
2007年12月
201.2007年12月1日(土) チベットのホテルは未だ発展途上
大分疲労が重なっているようだ。身体は気候に順応しつつある反面、疲労と高血圧の影響からだろうが、なんとなくけだるい気分である。今日もグループの人から風邪薬をいただき服用している。
今日はツェダンから40qほど離れた、チベット文化と民族の発生の地といわれる「サムイェ寺」と「タントゥク寺」を訪れたが、川沿いにあまり整備されていない道路を走って、道路工事中のため引き返したり、バスが大きくバウンドしたと思ったら車体の機械部分が破損して小一時間ばかり立ち止まったり、ドライバーにとっても苦闘の一日だったと思う。
だが、やや殺伐としてはいるが、砂埃の中を走り抜ける気分は何とも言えず爽快である。空は抜けるように青く、周囲には人家もほとんど見かけられず、アフリカのサヴァンナ地帯を走っているような雰囲気である。空気が乾燥しているせいで、しきりに唇や手がカサカサになる。ハンドクリームを手放せない。
ラサの「雅魯藏布大酒店」と当地の「西藏山南澤當飯店」は、いずれも土地の最高級ホテルの格付けのようだが、新しいホテルが性急に豪華さを競うあまり、外見的にはともかく設備面において、またホスピタリティの面でとても期待に応えているとは言えない。部屋までの複雑なアプローチ、鍵の使用方、室内のスイッチ、抽斗の少なさ、バスタブへの注湯の遅さ、等々これから改善していかなければならない点が多すぎるように感じた。そして、いま夕食を終えホテルへ帰ってきたら、ホテルが真っ暗闇の中にある。電気系統の故障らしく全館停電状態だ。ロウソクをもらい、4階の部屋まで歩いて上る。部屋へ戻って20分程度経ったら電気は点灯したが、今日はインターネットも繋がらず、チェックしてもらう予定だった。しかし、スタッフはやっとこさやって来たが、別人を手配すると帰ったまままったく音沙汰なし、この無責任さはどうしようもない。みんな人物は悪くはないのだろうが、こういう好い加減さが、今後チベットのホテル業界全体の評判を落とさなければ良いがと心配である。
従って、今日はインターネットが用を成さず、メールを読むことすら出来ない。
202.2007年12月2日(日) チベット旅行は楽しかった。
昨晩10時を過ぎてから、添乗員の木村さんから12時から今朝7時まで再び停電になると連絡があり、充電関係の処置だけして、身体を暖めて休んだ。今朝フロントの女性には昨日のインターネット不接続に関する約束不履行に関してクレームを申し立てた。約束しておきながら、それを2度も無視するのだからどうしようもない。ガイドに言わせれば、以前よりましになったとのことだが、少々不愉快である。まだ、ソフトウェア部門でサービスが行き届いていない印象を受ける。
チベット滞在も今日が最後となり、ラサを去る前にチベット王陵を見学して、典型的な民家を訪れた。手土産を用意しておいてよかった。おじいさんにはぐい飲みの猪口を、おばあさんには扇子を上げたのだが、明治の板チョコを割って子どもたちに分け与えている姿をバス車内から見ていたゲーリーさんが、休みの日にこどもたちに普段は食べられないおいしいチョコをあげたのは良かった。子どもたちにとって、一足早いクリスマス・プレゼントになったのではないかと仰っていただき恐縮である。
今度の旅行に関しては、私はもちろん大満足であるが、他の参加者からも概ね良かったとの声が高い。他の普通のツアーと大きく異なるのは、高地ゆえの健康対策である。実際こんなに飲み水をもらいながら、毎日水ばかり飲んで、時折酸素を吸っているのは、まったく初めての経験である。木村さんに聞けば、19名の参加者のうち、結局医者にかかった人が6人、その内点滴を受けた人が5人ということであるから、とても並みの旅行コースとは言えない。実際、私がこの旅行にお誘いした年配者3人にも断られたが、その理由が高地で気圧が心配だということだった。確かにその懸念はある。しかし、今回大事に至らなかったのは、処置が早かったせいであろう。この点を旅行社もわれわれ旅行者も肝に銘ずべきであろう。
僅か4泊の短い滞在で、身体も充分順応しないチベットではあったが、ほかにも魅力がいっぱい溢れている。この旅行を守り立ててくれたのは、何といってもガイド・曾さんのガンバリやのお陰である。性格も素直で、勉強家である。個人的に、また将来的に来れるかどうかは分からないが、今度の旅行は私自身にも多くの知識を授けてくれたうえに、生涯忘れられない思い出になったことは間違いない。
新しいラサ空港を飛び立ち、成都経由で北京へ向かう。あまりよその国を批判するのは可しとしないが、それにしても中国の人たちが整列とか、航空機内で携帯電話をかけるのは、何とかならないのだろうか。大きな声で傍若無人にしゃべっているのは、傍にいて耐えられない。
いま、丁度午後7時、成都空港のトランジットルームでPCを打っている。ここも近代的なロビーである。まもなく北京へ向けて出発する。
203.2007年12月3日(月) チベットから帰国
昨晩遅く北京市内のホテルへチェックインして、最後の一夜ということで参加者の浜谷さんから部屋で一杯やりませんかとお誘いを受け、遅いにもかかわらずお邪魔して2時過ぎに自室へ戻ってきた。短い間に内容の濃い一杯となった。この方もお酒に関しては、結構凝っているようで、焼酎「いいちこ」の割れない厚手の小瓶、福島の銘酒「栄川」、スコッチ、黒砂糖、等々を手元に用意しておられる。よほどお好きなようだ。帰って13日からすぐまた大好きなラスベガスへ奥さんを伴ってお出かけだそうで、私より1歳年長であるが、第二の人生を結構エンジョイしておられる。
成田から京成で帰宅したが、自由が丘駅からタクシーに乗って自宅近くでメーターを見たら、本来660円のはずが710円になっているので、「値上げしたんですか?」と聞いてみたら、今日から値上げしたとの答えだった。テレビニュースでも話題のひとつとして、各局とも報道していた。
玄関に入る前、手術後の妻の面相が少々気になっていたが、やはり私の予想よりは良くない。当人も何点か気になっているようで、医者へ電話してくれということなので、すぐ大分腫れているようで、自分の予想より悪いと率直に執刀された医師へ聞いたところ、種々原因等を説明され、結局まだ手術後時間が経過していないので、もう少し経ってから話をしようとの結論になった。妻は、以前より見やすくなったのは事実であるが、顔が変わったことがショックのようである。いまは、あまりじたばたしてもしようがない。しばらく時間を待たなければ仕方がないような気がする。
このチベット旅行も中々充実していて楽しかった。行ってみて本当によかったと思う。
小中さんから、チベットからメールが送れるとは思わなかったと返信があった。高地でお酒を飲むとどういうことになるかとの素朴なご質問をいただいた。そのご質問に対しては、ガイドから極力控えるようにとのきついアドバイスがあったので、分かりませんといしか答えられない。
204.2007年12月4日(火) 清水丈夫さん、ご健在!
