ご意見番の意見

2007年11月

                        171200711月1日(木)  テロ特措法期限切れ

 今日テロ対策特別措置法の期限切れにより、6年間インド洋で給油活動を行っていた海上自衛艦の活動が停止されることになった。給油活動については、与野党間で考え方が完全に対立しており、延長するにしろ、新法で対応するにしろ、ここまでくるまでにもっと早くからお互いに国民の理解を得られるような公開討論を行うべきだった。残念ながらテロ特措法については、これまでそのような動きはまったくなかった。自民党は多少高を括っていたようだが、参議院議員選挙敗北で俄に状況が変わり、慌てて真剣に向き直ったところが間に合わなかったというところだ。
 いまや当然と思われている情報公開を極力避け、すべて秘密裏にことを進めようとするのが、政府や霞ヶ関のやり方で、よほど立場が悪くならない限り、何としてでも表に出さないように考える。その病根が形となって顕在化したのが、今回のテロ特措法である。だが、もうすでに遅い。こうなったら一旦給油活動を停止するのも止むを得ない。与野党で議論を尽くすだけ尽くして、国民がその是非を判断する材料を提供して欲しい。そのうえで、世論を受けた結論を出してもらいたい。6年経過して状況も変わった。6年間の結果をあらゆる角度から精査して、総括したうえで、日本にとってどう対処するのがテロ防止対策に有効なのか。人件費も加えると6年間の公費は約600億円に達するという。いままでのように公にされないまま、右から左へ片付けられたのでは納税者たる国民はたまったものではない。
 民主党も反対のための反対ではなく、自分たちの意見を主張、展開すべきだし、自民党はひねくれっ子のような、国家のためになって国際社会に貢献する活動を、民主党が反対するから活動が出来ないという、他に責任を転嫁するような主張を繰り返しているようでは、無責任でこの先が思いやられる。
 やるべきことをやらずに、後になって非難の応酬ばかりしていてもしようがない。相変わらず議員先生というのは、その発想と行動において自分たちの都合だけで考え、これでは村の祭礼の顔役と何ら変わるところがない。

                        172200711月2日(金) 「エノラ・ゲイ」機長の死に想う。

 広島へ原爆投下した「エノラ・ゲイ」の機長だった、ポール・ティベッツ氏が亡くなった。92歳だった。生前「原爆投下は戦争を早期に終結させるために必要だった。結果的に被爆者を多数発生させたが、早期終結によりそれ以上の戦争犠牲者が救われた」という主旨の発言をして物議を醸した。その信念は終生変わらず、被爆者に対するお詫びの言葉はついぞ聞かれなかった。あれだけ多数の犠牲者を自分が投下した原爆「リトル・ボーイ」一発によって生じさせたにも関わらず、罪の意識は皆無であった。この人は軍人魂一徹の人物と言えば聞こえはよいが、所詮自分のことだけしか考えない無慈悲な人間だったのだろう。一般論として、戦争は戦場の兵士には大きな責任と罪はなく、あくまで戦争を主導した上層部にあることは明白である。それゆえ、ティベッツ氏の発言はある意味では止むを得ないという見方もある。日米戦争の罪と罰は、アメリカでは、ルーズベルト大統領以下の政治、外交、国防の責任者が、日本では東条首相以下軍部首脳陣らが負うべきは当然である。

  しかしながら、広島や長崎の原爆投下は、あれだけ罪のない無抵抗の市民を情け容赦なく殺戮した残虐さという点で、少なくとも機長には犠牲者への贖罪の気持ちを示して欲しかった。実際彼は戦後長崎を訪れ、その被害の大きさに改めて驚愕した。にも関わらず、ついぞ犠牲者に対して真摯にお詫びの気持ちを示すことはなかった。
 30年ほど前に「エノラ・ゲイ」が原爆投下のために飛び立った、テニアン空港傍に小さな石造の記念碑を見つけた。こんな小さな島の小さな飛行場の侘しいところから、あの世界中を震撼させた原爆投下機が飛び立ったのかと思い、感慨無量の気持ちに捉われたことがある。テニアン空港は、いまも小さなプロペラ機の定期便以外は運航されていないのではないだろうか。
 あの当時、毎年のように厚生省の戦没者遺骨収集事業を請け負い、一ヶ月近くサイパン島のホテルに滞在しながら遺骨収集団のお世話をしていたことを懐かしく思い出す。サイパンからテニアンへは、一度だけプロペラ機で行ったが、いつもはチャーターした上陸用舟艇で波荒い中を向かったものだった。
 激戦や戦没者の話になると、ついセンチメンタルな気持ちになり、20年以上に亘って携わった遺骨収集事業のことが走馬灯のように甦ってくる。
 それにしても、ティベッツ氏はなぜ心の底から犠牲者へお詫びしようとの気持ちになれなかったのだろうか。彼は自分のお墓も記念碑も要らないという。その理由が、ラジカルな原爆反対者によってそれらが破壊されることを恐れているからだという。こういうのを、凝り固まった信念の持ち主の偏屈な自己主張とでも呼ぶのだろうか。
 愚かな軍人よ! それなら心から犠牲者にお詫びを述べ、追悼の気持ちを表せば済む話ではないか。

                        173200711月3日(土) 誕生日に洞窟コンサートを楽しむ。

 今日文化の日は、69回目の誕生日である。この先あと10年生きられるだろうか。これまで通り自由気ままに好きなことをやっていきたい。このブログを毎日書き込むのも少々きついと思うことはあるが、これも精一杯生きていることの証でもある。
 今日は小中陽太郎さんからお誘いをうけ、栃木県那須烏山市で素晴しい洞窟コンサートを鑑賞してきた。会場は、戦時中防空壕として使用された洞窟を、「東力士」という銘酒を醸造している地元の島崎酒造会社が借り受け、普段は醸造酒の貯蔵倉庫として使用している。その一隅で「光と音楽とお酒のコラボレーション」を謳い、幻想的なイベントを催したわけである。洞窟入り口前で、おにぎりと豚汁、多種のお酒をご馳走になってから開演となった。舞台は洞窟入り口から真っ直ぐに進むと右足元床面に、地元の和紙照明作家・鎌田泰二氏の芸術的な作品が点々と置いてある。途中二箇所ほど横坑を交差すると左右は酒壜の保管庫になっている。突き当たりを右折した場所がコンサートホールに使われていた。細長のホールで天井もそれほど高くなく、音響が逃げない。適度なエコーもあって心地よい。
 先日テレビでもこの洞窟を報道していたが、聞けば近日公開の映画でもロケに使われたとか。
 出演は加藤登紀子の娘のYAEさんとフォルクローレ・ギタリストの木下尊惇さんで、YAEさんは伸びのある声で洞窟一杯に歌われた。木下さんはチャランゴというアルマジロの皮を貼った、ボリビアの民族楽器を演奏してくれた。二人ともこのような洞窟で歌うのは初めてで、とても印象に残り、多分今日のコンサートは一生忘れないだろうと言っていた。
  今から9年前、ショパン所縁のスペインのマヨルカ島の、鍾乳洞の中の広場でコバルトブルーに映える神秘的な湖上をボートに乗った楽士、多分バイオリンとチェロだったと思うが、ショパンの名曲を奏でてくれた情景を思い出した。あれは心の奥に残る、海外旅行の印象的なシーンだったが、スケールにおいて彼我の差はあるにせよ、似たような雰囲気が幻想的に醸し出されていた。
  主催者の島崎利雄社長に伺ったら、聴衆は約170名、収支はトントンとのことだった。
 帰りに社長ご夫妻の案内で、醸造元を訪れお話を伺いながら年代物の試飲をさせていただいて、みんなほろ酔い機嫌で、そのままJR烏山駅から上野経由浅草へ出て、小中さんお薦めの釜飯屋さんへ寄り、美味しい釜飯をご馳走になって帰宅した。小中さんご夫妻、日経の西山貢さんご夫妻、建築家の勝野定典さんと一緒に珍しい音楽とお酒をともども味わえて良かった。文化の日らしい好天にも恵まれ、ローカル線で日本の田園風景を眺め、エンターテイメントも心から楽しむことが出来て、感銘深い誕生日となった。

