているだけだ。「悪」である戦争を止めさせるためには、いつも戦争する愚を精査し反省する機会を持ちたい。そのためには戦争と関わりのある歴史を風化させてはならない。
   アメリカは日本軍による中国の重慶などへの無差別攻撃を、国際法上問題があると批判していた。では、昭和20年3月10日に始まった米軍機による日本国内各都市への無差別絨毯爆撃は、アメリカの理念や平和主義とは矛盾しないのか、また国際法上何ら問題はなかったのか。アメリカ政府、市民の間にも疑義がある。

                   3022008年3月11日(火) 北京オリンピックで大気汚染は大丈夫か。

 今日エチオピアのマラソン世界記録保持者で、シドニーとアテネ・オリンピックの10,000m金メダリスト、エチオピアのゲブレシラシェ選手が北京オリンピックではマラソンに出場しないと宣言した。気管支喘息の持病がある同選手にとっては、北京市内の大気汚染は自分の健康を損ねる恐れがあるというのがその理由である。しかし、排気ガスの多い市内道路を走るわけではない、競技場内の10,000mレースには出場するとも述べた。また、女子のマラソン世界記録保持者で、同じように喘息の持病を抱えるイギリスのラドクリフ選手も何らかの対策を検討すると言い出した。二人ともマラソンでは有力な金メダル候補者である。これが口火となって、他の有力選手に引火しなければよいがと願う。
 五輪開催まで残り5ヶ月に迫ったところで、このハップニングに北京政府は慌てて環境浄化を宣言し、クリーンな環境を提供出来ると大気汚染説打ち消しに必死である。国際オリンピック委員会(IOC)では、以前から中国オリンピック委員会に対して、大気汚染を改善するよう注意を喚起してきたが、ついにゲブレシラシェ選手のような有力選手側から忌避する行動に出られて北京五輪のイメージダウンは免れない。
   最近の北京上空を見れば、空気があまりクリーンでないことは察しがつく。日本のマラソン代表・野口みずき選手も口ごもりながら、現地を下見して検討するとも話していた。
 それにしても、こんなことは前代未聞ではないかと思う。かつてのモスクワ五輪ボイコット問題のように、政治が絡んだ問題とは異なり、選手、つまり主催者側の一員から興行主に対して、きちんと興行出来るように問題を解決しろと釘を刺されたようなものだ。中国政府から、いくらきれいな環境に自信を持っているなどと抽象的に言われても、主催者であるIOCが心配だという不安を払拭する材料と、目に見える解決策を具体的に示さなければ、主催者の心配は募るばかりである。

                       3032008年3月12日(水) もめる新日銀総裁人事

 JAPAN NOW観光情報協会の理事会が開催された。最大の目的は、5月の総会に向けた予算・決算の報告と事業報告、それに役員改選である。私も理事のひとりとして再選されることになった。今年8年目を迎えるNPOが、多くの会員を集め、組織を発展させ、観光振興の一翼を担っていくためのアイディアのひとつとして、広い分野で講師紹介・斡旋をして、併せて手数料収入を得ようとの考え方も披露された。私自身も登録することになるが、うまくいけばよいと思う。
 今日参議院本会議で、次期日本銀行総裁人事案が否決された。これも衆参のねじれ現象のなせる業で、与党としては参議院では議員数において過半数を握っていないために、投票になれば負けるのは分かっている。これで日銀総裁人事は完全に行き詰まってしまった。まもなく福井現総裁の任期が切れる。そうなると総裁空席という異例の事態になる。世界的に金融市場が大荒れで、経済の舵取りが難しい時期に、金融のトップがいない未曾有の事態は避けなければならない。だが、現状は与野党の政局が絡んでにっちもさっちも行かなくなってしまった。各党の代表者がともに自己の都合ばかり主張して、国民不在の政治取引にうつつを抜かしているからだ。
 投票の結果では、総裁候補は否決され、副総裁候補は一人(白川方明氏)が同意され、もう一人(伊藤隆敏氏)が否決された。否決されたのは、いずれも財務省OBで、財政と金融の分離がなされないという野党の主張通りとなった。
  それにしても新日銀総裁候補の武藤敏郎・現副総裁としてはやりきれない思いだろう。針のムシロだろう。夕べも「報道ステーション」で加藤千洋氏が、武藤さんはこれでもまだやりたいのでしょうか、などと発言していたが、本人も本音としてはもうやりたくない心境だろう。ただ、自民党が熱心に推してくれるのに、当の自分が自ら降りたのでは、自民党首脳の面子をつぶすので、止めるに止められない気持ちなのではないだろうか。
  ところで、金融の舵取りは当面どうするつもりなのか。

                   3042008年3月13日(木) チベットに関する講演会

鎌倉の「湘南話し方友の会」例会で講演を依頼され、JR鎌倉駅前の「鎌倉生涯学習センター」で「高地チベットへの旅」と題して一時間半あまりお話をしてきた。この会では、2年前にもお話したことがある。自宅で入念にパワーポイントをチェックしたところ、普段使っているPCとの接続がうまくいかず、止むを得ず、お蔵入りで以前使用していたPCを持参した。会場ではPCの画面が消えて若干当惑したが、プロジェクターからスクリーンには映し出されていたので、話を進めるに当っては特段の支障はなかった。代表者が高校同級生の小山清くんなので、私からも他の同級生にも声をかけたせいもあり、永嶋喜一郎くん、山田勝久くん、轟貞雄くんが参加してくれた。轟くんなんか会社の帰りにわざわざ寄ってくれた。高校時代の友人が一声かけただけでも駆けつけてくれるのは、有難く嬉しいことである。
   チベットは青海チベット鉄道開業以来、観光地として脚光を浴びつつあり、日本人旅行者の関心も高くその数もうなぎ昇りである。しかし、昨年後半だけでも8人の日本人旅行者が死亡しており、そのほとんどが高齢者で、高地特有の高山病が直接の原因である。今日の受講生の中にも熱烈なまでにチベットへ行きたいと考えられている方がおられたが、高山病について警告に近い話をしたので、皆さんがどう受け取られたか。
   旅行中の血圧と脈拍の数値変化表を、スライドとレジュメに載せて説明したので、かなり関心を持ってもらえたと思う。特に、海抜4,000m前後と5,000m地点の脈拍の亢進を示すグラフ変化は分かりやすく理解していただけたのではないかと勝手に想像している。脈拍数がチベット滞在中は平常値のほぼ2倍にまで上昇したことは、私自身も驚いたくらいなので、初めて知る人たちにとっては新鮮な驚きではないかと思う。
   今日準備段階で感じたことだが、講演の機会が増えるに連れ、パワーポイントを使用するケースも増加しているが、しばらく時間が空くとついパワーポイントの起動が不安になる。情けないことに、まだ完全に習得したわけではなく、これなら絶対大丈夫というまでの確信が持てない。自信を持って取り扱えるようにしないとこれからも常に不安を抱えることになるし、何とかそのようにしないといけないと思っている。
   講演を終えてから夕食をご馳走になりながら、中心メンバーの方々と話をしたが、小山くんに聞けばこの趣味の会が出来てから、もう32年にもなるという。よくもこれほど長く続いたものだと、幹部の方のご努力に敬服するばかりである。また新たなテーマでお話出来たらいいと思っている。
   さて、このところアメリカの景気不安で日本でもドル安と円高が同時進行し、それが日本の株価まで大きく引き下げている。今日は帰宅した途端、妻から1ドル100円を割ったと聞いてびっくりである。円相場が1ドル=100円を突破したのは、12年ぶりである。8年前に妻とエーゲ海をクルーズした時には、1ドルが150円に近かったほど円安で海外で物価の高さを痛感したものだ。それが現在はこの円高である。これで訪日観光客が減少しなければ良いがと願う。株価も下がりっ放しで、日経平均でも前日比427円安でお先真っ暗である。多分有効な術は打たないだろう。
   一方でわが国の愚鈍な政治家たちは、政局を絡ませつつ国家、国民のことを頭から忘れ去り、この緊急時に金融当局のトップ人事も決められない体たらくである。やはり、本当の意味で政治改革をやって政治家の質を向上させなければいけないと痛感する。

