ご意見番の意見

2007年8月


                    792007年8月1日(水) 小田実さん余話

  改めて小田実さんのホームページに目を通してみた。今年6月2日付で発信した「市民のみなさん方へ」という一般向けのメーセージがある。その中に、「友人への手紙」として「恒久民族民衆法廷」(PPT)、直近の活動と病の告白が綴られている。この「手紙」は、4月21日に書かれたものだが、前月3月にオランダのハーグとトルコへ出かけている。ハーグは前出PPTの関係で、トルコは小田さんの専門古代ギリシャに関して、古代植民地都市を現地で確認してみたかったからとのことである。忍び寄る死を意識しながら、友人への遺言のつもりで書いた手紙の一ヶ月前にこのような冒険的な調査旅行を実施するとは、「さすが小田実!」と敬意とともに心より拍手を送りたい。
  友人から何通かのメールをもらったが、その中で高校の同級生・呉忠士君から興味深いエピソードを知らせてもらった。呉君のお父上は高名な古代ギリシャ文学の碩学、呉茂一先生であるが、東大教授時代の教え子のひとりに小田実がいて、お父上を訪ねて藤沢市辻堂の実家へ来られたことがあり、一緒に食事をしたそうである。その時の話がふるっている。①東大の入試では解析は駄目だったが、英語はほぼ完璧だった、②高校時代(大阪・夕陽丘高)にすでに小説「明後日の手記」を書いて、その一冊をいただいて持っている、③女優・有馬稲子は高校の同窓である、というものだ。いかにも小田実の面目躍如というところではないか。そして、「何でも見てやろう」旅行を実施するきっかけとなった、フルブライト奨学生として渡米する際には、お父上が何かと面倒をみられたそうである。
  さらに別項目に慶大経済学部の「現代思想」講義で、小田さんが熱弁を揮い慶大出版会から出版された「ここで跳べ」の編集者は、飯田裕康慶大名誉教授であると記されていた。そこで飯田裕康先生のプロフィールを見てみると経済学部助教授時代、1971年2月から73年3月までの間西ドイツ・チュービンゲン大学へ客員研究員として研究留学されたと紹介されている。実は、当時飯田先生の渡航手続き関係は私が依頼され、お世話して出発当日羽田空港でお見送りしたことを懐かしく思い出す。図らずも小田さんの系譜を辿った結果が、昔の飯田先生ドイツ研究留学話に行き着いた。これも小田さんとの縁であろうか。
  さて、アフガニスタンでタリバンに拉致されていた韓国人グループの内、男性ひとりが昨日殺害された。犠牲者は二人目だ。むごい。双方の交渉がまとまらず、タリバンは残りの韓国人の殺害もほのめかしている。
  国内ニュースとして、安倍首相の信頼度が急降下しているが、坊ちゃん育ちで外の空気を察知する感度が鈍い首相は、トカゲの尻尾切りを始めた。問題のお坊ちゃん、赤城農水相をやっと今日辞めさせることにした。周囲の声は、遅過ぎる、なぜ選挙前に辞めさせなかったのか。自民党大敗の元凶とまで批判されながら、そんな大臣を首相が庇って墓穴を掘ることになりかねない。しかも、赤城農水相は辞任記者会見で言い訳に終始して、国民に対して謝罪する姿勢は一向に感じられなかった。領収書の綴りまで持参して表紙をぱらぱら捲りながら、それを公開しないというのだから、まったく何のために持参したのか、また何を考えているのか、この人物の心中はさっぱり分らない。ルールに則って処理しているとの一点張りだが、そのルールは自分たちで作っているのではないかと反論したい。この御仁はアホじゃないのか。
  今日横綱朝青龍に対して、日本相撲協会は秋場所と九州場所の、2場所連続出場停止処分を課した。骨折で地方巡業に参加しないと言っておきながら母国モンゴルへ帰って、元気な姿でサッカーに興じている姿がTVで放映され、お灸をすえられたわけだ。行動にこれまでとかくの噂があった横綱に対して、協会は断固たる処置を取った。公平に見ても横綱はちょっと身勝手が過ぎた。横綱の行動に対しては、この処分はやむを得ないだろう。反省してまた出直した場所で、汚名挽回のためにも優勝してもらいたいものだ。それにしても横綱の処分は初めての不祥事だというが、確か小学生のころ、横綱前田山が仮病で場所を休み後楽園で日米野球、サンフランシスコ・シールズ戦を観戦して処分を受けたような前例があったと記憶しているが、思い違いかな?

                        802007年8月2日(木) 長嶋茂雄さんの「私の履歴書」

 日経新聞は朝刊、夕刊ともに現代に訴えるストーリーの連載小説を掲載しているので、毎日楽しみに読んでいる。朝刊「世界を創った男」のチンギス・ハンにしろ、夕刊「地の日天の海」の織田信長にしろ、二人とも別の意味で現代にも通用する抜群の政権管理能力者だ。
 現代の著名人の業績を自己PRする「私の履歴書」も、人によっては参考になり、面白い連載ものである。特に、功成り名遂げた財界人なんかより、芸術家とか、スポーツ選手のように自分だけの力で名を成した人の履歴書の方が読んでいて断然興味深い。その点で、7月の長嶋茂雄・読売巨人軍終身名誉監督の手記を長嶋ファンとしては大いに期待していた。脳梗塞で倒れる前の長嶋さんの底抜けに明るい、独特の長嶋節を楽しみにしていた。実際、長嶋さんがTV画面から消えた途端に、世の中が暗く感じられたくらいである。
 ところが実際に連載が始まってみると、率直に言って実につまらない。あれだけ実績と特異なパフォーマンスでファンを唸らせ、書く材料に事欠かない、長嶋さんの履歴書がどうしてこんなに面白くないのだろうとがっかりするとともに、その理由を考えてみた。
 ひとつは、全盛期の脂が乗っているころの長嶋像を伝える情熱、方法が長嶋さんサイドにも欠けていたのではないか。だから、もう少し体調の回復を待って情熱が甦ってきた時に満を持して執筆したら良かったのではなかっただろうか。次いで、長嶋さんを取材したライターに、長嶋像を描写し、表現する能力が不足していた。長嶋さんが現役で活躍したころを良く知っていて、長嶋さんに負けず劣らず長嶋像を伝えることにもっと情熱を抱いているライターに執筆を依頼すべきだった。あまりに平板に過ぎた。この2点で、期待に添えなかった。最近の履歴書の中では、かなり低レベルの連載ものだったと思う。躍動感や、臨場感がまったく伝わらなかったのは致命的だった。以前連載された野村克也監督の「私の履歴書」が面白かっただけに、長嶋ファンとしては残念でならない。

                       812007年8月3日(金) またロシアがやってくれた!

 また、ロシアが世界に先駆けて?勝手なことをやってくれた。有人潜水艇が北極点周辺の海底を探査して、錆に強いチタン製のロシア国旗をぶっ立てた。意図は見え見えで、北極海周辺海底に眠る地下資源開発を目論んでいる。探査を指揮して潜水艇に乗り込んだ、海洋学者でもあるロシア国会下院副議長が「100年、1000年を経ても、海底に行けばロシア国旗が見られるだろう」と得意気に述べている。
 私もロシアについて講演することが多いが、最近では安保闘争時代に旧ソ連が考えていた、覇権主義の象徴である版図拡大策を地図で紹介することがある。北極点を中心に東はチェコト半島・西経170度、西はカリーニングラード・東経20度、更に南は旧ソ連領で現トルクメニスタン・北緯35度の三角内の広大な土地はすべて旧ソ連領土だと主張していた。まるで雲を掴むような話だ。国際的に何の根拠もない自説を、世界は相手にしなかったが、最近になってロシアは国内経済好況により国際社会でも一段と強気に出てきた。今度も図々しく主張するものの国際社会では、強欲と領土拡大主義ばかりが目立って、多分鼻も引っ掛けられなくなるだろう。実際、自国の沿岸から200カイリを排他的経済水域として天然資源の開発権を持っている5カ国のうち、早速カナダ外相は「15世紀ではないのだから、世界のどこかに行って旗を立てただけで『我々のものだ』ということは出来ない」と言った。当たり前だ。