旅行中、前進社、否「現代文化研究所」の「大久保正」氏から書簡をいただいた。長い間消息不明で所在が気になっていたラグビー部の先輩、清水丈夫さんについて、「清水議長は健在で、大いに活躍しております」とお知らせいただいたものだ。長い間まったく足取りすら掴めず、ひょっとするともう亡くなられたのではないかとさえ思っていた知人、友人も多い。ところが最近になってインターネットを通して、偶々清水さんのお名前を見つけてから、もしかすると元気に活躍しておられるのではないかと、期待を抱き楽天的に考えられるようになっていた。それが、清水さんと身近に接触しているらしい「大久保」氏から、清水さんは活動しているとの確かな連絡をいただいた以上、喩えもう同じ目的の下にともに行動することは出来ないにせよ、少なくとも若かったころに一時的に一緒に活動した経緯と懐かしさがあり、かつての清水さんの優しいお人柄も想い、今後は清水さんの活動を遠くから静かに見守っていきたいと考えている。
それにしても、「大久保」氏の文面を拝読すれば、清水さんは相変わらず勇ましく、組織の先頭に立って活動している様子が窺え、その弛まざる強靭な信念には、ただ恐れ入るばかりである。
書簡には、週刊「前進」デジタル縮刷版刊行に際して寄せた、革命的共産主義者同盟(略称「革共同」)議長としての清水さんのメーセージも添付されていた。題して「原点から学び、到達地平を確認し、新たな決意で先頭に立つ」というものである。文章は易しく書かれてはいるが、論点は厳しく、とても私ごときには附いていけない。すごいなあと思ってしまう。先月の集会を前に発表されたようだが、先日近所の和田先輩から、11月に前進社に対して公安の家宅捜索があったという話を聞いており、案外この集会情報を得た公安が動いたのではないだろうか。この書簡について、和田さんにもメールでお伝えした。
205.2007年12月5日(水) 血圧が安定してきた。
午後からかかりつけの内科医森先生に診察してもらいがてら、チベット旅行中の体調経過報告に行った。降圧剤服用の効果が少しずつ現れてきたのか、最近は上が大体140以内に収まり安定しつつあった。ところが、標高2,200mの西寧から、5,000mを超え3,650mのラサ、およびツェダンのような富士山とあまり標高差がない都市に滞在中は上が160近くまで上がった。現地ではガイドに、やれ酒は飲むな、とか、風呂にあまり入るな、とか言われ、その金言を守ってきたお蔭か、大きく体調をこわすことはなかった。しかし、やはり高山特有に酸素が薄いせいで、脈拍が突出して上がってしまった。普段は60以下で安定していたが、28日から、つまり鉄道で5,000mを超えた日から100をオーバーした。普段の二倍である。以後北京へ戻ってくるまで、92〜112を記録した。明らかに激しい脈拍を示している。この点をPCで作成した血圧チェックシートを持参して、森先生に説明した。
先生には、西寧で購入した高山病予防薬の漢方薬「紅景天」の空箱を持って行き、服用法についてもお話した。今日の血圧はもう平常値へ戻っており、先生からも大分落ち着いてきましたねと言われた。
今更ながら、人体というのはかなり環境に左右されるものだと実感として感じている。幸い痔の方も少しずつ落ち着いてきた。
206.2007年12月6日(木) 宝仙寺墓地に生前墓石建立
妻が先日オペをやった箇所の抜糸の予定なので、医院の近くまで車で送ったが、中々帰って来ない。その内電話がかかってきて、右下瞼をもう一度オペしたという。随分簡単に決めちゃうものだと少々驚いた。それでも今朝よりは様相的に全体のバランスが良くなって帰ってきた。これからまた腫れたり、瞼が下がったり、百面相を演じるのではないだろうか。一番肝心なことは、手術前より視界が開けて見やすくなったかどうかということで、現時点では良さそうなので、取りあえずは善しとするか。
午後から中野の宝仙寺へ出かけ、新たに建立した自分の生前墓を見てきた。この秋に石材店に頼んで、先祖の墓地の一角に次男である私の墓を建立してもらっていたところ、旅行中に完成したと連絡があった。大辞林には載っていないが、生前墓のことを「寿陵」というのだそうだ。近藤家本家、分家の墓と私の墓を合わせて3つの墓石が建ったことになる。私の墓石の裏には、はっきりと「平成十九年十二月吉日、施主近藤節夫建之」と彫ってある。3つとも似たような墓石だが、分家の墓石も作り直してしっかり根を下ろし、床面はすべて玉砂利にしてきれいに整備された感じである。明後日兄弟妹と連れ合いに参加してもらい、僧侶にお経を上げてもらって開眼法要式を執り行う。もう1年以上も懸案となっていたが、漸く自分が納まるべき場所を確保することが出来た。ところが、妻の面相が腫れてあまり良くないので、開眼法要に孫たちを参加させると彼らが妻の顔を見て怖がるといけないということで、長男浩史へ話して、当日孫たちは来ないことにした。
207.2007年12月7日(金) 忘年会シーズン始まる。
「JAPAN NOW観光情報協会」企画会議に引き続き、同じ海事会館内の喫茶店で忘年会を行った。実は、「知的生産の技術研究会」でも同じ時間に赤坂で忘年会がある。八木会長はもちろん、仙台から久恒理事長も参加され、出席者がそれぞれ知的生産的研究とか、業績を発表する機会を作った。先約優先だからそちらに出られないのは、残念だがいたし方ない。これからしばらくすると年の暮れを迎え、いつも通り夜は賑やかなことになるだろう。一年が経つのは早いものだと感じ入る。
企画会議は、今年一年間の実施計画と来年度のスケジュール報告に終始した。来年の予定で、宮崎市内で開催される「観光立国フォーラムin宮崎」の日程について、検討することになった。一応現地の都合を斟酌して、暑いが7月中旬あたりが妥当ではないかということになった。出来れば、いま話題の東国原宮崎県知事にも出席してもらいたいという狙いもある。
今日も妻は昨日のオペの結果を診察してもらいに行ったが、昨日と同じでもう一度オペをやってもらう羽目になった。大分遅くなってまたまた顔面を大きく腫らして帰ってきた。いまのところ妻も結果には、満足していないが、執刀医も納得出来ていないのではないかというのが、妻の実感。ただし、目の上で微妙な箇所でもあり、そう何度もオペを繰り返すことには、妻も私も納得しがたいので、これを最後にしたいと妻も言う。明日午前中にもう一度医師に術後の様子を診てもらうことになった。そんなことから、明日の懸案の開眼法要には、妻は出席出来ず、我が家では施主である私以外出席が叶わず、法要後に豪華なハイアット・リージェンシー「翡翠宮」で予定した、せっかくの食事会がちょっと寂しいものになってしまった。
208.2007年12月8日(土) 開眼法要と開戦記念日
妻は抜糸と検査があるので、施主側としては結局ひとりで開眼法要に立ち会うことになり、少々早めに宝仙寺へ出かけ、仏花、水、果物を用意して簡単に掃除をして法要に備えた。兄弟と連れ合い六人が揃ったところで、お坊さんの読経を始めてもらった。これで自分の墓を建てたことになり、先行き息子にいざという場合の心配をさせないで済む。役目をひとつ終えたことになるが、生前墓というのは妙なものだとも思う。自分の墓に手を合わせ拝んでいても気持ちが入らない。無事法要を済ませて都営地下鉄大江戸線でハイアット・リージェンシーへ移り、ゆっくり中華食を楽しんだ。ここの中華は美味しくて評判がいい。とにかく一仕事終えたというゆったりした気分である。
さて、今日12月8日と言えば、大東亜戦争開戦記念日であるが、新聞やテレビでは、その関連ニュースがまったく報道されていない。これはどういうことだろうか。かつては、必ず日本国民が自戒の念を込めて、昭和16年の今日忌まわしい戦争が始まったということを繰り返しニュースとして流し、改めて反省したものだった。あの朝日新聞にしても、僅かに「声」欄で読者である83歳の老婦人の投書を載せている程度である。あれだけ悲惨な出来事をいくら時間が経過したとはいえ、何らかの形でニュースとして伝えるだけでもすべきではないかと、マス・メディアの対応に不満が残る。反戦につながるデモの動きすら感じられない。戦争は忘れ去られようとしているのだ。
同じ12月8日に起きた事件として、ビートルズのジョン・レノンが27年前に暗殺されたことは、かなり取り上げられていた。ジョン・レノンが殺された事件もセンセーショナルではあったが、日本国民にとっては歴史上どっちが報道する価値のある事件かよく考えてほしいものである。ジョン・レノンが亡くなったことは、私にとっても大きなショックを持って受け止めた。丁度茨城県教育視察団のお供で、マルセイユに宿泊していた時、号外で知った。しかし、それにしても日本人にとっては、開戦記念日は忘れてもらいたくない日である。このまま放っておくと、いずれ大東亜戦争も風化して、いつの間にか憲法改正、再軍備という動きが出てこないとも限らない。
209.2007年12月9日(日) 中国政府の非常識と呆れた自己都合
チベットへ旅行中に北京で日中経済対話が開かれていたということを知った。日本からは6人の閣僚、中国側から副首相と7人の閣僚が出席した。2日に日本側代表団が温家宝首相と会見した時、温首相が対話は成功だったとその成果を評価し、日本の高村外相も成功だったと強調していた。
然るにこの対話でまとめられたプレスコミュニケの文面を中国側が一方的に書き換えて公表した。合意文書、しかも国家間で交わされた公式文書を、相手国の了解を得ずに自分の都合だけで変えてしまうとは、いかにもいま偽ブランドを売り物にしている中国らしいやり方である。こんな外交儀礼に反することはこれまで聞いたことがない。早速日本側が抗議し、訂正を求めているらしい。中国が一方的に変更した箇所は、@中国政府が人民元の為替レートの上昇に向けて努力することを日本側が期待したことと、Aエネルギー憲章条約への中国の参加の意義を日本が指摘した点である。いずれも中国にとっては触れられたくない箇所である。すでに新華社通信は変更された内容を伝え、人民日報や商務省のウェブサイトにも掲載された。どうも対話では一応合意したが、中国とすればあまり他所から指摘されたくない項目で、これをきっかけに欧米諸国から現在の中国の対応に対して、一気に問題が拡大化される点を懸念している節が見られる。
