
2007年7月
48.2007年7月1日(日) NHK「失われた文明・インカ」
6日に通常国会が閉会するが、会期を延長し強引に重要法案を通した割には、国会は気が抜けている。法案を通過させるためにだけ国会会期を延長し、当初予定の選挙投票日を延期したわけである。まさに目的のためには手段を選ばずである。12日に参議院議員選挙が公示され、いよいよ各党とも29日の投票日へ向けて一斉に走り出す。年金国会と言われ、盛り上がっているように見えるが、大分しらけている。
今夜10時からNHKの1時間スペシャル番組「失われた文明・インカ」を見たが、中々興味深かった。ミイラについても新たに知ることができた。エジプトのミイラがよく話題になり、先日もハトシェプスト女王のミイラが解明されたばかりだが、このインカのミイラがこれほど保存状態がよいとは思いも拠らなかった。しかもエジプトのように皇位の方のものではなく、普通の子どもや女性で、それも生きたまま生贄とされた。いくつもミイラを見せてくれ、当時の住民のミイラについての考え方もかなり詳しく解説してくれた。インカ文明が首都クスコにおける内乱から、スペイン軍の介入を許し崩壊したとは、その発端がミイラに対する考え方の違いからきたものだったとは、ついぞ知らなかった。25年 ほど前にマチュピチュ、クスコへ行って興味津々で歩き回ったこともあり、ことさら興味を惹かれた番組だった。こういう良心的でじっくり腰を据えて制作した番組内容を見ていると、程度の低いタレントと下請けにばかり頼っている民放では、取り組み方からしてNHKにはとても敵わないと思う。次回はマヤ文明だそうで、これもまた楽しみである。
49.2007年7月2日(月)安倍内閣マニフェスト評価
今朝の朝日新聞第一面を見ると各シンクタンク、研究所、公団体等の安倍内閣政策実績評価が発表されていた。マニフェストの成績採点である。私も所属する「構造日本」の採点が8団体の中で一番辛い。「構想日本」は、どこからの資金援助も受けず、ニュートラルな立場で運営され、各界各層の信頼も厚い。代表の加藤秀樹慶大教授のリーダーシップと理念が傑出している。特に、目立つのはシンポジウムに多忙なはずの各分野のリーダーが多数参加することである。いま行政がやらなければならない、各事業の見直しを国レ ベルから地方レベルに到るまで点検している。宮城県の浅野前知事は熱心だったが、現職では高知県橋本知事が理解してくれている。
さて、その「構想日本」が厳しい採点をした。朝日によれば他の団体に比較して、ダントツにシビアな評価である。100点満点で27点というのだから、完全に落第点で連合の30点より悪い。御用団体の日本経団連の65点というのは、何となく理解できる。寺島実郎氏が会長の「日本総研」が、58点というのは、財団という立場上どうしても現政権に対して甘くなるということなのか。「構想日本」は先日のセミナーでも感じたことだが、立場が毅然としていてぶれない、政治家におもねない点がしっかりしている。私も時折アンケートを提出するが、このままのスタンスをいつまでも貫いて欲しいと思う。
50.2007年7月3日(火)ベトナム戦争の一断片
筑紫哲也氏療養中のTBS「ニュース23」で、40年前毎日新聞サイゴン支局長と写真部員がベトコンに捕捉された事件をトピックにしていた。その当時彼らを捕らえたベトコンと40年ぶりに会うというシナリオに興味を持って見た。1967年の夏だから、私がサイゴンへ行った半年後のことだ。私も際どい体験をしたし、当時ベトナム反戦運動の絡みもあり、ベトナムには相当入れ込んでいたが、不思議にこの事件は記憶にない。その時彼らを捕らえたベトコン8人の内のひとりに実際に会うことが出来て、40年ぶりの再会と言って平和な光景を見せてはいたが、他の7人は死んだか、不明だという。周囲の土地の内半分は工場用地になった。いまベトナムへの投資が盛んで表面的には経済が潤っているように見えるが、米軍機の撒いた枯葉剤による後遺症で、いまも身体不自由児が生まれている。2人の語るベトナム戦争には、やはり臨場感がある。しかし、どうしても私にはこの事件が思い出せないと思っていたら、3時間後に解放されたとのことだったので、毎日新聞以外ではあまり報道されなかったからではないかと思う。
今日久間防衛大臣が辞職した。米軍が長崎に原爆投下したのはしようがないと思ったと発言したのが、こじれにこじれ収拾がつかなくなり、参議院選挙にマイナスと判断して職を辞することになった。自分の発言を心から悔いて辞職したのではない。所詮政治家なんてそんなものだ。51.2007年7月4日(水)アメリカ独立記念日
今日はアメリカの独立記念日に当る。17年前の今日シアトル市内にいたが、夜空に打ち上げる花火のページェントがダイナミックな絵画のようだったことを覚えている。その翌朝コーヒーショップで、花火のメッカ、新潟県長岡市から来た花火師と席を同じくした。独立記念日を祝って、日本の花火を打ち上げるために長岡市から派遣されたと言っていた。前夜の花火の素晴しかった点を褒めたところ、アメリカの打ち上げ花火は大したことはないと胸を張っていた。そんなものかなと思う。
アメリカでは、独立記念日は絶対忘れてはいけない日だそうだ。アメリカ人にとって、記念日として覚えていなければならない日は、独立記念日と結婚記念日、連れ合いの誕生日だそうである。日本人にとって、忘れてはいけない記念日というのは、何だろう。すぐ思い当たるのは、8月15日終戦記念日だが、そのほかには、原爆記念日とか、憲法記念日だろうか。大切ではあるが、連れ合いの誕生日というのは、どうも忘れられがちなのではあるまいか。
52.2007年7月5日(木)防衛大臣の後任に小池百合子氏
一昨日舌禍事件により已むに已まれず辞職した久間章生前防衛大臣の後任に、首相補佐官で、元環境大臣だった小池百合子氏が就任した。辞任直後に間髪を入れずに後任を任命することなど、出来の悪い安倍首相にしては及第点だ。前回の衆院選で刺客となった小池氏は環境相のとき、クールビズとかいって結構話題をさらったし、美人でマスコミ受けもいい。その辺りを評価したのだろう。一般受けを狙った、そつのない人事だ。
さて、一点気にかかるのは、小池大臣が女性ということだ。男女差別だといきり立つ御仁がいるかもしれないが、防衛大臣というのはことの性質が違うのだ。他の省庁の大臣ならともかく、防衛大臣は現時点では女性にはいささかタフ過ぎる業務だと思う。アメリカを始め、外国でも女性が国防部門のトップという例は、聞いたことがない。本人は対外的に注目される国防のトップ人事という点で、二つ返事で引き受けたようだが、国防の本質を理論的にも実感としても体で分っているという点を説明して欲しい。また、自衛官のトップとしては、自衛隊の海外派遣地へも逡巡なく激励に訪れたり、砲弾の飛び交う中で、隊員と寝食をともにする覚悟があるかどうかを問いたい。更に女性大臣を戴くことによる部下の士気や信頼感はどうなのか。気になるところである。これまでも防衛長官は、戦地へ慰問に行くこともほとんどなかったが、危険な地域へも飛び込んで行く気概がない ととても防衛大臣は務まるまい。取り越し苦労に終わらなければ良いが。
53.2007年7月6日(金) 日本教育大学院大学で「参画教育」を学ぶ。