                        174200711月4日(日) 湘南高ラグビー部、慶応に敗れベスト8止まり

 母校ラグビー部が慶應高に完敗して今回もベスト8に留まった。先週の母校と慶應の試合ぶりから見て、ひょっとするとひょっとするかも知れないと邪心がよぎったが、やはり実力以上のものは出せなかった。慶應に縦横無尽に走り回られ、前後半合わせて14本のトライを奪われてしまった。まさに完敗である。1月の新人戦の準々決勝で同じく慶應と戦い5−63で敗れたが、今回のスコア0−79は、その差がさらに広がった感じで、われわれの見方が甘かったのではないかと反省することしきりである。主将が怪我で欠場したことも痛かったが、慶應の戦力分析が甘かったことに加え、戦術面は反省することばかりである。3回戦では、ボロが出なかったが、かねてよりBK,特にセンターとウィングのディフェンスの弱さが気になっていた。案の定慶應に走られて甘いタックルで止められず、ズタズタに防御ラインを切り裂かれ、一方的な試合展開となってしまった。3年生にとっては最後の試合となり、やや心残りだと思うが、新人戦、春季大会、そしてこの全国大会県予選で、いずれもベスト8まで勝ち上がり、結果は残すことは出来たと思う。今日の秋葉台グランドには、OB、家族ら大勢の応援団が駆けつけ意気は大いに上がっていた。われわれOBにも力と夢を与えてくれた好チームだった。3年生が去って心機一転、1〜2年生で次の新人戦に備えて、強いチームを作り上げて欲しいと願っている。
 夕方になって、政界をあっと言わせるニュースが流れた。民主党の小沢一郎代表が辞任するという。この一週間福田総理と小沢代表の2回に亘る会談が憶測を呼び、挙句の果ては自民・民主の大連立を画策したところが、民主党役員会で全面拒否され、小沢代表が責任をとった形となった。しかし、この小沢という人物は何を考えているのか、想像出来ないことが多い。次の衆議院選挙を待てばこんな野合をやらずとも確実に主導権は取れ、民主は自民を上回ったのにと、その拙速ぶりが悔やまれる。この先政界はどうなるのか、一寸先は闇だが、小沢のフィクサー的な役割はそろそろ寿命が尽きてきたのではないか。それにしても、しばらく政界から目が離せなくなってきた。

            1752007 11月5日(月)環境チャリティ・コンサートを聴く。

 日暮里で環境チャリティ・コンサートと銘打ち、ソプラノ歌手・雨谷麻世さんのコンサートが行われたので、妻を伴い鑑賞に出かけた。雨谷さんとは以前に2度ばかりお会いしたとき、北鎌倉女学院から東京芸大へ進まれたと伺った。先日もNHK・BS番組に出演しておられた。
 「江戸城築城550年記念」を謳い、「江戸城再建を目指す会」も協力しているので、コラボレーションとして太田道灌公18代目の子孫、太田資暁氏が出演されたので、ロビー内でご挨拶した。太田氏は約30分ほど江戸城と太田道灌との関係について時代考証を交えて、パワーポイントを使いながら分りやすく丁寧に説明された。
   休憩時間に、「江戸城〜」会長・丹羽晟さんご夫妻がおられたので、ご挨拶したところ、先日差し上げた「知研フォーラム」の拙いエッセイに対して、お手紙とお話でお褒めの言葉をいただき恐縮している。丹羽さんのお話では岡本太郎、藤山一郎、野口富士男さんらと岳父川手一郎の親しい交際ぶりは、いわゆる水魚の交わりではないかと仰っていただき、ご自分も東大が駄目なら慶應に入るつもりだったと言われ、慶應の自由な校風を羨んでおられた。エッセイの出来はともかく、嬉しいお話だった。
 雨谷さんは歌唱力があり得意の高音が素晴しく、日本の歌より、むしろプッチーニのオペラ「トゥーランドット」の名曲「誰も寝てはならぬ」のように高音発声の曲の方が、雨谷さんの良さが表現出来るのではないかと思った。また、西山まりえさんが二つのハープを交互に使って伴奏された。所詮シティーホテル内の舞台会場なので、音響効果や、マイクのボリュームの点で、一流劇場のようには行かなかったと思うが、音楽素人の私には、一昨日のYAEさんの洞窟コンサートともども心安らぐ催しだった。
 昨日、パキスタンではムシャラフ大統領が戒厳令を布告して、国内の治安はぴりぴりしているようだ。隣のアフガニスタン、イランも混沌としてきた。いよいよアメリカも正念場である。ますますアメリカの威信と影響力が低下しそうだ。

                        176200711月6日(火) 清水丈夫さんが活動している!

 BIGLOBEWEBサイトを検索していて、偶々「清水丈夫」さんの名を見つけた。60年安保闘争、東大紛争以後公権力により逮捕され、その後表舞台にはまったく出ておられなかったので、われわれ清水さんを知る者はみな心配していた。ひょっとするともう亡くなられているのではないかと思っている人も多かった。先月日経新聞の「私の履歴書」に元同志・青木昌彦スタンフォード大名誉教授が、60年安保闘争のころのブント仲間について書かれ、清水さんに対してはあまり好意的に述べていなかったことで、私はいささか腹を立てていた。それが清水さんはどっこい生きていたのだ。よかった。青木氏は学問の分野では脚光を浴びるようになり大口をたたいているが、所詮運動からの離脱者だ。それに引き換え清水さんは、世間から忘れ去られていったが、信念に従い地道な革命運動を続けている。
 清水さんは、前進社から「清水丈夫選集」全10巻の出版企画を進め、すでに第7巻まで上梓していたというから驚きである。全学連元書記長の肩書きから姿を隠して、復活した全学連がその後分かれる過程で中核派の指導者となり、いまではインターネット上の選集の広告を見ると「革共同議長」とある。選集第5巻では、序文で9・11テロに際して全読者に訴えると相変わらずの気炎で煽っている。ある面で凄いなぁと思う。
 今夜、東京に活動の場を置いている湘南高のOB,OGの集まりである「東京湘南有志会」が六本木アークヒルズで開催されたが、早速湘友会会長・天野武和さんにお伝えしたところ、びっくりされた。天野さんは清水さんとは中学から高校、大学とずっと同級生で格別の思いがあるはずであり、以前から一度逢いたいと仰っていただけに、とても喜んでおられた。
 会えるかどうかは清水さんのお気持ち次第で分らないが、私にはよかったという気持ちがある。ラグビー部の和田正温さんにも電話でお知らせした。和田さんも驚いておられた。
 いままでの経緯を考えると、もうわれわれにはお会いする気持ちはないかも知れないが、出来れば昔の誼で率直にお話してみたいとの気持ちが強い。
 今日はビッグな一日となった。「東京湘南有志会」には、ダークダックスの遠山一さん、森ビルの森稔社長、ボートでメルボルン・オリンピックに出場した医師の比企能樹さん、川井陽一湘南高校長、ラグビー部関係者、大勢の人たちに会えた。
しかし、何と言っても清水さんが活動しているらしいとの感触を得たことが何よりも嬉しいニュースだった。

                        177200711月7日(水) 旅行三田会のお付き合い

 銀座・交詢社で恒例の旅行三田会が開かれ参加した。約40名の参加者は次第に減少しているようで、些か寂しい気がする。今では私も参加者の中で3番目の年長者となり、感慨無量の感がする。今まで現役で活躍され、よく存じ上げていた方々が、次第に来られなくなり少々寂しい。
 個人的には、来春上梓したいと思っている次回ドキュメント作品「停年オヤジの海外武者修行」に推薦文をお願いしている、潟Wャルパック会長、兼JATA会長の新町光示さんが欠席で、お会い出来なかったのは残念だった。明日からマレーシアへ出張されるとの多忙さでは仕方がない。
 この種の同窓会は、昨夕の「東京湘南有志会」のように、先輩後輩間のコミュニケーションを築くことが大きな目的であり、参加者が大手企業の社員ばかりに偏り、固まるようだと、中小エージェントの社員が参加しにくくなるので、今後会員を増やし、旅行三田会を発展させようとするなら、少し工夫が必要かも知れない。
 3日の洞窟コンサートの際、小中さんから「酒とペン」紙へ寄稿するように言われていたが、昨日西山さんから20日ごろまでに書いて欲しいとメールをいただいた。今日1400字程度のボリュームで書き上げたので、明日推敲した後に送信したいと思っている。

                    178200711月8日(木) 清水丈夫さんの衰えない論客ぶり                                                          

 今日はもう立冬だという。寒さはそれほどでもないが、時の経つのは実に早い。年年歳歳時間の経過が早まっているような気がしている。
 近くの八雲堂書店へ清水丈夫さんの選集第5巻「米帝の歴史的没落と闘いの任務」を注文したところ、外出から帰ると妻が書店から注文を取れないと電話があったという。前進社がかつて共産系の出版社だったせいか分らないが、ちょっと残念だ。広告を見れば、販売拡大に努力する主旨が述べられているにも関わらず、販売ルートが確立出来ていないのではないか。いずれにしろがっかりさせられた。直接出版社へ申し込むより方法はあるまい。
 この清水さんの第5巻は、副題と帯文が先鋭的でなかなか面白そうだ。「パレスチナ−ムスリム人民と連帯して米帝の世界戦争戦略と対決しよう」とアジッている。昔のままの清水さんの面目躍如である。清水さんの序文が書き下ろしで250枚といい、主張は、@911反米ゲリラ戦争の歴史的意義と労働者人民の立場を鮮明に提起、A第一次中東戦争からアフガニスタン侵略戦争を分析し、米帝の新植民地主義的政策の本質を暴露、B国際反戦闘争を呼びかけ、小泉政権の有事立法攻撃と闘う方針を提起、と中々勇ましい。これだけ現状の政治に対する反骨精神を主張出来る基盤を持っているということは、元々思想形成は積み上げてきており、そのうえに信念を貫く基盤整理もある程度固まったと言えるのだろう。この様子だと、論客だった清水さんは益々筋金入りとなり、ひ弱い私の理論展開では、とても太刀打ち出来そうもない。遠くから見ていることになると思うが、それでもこの第5巻を呼んだうえで、やはり一度お会いしたいものである。

                        179200711月9日(金) 金価格表示のトロイオンスって何?