                       3052008年3月14日(金) ビルマ民主化に関するペン主催シンポジウム

 日本ペンクラブは昨年10月「ミャンマー政府による新たな言論弾圧、日本人ジャーナリストの殺害、僧侶、市民の拘束に抗議し、言論の自由の回復を求める声明」を発表した。
 今日この日を獄中作家(Writers in Prison=WiP)の人権を考える日として、毎年日本ペンクラブが開催しているシンポジウムは、今年「なぜこの国を伝えたいのか」―ビルマ報道とジャーナリストの眼―のテーマを掲げて日本プレスセンターホールで開催された。
 一部と二部に分かれていたが、第一部では元NHKのビルマ語ラジオ放送で活躍していた、田辺寿夫氏がリードしながら、在日ビルマ人のチョウ・チョウ・ソウ氏とトーク形式で、フォト・ジャーナリスト長井健司氏が射殺された昨秋来のデモの経過、在日ビルマ人のビルマ民主化運動、日本人がもっとビルマに熱い関心を抱くこと、等について話を進められた。
 第二部では、それぞれ写真、報道等で活動される3人のジャーナリスト、江川紹子氏、山本宗補氏、綿井健陽氏が、夫馬基彦・日本ペンクラブWiP委員会副委員長の司会進行で報道の自由、規制、大手マス・メディアの報道姿勢、等について意見を述べられた。
 これほどの関心があるとは予想外なくらい、多くの人が訪れ、時間が足りないほど充実したシンポジウムとなった。これだけ大勢の専門家がいて、トータルで2時間は時間的に無理がある。だが、中身の濃い説明に引き込まれた。
 実は、田辺さんとは35年ほど前にビルマ戦友会の故栗原さんのお宅でお会いして以来、何度かお会いしたことがある。私のことを憶えておられるか分からなかったが、最前席に着席していた関係で、田辺さんと隣り合わせに座ることになり、名乗り出て休憩時間に少々話をした。相変わらず流暢なビルマ語を駆使する田辺さんだったが、いまはビルマ反政府活動をビルマの外で行っていると軍政から厳しい眼で見られ、入国ビザが許可されず、近年ビルマには行っていないと仰っていた。時間があまりなかったので、懐かしい話までは辿り着けなかったが、高校の先輩、山口洋一・元ビルマ特命全権大使とウ・ミャ・タウンさんについては共通認識があった。
 聞けば、山口氏とはテレビ朝日の田原総一朗氏の番組で激しい議論を戦わせたと話されていた。当然山口氏とは真っ向から対立する意見を持っておられ、対極の立場におられる。私にとっても先輩とはいえ、山口氏のあまりに独善的で、事実誤認も甚だしい暴論にはとても与することが出来ず、外交官としての見識も疑われるような人間性に失望した。ウ・ミャ・タウンさんには、随分お世話になった。田辺さんも懐かしんでおられた。久しぶりにビルマの実態を理解しておられる人と、ひとときではあるが懐かしい話が出来て、楽しくもあり有意義なシンポジウムだった。
 拙著「現代・海外武者修行のすすめ」には、ビルマに関して大分ページを割いている。田辺さんにもその点をお話して贈呈したところ、大変喜んでいただいた。

                       3062008年3月15日(土) チベットの雲行きが怪しい。

 俄かにチベットの雲行きが怪しくなってきた。一昨日鎌倉でチベットについて話す機会があったが、ちょうどその頃インド北部ダラムサラでチベット亡命政府を支持する反中国デモがあった。デモ騒ぎについては一切知らなかったので、その時はチベットへの旅行について思うままに感じたことを述べた。高山病について話す一方で、健康ならぜひ一度行ってみることを薦めると結んだ。
   しかし、今日の報道をみると今度はラサ市内で大きな騒動になっている。せっかく青海チベット鉄道の開通により、チベット観光に光が見えてきた矢先だけに非常に残念である。すでにチベット地区への旅行を自粛するよう中国政府、チベット自治区、日本外務省から警告が発せられており、当分の間チベットへの旅行は難しくなるのではないかと気がかりである。
   最初にインド国内でデモが起きたが、その日のうちにインド政府はデモ隊を排除した。インドは以前からチベット亡命政府の政治的活動を制限している。今度のデモ騒ぎに対しても冷静に対処して中国政府に微妙な気遣いをしている。
   今朝の新聞は大々的にこの事件を取り上げている。先日訪れたジョカン(大昭寺)前広場に暴徒と化した群集によって、火をつけられ横倒しになった車の写真が載っている。新聞の見出しを見ると「チベット、デモ激化」「チベット、僧侶大規模でも」「チベット騒乱、中国『ダライ・ラマ派策動』」「チベット暴動『死者10人』」「騒乱拡大、五輪に暗雲」とチベットの先行きが懸念される記事ばかりである。中国政府としては、一部のダライ・ラマ支持派の策略によるものだとアッピールすることによって、海外からの批判をかわしながら事件を早く押さえ込み収束させようと企てる魂胆がありありである。北京オリンピックを控え、中国としてはいま極力イメージダウンを避けたい。食物、大気汚染、と嫌なムードが流れているうえに、治安の不安が大きくなったら、オリンピック開催も危なくなってくる。中国の非民主化政策は、近年ではスーダンのダルフール紛争で実験済みである。過去の例を振り返ってみても、29年前のチベット紛争以来、中国はすべての紛争を力づくによって鎮圧してきた。チベット民族の権利、伝統、文化を重視することなく、ひとつの自治区として中央政府が力づくで統治することがどれほどチベット民族に幸福をもたらすのか。いつも外部の意見を斟酌しようとしない中国人だけに、チベット民族に対する中国政府の出方から目を放してはならない。
   アメリカ、EU各国はすでに中国政府に対して、チベット人の人権に配慮するよう慎重なコメントを発表している。