かねてより教育養成制度が問題とされ、現実に現行システムを改善することを謳い、制度自体が走り出しているとは聞いていたが、実際にこの新しい形で教員を養成する、日本教育大学院大学の存在は林義樹教授(前横浜国立大学教授)から伺うまでは知らなかった。先生からお誘いを受け、高校の同級生ともども先生の「参画教育」公開講座に参加した。一方的な林先生の講義というのではなく、まず先生が「参画教育」の意図について解説され、その名の通り先生が30年間に亘って研究されてきた「参画教育」を受講者が実際に体験するものであった。20人近い受講生をいくつかにグループ分けして、問題点とか解 決策を個々に書き上げ、そのグループの中で話し合うもので、グループごとに代表者が発表し、それを先生がコメントする。久しぶりに学生時代のゼミを思い出した。同大学生や、予備校、日本語学校の教員のように、現在の教育に関わっている人や、関心の強い方が参加されていた。僭越であるが、私は「教師は子どもを教育する以前に、子どもが好きで子どもに対して愛情を注げられる人でなければ、教師になる資格はない」と持論を述べた。どの程度理解してもらえたかは分らないが、心情的には納得してもらえたのではないかと思う。
いよいよ教育も象牙の塔とか、研究室内ではなく、大学内外で他分野の人たちとの交流を通じて共に学ぶというスタンスに進化してきたのかなぁと思う。
54.2007年7月7日(土)SRC(高校ラグビー部OB会)学年幹事会
母校に各学年幹事が集まり、夏の菅平合宿における物心両面での具体的な支援策と、今後のSRCの運営方針を討論する場である。今年の総会で会長を辞し、学年幹事でもないので格別出席する義務はないが、同学年の大島幹事が欠席なので、代理のつもりで出席した。
現役チームはこのところ県内でもずっとベスト8なので、壁を乗り越えベスト4入り、そして10回目の関東大会出場を決めて欲しいという希望はあるが、まあまあ期待に応えてくれていると思う。OB会としてもずっと資金・技術両面で支援を続けてきたので、後輩たちにとってはある程度頼りがいのあるOB会と考えられていると思う。今日の議題の中に会費問題があった。現在OB会員から安定的に会費を収めてもらっておらず、寄付金に頼りがちである。資金的にきついということではないが、ベースとしては、まず会費の納入ありきで、そのうえで寄付金をお願いするということが、建前としてもSRCの安定基盤につながるはずである。この難問については、検討課題として今後に持ち越しすることになった。
菅平の合宿は会長職を務めていた7年間は、毎年参加していたが、今年は仕事の関係もあり、全5日間は少々無理だと思っている。しかし、何とか2〜3日でも参加出来るよう日程調整したいと考えている。
55.2007年7月8日(日)内幸町ホール「小中陽太郎氏ドラマ作品」鑑賞会
小中さんからお誘いをいただき、内幸町ホールへ出かけた。小中さんがNHK名古屋支局に勤めていた時に演出した時代風刺ドラマで、「しょうちゅうとゴム」と題する小田実作品である。1962年に放映されたもので、私はいままでに2回見る機会があったが、いずれもダイジェスト版だった。幸い今日は全編45分を見ることができたが、ダイジェスト版とは随分印象が違うと思った。その点ではダイジェスト版の編集は難しいと感じた。冒頭に小中さんの解説があった。製作の経緯や四日市石油コンビナートを時代背景に、農民や労働者が埋没していく姿を映し出したものだが、小田実に原作を依頼した過程、モダンダンスは「ウェストサイドストーリー」のパクリではないかと言われたこと、このフィルムの著作権問題など、面白おかしく話された。若き小田の肉声も聞くことが出来て懐かしかった。音楽が前衛作曲家高橋悠治によるもので、その高橋氏もその後の演奏とトークで私には分りにくい前衛音楽をピアノで、またコンピューター音楽で聞かせてくれた。高橋氏はNHK出身であるが、永年海外で学び前衛作曲家として活躍された経歴から、ピアノ曲も「光州1980年5月」と題して、韓国の社会的大事件に正面から取り組み音楽に取り上げるとか、コンピューター音楽にしても英語の声や発音をいろいろな音、響きにしたり、前衛音楽だけに私には少々異色であった。私と同じ年齢だが、やはり傑出した芸術家にはとてもついていけないとも実感した次第。会場は満席で小中さんのお人柄とお知り合いが多いせいか、終始和やかな雰囲気で参加できて良かったと思った。この後のワインバーの懇親会を含めて、かなり大勢の知り合いにお会いした。
小中さんが最後にいま癌で闘病中の小田さんの病状に触れた。あまり具合が良くないとのことであった。外部の方とお会いできる状況にはないとの話に、小田さんに多大な影響を受けた私としては、暗澹たる気持ちである。
56.2007年7月9日(月) 新・世界の七不思議
スイスに「新・世界七不思議財団」という財団が本当にある。その名の通り、これまで知られていた「世界の七不思議」に取って代わる新しい「世界の七不思議」を選定するという組織で、一部には反対もあったが、とにかく世界中からインターネット投票約1億を得て七箇所を決めてしまった。選に漏れたエジプト辺りからは、うらみつらみも出たのか、財団が奥の手を出して、ギザのピラミッドを選には漏れたが特別な栄誉を与えるという。世界遺産の決定権を有しているユネスコは、あまり好い顔をしていない。選ばれた七不思議は、@チチェンイッツァのマヤ遺跡、Aリオのキリスト像、B万里の長城、Cマチュピチュのインカ文明遺跡、Dヨルダンの古代都市ペトラ、Eローマの古代劇場コロッセオ、Fタージ・マハールである。このうちDとFは行っていないが、どれだけ公平な選考なのか。エジプトでも考古学会事務局長は、専門家が選出すべきだと異論を述べている。いずれも素晴しいところだが、私が訪れたところでも、Aより、ルクソールの「王家の谷」や、アンコール・ワット、パガン(ミャンマー)の遺跡群、ギョロメ(トルコ)、ポン・デュ・ガール(プロバンス)の方に価値があると思うのだが・・・。これからも外野席が姦しいことだろう。
57.2007年7月10日(火) 世襲議員の狡猾とバカさ加減
5月末に政治資金不正疑惑で自殺した松岡農相の後任、赤城徳彦氏が同じ問題で同様な疑念を持たれ、同じような対応に終始している。周囲のコメントも二転三転して、事実を隠蔽しているのが透けて見える。参議院選挙を前にして火種は収まりそうも
ない。折も折、月刊誌「選択」7月号の冒頭インタビューに、清成忠男前法政大学総長が応じている。世襲議員支配は「愚民政治」とこき下ろし、世襲政治家は、苦労して人脈を築き、汗を流して知恵を得るという経験がなく、勉強不足で独りよがりな傾向があると分析している。彼らは、家業として政治を営んでいるのであり、政治の舞台で闘う政治家ではないとまで言っている。同じ「選択」誌では、韓国財閥の後継者問題も検証し、駄目な世襲経営者、特に三代目経営者のせいで企業の将来に期待が持てないことを炙り出している。その分析も、二代目経営者が、創業期の苦労や厳しい創業者の直接指導を受けたのに対し、三代目経営者は、生まれたときから実家が韓国を代表する大企業で、ソウルの名門校から韓国かアメリカの大学を経て、ハーバード、エールなどの大学院に進んで苦労を知らなさ過ぎると手厳しい。安倍首相も岸首相の孫、赤城農相の祖父も岸内閣の防衛長官、農相で、苦労知らずの孫たちが政治ごっこをやって、国民に目くらましを食わせている。韓国の三代目経営者と似たりよったりである。