 アメリカのサブプライム・ローンが金融不安を引き起こしてから、やや時間が経つが、このところ日本の株式市場も、原油高騰も受けて先行きの景気に赤信号が灯り、株式相場もいまひとつぱっとしない。今日も市場は、対前日比155.15円安で、日経平均は15,583円まで下がり、今年二番目の底値だそうだ。政局停滞、食品偽装・不正事件、防衛省汚職事件、残虐な殺人事件等々で、世の中が暗くなったような気がする。
 今日の金相場は過去最高の1トロイオンス=837$に達したが、この金価格表示に使用される「トロイオンス」という単位は、寡聞にして知らなかった。かつては、1オンス=35$の金本位制が通用していてプラザ合意前後から変動したと承知している。それが、単位も金額の桁もこうまで変わっていて今まで知らなかったとは、少々勉強不足でお恥ずかしい。今では、貴金属の単位としてオンスはまったく使われていないそうだ。トロイオンスとかつてのオンスとは、単に桁が違うだけかと思っていたら、まったく歴史的な背景や、数値も関連性がないようだ。トロイオンスのトロイとは、フランスのシャンパーニュ地方のトロイという地名で、11世紀にイングランドがフランス征服したころからの由緒ある地名だそうだ。1オンスを日本では金衡オンスとも呼び、480グレーン該当(このグレーンの意味不明)だそうだが、かつての1オンスは、437.5グレーンである。そうなると今日の金価格1トロイオンスを、かつての1オンスに換算し直してみると762$に当る。ベトナム戦争が激しかったころに比べて金価格は約22倍にまで高騰していることになる。これを押し上げている大きな要因のひとつは、石油産油国のオイルマネーであることは間違いない。かつては相場に何の影響も示さなかったオイルマネーが、これから投資先を求めてどんどん日本にも進出してくるのだろう。

                        18020071110日(土) 懐かしい高校同期生会

  藤沢市民会館で湘南高32回生同期生会が開かれた。事前に幹事のひとり大塚武夫さんから、席上母校ラグビー部について話をして欲しいと依頼されたので、山田勉湘友会幹事の湘南高を取り巻く最新情報に続き、最近のラグビー部の実情、戦績等について紹介、説明した。ラグビー部OBの飯田亮さん(潟Zコム取締役最高顧問)の外に、思い込みもあり同じくOBで31回生の清水丈夫さんに関して、最近得た情報を話した。いつの間にか表舞台から消えてしまった清水さんは、かつて全学連書記長時代の存在感が大きかっただけに卒業生はみんな気にかけていると思う。清水さんと割合接点のあった大橋忍くんが出席しなかったので、彼の知る清水情報を聞き出せなかったのは残念だった。早速小中陽太郎さんに、清水さんの行動については友人の間で賛否両論だったと携帯にメールしたところ、「賛成がいるだけ湘南はリベラル」との感想が返ってきた。
 歓談中に同じ市民会館で今夕公演予定のダークダックス・コンサートのお手伝いをしている、ラグビー部33回生瀧澤邦好くんがやってきて、後ろの方ならまだ余席があるからどうですかとわざわざ誘ってくれた。彼がわれわれの同期生会を知り、先日葉書で連絡してくれたのだが、その際チケットが売り切れてもうないかも知れないと心配もしてくれていた。6日にダークダックスの遠山さんにお会いした時、その話をしたら、まだ余っているのではないかと仰っていた。有難かったが、この後の約束をしてしまったのでお断りせざるを得なかった。瀧澤くんも藤沢・小田急百貨店の社長を辞めてから、自由に活動をしているようだ。
  在校中特に親しかった、山田勝久、加藤靖典、吉水淑浩、三輪悦司くんらに久しぶりに会えたのは、嬉しかった。長らくNEDO理事長を務めていた牧野力くんも聞けば、先月辞めたという。こうしてわれわれの世代も徐々に表舞台から身を引いていく。
  懐かしい話を続けたいと都合のついた山田くん、加藤くんと藤沢市内で軽く一杯やって50年前の話を懐かしんだ。当時はハイキング気分で、一緒に昇仙峡や、伊豆大島、城ヶ島サイクリングなどへも出かけたが、あんな青春時代はもうないと思うと一抹の寂しさを感じる。やはり話題は、どうしても健康問題になる。特に山田くんの場合は、23年も前に奥さんを亡くしてから独り身を囲っている。それでいて生保を辞めて、父親から引き継いだ事業を経営し、二人の子どもを育て上げたというから、その苦労は並大抵ではなかったと思う。とても自分には真似出来ない。加藤くんは日興証券で実績を挙げていたようだが、相変わらずの男前ぶりである。しばらく会わなかったが、会えばやはり親しかった当時を思い出し、すぐ気さくに話し合えるのが、友情であり、いま自分にとってもこういう関係は宝だと思う。

                        18120071111日(日) 分りにくいプロ野球界のシステム

 今日プロ野球のアジアシリーズ決勝で、日本シリーズに勝った中日ドラゴンズと韓国のSKが戦い、中日が勝ってアジア・チャンピォンとなった。中日は同じSKに一度負け、2度目に勝った。仮に中日が最初に勝ち、2度目に負けるとこの優勝はなかった。変な仕組みである。中日は、これでセ・リーグで2位ながら、アジア・チャンピォンということになった。まったく野球界のやることは不文律で、よく分らない。ルールと言えばルールだが、こういう奇妙なルールを採用していること自体おかしいと思う。
 日本国内で行われていながら、このシリーズはあまり人気がない。スポーツニュースでも最後の方でごく簡単に触れるだけである。昨年のWBCに対する米メジャーリーグ側の対応と同じイメージがしてならない。他の参加国、韓国、台湾、中国ではいざ知らず、時期、開催場所、チームの力の入れ具合等々どれをとっても、このシリーズは片手間のようで、日本では真剣に行われていない。例えば、中日なんか4番バッターで、優勝の立役者だったウッズ選手が帰国してしまった。アジアの最強勝者を決める試合に、優勝を狙う球団が中心人物をすんなり帰国させてしまうというのだから話にならない。
 どうも何となくだらだら行事が運営されている感じがしてしようがない。野球界も優れた選手はメジャーへ行ってしまうし、日本国内では自分たちの都合ばかり考えてすべてが行われているようで、しらけてしまう。いまだに、ペナントレース2位の中日が日本選手権者というのも納得出来ない。これだから、どんどん人気が下がり、真剣勝負の高校野球にも圧倒される始末なのだ。大体いまの野球界の組織、人材が旧態依然で、老人倶楽部内の談合と闇取引の場になっている。このままだといずれ中途半端のまま崩壊していくのではないかとプロ野球界の先行きを危ぶんでいる。

                        18220071112日(月) 40人学級(1クラス40人)は妥当か?

 杉並区教育委員会では、小学校の1学級40人の定員を30人へ減らそうとしている。東京都では、一応40人学級を標準にしているので、学級定員減少へ一歩踏み出したと言える。ただし、他県では好むと好まざるとに関わらず、すでに過疎化の市町村以外にも30人学級へスタートした自治体もある。問題は、1クラスの定員が減れば、必ず行き届いた教育が出来るかという肝心な点になると、そう単純なものでもないようだ。先生が教える生徒が少なければ丁寧に教えられるというメリットはあるが、それは算数や国語のような5教科などであって、体育とか音楽のような教科ではそうでもないらしい。特に、体育のように大勢の中で競い合って力を伸ばしていくような教科では、生徒数が少ないと反って競り合った経験がなくなり、本当の力がつかないという。実際埼玉県のある小学校では、体育の授業だけは2クラス合同で行われるということだ。
 かつて、欧米の小中学校を見学した時に感じたのは、まず生徒数が随分少ないということだった。小学校では、ほとんど1クラス20人以下だった。先生の話を聞いても教えやすいということで、目が行き届くという返事だった。
 いろいろ功罪はあると思うが、やはり通常の教育では、出来るかぎりマン・ツー・マンに近い生徒数の少ない授業の方が効果は上がるのではないかと思う。私がいま習っているPCだって、個人教授だから細かいことも尋ねることが出来るし、理解も早い。
 今日、東京株式市場が今年最安値の15197.09円まで下落した。相変わらずアメリカのサブプライム・ローン問題が糸を引いている。まだまだ株安傾向は留まりそうもないが、案外アメリカの経済も不安定だなあと考えてしまう。