それにしても、最近のロシアにしても中国にしても、マイペースでことを運び、自分たちにとって都合が悪くなると強引に約束違反とか、契約破棄とかをやってのけるパフォーマンスにはあきれ果てる。社会通念や外交常識から考えて、まったく理解に苦しむ行動であり、日本政府が抗議したのも当然といえる。しかし、これからもこういう奇想天外な手段を二の手三の手と繰り出してくるであろう中国と渡り合っていくのは、相当な覚悟と相手を上回る戦術を駆使出来る腹芸と交渉力が必要で、果たして世襲議員ばかりで、地力のない日本の政治家にそれが務まるかどうか、いささか悲観的にならざるを得ない。
210.2007年12月10日(月) 世襲経営者の無能と無責任
今年は偽ブランドや、食品偽装が大きな話題になり、経営者のモラルを問われる事件が後から後から噴出している。今日「船場吉兆」がこれまで不祥事は部下になすりつけて、彼らの責任と言い続け、経営者が責任逃れをしていたが、万策尽きたか、遂に全面的に経営者の一存で偽装を行ったと白状した。この一連の失態劇を見ていると、無能な世襲経営者一族の経営能力と倫理観の欠如、そして世襲経営者の成れの果てを見ているようである。
この夏講談社編集部の副部長と同社出版物の間違った表現の件を話し合った際、あまりの非常識と知的レベルの低さに驚いた。これが大出版社の社員かと思うほど社会常識に欠け、自己主張だけを繰り返していた。当方も負けずに正論を主張して、「訂正する」との言質を引き出したが、手紙ひとつ満足に書けない人物が、会社を代表していると言い張る図々しさには開いた口が塞がらなかった。その副部長氏は、指摘した講談社の世襲経営について、経営とは一切関係ないと言い張っていたが、果たしてそうだろうか。気位ばかり高く、この程度のレベルの社員が大きな口を利いているようでは、会社もいずれ馬脚を顕すだろうと見ていた。
案に違わず、このところ出版業界で問題を起こしているのは、決まってプライドの高い講談社である。野間一族が経営するこの会社の体質こそが問題ではないだろうか。キャノンとの係争事件、中田横浜市長との訴訟事件、アンケート調査に学生を騙して利用した市場調査、等々と思っていたところ、月刊「選択」12月号に依れば、野間文芸新人賞選考委員交代の件で、社内が大揺れに揺れており、「選択」誌は「良識が看板の出版社でそんな横暴がまかり通るとは驚くばかりだ」とあきれ果てている。所詮思い上がった世襲経営者なんてこんなものだろう。
一昨日あたりから、右手中指先端から第二関節まではれぼったく熱を帯びている。どうも自分の指でないような気がする。昨日から氷をあてているが、不自由でしようかない。松本整形外科へ行った折りに診てもらったところ、松本先生は一目見て今治療中の膝より大変だと脅かされた。直ぐに血を抜いて化膿止め錠剤をいただき、明日もう一度診てもらうことになった。一種の「ひょうそう」のようなもののようだ。学生時代に、三田の階段でころんで指を傷つけた時に、済生会中央病院の医師はすぐ血を抜いてくれた。このまま放っておいたら手遅れになったのかもしれない。チベット旅行中でなくて良かったと思う。
211.2007年12月11日(火) 天満敦子さんヴァイオリン・コンサート
売れっ子ヴァイオリニスト・天満敦子さんのクリスマス・コンサートがあると吉祥寺の建築家・山本富士雄さんからご案内をいただき、妻ともども今日のコンサートを楽しみにしていた。演奏は文句なしに素晴らしかった。やはり超一流の音楽家の演奏を生で聴くのは、心を打ち、感動的である。最初にクリスマスに因んで、誰でも知っているクリスマスに関連の曲目をカトリック吉祥寺教会聖歌隊が歌った。
天満さんの演奏会は5年ほど前に、有楽町のよみうりホールで聴いたことがある。地味なお召し物、魚でもつまむようなヴァイオリンの持ち方、飾らない表情等々に個性的なところがあり、中々ユニークな女性だと思っている。シューベルト、グノー、カッチーニの3大アヴェ・マリアを含め、全部で11曲演奏してくれたが、一番良かったのは、「ツゴイネルワイゼン」だった。それに好きな「タイスの瞑想曲」も良かった。これだけ演奏家として優れた演奏技術を持っていると、どんな音色でも編み出せるのではないかと錯覚するほど、素晴らしかった。CDやラジオで聞く音色とまったく異なる臨場感を伴った音色、とりわけ超一流の音楽家が作り出す音色には、人の心をゆっくりと溶かす魔法が隠されているようである。とにかく一足早い感動のクリスマス・プレゼントだった。
今日の失敗は会場、武蔵野市民文化会館へのアクセスだった。吉祥寺駅からタクシーで会場へ向かったが、運転手が武蔵野市民センターですね、などと言うものだから、「武蔵野市民文化会館です」と告げて、略図を見せた。そのうちに、芸術文化センター?の話を始めて、挙句の末にその?センターへ連れて行かれ、目的地は「武蔵野市民文化会館」だと再度説明してやっと間違いに気づかせた。結局会場まで30分もかかり、料金も3倍近くなったが、開演には間に合ったし、年配の運転手がおしゃべりでサービスもしてくれたので、多過ぎとは思いつつ2千円払うことにした。運転手はすっかり芸術文化センター?と信じ込んでしまっていたようだ。われわれが知りもしない芸術文化センターの名前なんか出してもいないのに、一人合点し乗客に迷惑をかけたのは、ベテラン運転手としては少々お粗末だったと思う。会場から帰りは順調で、演奏会が終わってわが家まで、ちょうど1時間で着いてしまった。しかし、タクシーによるケチは、ここにもあった。自由が丘駅からわが家まで乗ったタクシー内に妻が帽子を置き忘れてしまった。
感動と失望の一日だった。
212.2007年12月12日(水) ロシアのトップ人事にウルトラC
ロシアのプーチン大統領は後継者にメドベージェフ副首相を指名した。この国は中々一筋縄で行かないお国柄ゆえ、大統領を辞めた後権力志向の強いプーチン氏自身がどのような立場に身を置くのか一入興味のあるところだが、出来レースによって即座にメドベージェフ氏は大統領選出後、プーチン氏を首相に任命したいと表明した。何とプーチン大統領が首相の座に座るというウルトラCには世界がびっくりである。
シナリオはこうである。大統領は憲法規定により、2期8年間しかその職に就けない。若く人気沸騰でまだまだやる気満々のプーチンとしては、権力を維持したままこれからどう国の政治の中枢に居座り続けることが出来るかを考えた挙句、編み出した奥の手が、憲法改正の道を選ばずに一旦権力の最高職から座を外し、院政の道を選択することであった。まず、自分の影響力を残して院政を行うために、次期大統領を操り傀儡とすべく腹心中の腹心、メドベージェフ氏を大統領に推薦し、新任大統領の不慣れな面を補佐する形で大統領に影響力を与え続け、次の大統領選で再び立候補する腹積もりである。その間、首相としての重要職務を全うし、絶対権力を更に固めてカリスマ性に箔をつける。ロシア憲法上は、共和制政治体制を執行していて、大統領が行政府の最高権力者ということになっているが、首相の権力が大統領のそれを上回る権力行使を行った場合は、いわゆる議院内閣制と同じシステムになり、政治制度と大統領の地位が形骸化することは必定である。国家行政をひとりの人間の意のままに操るやり方は、明らかな独裁政治、ファッショ以外の何物でもない。そのおかしな道をロシアは選択しようとしている。
メドベージェフ副首相は、悪名高いガスプロム会長として知られているが、月刊「選択」12月号に「ガスプロムは損をさせない」との記事が掲載されている。そこにメドベージェフ氏の顔写真が載っているが、どうも当人のものではなく別人のものではないかとの勘が働いた。以前に見た彼とは明らかに別の顔の気がした。余計なことであるが、「選択」誌の名誉のために同誌へ連絡して聞いてみた。しばらくして編集部の担当女性から返事があった。やはり、指摘した通り写真は別人であったという。同じガスプロム社の別人、メドベージェフ氏の顔写真を使用したらしい。人違いである。誤植のないことを誇りにしていた「選択」誌としては上手から水が漏れたということかもしれない。次号で訂正し、取り違えたことを注記するべきでしょうとアドバイスしておいた。
213.2007年12月13日(木) 少し良くなった「ひょうそう」
月曜日に松本整形外科で診てもらった左手中指の「ひょうそう」の傷跡があまり芳しくないということで、昨日また切開して血を出してもらった。水に濡らしてはいけないので、2日間は風呂にも入らず我慢していたが、ビニール袋を被せて濡らさないように気をつければ入浴しても大丈夫と言われ、中指をビニールで二重に巻いて湯船に浸かった。今日その結果を診てもらいに整形外科へ出かけたら大分良くなったとの診断で、化膿止めの薬はもう要らないことになった。まあとにかく不便で、いまこうしてパソコンを打っているのも四苦八苦である。
妻も今日3度目のオペの抜糸を済ませたが、面相が幾分変化したのでかなり気にしている。まだ、他人にはあまり素顔を見せたくないと言い、タクシーの中へ置き忘れた顔隠し用の帽子を求めて、玉川高島屋内の帽子店へ新しい帽子を買いに行った。
どうも夫婦揃ってぱっとしない。家にいながら仕事が捗らない。次回作品「停年オヤジの海外武者修行」の筋書きは、九分どおり書いたのだが、少し書き直そうと思う箇所もあるし、加筆したいストーリーもあり、なお若干時間がかかる。まだ、年賀状も書いていない。今年も年賀ハガキ650枚を用意したが、これで足りるのか足りないのか、分からない。今年も送り相手に合わせて3種類の異なった図柄の年賀状を作成する必要がある。それに、宛名書きは自分のこだわりで毎年万年筆による手書きなので少々時間がかかる。明日は海外へクリスマス・カードを送り、年賀状もそろそろ「筆まめ」で印刷して来週中には宛名を書き出さないといけない。だんだん忙しなくなってくる。年末が少し近づいたせいだろう。
214.2007年12月14日(金) 役人は国家、国民にとって本当に必要か?