                    822007年8月4日(土) 小田実さんを見送り、デモに参加する。

 小田実さん、あなたは本当に素晴しい人です。どれだけあなたの言動によって私たちは力づけられたか。男がほれぼれするような文を書いて、あなたの方へ向かわせ、そして率先垂範行動で誰をも脱帽させたのです。もうあなたの肉声を聞けないと思うと辛く寂しい。
   暑い日差しの中、青山斎場で行われた小田実さんの告別式へ参列した。覚悟していた小田実の死ではあったが、40余年に亘って小田実から多くの世界的常識を学ばされ、国際社会の中で多面的に考えることを教えられ、自ら行動することを身体で掴まされ、いい意味で大きな影響を受けた。私たち安保世代にとって鋭い嗅覚を持ったリーダーであった。特に、己を捨て自ら先頭に立って一般市民のために、国家のために率先行動する姿勢には、崇高さを感じて心を打たれたものである。私が曲がりなりにもサラリーマン時代に大勢の部下を率先してリードして来られたのは、そういう小田の行動力にぐんぐん引っ張られ、見習ってきたからだと思っている。私の拙い文にも小田の影響が見られると親しい友は言う。今日自由に著述活動出来るのも、断然小田実の存在が大きい。
   今日は心から感謝の気持ちを伝えたい、そして最後のお別れを言おう思い青山斎場へやって来た。
   午後1時に無宗教の告別式開式となり、われわれは外の待合所で、黙祷の後弔辞と弔電を拝聴することになった。葬儀委員長・哲学者鶴見俊輔氏が、黒船来航以来外国文化との風穴を開けたのは、ジョン万次郎と小田実だと挨拶された。偶々ジョン万次郎は妻の縁戚に当る。評論家・加藤周一氏は小田は稀代の呼びかけ人で、有言実行の人、文学者の活動の型を決め完成させた人だと締めくくった。ドナルド・キーン氏は小田からもらった「玉砕」をかなり経ってから英語訳にしたら、世界中に翻訳され、小田の名が国際的に有名になったと話された。4月にお会いした元ベ平連事務局長・吉川勇一氏が小田の代わりはいない、細事ではぶつかっても大筋ではぶれない人だったと故人を偲んだ。国内外から多くの弔電が寄せられたが、中でも金大中韓国元大統領は、自分は死刑を宣告され収監されたにも関わらず、解放のために韓国へ来て戦ってくれた。そのおかげで自分はフリーとなって、大統領にまでなれたと恩人に感謝し、言動一致の知識人の標本と褒め、阪神淡路大震災時の市民立法のための闘い、九条の会の活動を絶賛され、偉大な故人の死を惜しんだ。
   参列者が献花を終え、小田さんのご遺体をお見送りする時、参列者の間から自然に拍手が湧いてきた。葬儀で拍手が起こることなど前代未聞ではないかと思うが、これも小田さんに対する感謝と愛惜の気持ちが自然の行為として表れたのではないだろうか。献花の折り私も心から哀悼の気持ちを伝えたつもりである。
   この後、小田さんの死を悼み、反戦の遺志を継いでいきましょうという気持からデモ行進が計画された。青山斎場から青山一丁目まで警察官に先導され、ほぼ40年ぶりにデモに参加した。やはり60年安保闘争や、かつてのベトナム反戦運動の際のデモを思い起こし、感慨無量の昂揚感があった。かなり長い行列だったが、蛮声を張り上げシュプレヒコールを繰り返した。「戦争を止めろ!」「9条は失くさないぞ!」、そして、ジョーン・バエズが唄った、懐かしい‘We Shall Overcome! ’を口ずさみながら整然と行進した。たちまちの内に「若き血」が甦ってきた。先頭の大段幕の後には高齢の鶴見俊輔氏、そして吉岡忍氏らが従った。小中陽太郎さんも一緒だった。ローマで小田夫妻にご馳走になったと話していた。
   小田実は逝ったが、彼の残した理想と業績は永遠に消されることはないだろう。
   さようなら、小田実さ~ん。ありがとう、小田さ~ん。
   玄順恵夫人からいただいた御会葬御礼の封書には、「人生の同行者」として夫・小田実と歩んだ魂の旅について綴られていた。そして、もう一枚の絵葉書には、今年4月にトルコで撮られた小田実の笑顔が収まっていた。そこには小田の言葉が添えられていた。
           七五年、人生一巡、
                 みなさん方とともに生きたこと、
                 生きられたことを、幸いに思います。
                 では、お互い、奇妙な言い方かも知れませんが、
                 生きているかぎり、お元気で。
                     小田 実

                    832007年8月5日(日) 今朝の朝日新聞デモ写真

 今朝の朝日を見てぎょっとした。社会面に大きく「『大きな人』に別れ・・・小田さん追悼デモ」とのタイトルで、写真付4段で昨日のデモが報道されていた。その写真の真ん中辺りに、何と私がこれほどバッチリ写されているとは、思ってもいなかった。早速友人に知らせたら見てくれたらしく、夕方にかけてダダッとメールが入ってきた。
 それにしても、小田実さんの影響力はものすごい。実に惜しい人を亡くしたものである。遺作となった「終わらない旅」が、評判を呼んでいるようなので、近いうちに読んでみようと思っている。
 夏休み中各地で水死事件が多いが、昨日鵠沼海岸で中学生が2人水死、1人不明と報道されていた。高校生のころ夏になると鵠沼海岸で毎日のように泳いでいたが、鵠沼海岸でもあの引地川河口周辺は流れが急で、海底では身体を引き込まれるような気がする。中国の現国歌を作曲したニエ・アールさんが、この辺りで水難事故にあい亡くなった。その記念碑もある。それが縁で、海の街・藤沢市とニエ・アールさんの出身地、山の街・昆明市が姉妹都市になった。まったく地勢的に似通った共通点のない都市同士が都市提携をするという珍しい例も、鵠沼海岸の水難事故に起因している。私自身も一度足を引っ張り込まれるような感じに襲われたことがあり、もがいても足が海底に着かず、焦ったことがあった。この辺りは怖い。以後ここには近づかなかったが、いまでは水難事故防止のための警戒は、しっかりやっていると思っていたのだが、まだまだ完全無欠というわけにはいかないようだ。

                    842007年8月6日(月) 菅平高原にて

 高校ラグビー部の夏季合宿で後輩を激励、支援旁々今年も菅平へ来た。菅平へ来るのは8年連続で、次男の高校合宿の際、やはりお世話役で来た時を含め10回目になる。かつてこの菅平はラグビー合宿で名を知られ、ラグビー人気が高かったころはラガーマンの集団疎開のような感じだったが、いまや他のスポーツ、サッカーやテニス、陸上の高地トレーニングの選手たちが汗を流し、ラグビータウンのイメージは薄れつつある。ラグビーファンとしては、寂しい限りだが、時代の流れでそうなるのも致し方ないのかも知れない。
 今朝近くに住む先輩をピックアップして車で約4時間かけ目指す菅平へやって来た。毎年全日程5日間を菅平で過ごしていたが、今回は仕事の関係もあり、僅か1泊2日、今日と明日だけのショートステイになった。十数年前の息子のときは、グランドもすべて土で風が吹けば砂埃が当たり前だったが、いまやほとんどが全面芝となり選手が泥まみれになることもなくなり、その点ではいまの高校生は施設面で恵まれている。
 午後から芝のグランドで都立国立高校戦を応援することになった。30分ハーフの試合で、前半7-15でリードを許したところで、夕立と雷のため、一時中止となった。最近は、落雷による被害を考慮して、ダボス丘のゴルフ場から避難の合図であるサイレンが鳴ると荷物、用具を置いたまま一斉に安全地帯へ逃げるルールが徹底されていうようで、偶々今日の試合でもハーフタイムでグランドを後に、傍のホテルへ避難した。結局雷と土砂降りが止まず、ゲームは中止となって、生徒たちにとってはいささか消化不良のまま、明日合宿最終日を迎えることになった。
 客観的にみて、どうも後輩たちはチームとしての力が結集出来ていない印象を受けた。春の公式戦では、優勝した桐蔭学園にあれだけ、食らいついたのに、いまはチームとしての総合力が完全に落ちている。最近は負け試合が続いていると聞いている。主力である3年生がいないせいもあるが、どうもそれだけでもなさそうだ。FWモールプレイの劣勢、全員果断に飛び込むタックル魂の欠如、各プレイの流れを見る試合運び等、どれをとっても新人戦から春大会のころに比べて、力が低下しているのは明らかである。しかし、安定した力が出せないこの時期であるからこそ、逆にひとつ力をうまく結集することが出来れば、一気にチーム力はアップする可能性がある。それに期待したい。

                    852007年8月7日(火) 広島原爆投下からゾルゲ事件まで

 後輩たちの菅平合宿も最終日となり、午前中の練習だけで打ち上げた。素直な子が多く練習中は「ハイ、ハイ」と返事をしているが、本当に自分で分ってそう応えているのか、本番で力を出せなければ徒労に終わることにも成りかねない。部員は増えたが、けが人が多く、果たして充分な成果を挙げられただろうか。これから本番まで残り2ヶ月でどの程度力をつけることが出来るだろうか。気がかりは沢山あるが、彼らの真面目さとひたむきさに期待しようと思う。
 昨日試合中に落雷を恐れ避難したが、今日岩手県の海岸で祖父と海水浴に来ていた二人の孫の内、小学三年生の弟が、警報で海水から引き上げる途中で落雷に遭い重体だという。北海道でも旅行中の夫婦が落雷に遭った。いままではあまり雷に対する心配はしなかったが、昨日の試合で雷鳴と夕立の中で機敏に落雷避難指示を出して近くのホテルへ全員を避難させた、昨日のレフェリーはその点では正しい判断だったと言えるのではないか。
 昨日の新聞を読み返していると、広島原爆投下62回目の記念日に当り、秋葉広島市長の平和宣言が発表されている。核開発が進み、憲法改正論議が持ち上がるなど、国民の間でも少しずつ、核に対するリスク感度が薄れつつある。国内外にいる25万有余人の被爆者の平均年齢は74歳を超えたそうだ。参議院選挙で敗北したために、安倍首相はいまのところ憲法問題を持ち出していないが、首相就任時の公約でも、憲法改正をはっきり言い出した。今回選挙敗北の責任をとって辞めるのが、一般常識であるが、引き続き政権を担当していくと頑固なのは、自分の手で憲法を改正したいという思いが強いからである。こんな未熟で危険な首相に、このまま日本の政治を委ねてもよいものだろうか。核拡散が止まない今日の状況を心配するとともに、今日から始まった臨時国会も気になる。
 昨日の朝日夕刊フロントページの連載もの、「人脈記」に中西準子さんが紹介されていた。いまや彼女は国から勲章もいただいた著名人であるが、何と高校一年のとき同じクラスだった。シャープな女性で、東京工大教授、東大教授を歴任して、現在は産業技術綜合研究所化学物質リスク管理研究センター長という長い肩書きを抱えている。入学早々の生物の授業で、教師に成りたての与野主計先生から、数人のクラスメートに何でもいいから歌を唄えと言われ、おだてられついでに「上海帰りのリル」を唄った私とは正反対に、高校生には難しい国際労働歌「第一インターナショナルの歌」を一気に唄ったのには、度肝を抜かれた。それ以来どうも彼女には引け目を感じている。父上が共産党員で参議院議員であったことは、当時からクラスメートのほとんどが知っていたが、朝日夕刊によると、戦前ゾルゲ事件に関係して逮捕されたとある。このいきさつは知らなかったが、もしそれが事実だとするなら、同じくゾルゲ事件に連座して獄死した、友人の山崎洋くんの父上、ブランコ・ド・ブーケリッチ氏と接触はあったのだろうと想像出来る。ひょっとするとゾルゲ事件に関して、また新たな情報を得られるかも知れない。今度山崎くんがベオグラードから帰って来たら尋ねてみようと思う。