                        18320071113日(火) 厳しいインバウンド・ビジネス

 JAPAN NOW観光情報協会が主催する定例の観光立国セミナーが、いつも通り麹町の海事センターで開催された。‘VISIT JAPAN CAMPAIGN’で注目を集めているインバウンド業務に関して「伸びゆくアジアのインバウンドについて」と題して、JTBエイティーシー、砂原泉社長が講師をされた。中々窺い知れない業界の流れ、実情等についてかなり赤裸々に実態を話してくれた。パワーポイントでいくつかのグラフや表を表示しながら、具体的に説明されたが、表向きはともかく内実は厳しいようだ。質疑応答の際に質問した。90年前後に比べて取扱人数は4倍に増えているが、取扱高は高々倍増であまり儲かっていないのではないか。さらに、相手国側の手配チャージ制や無資格ガイドの増加等により、利益率が下がっていると思うが、実際の利益率はどうか? これに対する砂原氏の回答は、ずばり9%前後というものだった。元々旅行会社の利益率は低いが、いま注目を浴びているインバウンド業界もご他聞に漏れず厳しいようだ。その他にもいくつか問題点を語ってくれた。
 直取引の増加による手配チャージの浸透、通訳・ガイドの絶対数不足、長期未収金増加ほかの問題点がネックになっているとのことだった。今後いくら多数のお客を送ってもらっても、利益率が低すぎたり、支払い条件が悪いツアーは、斡旋手配を引き受けないようにすると苦しい内情を話しておられた。気持ちはよく分る。東南アジアの旅行会社でも、とりわけ中国の旅行会社の支払い条件が悪すぎると不満を述べておられた。華やかな表舞台の裏では、苦労している人たちがここにもいる。率直に業界と会社の実態を話してくれて、分りやすく参考になった。
 今日、元西鉄ライオンズの鉄腕投手だった、稲尾和久氏が亡くなられた。私より1歳年長なので、若いころは毎日彼の活躍を目に耳にしていたものだ。先月2日に大分で、稲尾記念館と球場の記念行事に出席して投球フォームを再現して元気な姿を見せていただけに、彼の急逝が信じられない。人柄が良かったので、大勢の元選手が惜別の言葉を述べていたが、あの力感溢れるピッチングは忘れられない。ご冥福をお祈りするばかりである。

                        18420071114日(水) 月から見た美しい地球の入り  

 科学ドキュメンタリー番組で、これほど感動することがあるのかと思ったほど、今夜のNHK特別番組「探査機‘かぐや’月の謎に迫る」は素晴しかった。今朝の朝日朝刊一面に紹介された説明付の写真も良かった。画面から月と地球の切ってもきれない関係、そして無味乾燥な月に反して温もりのある地球というものを感じた。
 アポロ11号で人類が初めて月に降り立った時のTV中継を見て、興奮したことをいまさらのように懐かしく思い出す。それにしても、カメラ技術もすごいし、月を旋回しながら科学的資料を収集している探査機の技術力もすごいと思う。地球から38kmも離れた月から、地球をハイビジョンカメラが綺麗に捉えた映像には、感動した。解説者も言っていたが、これまでは地球サイドから月を見ていたが、この映像では月から地球を眺めるという視点に立つことが出来る。しかも、われわれ人類が生きている地球が、とてもきれいに写り、愛おしく思えてくる。こうなると、地球温暖化によって徐々に地球破壊、人類滅亡に追い詰められているが、改めて地球を何としても守り抜かなければならないという気持ちが強くなってくる。それにしてもこういう科学番組をきっかけにして、宇宙とか、人類について考えさせてくれるから、民間テレビ局のアホ番組を引き合いに出すまでもなく、NHKの良心的な番組は価値のあるものであり必要だと思う。これから‘かぐや’によって得た情報は、多角的に分析され、次の科学の発展のために役立たせられるのであろう。またこういう楽しく、興味津々の企画をこれからも立てて欲しいものである。
 それにしても、これまで月の表面部分の名称については、精々‘静かの海’ぐらいだと思っていたが、レプソルト谷、オリエンタル盆地、直径320kmもあるシュレディガー・クレーターのように、数多くの名前が付けられているとはまったく知らなかった。

                        18520071115日(木) 現代のいじめ

 「いじめ」の定義に「いじめられていると自覚した場合」が付け加えられたようである。今日文科省が公表した昨年度学校における「いじめ」数が、前年度に比べ一気に6.5倍に増えた。調査の仕方、各地方による認識度の相違、対象校数の違い、等々の事情があり、額面通りに受け取るには、疑問があるが、それにしても時代の流れというべきか、「いじめ」のない学校なんてほとんどないと言われている。
 いまの学校教育のあり方に関わることであるが、家庭環境の変化、地域との関わりあい方、受験戦争等において、われわれの時代とは友だちとの付き合い方が大分変わったようだ。われわれの時代は、一時的な「いじめ」はあったが、それが後に引くことはなかったし、仮にあっても「いじめ」の現場から自力で逃げ切ったという印象が強い。そして、その後は結構仲良く遊んでいたから、いじめられたという気持ちはない。むしろ小学校低学年の房州では、われわれより母親が近所の奥さん連から嫌がらせをされていたような印象が頭にある。
 現代は、両親が共稼ぎで日中は子どもの面倒が見られず、子どもは外で遊ばず内へ内へと向かう志向が強い。そこへゲーム機とか携帯を買い与えて、益々内向きになる。子どもが「いじめ」を受ける方法のひとつに、携帯があるというから驚いた。メールで特定の子に「いじめ」を打ってくるらしい。それなら、携帯自体で子どもの首を絞めているようなものではない。携帯なんか与えなければよいではないか。どうもおかしい。

                        18620071116日(金) 慶應アルペンクラブOB

 恒例の慶應アルペンクラブOB会が銀座BRBで開かれ、事前に淀勇夫幹事より15分内で話をと依頼されていたので、「海外旅行のリスクマネジメントと臨場感」と題して、パワーポイントを使いお話をした。懐かしいOBにも会えて楽しいひと時を過ごすことが出来た。卒業以来初めてお会いした、2年上の近田幹男さん、1年上の永瀬英一さんとは、実に半世紀近くご無沙汰していたことになる。われわれの年度第3回生が一番参加者も多く、全出席者36名のうち、9名を占めた。昨年も出席された顧問の小長谷弥高先生が、昨年登られたマッターホルンの話をされたのにはびっくりした。昭和4年生れで御年78歳というからお元気なのには脱帽である。先生には、僭越であるが、拙著「現代・海外武者修行のすすめ」と、慶應幼稚舎仲良し4人組(岡本太郎、藤山一郎、野口富士男、岳父)に関する拙いエッセイを掲載した「知研フォーラム」を差し上げた。
 私は、15分という短い持ち時間ということもあり、レジュメと自己紹介図を配って、話とパワーポイント画面は、かなり割愛した。BRBが高級なプロジェクターを用意してくれたので、演出効果はまずまずだったし、気分よく15分を使いきった。淀幹事が毎度よく面倒をみてくれるので、何とかOB会は順調に運営されている。ただ、昨年より数名参加者が減少した。すでに大学内で活動を止めたアルペンクラブなので、これからは参加者は減少する一方だろうが、それでも久しぶりに参加された方もいるくらいだから、やり方次第では、また増える可能性もある。永田祐二会長が、会の運営について意見を募ったら、会場を固定しないで別会場も考えたらとの声も出た。会えば楽しく、2回生市川勝俊さんのように、わざわざ豊橋から来られて、終了後とんぼ返りの熱心な人もいるわけだから、いまの雰囲気を壊さないでこのまま続けられたらと思う。
 昔と違って2次会もなく帰宅すると、JITRA(ジャパン・イタリア・トラベルドットコム)からメールが入っていた。ミラノの大島さんへ送ってJITRAWEBサイトに掲載してもらっている拙稿の最終回分を、同サイトにアップしたとの連絡だった。前3回と同じく、きれいに整理され掲載されている。今回が最終回に当たり、4年前に訪れたコルティーナ・ダンペッツォと3度乗ったベルニナ鉄道について書いた。僭越だが、明日友人らに連絡して、コメントをもらいたいと思っている。全4回分の掲載が終わったが、結構読んでくれた人も多く、楽しかった。また機会があれば、別の形で書いてみたいと思う。