また昨日北方領土で日本漁船四隻が拿捕された。乗組員は併せて11人である。今度のケースはこれまでと少し事情が違うようだ。一隻の漁船が進んでロシア領海内へ入っていって、これを止めようとした他の三隻の漁船が追っかけていったところ、もろともに拿捕されたらしい。最初に入り込んだ漁船の船長は、病気持ちで時折倒れるらしい。捕まった時の体調がどうだったかは分かっていないが、ロシア艦に連行される途中で携帯を使いマス・メディアに連絡してくるような珍しい連行状況である。常用薬が底をついているので、それが心配だとは、船長自身の電話と妻の談話である。この特殊な病状を外務省はロシア側に伝えて、医者と薬の手配を要請したようだが、どれだけ聞き入れてもらえるだろうか。
いつもながら腹立たしいのは、人命を配慮してロシア人がすぐ対応してくれないことだ。北方領土ではこれまで生命にかかわる大手術などのために、日本が幾たびか救急ヘリで島民の命を救ったことがある。恩を着せるわけではないが、ロシア側から11人がどういう状態か、未だにまったく連絡もしてこない。こういう種類のタチの悪い奴がよくいるが、ロシアの場合は国家として自分の都合だけで行動するので、始末が悪い。それにしても、外務省の非力な折衝力と、真剣に事態に取り組もうとしない不誠実と無神経には、呆れるばかりである。今日午後高村外相がやっと「拿捕は遺憾である」とコメントを発表した。何かやることがずれている。まるでノー天気である。
薬害肝炎訴訟で大阪高裁が国と原告との和解を提案した。ここ数日この問題が大々的に報道されているが、本件でも政府側の対応は、何とか患者数を限定しよう、費用を軽減しようとの思惑が見え見えで、患者と家族の気持ちを斟酌して誠実に対応し解決しようとの態度が一向に見えない。年金問題然りである。厚労省と社保庁の役人で、この二つの問題で責任をとったという話が聞かれない。これを頭の隅に入れて、先日発表された国家公務員のボーナス支給を見ていると、冬のボーナスでは、民間企業のボーナスが下がったのを尻目に、各省庁とも軒並みアップしたと報じていたが、まったく馬鹿げている。さぼろうとも、ヘマをやろうとも組織はつぶれず、首にならず責任は取らされず、給料、ボーナス、退職後の年金、すべてにウハウハで、天下りという第二就職先を宛がわれ、威張りくさっている。一体役人にボーナスなんて支給する必要があるのか。官尊民卑の度が過ぎている。このままだと、役人がからむ事件は、今後とも益々増加して、それはまず解決しない。役人天国万歳?! 否、くそ食らえだ!
215.2007年12月15日(土) なぜ史実を忘れようとするのか。
赤坂・楼外楼で開かれた「ヨタロウ会」に出席した。小中陽太郎さんの名前をもじった会で、出席者はみんな小中さんと親しい人たちばかりである。小中さんは奥様を同伴された。お会いするのは、先月烏山の洞窟コンサート以来である。六本木の楼外楼を含め、同名の中華料理店は他にもあるが、経営はまったく違うようだ。この店は老舗らしく、味で勝負しているとみた。小中さんがよくご存知の上海出身の沈支配人がいろいろ説明してくれた。国会が近いせいか、政治家もよくやって来るようで、グルメの小泉元首相は熱心なファンでしばしば来られるという。
食事会は和やかな雰囲気のうちに進められた。やはり、主催者である小中さんのお人柄のおかげだろう、楽しい話も飛び出した。
出席者が15人とこじんまりしていて、交代で自己紹介と近況報告をする羽目になった。別の会合でお会いする瀧澤陽子さんはご主人と一緒に幹事役を務められ、小中さんの高校同級生で、慶応の先輩でもある服部英樹さんは、親子3人で出席された。皆さん、この会を盛り上げようとしている熱意と親しさが伝わってくる。とても良い雰囲気である。
私は簡単に「MYギネス」の話と、大東亜戦争開戦記念日、並びに忠臣蔵吉良邸討ち入りの報道が少ないことをお話した。先日のチベット旅行で最高標高到達地点、5,068mの自己新を記録したこと、高地で脈拍が亢進したことを話した。また、今月8日大東亜戦争勃発に関するニュースが、新聞でもテレビでもまったく伝えられなかったことに関する不満を本欄に書いたが、昨日十二月十四日は、かの歌舞伎の十八番、忠臣蔵で討ち入りしたという正にクライマックス・シーンの当日である。赤穂浪士が吉良邸へ討ち入りした記念すべき一日である。だが、新聞はもちろん、テレビもほとんど報道なし。過去の映画のリバイブルもない。大東亜戦争も赤穂浪士もどこかへ行ってしまった。以前はこんなことはなかった。必ずや、どこかのチャンネルで放映されていた。
寂しいと言えば寂しいが、これも時代の流れだろうか。しかし、最近まで大騒ぎをしていた、歴史上日本にとって消してはならぬ歴史を消すようなものではないか。これでは、戦争をやりました。処分は受けました。これにて一件落着、と言っているようなものではないだろうか。やはり、日本人としては反省すべきは反省するとの謙虚な姿勢で、多少なりとも公営放送であるNHKあたりが、戦争の原因とか、責任、反省について時宜に適ったニュースを流してほしいものだ。
一方、大石内蔵助ら47士の討ち入りも元禄時代の史実であり、江戸文化爛熟期の武士の作法でもある。偏った生き方であったかもしれないが、やはりひとつの文化として、マス・メディアには報道者としての責任を果たしてほしいという気持ちである。
216.2007年12月16日(日) 登山家・芳野満彦さんの山岳画を入手
小田急百貨店で登山家、兼画家である芳野満彦氏の山岳画展「冬の訪れ」をやっていて、妻の手術傷跡目隠し用サングラスが出来上がったので、受け取りがてら覗いてみた。3日前の日経新聞「春秋」欄に分かりやすく芳野さんのお人柄と経歴、並びに業績が紹介されていた。会場はあまり広くないスペースに30枚程度の画が展示されていて、その一隅に芳野さん専用の登山用具が置かれていた。そこにアレッ?と思うくらいの小さな登山靴があった。凍傷で両足の土踏まずから切断したために、わずか12pの寸法になってしまったのだ。
芳野さんと言えば、新田次郎の小説「栄光の岸壁」のモデルとして描かれ、登山界では伝説的なヒーローである。脳梗塞で倒れ、胃も3分の2を切除され、今では登山から遠ざかっていると伺った。日本人として、初めてマッターホルンの北壁を登ったことでも知られている。長い間私にとっても憧れの登山家であった。展示された画の中には、興味を惹かれた画もいくつかあり、見つめているとつい一幅欲しいという気になる。偶々展覧会ポスターに使用された、快晴下のマッターホルンの画「マッターホルン快晴」8号が展示されていて、それが頗る気に入った。まったく計算外だったが、値も手頃だったのでその名画を思い切って買い求めることにした。購入の話をしていた時に、係員が芳野さんはそこに居られますよとお引き合わせしてくれた。まさに感激ものである。今年75歳の芳野さんは、考えていた通り腰が低く丁重に話に応じてくれた。購入した画と、画集「山靴の音」、画展ポスター、それぞれに丁寧に妻と私の名、日時を書き入れて、署名と篆刻をしてくれ、画の裏には、マッターホルンにまつわるご自分の思いを、
「快晴のマッターホルンこそ美しい眺めはないかも知れません・・・。この絵はツェルマットから描いたもので、私にとって日本人として初めて登った北壁、特に目にシミます。思い出は永遠に尽きることなく、そして遠くに新たにあることを」と書いて下さった。
私自身ツェルマットに何度か泊まり、マッターホルン展望のためにゴルナー・グラードまで行ったことがあり、その画は私のマッターホルンへの思いにも通じるところがある。暫くマッターホルン談義となったが、芳野さんは、マッターホルンは近くで見ているのが一番いいですよ、と仰っていた。ひけらかすような素振りは微塵もなく、控えめなお人柄である。「マッターホルンへ初めて登った日本人」という私の説明に対して、「いいえ、マッターホルン《の北壁》を初めて登った日本人です」とはっきり訂正された。そして、画の裏にはマッターホルンの「北壁」ということを注記してくれた。とても正直で静かな方である。
それにしても今日は思いがけず、憧れのアルピニスト・芳野満彦さんとお話出来て、その上素晴らしい買い物(衝動買い?)をした。いずれ我が家の家宝になる?
217.2007年12月17日(月) 芳野満彦さんに再び会う。
かつての山男としては、昨日せっかく高名なアルピニスト・芳野満彦さんにお会いして、親しくお話をさせていただいたのに、そのビジュアルな証拠となるツーショット写真を撮らなかったことが悔やまれた。ぜひ一緒に写真を撮っておきたかった。そんなことを子どものように考えているうちに、今日展示会場をもう一度訪ねて写真を撮らせてもらおうと闇雲に考えた。
小田急百貨店の展示場に電話して聞いてみると、芳野さんはまだ会場に来られていないが、よほど体調が悪くなければ11時ごろにお見えになると思います、とのことであった。芳野さんが来られたら、こちらの意向と趣旨をお話して、写真を撮らせてもらいたいと言付けを頼み、お出になったら電話で知らせてくれるようお願いした。
11時きっかりに展示係の方から電話をいただいた。芳野さんは私の申し出を快くお引き受け下さって、会場でお待ちしているというメッセージだった。
芳野さんは、会場で待ってくれていた。早速係の方にお願いしてツーショットを3枚、それに何枚か撮って、僭越だったが、拙著「現代・海外武者修行のすすめ」に署名して差し上げた。反って恐縮されていた。ことの序に祖父が川合玉堂画伯の一番弟子だったとお話したところ、興味を持たれて暫し玉堂談義となった。昨日購入した絵画をバックに写真に納まった。これでやっと気分も落ち着いた。購入した絵画は、明日展示会が終わったら送ってくれるとのことだったが、自宅のリビングにきっと合うと思う。いまは妻の親から譲ってもらった中川一政画伯のバラの絵が架けてあるが、6年も経過したし、静物画だったので、気分転換に一度動的な絵に差し替えて部屋の雰囲気を変えてみたいと思っていた。どんな雰囲気になるだろうか、想像してみるだけでも楽しい。
218.2007年12月18日(火) 小説の価値判断は?