赤城農相は国民に疑惑を誠実に説明することなく、また支出経費の領収書も公開することなく、今日ヨーロッパへ旅立って行った。安倍首相も農相を擁護するばかりでこの問題を解決しようとの意図が見られず、まるで他人事のようである。
一体この国では、世襲政治家を中心とする政治家にブレーキをかけずに、国民はいつまでもこんなバカげたやり方で引きずりまわされていくのだろうか。
58.2007年7月11日(水) 日米マス・メディア比較論講演会とイチローの凄さ
「知的生産の技術研究会」主催により、永田町の永楽倶楽部でジャーナリスト北岡忠義氏の講演会を開いた。受講者は「江戸城再建を目指す会」理事長小竹直隆氏、人気書評ブロガー浅沼ヒロシ氏、ゼミの後輩で翻訳家遠藤靖子氏、「知研」八木哲郎会長、同事務局長秋田英澪子さん、池中さん、佐藤さん、それに私の7人とこじんまりしているが、それぞれに実績を残されている方々ばかりだし、その中で3人の方が長い在米経験を持っておられてアメリカについて詳しく、個室でアメリカ論をじっくり聞くことも出来た。
北岡講師は読売新聞記者から代議士秘書を経て、ロスアンゼルスに渡り、同地に27年間在住して邦字紙編集に携わるとともに、日本語TVを設立、経営されていた。現在も日大講師を兼ねながら日米間を往復して、日米のジャーナリズムに関わっているので、日本とアメリカのマス・メディア情報にとりわけ詳しい。日本とアメリカのマス・メディア比較論を始め、個人的な体験に根ざした日本論とアメリカ観を展開された。日本が内心的に崩壊の方向へ進んでいることを憂慮されていた。その後の懇親会でも受講者から同じ意見が出され、安倍政権の将来性、教育劣化現象等について意見続出で大いに盛り上がった講演会であった。講師に人を得ると、こういう少人数の講演会というか、座談会も偶にはいいなと感じた。
それにしてもアメリカ球界で活躍するイチローはすごい! 今日アメリカ・オールスターゲームでイチロー選手が大活躍して、並み居るスーパースターを尻目に何とMVPを獲得してしまった。野球の世界の最高レベルで、7年連続出場することも素晴しいが、結果的に選りすぐった選手64人の中で、最優秀選手に選ばれるのだから‘すごい’の一言に尽きる。政治家のように、口先だけ偉そうなことを言って実際には実現できないことの方が多いのが普通であるが、彼はいとも簡単にやり遂げるのだからたいしたものだ。3打席3安打というのもすごいが、オールスター史上初めてのランニングホームランまでかっ飛ばして逆転させ、味方ア・リーグを勝利へ導いたとは恐れ入りました。
59.2007年7月12日(木) 西山千氏を偲ぶ。
あのアポロ月面着陸の際、TVを通して宇宙飛行士の言葉を日本国民に伝えていた名同時通訳者の西山千氏が亡くなられた。95歳で老衰だった。2年ぐらい前まで、その姿をしばしば日本ペンクラブの例会でお見かけしたが、大分お年を召されたように思えたのでお声をかけるのを遠慮していた。しかし、90歳を超えてなお多くの人が集まる会合に出席されるというのは、ポジティブなご性格のせいであろうといたく感銘を受けた。
それにしても名通訳者、名翻訳者であったと思う。多くの若い人たちが通訳に憧れて語学を習ったり、留学していったのは、西山氏の影響が非常に大きかったと思う。かく申す私も西山氏に憧れ、何とか一人前の英語使いになろうと、随分英会話を習ったが、仕事に不自由しない程度のもので終わった。特に、先輩の紹介で教えを乞うた亡きカール・ニッフィン氏のような人格的に優れた先生からは、英語だけではないアメリカ人やアメリカという国への関心と理解を深めさせていただき、いまでも感謝している。ニッフィン先生の謦咳に触れたことが、仕事面でも大きな力になったと思っている。もう少し若い時代に気がつき、そういう環境にあればとの思いもあるが、いまさら過去を悔やんでも詮無いことである。ただ、年をとってから、英語にもう少し真剣に取り組んでいたらとの後悔が、私自身の図解自己紹介図に描いた「来世の夢=希望」の中で、「アメリカで教育を受けたい」との強い願望になっている。まったくいい気なものかも知れない。
西山千氏のご冥福を心よりお祈りするばかりである。 合掌
60.2007年7月13日(金) 世界遺産関連記事
NPO法人「JAPAN NOW観光情報協会」で昨日月例の企画会議があり、理事長、事務局長より今年度実施の活動報告とこの先のスケジュールが発表された。4月に仙台で「観光立国フォーラム」を、5月に総会、5月と7月に金沢で郷土発展振興会主催のシンポジウムに協力した。理事の末席を汚している私としては、いささかの協力も出来ず忸怩たるものがある。9月に広島で10番目の支部立ち上げの中国支部総会フォーラムと、11月に札幌、来年早々には宮崎でフォーラムを開催するので、その1〜2に出来れば参加したいと考えている。
その罪滅ぼしということではないが、隔月刊定期情報機関紙に「世界遺産」に関する情報記事を、シリーズで執筆することを引き受けることになった。この4年来毎号同紙「COLUMN」欄を執筆担当しているが、これは海外での自分自身の体験をベースに、案外日本では知られていない事柄や常識を軽口のエッセイ風にまとめているつもりである。世界遺産については1,000字程度でどういう切り口で、書いてみようかと思案している。いま世界遺産として登録された場所は830箇所ほどあり、そのうち私自身も170箇所程度訪ねているので、ある程度取り上げるネタは経験的に揃っていると思っている。日本でもごく最近石見銀山が世界遺産に登録され、世界遺産自体改めて広く関心を呼び、観光業界からも脚光を浴びている。とりあえず世界遺産に関して自分の思うところを自由に書いて、その過程で方向性と視点を探っていきたいと考えている。
61.2007年7月14日(土) 多種多様な発想
MLBのイチロー選手が、シアトル・マリナーズと来年以降向こう5年間の契約を結んだ。総額で122億円だそうだから、日本人選手の最高額でとても庶民感覚ではピンとこないが、イチロー選手のスピーチがふるっている。契約金総額を、仮に年棒500万円で働くとすると、弥生式時代から稼いでやっと辿り着く金額だとか、平安時代から年棒1,000万円で働いて漸く帳尻が合うだとか、奇想天外の発想に日本人離れの一面を見たような気がした。
実は、いまから20年以上も前初めてアマゾンに行った時、現地の観光局の人からブラジルは世界中の酸素の三分の一を排出し、世界の真水の五分の一を産出していると胸を張って話された時、その当時あまりにも荒唐無稽でわれわれの考えとかけ離れた発想に驚いたことがある。彼らはこういう物の考え方をしているのかと、その後面白く、かつ奇抜な考えを聞くたびに、わが国の習慣や発想と比べては、民族、文化の違いや、歴史観の差などに興味を抱いている。
世界の文化遺産についても、初めて写真でマチュピチュや、ポタラ宮殿を見た時の驚きは、いまでも強烈だ。こういう建築物が存在することすら考えられなかった。マチュピチュはその後訪れる機会があって感動したが、まだチベットのポタラ宮殿は憧れの建築遺産のままである。何とか健康も回復してきたことでもあり、今年中にラサの丘に君臨する宮殿を拝みに参りたいものだ。
62.2007年7月15日(日) 世襲議員制度にメスをいれよう。