                    187.2007 1117日(土) 旧官幣大社・鹿島神宮の荘厳な静けさに浸る。

 198012月、茨城県教育視察団でヨーロッパの教育施設を見学した18名からなる「チボリ会」が、鹿嶋市で開かれた。毎年一回開かれる。出席者は私を含めて9人。午後車で出かけたが、自宅から120kmで丁度2時間、それほど遠い気がしない。あれから27年が経った。あの視察団では、マルセイユとローマで学校訪問を行ったほかに、マドリードとパリを観光して、視察と観光の両面で印象に残る視察団だった。マルセイユ滞在中にビートルズのジョン・レノンが亡くなったことがショックで、いまでも鮮烈に覚えている。この団もすでに2人の先生が亡くなられた。幸い団長の海野千秀先生が元気になられたのが嬉しい。
 夕食前に鹿島神宮参拝が予定されており、過去において茨城県の仕事も何度かお世話させてもらったが、仕事の都合上時間が取れず、実際に鹿島神宮に参拝したことはなかった。神宮はホテルのすぐ近くで、剣豪塚原ト伝の記念碑に立ち寄ってから歩いて参道へ出た。幹事で土地に詳しい小橋隆三先生が先導案内役を務めてくれた。小橋先生は、3月まで鉾田市助役を務めておられたが、かっては国語の先生だっただけに、鹿島神宮に因む故事来歴、芭蕉の俳句等すべてに詳しい。日が落ちて薄暗く、参拝客も少なくなって何となく寂しい感じだが、社を包む全体の荘厳な感じがやはりどことなく神々しい。鹿島の森が鬱蒼として、参道を奥へ進むと静寂の中にひんやりとした冷気のようなものを感じる。大鳥居から、楼門、そして右横に拝殿と本殿、御神木がある。さらに奥参道を歩いていくと、やはり右手に白木の奥宮がある。その昔大神が天降った「要石」という鯰の頭を抑えた伝説の石を、真っ暗な中で見学した。御手洗池を訪れ、参道に面した食事場所へ戻ってきた。ここ鹿島は鯰料理が知られているらしいが、謂れはこの「要石」にある。案の定、夕食に鯰の唐揚げが供された。
 いままで出雲大社、伊勢神宮、厳島神社、明治神宮、阿夫利神社、平安神宮、靖国神社等の大きな神社を訪れているが、この鹿島神宮は鹿島ならではの大鳥居があり、極めて個性的である。格式の高さもあるのかも知れない。しかし、特定の日でなかったとは言え、参拝客が少ない気がしてやや寂れた感じがしたのは、思い過ごしであろうか。とにかく「チボリ会」のおかげで旧官幣大社を見学出来てラッキーだった。
 夕食は参加者が思い思いに近況を話して、大変盛り上がったが、今日最高にヒートアップしたのは、吉成貢先生の「吹き矢」について語ってくれた薀蓄だった。来年は土浦で開催しようという話になったようだが、旅行で同じ釜の飯を食った人たちと、いつまでもこのような友好的な関係の集まりを続けていければと願う。

                        18820071118日(日) 秋の日曜日、浅草界隈の賑わい

  日曜日の浅草界隈の人ごみは尋常ではない。歩道に通行人が溢れ、歩くのも中々ままならない。特に、今日は外国人観光客が多かったようだ。
  昨日鹿嶋市へ宿泊したが、午後浅草へ出かけるので、今朝早く車で帰ってきた。
  ゼミの仲間である赤松晋さんのチェリスト・デビュー2回目に当る、上野浅草フィルハーモニー管弦楽団の公演が浅草公会堂であり、5組のご夫妻を含め、ゼミ仲間17人ほどが集まった。6月のデビュー時は、あまり知らない演奏曲目だったが、今日は@スッペの喜歌劇「軽騎兵」序曲、Aラフマニノフのピアノ協奏曲第2番、Bドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」で、みんな知っている曲目だったので、結構楽しめた。最年長者・赤松さんの日ごろの練習も大変なようだ。やはり好きで有能でないととてもついていけないと思う。自分の趣味の領域からあまり逸脱しないで、あくせくせずのんびりやって欲しいと思う。中には、評論家まがいの友人もいて、中々喧しいが、仲間の全体的な評価は、概ね良かった。やはり生演奏は迫力と臨場感があってよい。中でも、ピアノ協奏曲を演奏したピアニスト・中尾純の点数が高かった。
 終わって浅草観音を参拝してから「神谷バー」に集まり、いつも通り楽しい食事会。中々気の利いた食事に、ここは何と言ってもアルコール「電気ブラン」である。「神谷バー」の特製品で、他のレストランでは味わえない。だが、いまだに「電気ブラン」とは何だかよく分らない。
 今日は、小松隆二・東北文科大学長は出席されなかったが、奥様が公演だけ来られてすぐ酒田へ戻られた。聞くところでは、学長さんの後任者も漸く内定されたようで、来春には退職祝いをやろうと島田国生さんの発案が披露された。
 また、伝統ある神田・玉川堂の斉藤さんから、野口英世や、文人墨客と玉川堂との交流を聞いて、せっかくそんな貴重な関係が判明しているなら何とか一文にしてでも、残すなり伝えるよう工夫したらよいのではないかと提案した。興味のありそうな話なので、一度じっくり斉藤さんから伺ってみたいと思っている。

                        18920071119日(月) 「清水丈夫選集」第5巻を漸く入手

 一昨日の留守中に江戸川区松江の「大久保正」氏から封書が届いていた。住所と名前に思い当たる節がなかったが開けてみたら、先日元全学連書記長・清水丈夫さん著作の入手方法を、発行元・前進社へメールで問い合わせた質問に対する回答で、すでに別便で著作を送ったとの連絡だった。
 公安当局がマークしている清水さん、中核派、前進社らに連絡をつけるということが、実は尋常ではなく、接触することはかなり難しいということを改めて知らされた。「大久保正」は偽名のようだし、住所は前進社所在地である。公安は清水さんが議長を務めている革命的共産主義同盟(略称「革共同」)を「左翼暴力集団」と断定し、注意深く監視しているらしいからだ。
 そういう状況下で、外部との接触には彼らも人一倍気を遣っているようで、私に対しても配慮らしき点が窺える。送金は現金書留で名前、住所ともに仮名でよいとの添え書きがしてあった。昨日この書状をゼミの友人に見せたところ、元毎日新聞編集委員氏は、それは「大久保正」の私への配慮かもしれないと言っていた。
 今日希望していた清水さんの選集第5巻が郵送されてきた。「米帝の歴史的没落と闘いの任務」とかなり戦闘的なテーマで、1970年代中期に週刊「前進」に発表した6編の論文に、911テロ直後に、テロの正当性を訴え、読者に決起を促す150頁の序文を付け加えたものである。本文は、核マル派に対する政治・軍事論文と、カーター政権のアメリカ帝国主義の階級的本質とその政策の解明のための論文から成っていると説明されていた。
 清水さんも相変わらず威勢がいい。いずれは世界革命を目指すというのだから、強固な信念はいささかも揺るぎなく、半世紀前と変わっていない。青木昌彦スタンフォード大名誉教授などと違って、まったく足場がぶれていない。しかし、暴力を肯定したり、失礼ながら世界革命などと事大主義的な目標を掲げたり、世論だって私自身にしたってとてもついていけそうもない。これからじっくり時間をかけて、550頁を超える論文を読んで、清水先輩の本心を読み取るのも楽しみではある。しかし、本文には厳しい言葉が溢れているが、文章が優しく書かれているのは清水さんらしいところであろうか。私と考えは一緒になることはまずないと思うが、まずは第5巻を味わい、その後に他の選集を通して少しずつ清水理論を読み解いていきたい。

                        19020071120日(火) 熱い隠岐古典相撲

 今朝NHKの「生活ほっとモーニング」で、隠岐の古典相撲を放送していた。1時間近くに亘る現地取材と、スタジオ内のトーク構成から成る番組だったが、私自身若干隠岐に関わりかかった時期があっただけについ夢中になり、そのまま最後まで観てしまった。
 史実を紐解けば、隠岐の古典相撲は、日本で一番古いという。少々変わっているのは、毎年開催されるというわけではなく、何かエポックメークな年に行われるとのことだった。偶々今年開催されたのは、島にたった一校ある高校、隠岐水産高校開校百周年行事に因んだ催しだということである。
 実は昨年3月末、新年度まで残り1週間と切羽詰った時点で、次年度内定していた「隠岐国観光大使」委嘱をお断りした経緯がある。当初、旧五箇村役場観光課に勤めていた坂嘉文さんから、ぜひ隠岐の観光宣伝のために協力して欲しいと依頼された。仲介してくれていた慶應の後輩、西野正氏の勧めもあり、またかつて営業責任者として、隠岐へ約二千名を送客した実績と思い込みもあり、僭越だが一肌脱ごうとの気持ちに傾いた。2月になって本郷の東大で開催された隠岐の観光シンポジウムに参加した時、合併後発足した新「隠岐の島町」の観光担当者とも観光振興のための方法論やビジョン等についても話し合った。私の「観光大使」就任を歓迎してもくれた。これがきっかけで、隠岐観光振興と町の宣伝のために「隠岐の島町観光PR図」を図解作成し、今後も隠岐の島町の観光発展のために微力を注ぐ心づもりでいた。
 ところが、新しい町の観光担当者の考えや行動と私の気持ちとの間に、大きなずれが感じられ、また、観光に対する視点がかなり違うことが分り、現状では引き受けることが双方に誤解を招く恐れがあると判断し、受諾直前であったが敢えて辞退を申し出た。西野氏や坂さんには今でもご迷惑をかけて申し訳ないとの気持ちがある。
 そんな過去のトラブルはあったが、隠岐に対するノスタルジアは消えたわけではない。今でも相変わらずニュースには、耳を傾け、離れた場所から見守っている。そういう気持ちがあるから、今日の古典相撲に対する島の人々の熱い気持ちには、つい心を打たれた。ゲスト出演していた漫画家のやくみつる氏や、作家・川上健一氏が、現在開催中の九州場所大相撲で空席が目立っていることを引き合いに、隠岐相撲には地域の連帯、情、熱意、一体感、盛り上げようとの情熱、郷土愛があると、大相撲に対する皮肉も交えて、熱っぽく語ってくれた。
 隠岐も人口流出が著しく過疎化しつつある。しかし、隠岐に住む人、一時的に隠岐を離れた人、すべてに言えることは、何とか島を活性化したいという強い気持ちである。こういう気持ちは都会人には中々分らないだろう。

                        19120071121日(水) 日本サッカー北京五輪出場決定!