                        862007年8月8日(水) エネルギーの節約を考える。

 ガソリンの小売価格が最高値を更新して、全国平均で1ℓ当り145.10円になったという。菅平へ行く前日5日に近所のGSで給油したら、141円だった。昨日菅平で給油したら、146円でこれは菅平高原までの運送費が込まれている特別価格にしても、急速にガソリン代が高騰していることは実感として感じている。
 今日都内の大気汚染被害者と国、都、自動車会社、道路会社側四者間の和解が成立した。中国では、今日北京オリンピック開催まで残りちょうど1年となり、華やかな式典が天安門広場で行われ、国を挙げて沸き立っているが、過去のオリンピックでは話題にもならなかった難問を抱えたままである。交通渋滞、大気汚染、食品安全、公衆道徳の欠如等、一挙に解決出来ない問題ばかりである。その中で大気汚染については、各国の五輪関係者が選手の健康を懸念している。急速な経済成長による影の部分として見過ごされた公害が、増加した車が排出する排気ガスとともに、中国政府にとって頭の痛い問題となっている。
 国際的に地球温暖化対策を世界が連携して進めていくうえで、石油の代替としてエタノールガスの開発が脚光を浴びているが、エタノールガス生産のために食料であるとうもろこしが不足したり、ほかの部門に悪影響が表れ始めている。これではマッチポンプである。石油消費の代わりに電気を使用したところで、発電も水力ダムの代わりに原子力発電ということなら、別の問題が発生し根本的な解決にはならない。
 そこで代替商品を開発することを考えるより、贅沢はほどほどに抑制して、もうそろそろ全体のエネルギー消費量を減らすような工夫を、国際社会を挙げて真剣に考える時期に来ているのではないだろうか。

                        872007年8月9日(木) 長崎平和祈念式典と総理大臣の挨拶

 3日前の広島原爆投下記念日に続き、長崎への原爆投下も今日が62年目に当る。午前中1時間のTV中継を見た。粛々と式典は進められ、主催者田上長崎市長の挨拶後に、出席者を代表して安倍首相、金子長崎県知事、正林さんと仰る被爆者代表が平和への願いと核廃絶について話された。この四人の中で、私と同じ年、68歳の正林さんが、手振り身振りを交えて被爆体験を話されたのが一番印象に残った。次いで市長、知事の戦争放棄、核廃絶のアッピールが参列者を納得させたと思うが、一番冴えないのがわが総理大臣安倍晋三のスピーチ内容である。
   心に訴える話となると、やはり現場にいて臨場感が分っている人が一番である。その点で爆心現場に最も近かった正林さんが自身の呪わしい体験を含め、一番臨場感を伴った、説得力のある話をしてくれた。
   それにしても安倍首相のスピーチは、話し方、並びにその内容において格段にレベルが低い。原稿を読んで平板に、淡々と喋っているだけで、何が何でも核実験を止めさせるとか、核不拡散条約を実現させるために何かをやるという強い意志を表すのではなく、冥福を祈るとか、戦後の荒廃から立ち直った先人の労を多とするものであるとか、非核3原則を堅持するとか、或いは被爆国としての立場から世界へ向け核廃絶の声を届けるとか、空疎な言葉の羅列だけで、何も心に訴えるものがない。総理大臣として、ここで話すことがどういう意味を持つのかということが全く分っていない。世界へ向けた平和希求のメッセージである。それがまるで地元後援会の挨拶レベルなのである。
 安倍首相の言動については、もはやメッキが剥げてその無能力ぶりにいまさら驚くわけではないが、「このまま首相をやっていたい」のわがままだけで、国家をリードされたのでは、国民にとって迷惑千万であるし、国民が不幸になるばかりである。もう自分の無能ぶりに見切りをつけ、さっさと首相を辞めるべし。

                    88.2007年8月10日(金) 不埒者がうじゃうじゃ

 東京医療センターの建物を出て構内でバスを待っていた、僅か20分ほどの間に、思ってもいなかったパフォーマンスを見て呆れてしまった。
 第一に、入り口前の前庭に大きな犬がロープでつながれ、その犬が吼えながら暴れまわっていた。来院者が気にしていたので、ロビー内で呼び出しをやったようだが、飼い主は現れなかった。病院の門柱には、犬、ネコ等のペット類は連れてこないようにとの注意書きが認められていた。第二に、玄関前にボックスカーを駐車しようとして、警備員に止められた運転者が、それを無視して駐車禁止場所へ停めたまま病院内へ入ってしまった。第三に、バス停でタバコを吸おうとした人に警備員が気づき、ここは禁煙ですと注意したところ、タバコをくわえているだけだと反抗した人。
 みんなどうしてこうも公徳心もなく、社会常識もないのか。これはほんの氷山の一角だと思うとぞっとする。
 モラルの欠如と言ってしまえばそれまでだが、社会全体にストレスが溜まっているせいか、若者はすぐきれて突然羽目を外す。常識を備えたはずの社会人でも、差別社会における劣等感とか、奉仕する人とサービスを受ける人との間の気持ちのすれ違い等により、自分がその殻から解放された途端、気持ちが反転して痛めつけられていた弱者が、偶々優位な立場を逆用して、罪もない人を痛めつけるような風潮や傾向が見られるように思えて背筋が寒くなる。
 教育の荒廃とか、金権主義の跋扈、政治家の不正、格差社会の置き土産、等いろいろ原因はあろうが、現代社会が生んだひずみであることは間違いない。あれだけ国際社会では悪評高いビルマ(現ミャンマー)だが、経済優先の現代社会を皮肉っているように、貧しい国でありながら、いつ訪れても国民は礼儀正しく崇高で優しく、一人ひとりがホスピタリティーの心を持っている。嫌なことを目にすると、ついそんな優しいビルマの人々を思い出してしまう。もう7年くらい訪れていないが、懐かしい国であり、心惹かれる人々である。

                        892007年8月11日(土) 円キャリートレードとは?

 昨日は世界的に株価が下落して、各国証券市場は振り回されたようだ。アメリカの住宅ローンの不安から始まったものだが、アメリカばかりでなく、ヨーロッパ、アジアへ飛び火して、各国の中央銀行が32兆円もの資金供給を行った。その他に日銀でも1兆円の資金を市場へ供給したようだ。東京株式市場の日経平均終値は、対前日比406.51円まで落ちた。昨晩古館キャスターの「報道ステーション」で、アメリカ通の寺島実郎氏がゲスト解説者としてコメントしていたが、国際投資ファンドの資金源には二つあって、そのひとつはアラブ石油資本のオイルマネーで、もうひとつは、何と日本の「円キャリートレード」だそうである。つまり、低金利の円である。一部の国際ファンドが低金利の円を借りて高リスク投資を行っている。
 米FRBの1/10以下の日銀金利を借り漁って国際ファンド投資マネーの原資に化けて、回りまわって日本企業の買収を仕掛けてくる仕組みになっているようだ。この「円キャリートレード」は、「マダムワタナベ」とも称され、いまやM&Aの鉄砲玉になっている可能性があるとのご託宣であった。詳しいことは分らないが、何やら日銀の低金利政策が、日本の国際企業を買収の危機に晒しているとも考えられる話である。
 近年の国際金融市場は素人には段々分りにくくなってきた。成金国の登場とか、宝くじを当てるような国が突如進出して来たからであろうか。われわれが学生時代に学んだ近代経済学の教科書通りには、実勢経済は進まなくなってきたのである。その意味では、インドや中国の経済発展は、近代経済学では想定外の出来事だったのだろうか。