日本の新聞に特有の連載小説は、案外面白いと思って大体読むようにしている。いま購読紙の朝日、日経の朝刊、夕刊を併せて5つの連載物を読んでいる。喩え大新聞であっても連載小説は玉石混交で、面白かったり、そうでなかったりで、とりあえず読んでみないと分からない。
まだあまり時間が経過していないが、先日朝日の夕刊紙上の小説「悪人」の連載が終わった。吉田修一の力作という触れ込みである。本人もこれこそ渾身の自信作と思える力作だと述べていた。そのコメントを聞いた時、意外な感がした。私にはそんなに良い作品とも思えないし、ストーリーだって今風の若者の無軌道を描いたもので、とりたててトリックを使ったとか、どんでん返しがあったとか、あっと言わせるような結末というのでもない。社会性もなし、訴えるものもなかった。それが、今日の新聞広告によれば、9刷を重ねて、「毎日出版文化賞」を受賞したという。加えて、「週刊文春」がミステリーベスト8位、「ダ・ヴィンチ」がプラチナ本of the year、年度1位、「ダ・カーポ」は今年最高!の本第1位とある。いささか首を傾げざるを得ない。
福岡市内に住む金持ちのプレイボーイ大学生と、彼に惚れている保険会社勤務の女性社員が車で夜中にデートして、峠で女性は捨てられ、それを偶々通りかかった主人公(悪人?)が、車に乗っけてやったが散々悪口を叩かれののしられ、ついに逆上して絞殺してしまう。男が自暴自棄になった時、背広販売店の女店員と知り合い愛し合う。しかし、一旦は自殺を思った男は女を騙すことが出来ずに別れ、自首して出る。ざっとこんなストーリーだが、陳腐な舞台設定と暗いイメージは、何をしてこの程度の小説に賞を与えるほどの価値があるのかと、そのギャップに戸惑うほどである。読んでいて何の面白みも、感傷もなかった。現代はこういう性質の悪い大学生もいるのかと思った程度である。
近年の芥川賞や、直木賞ですら受賞者の作品には、社会性や、時代性を描くよりセックスばかり強調している小説が多くなった。現代は、小説の価値も分かりにくくなった。
219.2007年12月19日(水) 韓国次期大統領にイ・ミョンバク(李明博)氏
今日韓国で大統領選挙が行われ、即日開票の結果、野党ハンナラ党イ・ミョンバク(李明博)氏が大差で他の二人の候補を圧倒し、勝利宣言をした。韓国は10年ぶりに保守勢力が大統領の座を取り返した。キム・デジュン(金大中)氏、ノ・ムヒョン氏が政権を担った10年間は経済がやや停滞し、失業者の増大、大学生の就職難等で経済復活の声が強かった。大阪に生まれ四歳まで日本で育ったイ氏は、貧しい生活の中で若くして現代建設の会長にまで上り詰めた。ソウル市長として実績を重ね、今年大統領選へ立候補した。
それにつけても進歩、革新政治と言われもてはやされながら、反って経済格差を生んで国民の間に失望感を与え、ノーベル平和賞受賞者でもあるキム・デジュン氏のカリスマ性を継承出来なかった、ノ・ムヒョン氏が作り出した倦怠感は一体どこに失敗の真因があったのか。
15日に小中陽太郎さんから11月12日、13日付中日新聞夕刊のコピーをいただいた。「いま甦る二つの真実」と題して金大中事件とハンガリー事件について書かれたものだ。金大中氏がKCIAによって滞在中の日本で拉致され、韓国へ連れ去られ自宅軟禁から解放された直後に、小中さんは金氏のソウル市内の自宅を訪ね会見されておられる。光州事件連座で死刑まで求刑されながら、金氏はアメリカの圧力でアメリカへ出国した。小中さんはアメリカでも金氏と連絡をとっていた。
アメリカがこれほどまでに金氏を保護しているのに、日本政府は保護しようとせず、謝罪もせず、韓国政府に抗議もしていない。ファジーな政治解決は、10月に韓国の国家情報院が「金大中事件」の報告書を公表したことで、一件落着とした。
小中さんは、ベトナム戦争中に米空母「イントレピッド」の4人の水兵が脱走し、べ兵連が彼らを匿っていると記者会見を開いたが、小中さんはその内の水兵のひとりを一年間自宅に匿っていたというからすごい。
話が脱線したが、金大中氏は良識の人であった。ノ・ムヒョン氏もそうであろう。しかし、世間は良識だけではだめだ。選挙の質が落ちたことも遠因としてあるのではないか。5年前の投票率は過去最低の70.8%だったという。だが、若者が期待され、今回選挙権が20歳から19歳にまで引き下げられながら、更に投票率が低下するらしい。若者が期待するイ・ミョンバク氏だが、獲得率は上がっても絶対数は必ずしも上がっていないのではないだろうか。専門家の論評を知りたい。
220.2007年12月20日(木) 甘い公務員の待遇
今朝の朝日新聞を見ると「観光庁、来秋に新設」とあった。国土交通省は、同省外局として同省内の観光関連局をまとめて「観光庁」を新設する方針を決めた。観光立国推進基本法に基づき、海外からの観光客誘致を推進するとしている。漸く観光が堂々国の施策として一歩踏み出したと言うことが出来る。観光が国によって公に認められたひとつの形である。しかし、これはあくまで外人客を誘致しようということが中心で、外貨を消費する日本人海外旅行客が増加することを支援しようというのではない。だが、観光客の片道交通というのはいびつで、往復交通、表裏一体ということがともども発展する基本である。われわれが海外旅行業を行っていた海外旅行黎明期は、海外旅行は外貨の浪費ぐらいにしか思われていなかった。国の外貨準備高の多寡によって、海外持ち出し認可額が変動したものである。それにしても時代が変わったことをつくづく思い知らされる。 もうひとつ朝日に掲載されたトピックに「議員報酬、日当制に」として、福島県矢祭町が議員報酬を現行の月額制から、議会に出席するごとに一定額を支給する日当制に変える方針を固めたという。いろいろ事情はあるにせよ、矢祭町のようなケースは全国でも初めてだという。地方財政が逼迫している折り、ひとつの方向性を示していると思う。この議員報酬に限らず、いまの公務員の給与にも個人的に疑問を持っている。公務員は民間会社とは違い、収入面で予算を抱えた業務をやり、収入予算をクリアしたという実績を評価されるような仕事に携わっているわけではない。従って、実績の評価として支給されるボーナスを公務員が受け取るのはおかしい。日常働いた対価として受け取る月額給与は、権利として当然認められるが、住民のために尽くす業務を当たり前にやって、当たり前の月給をいただき、退職後は安定した恩給、年金を受け取れる公務員が、数字的な実績を残したわけでもないのに、全公務員が民間会社より多く支給されるボーナスという摩訶不思議なお小遣いは、筋が通らないし、役人に対して甘い処遇だと思う。
その意味でも、矢祭町の例をきっかけに、全国で公務員に対する甘い待遇を考えさせるきっかけにしてもらいたいものだ。そうすれば、少しは役人も真面目に仕事をする気になるのではないか。
221.2007年12月21日(金) 先行きの見えない福田内閣
福田内閣の支持率が急落している。朝日の世論調査に依れば、発足当初53%だったものが、今や31%にまで下がった。不支持率は48%とほぼ半数近くの人が信頼していないことになる。福田首相就任当初は、「背水の陣」内閣として、もう少しやってくれるのではないかと期待されたが、ダメ安部とそれほど変わらない。
原因はいろいろあるだろうが、期待感ばかり抱かせて結果が思うように出ない、つまり成果として何も残らないことが、この不人気の最大の原因だと思う。その最たるものが、社会保険庁の無様な年金対策、厚労省のC型肝炎訴訟と防衛省の贈収賄にからむ規律の乱れだろう。朝日も少々人が悪い。いま衆議院比例区で投票するとしたら、どの政党へ票を投じるかとの質問を呈している。今月初めの調査では、自民と民主がそれぞれ32%とまったく互角だったが、現在は民主の38%に対して、自民はたったの23%だそうである。今日の「JAPAN NOW観光情報協会」12月飲み会でも、一度民主党に政権を渡した方が、お互いに緊張感が出て、真面目な政策論争と具体的施策をやって良いのではないかとの意見が聞かれた。みんな同じような考えを持っている。自民も今のまま何も成果を出せないような政権党では、益々地盤沈下するに違いない。
こんなムードの中で、来年度予算原案が発表された。近づく衆議院選挙を意識して、財政健全化は帳尻あわせに追われ、財布のヒモが緩みそうである。一般会計予算がざっと83兆円である。これは、私が経済学を習い始めた半世紀前の予算1兆4千億円に比べて、何と60倍である。これだけ大型の予算を組んで、どれだけ国民のためになり、国民が幸せになることが出来るのか。気になるのは、税収がまだとても足りず、消費税値上げの足音が聞こえてくることである。
222.2007年12月22日(土) 吉田修一著「悪人」の価値と評価
18日の本ブログで吉田修一の新聞連載小説「悪人」が、いかにつまらない作品であるかと指摘したが、それが「毎日出版文化賞」に続き、また別の賞を受賞した。第34回「大佛次郎賞」である。同賞は「ジャンルを問わず優れた散文を対象とする」と謳った、数多くある文芸賞の中でも大賞のひとつである。「悪人」のどこが良いのか、その評価の基準がよく分からない。作者は「いろんな登場人物を描きたかったので、場面を短い区切りでどうにか収めようとしたのがよかった。突然、別の人物の声がモノローグとして入る手法がリズムを生み出し、結果的にうまくいった」。どうも自画自賛に過ぎるのではないかと思えてしようがない。前半のコメントは確かにその通りだが、だからといって「リズムを生み出し、結果的にうまくいった」となったかどうか。私にはどうもよく分からない。