 26日からチベットへ行く予定でいるが、この数日間旅行中にこのブログをどう書こうかと考えていた。PCを持参しないで、8日間分を1回分にして後から旅行記としてまとめて書くとか、一旦ノートにメモして帰ってからPCへ打ち込むことも考えた。何せ初めてのことなので、暗中模索である。しかし、結局のところ多少大きいが、これまで使用していた「VAIO」ノートパソコンを持っていこうと考えていたところ、19日に受講した際、波田野PC講師が中古の「PANASONIC」品をオークションに出す予定だというので、それを譲ってもらうことにした。今日波田野講師にお手伝いしてもらい、USBを仲介して「VAIO」から必要なコンテンツ、情報、ソフト等を「PANASONIC」へ移した。これに、昨日購入した変圧器で充電すれば、旅行中もブログに書き込みが出来るし、メールのやりとりも出来る。一応準備万端整った。あとは新しいPCに早く慣れることだ。
 とにかくこの「PANASONIC」は形態も小さいし軽い。旅行中だけに限らず、僅か1.5kgということだから、今後もこれをメインにしてHPを充実させ、意見をどんどん発信していきたい。
 さて、今日はまた、いろいろな意味でビッグニュースが入ってきた。
 まず、再び株価が大幅に下がり、ついに今年の最安値14,837円となった。相変わらずアメリカのサブ・プライムローン問題が尾を引いている。それに、石油価格の急上昇が絡んでいる。今日は1バレル=99$にまで上がってしまった。今年の1月には50$を下回っていたから、この10ヶ月間で2倍に値上がりしたことになる。株式への妙味が薄れ、投資を株式から石油や、債券へシフトする投資家が増えたようだ。これに世界経済は振り回されている。FRBや日銀も成す術がない。日本のような石油消費国にとっては大変である。サブ・プライムローンだけで、日本の金融・銀行6大グループの年度内損失総額は三千億円を上回る。これに円高も進んで、ついに1$は109円を割った。輸出関連企業の先行きは一層厳しくなった。専門家の話では、当分の間景気が回復する見通しは立たないらしい。
 嬉しいニュースは、日本U22サッカーチームがサウジアラヴィアと引き分けて勝ち点で上回り、何とか北京五輪の出場権を得たことである。予選で6戦全勝しながら苦戦続きで不満を募らせていた日本サッカー協会内には、これまで試合内容がぴりっとしないという理由で反町監督更迭の声も囁かれていた。その影の声の主である川渕会長は、嫌味を言ったチームと選手に対して謝ったという。結果だけ求めながら試合内容がダメということで、交代も考えられたのでは現場指揮官である監督も堪らない。何とか4回連続出場を勝ち取って、監督や選手も溜飲が下がったのではないか。
 それに比べれば政治家なんて気楽なものだ。額賀財務大臣のように、いま話題の防衛省がらみの収賄容疑をかけられながら、知らぬ存ぜぬで居直っている。この大臣は以前にも同じような収賄容疑で大臣職を辞している。人間としての品格と質が悪すぎる。

                        19220071122日(木) 前進社手入れは何らかの意図ありや?

 19日(月)に「清水丈夫選集第五巻」が「前進社」?の「大久保正」氏から郵送されてきた。しかし、当方の確かな意向を確認せずに、この様に突然郵送してくるとは露知らず、すでに直接書店に注文してしまった。
   最初に駅近くの八雲堂書店に申し込んだところ、翌日電話で取り扱い出来ないと断ってきた。ならばと、大手書店の紀伊国屋書店渋谷店へ申し込んだら、ここも取り扱い出来ないが、新宿本店が取り扱えるので、本店経由で注文することになる。それには、若干時間がかかるという話だった。待つともなく待っていると、昨日入荷したと電話連絡があった。それほど安い書物でもなく、同じものを二冊も購入するのは無駄な気もしたので、近所のラグビー部先輩である和田正温さんに、余分に頼んでしまった清水書を、もしよかったら要りませんかと話したところ、快くお買い求めくださることになった。早速渋谷へ引き取りに出かけ、和田邸へ立ち寄ってお渡しした。和田さんは清水さんと中学、高校とも一緒でラグビー部でも一緒だったので、以前から消えてしまった清水さんの消息を気にかけておられたので、反って清水書を手に喜んでおられた。
   実は、和田さんから意外な話を聞いた。何日か前にあるTV局が報道していたらしいが、前進社が警察の手入れを受け、50歳代の男が逮捕されたという。しばらく鳴りを潜めていたが、警察はじっと偵察していて何か情報を掴んだのか、150人の警察官を動員して家宅捜索に踏み切ったようだ。そんな話はまったく知らず、どうも中核派の拠点である前進社は、相も変わらず革マル派と対立しており、ひょっとすると革マル派を襲撃するようなアングラ情報を手にして、武器集合罪かなんかで抜き打ち的に摘発されたのかもしれない。やはり、こうなると私が書籍代を支払った時の名前、住所を仮名でもよいと知らせてくれたのは、前進社の私に対する気配りだったのかもしれない。
   如何に正論であっても、私自身は最早100%暴力的なデモや、アウトロー的な行動なんかやる意思も気力もないので、警察に目をつけられるのだけは勘弁してもらいたい。

                    19320071123日(金) プーチン大統領の奇策

 近々行われる韓国大統領選挙、オーストラリア下院総選挙で政権交代の可能性が噂されている。レバノンでは厳しい外出禁止令の中で大統領を選出するらしいから、その点で日本は平和である。それが日本の政治家の危機感のなさにつながっているのかもしれない。「友だちの友だちはアルカイーダ」などと子どもみたいな法務大臣、防衛問題が伯仲論議の中で休みのたびにゴルフ接待を受けていた防衛次官、国民から預かったお金を豪華ホテル建設に使ったり、ネコババして責任を取らない厚労省役人。政治家と官僚はみんな不真面目で、ずる賢く、馬鹿ばっかりだ。
 来月2日に行われるロシアの下院選挙に、何とプーチン大統領が突然立候補を宣言した。ロシアの選挙の仕組みはよく分からないが、来年3月で2期務めた大統領を辞めるプーチンにとっては、退任後も自分の権力と影響力を温存、維持するために、一計を案じて編み出した戦略の一環のようだ。結局プーチン大統領は、退任後も権力の中枢に居座り続ける。つまり、「統一ロシア」の党首となり、次期大統領や首相を党員として配下に置くようになる。それこそ旧ソ連時代に共産党が国家を治め、共産党書記長が国家元首である首相を統治した構図に似ている。
   プーチン大統領が与党「統一ロシア」の比例一位にランクされたので、当選はほぼ確定である。現在大統領の職にあるプーチンは、兼職を禁じられているので、当選直後に直ちに下院議員の職を辞退するらしい。まったくふざけた話で、まるで田舎芝居である。こんな老獪な策を考えるには、裏があると考えていたら、今日の日経紙の解説では、プーチンは出身母体のKGBの肥大化と汚職を嫌悪して、KGBとのバランスをとることで彼らの暴走を抑えてきた。プーチンが代わればバランスが崩れ、不正も暴かれる。KGBの権力者が身の危険を感じた時に、一気に権力闘争から政治混乱に陥りかねないと指摘している。これをうまく操れるのは、プーチンしかいないと見られている。どうやらロシアには他の選択肢がないらしい。