                       3072008年3月16日(日) チベット暴動の行方

 チベットではやはり相当の死者が出ている模様だ。今朝の朝日によると、チベット亡命政府の発表として30人が死亡と報道されている。夕刻のテレビニュースでは、その数は80人を超えたと伝えていた。まだ、未確認情報ではあるが、中国政府の慌てぶりから察するとそれほど現実離れした死亡者数でもなさそうだ。天安門事件の二の舞ではないかとの声もある。
 大体中華人民共和国が1951年にチベットのラサへ中国軍を進駐させ、チベット民族を弾圧、支配したことがそもそも本事件の遠因である。その後チベットを中国政府の一行政区、チベット自治区として、漢民族による中央集権支配体制が確立させていった。その過程で、チベット民族の自治権の制限や、チベット文化の軽視に対して、チベット民族が反発し、それが59年の暴動となった。その後も表面的にはともかく水面下では、中国政府の強圧的な支配に対するチベット住民の反感が燻っていたようである。
 世界各国から中国政府に対して、人権面で充分配慮するように要望が出されているが、現時点でアメリカ政府が情報収集のために担当者をチベット自治区へ派遣する要請を中国側が即座に拒否したり、出来るだけ事件を外国人の目に晒さないよう、また中国政府の非人道的行為が報道されないよう、外国人のチベット自治区への立ち入りを制限し出した。すでにラサとの電話交信が出来ないとも言われている。これは明らかに中国政府の意図的な報道管制と言える。実際、私が先日ラサのホテルから日本へPC交信したくらい通信は、充分行き届いていた。
 これから少しずつ実態が明らかになるだろうが、下手をすると北京オリンピック棄権や、忌避の動きが、モスクワ・オリンピックに続いて持ち上がってこないとも限らない。いま中国政府は、住民弾圧とか、迫害という自由拘束の流れと受け取られないよう情報化社会の中で、何とか自国が傷つかないように処理しようと、懸命に隠蔽作戦を展開しているように思える。
 日本政府も漸く、中国政府に対して自制を促したとの小さなステートメントを発表したが、どれほどの効果があるだろうか。5月に来日する胡錦寿主席への遠慮があるせいだ。胡主席自身、チベット自治区の統治者としてデモを弾圧し、収束した実績を評価されて、国家主席の座を掴んだと言われている。触れられたくないアイテムである。
 しかし、中国は果たして世界の目を欺き通すことが出来るだろうか。

                   3082008年3月17日(月) 日本経済はこのままで大丈夫なのか?

 昨日は久しぶりにラグビー日本選手権決勝戦の三洋電機対サントリー戦をテレビ観戦した。一昔前に比べてレベルも上がってきたが、選手の頑健な体格と、試合運びはかつてとはまったく違った一面が表れているように見える。多分昔の選手では、いまの選手には太刀打ち出来ないのではないかと思えるぐらい、いまのラグビーはチーム力、個人技、試合運び、それぞれにかつてのそれを大きく上回っていると思う。外人選手が増えたこともあるが、何といっても他のスポーツ同様、フィットネス・トレーニングの成果が表れたことと、外国チームとの交流が深まったことによるものと思う。試合は40(三洋)−18(サントリー)と点差は開いたが、中々良いゲームだった。
 さて、益々勢いが増している「円高」「株価」の動きが、少々気がかりになってきた。持ち株の値が相当下がり実質資産が大きくダウンしたので、手放しにくくなってしまっていたが、これ以上さらに含み損を増やしたくなくなり、今朝の日経紙の悲観的な先行予測を読んで、思い切って全株を手放した。今後も当分株安傾向が継続すると見込んだうえでの決断である。
 世界不安の元凶、ドル安も亢進し、ついに一時1$=95円台にまで落ち込んだ。これは12年ぶりとのことである。これで輸出関連株価は大きく値を下げるだろう。日経平均株価もついに12,000円台を割り込み、終値は11,787円、先週末比で454円安となった。
 この末期的な株式不況の中で、明後日福井・日銀総裁の任期が切れるが、まだ後任が決まらない。福井総裁の続投とか、副総裁の総裁代行の案も入れ替わり立ち代り出てくるが、野党が賛成しない。こうして、貴重な日時を無駄にしている。まったく決断力のない首相というのも困ったものである。
 アメリカ大統領代議員選挙は益々ヒートアップし、台湾でも総統選挙が5日後に迫って熾烈な戦いを繰り広げているにも関わらず、平和国家日本だけは、マイペースで動いている。その間に国民の生活は益々苦しくなっていく。政治家というのは、この状態を放っておいてよくも罪悪感を感じないものだ。もう彼らにつける薬はない。

                       3092008年3月18日(月) 韓国で見つかった中国製ネズミ死体混入食品

 昨日のテレビニュースによれば、韓国でも中国製食品から異物が発見された。それも驚くなかれ、異物とは「ネズミの死体」の一部というのだから恐れ入った。並みの混入事件ではない。韓国側は早々に韓国内で混入される可能性はまったくなく、明らかに中国国内で混入されたものだと断言した。自国で調べたところ韓国側の事情による可能性は100%なく、自信たっぷりに、思い切って中国産に問題ありと断言した点が、先般の日本側の自信なさそうなコメントや、万事控えめな対応とは大分異なる。中国にはこのくらいはっきりものを言った方が結局は早い解決になる。
 問題視したいのは、このネズミ死体事件がその後マス・メディアを通して、まったく報道されないことである。テレビでは一切オンエアーされることはなく、新聞も今日の朝日、日経どちらの朝夕刊にも記事は一行たりとも掲載されていない。1月7日に起きた利川倉庫大爆発事件となにやら似通っている。利川事故では、その時点ですでに40名の死者が出たことが報道され、その後ニュースとしては伝えられなくなった。日本のマス・メディアには不思議な現象が起きるものである。韓国当局から報道規制の圧力なり、依頼があったのではないかと勘ぐっていたところ、インターネットを通して分かったことだが、「朝鮮日報」紙では堂々と報道されていた。それがなぜ日本では一度はニュースとして賑々しく取り上げられながら、ピタッと伝えることを止めてしまったのか、不明瞭で怪しげな事件だった。いまだに詳細は不明である。
 ネズミ死体混入事件に関する報道は、利川倉庫爆発大事故とまったく同じ経路を辿っている。明日はどうなるだろう。このニュースを報道することは、ギョーザ事件がうやむやになりかかっている今、大きく報道する責任と価値があると思う。
   それにしても隣国・韓国で発生したセンセーショナルな事件を、日本国内でまったく報道しないというのは、裏に何か意図的な理由があって隠されているとしか考えられない。今年になって2度目である。日本のマス・メディア側から何らかの説明があって然るべきだと考える。