                        902007年8月12日(日) 慶應のエースだった二人の死

 今朝の新聞で往年の慶應のエース、平古場昭二氏の寂しい死を知った。79歳だった。戦後再開された夏の甲子園中等学校野球大会優勝校・浪商のエースとして、準決勝の東京高師付中戦で19奪三振記録を作り、その記録は今も破られていない。東京六大学では東大戦でノーヒットノーランを演じ、慶大卒業後はオール鐘紡で活躍した。当時私自身草野球に夢中になっていたころだが、神宮球場で平古場投手が活躍した印象があまり強くなく、慶大ではむしろ二番手の河合投手とか、三番手の山本治投手の活躍の方が記憶に残っている。
   野球界を離れてゴルフ場の支配人を勤めた後に、小豆島でひとり住まいをしていたが、ガスメーター検針のため自宅を訪れた検針員が死後数日の遺体を発見したという。甲子園の高校野球が熱戦を繰り広げている最中、あまりにも寂しい訃報に接してお気の毒でたまらない。いまならすぐにもプロ野球界からドラフトされたであろう逸材だったが、前半生において華々しく脚光を浴びた割に、後半生では恵まれない生活を送っていたように思われていかにも切ない。家族がすぐ分らないせいか、喪主、葬儀等は未定とある。何とも虚しい気がしてならない。
 数日前にはもうひとり慶應のエースだった高橋栄一郎氏が亡くなられた。山形県新庄市の現職市長で、5期目だった。高校生のころ先輩だった佐々木信也、衆樹資宏選手が活躍する早慶戦を観戦に行った時、慶大二番手投手として登板したのが高橋投手だった。球は滅法速いが、コントロールがままならず自滅するのが欠点と言われ、卒業後にニッポンビールから巨人へ、そして南海へ移り漸く一花咲かせて、オールスターにも出場した。
 高橋氏が再びスポットライトを浴びたのは、父親の地盤を継いで新庄市長に当選した時だった。その後地方政界で活躍し、20年間に亘って地方自治のために精勤されていたが、病魔に冒され帰らぬ人となった。71歳だった。
 最近縁のある人、ない人を問わず、僭越であるが故人の人生を考えることが多い。やり残したことはなかっただろうか。自分の人生に悔いはなかっただろうか。もう一度同じ人生が可能だとしたら、果たしてそれを選択されるだろうか。ありきたりだが、いま目前に自分が精一杯集中出来る目標があるということが、後々まで後悔しない基本であるように思える。
 毎日を精一杯ポジティブに生き抜こうと改めて心に期す。

                        912007年8月13日(月) 戦場跡に舞う蝶

 終戦記念日が近づいてくると、マス・メディアでも過去の戦争による悲惨さと残酷さを訴える報道番組が増える。その中で昨晩、戦艦大和の写真を撮ったフィルムをブーゲンビル島のジャングルに埋めたという元日本軍兵士のメッセージを受けた方が、ブーゲンビル島への戦没者慰霊団の一員として島へ行き、遺志を継ごうとしたドキュメントが放映された。フィルムを埋めた人は復員したがすでに亡くなり、いまや当時の地形は変わっていてジャングルで考古学調査用の近代的な電波探知機を駆使しても、結局フィルムを収めた箱は見つからなかった。
 最後の手段として期待したのは、前近代的な祈りにも似た、蝶が舞ってきてその場へ案内するという神がかりな願いで、およそ科学的な根拠のないものだった。しかし、一縷の望みをかけて待っていたところへ現実に一羽の蝶が舞ってきた。残念ながら、蝶は立ち会った人々の期待を裏切り、埋められたフィルムは見つからなかった。私自身ブーゲンビル島では、ジャングルには入らず海岸沿いのコテージで、野犬を追っ払っていだだけだったが、この話は私にとっても妙に現実味のある話である。
 単なる寓話としてしか信じようとしない、科学的思考の現代人にとっては他愛ない話であろうが、実際に太平洋戦争戦没者遺骨収集作業に数多く立ち会ったり、旧戦地への戦跡巡拝慰霊に参加した折に、現実に蝶の飛来を何度も見た私にとっては、とても他人の絵空言とは思えない。特に、サイパン島の戦没者焼骨式において、立ち上がる焼骨の煙りと炎を求めてやってきた無数の蝶が、煙と一体となって乱舞しながら天へ舞い上がっていくさまは、荘厳で遺族をして漸く死者が成仏できたのだと納得させるに足るものであり、心打たれるシーンだった。
 現場で悟る戦争の悲しい遺産と、当事者である遺族や戦友から伺う実話には臨場感が篭って説得力があり、それらと報道番組で他人事のように冷静に話される若いインテリたちの戦争感の認識には、大きなずれを感じるのは私だけではあるまい。戦争は、現場に何らかの形にせよ触れた後でなければ、本当のことはほんのひとかけらも分らない。

                    922007年8月14日(火) シンクタンカー中野有氏

 「知的生産の技術研究会」八木哲郎会長、秋田英澪子同事務局長とともに、永田町・永楽倶楽部で中野有(たもつ)氏と会食した。 中野氏とは初めてお会いしたのだが、寡聞にしてお名前も存じ上げなかった。現在活動の拠点をアメリカ・ワシントンに置き、時折里帰りしながらシンポジウムや講演活動に忙しい方である。今後は日本での活動を増やしていきたいと仰る。
   氏は50歳で見るからにスポーツマンタイプの、笑顔が素敵な人である。評論家竹村健一氏に私淑しているようで、竹村氏ともどもいろいろなセミナーで話す機会が多く、元首相・中曽根康弘氏とともに講演者を務めたこともあるそうである。国内では出身地京都をベースに活動し、環日本海のテーマの下に、一時鳥取で活動していた。若くして海外に脱出、南アフリカ・ケープタウン大学へ留学し、国連でウィーンに勤務した後、ハワイ大学東西文化センターで研究員を勤める。その後、ワシントン・ブルッキングス研究所に籍を置きながら研究活動に実績を積み人脈を広げて、テッド・ターナーやジョージ・ソロスら大物経済人から知遇を得ている。現在国内外のマス・メディアで精力的な著述活動に携わりながら多忙な日々を過ごしておられる。著書に「国際フリーター、世界を翔ける」「北東アジアのグランドデザイン」ほかがある。
 中野氏の見方と実践法は、情報収集のうえ現場へ足を踏み込み、多角的に分析して氏なりの結論を生み出しているとの印象を受けた。英語は得意でないと謙遜しながらも、実践的に英語をマスターするハウツーを著書にまとめたり、アメリカ国内のラジオ生放送で600万人の中国人リッスナーを相手に講演したり、その行動力はとても並みの人間ではない。特に、中国に対する洞察が鋭く、今後世界へ与えるアメリカと中国の影響を、キッシンジャーの行動を通しながら検証しつつ高く評価している点に注目してみたい。
 今後「知研」を、更に「進化する知研」として発展するよう、導いて欲しいと思うような俊秀である。
   ところで、タリバンに拉致されていた韓国人グループの内病弱の女性二人が昨日解放された。まだ、男女合せて19名が身柄を拘留されたままである。全員が一日も早く解放されることを心より祈っている。
 それにしてもなぜ韓国人のキリスト教信者は、大勢でボランティア活動のために危険な地域へ出かけたのだろうか。仄聞すれば、近年韓国キリスト教界では、信仰者獲得、勢力拡大のために各派の間ですさまじいバトルが繰り広げられている。その一環としてアフガニスタンにまで進出し同地を信者獲得のターゲットにしていた節がある。行き過ぎるとこんな危険な地域でも自分たちの支配力を伸ばそうとの顕示欲が表れてくる。さすがに韓国国内でも問題になっているようだが、いまは動きがとれず首を洗って、ひたすら残りの拉致被害者の解放を待っている状態である。

                        932007年8月15日(水) 終戦記念日に思う。

 62回目の終戦記念日である。国際的には正式な降伏日は9月2日となっている。わが国では玉音放送のあった今日8月15日が日本の終戦とされているが、敗戦については人によって受け止め方はマチマチのようだ。1945年8月10日発行のスイスの号外に「日本降伏」との見出しが載ったそうである。すでに、このとき国内外の情報通は敗戦を承知していたのである。数日前TVで最後の特攻兵・中津留大尉戦死の事情を紹介していた。すでに敗戦を承知していた上官から終戦当日出撃命令を受け、出撃して散華された。まったく無駄な死であり、敗戦を承知したうえで部下を巻き込むような命を出した上官の罪は重い。
 翻って自分は終戦をどのように知り、そのときどう受け止めただろうか。所詮幼い国民学校一年生には、はっきりとした記憶はない。親から聞いたか、夏休みが終わり学校で先生から聞いたと思うが、その前後の様子はどうもはっきりしない。ただ、近所に頭の良い朝鮮人の「金田くん」という同級生がいて、戦争が終わったから国へ帰るんだと町の彼方此方でお喋りしていたのを聞いた母が、「金田くんは朝鮮へ帰れるので嬉しそうね」と言っていたのをいまでも思い出すことがある。私にとっては、これが終戦を無意識のうちに受け入れた現象とでも言えようか。
 正午から日本武道館で全国戦没者追悼式が挙行された。天皇、皇后が臨席される恒例の国家行事であるが、今年の遺族参列者のうち妻は僅かに2.2%となり、いよいよ高齢化が顕著になってきた。10年前には参列者のうち妻の割合は23.4%だった。これは、遺族会の全体の組織や、戦友会についても言えることで、先細りの戦友会のごときは、遂に涙を呑んで解散に追い込まれたところも多い。私自身長い間遺骨収集作業や、慰霊巡拝に関わって多くの関係者に接していたので、先行きに展望のない事情もよく分るし、遺族や戦友会の方々の切ない気持ちもよく理解できる。
   さて、昨年まであれほど問題視され話題になった、靖国神社参拝問題がイマイチすっきりしない。憲法改正を推し進めようとしているタカ派の安倍首相は、当然参拝すると見られていたが、記者団に曖昧な説明をした挙句結局参拝しなかった。お友達内閣の閣僚も右へ倣えとなった。首相は追悼式前、午前中に皇居千鳥が淵墓苑へ参拝された。20年ほど前に当時の厚生省から案内もあって、私も三笠宮殿下の近くに座り式典に出席させていただいたことがあるが、これは無名兵士の共同墓地である。首相の本心は、あくまでA級戦犯合祀の靖国参拝であろう。首相自身も参拝するのは自分の気持ちであると昨年まで散々言い放っていたのに、参議院選挙で大敗を喫した途端、矛を収めてしまった。参拝しない方がいいことは分りきっているのに、強情に参拝すると発言したり、参拝について行くとも行かないとも言わず、思わせぶりのパフォーマンスばかりで、結局参拝しなかった。
   どうも首相の足場が覚束ない。ぐらぐらするばかりで、やることなすことに終始一貫性が見られない。だから、哲学のない人はリーダーなどになるべきではないのだ。案の定、昨日あたりから防衛省内の人事がもめている。原爆容認発言で辞めた久間大臣の後任に就いたばかりの小池百合子防衛大臣と、守屋防衛次官との間がきな臭い。首相のリーダーシップは一体全体どうなっているのだ。
   時恰も今日の気温は、全国的に各地で過去最高気温を計測している。文福茶釜の館林なんか40℃を超えたそうである。首相の脳細胞が狂うと気象までおかしくなる。いやそうではない。気象状況が狂って首相の脳細胞がおかしくなったのだ。だが、納税者は笑っちゃいられない。

                    942007年8月16日(木) 観測史上最高気温記録更新!