ここ数日台風4号が沖縄本島から九州南部を直撃して、大きな被害を出している。その後、四国から近畿南岸を東北東に走り、東海から関東、そして東北へ吹き抜けている。数ヶ月の雨量を3日程度の内に降らせるというから、各地の被害は大変なものだ。関東地方へ直撃は避けられたが、新幹線はかなり長い時間運休だったようである。
さて、12日に参議院議員選挙が公示され、マス・メディアはもとより、選挙カーによる拡声器の連呼もうるさくなった。それにしても、昨日ヨーロッパから帰国した赤城農水相は、資金問題に疑惑を抱えながら、一向に明快な説明をしていない。出発前とまったく同じ話しかしない。所詮政治家なんて自分のことしか考えていない。ほとんどが自分のこと、家族の都合、自分の利益しか考えていない。しかもまともに見せて実際には悪質なのが、世襲議員だ。赤城農水相もその世襲議員の代表格だ。いまの世襲議員のあり方に問題を投げかけたのも赤城農水相のカネの問題である。怪しいと思われても取り合えず逃げ回り、周囲が擁護する。こうして彼らは時間切れを狙ってのらりくらりと時間稼ぎをしているのだ。政治家にはあまりにも問題が多いが、世襲政治家にブレーキをかけるだけでも、汚れた川が清水になるように思う。いずれ世襲議員制度にメスを入れた持論を開陳してみたいと思っている。
63.2007年7月16日(月) アレックス・カー氏の活動と新潟県中越沖地震
TBSの「情熱大陸」シリーズで、昨晩「ある外国人の嘆き〜日本は美しいか」と題して東洋文化研究家アレックス・カー氏の日本の文化と伝統を守る活動を取り上げていた。私は同氏と中西進氏(文化功労者、日本ペンクラブ副会長)が対談された先月の「構想日本」のフォーラムに出席していたが、偶々その場面も報道され、前3列目にいた私も画面に映っていると、新潟に住む次男から電話が入った。すぐにチャンネルを切り替えたが、後の祭りだった。
6月28日付本稿にも簡単に触れたが、同氏が四国の祖谷渓と京都亀岡に腰を据えながら、ひとりの外国人が真正面から日本を見て、道路建設行政が日本の自然を破壊していると警告し、逆風の中で日本の風土に根ざした日本文化と伝統の良さを守ろうと真剣に取り組む姿勢に感動した。TVでは、五島列島の無人島で町役場の人やボランティアたちと、キリスト教会礼拝堂を守っていくプロジェクトを相談していた。
フォーラムの後、遅まきながら同氏の「犬と鬼」を読み始めただが、日本文化を見詰める同氏の目は確かで、アメリカ人らしからぬ日本文化への深い洞察力と、日本文化への愛情とこだわり等に改めて感銘を受けている。先日のフォーラムで同氏がパワーポイントで見せてくれた、荒廃する風土と文化のスライドがいつまでも頭から消えない。
番組終了後に誰か録画していないかと思って知人、友人にメール送信した。今朝になって何人かの親切な友から、残念ながら録画はしていなかったと丁重な返事をもらった。気にかけてもらって嬉しい。中でも、かつてNHKにおられた、放送文化の専門家、小中陽太郎さんからは、放送とは消えるもの、外へは出さないとの主旨の親切なご連絡をいただいた。TBSのホームページを見ても外部には提供しないとあった。なるほどと納得した。
今日午前新潟県に大きな地震があった。震度6強だった。その後余震が続いた。夕べ次男からTV番組の件で新潟から連絡があったばかりだが、一時彼の携帯もつながらなかった。しかし、たいしたことがなくて幸いだった。それにしても柏崎市を中心に随分大きな被害を与えているようで、瓦葺の日本家屋が見るも無残にこれほど多く倒壊しているのを見ると心が痛む。きっとアレックス・カー氏も落胆しているに違いない。
64.2007年7月17日(火) 宇都宮市民大学で話す。
宇都宮へ初めて出かけた。これまでは東北新幹線で通過するだけだったが、NPOシニア大学を通して宇都宮市民大学で講師を依頼され処女地・宇都宮駅へ降り立った。テーマは「中高年の海外旅行の愉しみ方」。受講者はやや女性が多く、40名ぐらいだった。宇都宮市綜合福祉センターというビルで開催された。宇都宮市生涯学習センターが主催する市民大学講座の一環だが、受付、司会進行等の主たる運営はボランティアの人たちがやっていて、市は場所を提供し、市民への広報活動と、市教育委員会中央生涯学習センターの高橋さんという方がお手伝いしているように窺えた。
最近新たな技術をマスターしたパワーポイントで、海外旅行は楽しいもの、行きたい旅行地を常に描き続けること、自分の「立ち位置」を考えること、「旅ギネス」を作ること、人生三分活動期説、臨場感の大切さ、リスクマネジメント等について持論を自由におしゃべりすることが出来た。皆さん60代の人が多く、熱心に聞いてくれて2時間の予定を若干オーバーしてしまったが、楽しい講演だった。
ところでいま少々気になっているのが、このところ一週間ぐらいおなかの具合が悪く、一日に数回トイレに行くようになっている。今日も、具合が良くなく会場でトイレを使用した。大腸に問題があるのだろうかと気になってきたので、明後日東京医療センターで診てもらおうと思っている。いまも腹具合がすっきりしない。
65.2007年7月18日(水) 日本ペンクラブ7月例会
5月総会と6月例会に急遽欠席したので、3ヶ月ぶりの例会出席である。総会で会長が井上ひさし氏から阿刀田高氏へ代わったのは新聞で知った。小中さんとともに、ペンクラブ入会の推薦人である阿刀田会長にご挨拶旁々しばしお話をした。憲法改正の論議、安倍政権の危うさ、特に世襲議員の未熟さと苦労知らずについて妙に意見が一致した。特に、阿刀田会長は、安倍首相は祖父岸信介首相とは違うやり方をやろうとの気ばかり逸って、自分がよく分っていないと話しておられた。
今日の30分講話は、時代小説家山本一力氏だった。最前列で知り合いの穂高健一氏と一緒に拝聴した。高知県生れの苦労人で、旅行会社社員、自衛隊員だった山本氏は、TV撮影のための京都の茶の湯の話を面白く話された。
来年還暦を迎える年になると、お付き合いする編集者は自分より若い人ばかりであるが、自分より年配者の中にいると安心すると面白いことを仰った。茶の湯を初めて大徳寺で体験したときの話として、偉いお坊さんが、正座とか、着付けについてさりげなく語る言葉に無理がなく、付け焼刃ではないことを知らされ、年長者の道ということを知ったことは良かった。自分も年長者として後輩たちにいろいろ教えたいと話された。山本氏の特異の行動は、直木賞受賞の際も会場へ自転車で駆けつけたというほどで、京都でもTV局が用意する車手配を断って、ホテルの近所の自転車店で購入した中古自転車で四条通りから大徳寺まで、奥さんとペダルをこいだというから本物だ。そんなテライのない話ぶりが好感を呼ぶ。
いつも例会の講話は、面白くて楽しい。懇親パーティでは、何人かの人にご挨拶を交わしたが、今日新会員として紹介されるはずだった、北岡和義氏がなぜか欠席だった。
66.2007年7月19日(木) 診察と宮本顕治の死
腹具合があまりぱっとしないのと、3月の人間ドック検診の際、もう少し内科で専門的に診てもらった方がよいとのご託宣をいただいたので、遅ればせながら国立東京医療センター総合内科へ診察してもらいに行った。地理的にも自宅に近くて、過去に何度か診察で訪れたり、一度入院したこともある。かつて看護部長さんにお世話になり、度々訪ねたこともあり、ここへ来ることに抵抗はない。予想通り2時間待ちだったが、持参した本を読んでいてあまり気にはならなかった。