                       3102008年3月19日(水) メディアは自らを壊している。

 昨日のブログに書き込みした「中国製ネズミ死体混入食品」について、やはり今日のテレビ、新聞はどこも報じなかった。これは一体どういうことなのか。1月に起きた日本国内のギョーザ農薬混入事件の際は、各マス・メディアが寄ってたかって報道を競い合う騒ぎだったが、同種の事件が韓国で発生したことに対する取り組みは、突きっ放したような印象を与え、少々違和感がある。製造会社の中国と輸入販売先の日本と韓国が共同で原因捜査、究明し、当事国の3国が共同して真相を調べる必要がある。そのためには、同じように情報を共有してことに当らなければならない。ひとつの国が情報を公開しているにも関わらず、他の国で知りませんでは話にならない。
 同じ1月に起きたソウル市郊外の利川倉庫大爆発事故について、インターネットで改めて検索してみると、二つのことが分かった。これも日本国内では、ちょろっと小出しにして後は蓋をしてしまった事故である。
   どうも分かりにくい。利川事故そのものの死者が40名で、そのうち出稼ぎの中国人が12名も犠牲者となって、目下中韓両国が外交ベースで補償問題等の話し合い中である。国籍とはまったく関係なく大惨事である。爆発事故が日本では共同通信社を通して配信されていることが確認出来た。日本の地方新聞社はほとんど共同通信と配信契約を結んでおり、地方新聞社はこのニュースを手元に抱えていたことになる。それにも関わらず各社とも大手メディアと横並びで一斉に報道を控えた。何か隠された不透明さがある。
 もうひとつ、ゆるがせに出来ない事実は、いくつかの情報にクリックしたところ、WEBサイト上の「朝鮮日報」情報の相当数がウィルス駆除のためとか、他の理由によって記事が削除されていることである。1月末に覗いた時には、写真入りで詳細が記載されていた。どうも恣意的な感じがしてならない。
 これらの現象は何を意味しているのか。些か大政翼賛的ではないか。わが国では巷に情報が出回り過ぎて情報の洪水に飲み込まれそうなくらい報道の自由を謳歌しているような空気がある。それに引き比べて、先日のビルマの民主化シンポジウムでは、日本へ亡命したビルマ人が、ビルマの自由抑圧に比べて日本が自由で、書きたいことを何でも書ける自由が素晴らしいと、日本の報道の自由を褒めちぎり羨ましがっていた。だが、日本のジャーナリズムには表面的に自由があると思われながら、実は情けないことに、報道の当事者が自ら伝える自由に自己規制を課している構図がある。ジャーナリズムは意識しない間に、自らの権利と責任を放棄しているのだ。これこそが一番恐ろしい。ジャーナリズムは少しずつ内部崩壊しているのに、自分たちはまったく気づいていない。

                   3112008年3月20日(木) イラク戦争開戦5周年

 5年前の今日イラク戦争が勃発した。シベリア鉄道の旅を終え、ウラジオストック経由で丁度モスクワから帰ってきた、まさにその日だった。ウラジオストック空港のトランジットルームのテレビで、米軍機がイラクを攻撃している映像を見て、ついに始まったかと感慨無量だった。新潟空港へ降り立ち、JR新潟駅へ向かう途上で地元テレビ局から街頭インタビューされ、「イラク戦争が始まりましたが、ご存知ですか?」と尋ねられたことが昨日のことのように思い出されてくる。実は、その数ヶ月前霞ヶ関ビルのトラベル懇話会で旅行業界関係者を前に「アメリカは必ずイラクを攻撃する」と持論を展開して、その場に居合わせた関係者の目をパチクリさせただけに、随分印象に残るイラク戦争開戦だった。
 そのイラク戦争は、結局アルカイーダとフセイン大統領の親密な関係とか、イラクが秘密裏に核兵器の開発を進めていると、アメリカが一貫して主張していた開戦の理由が、その後根拠がなかったとアメリカが自ら弁明するに至って戦争の大義は霧消した。そして、5年間にイラクでは15万人以上が亡くなり、アメリカ兵も4千人が命を落とした。フセイン亡き後、イラク国内の混乱は益々酷くなり、テロが絶えず、宗派対立は一層激しくなり、治安は悪化する一方である。
 日本政府もサマワへ自衛隊を派遣することによって、渋々アメリカの要請による国際協力の一翼を担うことになった。イラク開戦によりアメリカは戦前の予想に反して、泥沼にのめり込んだ。駐留部隊を増やしながらも事態は好転せず、「留まるも地獄、退くも地獄」ののっぴきならない状態に喘いでいる。アメリカ国内にも厭戦気分が蔓延して、かつてのベトナム反戦運動が次第に二重写しになってくる。
 これからどういう道筋を辿って最終的に終戦へ収束させていくのか。アメリカの正義によるものだと度々アメリカは世界に向かって宣言していたが、つまるところ正義ではなく、アメリカの都合だった。戦争に勝者はないといわれるが、この閉塞状況を今秋の大統領選挙へ向け、アメリカはどのように世論を納得させるのか。前途は厳しく、気が重くなる話だ。

                       3122008年3月21日(金)  知研が目指す方向

 明日「知的生産の技術研究会」総会が開かれる。もう随分長い間会員になっているが、いまでは「図解」講師を委任され、毎年2回福島県研修へ派遣される。総会に合わせて全国から会員が参集するのに先立ち、「図解」講師が集まって来年度の研修内容につき、勉強会を開くことが恒例となっている。その勉強会が今夕だった。依頼される県によって研修事情が異なるが、一応知研として統一的な見解とマニュアルに基づいて講義内容、講義方法、教え方等について、各講師の考え方を拝聴しようとの試みで、このこと自体は意義のあることだと思っている。
 4月から久恒啓一理事長が県立宮城大学教授の職を辞され、多摩大学教授に就任されるので、従来のように仙台を足場にしていた活動に比べて、地理的にも理事長は活動しやすくなるのではないかと思っている。今後は理事長も東京をベースに活動されるので、知研としても相乗効果といったらよいだろうか、もっと理事長とも、さらに多摩大学とも広い分野で連携プレイが出来るのではないかと思う。
 勉強会には、八木哲郎会長以下、秋田事務局長、福岡支部常富さん、岡山支部久保田さん、東京の中村さんと私の6名が集まった。これまでに比べて各自治体では、研修を「図解」のように研修項目ごとに依頼するのではなく、一括してマネジメント会社へアウトソーシングする傾向が表出してきた。これだと各行政の担当者としては手間が省ける。果たしてこういうやり方がよいのかどうか、われわれの判断することではないが、知研にとっては厳しい状況になることは間違いない。
 このために自治体へ売り込むためのパンフレットを作成しようということになった。さらに、会長が今後の知研の発展のための目標と考えを披露された。一時期に比較して会員実数は減少しているが、新旧会員がピラミッド型に登録されていて、それぞれ熱心な会員が多いので、会員数だけを詮索することは必ずしも意味があるとは思えないという点を強調された。今後は機関誌「知研フォーラム」の充実を図っていくことが大切だとも言われた。また、「知的生産の技術研究会」というブランドをじっくり伝える努力と、梅棹忠夫先生のお名前を汚さぬように、知研との関係が分かるような啓蒙も必要ではないかということになった。
 時代の変遷に連れ、変化はしていかなければならないが、知研の目指す方向性というものを見失ってはいけないというのは、全員同じ考えだと思う。