 暑い!暑い! このところ毎日熱中症の被害が報道されている。昨日館林市で40.2℃を記録したが、遂に今日は岐阜県多治見市と埼玉県熊谷市で40.9℃を記録した。これは、昭和8年に山形市で記録した40.8℃を上回る日本気象観測史上最高気温である。これから日本列島は年年歳歳灼熱地獄の度合いを深めていくことになろう。
 年々高温化する原因が二酸化酸素排出による地球温暖化の影響であることはいうまでもないが、国はもっと真剣に現実的な高温対策に早く手を打つべきではないかと思考する。過去に環境省がクールビズとか、室内最低温度を規制するとか、短期的な啓蒙活動をしていたが、ここへきて何やらトーンダウンして、今夏は効果的な高温度対策を実施しているという話も聞かない。‘のど元過ぎれば暑さを忘れる’の諺通り、暑さ防止対策については長期的にも短期的にも何の手も打っていない。政治家のやることは、いつでも自分の人気取り、金儲けと選挙効果しか考えていないからだ。
 電力発電が直近の新潟沖地震の影響で、しばし原子力から火力へシフトしているが、脱ダム宣言がまかり通っている現状で、このまま石油確保を前提に火力でいくのか、或いは安全宣言を出して恐る恐る原子力発電に頼るのか、日本のエネルギー対策も正念場ではないだろうか。いずれにしても公害問題や、副次的な問題を孕むのは必至であるが、前へ進まざるを得ないので、経済の発展とそれに関わる必要なエネルギー確保、さらに公害問題等をどのようにバランスをとりながら、これから目指す福祉国家を立ち行かせていくのか。最大の効果的な解決策は、国内のエネルギー消費量を少しずつ減少させていくことだと考えている。こればかりは、わが国だけで解決出来るわけではなく、国際的に世界各国が足並みを揃えて行かなければならない問題である。そのためにまずはわが国が国家的な重要プロジェクトとして範を示し、国を挙げて、政界、官界、産業界、マスコミ、スポーツ界、教育、等すべての分野を巻き込んで実行しなければならない。そのためには全国民の理解と協力が得られなければ、とても実行できるような生易しいことではない。これについては、別途提言したいと考えているが、ちょっと周囲を見渡しても巷にエネルギーの無駄使いが見られる。一人ひとりの自覚を促すという観点からは、まず国民に我慢に耐えてもらうことが必要であるかも知れない。各家庭の電力消費量を家族数に合せた使用制限、深夜TV放送停止、ナイター設備使用制約、公的エレベーター使用の無駄使い停止、冷暖房使用の時間制限等々、実施することは辛いことではあるが、やろうと思えば、いくらでも考えることが出来る。われわれ現代人は、少々贅沢になり過ぎているのではないだろうか。反省!反省!

                        952007年8月17日(金) 京都大文字送り火

 昨晩古都京都の夏の風物詩である「大文字送り火」が行われた。NHKによるTV実況中継は初めてではないかと思うが、行事のいわれ、どのように行うのか、地元の人々の思い入れ、伝統継承のための地域の熱意と協力ぶりが伝わり、現場の臨場感には限界があったにせよ、中々良心的で出色の企画だったと思う。最初に「大」に火入れして、5分後に「妙」と「法」に点火、それが「帆掛け舟」、左「大」文字、最後に「鳥居」印へと若者のマンパワーで手早く火が移され、次々に炎が上がり、漆黒の京都の町から見事な火模様が描き出される。TV画面では20台以上のテレビカメラを駆使して立体的に情景を伝えてくれた。花の命は短く、それが30分程度で消えていくところに未練が残り、何ともいえない余韻を残す。
 戦死した夫を想い、盆の入りから毎日異なる食事でもてなし、再び送り火とともに浄土へ送る気持ちを淡々と語った94歳の老女の話に感銘を受けた。また、この番組を解説していた宗教学者の山折哲雄氏が、最近かけがえのない人・河合隼雄氏を失った悲しみをこらえてしみじみ語る言葉「人生50年の時代には、働き続けてすぐ死が訪れた。そこには死生観がある。しかし、人生80年の現代では、死生の間に老がある」と話された。また、京都の地形は、山の向こうに浄土の世界があり、お盆になると死者がすぐ浄土(あの世)からこの世へ舞い戻ってくることが出来ると宗教学者らしい解説をされていた。なるほどと思い、哲学や宗教に腰を据えて学んだ人の揺るがぬ論理構築に、感慨無量となり聞き入るばかりである。
 地球上どこも暑いニュースばかりだが、いま冬のペルーの地震は、1999年8月に経験したトルコの地震と同じように、日干し煉瓦の悲劇と言ったらよいだろうか、建築材の中に鉄筋が使われていないために、ぐらっときたらひとたまりもない。すでに死者が500名だそうだが、まだ増えそうだ。
 連日世界的な株安が、経済ニュースのトップにある。今日日経平均が遂に15,000円台まで急降下した。前日比は874円安だという。8年ぶりぐらいの大きな下落幅である。一方で世界的に下落現象を懸念したのか、米FRBは金利を一時的に0.5%下げて5.75%にした。日銀公定歩合は、まだ0.5%である。この大きな乖離がファンドの狙うところだ。

                        962007年8月18日(土) 桑田投手の解雇について

 大リーグ・ピッツバーグ・パイレーツの桑田真澄投手が戦力外を通告された。つまり解雇である。全盛期ならともかく現在の桑田投手は、投手の生命線であるスピードがないし、ボールに威力がないので、このところ打たれっぱなしだった。もう潮時だと思う。彼の努力は多として労苦を労ってあげたい。若い選手にも良いお手本になったと思う。
 昨年巨人軍を解雇された時、すでに限界だった。体力的に恵まれていたわけではないし、魔球を持っていたわけでもない。年齢的にも39歳といえばもう充分やったという印象だ。しかし、彼の夢は野球の最高峰、アメリカ大リーグで腕を試してみたかった。挑戦した結果、ラッキーなことに念願の大リーガーにはとにかくなることが出来た。だが、すでに日本でも通用しなくなっていた実力をアメリカで通じさせるには、投手としての力が足りなかった。甲子園でPL学園時代の桑田投手を見て、並の投手ではないと舌を巻いたものだが、時の流れには勝てない。もともと頭の良い選手だから、今後は指導者として大成して欲しいと思う。
 いまさらと思われるかも知れないが、巨人を解雇された時、桑田の顔が柔和で円くなり、いつも笑顔で応対しているのを見て、これから新しい分野に挑戦する人としては、荒々しさが少々足りないのではないか、大丈夫かなと気になっていた。タイトル奪取を狙う挑戦者の顔、金メダルを目指すスポーツ選手の顔等は、いずれも精悍で近寄りがたいオーラを感じるものだが、桑田の顔からはそのような精気とか、ファイティングスピリットがほとんど感じられなかった。もう胸の内の闘争心があったにしても、それが表には出なくなっていたのではないだろうか。こうなっては、スポーツ選手は潔く身を引いた方がよいと思う。
 桑田投手へ長い間本当にお疲れさまでしたと言ってあげたい。

                    972007819日(日) TV番組「世界遺産」を見て

 毎週楽しみに見ているTBSの「世界遺産」は、タイのアユタヤだった。初めての海外ひとり旅でバンコックから列車でアユタヤへ行ったし、新婚旅行もアユタヤだった。その後何度となくアユタヤを訪れたので、懐かしい気持ちで番組を期待していた。しかし、これが今風の取材というべきなのだろうか、「世界遺産」という番組のせいか、町の風景はほとんど写さず、いくつかの遺跡とタイ青年の出家式の様子、周辺国との戦争の歴史を伝えただけで、いささか失望した。
   世界遺産の遺跡をクローズアップするのは当然としても、それを育み共存する周囲の環境というのは大切であると思うし、なぜそれをもっとカメラで迫らないのか。実際アユタヤの町には、タイの田園風景と田舎町らしい雰囲気が漂っており、どうしてそれを報道しないのか不思議な感じがした。まして、町を二分する大きな河があり、中心街の川向こうには、山田長政時代の日本人町跡がある。そのほかにも立派な寝釈迦像もあるが、それらはまったく写さず、40年前は森の中だったという遺跡を紹介していた。TBSは事前調査をあまりやらなかったか、或いは取材の際観光に詳しい人が関わっていなかったのではないか。多少アユタヤを知り、思い込みの強い者にとっては、期待外れのドキュメントだった。とにかくアユタヤらしさが全然感じ取れなかった。