結局気がかりだった、内科、消化器科、外科肛門で改めて検査することになり、今月下旬から来月中旬までの間に4回通うことに相成った。消化器科では、昨年同様内視鏡で小さいポリープとか憩室を除去してもらうようになるのではないかと思っている。 しかし、やはり大病院はすべての対応を目の前で瞬く間に手配し、予約してくれるので、素早い対応に安心できる。それに建物も数年前にリニューアルしたばかりなので、病院内も広くて清潔で暗い感じがしないのがいい。病院というとついふさぎ込んでしまい、どうもあまり明るいイメージが湧いてこないが、建物内は明るいし、今日相談にのってくれた女医さんも親切で感じがよく、清々しい気分で病院を後にすることが出来た。さあ最初の検査は来週だ。
昨日日本共産党の元議長宮本顕治が老衰で亡くなられた。98歳だった。良くも悪くも戦後の政治史の節目で話題を投げかけてきたひとりである。真面目な人柄ゆえに、真っ向から対立した保守本流の中曽根康弘元首相ですら、宮本がぶれない政治姿勢を全うしたことに敬意を表しているくらいである。彼の文学的才能は東大在学中に、「改造」の懸賞作品募集でかの小林秀雄ら、並み居る俊秀を尻目に最優秀賞を獲得したことで発揮された。九歳も年長の中条百合子と結婚したが、このまま文壇の道へ進んだら多分その道でも名を成したであろう。戦時中を含め、12年間も獄中にありながら転向せず、河上肇のような‘没落’宣言もせず、自分の信念を貫き通し、日和見的になった旧ソ連や中国とも別の道を歩き出したことなど、時代を見る目と社会主義の真髄を見通す眼力は、確かなものである。惜しむらくは、彼の思想には妥協性と普遍性が欠けていたために、大衆をまとめるまでには到らなかったことではないだろうか。日本共産党の歴史より長かった彼の人生が残した遺産を、志位現委員長はどのように生かし活用するのだろうか。
67.2007年7月20日(金) 柏崎刈羽原発の放射能漏れ
先日の新潟県中越沖地震で被災した柏崎刈羽原子力発電所の核廃棄物処理放射能漏れが公になり、東電側の杜撰な管理体制と未熟な対応が、近隣住民に大きな不安を与え、波紋を投げかけている。排気筒から放射能物質が漏れた、核燃料プールから放射能水が海へ流れた、変電所火災が発生した、地震計データの一部が消失した、消火栓の水が出ない、等々人為ミスを含めて今日までに63件の不祥事が明らかになった。
柏崎市長はついに安全が確認されるまで、核廃棄物処理施設の稼動停止を命じた。とにかく東電の対応がお粗末過ぎる。記者会見でも、会社側にあまり責任感や罪悪感が感じられず、反省しているのかどうか分らないようなヤリトリだった。
すでに海外からも過去に例を見ないほどの核廃棄物が漏れたと指摘され、この種の対応ではとかくの噂があり、かつチェルノブイリ原発事故で前科のあるロシアTV辺りからも、もっと安全管理を徹底し、きちんと処理すべきだと揶揄される有様である。2年前には、国際原子力機構(IAEA)から、災害の際の放射能漏れの危険性と不安を指摘され、その際監視チームを立ち上げ常時警戒していると報告して漸く了承を得た苦い経験がある。にもかかわらず、指摘されたような安全策、防止策は果たして行なわれていたのかどうか、どうも機能していなかったように思えてならない。
2002年8月に「JAPAN NOW観光情報協会」の視察に加わって、同原発を見学したことがある。原子力発電を考える良い機会と思い、群馬県吉岡風力発電所とともに見学して、原子力発電の必要性について多少自分なりに理解出来たと思っていた。その見学記も情報紙に書いた。その時、原発内で受けた説明と装置を見て特に感じたことは、ことが原子力であるだけにとにかく安全性重視を最優先すべきだということだった。説明した係員はその場で繰り返し、二重三重にチェックしているので放射能漏れは絶対ないと断言された。それが、帰ってからほんの一週間後に、放射能漏れを会社ぐるみで隠蔽していた事実が明らかになり、当時の社長が責任をとって辞任した。隠蔽事件はことがことだけに、東電は世間から厳しく糾弾され、今後このような事件は絶対起こさないと約束したはずであった。しかるに親方日の丸、隠蔽体質、お粗末な対応と説明責任の欠如は、一向に直っていなかったということになる。
記者会見における責任者の自信のなさそうな話し方には、どう見ても反省とか誠意があまり感じられないのである。リスクマネジメントや危機管理は、真摯に反省することから始まり、現場の状況をとことん知り、対策としてケーススタディを想定したロールプレイをどれだけ行うかにかかっている。それが全然出来ていないことが分かった。
当事者と関係者がみんな子どもなのである。学問的な頭は優秀なのだろうが、苦労知らずばかりで貴重な現場経験を上の空でやっているから臨場感が身についておらず、事故処理に関してとっさに臨機応変の対応がとれない。日ごろから想定した訓練や教育を行っていないことを露呈することになった。こんな人ばかりいたのでは、いくら大会社でも立ち行かなくなる。安倍内閣だって所詮同じではないだろうか。
あ〜あ、情けない。
68.2007年7月21日(土) 第2回江戸城再建セミナー
5月の第1回に続いて江戸東京博物館で開かれた、第2回NPO「江戸城再建を目指す会」のセミナーに参加した。テーマは「日本文化を世界に発信する為に、修景から考えた‘江戸城再建計画’『平成の木構造復元をめざして!』−蘇生の精神で−」と題する長いネーミングである。講師は、日本各地で町おこしプロジェクトに取り組み、城崎温泉、白骨温泉、その他各地で数々の実績を残された、松本市在住の建築家・倉橋英太郎氏で、パワーポイントを使いながらA3判カラー20頁のレジュメを丁寧に説明された。
倉橋氏のコンセプトは、史実に基づいた天守閣復元を目指し、本物でなければ価値がない、本物ゆえにこそ感じられる臨場感が生む感動を踏まえて、鉄筋建築を拒絶し、あくまで木造にこだわることである。もとよりその思いは、小竹直隆理事長以下すべての会員共通の願いでもある。同時に周辺の修景にも江戸文化を感じさせるデザインを採り入れることによって、21世紀の現代に江戸文化を融合させることを提案している。本物、とりわけ木造建築にこだわることは、木造建築物が現行建築基準法上3階建てまでしか認められておらず、クリアしなければならないハードルが残っているということでもある。
しかし、愛媛・大洲城再建のケースでは、城郭再建に際して市民運動が力強く後押しすることにより見事難問をクリアした。住民の熱意と力が法律を動かしたのである。江戸城が原型通り復元されると仮定して、土台から58.6m、地上五層で、かつて存在した城郭の中でも最大級だけに、なお現実問題として鎮火すべき火種を抱えていることになる。
セミナーでは、その他にも日本各地の城の特徴、木造建築の場合の木材の調達、城内部構造、建築費用算出概算例、等々われわれがあまり知らないことについて、講師は分りやすく話してくれた。江戸城再建まで前途は遼遠であるが、関係者の熱意と何とか江戸城を再建したいという多くの会員の夢が、ひとつになって大きな支えとなり、力となっている。このセミナーに参加することによって、いまのところ大きな夢を見させてもらっている。何とか活動出来る内に皇居東御苑内に平成の江戸城天守閣を再建したいものである。
69.2007年7月22日(日) 参議院議員選挙はどうなるか?