5人の選考委員がそれぞれ異なった視点からコメントを出されているのも興味深い。哲学者の山折哲雄氏は「一つひとつの情景をつみ重ねてクライマックスにもっていく構成的な作劇法が鮮やかである」。解剖学者の養老孟司氏は「なにを書こうとしたのか、そのあたりのわからなさがいちばん面白かった。著者は筆力があって、いったん読み始めたら、最後まで一気に読まされてしまう。そういう作品は決して多くない。そこを評価した」と必ずしも内容自体を賞賛していないコメントだった。多分私のように表層的に、平板的に受け取る読者がいることもお見通しの上で、論評しているのだと思う。
それにしても、小説の評価について、文芸評論家と称される人たちと自分の考えにこれほどギャップがあるとは少しショックでもある。これで、4年ほど前の130回芥川賞同時受賞の綿矢りさ、金原ひとみ、ら若手女流作家が描いたセックスとマゾ表現が評価された時から、改めて文壇は純文学路線から外れ、何でもありのエロ・グロ路線へ走り出したように思える。
223.2007年12月23日(日) またやった!懲りない講談社
ケチがつきはじめた大手出版社・講談社がまたまたヘマをやらかした。同社発行のマンガ雑誌「週刊少年マガジン増刊マガジンドラゴン」に掲載された作品に盗用があったと講談社はしぶしぶ謝罪した(本日付朝日朝刊)。新人マンガ家・豪村中氏の作品に複数の作品からの盗用があったと外部から指摘があり、本人も盗用を認めた。講談社の言い分はありきたりで、「二度とこのようなことが起こらぬよう指導を厳にする」というものである。だが、この大失態はそもそも講談社の体質自体に起因しているとみている。指導すべきは、自分たちが選んだ執筆者に対してではなく、講談社内部に対してではないだろうか。すでに落着したが、私自身も今夏講談社と一戦を交え、誤りを訂正するとの言質を得た。この会社は、自分たちの誤りに気がついても、素直に自分たちの誤りを認めようとしない。傲慢不遜で謙虚さに欠けるのだ。この体質を変えない限り、このところトラブル続きで懲りない講談社には、また同じような失態が跳ね返ってくるのではないか。
出版界のトップ企業であるという野間家世襲一族、および社員の思い上がり、オピニオンリーダーとしての自覚の欠如、世襲企業特有の隠蔽体質、外部の意見を傾聴しない傲慢さ等々、誤ったプライドを抱く講談社には、多くの問題が沈潜している。今度の件でも、多分外部から相当数の指摘があったと思われる。当初はこれを無視していたが、あまりの苦情に腰をあげて調査した結果、盗用と判明し、逃げられなくなって盗用を認めたというのが、実際の経緯だと思う。
どうしてこうもマス・メディアの最前線にある講談社は、トラブルを頻発させるくせに性懲りもなく反省がないのだろうか。結局のところ企業ガバーナンスがしっかり確立されておらず、世間知らずで、名門企業の名に甘えた妙なプライドで固まっている連中が、自分たちの論理だけでことを進め、自分の世界を作っているだけだからだろう。
224.2007年12月24日(月) 政治家の見識と責任、アクセス5,000件突破
一旦は政府の対応を「線引き救済」として批判し、決裂していた薬害C型肝炎訴訟問題は福田首相が検討を指示した議員立法によって、「一律救済」を目指し、急転直下解決へ向かい出した。まだまだ前途にハードルはあるが、それでも解決への道を政府が模索し出した点は評価してもよいだろう。罪のない被害者が、やがて自分たちを襲ってくる肝硬変、がん等の恐怖に怯える一方で、これまで無責任な対応で問題を放置してきた行政側の責任が問われてきた。大阪高裁の政府と患者原告団に対する和解勧告により、解決が期待されたが、原告団が最後まで譲らなかった「患者一律救済」が、結局ネックとなり首相裁断の「政治決着」とはならなかった。
この問題の一連の動きをみていると、改めて解決へ踏み出そうと政府が考え直したのは、次の総選挙に対する危機感からにほかならない。ねじれ国会で法案はひとつも通らず、新テロ特措法は一向に前進せず、年金問題の不始末から自民党の人気は下がりっぱなしで、総選挙では相当苦戦することが目に見えている。それが証拠に、原告団に対する政府の回答を出した直後の伊吹自民党幹事長は会見で、最善の策を目指したが、何でもかんでもやったら日本の法律はどうなるのか、資金はどうなるのか、と原告団の神経を逆なでするようなことを話していた。国民のためを考え、国民に奉仕する政治家の言うことだろうか。それを考えるのが政治家の見識であり、責任というものではないのか。それが前向きになったとはいえ舌の根もかわかぬうちに方針転換である。偉そうにポリシーだとか、信念とか、聞こえの良いことばかり言っていた政治家は、都合が悪くなると急に口が重くなる。
もっとも政治家が決断しようにも役所が反対しているのでは、政治家も手の打ちようがないということだろうか。大阪高裁の和解勧告は、一律救済を容認していない。司法の判断を立法、行政が冒してもよいのかという正論で反対したらしい。さらに財政面の手当てをこの厳しい財政事情の中でどう折り合いをつけるのかという深刻な問題もある。だが、その正論を受けた政治家が官僚に対応出来ないのでは、いつまで経っても官僚の言いなりだし、政治家の存在理由も出番もない。
予算がないと言うが、救済原資は考えれば、いくらでも考え出すことが出来る。以前から主張している公務員のボーナス支給カットも然りである。これなら、国民から大うけすること必定である。そして、薬害患者を救済することも出来る。思い切って議員数を減らそうというのもこの際検討してみたらよい。議員側から国民誰でもが歓迎するような提言もひとつぐらい提案されないものだろうか。いつものことながら政治家は自分たちの利益を国民から奪おうというケチな考えなんか捨てて、もっと国民が感動し喜ばすことは考えられないのか。
今日このホームページへのアクセス数が開設以来大台5,000件を超えた。ありがたいことである。アクセス数自体が多いか、少ないかは分からないが、少なくとも開設7ヶ月余で5,000件に達した。来年はいろいろ工夫を重ねて、さらにコンテンツを充実させ、楽しいホームページに仕上げていきたい。
225.2007年12月25日(火) 年賀状を書く気持ち
15日から年賀状を受け付けている。今日第一弾として535枚の年賀状を近くの郵便局へ持参した。15日の朝日「天声人語」によると、最近は文面デザインはおろか、宛名も印刷された年賀状が増えたようで、「天声人語」氏に今年届いた年賀状の約6割が宛名は印刷され、そのうち半数はまったく肉筆がないと慨嘆していた。相手を思い浮かべながら名前と住所を書いて一言添える旧来の年賀状が徒に機械化され、情緒や通い合う温もりが薄れつつある。年賀状も本来の意味を失い、形式的になりつつある。
私自身文書については、こだわりを持っていて宛名書きは万年筆で手書きで書けるなら、出来るだけ万年筆で仕上げることに固執している。時間もかかるし、時には書き損なうこともあるが、やはり書簡の類は、数百枚程度なら手書きに限る。
これは幕張小学校時代の恩師・湯浅和先生の「三つ子の魂」の教えである。小学生に手紙の書き方、年賀状の書き方、手紙を書くことの心構えを丁寧に教えてくれた。湯浅先生が、手紙ばかりでなく、工作、絵画、俳句のほかにも賞状のいただき方や、朝鮮戦争に国連軍を投入した理由等も情熱的に教えてくれた。そのおかげで、授業も楽しく先生との絆が深められた。いまでもクラス会を和(やわら)会と称して先生を偲びながら、毎年2回教え子が集まり交流を図っている。あんな素晴らしい先生は、あまりいないのではないかと思う。時代性もあるが、いまの学校教育の現場では中々こうはいかないだろう。
湯浅先生のおかげで、今でも手紙やハガキは必ず万年筆で認める習慣が身についている。筆で書くことはよほどのケースでなければしないが、万年筆による直筆だと巧拙、性格、感情もある程度推し量ることが出来るように思う。今日投函した年賀状も手書きなので、かなり時間がかかったが、少しでも自分の気持ちを相手に伝えたいとの心配りのつもりである。
会社勤めのころ、お客様への便りとか礼状は書式に則って必ず万年筆で丁寧に書くよう若い社員に指導していたが、万年筆は使えない、理由は持っていないからと聞いて愕然としたことがある。いまの若い人たちもきっとそうなのかなあと考えてしまう。大体万年筆を英語で‘fountain pen’というのがいい。泉の如く知恵も流麗な文もあふれ出てくることを象徴しているようだ。
他人のことはともかく、やはり丁寧に書かれた書状をいただいた時は、相手の気持ちを考えて気持ちが爽やかになる思いである。
年賀状ではないが、今日ニューヨークとブリュッセルの知人からクリスマス・カードを受け取った。これだって近況報告が沢山書いてあって、彼らの日常生活を想像するだけで楽しい。ニューヨークの知り合いはマ・テン・チさんというビルマ人の女性で、ビルマ航空のスチューワデスだった。最近カレッジを卒業した娘を連れて、30年ぶりに母国ビルマへ帰ったと書いてあった。海外に生活するビルマ人は、軍政下のビルマ社会がどうなっているか情報がなく、とても心配している。