                   3132008年3月22日(土) 感銘を受けた加藤秀俊先生のお話

 「知的生産の技術研究会」総会が例年通り東中野のテラハウスで開かれた。2007年度決算、2008年度予算、事業計画の説明があり、承認された。
 意見具申、提案、ご意見拝聴の時間をとってくれたので、久恒啓一理事長に対して、JN協会立教支部をひとつの参考例として話し、多摩大学内にも学生支部設立を考えてみてはいかがでしょうとお尋ねしてみたところ、そういうお考えがあるとのお応えだったので安堵した。久恒理事長がせっかく多摩大学教授へ就任される機会でもあるので、多摩大学支部設立はグッドタイミングだと思う。学生にも積極的に会員になってもらい、知研に若いエネルギーを注入して活性化してもらえれば、知研のみならず、学生たちにとっても従来とは別の面で飛躍の可能性が出てくると思う。相互相乗効果を大いに期待したいと願う。
 今日の何よりの収穫は社会学者・加藤秀俊先生の基調講演だった。今西錦司、梅棹忠夫、川喜多二郎先生らに連なる京都学派俊秀のお一人である。4年前の講演に続き、密かに期待していたが、「知的生産と知的道楽」と題して、ご体験から滋味溢れるお話を約50分に亘って楽しく伺った。先生はそもそも「知的生産」という言葉自体に、少々違和感を抱いておられるそうだ。消費の伴う瑕疵性のある物的生産なら理解出来るが、非物的生産である知的生産は原価計算の根拠もなく、価値が成り立たないと言われた。確かにその通りで、著作活動とか学者のようなものも知的道楽だと仰った。さらに、他人のためにやるのは職業で、自分のためにやるのは道楽である。漱石の「私の個人主義」を参考にされ、漱石のユニークな論を披瀝された。
 京大式カードについては、知識を共有するための工夫であるとは初めて伺った。
 一番感銘を受けたのは、人間臭い一次情報を大事にする習慣を身につけることが大切だとのお話である。今日日本には、二次情報、三次情報が溢れすぎていると懸念しておられた。現場で直接見て、感じた情報が最も大切であるとのお説は、私自身臨場感の大切さをいろいろな機会に講義しているので、先生のお話に納得しつつ心強く感じた。序に僭越ではあったが、60年安保闘争体験から最近のチベット旅行体験まで質問も交えてじっくりお話させていただいた。その後の食事会でも隣席で親しくお話させていただき、チベット、ビルマ、シカゴ、最近のパキスタン情勢についても話題が広がり愉快なひとときを過ごすことが出来た。小中陽太郎先生とも親しいとも伺った。八木会長から世田谷区野沢の加藤先生と世田谷区等々力におられる小中先生、私も世田谷区深沢に住んでいるので、近くにお住まいのご縁もあり、自由が丘辺りでお二人の先生から一緒にお話をお聞きする機会を設けようとのご提案をいただいた。
 名刺を交換した人も多彩で、皆さん前向きな方々でそれぞれ尊敬出来る人たちばかりである。中でも市民満足学会事務局長・大島章嘉氏からいただいた「官民の大組織への信頼度など評価はどうなっているか?」と題した調査報告書はあまり眼にしたことのないユニークで、内容的にもよく調べられた資料だと感じた。一般的にそうだろうと予想していた業種の満足度が数値で裏づけされ、かなり参考になる資料である。
 「今日は昨日より物知りになった」有意義で愉快な一日だった。 

                       3142008年3月23日(日) 一次情報の大切さ

 昨日加藤秀俊先生とお話した中で、先生は一次情報が大切で、いまの日本ではとかく二次情報や三次情報に頼りがちの傾向があると話された。私自身もまったく同感である。直に見聞してそれを情報として活用することがいかに大切かということを、ご自身の体験を通して仰った。戦時中に来襲した敵機から機銃掃射された時のパイロットの怖い顔とか、昭和27年のメーデー事件の際に警官隊に追われた体験のような、必死の体験は忘れることはなく、いつも現場で一次情報を得る大切さにつながるというようなお話だったと思う。
   自分なりに解釈すれば、新聞社の外電は自社特派員が現地で得たホットなニュースでなければ、ほとんど価値がない。ましてや他のメディア媒体から得た情報は、すでに新鮮なニュースではない。地方新聞に多い共同通信配信の情報は、共同通信の自社特派員が現地で得た情報は一次情報であるが、契約した地方新聞社が共同通信から得た情報は二次情報になる。それがまったく意味がないというわけではなく、そう割り切って読む必要がある。
 昨今日本のマス・メディアが現地通信社から得た情報やニュースを採用しなかった例として、一月の韓国利川の冷凍倉庫爆発惨事と今月韓国で判明した中国産ネズミ死体混入食品が頭に浮かんでくる。日本のマス・メディアはいずこもその情報を何らかの手段によって得ていたと思う。これらは、二次情報だから採用されなかったのではなく、報道の段階で何らかの規制、あるいはそれに類する圧力があったのではないかと考えざるを得ない。マス・メディアはうっかりしていると周囲からの圧力によって、抹殺されかねない。よほど信念と意志をしっかり持ち、報道の自由と権利を守るという毅然とした姿勢を忘れないようにしていないと為政者に魂を抜かれてしまう。最近の日本のマス・メディアの取材や報道を見ているとどうもそんな嫌な予感がしてならない。
 さて、昨日加藤先生が紹介された夏目漱石の「私の個人主義」を早速読んでみようと、読書好きだった義父から譲ってもらった、初版「夏目漱石全集」全18巻(昭和11年、岩波書店発行)を書庫から引っ張り出し一通り調べてみたが、その書名ではどうしても見つからない。かなり細かく小品、雑記、日記、手紙まで掲載されている権威のある全集にも関わらず、洩れている。仕様がないから加藤先生がお持ちだった講談社文庫本を購入するより術がないか。