新潟県中越沖地震、とりわけ柏崎刈羽原発内のお粗末な事象が大きく報道されている間にも、来週の国政選挙は時々刻々と迫っている。日経朝刊のアンケート調査によれば、安倍内閣の支持率がついに最低の水準にまで落ちて、27%になったという。公明党も下落傾向で、民主党が第1党になり、非改選を含めた与党の過半数維持は難しいと予想している。
泥沼状態の年金問題、後から後から出てくる閣僚の不祥事に追い討ちをかけるように、赤城農水相が、事務所経費に疑惑があったことに加えて、とっくに移転した都内の事務所経費を計上していたということが新たに判明した。大臣は届出を忘れていた事務所員を叱責した、とまったく悪びれるところがない。こういう厚顔無恥、非常識な人間を法律上問題はないと庇う安倍首相の神経を疑う。これでは国民が信頼しないわけである。こうなれば支持率なんかどんどん下がって、安倍首相には辞めてもらい、次の衆議院選挙で一度民主党に政権を担ってもらったらよいのではないか。そうでなければ、いつまで経ってもお坊ちゃんの馬鹿さ加減に付き合わされるだけだ。もう好い加減に勘弁して欲しい。
70.2007年7月23日(月) 戦前の国民の一途な思い
昨日の日経紙「春秋」欄にこういうことが書いてあった。戦時色濃厚の1940年(昭和15年)3月に現在の東京晴海の埋立地を会場に万博を開催する予定で、地鎮祭も済ませたが無期延期になった。すでに発売した前売り入場券百万枚のうち、2割が払い戻しされないまま国民の手に残った。30年後の大阪万博の際、これをどう取り扱うか、国会でも取り上げられたそうだが、そのまま入場券として通用させた。すると戦前の未払い戻し入場券のうち、約1.5%にあたる3,077枚が、大阪万博で使用されたという。「春秋」氏は、社会保険庁職員はこのエピソードの記録映画でも見て、お金を預かる責任の重さを考えて欲しいと述べている。
それもそうだが、私は二つの点で感銘を受けた。購入した人たちはそれぞれにぜひ見てみたいと万博への夢を捨てきれなかったということと、いつか夢が現実となって現場に居合わせたいという願いを持ち続けていたという点においてである。戦中、戦後の混乱の中でも、一度掴んだ夢を手放したくないという気持ちが何とも切ない。それにしても払い戻しされないままの残りの98%強の前売り券はどうなったのだろうか。持ち主が亡くなってどこかへいってしまったのだろうか、はたまた、使用できるなどとは露知らず、記念品としてひっそりどこかに保管されているのだろうか。また、その購入者の運命はどうなったのだろうかと考えると、戦争に翻弄されたとはいえ、気の毒で堪らない。
現実に万博は開催され大成功裏のうちに幕を閉じた。3千余人の人々の長い間の期待に応えようとの気持ちが国にあったかどうかはともかく、国は大きな事業を成功させたわけである。国民が国を愛し、当てにしていることは、この一途な行為と結末を見ても明らかである。「春秋」氏の言うように、社保庁職員のみならず、すべての政治家も国民の気持ちを知るうえでも、この記録映画を鑑賞すべきだと思う。
71.2007年7月24日(火) 健康の有難味
先日東京医療センターで診察を受け、3回に分けて専門医の診察、検査を受けることになった。今日の第1回は外科肛門科である。まあ8年ほど前から気にはなっていたが、イボ痔としては、特段気にならなければこのまま経過観察ということでよろしいということになった。悪くなれば当然手術だが、その必要はないでしょうとの診断だった。ただ、痔というのは、現状維持が精一杯で悪くはなるが、良くはならないという、努力家の私?にとっては厳しいご託宣だった。この後、通いつけの近くの整形外科で膝の炎症の話のほかに、最近後頭部首周りが重いことを告げた。頭部は重いし、両腕の重みも首へ負担としてかかってくるので、長時間同じ姿勢でPCに向かわないようアドバイスされた。
かつては、健康優良児で学校や仕事も休んだことがなかったが、寄る年波のせいで定期的に人体チェックの要があるようだ。一応毎年一回人間ドックを受診し、タバコは一切吸わず、アルコールも最近極端にその機会と酒量を減らし、血液検査の結果でもいま罹っている両膝の炎症度が下がらないのを除けば、ほとんど問題はない。
しかし、これまで考えてもみなかった自分の健康について、真剣に考えるようになったのは、周囲の友人たちの健康についての不安や心配を聞く機会が多くなったせいである。出来る限り自分としては、早めの受診と治療を心がけるつもりである。あと10年は、このまま健康に生きて、今のまま好きなことをやっていたい。
72.2007年7月25日(水) 韓国人グループ拉致事件
今晩8人が解放された。19日アフガニスタン東南部をバスで移動中の韓国人牧師と信者のグループがタリバンに誘拐された。その後、タリバンから解放のための2つの条件が出され、要求が満たされない場合、23人全員を殺害すると言い、その期限まで通達した。当初の期限は一昨日夜だったが、2度に亘り日延べされ今日に到っていた。その間解放のための条件のひとつ、韓国軍のアフガニスタン領内からの即時撤退については、ノ・ム・ヒョン韓国大統領がすでに決定済みの年内撤退方針を公約したことにより、条件は残りのひとつとなった。拉致被害者23人と同数の、政府側に拘束されているタリバン兵の解放だけとなった。そして、一昨日拉致被害者を殺害しないとタリバンが公表した。韓国人は状況を知っているのかどうか、拉致されたまま、まな板の鯉となり、ひたすら救出を待っている状態だった。
それにしても、どうやら拉致被害者は、NGO的な活動により現地で多くの人々の支援活動に携わっていた模様だ。しかし、いまはイラクにばかり世界の目が注がれている時だが、このアフガニスタンの治安も相当酷いようだ。先日イスラマバードでパキスタン国軍の宗教施設への武力行使により、相当数の死者が出たが、イスラマバードから、ペシャワール、そして国境カイバル峠へ続く北部街道は相当危険な地帯である。過激なイスラム教徒は、国境なんか意に介さず暴れまわっている。3年前のイラク日本人拉致事件もそうだったが、利他的支援、趣旨や心意気は大いに結構だが、こういうデンジャラス・エリアで活動する場合は、自己管理、危機管理を忘れては類を他に及ぼすことになる。残り15名の解放が待たれる。
73.2007年7月26日(木) ‘エッ’と驚くニュース
昨日韓国人拉致被害者のうち8人が解放されたと報道されたが、一夜明けて今朝、解放のため目的地へ向かっていたバスが途中から戻ってきて、一人が殺害されたとのニュースが入ってきた。