                    982007年8月20日(月) 那覇空港で航空機炎上

 今日午前中那覇空港で起きた中華航空機の炎上事故には、TV画面を見てそのあまりの生々しさに圧倒された。乗務員と乗客を併せて165名が無事だったのは、間一髪の幸運意外の何者でもない。乗員がすべて脱出してまもなく機体が爆発し、破壊されたので、少しでも脱出が遅れたら多数の犠牲者が出た、大事故につながった。
 幸いいままで航空事故に遭ったことはないので、航空事故の怖さに対する臨場感が充分とは言えないが、規制緩和と自由競争に伴う安売り航空運賃による経費削減が、安全を脅かさなければよいが・・・。
 このところ猛暑日が続いたせいで、TV局も地球温暖化について繰り返し報道してくれている。今日も「報道ステーション」の古舘キャスターが、スイス・アルプスから生中継していた。近年の温暖化で、氷河が減少し、災害発生の前兆が感じられる。私自身カナダでもスイスでも年々氷河が後退しているのを目の当たりに見ている。すでに、スイス山中では毎年2m程度氷河が薄くなっているという。19939月に好天の下ブリーク駅前通りを襲った鉄砲水は、貯水された氷河の水が暑さのために凍土雪が融けて流れ出たものだ。そのブリーク駅で列車を乗り換えたときに、洪水が下っていった道路を眺めていたことを思い出す。もう地球温暖化の流れは止められないのか。古舘キャスターは、専門家の意見としては、まったくないわけではないとコメントしていたが、どうも具体的な提言ではないように思える。人間には開発する力もあるが、それを制御する力もあるはずだ、等と言っていたが、少々性善説に過ぎやしないか。もっと現実的な解決策を地球規模で考えないと、温暖化は止められないのではないだろうか。もう遅いかも知れない。

                        992007年8月21日(火) 岩波書を取り扱わない書店

 毎月恒例のJAPAN NOW観光情報協会主催「観光立国セミナー」にフリージャーナリスト・北岡和義氏を講師としてお招きした。テーマは「日本とどこが、何が違うのか~ジャーナリストが目撃した米国」と題して質疑応答を含め1時間半、大変興味のある内容を、現場の人でなければ分らない視点で話してくれて出席者にも好評であった。「観ると住むとは大違い」「情報は、Information Intelligence」「Something new, Something different」など、思い当たることである。北岡氏の在米27年という経験、しかも日本で読売記者として活躍された後に、ロスで邦字紙編集長を務め、日本語TV局を立ち上げた経歴は、話し方や内容においても説得力があった。北岡氏を講師にお願いして本当に良かったと思う。
 会場である海事センターに近い地下鉄半蔵門駅の地上にある山下書店で、岩波文庫本を探したがどうしても見つからず、店員に尋ねたところ取り扱っていないとの回答だった。かなり大きな書店だし、都内にもチェーン店として12店舗ほどあるが、まったく取り扱わないようだ。
 岩波書店は、小売書店にはなかなか厳しい条件をつけ、特に返本制度を認めず仕入れ書はすべて買い取りと承知している。また、内容的にも堅い書籍ばかりで販売に苦労があるとは推測できる。しかし、岩波書を取り扱うことは、書店としての「格」を表わすとともに、経営者の矜持ではないだろうか。極端に言って、店頭にマンガと週刊誌ばかりの書店は、書店と呼べるだろうか。書店を開業し書籍を販売するのは、他の商品を販売するのとは理想とか、目的、意義においてまったく別物だと思う。少なくとも文学とか、教育、教養に関心がなければ、書籍を取り扱うような商売は始めないはずである。経営者には銭勘定だけではない、幾許かの理念とか、教養志向、読書好きのようなインテリジェントな気持ちがあると思う。ところが、この山下書店には、そんな理念なんかこれっぽちもないようだ。
 書店が書籍販売不振に追い込まれていく過程で、経費節減と事業の効率化を図る。小規模経営より大型店舗が増え、小規模書店が淘汰され会社組織になり、社員の中にも読書にさほど関心のない人が多くなり、本来の書店としての目的が薄れていることは、残念ながら事実であろう。
 岩波に身びいきするわけではないが、山下書店の販売戦略は書店経営としては志が足りず、いささか情けないと感じる。昨日パソコンを習いに行った帰りに、立寄った東横線都立大学駅前の小さな八雲堂書店でさえ、岩波コーナーを設けていた。つい再び読みたくなり、米川正夫訳「カラマーゾフの兄弟」第1巻を買い求めたが、奥付を見ると初版が80年前の1927年で、東京の地下鉄が開通し、芥川龍之介が自殺した年である。購入した文庫本は、77刷とあった。長く深い歴史を感じさせる名著である。山下書店はこういう名著に背を向けている。情けない!

                        1002007年8月22日(木) 佐賀北高校の初優勝、おめでとう!

 高校野球は今日が決勝戦で、初優勝を賭けて伝統校・広島代表広陵高校と、佐賀県立佐賀北高校の対戦だった。4-0で8回表まで広陵がリードしていたが、佐賀北が8回に満塁本塁打を含む一挙5点を奪い、5-4の逆転勝ちで優勝を手にした。
 自宅にいながらほとんど観ていなくて、これほど劇的な試合の感激の場面を見損なってしまった。たかが高校野球、されど高校野球。今年は高校野球界も不祥事が噴出して、どろどろしたものになりつつあったが、爽やかな球児の活躍で多少払拭された。特に、良いのが「野球高校」が、敗退して、下馬評にも挙がらなかったほとんど無名の公立高校が勝ちあがり、初優勝した新鮮さと清清しさある。
 プロ野球のファームチームのような、お金で施設を充実させ、遠隔地からリトルリーグで活躍した中学生を、野球のために内地留学させるシステムは、高校野球を土台から崩壊させる元凶である。その意味で、無名の公立高校が他校より1試合多く戦って、堂々実力で優勝旗を勝ち取ったのは、大いに賞賛してあげたい。
 わが母校湘南高校も遥か昔に全国優勝を遂げたが、優勝旗を手に凱旋帰郷した際には、藤沢市民から大歓迎を受けたという。地元とつながりのある公立高校だからこそ、共感される。私立の野球高校ばかりでは、地元代表といっても選手が地元でなく、応援にも熱が入らない。
 やはり高校野球は、地元の人々と密着した交流と、地元選手が活躍するということが、繁栄の原点ではないだろうか。

                        1012007年8月23日(木) 死刑執行に問題ありや?

 どうもよく分らない話だ。三人の死刑執行を行ったことについて、長勢現法相はひとりの法相の命令による執行数(10人)は最多になり、内閣改造前になぜ急ぐか、生存死刑囚の増加により執行とか、執行は法相の強い意志とか、いろいろ批判的な声が聞かれる。
 現行法で、死刑制度が認められ、現実に裁判官が死刑の判決を出せば、いずれ死刑台の露と消えるのは当然のことである。いま出ている反対論は、死刑制度廃止の議論とは、筋が違うのではないか。法務省内には生存死刑囚が増えている(103名)現状では、執行を増やすのが大切だとの声も根強いという。一方で、民主党は、仮釈放のない終身刑(重無期刑)の創設を含み、刑罰のあり方の再検討を提言している。よく問題点を整理し、議論の本質と根幹を見定める必要がある。
 考えるべきは、法律の原点と精神はどうなっているのかということであり、それが現行で問題があるということなら、まず法律改正を検討すべきではないだろうか。法律をそのままにしておいて、死刑囚の数が増えたから死刑執行したとか、自分の意思に適わないので命令を出さないということになったら、無法国家と同じではないだろうか。

                        1022007年8月24日(金) 肺がんの疑い?にドキッ

 先日東京医療センターで行った胸部CT検査の結果について、今朝同センター総合内科で保坂由美子先生と仰る女医さんから説明を受けた。人間ドックのレントゲンでやや影らしいものがあるとの話で精密検査を受けたのだが、検査結果としては、胸部異常陰影、つまり右肺に気腫性嚢胞があるが、タバコも吸わず、自覚症状もないとすると、あまり心配は要らず、いままで発見出来ずにそのままの状態できているので、風邪などひいて黴菌が入り込まないよう注意されたいとの診察説明だった。その説明を受けているときに、「CT撮影」用紙に「肺がんの疑い」の文字を発見して、質問する。一応その可能性があったということと、保険申請上の問題とのことで女医さんはすぐ消してくれた。やれやれである。残るは、来月末の大腸の内視鏡検査である。
 女医さんとは前回の診断相談で、考え方において私と共鳴するところがあると感じた。かなり進歩的な考えも持たれているようで、前回小田実さんの末期の話をしたが、その後に小田さんが亡くなられたので、そのタイミングにオヤッという感じである。
   今回初めて受けたCTだったが、レントゲンでは発見出来ない死角があり、身体を輪切り状態に写真撮影することによって、かなりレントゲンで分らない部分が映し出されるとのことであった。
 輪切りについて話が発展して、身体の輪切りについて女医さんにシカゴ科学博物館の人体標本を説明した。ご存知なかったが、人間の身体を横にスライスしたものと、縦にスライスしたもののホルマリン漬けの標本の話をした。女医さんは人体解剖のビデオの話をされたが、まあ医学の進歩は歓迎すべきであろうが、一部とはいえ、生身の人間をホルマリン漬けにして一般に公開する点で、倫理的に問題があるのではないかと、ともども意見が一致した。
 それにしても、医学の道を歩む女医さんが結構進歩的な社会観を持っているのに驚いた。特に、「プラハの春」を著された春江一也とか、ロシア関係者・佐藤優についてよく勉強しているのは意外だった。中々楽しい病院である。