                       3152008年3月24日(月) イラク戦争のアメリカ軍犠牲者4千人に

 イラクで戦ったアメリカ兵の戦死者が、ついに4,000人の大台に達した。開戦5年でこれだけの戦死者を出してしまった。1日に2.2人、5日で11人が命を落としたことになる。朝鮮戦争では戦死者34,000人、負傷者は10万人と云われた。泥沼戦争となって厭戦気分が横溢し、私も参加した反戦運動が激しくなったベトナム戦争では、戦死者46,000人、戦闘以外で亡くなった兵士が1万人、負傷者は30万人を超えたと云われている。あまり意味はないが、いまのところ数字的にはベトナム戦争ほどの戦死者を生んでいるわけではない。しかし、世界的に生活水準が向上し、平和志向になっている現代社会で、これだけ多くの若者が意味のない戦争で尊い生命を落とすことは、非倫理的であり、罪悪ですらある。
 実際アメリカ国内では、PTSD障害により多くのイラク帰還兵が社会復帰出来ずにホームレス化していることが、大きな社会問題となっている。
 いま接戦を繰り広げているアメリカ大統領選挙運動でも、イラク戦争賛否は大きな論点となっている。共和党のマケイン候補はアメリカ兵のイラク駐留継続を主張しているが、民主党の二人の候補者、オバマ氏とクリントン氏はいずれもイラクからの早期撤退を明言している。誰が大統領になろうとも前途は険しいが、仮に米軍撤退となれば、別の面で新たな混乱を引き起こすことになろう。散々イラク国土を荒廃させ、イラク国民に犠牲を強いた現在のマリクかいらい政権からアメリカの影響力を取り除いたら、曲がりなりにも築かれていた支配体制は一気に崩壊し、イラクは一層混乱の極に達するのではないかと懸念する。アメリカにとって、自己都合によって他国へ土足で踏み込んでおいて、結果的に自国の兵士に犠牲者が生じたからといって、このまま勝手に身を引くわけにはいかないのではないか。退くも地獄、留まるも地獄というのがアメリカの立場であろう。いまやイラク国内の混乱の最大の原因は、アメリカによるイラク開戦それ自体にあるからである。
 それに引き換えて日本の役人は気楽なものである。散々行政を手前勝手に操り、手抜きと欲で失敗してもまず責任はとらない。敵前逃亡すればよいからである。イラク国民と同じ苦渋を味わうのは、いつもわれわれ国民なのだ。

                       3162008年3月25日(火) 拙稿が進学塾のテキストに採用された。

 社団法人日本文藝家協会から、先日些少ではあるが銀行振り込みにより送金してきた。どういう謂れの送金かと思っていたところ、今日明細書が送付されてきた。日本文藝家協会には拙著の著作権関係を一括委託しているので、まさに著作権料であるが、送金内訳4件の中に、黙っていても笑みが止まらないのが、潟Wーニアス・エデュケーション経営の大手進学塾「SAPIX(サピックス)」の教材に拙文が採用されたということで、中学受験生向進学塾のどんな教材に使われたのか些か興味がある。多分国語だろうと思うが、どんな形であれ、勉学用のテキストに拙文が採用されたということは、嬉しいかぎりである。
 ところが、せっかく評価をしていただいた、拙著「現代・海外武者修行のすすめ」を発行してくれた新風舎が先日倒産したことで頭を痛めている。その資産関係、業務関係一切を同じ自費出版大手・文芸社に引き継いだと代理人である弁護士から書状を受領したが、次のドキュメント「停年オヤジの海外武者修行」を執筆中でまもなく脱稿の予定でもあり、これをどこの出版社に依頼しようかと思案しているところである。拙著の場合、新風舎は自費出版ではなかったので、自費出版を前提に文芸社が提案をしてきたら困ると思っている。前著と次著は、内容的にも共通性があるので、出来れば同じ出版社から出して場合によっては、2冊まとめて広告を打つという手もある。前著も在庫が少なくなり、第3刷の話が持ち上がっていた矢先に倒産で頓挫してしまい、どうにも後味が良くない。
 前著の増刷はもう諦めていたが、こういうテキストなどに採用されるとなると、このまま消滅させてしまうのも惜しい気がする。ましてや、小中陽太郎氏のご推薦をいただいたり、冒険作家・椎名誠氏からもお便りをいただき「・・・いやはや面白い。いまの日本の若者すべてに読ませたいと思いました」とまでお褒めのメッセージをいただいている。しばらく悩むとするか。
 午後、元会社の先輩が入院している東海大学病院へお見舞いに行った。年齢的にも丁度十年年長であるが、腕利きのセールスマンだったので、いまでも嘱託としてセールス活動をやっておられる。在職中はともに同じ部署で仕事をやって切磋琢磨した。随分お世話になったり助けてもらったことがある。この先輩がいなければこれほど日本国内を旅することはなかった。セールスの極意を教えてもらった恩人のひとりである。1月に入院して2月に手術をしたとのことであるが、一日も早い回復を願わずにいられない。

                       3172008年3月26日(水) 成田空港開港延期から30年が経った。

 30年前の今日、開港直前だった成田空港管制塔が、空港建設反対派グループに不意を突かれて侵入され、計器、設備類が完全に破壊され、ついに新空港開港が延期された歴史上の汚点がある。航空会社はもちろん、われわれ旅行会社も当然空港開港を前提にすべての作業を進めていたので、その当座はどう対処すべきか、案内書もすべて成田空港出発との文言を挿入していたので、本当に弱り当惑したことを昨日のことのように思い出す。
 しかし、現在もまだ成田空港問題は円満に解決しているわけではない。いまも土地売却に応じない地主もいて、滑走路への補助通路上に民家が建ち航空機は迂回するような障害が残っている。運輸省は、当時国家事業だから国民が協力するのは当然と腹を括り、反対するなら土地収用法を適用すると脅して住民の権利をないがしろにした。そのような話し合い無視の対応が底流にあったことが、そもそも問題を深刻化させた素である。ただ、NHKテレビによれば、高橋寿夫・元運輸省航空局長が、当時開港一辺倒でまったく問題なしと考えていた運輸省保守派官僚の中では、このような過激なテロが起こるとは誰も考えていなかったが、逆にこの破壊的行動に直面して初めて反省や、再検証をしたと語っていたことが救いだった。
 それにしても、あの当時国の腰の定まらないような航空行政の煽りを受け、結果的に右往左往させられたことが、ちょっと癪に障るが何となく懐かしい。
 ところで、2日前にJR常磐線・荒川沖駅構内で24歳の若者が誰でもよいから殺したかったなどとナイフを持って暴れ周り、結果的に行き掛かりの8人に切りつけ、一人が亡くなった。昨晩は、JR岡山駅構内で進入してくる電車にホームで待っていた人を、突然後から線路内へ突き落とし、突き落とされた人は死亡するという事件が発生した。この犯人は高校を卒業したばかりの若者で、殺せば刑務所へ行けると言っているという。これだけに留まらず、最近はすぐ切れる若者が増えて、われわれの周囲にも狂気が漲っているような危ない雰囲気が表れるようになった。少子化を受けて子どもを甘やかす、無責任と無秩序は社会への影響が極めて大きいと思う。今日の日本は、教育、特にモラル教育が荒廃している。やるべきことを親も学校も、社会もしっかり教えていないのだ。
   自宅近くの私立女子高の傍を通ると、時折テニスボールが道路へ飛び出てくることがある。今日は2つのボールが飛んできたので、拾って校庭へ投げ返してやっても何の言葉も返ってこない。他人に対する礼儀を忘れ、自分たちの大切な財産も大切にしない、「悪習慣」が肌身に染み付いてしまっている。悪の根源は一体何だろう。根は深い。

                       3182008年3月27日(木) 平安高校最後の試合?