今日から2日間、福島市の「ふくしま自治研修センター」で図解講師を務めるので、思うようにTVニュースが見られないが、5時に講義が終わった段階ではそういう切羽詰った状態にあった。その後リーダーの一人が殺害されたことが正式に発表され、名前も公表された。バスにいて解放と看做されていた韓国人も再びタリバンの手に戻ってしまった。韓国国内では連日この報道に、多くの時間を割いているようだ。事態に好転の兆しはなく、この事件は当分の間韓国内外を揺さぶり続けるだろう。アフガニスタンに行ったことはないが、パキスタンとの国境・カイバル峠を訪れた時の印象と、同地域の関連情報によれば、カルザイ大統領政権は完全に国民を掌握しているわけではなく、アメリカの傀儡政権になってしまった。一方で一時は壊滅的と云われたタリバン残党勢力は勢いを取り戻し、国内には不穏な空気が充満し、テロ活動が頻発している。極めて危険な治安情勢にある。 もうひとつ驚いたのは、この福島市内には夕刊紙がないということだ。どうも夕べホテルレストランで、ウィトレスから「新聞をどうぞ」と言われ、夕刊を読みたいと言ったら「夕刊はありません」との答えだったので、てっきり夕刊は手元にないと信じ込んでいた。ところが、今朝ホテルロビーで日経、朝日両朝刊紙に目を通し、連載小説を読んだところ、何とそこには夕刊紙の連載小説も掲載されているではないか。びっくりして確認したら、かつて夕刊はあったが、購読者が減りいまや廃止されてしまったと聞いた。福島市と言えば、東北新幹線も停まる、県庁所在地でそんな過疎地ではない。大手の日経、朝日がそんな有様から察すると日本中相当新聞離れ、文字離れが常態化しているのだろう。
74.2007年7月27日(金) 福島県図解研修講座を終える。
2日間に亘る福島県の図解研修講座を終えた。定員16名に対して、今回は15名の受講者だった。パワーポイントの基礎を理解しているとの条件付で、それぞれ地方行政の第一線で働いている人たちばかりである。先月行った本年度第1回研修では、「私の仕事図」作成中に少しずつ個別にアドバイスをしてみた感触と結果が比較的良かったので、今回も従来のような各自の作図を観察しながら、質問を受けるというスタンスではなく、積極的に当方からこうしたらよいと個人的なサジェスチョンを与えることにした。結果的に、あまりパワーポイントに慣れていない人でも、かなり分りやすく素敵な「私の仕事図」を仕上げてくれて、効果が表れたことを嬉しく思うとともに、講師冥利に尽きると思っている。受講者も自分の図解が上達して、力が向上していることを感じていると思う。実際教えていても楽しい。いつも感じることだが、受講生にとってはこの研修に参加することによって、どの程度図解技術をマスターできるのか、半信半疑のところもあるのではないかと思う。しかし、実際に研修を終えてみて受講者のみんながみんな今回も中々立派な図を書き上げ、かなりのレベルまで到達できていると実感出来たので、この研修で講義したことが、成果として役立っていると確信を持てた。
最後にお別れの挨拶をして研修室を出る時に、思いがけず受講者から拍手をいただいたのは感激であった。通常人前の講演で最後に拍手をいただくのは、むしろ当たり前のように感じているが、このように実務的な研修講義で拍手をもって送っていただいたのは、感激の極みである。今後一意専心講師業に一層磨きをかけたいと改めて思いを強くした次第である。「ふくしま自治研修センター」の武田剛さん、受講者の皆さん、お世話になりました。ありがとうございます。
昨日のアメリカ証券市場の株価大幅下落の影響を受けて、予想通り日経平均株価も大幅にダウンした。日経平均では、今年2番目の株価下落幅で一時前日比505円まで下げ、終値は対前日比418円のマイナスだった。所有している2社の株価も大きく下がって、またがっくりである。日本の企業業績はそれほど悪くないので、この下落も一時的だろうと言われているが、それでも今年春から下がる一方で消化不良を起こしそうだ。当分の間株価を気にしないようにしよう。
75.2007年7月28日(土) ホクレア号の航海
1995年日本語版創刊以来購読している‘NATIONAL GEOGRAPHIC’の8月号では、マヤ文明が特集として取り上げられているので、これから写真ともども楽しみたいと思っている。同誌コラム「EXPEDITION」でハワイから来た古代式カヌーを写真入りで紹介している。ホクレア号という古代ポリネシア人がハワイ諸島を発見した当時の船を復元したもので、半年かけてハワイから沖縄経由で横浜港へやって来た。驚いたのは、太平洋を航海するのに、現代では必需品と見られている海図とか、コンパスをまったく持たず、伝統的な航法「スターナビゲーション」により航海したことである。星の位置、波、風を読みきる伝統的航海法で針路を決め、大海原を渡りきったというから、大きなロマンがあるように感じた。何でも科学とか、機械、ITに頼る時代に反面教師となり、一服の清涼剤でもある。船長は「ポリネシア人の失われた伝統文化と誇りを回復し、子どもたちに自然と向き合い、理解することの大切さを伝えたかった」と語ったそうである。なんと素晴しい言葉、そして勇気ある行動ではないか。コンチキ号で航海したヘイエルダール教授にも負けず劣らず素晴らしい。
時恰も明日は参議院議員選挙投票日である。汚いことをやって平然としている政治家たちに警鐘を鳴らす結果になることを期待したい。
76.2007年7月29日(日) 参議院議員選挙で自民党大敗
妻と近くの小学校へ「清き一票」の行使に出かけた。開票後の結果は、まあ自民党の大敗だ。予想されていたことではあるが、大物片山虎之助参議院自民党幹事長が落選し、四国四県の一人区はすべて自民党が議席を失った。戦後初の全国的な自民党惨敗に、さすがの青木自民党参議院会長も顔色がなく責任を痛感して会長職を辞めると漏らした。投票終了時午後8時から各TV局では特集を組み、選挙速報を流すものだから、夕方からTVは選挙一色となった。NHK大河ドラマ「風林火山」も繰り上げ放送される有様だ。
近年の開票速報を見ていると、事前の投票動向調査と、選挙区情勢把握、出口調査が行き届いているせいか、かなり当選予想の確率が高い。当確報道後に他の候補が当選して、当確が取り消されるという事態はほとんどないようだ。