                        1032007年8月25日(土) 「私は貝になりたい」

 昨晩、終戦月のTV番組の定番といってもいい、日本のBC級戦犯を取り扱ったドラマ、「私は貝になりたい」を昨晩観た。2時間半の長編である。TV局も相当力を入れているとみえ、前日1時間の特集を組み、番組内容、撮影ロケ、インタビューと解説があった。その解説者は小松隆二東北公益文科大学長で、小松学長は足尾銅山公害事件を告発した田中正造翁研究の専門家である。しかし、寡聞にして番組の主役・加藤哲太郎の父である、思想家・加藤一夫の研究家でもあることは存じ上げなかった。「加藤哲太郎の手記は奥底から戦争犯罪への抗議の手記」であると解説され、「日本におけるトルストイの普及に最大の貢献をした」「坪田譲治らがトルストイへ傾斜する契機となった」「トルストイの農本主義を実践された」と父・加藤一夫を紹介された。
   小松学長には、学生時代にサブゼミで熱意溢れるご指導をいただいた関係もあり、いまでもご厚誼をいただき、ゼミ仲間とともにしばしばお会いしている。来月2日に銀座でお会いするのも楽しみである。
 いまから50年ばかり前にフランキー堺主演「私は貝になりたい」が、評判になった。そのイメージが強烈な残像としてあり、私は主役が当然絞首刑に処せられると思っていたが、それはフィクションで、実は実在の人物、加藤哲太郎なる人物がいて、彼は自由の身になったという。このドラマは今回初めて彼の獄中手記を下敷きにシナリオが書かれたということを知った。加藤はわれわれ大学経済学部の先輩で、戦後新潟俘虜収容所所長時代の部下の罪を被り、国内を逃走しながら、遂に捕われ、絞首刑の判決を受け、いつ断罪かと怯える中で悶々とした拘置所生活を送る。
 それを救ったのが、意外なパフォーマンスであった。そして、存命の妹・不二子の献身的な愛情と行動であった。そのパフォーマンスとは、ひとつは、父がトルストイを研究し、トルストイ書を翻訳した関係で、トルストイの娘、アレキサンドリア・トルスタヤ女史が減刑嘆願書を書いてくれたこと、もうひとつは、不二子の突撃的なマッカーサー占領軍司令官への直訴である。これが、減刑、釈放へつながり、晴れて自由の身になった加藤は、戦争の無意味さを訴えながら、執筆活動に精勤した。

 「戦争で罪を犯してあとは知らん顔
   罪を犯したと思えばこそ知らん顔をせざるをえなくなるのだ。
   罪は戦争にあるのではなく、戦争に参加した人にある。
   自分が戦争であんなことをしたのは、仕方がなかったというより以上には考えない、
  あるいは考えようと欲しない人たちは

   またいつの日か
   同じ過失をくりかえすに相違ない」
加藤哲太郎は、長い拘置所生活で身体がぼろぼろになり、入退院を繰り返しながら昭和51年食道がんのため、59歳でこの世を去った。
 感激的なドラマである。偉大な先輩を持ったことを嬉しく誇りに思う。ドラマはそれなりに骨太で中々見ごたえのあるものだった。主役加藤を演じた中村獅堂、妹役の優香、妻の飯島直子らはそれぞれに熱演だった。久しぶりに社会派番組の力作を観て、やや疲れを憶えたほどである。
 難点を言うなら、時代背景から考えて男はみんな坊主頭でないと臨場感が出ない。戦時中の幼少期の印象からしても、長髪の大人をほとんど覚えていない。戦後のドサクサ時代を多少知っているわれわれの世代としては、長髪頭の男というのは、あの時代ほとんどいなかったように思う。それに、加藤の手記が達筆すぎる。死刑を前にしてあんなに綺麗で上手な字が書けるのか。実際画面に映された直筆はもっと崩れた文字である。この辺は少し時代考証とか、リアリティをもっと研究した方がよいのではないかと、つい余計なことを考えた。
 なお、今朝の日経日曜版の瀬戸内寂聴の連載もの「奇縁まんだら」に、荒畑寒村についていつもながらの面白いエピソードが書かれていたが、サブゼミで当時小松チューターから学習したのは、「寒村自伝」の輪読だった。当時、寒村の骨っぽい生き方に共感したものだった。寂聴さんが寒村に会ったのは、「プラハの春」の1968年、寒村が80歳の時だった。
 寂聴さんの「いま一番望んでいることは何ですか?」との質問に対して、寒村は「もう一日も早く死にたいですよ。ソ連はチェコに侵攻する。中国はあんなふうだし、日本の社会党ときたらあのざまだし、一体自分が生涯かけてやってきたことは何になったのかと、絶望的です。人間というやつはどうも、しょうのないもんですね。この世はもうたくさんだ」という回答でした。 振り返れば、まさにこの年この事件で私もチェコへの留学を諦めた。

                        1042007年8月26日(日) カラマーゾフの兄弟

 NHKニュースが報道していたが、あの堅いドストイェフスキーの「カラマーゾフの兄弟」が売れているという。書籍販売が低迷している時だけに珍しいことである。たまたま先日再読しようと思い米川正夫訳の岩波文庫の第一巻を買ったのだが、この意外な珍事を知り、いささか驚いている。しかし、人気の秘密は、東京外国語大学の亀山郁夫教授訳による光文社文庫で、その理由も現代訳で分りやすいとの評判に基づくもので、読者にとってどこまでロシア文学の時代背景とか、ロシア人の人間関係を克明に描いたストーリー性に関心があるのだろうか。是非は別にしてやはり気難しい米川正夫や、原卓也、江川卓の翻訳では受け入れられないらしい。この辺りがどうも現代的なのか、亀山訳を読んでみないとよく分らない。
   表現はもちろん分りやすく翻訳し意訳したのだろうが、ドストイェフスキーの表現したいこととあまり乖離しないよう願いたいものである。時間が出来たらいずれ亀山訳本を読んでみようと思う。
 それにしてもこんな肩の凝る名著を、いまさら読みやすく書き換えるというのはどういう意図があるのだろう。現代っ子はこの「カラマーゾフの兄弟」をいとも簡単に「カラキョー」と呼ぶそうである。これでは「風とともに去りぬ」は「カゼサリ」で、「チボー家の人々」は「チボヒト」か? 何でも茶化す現代の軽薄な風潮だ。そう言えば、「ドストイェフスキー」のことを、一部の現代っ子は「ドスト氏」というのだそうである。ふざけている。

                        1052007年8月27日(月) 安倍内閣のアキレス筋

安倍改造内閣が発足した。お友達内閣と揶揄され、先の参議院議員選挙で自民党が惨敗したように評判は良くなかった。特に、塩崎官房長官と小池百合子防衛大臣の評判は芳しくなかった。そのひとり、小池防衛大臣については、ミスキャストもいいところで、本人は意欲満々で、大臣就任早々渡米して英語使いの女性大臣として自らを売り込み、先般ブッシュ米大統領が日本批判演説を行った際には、戦後の日本の民主化にアメリカが手を貸した、その日本の防衛の最高責任者が女性であると妙な持ち上げ方をしていた。小池大臣自身はまだやる気満々でいたが、先月7日に就任したばかりで2度目の外遊をしている間に、どういう風の吹き回しか突然本音でもない、次期内閣では就任辞退と公言したり、そのパフォーマンスにはマス・メディアが振り回され、すこぶる評判はよくなかった。そのくせ未練たっぷりで辞任会見では、何を気取ったのか‘I shall return.’などと彼女独特のパフォーマンスを演出していた。
   もともと女性の防衛大臣は絶対失敗すると思っていたが、案の定在任2ヶ月で内憂外患により辞めざるを得なくなった。次官との人事抗争は、女性は防衛省では受け入れられないとの次官自身の強い信念と省内の本音を、別の形でぶつけたのではないかと思っている。同時に、地味な防衛省内で小池大臣の突出して派手な行動が嫌われたわけだが、こんな渡り鳥を国防の最高位に据える安部さんという人の、見識のなさと人を見る目がないのに呆れ果てていたところで、今日の組閣人事で、ことの是非は別にして、しばらくは落ち着くだろうか。

            1062007828日(火) 安倍改造内閣は大丈夫か?