 野球シーズンが到来したので、野球に関して話題2題。
 ひとつは、プロ野球開幕スケジュールのあり方に関してである。パ・リーグが開幕してロッテとソフトバンクの好試合が展開されたが、セ・リーグはまだ開幕していない。そのセの巨人軍のホームグランド、東京ドームではアメリカ大リーグの開幕試合(レッドソックス対アスレチックス)が行われている奇妙な展開になっている。このメジャー・リーグの開幕試合をパの公式戦にぶつけるという無粋さは、常識的には考えられない。些か常軌を逸している。すでに昨年ロッテのバレンタイン監督と当時の日本ハム・ヒルマン監督が、せっかく盛り上がったパの開幕試合に水を差すようなスケジュール編成はおかしいと指摘していた。レッドソックスの先発投手・松坂大輔ですらパの開幕試合に気兼ねしてしまうと率直な胸の内を語っていた。日本のプロ野球が開幕して熱が入ろうという瞬間に、ファンの眼をメジャー・リーグへ向かわせようというのだから、日本のプロ野球関係者は一体何を考えているのか、仕掛け人が外部の人ならまだしも、主催者・読売新聞社は普段の言葉とは裏腹に実際はプロ野球の興隆なんて屁とも思っていないことを暴露したようなものだ。球界の盟主を標榜する巨人軍のオーナー会社としては、血迷ったとしか考えられない。日本のプロ野球の発展を考えているどころか、日本人ファンのメジャー志向を煽っているとしか思えない。野球評論家諸氏は挙って反対していた。反対の意見が圧倒的であることぐらい、気がつきそうなものなのに、今日のマス・メディアのやり方らしく世論やファンの声には一切耳を傾けず、自分の都合だけを優先し、ただ金儲けに走る。どこかコンプライアンスに欠ける日本相撲協会とも共通点がある。
 もうひとつは、選抜高校野球である。いつ見ても選手は溌剌とプレイしていて、清々しい。今日の第一試合は、中学2年生の時、2〜3学期の僅か半年間だけだったが在籍した京都・平安中学の付属校・平安高校が21世紀枠の推薦校・愛知県立成章高校と対戦した。最後まで観たのは、創部百年目の平安が最多出場回数を誇る伝統校でありながら、4月から校名変更するというのが残念で、伝統の「HEIAN」ユニフォームの見納めと考えたからである。応援席には野球部OBが駆けつけていたが、その何人かは昭和31年夏の甲子園優勝メンバーで、私とは平安中学の同級生になる。龍谷大学付属平安高校というのが新しい校名だそうだから、「平安」という名前が完全になくなるわけではないが、元在校生としては些か寂しいし、系統が変わるわけでもなく、敢えて名称変更までする必要はないのではないかと思うのは、私の単なるセンチメンタリズムだろうか。
 ラグビーの名門校である大阪の大阪工大高と啓光学園高が経営母体の学校法人同士が統合されたことにより、来年からともに校名変更する。なぜか流行のように校名変更を簡単に決めてしまう風潮が見られる。かつての野球名門校、浪華商と中京商も校名変更により、それぞれ大阪体育大付属浪商高校、中京大付属中京高校となった。時代の流れかも知れないがどうもしっくりしない。
 さて、最後の「平安高校」は反撃を凌いで勝ち残った。これでまだ「平安高校」は試合が出来る。

 テレビから流れてくる校歌斉唱に合わせて、つい口ずさんでしまった。
   ♪紫匂う雲の彼方
     希望の星の燃ゆるところ
      目指し羽ばたく若き生命
     燦たり ここにこぞる
      おお 称えよ 称えよ
       たぎる力を♪
          (平安高校校歌)

                   3192008年3月28日(金) 沖縄の集団自決は日本軍が関与

 大東亜戦争末期の沖縄で住民が集団自決したことは、日本軍の命令によるものだったと記述した岩波新書「沖縄ノート」作者の大江健三郎氏と、発行者・岩波書店に対して名誉回復の訴えを起していた、沖縄戦・元守備隊長と遺族の訴えを大阪地裁は今日却下した。
   真実は当人たちにしか分からないが、集団自決から63年が経過して、当時の沖縄戦から生き残っている人も年々数が減り、新しい歴史的事実が判明したり、未詳の記録が発見される可能性もいまや極めて少なくなった。結局当時残された資料や記録を検証して事実誤認がないことを確認する作業と、生き残り証人の告白等を地道に確認する裏づけ作業が、より大切で欠かせなくなったと思う。
   軍の命令がなかったとする原告の主張には、ほとんど客観的に当事者である沖縄県民や国民を納得させる証人証言が得られなかった。云うまでもなく旧日本軍の組織内には、厳然とした縦社会の構造と厳しい上意下達の命令系統があったことは明らかで、かつて戦友会慰霊団をお世話していた当時、多くの元兵士の方々から伺った話では、この二つは絶対無視出来ず、一兵卒としてはただ服従するのみだったそうだ。こういう命令服従の空気はなかったと原告は断じて主張するのだろうか。裁判所は、住民の証言から日本軍の関与を示す内容は、合理的で根拠があると明確に判断した。
   昨年の教科書検定で沖縄集団自決は棚上げされた形になったが、これが昨秋沖縄県民を怒らせた。戦場となった沖縄では、県民は日本軍の命令によって集団自決に追い込まれたと理解している。この県民感情に逆らうような主張で、果たして沖縄県民を納得させることが出来るのだろうか。
   正反対の主張をしている原告側と被告側のどちらかが、正しいのか正しくないのかは、双方の言い分を聞いただけでは真実分からない。しかし、集団でことを成したということから考えれば、集団の中のリーダーによって実行されたことは明らかではないだろうか。リーダーは誰かから命令を受けたものと推察すると、最早軍内部以外には考えられないだろう。断言は出来ないが、裁判所の下した判断は、溢れる資料、生存者の証言、客観的状況証拠から考えて妥当ではないかと考えている。
 だが、原告の元守備隊長側はどうしても納得せず控訴するという。遺族の気持ちはどうなるのだろう。