しかし、最近その当確予想は大丈夫なのかと懸念せざるを得ないケースも散見される。現実にこういうケースがあった。NHKが開票率0%で東京都選挙区の当選確実を知らせた。正式に選管が公表する前に、3名の当確者名を伝えたのである。最初に民主党の鈴木寛、同大河原雅子、そして接戦が伝えられていた無所属川田龍平が当選確実となった。NHKでは、当確者の川田のインタビューも伝え、川田は花束を抱えてそれに応えていた。その後、11時になって民放報道特集を見たら、半数以上の開票率となって、川田が消え、公明党山口那津男が当確となっていた。一瞬驚いた。そして、4位に自民党丸川珠代が入り、川田はもうひとりの自民候補者保坂三蔵に追い抜かれ6位だった。深夜になって漸く決着がついた。川田と丸川は当選と決まった。こんなのありかという感じだった。NHKの当確報道は、間違いではなかったが、当人たちにとって悲喜こもごもだったのではないだろうか。
ともあれ、自民党は大幅に議席を失い(64議席から37議席、民主党は32議席から60議席へほぼ倍増となった)、参議院の第一党の地位も民主党に譲ることになった(民主党109議席、自民党83議席)。9年前の参議院選挙で当時の橋本総理が、44議席に減らし「ちくしょう!」とマイクを前に叫んでいたのを覚えている。結局橋本首相は、首相の座を降りた。
今回の選挙を前に、安倍首相は「小沢さんと自分とどちらが首相として相応しいのか、国民が決めて欲しい」と厳しい批判に対して開き直っていたが、この大敗の現実には申し開きが出来まい。安倍首相は負けたのである。ところが、安倍首相本人は続投すると宣言した。恥も外聞もなく、ただ憲法改正と来年の洞爺湖サミットを、自分の売名と名誉のためにやってみたいのである。こんな名誉欲ばかり露出させる首相では、年金改革や、政治とカネの問題はまた闇の彼方である。
77.2007年7月30日(月) 小田実さん逝く
あの作家小田実さんが亡くなられた。享年76歳である。直接お話したことはなかったが、駆け出し経理マンのころ代々木ゼミで教えていた小田さんを、国鉄代々木駅近くの喫茶店でしばしばお見かけした。私にとっては人生について、ひとつの生き方を教えてくれた恩人のひとりだと思っている。手元に何冊かの小田本があるが、何といってもベストセラー書「何でも見てやろう」は、私に新鮮なショックを与え、しばし唸っていたのを覚えている。ベ平連を始め、言行一致のパフォーマンスに魅了されたといったらいい。その後繰り返し4度読んだ。そして、「何でも見てやろう」は私の愛読書として、その後の私の行動に少なからぬ影響を与えた。私が海外ひとり旅にはまって、戦乱のベトナムや、第三次中東戦争戒厳令下の中東諸国へひとりで出かけ、旅行先で再三危機に晒されたのも、もとはと言えば「何でも見てやろう」の影響によるところが大きい。いまも私にとってはバイブルのような書で、いつも若い人に必読書として薦めている。
胃がんで闘病生活中だということは、4月に小中陽太郎さんから伺って気にかかってはいた。今月11日NHK時代に小中さんがディレクターとなって作成したドラマ「しょうちゅうとゴム」完全復刻版を見る機会があったが、この四日市コンビナートを風刺したドラマも小田さんの原作である。そこにはほんの僅かではあるが、小田さんは声の出演もしていた。
1965年に哲学者・鶴見俊輔氏、開高健氏、吉川勇一氏、小中さんらとべ平連を結成し、ベトナム戦線へ向かう米空母イントレピッド乗組員の若い4人を脱走させ、日本国内に匿った挙句に最終的に無事スウェーデンへ逃がした人道的な行為には驚愕させられたものである。このセンセーショナルで隠密的な行動は、世間に行動することの価値、意味を問うたと思っている。その後小中さんに何度かこのときの記者会見のニュースフィルムを見せてもらい、当時の生々しい映像に危機的な臨場感を思い起こさせられたものである。伺うところによれば、小中さんもこの事件では主体的に関わり、4人のうちのひとりを長らく自宅に匿っていたそうである。身の危険を冒しながら当時の骨っぽいリベラリストは、理論と行動を実践していたのだ。
小田さんが世界で最も感動したのが、アテネのアクロポリスの丘だと前著で触れているが、その影響を受け、一時私の憧れもアクロポリスとなり、2003年にギリシャ政府観光局長賞エッセイ部門で入賞した拙稿もそのアクロポリスについて書いたものである。
僭越ではあるが言わせていただけるなら、小田さんの偉いところは、偉ぶらず、何でも好奇心を持って庶民のために進んで行動する点にある。1960年代に、NHK番組で小田さんと作家石原慎太郎が丁々発止と渡り合い、小田さんがその当時から威勢の良かった反動作家に対して、「君はいつもそれだからダメなんだ」と、ぴしゃりと言い放ったのが小気味よく、いまでも強く印象に残っている。
小田さんと格別親しいお付き合いはなかったが、ベトナム反戦運動の中でも個人的に大いに影響を受けた。小田さんへの思い出は尽きない。
行動する作家・小田実さんのご冥福をお祈りするばかりである。 合掌
78.2007年7月31日(火) 「構想日本」第120回J.I.フォーラム‘年金’
月例のフォーラムに参加した。依然関心の高い年金について「そもそも年金制度、何がおかしいのか?」と題して、ノンフィクション作家・山岡淳一郎氏がコーディネーターを務め、二人の専門家、東京福祉大学大学院教授・喜多村悦史氏と政策研究大学院大学客員教授田中秀明氏がそれぞれ複雑な年金制度について持論を述べられた。
冒頭「構想日本」加藤秀樹代表より、年金制度と年金業務がごちゃごちゃに議論されているので、その辺りをごちゃ混ぜにしないよう前もってアドバイスがあった。
まあとにかく難しい。どうして年金問題というのは、こう複雑で分りにくいのだろう。偶々年金記録漏れをきっかけに、国民の間に大きな関心を呼ぶことになったが、そうでもなければこのまま先送りされ、益々闇に包まれたかも知れない。
さしあたり問題になっている、年金一元化にしても、国民年金と厚生年金、共済年金では、発足の主旨とスタート年代が異なり、納付条件と年金支払額算出根拠も違うので、これをまとめるのは生半可では出来ず、前途多難だと揃って一致した意見だった。 その中で、喜多村教授が個人的な考え「国民保険構想」を提言された。これは、いま話題の年金一元化を更に広げて、社会保障と称されている医療、年金、介護、雇用、労災等をすべて統合一元化するというものである。これに関連して5項目ほど説明されておられたが、支払者は一箇所に限定され、最初に支払った場所へ終生直接納付するとの考えである。従って、勤務場所が変わろうとも最初に納付した場所へ保険料を収めるというものである。隣の参加者とも話したが、難しいですねということだった。もっと深く勉強する必要があると感じた。