 先月の参議院選挙惨敗以来、安倍内閣は針のむしろだった。世の批判、何するものぞとありとあらゆる忠告、意見、批判、非難、雑音を無視して安倍首相は強気に居直り、内閣改造により軌道修正して政権維持を選択した。そして、昨日何とか組閣を終えた。総裁派閥会長の森元首相が、お友達が年小組から年中組になったという程度にしか看做していないのだから、所詮大して評価されるような内閣ではない。
 年金、カネ、失言の3点セットが内閣支持率を下落させた要因と言われているが、年金は安倍内閣が全責任を負うべき性質のものではなく、カネは「カネ亡者」拝金主義者の政治家のことゆえ直ぐにクリーンになるはずがなく、失言は見るからに軽薄、失言癖のある閣僚のたまり場みたいな国会を舞台にするので、とても3点セット問題を根本的に解決することは期待出来ない。 私見を言えば、あるコメンテーターがTVで言っていたが、悪いことをやったら厳罰に処することしかないように思う。一罰百戒により議員を追放するのである。私利私欲で抜け道ばかり考え出す政治家には、一旦不祥事を引き起こしたら再起の道を閉ざすくらいの厳罰を課さないと再発防止は難しい。いやしくも国会議員たるもの、そのくらいの責任感と良識を持ってもらわないと困る。
 かなりの議員が過去に脛に傷を持つ身なのであろうが、意地の悪い見方をすれば、改造内閣閣僚のうち、誰が最初にスキャンダルを露呈するか、心配であり、興味もある。
 今日はいくつかニュースがあった。明るいニュースは、先月来タリバンに拘束されていた韓国人グループ19人が解放されることで、韓国政府とタリバンとの間で合意に達した。条件は、①年内に駐留韓国軍のアフガニスタンからの撤退、②アフガニスタンで今後キリスト教布教活動をしない、だそうである。どうも韓国人キリスト教徒がボランティア活動とは言え、あの危険な国内であれだけ活動していることに疑問を持っていたが、イスラム教徒にとっては目の上のたんこぶみたいだったのだろう。ともかく解決へ向かって良かった。
 猛暑の中で夕方、一時雷を伴った大雨がやってきた。久しぶりの降雨で気持ちよいが、昨夏近所の落雷でパソコンがやられてしまったので、最近は雷が鳴るとすぐコンセントを抜くようにしている。いずれにしろ、これから少しずつ涼しくなってくるのではないか。その代わり雨雲のせいで、せっかくの「皆既月食」が見られなくなった。この次の皆既月食は3年後である。

                    1072007年8月29日(火) 横綱朝青龍の帰国と日本相撲協会の醜態

 横綱朝青龍がモンゴルへ一時帰国した。横綱の非礼でわがままな行動に対して相撲協会が課したお灸が効き過ぎたのか、横綱のストレスが溜まり、専門医が診断した結果、「解離性障害」ということで昨日臨時理事会を開催して謹慎処分のまま、故国へ返すことにした。連日のマス・メディアの加熱した報道で大騒ぎである。
 もう報道で言い尽くされたことだが、ことの発端は朝青龍が肘と腰を痛めたので、夏巡業を休みモンゴルへ帰った。ところが、モンゴルで元気いっぱいにサッカーをプレイしている姿がTVに映し出されてしまった。分らないことばかりだ。仮病は明らかだが、その折の診断書はどうだったのか。横綱として地方巡業をさぼることはどうなのか。高砂親方がまったく部屋の親方としての指導、弟子管理をやっていないのではないか。相撲協会も親方と弟子の言い分、さらに診断書とやらを承認したのではないか。
 機内の様子を見ると親方と朝青龍との会話が一切ない。これまでも親方と横綱との会話、意思疎通がなかったことが見えていた。これでは、師弟関係は意味を成さない。親方の監督が、弟子には通じていない。むしろ嘗められている。
 相撲協会の対応もお粗末で、これまでは一切放任、親方任せをしておいて、それでいながら立場上一応処分は出した。ところが、事態がこじれても一向に毅然とした態度がとれない。結局日本相撲協会というところは、親方日の丸なのだ。関係者はみんな未熟でわがままで、何をしてよいか分らず、ただおろおろしているばかりだ。組織を運営するに必要なマネジメントや統治能力がまったくゼロで、話にならない。大きな組織としてこれほどみっともないことはない。理事長は恥ずかしいという思いもないようだ。相撲界出身者だけで、これだけ大きな組織を管理、運営していること自体が無理なのだ。組織内にもっと発想の豊かな知恵者を加えるべきである。元来営利事業を行っているのだから、もういい加減に財団法人を返上して、株式会社として営業すべきだし、相撲発展のための伝統的業務については、そのまま財団として残したらよいのではないか。
 相撲協会にはそもそもビジョンがない。かつて営業成績が低下した時代には、場所数も増やし6場所で一杯になると、人件費節約のために幕内力士数を減少させるなど、すべてがご都合主義である。もともと先への展望が見えなかった。
 もう半世紀以上も前に、お茶屋制度が協会役員のポケットマネーになっていると問題になり、当時の出羽の海理事長(元横綱常の花)が、割腹自殺を図ったことがあったが、その台詞が笑わせる。「大麻唯男元文相が存命なら、こんなことにはならなかった」というのだから、時代感覚のずれとタニマチを当てにする強欲には呆れたものである。当時中学生だった私が呆れたくらいだから、かなり印象に残っている事件だ。時代は進化しているが、日本相撲協会のお偉方のオツムなんて、所詮あまり変わってはいないのではないか。

                        1082007830日(木) 「第121J.I.フォーラム」に参加

 今日の「構想日本」のフォーラムは有意義で大分勉強になった。テーマは、「『福祉』は本当に人を幸せにするのか」で、ゲストに宇沢弘文東大名誉教授、田中優子法政大教授、コーディネーターは前回に引き続き、ノンフィクション作家山岡淳一郎氏が登場された。
 冒頭加藤秀樹代表(慶大教授)が、これまで年金についてはその仕組みについて議論されるばかりで、年金を生み出した福祉政策は国民にとって果たして幸せなのか、という肝心な点に絞って話を伺いたいと挨拶された。
 二人の専門家の話を聞くのを前々から楽しみに出かけた。宇沢先生は苦労人で、世界各国で研究に当っておられただけに、含蓄に富んだ話を面白おかしく聞けた。宇沢教授のお名前とその白ヒゲの独特の風貌は承知していたが、かつて日経連載の「私の履歴書」を読んで感動したことがあり、一度どんな話をされるのか関心を持っていた。確か父上が腕の良い木工職人で、その人柄を見込まれ養子に入ったが、養父母に気に入ってもらえず、幼かった宇沢先生を残して母の実家を去った。しかし、生涯再婚せず、近くに掘っ立て小屋を建てて遠くから宇沢先生を見守っていたという切ない話だった。とにかく話題が豊富で人間味に溢れている。成田空港闘争に際して、政府の依頼により、政府と地権者の間の仲裁役を務めた。一応決着がついたように見えるが、根本的には解決していないとの話だった。政府が地権者、農民たちのCOMMONSを破壊してしまったからだと説明された。シカゴ大学時代に同僚のフリードマン教授が唱えた「市場原理主義」に反論したが、タカ派急先鋒の教授に言い負かされてしまったと笑っておられた。限られた時間内ではあったが、社会共通資本、COMMONSについて持論を展開された。
 田中先生は流石にTVのレギュラーとして出演しているだけに、弁舌爽やかに江戸時代の「個と集団」の関係について話され、住む場所と働く場所が一緒だったのが、産業が起きたことにより家と仕事の分離が始まり、家に仕事がなくなった。それが昔に比べて生活しにくくなった原因であると指摘された。また、相互扶助をするとどうしても排他的になる例として、江戸時代の盲人仲間の「座」の話をされた。 山岡氏も前月より、一層ゴーディネートぶりが上達され、充実したシンポジウムになった。

                    1092007年8月31日(金) 楽しいランチとダイアナ妃の思い出

 3日ほど前に大阪の井上篤太郎さんから電話があり、帰省の合間の今日食事会をやるので来ませんかとご案内をいただいた。場所は有楽町・電気ビル北館20階の外国人特派員協会である。お会いした方々は、井上さんの高校、大学、仕事上のお知り合いばかりで、井上さんと昵懇の人たちばかり。井上さんは、高校ラグビー部の先輩で学習院大を卒業されてから、今日までほぼ半世紀に亘ってずっと関西方面で働き、いまも現役でおられる。先輩に失礼な言い方だが、お人柄が素晴しく、お世話役を率先してお引き受けしておられるので、その人望の篤いことは名前の如しで広く知れ渡っている。私も敬服しているひとりである。ビュッフェだったが、世界中の著名人、政治家からスポーツ選手、例えばサッカーのマラドーナやロベルト・バッジオらが記者会見を行った場所だけに、シェフも外国人の腕利きが多いようで、料理もいろとりどり、お味も絶品にして贅沢なものだ。それが、食べ放題で○千円だというのだから安い。皆さんは私より年長の方ばかりだったが、まだ現役の方も多くいて、健康、ラグビー、旅行、年金、朝青龍、政治家のお金、役人の収賄等々、世間話を交えて楽しいひとときを過ごすことが出来た。
 早いもので今日はイギリスのダイアナ王妃が亡くなって10年目の命日にあたる。イギリス各地でも追悼儀式があったようだが、私にもドラスティックな思い出がある。
 ダイアナ妃のパリにおける事故死は、間違いなくカレンダー上の1997年8月31日払暁のことだが、私が事故を知ったのは、何と事故の前日、つまり8月30日だった。私自身の旅行履歴書「Myギネス99」にも珍事として記載している。それどころか、時折クイズ風のQUESTIONにして、人を煙に巻いてはひとり悦に入っている。
 何のことはない。その日私はカナダのバンクーバーに滞在していて、時差の関係でバンクーバーがパリより9時間遅れていたために、事故死を知ったのは30日夜11時だっただけのことである。でも現実にそういう世界的な事件のときに稀なる体験の場にいたということに、オーバーに言えば運命的なものを感じる。その後1週間してトロントに滞在していたとき、今度は聖母と慕われていたマザー・テレサが亡くなった。
   その時の旅も、カナダ・ロッキー山麓をカナディアン・パシフィック号の展望車に乗った思い出深いものだったが、別の意味でも印象に残った。