                   3202008年3月29日(土) 夏目漱石についてひとくさり

 先日加藤秀俊先生へ拙著「現代・海外武者修行のすすめ」をお送りしたところ、昨日ご丁重なお便りをいただいた。「・・・まだ、パラパラと拝見しているだけですが、たいへんな活動量に感銘しています。これからゆっくりと拝読します。・・・」と書かれてあった。先生の推薦書・夏目漱石著「私の個人主義」については、義父から譲ってもらった岩波の全集には収録されていなかったので、取り急ぎ近くの書店から取り寄せた。全集に掲載されなかった理由は、それが漱石の講演集だったからではないかと見当をつけている。しかし、加藤先生がお薦めされるだけあって、中々示唆に富んでいる。職業と道楽について、職業は他人のためにやるもので、自分自身のためにやるのは道楽であると断定している。皮肉屋・漱石の面目躍如で随所にワサビが利いている。例えば、明治44年に兵庫県明石で行った講演「道楽と職業」の中にはこういう表現がある。「博士というと諸事万端人間一切天地宇宙の事を皆知っているように思うかも知れないが全くその反対で、実は不具の不具の最も不具な発達を遂げたものが博士になるんです」と気位の高い博士らから顰蹙を買いそうなことを平気で述べている。まあ、ご自分に相当な自信があるからであろう。
 「私の個人主義」序言で文藝評論家・瀬沼茂樹が述べている。「・・・漱石は座談や講演の名人である。しかし漱石は当意即妙に話をその場限りに終わらせていない。話術に巧妙で、諧謔に富んでいる点では人後に落ちないばかりか、なにげない日常の事柄を糸口に、識見や主張を語り、薀蓄を傾け、独創的な思想に導き、極めて魅力に満ちている」。
 数年前に漱石全集を改めて読み返してみようといくつかの長編を読んで感じた夏目漱石文学の特徴は、@割合身近な題材をテーマにしている、A登場人物がインテリ、B比較的経済的に豊かな生活を対象にしている、C主役の家庭にお手伝いさんか、書生がいる、D舞台に九州を取り上げているケースが多い、等々であまりしつこく、ねちねちと内面を描写することはないようだ。恋愛小説とか、不倫を扱った小説とは縁遠いようだ。
 小学5年生だったころ、母から薦められて初めて「坊ちゃん」を読んで可笑しな小説だなと思ったことがあるが、それ以来今日まで漱石とお付き合いすることになった。まあ、日本人にとっては昔の家庭生活とか、昔の先生ののんびりした生活の姿のようなものがイメージ出来て、読んでいてもつい笑ってしまう。何と言っても文章力がしっかりしているのが素晴らしい。良い意味で前頭葉刺激剤である。その点で最近の小説は、あまり読む気も起こらない。近頃では芥川賞作家や直木賞作家の作品ですら、現代の闇とか、セックス描写ばかり派手に書きなぐり、まったくストーリーが頭にインプットされない。やはりいつまでも詠み継がれる小説というのが、古典と呼ばれるものだろう。

                       3212008年3月30日(日) 政治家よ、もう少し真面目に働け!

 年度末は桜の開花シーズンでもある。明日期限切れとなるガソリンの暫定税率につき、法律が国会を通らなかったから結局暫定税率は廃止となる公算が強い。ただし、その後にもすったもんだの波乱があることは間違いない。新年度以降ガソリン税をどうするのか決まらないから、市場では販売者のガソリンスタンドと消費者が右往左往している。福田首相は、明日まだ一日残っているから何とか野党の了解を得て暫定税率を認めてもらう努力を傾けると強調していた。しかし、いままで与野党は自党案が最善の案と言って、結局袋小路に入り込み、時間切れになったこれまでの経緯もあり、あと一日で双方にとって妥協点のない相手の法案に歩み寄ることが出来るのか。国会議員が真面目に意見を出し合い議論してまとめるという真摯な姿勢がないから、時間を浪費して国民に不安を与え、その挙句にどんづまりで国民に迷惑をかけるということになる。
   日銀総裁も決まらないままだし、国会議員なんて何一つまともなことをやってくれないとあきれ返るばかりだ。依然として与野党の主張と思惑がかなり違うこともあって、この先ガソリンはどうなるのか、一寸先はまるで闇である。この数ヶ月間政治の動きを見ていると、国会議員の頭の中は自分たちの都合ばかり考えて言いたい放題で、国民のことはまったく念頭にないことを改めて感じる。政治の停滞、空白と言うより、政治家の不真面目さと怠惰が招いた混乱としか言いようがない。
 ガソリン税率をきちんと決めるために残された時間は、ついにあと一日となってしまった。今日の各党のテレビ討論における発言を見ていても、懲りもせず不毛の討論をやっている。他党の政策・意見の揚げ足取りにうつつを抜かしているだけだ。こういう政治家たちには政治を司る志と熱意、責任感がまったく見られない。怠け者ばかりが政治家になっているとの印象が強い。こんな低次元の政治家には、とっとと辞めてもらいたいものだ。そして、これ以上馬鹿な政治家を無駄に養う必要はないと思う。この際思い切って一院制にして、現在の衆議院も規模を縮小して代議士250名程度に半減してもよいのではないだろうか。福田首相自身が財源不足だと言っているのだから、まずは自ら範を示して議員にかかる経費をスパッと切ってもらいたい。まったく嫌になっちゃう。
 こんなお粗末な政治とは無関係な近所の桜は満開で、上品な春のムードを放ってくれている。

             3222008年3月31日(月) 俗曲師の弾き謡い

 来週開催のゼミお祝い会の世話人のひとりとして、他の世話人にも会場のホテルへ集まっていただき一応の打ち合わせをした。大阪から駆けつけてくれる第一回生の佐竹正彬さんをはじめ、40名を超える参加者が予定されているので、世話人一同楽しい賑やかなパーティになることを期待している。明日を期して麹町女学園校長に昇任される伊藤暁さんが、仕事を抜け出してわざわざ来てくれたことは有難い。
 その後、出井猛氏に招待券をいただいたので、新宿コマ劇場内のアップルシアターで、一風変わった面白いコンサートを観た。うめ吉さんという俗曲師のショーで、普段滅多に触れる機会のない日本古来のお座敷芸のパフォーマンスだ。プログラムを見ると「奴さん」「おてもやん」「すととん節」「都々逸」など近年テレビではほとんど観ることの出来ないものばかりで、予想以上に気軽に楽しめた。
 うめ吉さんのトークは結構手慣れていて、要点をまとめて上手に説明してくれた。落語に欠かせない出囃子とか、地囃子の説明など、いままでまったく知らなかった業界用語を専門家が解説するのでよく分かる。一人ひとりの落語家が舞台へ上がる時の出囃子も、それぞれ固有のものを持っているとは初耳だった。特に、桂米丸の場合は、名前に「丸」がつくので船とか、海に関係のある出囃子になるのだと解説して、実際に出囃子をやってくれたが、♪金毘羅船々 追い手に帆かけて シュラシュシュシュ〜♪だった。
 少々異質なコンサートだったが、うめ吉さんの声質に若干不満を感じながらもエンターテイメントの点では大いに楽しめた。
 さて、いよいよ年度末に近づくことから、昨日国会の無様な実態を責めたが、やはり今日福田首相の狙い通りには暫定税率法案は与野党間で話し合いがつかず、ついに今年度時間切れとなった。首相は記者会見の場で国民に迷惑をかけたことをお詫びする一幕があった。
 ただ、今日のTVニュースを見ていると国民の中には、ガソリンがらみの軽率な行動で他人に迷惑をかけている御仁が相当いるらしい。事情は分からないでもないが、もう少し分別がないものだろうか。酷い消費者もいるものだと呆れてしまった。一例を挙げれば、4月1日以降に安いガソリンを買うつもりで、ぎりぎりの量しか入れてなかったために路上でガス欠を起した車が何台もあった。こういうことで、緊急に駆り出されるJAFもご苦労なことであるが、生活するうえで最低限の常識も持ち合わせていないような人たちが、これまでよく生き延びてきたものだと半分は呆れ、半分は感心もする。
 それにしても、政治家にはつなぎ法案のような苦し紛れの法案なんか考え出すよりも、もう少しまともな知恵は出せないものか。