ブリュッセルの知人、安原久雄さんとはもう30年以上のお付き合いになる。長い間ブリュッセルに住んで、マクロビオテックという有機農業や、自然食の分野で普及活動を続けておられる。今月80歳になったという。健康状態は良好だが、最近はトイレで用足ししてもペーパーは要らないと言っている。彼曰く「野生動物に近づいた」が、読書オタクになったというから、やはり野生動物とは決定的に違うインテリ人間だ。彼もコーヒーの飲みすぎとヘビースモーカーという活動の主旨に反する生活をもっと抑制すれば、さらに快適な生活を送れるだろうに。こういうプライベートな手紙のやりとりも手書きだから伝え合うことが出来ると思う。
226.2007年12月26日(水) 役人天国・日本
「文芸春秋」新年特別号に「暴走官僚」−エリートたちが日本を食い荒らす−という特集記事がある。5人の識者がそれぞれ専門のアイテムについて官僚の悪賢さと狡さを暴いて糾弾したもので、中々興味深い。初めて知ったことが多いが、それにしても官僚の悪質な仕事ぶりと自分自身への利益誘導ぶりには、いまさらながら開いた口が塞がらない。
これを読むと役人にはそもそも国家、あるいは地方公務員になるための志がまったくないことが良く分かる。敢えて言えば、本来なってはいけない人たちが公務員になっている。公僕としての誇りや、責任感がまったくない。どうしてこういう奇妙な組織、組織人になってしまったのだろうか。
国民の収入のうち約40%が所得税を中心に国家に掠め取られている実態、公務員の高額年収、天下りのなくならない理由、等々について分かりやすく説明されている。中でもジャーナリスト若林亜紀氏の「公務員の仰天手当て」を読むと、ほとんどの国民は血が上るのではないだろうか。筋の通らない互助組合的発想で給料を下げない諸々の仕組みを考え出して、挙句に国家公務員の昨年度平均年収は、814万円に達している。地方公務員なら東京都職員の801万円を筆頭に平均700万円台である。民間企業は435万円、大企業でも616万円だそうだから、公務員はかなり優遇されている。加えて、公務員は官舎が格安、リストラなし、退職金や年金が多い、天下り斡旋、等々を考えると馬鹿馬鹿しくて税金を払うことに懐疑的にならざるを得ない。これだけの高待遇に甘えて、仕事はしない、公金はポケットに入れる、威張る、罰せられない、では話にならない。特に、技能・労務職員の高給ぶりがひどいと若林氏は指摘する。本給のほかにいくつもの手当てを組み合わせてもらっているからだと説明する。電話交換手800万円、清掃職員900万円、給食調理員850万円、バス運転手の如きは、何と1,600万円を年収としていただいている。高給の原資は、すべて国民の税金である。やはりこれは異常という以外にないのではないか。マス・メディアももっとこの点を論点として訴えるべきではないか。現下の公務員と他の国民のアンバランスは、何とかしないといけない。あ〜腹が立つ。
227.2007年12月27日(木) ミクロネシアのモリ大統領と高校ラグビー人気の低下
来年4月20日に講師を引き受けている小金井市の雑学大学事務局から、2週間繰り上げて6日にお願い出来ないかと要請があった。当日は特に予定が入っていないので、了解の回答をした。タイトルは「中高年の海外旅行の楽しみ方」というもので、7月に宇都宮市民大学でお話したタイトルと同じである。宇都宮のパワーポイントに、さらに最新のニュースも加味して受講者に興味を持っていただける内容を準備しようと思っている。 「JAPAN NOW」紙に連載している二つのエッセイ原稿を書き上げ送信した。ひとつは、「世界遺産物語」の4回目で、先日訪れたチベットのポタラ宮殿について書いた。もうひとつは、もう6年目で32回目の連載になるコラム欄である。来年1月号だが、課題を終え、とりあえず年末はのんびり過ごせる。
今朝の朝日にちょっと気になる記事が2件載っていた。ひとつは、「ひと」欄に取り上げられた、ミクロネシア連邦大統領のエマニュエル・モリ氏である。パラオ本島で手広くスーパー等を営んでいた「モリさん」の子息である。エマニュエルさんにお会いしたことがあったかどうかは、記憶にないが、お父上には何度となくお会いしたことがある。お父上は、「冒険ダン吉」の孫だったから、大統領はダン吉のひ孫に当たる。厚生省の戦没者遺骨収集事業に関わっていたころ、パラオでよくお世話になった。一方トラック島にも同じような生い立ちの実業家・相沢進さんがおられた。親戚の方がJR藤沢駅前で手広く不動産業を営んでいる。相沢さんは一時プロ野球のトンボ・ユニオンズの投手として活躍された。偶々湘南高校の先輩というご縁もあり、同じ遺骨収集事業では随分助けていただいた。遺骨収集事業では、多くの人と出会い、人脈を利用させていただいた。懐かしい人たちである。
もうひとつ気になった記事は、高校ラグビーについて「『3K競技』参加校激減」という衝撃的なものである。ついにここまで来たかというのが率直な感想である。「きつい、汚い、けが」というのが、ラグビーの代名詞になり、高校生に最も嫌われるスポーツのひとつになってしまったようだ。成長期に身体を鍛錬することから逃避してしまっている。16年前の最盛期に比べると高校全国大会への予選出場校が、1,490校から900校台まで減少した。ほぼ三分の二に減ったことになる。16年前と言えば、ちょうど次男が高校ラグビー部で全国大会出場、全国制覇に向け汗を流していた時代だ。あの頃は、教師も気合が入り保護者も熱が入っていた。いまは、危険だからというだけで学校も、親も腰が引けているらしい。時代の空気も随分変わったものである。ラグビーが他のスポーツに比べて、どれだけ人間を成長させるか、分からない人が多い。また、一度プレイしてみると、どんなに面白いスポーツであるかということが身体で分かるのに、最初から子どもにその機会を与えることを避けているのは、教育全体から考えて如何なものかと思う。みんな人間としてのスケールも、肝っ玉も小さくなったものだ。
228.2007年12月28日(金) ブット・パキスタン元首相暗殺される。
昨晩の臨時ニュース「パキスタン・ブット元首相暗殺」にはびっくりした。いま、世界中で最も政治・社会情勢が不安定で、崩壊すると最も危険な国はパキスタンと言われている最中である。ブット氏は10月に亡命先のイギリスから帰国したが、まさにその直後カラチ市内で自爆攻撃により間一髪で難を免れたばかりである。帰国当初はムシャラフ大統領と手を組むのではないかと憶測されていたが、結果的には離反する結果となり、事件の背後にはムシャラフ派の暗躍があるのではないかと噂されてもいた。
昨日ブット氏が銃撃されたのは、ラワルピンディ市内の集会後、車へ乗ろうとした瞬間である。首都イスラマバードから西へラワルピンディ、ペシャワール、そしてタリバンの潜むパキスタン・アフガニスタン国境へ通じる国道沿線は、部族勢力、タリバン、パキスタン国軍らが激しい綱引きを繰り返している、極めて治安の不安定な地帯である。現場の臨場感はぴりぴりしている。今年7月にも宗教学校寄宿舎で軍隊と衝突があり、多数の犠牲者を出している。この様子では、来年1月8日に予定されている総選挙も予定通り実施出来るかどうか微妙になってきた。
ブット氏の父、アリ・ブット氏は国連外交で鳴らした著名な外相だった。その後首相になったが、反対派のシャリフ元首相に追放され、挙句に処刑された非業の人だった。娘のブット氏は昭和天皇の葬儀に参列されたが、その来日時、日本の警察制度を高く賞賛し、交番制度をパキスタンでも採用することを決断された。
2000年3月、私がインダス文明のモヘンジョダロ遺跡を見学した時に、モヘンジョダロ入り口に、ブット元首相のアイディアで設置された、新しい交番がぽつんと建ってあった。しかし、地元の人に聞くと、あまり効用がないようで、巡査はおらず子どもの遊び場になっていたのが、何とも儚かった。
それにしても、核保有国パキスタンの治安が不安定なのが気になる。強烈なイスラム教徒を抱えるパキスタンから世界中に放たれたテロリストも、どれくらいいるのか見当もつかないという。いまや不穏な空気が漂って危険ゾーンとなった国道線も、私が訪れたころもすでに不穏な空気が漂っていて、カイバル峠近くの銃砲店の繁盛する現場を見て、臨場感から近々反米テロを指摘したものだった。ニューヨークの9・11テロが勃発したのはこの1年半後だった。
世界中の指導者が一斉にテロリストを非難する声明を出した。地球上に安全なところは益々なくなりつつある。 今年の東京株式市場の大納会は、日経平均株価が前日比256.91円安の15,307.78円で終わった。年初から下がったのは、実に5年ぶりである。アメリカのサブ・プライム・ローン問題の影響を受け、世界中が衝撃を受けた中で最も打撃を受けたのが東京市場である。7月9日に最高値18,261円になったにも関わらず、結局日本の株価は世界経済の中で評価されず、瞬く間にしぼんでしまった。日経夕刊紙にも「世界主要市場の中で東京市場の低迷ぶりが際立つ一年になった」とある。来年はもう少し明るい年であって欲しい。
229.2007年12月29日(土) いつも楽しいゼミの忘年会