                    19420071124日(土) 体調未だ完治せず。

 今日はなんとなく慌しい一日だった。明後日から4年ぶりに海外へ出かけるが、従来の添乗員の立場とは違って、小田急トラベルのパッケージツアーに参加することになる。いま書き下ろしている「停年オヤジの海外武者修行」の中でも、定年後の海外旅行に積極的にパッケージツアーをお勧めしている。まあ私の場合は、今回チベットへ行くのは、青蔵鉄道に乗るということが最大の目的であり、それには一人で出かけるより、パッケージツアーに加わった方がずっと楽だという怠け癖からである。
 体調としては、降圧剤の効果もあり、血圧はこのところ比較的安定してきた。しかし、他方で回復一歩手前と思っていた両膝の炎症が、回復どころか数値はむしろ悪化している。血液検査でCRPは0.3以下を目標としているが、3年以上経過して、漸くこの6月に0.47まで回復し、担当の先生ともう一息ですねというところまで辿り着いたところである。8月には0.39まで近づき、自覚症状もなく内心では、もう全快の気持ちだった。それが、10月に1.24へ逆戻りして、先生も怪訝な印象を持たれたようで、頻りに首をかしげておられたが、私のチベット行を意識され、出発前にもう一度血液検査をやりましょうということになった。それが、20日に検査をして一昨日1.27という、更に悪い数値を示され、先生ともどもがっくりしている。気のせいか、両膝の辺りに自覚症状も表れてきたような気分である。
 いまさら旅行を取りやめるわけにもいかず、注意しながら行動しようと思っている。念願のラサのポタラ宮殿を夢見ていて、何とかあのポタラ宮殿へ近づきたいと考えている。331段の階段を上れば、かなり上
 午後3時から、旅行先で使用の見晴らし台まで行けるようだ。金刀比羅宮のようにお籠でもあれば、それを利用したいが、果たしてそんなものがあるかどうか。時間さえ許すなら、ゆっくりでもいいから夢にまで見た「ポタラ宮殿」を何とか行けるところまで行ってみたい。するPCの、ホームページ仕様をマスターするために、急拠講習を受けた。
  夕食は妻とイタリアレストランへ。

                        19520071125日(日) オーストアラリア現政権敗れる。

 下馬評通りオーストラリアの総選挙の結果、11年間首相を務めてきたハワード首相が率いる保守党が、ラッド氏の労働党に敗れた。首相自身も予想されていた通り落選して、政界を引退すると述べた。現職首相の落選は、実に78年ぶりで史上2度目である。今回の選挙結果は、日本にとってもかなりの影響がありそうだ。
 なぜ大きな失点もなく、11年も続いた政権与党が敗れ、その党首である首相自身も選挙に敗れる結果になったのだろうか。新聞評によれば、失政もなかったが、長期政権に対する有権者の「飽き」があるという。勝ったラッド労働党党首は、経済政策面で大幅減税まで行ったハワード政権に対して、経済を争点にすることは避け、経営者寄りの労働政策の転換や、教育改革を公約に掲げて、低所得者層や子持ち家庭の支持を集めた。
 今後ラッド労働党政権は、外交面でもスタンスを変えてくるだろう。戦前から言われていたことだが、最初に取り組む課題は、温暖化ガスの排出削減義務を定めた京都議定書の批准になるだろう。豪政府が議定書批准に方針転換することにより、アメリカや温暖化ガス排出削減義務を負っていない中国に、圧力を加えるようになる。オーストラリア国立大で中国語と中国史を学び、外務省に入って北京駐在経験もあり、中国語も流暢に話すラッド氏は、中国に親近感を抱いており、アジア外交が中国寄りにシフトするだろうとの観測がある。今後世界中で中国買いのムードが溢れてくるだろう。日本にとっては容易ならぬことになりそうだ。例えば、WTOの多国間交渉を優先する姿勢を貫く考えで、日本がこれまで主張してきた一部農産品の除外は、認められないことになりそうである。
 アメリカにとっても、これまでのブッシュ政権との蜜月状態は、微妙になりそうである。イラク派遣部隊の段階的撤退方針を公言していた手前、当然軍隊を撤収させることになろう。イラク問題は、どこの国にとってもそろそろ厄介なお荷物となりつつあるようだ。          

                        19620071126日(月) 20年ぶりの中国の変貌に驚く。

 何もかも変わったというほどでもないが、多少面食らった。職業柄年に一度も海外へ出かけないということは、これまでなかった。会社を辞めてから両膝に炎症を抱えているせいもあり、いままで4年以上海外へ出かけていなかったので、結構戸惑う。今朝いつも通りコーラスの練習に行く妻を車で送ってから成田へ向かった。私の旅行中に妻が瞼の手術を受けるのが、少々気になる。しかし、手術の当日29日は丁度チベットのポタラ宮殿を参拝しているので、妻もやや心細そうだったが、ラマ教の神様に無事成功を祈っていると言っておいた。
   成田空港も久しぶりだったので、来てみて空港ビル内の雰囲気が少し変わっていることに気づいた。今日搭乗するのは中国国際航空なので、第二空港ビルだ。ロビー内が工事中で落ち着かない。集合時間より一時間以上も前にやって来てしばらく探索をする。連休明けの日中で、大分空いている。搭乗まで時間があるので、出国手続きを終え、〔AVION〕なるカフェで目の前に滑走路を臨みながらひとりでビールを飲み、早速このPCを使っている。
   それにしても今や日本の出国カードは不必要となった。先日取得した新旅券も小型で、ITチップが埋め込まれているらしい。段々海外旅行も簡便になっていく。
   今日からしばらくぶりの海外だ。多少膝の炎症が気になるが、あまり無理をしないようにしたい。ただ、どうしてもポタラ宮殿の階段は何とかして昇って、展望台からラサの市街を見てみたいものである。
   北京へはほぼ予定通り到着した。20年ぶりであるが、その間中国経済の発展は目覚しい。成長率、GDPともに群を抜き世界中を驚かせている。今やあらゆる面で中国の存在を無視することは出来なくなった。発展の一方で、諸外国へ悪影響も与え出した。偽ブランド、公害等の害毒を流し顰蹙を買っている現実もある。経済成長と潤沢な手元資金をバックに少々手前勝手な点も多過ぎる。かつては中国人を想う時、中国の人々が有している謙譲とか奥ゆかしさを想ったものだが、今やそれもあまり感じられないのが残念である。金万能主義が蔓延りだした。ハリボテの羅列になった。北京空港は新しく近代設備がされているように思える一方で、綺麗な生け花が飾ってあるかと思いきや、造花だった。ターンテーブル近くにはトイレがなく、隅の方にやっと見つけた。建物から出ると床面はデコボコでトランクを運ぶのに苦労する。市内へ向かう道路の路面も凹凸が激しく、探せばきりがないくらい雑な点が見える。残念ながら、万事に魂が入っていないという気がした。特に、都市部において顕著なのだろう。でも、明日から出かける地方都市では、まだまだ中国固有の良さがたくさん残されているのではないかと期待している。何といっても中国は広大で、奥が深い。
   今日宿泊する中旅大厦(CTS PLAZA)にインターネット接続サービスが準備されていて、送信出来てほっとした。

                        19720071128日(火) いよいよチベットの入り口へ

 北京空港から国内線で西寧へ飛び、早速市内観光で東関清真大寺、タール寺と見学した。後者にはやたらに物乞いが多いのに辟易した。西寧空港もこの4月にオープンしたばかりだという。市内を歩いている人々も男は回教徒特有の白い帽子を被っている。イスラム教徒が多いせいか、どことなく町の雰囲気と佇まいが普通の中国の町とは違う。新しい空港や高速道路と市内の古い街頭風景にアンバランスが窺える。一昨日降雪があったために、日陰では雪が残っている。交通信号はあるのだが、数が少なくほとんどの通行人が車の往来を厭わず、強引に道路を横断する。われわれ19名のツアー参加者も隙を見て、車の洪水の中を命がけ?で突っ走る。
 参加者は多彩で、19名のうち、男性は僅か3名で現在の世の実態を示しているようだ。中には仲間同士で参加した女性が多いが、中にはイギリス人のゲーリーさんや、シカゴ大学研究員で態々参加された方もいる。
 少々買い物、夕食で時間を取りすぎ慌しく西寧駅へ来た。駅構内で駅員と乗客がひと悶着起こしていた。出発時間も迫り、とに角指定列車の指定車両へ乗り込んだが、11号車には私ひとりだった。後になってガイドの劉秦さんが10号車を交渉してくれ、中国の実業家と相部屋となった。
 一番困ったのはトイレである。痔主の私にとって厄介なのはしゃがむ便器である。どうも便座がないと処置出来ない。今夜と明朝は困ったことになりそうだ。

