今日6月4日は、かつて「六四会(ロクヨンカイ)」が毎年戦友の慰霊祭を靖国神社で開催していた1日である。「六四会」とは、旧陸軍航空隊第五飛行師団に所属した飛行第64戦隊、一般には「加藤隼戦闘隊」の名で知られた戦闘機隊の戦友会である。今では戦友会の皆さんは亡くなられ、「六四会」も自然消滅してしまった。初めて「加藤隼戦闘隊ビルマ・マレー戦跡巡拝慰霊団」を編成して戦友会の皆さんと、当時珍しかったビルマへの巡拝慰霊団の1員として訪れたのは、1972年1月のことだった。あの時代はビルマの観光事情がまったく不明で、前年ひとりで直接ビルマ・ラングーンの航空会社へ乗り込み、直接交渉してツアーを実現させた。現地では、ビルマ政府要人から大歓迎され、政府ゲストハウスで開かれた夕食会に招待され、現地新聞の第一面にも紹介されたために、「六四会」が行くところ、現地の人々に取り巻かれて大騒ぎだった。参加された戦友の皆さんには、戦時の苦労を思い、一度は再訪してみたかった厳しい戦いを強いられたビルマを戦後になって実際に訪問できて長年の願いが叶い、戦死された戦友を慰霊することが出来たことは、戦後最大の願望であり大きな喜びとなった。私にとっても、以後ビルマ関係の慰霊団を計画する機会が多くなり、そのうえ旧厚生省より太平洋戦争戦没者遺骨収集事業を委託され、その後20数年に亘り、遺骨収集事業に関わることになった。その意味でも旅行業者としての業務の中で最も印象に残っている団体旅行だった。あれから早や半世紀余が過ぎ去ったが、今日はその忘れられない「六四会の日」である。
さて、6月4日は、世界的にも衝撃的な驚きをもたらした1日でもある。1989年中国北京の天安門前広場で民主化を求める労働者、学生らのデモ隊に対して、彼らを排除するために中国人民解放軍が実力行使し、多数の死傷者を出した暴動となった。中国政府は死者が319人と公表しているが、信頼できる筋によると犠牲者は数千人になるとも言われ、イギリスの外交文書には少なくとも1万人が亡くなったと記されている。
きっかけは、事件の数年前から東アジアに民主化の動きが表れていた。2年前に台湾で戒厳令解除が実施され、韓国では光州事件による民主化闘争の結果出された民主化宣言など、民主化の波が押し寄せていた。
中国では改革派だった胡耀邦・元共産党書記の死がデモ発生のきっかけとなった。この1989年は、11月に第2次大戦後築かれていたベルリンの壁が破壊され、まもなくソ連邦が崩壊した。共産主義国家は国家維持が危うい時期に当たっていた。ソ連は1991年12月ゴルバチョフ大統領が辞任し、1922年創建された世界で初めての共産主義国家ソビエト連邦は終焉を迎えた。
それでも中国政府は、逆に国民を弾圧する手段を取り、その後香港をイギリスとの約束を破棄して、中国本土と同じ中国式共産主義を押し付けている。
これからの中国は、アメリカと並び2大強国となったことを基盤に、民主主義ではあり得ない権力を揮う最高指導者、習近平・中国共産党総書記が思い通りに14億国民を支配し続けることだろう。国内では事件を政治的な騒動と見做して、事件に関する議論、報道、教育などが厳しく制限されており、歴史から事実を消し去るような情報統制が行われているような現実であり、とても開かれた国とは言えない。天安門事件で亡くなった人たちの夢と希望は今以て実現出来ていない。