いよいよ年の瀬も迫ってきた。とりあえずほんの少し大掃除の真似事をする。今年は、次男・崇史が新潟へ転勤して正月に戻って来ないので、夫婦水入らず?の正月を迎えることになる。
夕方ゼミの忘年会で下北沢へ出かけた。普段から親しい仲間ばかり、12名が集まった。ゼミの先輩、東北公益分科大学の小松隆二学長が来年3月で学長を辞められるという。山形県酒田市に開学以来7年になるというので、もう一度大学を見学がてら酒田市中心に、東北地方をみんなで旅行しようという話もある。この飯田ゼミは、ご高齢の飯田鼎先生がまだお元気でおられるので、毎年秋の例会を始め、ちょっとした理由をつけては現役を去り、時間的余裕が出来た仲間が集まって親交を深めている。いつも刺激を受けて、まだ若いつもりでお互いが切磋琢磨しているのも、それとなく恩師飯田先生に倣っているところがある。いつもながら学生時代に飯田ゼミで学ぶことが出来たことを、ラッキーで幸せだったと思っている。飯田先生のご薫陶を受けることがなかったら、きっと考え方も、生き方も別の方向へ進んだのではないかと思う。飯田先生を中心に、いまでも先輩、同期生、後輩がしっかりスクラムを組んでゼミの同窓会組織を継続させ、その中で知的刺激を受けることが出来ることはありがたいことである。
来年になると古希を迎えるゼミ会員も多いので、古希と還暦祝い、そして小松先生のご苦労さん会を兼ねて、4月にパーティをやろうということに一決した。
230.2007年12月30日(日) 今年一年を振り返って
とうとう今年もあと2日となった。ありきたりだが、あっという間の1年だった。来年はいよいよ「古希」を迎えることになる。幼いころや、若いときにはとても老いた自画像なんて想像もしなかったが、現実にそれに近い年齢になってみると、何だか寂しいような気がする。振り返ってこれまで自分がやってきたことについて、特別悔いが残ることはないが、これから先新たに、大きな目標を持ち先頭に立って動ける可能性がないことが残念で寂しい。ちまちまとのんびり生きていくことは、まず大丈夫だが、やはりこれまでガツガツとやってきただけに、大勢の先頭に立ち、身体を使って動く機会がないことは、人生において画竜点晴を欠くような気持ちに捉われないこともない。人生というのは、自分が主体的に動かなければ成長もしないし、やりがいも生きがいもない。
人並みに今年を振り返ってみると、健康面でドック検査を2度も受け、内臓疾患のないことが確認出来た。また、通院しながらも両膝の炎症が若干回復しつつあるが、まだ完治に至っていない。後は風邪をひいたことと、ひょうそうをやってしまったことぐらいか。血圧もやや高くなってきたので、内科で血圧降下剤をもらい、毎日数値を測定し経過観察している。幸い、一時は上が160ぐらいあったものが、最近では120前後にまで下がってきた。充実した生活を送るためにも、年齢的には来年も健康管理が最大の目標である。
執筆関係では、ある程度自由に書くことが出来たが、肝心要の次回作品「停年オヤジの海外武者修行」を上梓出来なかったことが情けない。今年の年賀状では年内に上梓すると宣言しておきながら実現出来なかった。大体大筋は書き上げたのだが、構成上どうも気になって文章の入れ替えをやったり、書き換えたり気持ちが定まらないまま遅れている。日本旅行業協会会長・新町光示先輩(鰍iALパック会長)に推薦文をお願いしたのは、昨年のことである。お詫び状は差し上げてご了解はいただいたが、期待していただいている新町さんには申し訳ないと思っている。
特記事項は、@元旦早々高校ラグビー部OB会長を辞したことだ。7年間会長職を務めたが、やはり心身ともに解放された感じである。これからはOBのひとりとして側面的に協力していきたい。A4年ぶりに海外へ出かけたことである。それも念願としていたチベットへ行き、ポタラ宮殿を見学したことと、青海チベット鉄道に乗車して海抜5千mを越えたことである。B自分の墓石を近藤家の墓地内へ建てたことも大きい。
長い間気がかりだった、湘南高ラグビー部の1年先輩である、清水丈夫さんが元気でどこかにおられるということが分かったことは嬉しかった。前進社へ連絡すれば、メッセージは届けてくれるようだ。清水丈夫選集を1冊入手しただけでも清水さんの息吹を感じられるようで安心出来る。失礼ではあるが、一時はもう亡くなられているのではないかと心配していただけに、直接コンタクト出来なくてもどこかに元気でおられるということだけでも、ほっとしている。清水さんは学生時代に六〇年安保闘争へ導いてくれた人でもある。
来年の目標としては、@健康管理にもう少し気を配って、血圧を安定させ、風邪をひかないよう注意する。A前記拙著を上梓する。B気の利いた自信作エッセイを書きたい。Cこの「ご意見番の意見」を軽装丁の自費出版物として記録に残したい。D海外へ1〜2回は出かけたい。等々挙げることが出来るが、どの程度実現出来るだろうか。健康状態は今年よりは良くなると思うので、何とか大(中)願成就してみたい。
ところで、現在「世界遺産」としてユネスコから承認されているのは、851箇所である。そのうち、134箇所を訪れたつもりで、チベットのポタラ宮殿と大昭寺を加えて136箇所と計算したら、ポタラ宮殿も、大昭寺もラサ市内の施設ということで一括承認されている。ということは、1箇所追加するだけだ。京都市内の寺院が一括して京都歴史地区として指定されているのと同じである。そこで、改めて私自身が訪れた世界遺産を正確にチェックしてみた。新たに登録された場所も付け加えたりして増減を調整したところ、その数は138箇所だった。昨日訪中している福田首相が、世界遺産である孔子の故郷・曲阜を訪れたそうだが、もう20年以上も前に列車で北京から上海へ向かう途中で曲阜を通過した時に孔子に思いを馳せたことがある。その福田首相が今日中国から帰国した。人気が低迷して自民党としても悩んでいたようだが、薬害肝炎一律救済を議員立法化で解決しようとの意気込みと、中国内における首相への好評価によって点数を稼ぎたいようだ。就任以来、3ヶ月余で福田色も充分な結果も出せず、真の評価は来年が正念場だろう。
231.2007年12月31日(月) TVから除夜の鐘が聞こえる。
いろいろあった今年も今日は、大晦日、大つごもりとなった。外へ出かけることもなく、家でテレビを見ていると、今年一年間を振り返る番組が多い。年金問題を話し合った、政治家と政治記者のガチンコ勝負が面白かった。しかし、官僚から政治家になった人たちの言い草は、官僚制度を巧く擁護する発言だし、政治家の立場に立つと言い訳ばかりしている。まるで国民を嘗めている言動、態度が許せない。そのうえ、記者が徹底的に怠け体質とか、不充分な調査のやり方等を追求すると本気になって怒っている。いまの政治家は、自分の意見をはっきり言わず、常に逃げ道を用意しているのが透けて見える。その挙句勝ち馬に乗り、烏合の衆となって世論を都合良く構成しようとの思惑が見え見えである。官僚上がりの政治家と世襲政治家は、志や信念がほとんどなく、国民に訴えるものがない。単に自分たちの都合だけで政治家になった人がほとんどだ。こういうのは政治家ではなく、政治屋である。こういう連中を社会の中心から少しでも排除することを考えないといけないと思う。
NHK教育番組が、今年亡くなった人々をクローズアップした番組を流していて、中でも城山三郎、小田実の二人について、それぞれ30分以上の時間をかけて放映していた。二人とも気骨のある作家だったし、偉大な業績を残されたが、城山三郎が個人情報に関する法案の際、徹底的に戦った経緯を紹介していた。また、小田に関しては、ゲストの佐高信、吉岡忍が性格とか、市民運動との関連について話していたが、小田の29歳のころのフィルムが珍しかった。この二人も物故者となり、これから純粋な市民運動の凋落、また正論を伝える声が弱まることが心配である。
例年通り妻とNHK紅白歌合戦を見た後、「ゆく年くる年」を見る。今年の歌手の中では、紅組の平原綾香の「Jupiter」が良かった。昔と違って舞台装置、歌手の顔ぶれ、進行のやり方等は、少々仰々しく、悪く言えばけばけばしい。出演する歌手は、みんな歌は上手でリズム感に富んでいるのだろうが、歌手の名前、歌詞、衣装等少々どうかと思うことが多くなった。年代差だろうか。
「ゆく年くる年」で写される白川郷に降り積もる雪景色が神秘的だった。私が訪れたのは夏だった。TVを通してではあるが、除夜の鐘が一年が過ぎ去ることを叙情的に伝えてくれる。
今年は特別に意識したわけではなかったが、飲酒の機会が減った。家ではまったく飲まなくなったし、定期的に調べてもらっている最近の血液検査の結果は、膝の炎症に関係するCRPが標準に対してプラス1で、まだ完治には開きがあるほかに、γーGTが、基準値より高いが、コレステロール、中性脂肪、尿酸値、血液一般はまず問題ない。医師によれば、これは酒を止めた効果が出ているそうなので、これからも飲酒はセーブしていきたい。因みに今年は飲酒日は59日だったから、これをもう少し減らせば、週1ペースになる。
明日元旦から平成20年に入るが、これまでと大きく異なるのは、11月に個人事業主の届けを玉川税務署に提出したので、毎日きちんと金銭出納帳に収入、経費を遺漏ないように記帳することである。ではいろいろあったが、平成19年よ、さようなら。