                        19820071128日(水) 感激の青海チベット鉄道

 どうもお尻の周りがじめじめしてぱっとしない。また、一日悩まされるのかと憂鬱になってきた。隣の相棒、郭忠良さんは目覚ましをかけていて、朝になるとさっと着替えて700にゴルムド駅で降りていった。日本語はもちろん、英語も理解しない人と意思を通じさせるのは大変だ。ぶらぶら一人旅の頃は、細かい目標や予定を立てずに歩いていて好い加減だったということもあったが、当時はあまり気にも留めず平気で言葉の通じない人たちと交流していた。でも郭さんは、結構筆談とボディランゲージで仕事と家族のことを話してくれた。毎月1回ゴルムドへ出張すると言っていた。未知の人としばしの間一緒に過ごし、その人の人柄や、家族、文化・習慣の背景を知るのは中々興味があるものである。僅かの時間ではあったが、愉快なひとときを過ごせた。
  朝食は弁当を配達してくれた。意外にもボリュームはあまりなく、あっさりしている。重湯がついていたのは、食欲がさほど進まない時だけにタイムリーだと思う。
 どうも痔の具合がすっきりしなかったが、偶々覗いたトイレが便座式だったので、やれやれだった。一応問題解決。
 車窓から眺める広大な景色は土の大地と高原というイメージである。荒々しく土一色で、雪を被った崑崙山脈が優雅な姿を見せると、雰囲気がぐっと上品に変わる。昨日標高2,200mの西寧を発ったがランチを食堂車で食べる頃には、早くも4,682mを超えた。自分自身にとっての到達最高標高である。食事中にトド川駅に停まる。トド川は長江の源流のひとつである。左右には一木一草もないといってもいい。所々野生の動物が草を食んでいるのが見える。
 2時半前にタングラ駅を通過する。5,068mで世界最高峰の鉄道駅である。またまた自己最高記録達成である。この西蔵鉄道が完成するまでは、ペルーのアンデス中央鉄道の4,783mが最高だったというから、一気に5,000mのシーリングを越えた。左手に峠5,072mの石碑が建っている。列車はスピードを落とすでもなく、観光客にサービスをするわけでもなく、あっという間に過ぎ去って行った。流石にこの標高になると身体も異常を感じるらしく、今朝から図っている血圧は若干高めだが、脈拍がこんなに増加するとはこれまで考えたこともなかった。60を少々下回るのが平常値だったが、今朝になって103に、昼前には118で平常値の二倍になった。気圧の影響でハンドクリームのチューブが破裂しそうだったが、栓を抜いた途端に、内部のクリームが飛び出してきた。筆ペンもそうだ。黒インキがもれてきた。そう言えば、NHKの取材番組で、食堂車のコックが普段30分で済む料理が仕上がるまでに、3倍も余計にかかるとぼやいていた。
 参加者の中には高山病だろうか、何人かが具合が悪くなったようだ。私も昨日高山病に効くという「紅景天」なる漢方薬30錠を購入(220元)して、昨夕から2錠服用(1回2錠、1日3回)している。中には、酸素吸入をする人も出てきた。やはり標高5,000mというのは、かなり人体にきついのだろう。
   沿線風景は素朴で幽玄、また高地の自然の姿が如実に現れる。昼食後に硬座車を探検に行く。満員の座席にチベット人が民族衣装を纏って窮屈そうに黙って座っている。デッキに寝転んでいるお年寄り、デッキにしゃがみこんで赤ちゃんにお乳を上げている若い母親、無心にトランプに興じる大人たち、頑是無い子どもたちの笑顔、意外に子どもの姿が多い。ほっぺは赤く、あどけない表情が可愛い。やはり目立つのか、カメラを手に取っていろいろ話しかけてくる。彼らをカメラに収める。デジカメの画面を食い入るように見ている人たち。満席の人々はそれぞれに目的を持っていずこかへ向かうのだろう。
   右手に最高位淡水湖、ツォナ湖が見える。沿岸は凍結して、その奥は透き通るようなコバルトブルーに輝いている。
   私は郭さんが下車してから、ずっと個室になったので、楽々コンパートメント室を使い、このパソコンを打ったり、気が向くと他の参加者の部屋を訪れては、自由な時間を楽しんでいる。
   ラサ駅へ2150に到着した。予定より若干早めである。中国の鉄道駅はどこも暗い。建物はこの列車のために建設されたもので、真新しい。駅前は真っ暗である。ここで2日間ガイドを務めてくれた劉秦さんとお別れである。ホテルへ向かう途中でこれからガイドを務めてくれる曾さんが、早速全員に携帯用酸素とミネラルウォーターを配り、前者の使い方について説明してくれた。これも高地チベットならではの初歩滞在術か。明日までは高山病予防の見地から、湯船にとっぷり浸かるのは止めた方が賢明とのアドバイスもあった。「郷に入っては郷に従え」だから、風呂には入りたいが仕方がない。しかし、ツアーで酸素吸入の方法まで説明を受けるのは初めてだった。ラサの標高は3,650mである。

                        19920071129日(木) ポタラ宮殿へ、疲れたが、感動と充実の一日

 朝9時半にホテルを発ち、午後7時半に帰ってきた。いよいよ憧れのポタラ宮殿見学の当日となった。若干予定を変更して午前中にダライ・ラマの夏の離宮だった「ノルブリンカ」を見学して、午後からポタラ宮殿と同じく世界遺産の「大昭寺」、その後大昭寺を取り巻く繁華街バルコルを見学した。ほとんど歩き通しだったので、最後には疲労困憊で、だらだらバルコルを歩いている有様だった。
 旅行前から懸念していた両膝炎症による歩行がどの程度持ちこたえられるか、不安の気持ちが先に立つ。しかし、他にも足や、膝に問題を抱える参加者がいて、彼らともどもゆっくり登ってダメなら諦めて降りてこようとの暗黙の了解が出来た。
 中学時代にポタラ宮殿の写真を診た時の印象が強烈で、何とか訪れてみたいと今日まで夢を温めていた。幸いチベット鉄道の開通もあって、夢はぐっと現実味を帯びてきた。そして、今日夢が実現した。
 グループ行動によるポタラ宮殿見学前に、ひとりで正面へ向かった歩道上で宮殿に向かって「五体投地」をやってみた。20年以上も前に成都のホテルの廊下でふざけ半分にやったことがあるが、今回は改めて真面目な気持ちでやった。正に念願叶ったとはこのことである。その後、参加者全員でゆっくり石段を登った。上から見下ろすラサの街がまるでパノラマのように見える。写真を撮りながら、蟻の歩みのようにして登った。石段を登った後に、内部へ入り狭い階段を上り下りしながら、ガイドの曾さんの説明を聞く。ダライ・ラマ歴代の物語と遺品に触れる。それにしても、これだけ広大な宮殿を17世紀に完成していたというから驚きである。こういう立派な遺跡を訪れる度に、昔の人々の叡智と努力には頭が下がる。壁や仏像から古の足音が聞こえてくるようだ。感激極まり、自分自身がこの場にいるのが不思議なくらいに気持ちは興奮している。写真も撮りまくった。やはり生で触れなければダメだ。本物に勝るものはない。いくら綺麗な写真を数多く見ても、一度でも本物に触れたとしたら、とても敵うものではない。これが、「臨場感」の強さと説得力である。
 その後大昭寺を訪れて、その説得力のある存在に心を奪われた。しかし、やはり直前にポタラ宮殿を見学してしまっているので、些か拍子抜けの感がするのも事実である。
 夕食はチベットの民芸舞踊を見せてくれた。歩きすぎて疲れ、ホテルにはほうほうの態で戻ってきたといったらよいだろう。それにしても充実した一日だった。これだから海外旅行は止められない。
 今日は、妻が瞼の手術を受けている予定で、気になっていたので、ポタラ宮殿と大昭寺で何度も何度も無事をお祈りした。

                        20020071130日(金) チベットの自然の素晴らしさ

 今日もハードな一日だった。体調を壊す人がかなり出てきた。チベットでは、高山病、及び一歩手前の旅行者が多いせいか、一流ホテルの対応はしっかりしていて、24時間医師が待機して対応出来る。ほとんどが高山病患者で、注射とか点滴に、ほどほどの休養で治るようだ。われわれのグループにも点滴を受ける人が現れた。私自身もけだるい気分と鼻水が出るようなので、同行者から風邪薬3錠をいただき、体温を測ったら平熱だったので、取りあえず安堵した。
 こちらへ来てから滞在したホテルには、ウォッシュレットが備わっていない。いまやわれわれはウォッシュレットが当たり前になっているが、これがないとやはりすっきりしない。自分自身いつもなら必ず準備する必需品をかなり忘れている。携帯ウォッシュレットしかり、体温計しかり、バンドエイドしかり、風邪薬も忘れてしまった。やはり、油断していて注意力が散漫になっているようだ。これから続く旅行も少し気を引き締めていかなければならないと思う。
 今日の「セラ寺」も中々の圧巻だった。チベット仏教・ケルク派の学院で僧侶になるための研修所のような場所である。門前市場も中々興味があり、山をバックにした雰囲気も良かった。チベット仏教に関しては、これまでほとんど知識らしいものはなかったが、今回ガイドさんからいろいろ教えていただき、かなり新しい知識を仕入れることが出来た。
   今日宿泊地ツェダンへ移動する途中で訪れた、ガンバラ峠(標高4,790m)から眺めるヒマラヤ連峰のニェンチンカンファン(標高7,160m)の雪景色と、眼下のヤムドク湖は、吹きすさぶ寒風の中に立ち尽くして見て、味わい深い風景と感じた。
 妻から手術は予定より若干時間がかかったが、無事終わったとメールが入りホッとした。